強欲娼婦と哭倉の旅   作:るりつばき荘

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【9】散歩道にて

「はぁ……はぁ……」

 

 未だ薄暗い中、息も絶え絶えに足を動かす。

 やがてみどりは民家が立ち並ぶ通りまで辿り着くと、そこで漸く歩みを止めた。

 

 

 龍賀の屋敷から飛び出してきたのは、ほんの少し前のことである。

 ――ゲゲ郎と会話を交わした末、やっと寝ついたというのに。

 奇妙な夢をみた後に、突然部屋の中に現れた異形の存在。

 とっくに龍賀の敷地から離れ、今はなにも異端なものは目に映らない。それにも関わらず、まだあの異形が己の近くにいる気がして、みどりの身体がぶるりと震えた。まるで網膜に焼きついたかのように、先程出くわした亡者の輪郭が頭から消えないのだ。

 あれはたしかにみどりを見据え、何かを語りかけた。しかし結局、その内容は分からず仕舞いだ。

 

 みどりはまだ明かりの灯されぬ民家を眺めながら、荒い呼吸を整えた。

 龍賀の屋敷の門前には見張りの者が立っていた。慌てつつも身を潜めて脱出したのが功を奏したのか、幸い気付かれず抜け出すことができた。ここまで来れば、最早目は届かないだろう。

 

 ふと上を向くと、先日ついぞ泊めてもらえなかった旅館の名前が目に入る。あのときは、龍賀の前当主の喪中を理由に宿泊を断られた。しかし、現在二階の窓が空いている。

 

 早くに起きた仲居の部屋があるらしい。 

 みどりはぜえぜえと息を繰り返しながら推測する。

 だがそれが間違いだと、彼女はすぐさま答え合わせを受ける羽目となった。

 

「ああん…………っ!」

 

 突如、声が聞こえた。

 甘ったるく媚びるような、女の声である。

 みどりはかの声音に心覚えがあった。何せ、たった今耳にした声は、みどりもよく喉から出していた。

 

(ははーん。朝方までとは、とんでもない絶倫だね。金を上乗せされない限りは付き合っちゃいけない輩だ)

 

 声が聞こえたのは、丁度旅館のある方角からだ。開け放たれた窓の先から、断続的に響いている。

 それを聞くや否や、みどりは内部で何が起きているのをすぐに察した。

 村の名士が荼毘に付そうが、ふもとの住人にとっては人が一人、老衰で死を迎えただけにすぎない。節制を心がけるより、営みを優先したってお咎めを受ける筋合いはないのである。

 

 とは言っても。

 

(窓くらい閉めりゃいいものを。わざと聞かせてるつもりかい)

 

 休むことなく駆け抜けたせいで、依然としてみどりの息は上がったままだ。彼女の乱れた呼吸と、窓の中から聞こえてくる嬌声の調子が被る。

 どうにもそれが嫌になり、みどりはわざと呼吸の律動をずらした。

 

 そもそも、みどりは屋敷から半ば逃げ出してきたようなものだ。長い間此処に立ち尽くしていては他者に目撃されるかもしれない。何より、昨日時麿が殺され犯人も不明なままだ。こんな夜明けに一人こそこそしていては、ゲゲ郎に代わり自分が檻に入れられかねない。

 

 やがてみどりは再び足を動かし始めた。

 もう少しで陽が上れば、きっとあの座敷牢の霊はいなくなり、水木も目を覚ます。そうすれば後は大きな危険もないだろう。

 そうしてくるりと踵を返す。

 そのとき、不意にがたんと音が聞こえた。

 

「!?」

 

 もう一度、がばりと首を動かし周囲を警戒する。誰かに見つかってしまったのか。

 無情にもその懸念は的中し、みどりが振り返った先――旅館の二階の開け放たれた窓には、いつの間にか人の姿がみえた。

 障子窓の桟に片手を乗せ、旅館の近くで立ち尽くすみどりを見つめる女がいる。

 先刻、嬌声をあげていた者であろうか。だらしなく肥えた顔つきに、明るい色の髪をしている。

 慌てるみどりとは裏腹に、女は目が合っても微動だにしない。じっと食い入るように、みどりに視線を注ぐばかりだ。

 

(まずい、見つかったか……!?)

