「お待たせしました、トレーナーさん」
「悪いな、わざわざクリスマスイブにぶつけちゃって」
「いいんですよ? トレーナーさんとはなかなか会えなくなっちゃいましたし、時間を見つけて会おう、って言っていただけるだけですごく嬉しいです」
「なら、よかった。いい席も取れたしな」
「ええ。とても、すごくいい席です」
元担当のナリタトップロードがトレセン学園を卒業して、数年が経ってのクリスマスイブ。有マ記念当日だったが、今年はマイラーの子たちを主に担当していることもあり、担当の中に有マ記念に出走する子はいなかった。それでも一年の締めくくり、中山でのレースというのは特別で、こんな日だというのに俺は元トレセン学園生が経営するカフェで、テレビがよく見える席を取って待ち合わせていた。日曜のこの時間なら、大抵レースの実況番組を映してくれている。
「トレーナーさんは、最近どうですか?」
「おかげさまで上手くやれてるよ。トプロのうわさを聞きつけて、真面目で素直な子をいっぱいスカウトできてる。トプロを指導してた頃が懐かしいよ」
「そうですか……えへへ」
「トプロこそ、最近どうなんだ? 仕事は上手くやれてるか」
「はいっ。まだまだヒヨッコですけど……でも、ずっとやりたかった仕事なので!」
卒業後の進路としてトプロが選んだのは、スタイリストだった。本来、テレビや映画に出演するタレントや俳優の衣装選びや小物、化粧を担当するのがスタイリストだが、中でもウマ娘専門のスタイリスト見習いとして、トプロはあちこち飛び回っている。まだ特定のウマ娘俳優のスタイリストではないから忙しそうだが、久々に会って少し顔を見るだけでも、充実した日々を送っていることが見て取れた。
「それにしても……びっくりしたな、あの時は」
「私がレースから離れる、って宣言したことですか?」
「前からスタイリストさんの話は聞いてたけど、てっきりレースと並行してやるものだと思ってたから」
ナリタトップロードというウマ娘は、長く活躍したくさんの人たちに応援され続けていたことを、隣にいた者としてよく知っている。在籍期間を自由に決められるトゥインクルシリーズでも、かなり長くいた方だと思う。長く在籍できたのは、もちろんトプロ自身が諦めない気持ちを持ち続け、後からどんどん突き上げてくる天才ウマ娘たちとしのぎを削り続けられるほどの実力を持っていたからなのだが。それ以外に、トプロにはファンの応援を活力に変える力があったと確信している。トプロの走る姿に魅入られ、声をかけてくれる人が応援し続けてくれたからこそ、俺たちはここまで歩み続けることができたのだ。
「うーん……それも考えてはいたんですけどね。でもやっぱり、なんというか。卒業して、どんなふうに頑張っていこうかなって考えた時に、今度は人を応援する仕事を頑張ってみたいな、なんて思ったんです。そのためには、やっぱりレースをお休みして、一本で行く方が自分に合ってるかなって」
若くしてレースの世界をきっぱり諦めるというのは、相当勇気の要ることだ。ウマ娘にも人間と同じように、アスリートとしての限界がある。四十代や五十代になってもアスリートとして活躍しているウマ娘はいないわけではないが、相当少ない。大学生や三十路になる頃には、かなりしっかりトレーニングを続けないと筋肉がつかず、また少しでも怠るとすぐに筋肉が落ちる状態になってしまう。トプロの卒業が近づいていたあの頃、トレーナー室で彼女の様子をうかがうといつもスタイリストに関する本を読み漁っていたが、一本に絞るほど本気だとは思っていなかった。それだけの決断を彼女がしたからこそ、素直にトプロのことを応援してやりたいと思えた。と言っても、トプロの指導で評判が立ってしまい、専属契約をたくさん受けてしまったせいでトレーナーの仕事が忙しく、今日が本当に久しぶりの再会なのだが。
「トプロをテレビで見ることはめっきりなくなったけど、この俳優はトプロがコーディネートしたのかな、って目線で見るのも面白いな」
「なんだか……自分のコーディネートを見られているみたいで、恥ずかしいですね」
「でも、今日もすごく気合入ってるな。トプロらしさも出てて、すごくいい」
「…………えっ?」
彼女のことを意識していなかったと言えば嘘になる。この先どんなにすごいウマ娘を担当したとしても、初めてのGI制覇がトプロの菊花賞であるという事実は変わらない。皐月賞、日本ダービーと涙を飲んだ先の勝利。トプロもトプロで、常に全幅の信頼を俺に寄せてくれていた。意識しないわけがない。
ただ、それはトプロに想いを伝えていい理由にはならない。少なくともトレーナーとしての俺が、そう判断してしまった。俺はトレーナーとして、この先何人ものウマ娘を担当してゆく。いくら思い入れがあったとしても、トプロが喜んで受け入れたとしても、それは許されない。レースから離れ、スタイリストを目指すと聞いた時、確かに安堵する悪い自分がいたのを覚えている。
「あ、もうすぐ始まるな。ゲート入りだ」
「えっ、あっ……そ、そうですね」
有マ記念はゲート入りの時ですら特別だ。いつものレースはGIですら有力なウマ娘の登場時にしか拍手が起こらないが、この日はどのウマ娘にもスポットライトが当たる。有マ記念に出られるというのは、それだけで栄誉になる。
「そっか……そうですよね」
「ん?」
「あぁいえ、なんでもないんです。なんでも……」
