強欲娼婦と哭倉の旅   作:るりつばき荘

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【6】そして惨劇が始まる

 目を開けると、視界に竿縁天井が映った。

 みどりは寝ぼけ眼で、東京の馴染みの安宿と龍賀の屋敷を比較した。

 客をとる時によく使っていた宿はかなり年季が入っており、雨漏りや夥しいしみの数で天井は真っ黒だった。しかし名門一族の本家となると、来客用の離れも手入れが行き届いている。

 肌触りの良い布団と、綺麗な天井。加えてつい先程までみていた夢の内容を噛みしめて充足感がこみ上げてくる。

 

 ――幸せな夢だった。

 

 ゆっくりと上体を起こし、窓の外を見た。

 しとしとと雨が降っており、雨だれの音が室内にも響いている。時間はまだ明け方頃だろうか。

 こんなにも穏やかな心地で空を眺めていた事など、人生の中でも片手で数えられる程しかない。恵まれない浮浪児にとって、一飯の金にもならない入道雲を見つめるよりも、下を向いて銭が落ちていないかを探す機会のほうが多かったのだ。

 

「う……」

 

 ふと、耳元に苦し気な声が届いた。みどりは壁際で布団に包まれた水木のほうを向く。

 彼は未だに眠っている。しかし顔は苦悶の表情を浮かべ、呻き声をあげていた。

 悪夢に魘されているに違いない。

 自分とは対照的な様子の水木の姿に、みどりは親切心で肩をゆすり起こそうと試みた。

 

「あんた大丈夫かい。いっぺん起きな」

「……う……」

 

 肩をゆする拍子に浴衣がはだけ、水木の胸元が露わになった。よほど嫌な夢なのか、額には玉のように汗が噴き出していた。

 左目や耳と同様に、がっしりとした胸板にも傷跡が走っている。

 大きな会社の勤め人である故に、やくざ者だった可能性は低い。ならば、かつての大戦で動員された経歴でもあるのだろう。

 水木の過去に介入するつもりは微塵もない。傷の痕を見下ろしたまま、みどりは彼の肩をゆらし続けた。

 

 最初は深く眠り込み起きる気配もなかったが、ずっと肩を揺らされれば流石に意識も浮上してきたのか。暫くして、水木ははっと息を呑むと同時に瞼を開けた。

 先程のみどりと同じように、その目玉はいの一番に竿縁天井を映す。

 しかし、少し間を空けて荒げた息を鎮めると、今度は己の顔を覗いている女と目を合わせたのであった。

 

「はぁっ……はぁ……」

「起きたかい?相当悪い夢でも見ていたようだけど」

「ああ……。それより、そっちは何してるんだ?」

「え?あんたが魘されてたから起こしてやろうと肩を揺すってやったのさ。感謝しとくれよ」

.「……、本当か?」

 

 自身のはだけた胸元を見下ろし、水木が怪訝な眼差しをみどりに送った。

 

 ――妙な事を仕出かしてないだろうな?

 

 水木は口を開かなかった。だが、その目は強欲で常識知らずな女を疑う本心を正直に語っている。

 ささっと浴衣を整えさり気なく距離をとる男に対し、みどりは目を釣り上げて怒った。

 

「その目はなんだい!あたしが夜這いをかけたって思ってるのかい?折角人が親切にしてやったのに……いや、ただで股を貸すぐらい親切だと勘違いしたのかッ」

「いや別に……そんなつもりは…………あー、悪かったよ」

 

 鼻息を荒くする彼女に、水木はうやむやな返事を残した。

 尤も、この短期間で彼からの信頼を失う行動を取り続けたみどりに、怒る筋合いがあるのかは不明だ。ただでさえ、昨夜は借りを返す目的で水木を誘惑しようとしていたのだから。

 

 

 

「誰かっ、誰かー!!」

 

 そんな中、前科を棚に上げて怒るみどりとそれをいなす水木のもとに、突如として叫び声が聞こえた。みどりの不機嫌な声や雨音よりもずっと大きく、剣呑な声色である。

 

「御当主様が、御籠りのお社の中で……っ!」

 

