強欲娼婦と哭倉の旅   作:るりつばき荘

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【7】みえない、みえない①

「水木様ならびに奥方様には以後、この男の監視をお願いしたく存じます」

 

 哭倉村の村長を務める長田が言い放つと、彼の部下達が乱暴に水木とみどりを部屋へ押し込む。

 仮にも克典の知り合いであるという水木(と付属物)に対して手荒な真似をしていると言うのに、一向に悪びれる様子もない。出会った頃から変わらない、胡散臭い顔つきは今でも崩れる気配がなかった。

 その一方、突然連れ込まれた二人は困惑を隠さず表情に映し出している。

 

「僕達が?」

「あなたの言葉でこの男の処遇が決まったのです。目を離すと心配でしょう?」

「え。いやあ、それは……」

「いやあー!こんな、主人以外の男の人もいる場所で寝るなんて、あたし怖くてどうにかなっちゃいそお!後生ですから、ここから出してくださいな!」

 

 堪らず水木が口を開くと、横からみどりがさめざめと泣き出した。とは言っても、目元を覆う手は全く濡れていない。

 

「後ほど、布団を運ばせます」

 

 過剰な演技で仮初の夫を援護せんと動いたものの、その三文役者っぷりは直ちに看破されてしまう。

 みどりの噓泣きに一切の反応を示すことなく、長田は最後にそう言うと部屋を後にしたのであった。

 

「……」

 

 村長達が去るや否や、室内は途端に静寂に包まれる。

 その静けさたるや、のちに強欲な女の舌打ちが、木霊まで響き渡る程であった。

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 離れへ戻る道中で出くわした乙米は、ただ騒音に苦情を入れるためだけに姿を現した訳ではなかった。

 みどりの容姿に驚きこそしたものの、その後すぐにいつもの調子を取り戻した女は、やがてこう告げたのである。

 「あのよそ者の監視をしろ」と。

 

 突如横暴な命令を下したかと思えば、瞬く間に長田達が現れ、二人はあの高下駄の男が閉じ込められた部屋へと連れ出されたのであった。

 そして、冒頭に至る。

 

「きぃーッ!なんだい、あの意地の悪い連中は!?人間、あそこまで堕ちたらお終いだね!」

「シーッ!ばか、まだ近くにいるかもしれないだぞ。聞かれちゃかなわんて」

「ふん、聞かせてやりゃいいよ。どうせあいつら、馬の耳を持ってるんだ。いくら言ったところで何とも思うはずがないさ」

 

 大きな舌打ちの後、大きな音を立てて畳の上にどかりと座り込んだみどりは、最後に喉からも大きな唸り声をあげ長田達を散々にこき下ろした。

 彼らがまだ周囲に残っている可能性を微塵も考えず悪口を並べ立てる彼女に、水木が焦って注意を挟む。だが、みどりもどこ吹く風で延々と恨み言を吐き続けた。どうやら、馬の耳を持っているのは長田達だけではないらしい。

 

 こうしてひとしきり罵詈雑言を奏でるが、事態は一向に変わらない。

 ほどなくして観念した後、みどりは部屋の奥――牢の中に閉じ込められた高下駄の男をちらりと見やった。

 みどりが喚きたてていたのとは裏腹に、男は壁を向き、肘を枕がわりに立てて横になっている。同室者の騒がしい姿に関わらず静かに過ごすさまは、さながら涅槃像のようだった。

 

 男と同じ部屋に押し込められると知ったとき、はじめはかの者との面識も明るみに出るのではないかと危惧した。しかし、男は昨日出会った女と再会しても、特に何も言及してこない。

 よそ者という立場は同じである以上、自分にも疑いの目は向けられているのだ。怪しまれるような関係性を、持ち出されないようにしなくては。

 

 ――「やあ、昨日ぶりじゃの!」などと呑気に挨拶されて、男と共に牢に閉じ込められる羽目にならずに助かった。

 みどりはひとり胸を撫でおろした。

 

 彼女が安堵する横で、水木が高下駄の男に話しかけている。

 彼に名を尋ねられても、男からは答えが返ってこなかった。やがて諦めた水木は、男を「ゲゲ郎」と呼ぶことにした。

 

「一本くれんか」

「……やだね」

 