 

 いつの間にか、お楽しみも終えているとは。

 顔色も変えず、叫びもせず(直前はあんなに声をあげていたのに)、ただ向けられた眼差しがなんとも不気味であった。

 みどりは半ば駆け出すように来た道を戻っていった。それでも、女の視線が背中に張りつく心地がして、またしても身体がぶるりと震えた。

 

 

 

 

「はぁー……疲れた……」

 

 屋敷の門がもう少しで見えるという頃、大きな独り言を呟きながらみどりは路傍の石に腰かけた。

 まだ自分が寝ていた部屋には戻れていない。しかし、周りをきょろきょろと見回し完全に人の気配がいないのを確認すると、よっこらせと初めて休憩をとったのである。

 大きな溜息を漏らして、先程の女のことを振り返る。その額には、疲労とはまるで違う冷や汗が一筋、たらりと流れ落ちた。

 龍賀家の御当主殺しも未解決なまま、あの女に夜明けに行動していた事実を暴露されては、第一の容疑者として取り立てされるのも時間の問題だ。

 旅館の手前で顔を確認したのは一瞬だが、たしか昨日、時麿殺しの現場でも彼女の顔を見た覚えがある。つまり、あの女は龍賀家の親戚筋だろう。

 

 まずい事になった。みどりはもう一度大きな溜息をつくと、さらに舌打ちも重ねた。

 先手を打って、どうにか怪しまれずに済む理由を考えねば――。

 

 頬杖をつきながらふと顔をあげると、みどりが腰かける縁石の向かいに、道祖神の像が建てられているのが目に映る。

 村民が手入れをかかさず行っているようで、像の前には竹皮に包まれた握り飯が供えられている。

 途端に、ぐうとみどりの腹の虫が鳴った。夜明け前から、飲み食いもしないまま走り回っていたのだ。

 

「どれどれ」

 

 一切の葛藤もなかった。その日の飯にも困るような貧しい生い立ちの身からすれば、目の前にある飯など、食べてくださいと言われているようなものだった。

 

 ――腹が減っては戦はできぬとも言うし、食べてから後のことは考えるとしよう。

 竹皮を剥がして握り飯の臭いを嗅ぐ。虫は集っていないが、いつ供えられたかも不明だからか、やや腐りかけの臭いがする。

 しかし、生まれ故に胃袋は強い。腹を下すことなど考えもせず、みどりは大口を開けて握り飯を頬張った。

 

「んー……ちょっとばかし塩が足りないけど、大目にみてやるか」

 

 供え物を引っ手繰って盗み食いを働くという、とんだ罰当たりな行いをしている癖に、生意気にも女はその味を好き放題に品評した。龍賀の屋敷に入ってからというもの、贅沢な食事を口にしていた。それもあってか、僅か数日の間で彼女の舌は随分と肥えた様子である。東京でふらふらと生きていた頃には、残飯を見つけ次第かぶりついていたというのに。

 

 

 しかし、悪行には相応の報いが待っている。旅館での一件をすっかり忘れ、舌鼓を打つ女の姿に、またしても視線を注ぐ者が現れたのである。

 

「……あ……あ……」

「……!?」

 

 またしても、あの異形が現れたかと仰天した。

 不意に聞こえた声にみどりが驚き顔をあげると、視界の端――龍賀屋敷の方面に、先日亡くなったばかりの時麿が立っている姿が映ったのである。

 

 ――またしても死人と邂逅してしまった。あの異形の影響か?

