強欲娼婦と哭倉の旅   作:るりつばき荘

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【2】千鳥足と血取り足

 カーテンの隙間から、陽の光が射し込んでくる。

 一筋に伸びたそれは、せんべい布団の上で寝転がるみどりの顔に当たった。瞼を閉じていても伝わってくる不快さに、顔をしかめながら目を開ける。

 隣では、一人の男が同じ布団にくるまっている。大きないびきをあげながら未だに眠り続ける男は、昨夜みどりを買った男であった。

 目をこすりながら上体を起こすと、途端に寒さを自覚した。ただでさえぼろで薄い掛け布団のほとんどを、男が眠りながら手繰り寄せている。ともなれば、最早布団の端切れしかみどりの身体には被さっていなかった。

 みどりが大きなくしゃみをすると、男は「うーん」と声を出したが再び眠り込んだ。くしゃみの次、今度は大きな舌打ちを響かせても夢の世界から戻ってくる気配がない。

 

(甲斐性なしめ。風邪でも引いたらどうしてくれるんだ)

 

 みどりは苛々して男から布団を引っ手繰った。眠っている間、ずっと薄着で床に伏せる羽目になったんだから今度は自分が布団を占領しても良いだろう。

 しかし、あれほどまで深く眠っていた男は掛け布団を剥がされると途端に目を覚ました。寝ぼけ眼には、丁度自分から布団を引っ手繰る意地の悪い娼婦が映っている。

 ぼんやりとした目つきから一転、男は訝しがるようにみどりを見つめた。

 

 ――まずい。

 みどりは慌てて取り繕うように、甘ったるい声で男に語りかけた。

 

「おっ……お早うございます。んもう、社長さんたら。とっくにお天道様は出てるんだから、寝坊助はだめよ。さあ、起きてくださいな」

 

 

 

 服を着て宿を出ると、男はみどりに金を渡して下卑た笑みを浮かべた。

 

「お前さん、本当に十七か?」

「あらいやだ。もしかして十五にでも見えた?」

「わはは!そういうところだよ、婆にも負けず劣らずの手練手管だ」

「そりゃ、弟達を食わせるのでいっぱいいっぱいですもの」

 

 男の不躾な質問をさらりと交わし金を受け取ると、みどりは笑顔のまま男を見送る。しかし男が雑踏の中に完全に消えていくのを確認すると、すぐさま建物の陰に身を潜め渡された金の額を数えた。

 

「……クソっ、羽振りの悪い爺だね。まあ、あんな安宿に連れ込むぐらいだから当然か」

 

 少し前まで喉から出していた猫撫で声が嘘だったように、金額を確認したみどりはどすの利いた声で客の男を嘲った。

 そして大きく溜息を吐くと、彼女もまた雑踏に溶け込むように喧噪の中を歩き出したのである。

 

 

 

 沿岸部の田舎から逃げ出してきて、どれ程の時が経っただろうか。

 みどりはいつの間にか、男に身体を売って生計を立てるようになった。

 

 目に突き刺さったブローチ、無数の白い顔。

 農家に歯向かったあの日。

 一体何が起きているのか分からないまま、みどりは両脇に大根を抱え東京を目指していると、道中でしわくちゃの老人と遭遇した。

 丁度いい、とみどりは老人に尋ねた。

 

「はぁ、はぁ……。ねぇ爺さん、東京はどの方向にあるか知ってるかい?」

「ん゛えぇ~?(とこ)ぉ?」

「“床”じゃなくて“東京”!ああもう、なんでこんな時に痴呆爺しかいないのさ!」

 

 掘っ立て小屋から駆け出したは良いものの、地理を知り得ないみどりはどうすれば東京へ帰れるかも分からず仕舞いだった。

 重たい荷物を抱えて走ったせいで息があがっている。これ幸いにと人とすれ違ったが、相手は難聴で頭もはっきりしないような老人だ。これでは道を尋ねても正しい答えが返ってくるのか怪しい。

 身体の疲労と重なるように、はあと大きな溜息を吐いてみどりは項垂れた。こうしてるうちにも、もしかしたら農家の男達が自分を追いかけてくるかもしれない。そうなったら、かつて餌場で少年達から受けたような仕打ちを再び味わう羽目になる。