 やれやれと言わんばかりに、水木が懐から煙草を取り出し煙を吹かせていると、漸くここでゲゲ郎が声を発する。

 

(なんだ、喋れるじゃないか)

 

 煙草を求める男の声が聞こえると、水木は片眉を上げ、意地悪気に返事をした。 

 

 

 

 

 

 人を殺したかもしれない、素性も知れない者と和気藹々と話すことはない。

 次第にみどりの苛立ちも治まっていくと、三人のいる室内は本当に静まり返っていった。

 各々が寝たり、煙草を味わったり、すぐ近くの壁の傷を指でなぞったりして暇を潰している。その合間にも陽はどんどん傾いていき、やがて夜になると使用人が食事を運んできたのであった。

 

「はあ~、ようやく飯の時間になった」

 

 膳の上に並んだ食事をみて、みどりは喜びの声をあげ貪った。

 相変わらその所作は粗雑だ。いずれ箸を放り出して犬食いを始めるのも時間の問題かもしれない。

 彼女から少し離れた位置に座る水木も、飯を勢いよくかけ込んでいる。この間も彼は無言であった。

 二人の奥では、座敷牢に入れられたゲゲ郎が薄く切られた沢庵を箸で摘まみ上げている。罪人とみなされている彼の食事は、水木やみどりのものと違ってかなり質素であった。とは言っても、みどりが東京にいた時よりも、格段に上等な夕餉だったが。

 

 

「!」 

 

 ふと、みどりが顔をあげた。

 どうにか男どもの膳から残り物をくすねられないだろうか。茶碗についた米粒を丹念にとる傍ら、図々しくも機を伺う女を見つめる、何者かの気配を感じ取ったのである。

 

 水木の膳から目を離し、みどりが前方へ首を戻す。

 視界の先には階段の下からひょっこりとこちらを覗く、子供の小さな頭が目に映った。

 

(またか……)

 

 ――この村に、この屋敷に訪れてから、もう何回目だろう。

 かつての農村で、そして血液銀行で見かけたような存在が、またしても自分の前にいる。

 関わったって何ら幸せになる訳でもない。みどりは大きく溜息をついて、それを見えないもののように扱った。

 一方で子供は、確かに今しがた目があった筈なのに、自分をまるっきり無視したみどりの姿に首を傾げた。しかしその直後、いきなり激しく咳き込み、口を手で抑える。

 

「ごほっ、ごほっ!」

「時弥君?」

 

 子供の咳嗽音に、水木が箸を持つ手を止め前を向く。

 そこで、初めてみどりは自分が誤解を抱いていることに気付いた。

 

(ん?なんでこの男、あれの姿が視えるんだ?つまり……)

 

 

「生きた子供じゃないか!」

 

 水木に続いて、みどりが声をあげた。

 

 

 

「おねえちゃん、僕のこと見てたのに全然知らないふりしてた」

「ご……ごめんねえ、てっきりかくれんぼして遊んでるのかと。見つかったら鬼に捕まっちゃうだろうから、黙っておこうと思って」  

 

 子供――長田時弥が率直に口にすると、みどりはしどろもどろに言い訳を重ねて謝った。

 初対面の彼女をよそに、時弥と水木は顔見知りのようである。

 彼からみどりを紹介されると、またしても時弥は首を傾げた。

 

「おねえちゃん、おじさんの奥さんなんでしょ?じゃあなんで村にやって来た時、二人とも一緒にいなかったの?」

「「え」」

 

 少年の指摘に、一瞬だけ二人は答えに詰まった。みどりが咄嗟に横を見ると、水木が口をもごもごと動かして合図を送ってくる。

 『ここは適当に誤魔化そう』――。声には出さないが、彼の口はそう言っている。

 確か、龍賀屋敷に入り込んだ際には、どう芝居しただろうか。

 昨日の記憶を振り返りながら、みどりは歯切れ悪く理由を説明した。

 

「えーっと……そうそう、ここへ向かう途中で喧嘩したのよ」

「えっ、それって『ふうふげんか』っていうものだよね?どうして喧嘩しちゃったの?」

「なんでって、えー……それはまあ、色々とね。でも今は仲直りしたよ」

「ほんと?でも、大丈夫だったの?」

 

