ナツメの言葉にしばし呆然としていたゼオンであったが、しばらくして気を取り直して道場に足を踏み入れることにした。
デュフォーが突拍子もない行動をするのは今に始まったことではない。今は彼を信じるだけだ。
「ここは街の格闘道場。武を求めるものなら誰でも拒まぬ懐の広さがあるの」
「だがジムの看板がここにもあるな」
事情を知らぬゼオンに対し、ナツメは簡潔にいきさつを語る。
ナツメのジムと格闘道場は元々2つのアマチュアジムであったこと。
公認ジムの座を賭けて争い、ナツメのエスパージムが勝ったこと。
正々堂々勝負した結果であり、遺恨こそ残さなかったものの未だに格闘道場からは対抗視されていること。
正面の門を遠慮なく潜り入場したナツメの姿を見て、道場内がざわつく。武術家達の表情からあまり歓迎されていないのは明らかだった。
日本の武術道場と同じ様に作られた内観の稽古場、その最奥の畳で座禅を組んでいた男がゆっくりと立ち上がる。
――高い身体能力だな。立ち上がる所作も美しい。知力や心の力を度外視しても、魔界の王を決める戦いのパートナーとして引ければ"当たり"の部類だろう。
一際大きい体格、生徒と思わしき者達とは異なる風格、使い込まれ年季の入った道着、この道場の主だと直感したゼオンが反射的に値踏みする中、男が2人の前まで歩み寄る。
「これはこれはお隣のエスパージムのナツメ殿。我らのジムに何用だろうか?」
「こんにちは、"空手大王"。ヤマブキシティ
このゼオンという名前のポケモンの子がでんきタイプなのだけれど、かくとうタイプの有用なわざを学びたいの。できれば今日中に一つわざを教えてくれる?」
周囲が更にざわつき雰囲気がピリつく中、空手大王と呼ばれた男はわざとらしく大きな相槌を打つ。
「ふーむ。我らと貴殿のジムは一朝一夕では解消できない因縁があるが、武に関することとあらば頼みを無下にはできぬな。
だが今日中に教えよ、というのはいささかこちらの都合を軽んじておらぬか?」
空手大王の指摘はもっともだ。道場内に武術の指導を仰ぐ生徒は他に何人もいる。ゼオンだけを特別扱いをするわけにはいかない。
だからこそナツメもしっかりと交渉用の"飴"を用意していた。
「そう? なら進捗管理はそちらに任せるわ。別に明日以降でも構わない。
ただフェアじゃないから今言っておくけど、今日中にこの子がわざを取得できたならわたしはこのジムの指導能力を高く評価しますよ」
「どういう意味であろうか?」
「他のジムが有事で四天王も手が空いてない時は、あなたを臨時ジムリーダーとして運営側に推してもいいということよ」
それまでこのやりとりに関心を示すこと無く技の稽古を続けていた門下生達も手を止め、周囲の全員がナツメに意識を向ける。
ナツメは何を考えているかわからず、年相応にふざける時もあるが人を欺く真似はしない。
口約束とはいえ強い権限と発言力を持つジムリーダーが推薦を出すということは、公認ジムに焦がれていた格闘道場にとって僥倖である。
空手大王も表情にこそ出さないものの、魅力的な条件であることは重々認めている。
「それはありがたい申し出だな」
(ただでは断られると見越して、あらかじめ交渉材料を用意していたか。我らを相手に駆け引きするとはしたたかなキツネ娘だな)
その空手大王の心の声もナツメはエスパーの力で見通している。
(タヌキオヤジを相手にするならこれくらいはね)と心の中でそっと呟き返した。
「空手大王殿、今日中にという話であれば手が空いている私が稽古をつけましょうか。私も彼――ゼオン殿には興味がありますので」
そばで会話を聞いていた少女が空手大王に声をかける。褐色の引き締まった身体に灰色の髪、クッキリとしたツリ目、周囲の人間とは異なる特徴的な容姿だ。
「客人であるお嬢が手伝ってくれるとはかたじけない。ではゼオン殿も彼女に指示を仰がれよ」
時間の縛りがあるにもかかわらず、空手大王は躊躇せず少女へ指導を託す。それだけで彼女が相当の信頼を得ていることが読み取れる。
「ゼオンで構わない、よろしく頼む」
「あなた人の言葉を話せるのですか。サイトウです、よろしくゼオン」
サイトウと名乗る少女、そして帰ろうとしていたナツメと挨拶を交わし、ゼオンは他の門下生の邪魔にならぬよう、道場の隅に移動する。
2人きりになったところでサイトウはゼオンの全身を興味深く注視する。
「時にゼオン、あなたの種族は身体の成長が早いですか? あなたはまだ子どもですよね」
「成人するまでの成長速度は人間と同じくらいだ。今のオレは人でいう6歳に相当するが、それがどうした?」
サイトウは身体をかがめると、ゼオンの身体周りをマント越しに一通り無遠慮にベタベタと触る。
その表情は真剣そのもので茶化す様な雰囲気ではない。
「あなたの身体、幼いのに練磨され高い次元での基礎作りが行われています。武術家として尊敬するほどに。
これだけの下地があれば、かくとうわざの取得も他のポケモンより早いでしょう」
己の成果を評価されゼオンも悪い気はしない。しかし称賛を送るサイトウの目は、生まれつきのツリ目から余計に鋭く釣り上がっていく。