 甲高い叫び声は、使用人の女のものであった。

 離れまで聞こえてくる悲鳴に、みどりと水木は顔を見合わせる。

 

「何か起きたのかい」

「そうらしいな」

「……あっ、ちょっと待ちな!あたしも行くよ!」

 

 言うや否や、水木が早業で身なりを整え、離れから飛び出していく。少し前まで布団の上で呻いていた面影はどこにもない。

 あっと言う間に、室内にはみどりだけがぽつんと取り残される。だがそれも一瞬、みどりも一人にされては堪らないと、着替えて彼の後を追った。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 悲鳴の声は屋敷すぐ近く、山の手にある哭倉神社とよばれる社から聞こえた。

 龍賀家の当主が代々神主を務めるという由緒ある場所にみどりと水木が駆けつけると、既に大勢の人だかりができていた。

 本殿の階段を上ったところにひしめいている、親族や関係者たちの騒々しい声が耳に入る。

 雑踏を掻き分け前方におどり出ると、呆けたように座り込む中年の女と、御簾の奥にうっすらと人の輪郭がみえた。

 

「……ぼ、ぼっちゃん……?」

 

 人ごみの群れから、昨日の下働きの少年が進み出て御簾の手前まで近づく。

 そして恐る恐る手を伸ばすと、彼が触れるよりも早く、御簾の奥で座っていた人物が前方へ倒れこんだ。

 

「時麿兄ぃっ!」

「どうしたことだ、これは……!」

 

 御簾の奥の人物――その正体は、つい先日に龍賀家当主と定められたばかりの長男・時麿であった。

 しかし、その左目は祭具に貫かれ一切の反応もない。真っ白に塗りたくられた化粧が、眼窩から滴り落ちる血の色を際立たせている。

 誰の目から見ても、彼が死んでいる事は明らかだった。

 

 

 時麿の遺体に巻き込まれるように少年が転がり、その惨たらしい姿が大衆のもとに晒される。

 再び悲鳴が聞こえた。ほうぼうから聞こえてくる叫び声は夏の蝉の鳴き声以上に鼓膜にこびりつく。

 みどりも声こそ出なかったものの、驚きで一歩後ろへ後ずさる。隣に立つ水木も目を見開き彼女と同じ心情を抱いていた。

 

 

(……!?)

 

 不意に、違和感を覚えたみどりが時麿の遺体から目を離し顔をあげる。

 

(……気の、せいか)

 

 今しがた、何処からか自分を探るような視線を感じたのだ。しかし親族たちを見回しても、誰もみどりと目が合うことはなく、ずっと時麿の遺体に視線を注いでいる。

 

 ――混乱の最中で思い違いをしただけだろう。

 

 すぐさまみどりは先程の違和感の正体を単なる誤解だと片付けた。

 それに、今はそれどころではない。

 みどりは時麿の変わり果てた姿に改めて目を向け、異様とも言える空気に呑まれていった。

 

 

「祟りじゃ……哭倉村の……」

 

 大衆の中の誰かが呟いた。

 しかし、他者から窘められたのか、その声は途中でかき消され後に続く言葉を聞けなかった。

 

 ――祟り?何のことだ?

 

 首を傾げるみどりをよそに、現場は再び動き出した。

 

 

「お屋敷の方々!村に怪しい者がいたので、ひっ捕らえてきました」

 

 神社に至る石畳の階段から、長髪を一つに括った男と大男が現れた。

 そしてそのすぐ後ろには引っ立てられるように、もうひとり男が縄に括られ拘束されている。

 縄が引かれるのに合わせて歩みを進める男に、みどりは驚愕した。

 

(あいつ!昨日の目玉男じゃないか!)