 再び、答えに窮する質問がとんできた。夫婦喧嘩は犬も食わないというが、年端もいかない子供にはどうも気になるものらしい。

 水木がうやむやにかわすも、時弥は依然として興味津々な様子だ。

 二人してなんでなんで攻撃を受けながら、その内みどりは更にそれらしい理由を考えるべく、思考を巡らせた。

 

 これまでとった客には、所帯持ちも多くいた。

 そしてそれらの手合いの一部は、何故かさして興味もないのに、嫁と交わした会話の内容をいちいち教えてくる事があったのである。

 毒にも薬にもならない話に適当に相槌を打っていたが、確かその中には嫁と喧嘩しただの一方的に怒られただのという話題もあった気がする。

 どんな話だっただろうか。ああ、きっとこんな内容だったはずだ――。

 

 

 

「生活費はたいてキャバレーに行っていたのよ」

「は?」

「生活費はたいてキャバレーに行っていたのよ、この人」

 

 話題を変えようとした水木が声を出すよりも早く、みどりが口を開いた。

 

「『キャバレー』ってなに?」

「ぼくも大きくなったら行くかもしれない、賑やかな場所よ。でも、ひとり者じゃない人間が行ったら駄目なところなの」

「……水木のおじさん、結婚してるのにそこに行ったの?」

「ちょ……ちょっと待て!」

 

 時弥からさらなる質問がとぶ。子供の純真無垢な眼差しを受けながら、水木が慌ててみどりに詰め寄った。

 

「子供の前でそんな話はよせよ。そもそもキャバレーなんて接待で使うこともあるだろうが。真っ当な店だって沢山あるし、なにより生活費をつぎ込んだとか、いくらなんでも言っていいことと悪いことが――」

「おじさん、やっぱり行ったんだ……」

「こりゃ、『真っ当』じゃない店にも行った経験がありそうじゃの」

「いや、だから……!というかお前、なんでこんな時だけ横やりを入れてくる!?」

 

 全部みどりのでっち上げた話なのに、水木の狼狽える姿は、本当に後ろめたい所業を隠したがる人間のそれと同じだった。

 加えて、これまでだんまりを決め込んでいたゲゲ郎まで、牢の中から茶々を入れてくる始末である。

 いきなり針の筵に座らされた心地だ。

 最終的に時弥から「だめだよ」と窘められると、水木は口をへの字にしてみどりを睨んだ。

 その様子に、女も軽率に口を滑らせたと気付き目を泳がせる。

 

「(さらっと躱せば良いのに、なんでよりにもよって妙に生々しい嘘を……!)」

「(あ~、悪かったって。……でも務め人なんだ、行ったことぐらいあるだろ?別にこそこそ隠さなくてもいいのに)」

「(得意先に連れられて行ったきりだ。勿論、『真っ当』な店だったさ!それ以外で行ったりしてない!)」

 

 ――これ以上、子供に相応しくない話題は続けるべきではない。おまけに、自分が犯してもいない悪行を吹聴されては堪ったものではない。

 耳打ちでみどりに訴えると、水木はこれ見よがしに咳ばらいをして、何とか時弥の興味を惹く話を切り出した。

 

「あー、ゴホン!……そうだ、時弥君。まだ秘密の話だけどね。もうじき東京に世界一高い電波塔が出来るらしい」

「すごい!日本が世界一だなんて……ごほっごほっ」

 

 哭倉村から遠く離れた大都会の話を聞くや否や、時弥は目を見開いて興奮した。しかしそれに伴い、また大きく咳き込んでしまう。

 身を屈め喉の不調に苦しむ時弥の背中を、傍に控えていたみどりがさする。

 幸いにも咳は長引かず、すこしして少年の呼吸も徐々に落ち着いていった。

 

「大丈夫かい?さあ、約束だよ。もう布団に戻るんだ」

 

 水木が気遣わし気に告げると、時弥は顔を曇らせて呟いた。

 

「おじいさまが亡くなってからひどいんだ。時麿おじさまも亡くなったし、次は僕の番かもしれない」

「ばかな。今は科学の時代だよ。おじい様たちに不幸があったって君には関係ない」

「……」

 

 時弥の憂い事を水木は力強く否定したが、少年の気はまだ晴れない。

 みどりは彼の背中をさすり続けながら、そのか細さを手から感じ取った。

 同じ年頃の子だって、彼のように大事に育てられてたらもっと肥えているだろう。きっと生まれた時から、この子は儚くて病弱だったに違いない。

 だから、初めて目が合った時も誤解してしまったのだろう――。

 

