強欲娼婦と哭倉の旅   作:るりつばき荘

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【8】みえない、みえない②

「子供に気を遣わせちまった。しかし、子供相手だとよく喋るじゃないか」

「話しても無駄な相手とは話さぬだけじゃ」

 

 長田時弥の姿が完全に見えなくなった後、水木が口を開いた。

 彼の声は、牢の中で過ごすゲゲ郎に投げかけられたものである。

 だがゲゲ郎は時弥と話していた様子とは打って変わり、またしてもつれない態度に戻ってしまった。

 みどりは二人のちぐはぐなやり取りを壁に凭れて眺めていた。ほどなくして、大きな欠伸が零れる。

 いつもは商売で夜明けまで起きる日も珍しくないが、何せ今日は色々あったのだ。欠伸と共に疲労を自覚すると、みどりは牢の手前で屈む水木に声をかけた。

 

「水木サン、そいつに絡んだってどうせ何も吐きゃしないよ。それよりも灯りを消しとくれよ、とっとと寝ちまおう」

 

 これまでもゲゲ郎が自分に言及してこなかった事実に、完全に安心しきっている。

 しかし水木はまだ気が済んでいないらしい。みどりにもう少し待てと一言残すと、彼は再び牢の中で横になるゲゲ郎相手に食い下がった。

 

「御当主殺しがお前でないなら、何をこんな山の中の村まで来たんだ。……話したらそこから出してやる」

「うん?本当か?」

「俺は嘘をつかん。お互い、この村じゃよそ者同士だ。腹割って話そうや」

 

 いけしゃあしゃあと並べ立てる水木の後ろで、みどりがこれ以上は待ち兼ねたと言わんばかりに布団を敷き始めた。

 嘘をつかない、なんてよく言えたものだ。既にこの男、哭倉村の住人すべてに既婚者であると大ぼらを吹いている(とは言えこの件に関しては、彼もみどりの企みに巻き込まれた被害者だが)。

 ところが、時麿殺しの容疑者は水木の話にころりと騙されたようだ。

 ゲゲ郎は振り向くと、すくっと起き上がり彼と目を合わせた。

 

「儂は探し物をしに来たんじゃよ」

「探しもの……?まさかMか!?」

「エム?何じゃそれは」

 

 ゲゲ郎の口から紡がれた台詞に、水木が身を乗り出して尋ねる。だが、その名を聞いてもゲゲ郎は頷かない。

 予想が外れたと知ると、水木は慌てて何でもないように振る舞った。

 布団の中で寝返りを打つみどりの耳に、二人の声が入ってくる。Mという名前は、彼女にも聞き覚えがない。されど、自分の成り上がりへの道には何ら縁の無い話題だろうと決めつけてしまうと、件の単語をさっと聞き流した。

 

「探しているのは儂の妻じゃ」

「なんだお前、かみさんに逃げられたのか」

「違うわ。ある事情があっての、生き別れになってしまったんじゃ。もう何年も探し続けておる」

 

 水木の言葉を否定すると、ゲゲ郎は懐から写真を取り出した。とんできた揶揄いもさらりと躱し、手にしたそれを大切そうに見つめている。

 こんな奴の妻になるなんて、どんな女だろう。興味を惹かれた水木はゲゲ郎から写真を引っ手繰ると置行燈のほうへ駆け寄った。

 

「どれどれ……美人だ」

「あんた、いつになったら灯りを消すのさ」

「まあまあ、もう少し待てって。しかし、なんだってこの村に?」

 

 いい加減に寝ろとみどりが不満を漏らしても尚、水木は適当に捌いてゲゲ郎に質問を続ける。

 相手もまだ水木に応えるつもりのようで、表情を変えぬまま口を開いた。

 

「古い仲間からこのあたりで妻の気配を感じたと報せがあったんじゃ」

「気配ねえ……」

「話したぞ。出してくれ」

 

 ここで、知りたい情報は全て教えたぞ、とゲゲ郎が腕を組みなおした。

 だが――。

 

「ああ、明日な」

 

 自分の知りたいことだけを一方的に聞くと、途端に水木は立ち上がりくるりと振り向いた。そしてすたすたと、浴衣を持って階段の下へと身を隠す。

 ゲゲ郎がもう一度声を発すると、暫くしてから浴衣に着替えた水木が階段下から顔を出して返事をした。みどりがいる手前、彼女のすぐ傍で服を脱ぐのには抵抗があったらしい。

 

「……騙したのか」

 