 ――急いで東京に戻らねば。沿岸部から左程離れてもいないこの場所で立ち往生しては、すぐ捕まってしまう。なんの役にも立たない爺にかまけている暇は無い。

 何も履いていない足はところどころ擦りむいて血が出ている。日頃から過酷な労働に従事させられていたせいで、既に少女は満身創痍だった。

 舌打ちを残してその場から去ろうと足を踏み出すと、老人は今度ははっきりした声でみどりに告げた。

 

「あ゛~?東京に行きたいなら、列車に乗っていくのが一番早いぞ」

「列車だって?生憎だけどこっちは金なんか無いんだよ、見てわかるだろ」

「“東京”に入るなら“床”にも入りゃ良い」

「はあ?耄碌頭じゃあまともな駄洒落も浮かばないのかい」

 

 みどりは胡乱げに老人を見つめた。すると相手は、先程までの呆けた顔から一転し、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべて口を開いた。

 

「ここから先、少し歩いた場所に宿がある。お前さんは女じゃからすぐに金も手に入るさ」

「……」

「理由は聞かんが、急いでおるんじゃろう?何だったら、儂が客になってやってもいい」

 

 やせ細った肩に、老人のしみだらけの手が添えられたとき、みどりは相手の言葉の意味を理解した。

 その日、みどりは人生ではじめて客をとったのであった。

 

 

 

 雑踏に紛れ込むように歩いていたみどりは、ベニヤ板の看板を見ると足を止めた。安宿から少し先にある目的地へ到着したのである。

 其処は、民間の血液銀行であった。

 銀行の中へ入ると、みどりのような娼婦まがいの女や如何にも安い金でこき使われていそうな労働者が自らの血を売るべく並んでいる。

 

 五年前、大阪で輸血用の血液を採取・保存するべくブラッドバンクが設立された後、その利益に目をつけた民間企業は次々に血液銀行を設立した。

 そして今では、銀行に血を売って金を得る“売血”は日本の低所得者にとって収入源の一つになっている。

 みどりにとっても、売血は生きていく上で重要な金稼ぎの手段だった。夜毎、男相手に身体を売っているとは言え、客がとれない時のために蓄えは少しでもあったほうが良い。

 

 渡された書類に名前や住所を書き込んでいく。幼少期に比べ、平仮名や片仮名は書けるようになったが、やはり漢字は扱えない。しかし売血の為、商売でよく使う宿の住所だけは漢字で書けるようになった。

 記入済の紙を渡し、処置室へ通されたみどりは控えの看護婦の指示に従い椅子に座った。そのまましばらく待たされていると、辛気臭い顔の医者がやってきてみどりの腕に針を刺した。

 金儲けのためとは言え、この瞬間があまり好きではない。売血で使う針は太い上に、血をとるのが下手くそな医者にあたると何回もブスブスと針を刺される。すると採血していた腕にはうっ血痕が残り、痛ましい見た目になってしまうのだ。

 以前、みどりは日中売血で何回も針を刺された後に客をとった際、ヒロポン中毒者と勘違いされ逃げられた経験がある。

 

「薬の打ちすぎで気が触れてるかもしれん女なんぞ相手にできるか。たとえ股の締まりが良くても首も絞められちゃ適わんよ」

「……ふん!あんたみたいなろくでなし、金を出さなきゃ寝てくれる女なんざいるもんか!こっちから願い下げだよ!」

 

 客にもならない男にかける愛想はない。そそくさと去っていく男の後ろ姿に、みどりは暴言を吐き捨てた。

 

 しかし、今回あたった医者は腕は良いらしく、一回針を刺すだけで上手く血がとれた。

 今日は腕がめちゃくちゃにならずに助かった、と無事に採血を終えたみどりは用は済んだと言わんばかりの速さで処置室から出て金を受け取りに行った。

 途中、入れ違いで同じく売血に来た者が横を通り過ぎ部屋へ入っていく。眉の太い、精悍な顔つきの労働者の男だ。

 ちらりとすれ違う男を一瞥したみどりだったが、すぐに顔を前に向き直し何もなかったように歩き続ける。

 