 

 大柄の男に縄を引っ張られながら歩く人物は、みどりが昨日出くわした高下駄の男であった。

 宿を紹介してくれと頼んでも答えをはぐらかされたが、やはりこの男もよそ者だったらしい。

 殺人が発生している状況の中、件の男と面識があると言えば己にも疑いの目が向けられる。

 みどりは黙ったまま、事のなりゆきを見守った。

 

「そいつじゃ!そいつの仕業じゃ!そいつが御当主様を殺めたのじゃ!」

 

 高下駄の男が階段を上り切り、ぎょろぎょろとした目玉で雑踏を見つめ返すと親族の一人が言いがかりをつけた。

 それを皮切りに、四方から同調の声が上がる。

 丁度人が死んだ時機に、見慣れぬよそ者がやって来た。疑わしい状況ではあるが、そこには何の根拠もない。

 

「随分乱暴な村じゃのう。儂は争いごとは嫌いなんじゃ。どうじゃ、ここはひとつ皆で湯にでも入ってのんびり――」

 

 自分にとって不都合な事態であるというのに、高下駄の男は依然として悠長に構えている。殺人鬼扱いされようが、あまつさえ大男に頭を乱暴に掴まれようが全く動じる様子がない。

 あまりにも余裕綽綽な態度も気になるが、みどりは高下駄の男の横にある存在に目を見開いた。

 長髪の男と、拘束された高下駄の男――その横に、大男が斧を携え控えている。

 

 

 嫌な予感がした。

 はじめ、それが自分の考えすぎだとみどりは思ったが、どうやら間違いでもないようだった。

 

「村に災いを持ち込んだのはこの者でしょう。よって咎を祓います」

 

 長髪の男が平然と言い放ち、それを合図と捉えたように斧を持つ者が前に歩み出る。

 高下駄の男が無理やり地面に座らされ、そのうなじに向かって斧が降り降ろされた。

 

「えっ……、はぁ……?」

 

 ――何を考えているんだ、この者は。いや、この男だけじゃない。この村の何もかもが狂っている。

 

 言葉を失うとは、まさにこういう事だろう。

 目の前に繰り広げられる展開に理解が追いつかないまま、一方的な処刑を止める事も出来ない。みどりはただ石のように呆然と固まり立ち尽くした。

 

 

 しかし、斧が男の首に触れる直前、再び叫び声にも近い大声がかかった。

 

「やめろ!!!」

 

 声の主は、水木だった。

 みどりが横を向くと、同じように他の観衆も水木のもとへ視線を集中させる。

 異様な空気の中、水木は前へと詰め寄った。

 

「ちょっと待ってください。暴力はいけません、暴力は。それに、その男が犯人と決まった訳ではないですか。日本は法治国家ですよ、冷静になりましょう」

 

 男衆を諭す水木の姿に、漸くみどりの身体も硬直が解ける。

 どうやら彼もみどりと同じ側の人間だったらしい。

 己が出自を証明するまでの仮初の夫であるが、連れ合いがまともで良かった。

 安堵するも束の間、未だあたりを取り囲む親族達は、水木の行動を冷たい目で見ていた。まるで、何故処断を止めるのかと言わんばかりの目つきである。

 

「……っ!社長、」

「ん?ああ……冗談はそのくらいにしたまえ。東京の客人が驚いている」

 

 打開に窮した水木が、昔から誼のある龍賀克典に縋る。すると、克典はぞんざいに男衆を宥め

場を取りなした。

 疑わしきは殺してやろうと息巻いていた男たちが、渋々斧をしまう。

 

 続けて水木は、警察を呼ぶことを提案した。

 だが、無情にも崖崩れにより麓との連絡が途絶えた事実を龍賀家長女・乙米から告げられる。

 こうして、ついに通報も果たされぬまま、場は閉められたのであった。

 

 

「それでは、僕らはこの村に閉じ込められたということでしょうか。時麿さんを殺した、何者かと一緒に……」

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

「大丈夫か?顔色が悪いぞ」

 

 離れへ戻る道すがら、水木が慮るように尋ねた。

  

「顔が青くても死んじゃいないから安心しな。もっとも、十年前じゃ死体なんて珍しいもんでもなかったろ」

「……」

 

 みどりが返事をすると、水木は無言で目を落とした。

 実際、戦時中から終戦直後は路地裏でやせ細った浮浪者の死体をよく見かけたものだ。

 いつだったか、みどりはごみを漁っている途中、同じ浮浪児の遺体に躓いて額をぶつけた記憶がある。

 死の間際で子供がえりをしたのか、あるいは御馳走を食べる夢を見ていたのか。自分の親指をしゃぶりながら息絶えた少年の遺体には、蛆やねずみが湧いていた。皮肉にも、彼の肉体が馳走になってしまったのだ。