「――だからこそ複雑でもあります。これは他人の意思が大きく介在した鍛えられ方でしょう。
あなたの親かトレーナーかはわかりませんが、この鍛錬を施した者はあなたへの負荷、将来性などお構いなしにやっていますね」
「……」
ゼオンも否定はしない。普通に考えたら虐待に近いものだ。が、父王も決して無意味に修行で苛め抜いたわけではない。
魔界の王を決める戦いは良くも悪くもざっくりしている。エントリーする魔物の子は、幼児から第二次性徴期を迎えた者まで様々だ。
そのため未だ6歳相当のゼオンは、年齢と成長に合ったトレーニングをしていては、とても悠長すぎて青年期直前の優勝候補達に太刀打ちできないという都合もあった。
「私の知らない事情もあるでしょうし、これ以上の言及は避けましょう。それよりももっと重要な事があります。
あなたの身体能力は物理防御力とスピードに大きく反映されている一方で、攻撃力はさほど高くないと思われます」
「ほぉ、力不足を実感したことはまだ無かったがな」
ゼオンがこの世界でこれまで戦った相手は遥か格下の相手ばかりだ。同格以上の相手と相対しなければ露呈しないということなのだろう。
「これはあなたの努力が足りないというわけではなく種族の壁です。だからこそ己の性能にあった技を取得した方が良いでしょう」
「オレに必要なのは、相手を倒すための火力ではなく己を有利にする効果を持つ技だな」
サイトウの助言を受け、ゼオンは今までの戦闘経験から即座に最適解を導き出す。
方針を固めた二人は修行を開始すべく、改めて互いに正面を向いて丁寧に一礼した。
◆◆◆◆◆
『見事なまでに人気が別れているな』
『これが世の中の縮図って奴よ。知らんけど』
眩しい太陽の空の下、デュフォーとオカシラの眼前に広がる光景は、世界が違えど無情な現実は存在することを示唆していた。
ヤマブキシティとタマムシシティの間にあるポケモン牧場へとデュフォーが訪れたのは、決して呑気な観光目的などではない。
運営からポケモンリーグを目指す新人トレーナーへ、『イーブイズ』と呼ばれる人気ポケモン達のうち一匹をプレゼントするキャンペーンが開催されていた。
共催している施設に行くだけで、無償で好きなポケモンを選べるというのだ。未だパーティ構築中のデュフォーからすれば利用しない選択肢は無い。
この牧場ではイーブイというポケモンの分岐進化系、サンダース,シャワーズ,ブースター,エーフィー,ブラッキーの5体から1体を無償で手に入れられる。
しかし今敷地内でトレーナーを待ちわびているのは8割以上がブースターだ。
つまりブースターのみがほとんどのトレーナーに選ばれず、売れ残っているという現実が衆目に晒されていた。
その理由としては、他の4体は耐久力や速度のどちらかが優れていたり強力な特性を所持しているが、ブースターだけは物理火力以外がパッとせず初心者から避けられているというものだった。
無論、デュフォーもブースターは選択肢から早々に外し、既に所持しているポケモンとタイプが被らないシャワーズ、エーフィーの二択にまで絞っている。
といってもその2体もほぼ残っておらず、強個体がいない場合他の牧場で探す事も視野に入れ始めたデュフォーは、視界の端に一体のブースターを捉える。
明らかに一体だけ遠く離れた場所で鎖に繋がれているその姿をしばし注視し、デュフォーの横で付き添っている年老いた牧場主の男に問いかける。
「管理人、なぜあのブースターだけあそこに隔離されている?」
「ああ……あの子は危険な病気を抱えていて人様にお渡しできんのですよ」
枯れた指で場主が差す先、土の上でくつろいでいたブースターは脈絡無しに苦悶の表情を浮かべ、赤と橙に彩られた全身を激しくシバリングさせる。
数秒程それが続いた後、ブースターの身体をオレンジ色の焔が渦巻き、そして周囲の空間が蜃気楼の様にゆらゆらと歪む。
あまりの高熱が局地的な陽炎を生み出していたのだ。それは離れていたデュフォーの付近も少し温度が上がるほどに。
もしも生身の人間が側にいたらまず無事では済まなかっただろう。
「見たでしょう。自分で自分の炎を制御できておらず、それどころか身体を徐々に蝕まれているのです。医者もさじを投げどうしようもありません。
この体質では長く生きる事も難しいでしょうが、それでもこの牧場で生まれたのなら我が子のようなもの。私が責任を持って最後まで面倒見るつもりです」
(こいつ、頭が悪いな。手に負えないなら矯正施設に預けるなり保健所に引き取らせればいいのに。――と、以前のオレならそう考えていただろうな)
デュフォーは己の変化に気付いていた。今ならこの場主の想いが少し理解できる。
といって、メリットもなしに感傷的になって助けるほどお人好しになったわけでもない。
だからデュフォーが自分以外のために動くとしたら、そこには必ず何かしらの理由があるということだ。
「オレはあいつを仲間にしたい」
「はっ――私の話を聞いてましたか!? 冷やかしや好奇心で育てられる子ではありませんよ?