「世界一の電波塔、見られるかな?」

「もちろん見られるとも。電波塔だけじゃない、日本はこれからどんどん豊かになる。時弥くんが大人になる頃には戦争も殆どなくなってどんな病気だって治せるような、そんな幸せな国になるんだ」

「ほんと!?」

「ああ」

「おじさんもそう思う?」

 

 水木が時弥を勇気づけると、ようやく彼の表情が明るくなる。そして、大胆にも彼は牢の奥で寝転がるゲゲ郎にも声をかけた。

 

「ゲゲ郎じゃよ。そこの男にそう呼ばれてる」

「ゲゲ郎さん?」

「……おいっ!」

 

 時弥が近くまで駆け寄ると、ゲゲ郎が静かに言い放った。

 水木が人殺しもどきを制する声をよそに、時弥は本当に斯様な未来がみられるのかと問いかける。

 裏表のない、ただひたすらに好奇心や希望だけを詰め込んだ瞳がゲゲ郎を射貫く。その様子を尻目に、みどりは手持ち無沙汰に再び近くの壁の傷を指でなぞった。

 

「そうじゃなあ。時ちゃんたち明日を背負う子供たちが本気で願うなら、そういう時代も来るかもしれんの。じゃが」

「じゃが?」

「じゃが変化を望まず恐れて潰そうとする者もおる。そのせめぎ合いで時代は紡がれていくのじゃよ」

「……?ごめんなさい、よく分からないよ」

 

 みどりや水木とはろくに会話も無かったが、ゲゲ郎は時弥に対しては真摯であった。

 耳障りのよい言葉だけではない。子供にとって少し複雑な背景も彼は語っている。

 

「子供相手にそんな話してどうする」

 

 水木が、ゲゲ郎の言葉に頭をひねる時弥にちらりと目をやりながら窘めた。

 すかさず、相手も言い返す。

 

「御為ごかしよりましじゃ」

「おい、御為ごかしとは何のことだ!」

「御為ごかしは御為ごかしじゃ」

「なんだと!」

「だー、もう!いい年した男どもが五月蝿いね!」

 

「……」

「……」

「なんだいその目は」

「「べつに」」

 

 年甲斐もなく口論が始まりかねない雰囲気に、壁をなぞる指を止めみどりが注意する。

 だが彼女の台詞を受けて、二人は無言で女をじろりと凝視してきた。

 一体、どうしてだろうか。彼らの顔には『人のことを言えた口か』と書かれているように思えてくる。

 水木とゲゲ郎の顔に浮かび上がった、見えない筈の文字を読むと、みどりもまた彼らを不満そうに睨み返したのであった。

 

「あっ、うん!難しいってことは分かったよ!でも、だったらより頑張り甲斐があるってことだよね!」

「……聡い子じゃ」

 

 仲裁しようと加わったみどりまで、大人気なく諍いの輪に加わろうとしている。

 先程聞いた夫婦喧嘩はとっくに仲直りも済ませたらしいが、今度は三つ巴の喧嘩が始まりそうだ。 

 不穏な気配に、時弥は過剰に明るい調子で話をとりまとめた。

 そんな子供の健気な姿勢に、ゲゲ郎はにこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 やがて時弥は三人に別れを告げると、自分の部屋へと帰っていった。

 

『日本はこれからどんどん豊かになる』

『戦争も殆どなくなってどんな病気だって治せるような、そんな幸せな国になるんだ』

『明日を背負う子供たちが本気で願うなら、そういう時代も来るかもしれんの』

 

 

「……」

 

 彼の姿が見えなくなった後も、みどりはぼんやりと先を眺め続けた。

 脳裏に水木とゲゲ郎の言葉がよぎる。

 

 

(もしそんな未来がみえる筈なら、なんであたしは貧しくて、惨めな暮らしを今も送ってるんだ)

(いや……そうじゃない。これから龍賀の金を手に入れて、周りを見返してやるんだ、絶対に)

 

 悲惨な幼少期を経て、綺麗事に過敏に反応する性質になってしまったらしい。

 物思いに耽る彼女の指は、またしても壁についた傷をなぞっていた。

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