 

 とは言え、あれから十年が経ち戦後復興も著しい現在では、死体を目にすることもめっきり減った。ましてや此処は路地裏でもない、龍賀の本邸だ。

 

 ――ただ親戚に身柄を保護してもらおうとやって来ただけなのに、とんだ事態に巻き込まれてしまった。

 

 未だ顔に赤みが戻らない一方、みどりの胸は苛立ちや焦り、そして恐怖や不安が燻っていた。

 このまま殺人鬼の潜む村で時間を過ごせと言うのだろうか。

 いや、殺人鬼だけではない。それ以外でも――。

 笑い話にもならない。自分が求めたのは金だけであって、命の危機ではない。

 

 

「どうにかして、村から出る方法を考えないとね」

「おい……冗談はやめてくれ。崖崩れが起きたって話を聞いていなかったのか?麓まで行けない以上どうにも出来ないだろう。無理に山の中を下ってみろ、それこそ崖底へ落ちてお陀仏だ」

 

 みどりの小さな呟き言に、水木が眉を顰めて制する。

 しかしその反応が気に入らなかったのか、強欲な女は逆上して水木に食ってかかった。

 

「冗談を言っているのはどっちなんだ!こんないかれてる村で立ち往生だなんて。あんた、あたしに死んでほしいのかい」

「人殺しが隠れている場所で過ごさなきゃならないんだ。あんたの気持ちも分かる。だが、一人で動き回ったら危ない上に、村の人間に怪しまれるぞ」

「“人殺し”ね。あんたらは生きている人間の心配だけすりゃいいから楽なもんだね。こっちは――」

「はあ?……あのな、何を言っているのか分からんが、変なことを仕出かさないって昨日約束しただろう。頼むから大人しくしてくれよ」

 

 

 

「騒々しい。御自分の置かれた状況を分かっていらっしゃらないようね」

 

 水木がいくら正論で諭してもみどりは納得しなかった。それどころか意味深長な言葉を投げかける始末だ。

 そんな中、二人の話し声は徐々に大きくなっていたのだろう。

 口論――あるいはみどりの八つ当たりと表現するのが正しいか――の音を聞きつけ、龍賀家長女の乙米が現れた。

 

「っ!これはお見苦しいところをお見せしてしまいました、申し訳ありません」

 

 社長夫人の登場に、水木が慌てて頭を下げて謝罪した。それも虚しく、乙米は不快感を隠しもせず更に一言物申してやろうと口を開く。

 しかし、その折のことであった。

 

「あなた、確か細君を連れてきているそうですね。このような事態の中で……、…ッ!」

 

 不意に、乙米が押し黙り前を見据える。

 その視線の先には、水木の背後で様子を伺うみどりがいた。

 

「そ、そちらは……一体……」

「ああ、紹介が遅れました。私の家内です」

 

 まるで幽霊にでも出くわしたかのような表情を浮かべたまま、ようやく乙米が声を絞りだした。

 つい少し前、神社にもみどりはいた。とはいえ騒動の最中だったのもあり、たった今彼女を認識した様子である。

 乙米の台詞に、水木がみどりを紹介した。

 

「(克典社長の妻だ。ちゃんと挨拶するんだ)」

「へっ?あ、はじめまして!つ、妻のみどりと申しますわ!主人がお世話になっております!」

 

 水木が小声で促すと、みどりはへこへこ頭を下げた。もっとも、唐突な指示だったせいか、随分と大仰な仕草だ。

 

「…………なぜ…………」

「……?失礼、家内が如何しましたか」

「っ!いいえ、なんでも御座いません」

 

 

 みどりとは裏腹に、乙米は妙に静かで嫌味の一つも出てこない。

 

 だがそれも一瞬のこと。

 怪訝に思った水木が口を挟むと、すぐにとりすました顔で否定する。

 

 

 そして、やがて二人にとある命令を言い渡したのであった。

 

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