 労働者の男――その背後に、凄まじい形相で男を睨みつける若い女の姿を見つけたからだ。女は背負われるようにして男の後ろにしがみつき、ぶつぶつと何かを呟いている。

 だが、男は意にも介さない様子で肩で風を切るように歩く。

 それも当然だった。何せ、女は普通の人間には見えるはずのない存在だったからだ。

 

 農家のもとで白い子供の顔を見て以来、みどりは時折他人には見えない、幽霊らしきものが見えるようになってしった。

 老若男女、幽霊達の姿は様々であるが、みな共通して生気のない青白い肌をしている。

 東京に戻ってからも幽霊を目撃した際は驚き叫んだ。だがやはり他の人間の目には映らないせいで、随分と奇異の眼差しを向けられた覚えがある。

 それからというもの、みどりは町で幽霊を見ても見えないふりをしている。幽霊が見える、と言って何もない筈の空間を見つめていたら、それこそ本当のヒロポン中毒だと疑われてしまう。

 

(ありゃ多分、金を騙し取ったか、責任取らずに孕ませてとんずらこいたかのどっちかだね)

 

 すれ違った男と女の幽霊に、みどりは下衆の勘繰りを働かせた。

 幽霊達は基本、他人であるみどりに何かしてくる事はない。だが、面と向かって彼らと対峙すると嫌でも気が散ってしまうため、みどりは幽霊を抱えた男を客にとるのはなるべく避けていた。

 ただ生きているだけの人間でさえ、醜いのだから。それ以上の荷物を持ってこられても困るのだ。

 

 

 売血をした日の夜、みどりはいつものように男に買われた。

 今日の客は背広を身に纏った男で、帝国血液銀行に勤めているという。みどりを宿に連れ込んだ男は、部屋に入るや否や店主に酒を頼むと浴びるように飲み始めた。

 

「景気が良いのね」

「酒がなきゃ、世の中やっていけねえよ。でもあんたは十七だろ?飲ませてやれなくて残念だよ」

「ふふ。それじゃ成人してからの楽しみにとっておきますわ」

 

 本当は、みどりは二十歳を過ぎた成人の女だ。とは言え、幼少期より孤児だったため具体的な年齢については不明である。農家のもとにいた頃、同居人だった子供達の年齢と背丈をもとに考えると、おそらく成人して間もない時期だろう。

 しかし女を買う男の殆どは、二十を超えた人間よりも十代の若い女を好んでいた。故にみどりは毎度歳を誤魔化して商売に励んでいた。ちなみに、昨夜相手にした男に言った弟がいるという話も当然ながら嘘である。

 

 目の前の飲んだくれは、大人の特権と言わんばかりに己が酒を飲む姿をみどりに見せつけた。

 

「毎日毎日、働きづめで得られる金は少しだけ。こんなに一所懸命仕事をしてるのに、何で誰も見てくれないんだ?……ああそうだ、あいつが目立つから悪いんだ。水木が俺の株を奪っていくから悪いんだ」

 

 ぐびぐびと酒瓶を開けていく男だったが、如何せん勢いが早かった分すぐに酔いが回り始めた。そして完全に出来上がると、同僚らしき存在を嫉むようにこれでもかと愚痴を零す。

 

「顔には傷、耳だって欠けて嫁もいねえ癖に部長や社長はあいつに一目置いている。龍賀の社長にもえらい気に入られて……くそっ、くそ!」

「それでも、先生にだって優れたところはいっぱいあるじゃないですか。血液銀行に勤めるだけで立派でしょうに。人と比べるよりも、自分の良いところを見つめて自信を持ったらいいんだわ」

「ふん。女は楽だよな。こうやって男と寝て話を聞いてりゃ金が入ってくるんだから。俺も女に生まれればよかった……」

 

 みどりが慰めても背広の男はぐちぐちと不満をたれ続けた。あまつさえ、みどりに嫌味を吐いてくる。苛々を覚えたものの、血液銀行に勤めるだけあっていつもの客よりは金払いもいいだろう。金のため、みどりはひたすら笑顔で纏わりついてくる男の頭を撫でた。

 ねちねちと文句を吐き続けるものの、男はみどりの受容的な姿勢に気を良くして手を伸ばし、彼女の服の中をまさぐる。

 さあ、いよいよ営みが始まる。みどりが恥ずかしがる素振りをすると(恥ずかしがる演技をすると客の多くが喜ぶのだ)、一方で男はその手で何かを掴み取った。

 