 みどりは米の詰まった口をぎゅっと強く結び、道祖神のほうへとさり気なく顔を戻した。やはり、“視えない”ふりでどうにかやり過ごす算段であったのだ。

 

 

 だが、どうやらその光景は錯覚だったらしい。

 

「えっと……。あ、あの……?」

 

 瞬きをしたその次の瞬間、また声がかかった。

 しかしおよそ時麿のような中年の男とは似ても似つかぬ、高い声である。

 みどりはもう一度、さり気ない様子を装い顔をちらりと動かした。

 そこには、着物を身に纏った少女が困惑した顔で立っていた。

  

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

「まあ、部屋に大きな虫が……!掃除が行き届いておらず、申し訳ありません」

「いいえ~!あたしも虫一匹に騒ぎ立てちゃって、一人で部屋を逃げ出すなんて!んもう~お恥ずかしいですわ!」

 

 着物の少女が、みどりの話に頭を下げて謝罪を述べた。

 その様子に、みどりも慌てて彼女が頭を上げるように近寄る。水木の嫁と嘘をついているが、本来は浮浪児として生きていたのだ。みどりにとっては、虫なんて屁でもない存在だ。

 しかし、目の前の少女はみどりの嘘を信じ切っており、頭を上げた今でも申し訳ない表情を浮かべていた。

 

 

 着物を身に纏った少女は、自らを龍賀沙代と名乗った。

 龍賀家長女・乙米と入り婿である克典との間にできた子供だ。つまりは龍賀本家の人間である。

 何故このような夜明けに外を出歩いていたかとみどりが尋ねると、彼女は目を伏せながら打ち明けた。

 なんでも昨日の事件の後、どうにも落ち着かず、気晴らしに散歩をしようと思いついたらしい。そうしている内に、みどりと遭遇したのだと言う。

 

 未だ殺人鬼が潜んでいるというのに、些か警戒心が薄いのではないか。ただでさえ、陽も出ていない時間帯に女が一人で出歩けば、どんな危険が待ち受けているか分かったものではないのに。

 沙代から理由を聞いたみどりは、そうだったのかと相槌を打ちながらも、その隙の多さに驚いていた。もしも東京の裏路地で同じ行動をしていたら、今頃事件に巻き込まれていても何ら不思議ではない。箱入り娘とは、こうも無邪気なものなのか。

 もっとも、女一人で出歩いているのはみどりも同じであった。とは言え、みどりの場合は部屋の中に亡者が現れたせいで外へ逃げ出す羽目になったので、沙代とは訳も違う。

 

 ――何故、時麿と彼女の姿を空目したのだろう。まるでこの世の醜悪さとは無縁そうな、まだ幼いお嬢様じゃないか。

 

 先程の誤解を、自分でも不思議に思いながらみどりは屋敷への道を歩んだ。傍らでは、沙代も同じ方向へ進んでいる。夜明けに一人散歩などと、みどりが大層驚いた顔をしたものだから、やはり考えを改めたのだろうか。

 本家筋の子供と一緒に歩いていれば、変に疑われることもないだろう。そんな腹積もりを抱えながら、みどりも好都合と彼女と行動を共にした。

 

「あの……みどり様……」

「はい?」

 

 歩いている途中、沙代が遠慮がちに口を開いた。

 みどりが聞き返すと、少し視線を彷徨わせながら、おずおずと少女が切り出す。

 

「その……みどり様の御手に、米粒が」

「あ、あら!?いやですわ~、さっき石像のところで転んだから、お供え物が指についちゃったのかしら、おほほ……」

 

 妙に気取った言葉使いで、不自然な言い訳を並べ立てる。

 数分前、卑しくも握り飯を道祖神から盗んで食べていた光景は、沙代にもしっかり目撃されていた。

しかし、諦めがつかないみどりはこれでもかと嘘を強調した。

 慌てて左手についた米粒を一つ、ぽいと口に放り込む。

 すると、沙代は心配そうに言葉を重ねた。

 

「大変……!みどり様、転ばれた際に怪我をされたのですか?」

「へ?」

「左手の指が……」

 

 沙代の視線は、みどりの左手の薬指に向けられている。それは幼少期、大戦が終わった直後に他の浮浪児から暴行を受け、拘縮した指であった。

 どうやらみどりの転んだという嘘も信じ込んだのか、沙代は彼女の指を、今しがた負傷したものだと勘違いしているらしい。

 悲痛な面持ちの少女とは対照的に、みどりは指摘を受けても特に動揺もせず落ち着いて答える。

 