 じろり。ただでさえぎょろっとした目玉が一層存在感を増す。

 穏やかでない眼光を携えながら、ゲゲ郎が水木を詰った。しかし痛くも痒くもないといった様子で、水木は最後にこう言い残した。

 

「確かに、お前は人殺しではなさそうだ。お人よし過ぎる」

 

 置行燈の灯りが消える。

 そして、またまたみどりから少し離れた位置に布団を敷くと、男はすぐさま眠ってしまったのであった。

 

 

 

 

 あれほど水木に灯りを消せと言っていたものの、どうしたことか、いざ暗闇に包まれると中々寝つけない。睡魔を感じる一方、寝入りに時間を要したみどりはころころと寝返りを打った。

 部屋の壁際で、とっくに水木はすやすやと眠っている。今朝は悪夢に魘されていたが、今宵は寝息も穏やかである。

 繊細なのか図太いのか、よく分からない男だ。彼の上下する胸元にちらりと目をやった後、みどりは再び寝返りを打った。

 そのときである。

 

「うわッ!……吃驚させんじゃないよ、ったく」

「……眠れないようじゃな」

 

 周囲は暗いというのに、あの男のぎょろりとした目玉はよく目立つ。

 なんとなく瞼を開けたみどりの視界には、ゲゲ郎の爛々とした瞳が映った。

 

 驚いたみどりが声をあげると、ゲゲ郎はこのとき初めてみどりに話しかけた。

 

「あんたと目が合ったせいで、余計に眠気が逃げちまった。……もうあたしに話しかけんじゃないよ」

 

 みどりがすげなく返してもう一度反対の方向へ寝返りを打つ。その先では、女の小さな悲鳴にも反応せず眠りこける水木の横顔があった。繊細だの図太いだのという気質以前に、常日頃馬車馬のように働いて、疲れきっているのかもしれない。

 牢の向こうで早く眠ろうとみどりが瞼を強く瞑ると、またしてもゲゲ郎が語りかける。

 

「お主、先ほどの――」

「話しかけるなって言ったろ。あんた、そんなんだから嫁に三行半を突きつけられるんじゃないのかい」

「だから、逃げられていないと言っておろうに」

 

 振り向かないまま、みどりは一層険しい声で告げる。それでも尚、ゲゲ郎はお喋りを続けたいようだった。

 彼女の台詞にすかさず訂正を入れたのち、重ねて口を開く。

 

「お主、先程時ちゃんの顔を見て妙なことを言っていたな」

「……」

「まるで、あの子が生きた子供であることに驚いているようじゃった」

「……五月蝿いよ、あたしを寝かせないつもりなのか」

 

 無視しても、男は淡々と言葉を並べていく。

 まさか、このまま夜明けまで念仏の如く唱え続けるのだろうか。みどりが布団の中で大きな溜息と舌打ちを零すと、ゲゲ郎がやっと話の核に触れた。

 

 

「お主、“視えている”のじゃろう」

「!」

「おお。やはりそうであったか」

 

 視えている。何が、とはわざわざ聞き返すまでもない。

 これまで自分の胸の中に隠していた事実を、出会って間もない男に、あっさりと言い当てられてしまった。

 みどりは目を見開いて上体を起こした。そして、また彼のほうへと顔を向ける。

 その姿を答えとみなすと、ゲゲ郎は然りと彼女の秘密を次々に暴いていった。

 

 

「……さ、さっきから、何を言ってるんだ、あんた――」

「されど、心に蓋をして、その殆どを視えないようにしておる。故に、全てを映し出せてはいない。じゃが儂には分かるよ――お主の目から、指先から、そして肌の下を巡る血潮には宿っておる――霊力が」

「……目玉……ッ!あの夜行列車で乗り合わせた変なやつは、あんただったんだね!」

 

 陽が沈む前のだんまり具合が嘘のようだった。

 居住まいを正すに伴い、男の着物の袖がはらりと揺れる。宵闇に同化しているかの如き濃紺の色に、みどりは数日前の記憶を蘇らせた。

 

 はじめて水木に邂逅した際に、彼と一緒にまみえた幽霊と思しき謎の存在。

 昨日、宿を探す最中にもその色が目についたが、そんな筈はないと可能性を否定した。

 だがあの列車で聞いた深長な台詞と、今しがた男が繰り出す言葉の内容は、どうにも無関係とは言い難い。

 あの日の出来事を思い出すや否や、みどりはおぞましいものに出くわしたかのように顔を歪ませた。

 

 ――この男、やはりただの人間ではない。

 

 

 

「うーん……」

 