トプロが少し頬を赤らめていた。
彼女からの好意が分からないほど鈍感ではない。三年以上も親身になってくれて、二人三脚でレース界という厳しい道を歩んできた相手を意識しないはずがない。俺が逆の立場だったら絶対に意識してしまう。つまりどう頑張っても、俺たちは両想いだ。けれど二人して真面目すぎるがゆえに、たぶんこの関係性でこの先に進むのはダメなんだと思ってしまっている。そんなルールはないし、トレーナーと担当ウマ娘が結ばれた先例すらあるというのに。
『スタートしました! さあ先行争い……』
二人してテレビの方を向いて、今を時めくウマ娘たちの勇姿を見ているというのに、どちらもまるで集中できていないことが分かっていた。今日はクリスマスイブ、恋人たちにとっての聖夜であるという事実が、俺たちの感覚を狂わせている。俺とトプロは今やトレーナーと担当ウマ娘ではない。ここで勢いをつけてしまっても、何ら問題ないはずなのだ。はずなのだが、踏みとどまってしまう。万が一、トプロに「そこまでの関係に進むのは考えられない」とでも言われたら、などと考えてしまう。そういえば有マのタイムはだいたい毎年2分30秒と少しのはずなのだが、たったそれだけの時間が妙に長く感じてしまう。食い入るように見ているわけでもないのに、一人が大きく逃げる展開を視界に入れながら、ただ黙って全く別のことを考えていた。
「「……いけっ」」
最終コーナーを抜けて、最後の競り合いが始まる。逃げる子も差す子も歯を食いしばり栄光を目指す。もしかするとトプロと俺とで応援している子は違うかもしれない。それでも、画面に向かってかける言葉は全く同じだ。それまで応援したり、あるいは全く関係のないことを話していたりでがやがやとしていた店内が、すうっと静まり返る。その瞬間だけは見届けようという全員の思いがあった。そして一気に追い上げてきた昨年のダービーウマ娘が、最後の最後に突き抜けて一番に通過する。ダービー以降なかなか勝ち切れないでいた彼女の完全復活の瞬間、しんと音が聞こえそうなほどに場が静まり返ったが、次の瞬間その意味を理解した者たちが歓声を上げる。その熱にあてられて、俺とトプロは真っすぐ見つめ合った。
「「……あっ」」
そんなに真正面から見つめ合ったのは久々のことで、何色とはっきり形容できないトプロのきれいな瞳にとらわれてしまって、逆に目線を外せなかった。心臓の鼓動が激しくなるのを感じながら、それでも見つめ合うのをやめられない。
「あ、あの!」
「お、おう」
興奮冷めやらぬ様子を画面越しに感じながら、二人だけの時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥る。
「すきっ……すき、ですっ」
「す……っ」
「すっ、すごく! あの、とても!」
「わっ……わかったから、お、落ち着け」
彼女の口から言葉が飛び出るとしたらそれだよな、と納得する気持ちと、そう来るかという気持ちが半々。しかも突然がたっと席を立ち、大きな声で俺に向かってそんなことを言うものだから、テレビに釘づけだった人たちの視線がこちらに向いた。そのせいで、ウマ娘のお客さんもたくさんいるというのに、あっという間に「トプロとそのトレーナーだ」と認識されてしまった。
「すっ、すすすみませんっ、あの、えっと!」
「深呼吸」
「……はぅっ」
二人して落ち着くのもやっとといった感じで、周りも周りだから今さら引き下がれなかった。
「その……すみません、でも好きです」
「まだ言うか」
「何度でも言います、すごくすごい好きです!」
「……俺も、だ」
これじゃ格好がつかないなと思いつつも。こうなることが、ずっと前から決まっていたような気もする。
「実は……その、トレーナーさんに、プレゼントを」
「……奇遇だな、俺もだ」
クリスマスイブに会えるからと、二人して浮かれていたのだ。ちょっと恥ずかしさを覚えながら、お互いに包みを開く。あまり近くでは売っていなさそうなボトルに入った香水を見てからトプロの方に目をやると、俺が贈ったマフラーに「わぁっ」と小さな声を漏らしていた。
「いいんですか? これ……」
「こっちこそ。こんな立派なもの、もらってよかったのか」
「それは非売品です。贈り物とか、この季節によさそうな香りがどんなものか、母に相談したんです。といっても……相手がトレーナーさんなことは、バレてそうですけどね」
「なるほど……大変なものをもらっちゃったな」
一年の総決算、有マ記念を見るために席を取っていたのか、勝ったウマ娘へのインタビューが終わるとお客さんがだんだんと減っていった。そんな中で、今ここでプレゼント交換をし、思ってもみなかった形で想いを伝え合った俺たちは、お互いともらったプレゼントとを交互に見ては、喜びを噛みしめて幸せな表情を浮かべていた。
「そういえば! 今日は夕食も、空いてますよ」
「なら、どっか食べに行こうか」
「お店、空いてますかね」
「予約してるぞ。気になるイタリアンの店があって」
「本当ですか? なんだかイタリアンの口になってきました!」
「ならよかった」
「知ってましたか? 私、イタリアンがすごく好きなんです。それはもう、とても!」
二人並んで、意気揚々と店に向かう。トレーナーと担当ウマ娘だったあの時よりも、トプロが大胆に俺との距離を詰めて、寄りかかってきた。彼女の横顔は、これまでのどんな時よりも幸せそうに見えた。