「なんだこりゃあ。……女物のブローチ?」

 

 柔らかい女の肌の感触以外に、硬質な物に触れて違和感を覚えたのだろう。その原因を掴むと、男は服から手を出し何が懐に入っていたのかを確認した。

 それは、みどりが物心つく前から持っていた木彫りのブローチであった。

 

「これは私の親の形見だから、返してくださいな。それに今は硬い物よりも柔らかい物に触りたいでしょう?」

「あ~?よその男に貢いでもらった安物か?」

 

 男の手にブローチが渡った瞬間、みどりは恥ずかしがる素振りも忘れて形見を取り返そうと男に促した。

 事前に懐から出しておけば良かったと後悔するももう遅い。

 実の親から託されたやもしれぬ形見だが、同時に農家の男の目を突き刺した装飾品だ。

 故に、みどりはこれまで客の男にブローチを触らせぬようにしていた。

 しかし、返せと言われ不機嫌になった男は舌打ちをしてしげしげと手にあるそれを眺めている。

 花の形に彫られたブローチを裏返すと、そこに書かれている文字に男は口を開いた。

 

「あん?なんだこれ……龍賀って書かれてるじゃねぇか」

「りゅうが?」

「龍賀製薬の龍賀だよ。日本の財界を牛耳る一族さ、知らねえのか?……まっ、売春婦には分かる訳ないか」

 

 馬鹿にするように言い放ち、男が再び服の中をまさぐり始める。

 しかしみどりは男を制止して尋ねた。

 

「このブローチ、龍賀って書かれてるの?」

「だからそう言ってんだろ。あんた漢字が読めないのか?正確にはその下にも何か字が彫られているが、消えかけで読めないな。……雨?肉?さっぱりわからん」

「龍賀家ってどんな一族なの?」

「戦時中からすごい血液製剤を売り出してたとんでもない富豪さ。その住処すら知られていなかったけど、前に水木が龍賀の社長から聞き出していたな。確か……」

 

 酔っぱらった男は、みどりが質問した以上の内容をべらべらと喋った。本来なら取引先の情報を社外の人間に漏らすなどもっての外だが、酒のせいで正しい判断すら出来ていない様子だ。

 そんなんだから水木とやらに差をつけられるんだとみどりは呆れたが、その迂闊さが彼女の知りたい情報をぽんぽんと差し出してくれた。

 

 その後の“仕事”の記憶はあまりない。適当に布団になだれ込んで適当に演技をしたら、男は満足してすぐに眠ってしまった。

 男の耳障りないびきの音を背に、みどりは酒瓶に残った僅かな酒を飲み干した。

 その心は、かつてないほどに高揚している。

 龍賀という珍しい苗字は、他ではそうそう見かけない。そんな名前がブローチに彫られている。

 その事実が、彼女に妄想じみた可能性を植え付けた。

 

(このブローチはあたしの親がくれたかもしれない形見。それに龍賀の字が書かれてるってことは……あたしにも、龍賀の血が流れているかもしれない?)

 

 もしも他人がその話を聞けば、殆どが笑って否定するだろう。

 ただの娼婦が大富豪の一族に連なるなどと。しかも、ただ形見のブローチにその名前が彫られていただけでそう思い込むなんて。

 しかし、みどりに夢を抱かせるには十分だった。

 幼い頃から食う物にも困り果て、惨めな生活を続けていた。何もかも貧しさが悪い。

 ――でも、金さえあれば。豊かな暮らしがあれば、あたしだって幸せになれる。

 

 ごく僅かな量の酒にあてられ、彼女も背広の男のように酔ってしまったのだろうか。

 売血で幾らか血が抜き取られたのに、どくんどくんと血潮の熱くなる感覚がみどりを包む。

 

 ふらふらと覚束ない足で窓を開けると、薄暗い部屋に月の光が流れ込んできた。

 その光の下でブローチをかざし、浮かび上がった龍賀の名にみどりはしたたかに笑みを浮かべた。

 

「龍賀か……親戚の人間なら、顔を見せに行かなくちゃね。そして、今度こそ本当に豊かな『みどり』になってやる……!」

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