 不意に、近くから声が響いた。

 どくん、どくんと高鳴る鼓動を纏い固まるみどりの後ろ、壁際で水木が寝言で唸っている。

 しかしその表情に苦悶はみられない。ただ檻を隔てて話し込むみどりとゲゲ郎の声に、眠りが浅くなっているだけのようだ。

 端から聞こえてきた声に、二人の間に沈黙が流れる。

 

「……そう警戒せずともよい。お主が視える人間だからとて危害を加えるつもりはない。儂はただ、ほんの少しの好奇心で尋ねてみたまでよ」

 

 少しして、先程よりも幾分か小さな声量でゲゲ郎が弁解する。

 たしかに、ぎょろぎょろとした目玉の奥に害意は感じられない。

 

 彼の言葉と顔色にわずかに安堵したのか、漸くみどりに口を開く余裕が生まれた。

 

「……もしもあそこの三年寝太郎に漏らしてみな。承知しないよ」

「心配は無用よ。そもそもあの男は、視えないものなど信じないじゃろう。じゃが、何故そうも視えないふりを続けるのやら」

「『あたしは幽霊がみえます!』ってか?はんッ、そんな風に振る舞ったが最後、今のあんたみたいに檻にぶち込まれるだろうね。……それにこの村は、やたらとあれらの姿が目につく。その全てを認めたら気が狂っちまうよ」

 

 渋い顔をしながらみどりが吐き捨てる。

 哭倉を訪れてからというもの、何故だか東京にいた頃よりも、幽霊じみた異形に出くわす頻度が段違いに増えた。ぼんやりと朧げであるが、大抵が煩悶や憎悪で身を焦がしたような、恐ろしい形相をしている。

 多くはみどりに害をなさないものの、それも時間の問題かもしれない。

 ならば、やはり視えないふりをして関わらぬのが一番の得策である。

 

 

 さあ、この話はこれでおしまい――。

 ゲゲ郎はみどりが元の調子に戻るのを確認すると、それ以上件の胡散臭い話題を口にするのをやめた。

 しかし、まだ言わねば気の済まぬ話があるのか、女が頭を枕にくっつけようとしたところで言葉を付け足した。

 

「そういえば、儂が口を挟む筋合いなど無いかもしれんが……」

「あん?」

 

 みどりが彼の声に反応する。

 ところがゲゲ郎の視線は、彼女ではなく水木のほうへ向けられている。再び穏やかに寝息を立てはじめた水木の顔を見下ろしながら、ゲゲ郎は切り出した。

 

「その男はたしかに、『真っ当』かどうかも怪しい店にも行ったかもしれない。おまけに嘘つきじゃ」

「…………?」

「――じゃが、捨て鉢になるのはやめなさい。日頃からしっかり会話をするべきじゃぞ」

 

 

 ゲゲ郎の忠告に、みどりは堪らず吹き出しそうになった。

 

「んん……」

 

 彼女が喉を咽る音に、またしても水木が寝言を漏らす。

 熟睡し意識を手放しているはずなのに、ぽつりと出てきたそれが、まるで不満を訴える声にも思えてさらに笑えてくる。

 みどりは大きな音を立てないよう深呼吸すると、ゲゲ郎と水木を交互に見やった。

 

 先程のゲゲ郎がみどりを諭したのは、おそらく龍賀家に入る前に、彼女が自分を誘惑したことを言っているのだろう。

 

 ――人を殺したと疑われている者に、夫婦の仲を説かれるとは思わなんだ。

 

 人が幽霊もどきを視えることは見抜けるのに、彼女が水木と夫婦であるという嘘は信じ込んでいるらしい。

 ――水木も言っていたように、この男は人殺しではないだろう。あまりにもお人よしすぎる。

 笑っているのを誤魔化すように、みどりは咳払いをして布団に身をうずめた。

 それを反省や後ろめたさと誤解したのか、時麿殺しの容疑者は一度だけ神妙に頷くと、やっと静かになったのであった。

  

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

『逃げて!』

『あいつらの目的は私よ。私さえ戻ればどうにかなるわ……!だから絶対に、あいつらに見つかっちゃ駄目』

『私なんて、最初からいなかったと思えばいい。だからお願い、この子と二人で無事に生き延びて』

『この子は、私達の……』

 

 声が、聞こえる。女の声だ。

 真っ暗な視界の中、かすかに聞こえる声にみどりは既視感を覚えた。

 すぐさま、これが以前にもみたような夢なのだと気付く。

 

(……母さん?)