肉眼で視認しづらいだけで、今も瞬間的に炎が放たれているかもしれないのですよ!」
「あんたの言いたいことはわかる。オレがあいつに負傷させられた場合、この牧場の監督不行き届きになってしまう事を気にしているのだろう。
こちらも自己中心的な理由で迷惑をかけるつもりはない」
諦観していた様子から一転狼狽する男に対し、デュフォーは先程ヤマブキシティで入手したスマホロトムに何かを入力し、画面を見せる。
『この牧場で起きた一切の事故に対し牧場主に責任を問わない』という旨のデュフォーが作った誓約書が、ポケモンリーグ運営側に送付されていた。
「これでオレが最悪ここで焼け死のうがあんたの責任になることはない。後はオレを信じて黙って見ててくれ」
デュフォーの
――症状の原因は、成長ホルモンとあのブースター特有の生命エネルギーの噛み合いが起こした自律神経の暴走。
今より20秒後から40秒後までの20秒間、インターバルで炎が完全に収まる。その間に
『俺は手を貸さねえからな。お手並み拝見させてもらうぜ』
オカシラの呟きに小さくうなずき、デュフォーは躊躇なくブースターの下へ歩みを進める。6M手前に到達したところで、瞬間的な熱暴走の収まりを確認し一気に駆け寄る。
ぐったりとしているブースターを抱え、眉間とこめかみ、そして首の後ろの3点を指で強く押し込んだ。
(俺にやった脳への刺激の応用か。だがあと数秒足らずでまた発熱が始まるぞ)
持ち前の直感で危機を予知し身構えるオカシラの視線の先で、施術を受け続けたブースターは一度大きく痙攣し、そしてゆっくりと身を起こす。
いつまで経っても熱暴走が始まらないことに戸惑いと安堵が入り混じった様子のブースターを抱え上げ、デュフォーが男とオカシラの方へと振り返る。
「余ってるシャワーズを貸してくれ。手のひらが少し火傷した」
「あ、あの子の症状を治めたというのですか」
泣く子をあやすかの如き態度で平然とやってのける少年。
場主の男は信じられないものを見たかのように呆けながらも、すぐに手持ちのシャワーズをボールから繰り出し、身体から放出される水でデュフォーの患部を冷却する。
「今は気休めに過ぎない。一、二時間もすれば再発するだろう。だがオレが処置を続ければ発症の周期を限りなく遅らせることはできる」
すぐに冷やしたとはいえそれなりの苦痛を伴う火傷に眉一つ動かさず、ブースターの様子を観察し続けるデュフォーを見て、男は観念した様に表情を和らげる。
「正直、あなたのことが不安でした。50年以上色々なトレーナーを見送った経験で目を見れば相手のことが何となくわかるのですよ。
あなたは若いのに人に言いにくい事も
「否定はしない」
「それでも、私がずっと何もしてあげられなかったあの子に対し、あなたはすぐに身体を張って結果を出した。
デュフォー君、どうかこの子をよろしくお願いします」
有り難く、と小さく呟くと、すっかり己の腕でくつろぎうとうとし始めたブースターにモンスターボールを押し当てる。
「お前はメスの個体か。ならば……その難儀な身体と強靭な炎にちなみ、
ボールの中に収納され、捕獲完了を確認すると共に自身が考えた名前を授けるデュフォー。
その光景を静かに見守るのはオカシラと場主の男――
いや、その背後にもう一匹
4月から生活環境一変するのでそれまでに書けるだけ書こうと思います