「ああ、これは子供の頃に負った怪我ですの。骨が折れて、そのまま曲がってしまって」

「そうだったのですね……。申し訳ありません、わたくし、不躾なことを……」

「まあ!お気になさらないでくださいな!大昔のことですから」

 

 そう謝罪したものの、沙代の目は未だみどりの左手を遠慮がちに見つめていた。歪に曲がり、装飾品の類も着けられず露わになった薬指を。

 大富豪の一族に生まれ大切に育てられた故に、傷や怪我が珍しいのだろうか。

 みどりの左手をちらちらと見ていた沙代であったが、やがてみどりの視線に気付くと、はっとした様子で謝罪を繰り返した。

 

「あっ、すみません。とても痛そうに見えて、つい……」

「子供の頃の傷ですから、今は痛くも痒くも御座いませんわ」

 

 慌てて頭を下げるも、みどりは特に怒ってもいない。

 その様子に安堵すると、沙代は口を閉じた。

 

「……」

 

 二人の間を、沈黙が包む。

 

 しかし、しばらく無言のまま二人で歩き続けていると、またしても沙代がみどりへ問いかけた。

 

「……みどり様。みどり様は、水木様の奥様なのですよね」

「へ?あ、ああー、そうで御座います。……うちの主人がどうかされましたか?」

「いいえ……。ならばお二人とも、東京からお越しになられている筈だと思いましたの。わたくし、ずっと東京のお話が聞きたかったんです」

 

(……?)

 

 何となく、いまの沙代の話に違和感を覚えたものの、みどりは相槌を打ちながら会話を続けた。

 程なくして、龍賀の屋敷の門がみえる。

 

「裏手から入りましょう。みどり様が正面から入っていけば、不審に思われかねませんから」

 

 その言葉にみどりは拒否する訳でもなく素直に応じた。

 正門前には今でも見張りらしき男が立っている。沙代と行動を共にしているが、みどりが人目を盗み出ていったことが明るみになれば、怪しまれるのは必定だ。

 みどりが頷くと、沙代は彼女を裏門へと案内した。

 そのおかげもあって、みどりは無事に屋敷の者とすれ違うことなく、敷地へと入り込めたのである。

 

「沙代さん、ありがとうございました」

「いいえ。わたくしは、礼をされるようなことなど……」

 

 みどりが礼をすると、周囲に人がいないかを伺っていた沙代が謙遜の言葉を残した。

 その間も、二人は敷地を横切り水木やゲゲ郎のいた座敷牢へと移動する。

 

 ふいに、みどりが足を止めた。

 

「さ、沙代さん……あれは……!」

「え?」

 

 沙代が振り向くと、みどりはある方向を指差し石像のように固まっていた。目は見開き、口も開いたまま塞がらない。

 不審に思った沙代がみどりの指差す方向へ顔を動かすと、そこには裏庭に植えられた植物があった。

 

「あの花は……一体……」

「……?あの浜茄子(はまなす)のことでしょうか?あれは、昔から庭に植えられている花の一つですが……。それがどうか致しましたか?」

「いっ、いいえ!……なんでも……なんでもありません」

 

 沙代の問いに否定し向き直るが、みどりの様子は落ち着かなかった。

 彼女の曲がった指を携えた手が、そろそろと懐に運ばれる。そこには、幼い頃から所持していた木彫りのブローチがしまわれていた。

 

 

(間違いない、あれは……飾り物に彫られた花と一緒だ……!)

 

 部屋の壁に彫られた“ミドリハ イキテイル”という文字。急に現れた謎の亡者。そして庭に植えられた浜茄子。

 

 ――水木に哭倉村まで乗り込んだ理由を明かした際、彼は咽るほどに大笑いしていた。だが、やはり龍賀家と自分には何らかの関わりがあるに違いない。

 

 

 もう一度、花の植えられた庭を見つめながら、みどりは懐にあてた手に力を込める。

 それは、必ず己の素性を解き明かしてやるという、決意の表れでもあった。

 

 

 

 

 

 

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