 

 やはり何も見えぬまま、みどりはその声に耳を傾けた。

 しかし、昨日の夢とは違い女の声には緊張感が漂っていた。

 切羽詰まった口調で何者かに請う。ただ、その相手はみどりではないようだ。

 ――一体、何の話をしているのだろう。逃げるとはどういう事なのか。

 

 みどりが疑問を持った瞬間、意識が浮上し彼女は現実へと還っていった。

 

 

「……、何だ、今の夢……」

 

 目を開け、独りごちるが呼応するものはない。

 それもそのはず。未だ空は暗く、夜明けが訪れていないことを物語っていた。

 奇妙な夢の内容に、みどりは目が覚めたものの、狐につままれた心地で呆けていた。

 彼女達が押し込められた部屋の天井近くには、木の格子窓がついている。

 ひっ捕らえた者が逃げ出さないよう非常に小さく造られた窓から、月の光がわずかに零れ一筋の灯りとなり、丁度みどりの目の前に落ちていた。寝る前に、しきりになぞっていた壁の傷がある箇所だ。

 

 どうしたことか。今になるまで全然気がつきもしなかった。

 

 ぼんやり眺める視界の先、壁の傷が月光で照らされ浮かび上がったとあるものに、みどりははっと息を呑んだ。

 ただの不手際でついたと思っていたものの、よくよくみると、そこには傷ではなく字が彫られている。

 みどりは漢字が読めない。しかし彫られた文字は、幸いにもすべて片仮名で記されている。

 字の書き出しから最後まで、一つずつゆっくり読み意味を理解した途端、みどりの顔には動揺の色がじわじわと滲んだ。

 

 

 “ミドリハ イキテイル”

 

 

 彼女の読み間違いでなければ、壁にはそう彫られている。

 月の光に晒された文字に衝撃を受ける女の後ろで、不意にがたりと音が立った。

 

 

「あ……、なんだ目玉、まだ起きて…………っ!」

 

 音の出先を振り向くと、みどりは声にもならない悲鳴をあげた。

 檻の中に閉じ込められたゲゲ郎はいなくなっている。その代わりに別の人間が幽閉されていた。

 しかし、その者を人間と表現してよいか、みどりは悩んだ。

 

 

 牢屋の中には、骨に干からびた肉をくっつけたかのような、おぞましい姿の亡者が佇んでいた。

 落ちくぼんだ眼窩の奥底に、萎びた目玉がついている。それは怯えるみどりの姿を捉え、やがてぼろぼろになった歯をもぞもぞ動かした。

 

「……、り」

「ら、ノ………こ……ろ」

 

 声と言ってよいのか分からない。

 亡者の歯の隙間から、音が漏れる。だが、如何せん朽ちて役目を果たしていない口から発するそれは、ひたすらにか細く聞き取れない。

 何かを呟いた後も、亡者はみどりから目を離さない。

 みどりも相手から目を離せぬまま、壁際で眠る水木のほうまで後ずさりやっとの思いで口を開いた。

 

「み、水木サン、起きとくれ、!!」

 

 しかし無情にも、水木は依然として深く眠り、目を開く気配が無かった。

 声だけじゃない。激しく肩をゆすっているにも関わらず、一向に反応がない。最早殴打する勢いでみどりが肩に手をやっても、彼は死人のように動かない。 

 助けにならない男に焦り、今度はゲゲ郎に縋ろうと試みるも、あの目玉男に至っては部屋のどこにもいなかった。檻に入れられていた筈なのに、まるで神隠しにでも遭ったかのようだ。

 

 不審なほどに目を覚まさない水木や不在のゲゲ郎に、みどりはやがて、この現状があの亡者の仕業と理解した。

 彼女が時折目にする幽霊のような存在は、不穏ではあるがその多くはこれといった害もない。

 されど、中には稀にいるのだ。

 かつての農村で出くわしたような、何らかの影響を与える恐ろしい幽霊が。

 

 ――きっと、目の前のやつもその手合いであろう。

 ならば、視えない水木や消えたゲゲ郎に助けを求めたところで、どうにもならないだけだ。

 

 

 みどりは絶望した。

 ただでさえ陰鬱な村の空気に包まれ、しまいには危険な幽霊までやってきた。

 こうしている間にも、亡者はまた何かを呟きながら動き出した。

 牢の隙間から手を伸ばし、みどりのほうへと向けられる。

 

 

「……ひぃっ、さわるな、化け物!」

 

 これ以上は耐えられない。

 あの亡者に何をされるか分からない以上、できるのは安全の為に逃げることだけだった。

 みどりは勇気を振り絞り立ち上がると、慌ただしい足取りで部屋を抜け出した。

 

 

 

 

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