だが、司令室に向かう途中、同じく助手に選ばれたのだと話すドゥシェーヴヌイと出会う。
教授が話すには、システムに不具合があり、間違って二人ともを助手に指名してしまったらしい。
このままでは助手になれないと思った纏枝は、どちらが助手にふさわしいのか勝負をし、教授に決めてもらうことにしたのだった。
「
冬の朝は好きだ。あたしが起きるころの空は、まだ雲の姿がはっきり見えない程度にはほの暗い。だけど、散歩が終わろうと思ったときには、綺麗な朝焼けが見えるのだ。故郷では師匠たちと一緒に何度も見たものだけど、オアシスではこの時間に出歩く人も人形もいないみたい。静かな街並みを見る度、ちょっともったいないなと思う。散歩を終えると、あたしはアトリエに向かう。集中力というのは、不変的なものではない。朝は夜とは比較できない程の集中力を発揮できるし、こうして散歩だったり、休憩だったりをすることも後の集中に役立つ。
「気が散漫なときの作品には、想いが十分に込められていないものだ。だから、今日の作業はこれまでだ」
昔、あたしが夜なべして刺繍をしていると、こうして師匠に止めさせられたものだ。あたしは文化を継承することを目的とした人形だ。だから、刺繍という細かな作業だって、何日も継続してできる。だけど、そうして作ったものでは師匠にまったく近づけなかった。そうして焦ったあたしに、師匠たちは自身の生活を真似ることを提案した。早寝早起きに、適度な運動、健康的な朝食。今もやっているこうした朝の流れは、そのときの名残だ。
「うーん、そろそろ時間だね」
そうして全てを済ませてアトリエに戻ると、驚くほどに針を動かせてしまうのだ。適度に休息を挟みながら刺繍をしていると、あっという間にアトリエを出る時間になっている。あたしは裁縫セットを片づけると、散歩したころと同じ厚着をして外に出る。
「あ、そうだった! これを持って行かないと」
あたしは机に置かれたものを両手で取り、扉から飛び出した。今日は風のない、すこやかな冬晴れな日だ。
教授はオアシスの最高責任者だ。教授は休みなくオアシスの問題に動かないといけず、司令部で仕事をしていることが多い。だが、それでは教授は住人と交流することができない。だから、人形との交流を深めるため、いつからか教授の助手を募集するようになった。もちろんあたしは応募し、これまでに何度か助手を勤めたことがある。そして、今日もあたしは助手として働くつもりだった。
「あれ、おはよう! ドゥシェーヴヌイが今の時間に外出してるなんて珍しいね! いつもだったら、みんなの朝ごはんを作ってるのに」
司令部の入口が目で見える近さになったころ、珍しくドゥシェーヴヌイと出会った。ドゥシェーヴヌイはオアシス一の世話焼き人形で、今の時間帯だと朝に起きれない人形のために、宿舎を行き来しているはずだ。
「纏枝もおはよう! 吾は今、すごいお寝坊さんを起こしにいっているんだ」
お寝坊さんといえば、教授の生活習慣はお世辞にも良いとは言えない。あたしが助手として司令室に着いたとき、机に突っ伏して眠っていたことが何度あったか。そして教授が目を覚ますと、すぐに仕事をし始める。そんな生活はあたしには見てられず、あたしが助手を勤めるときはちょっと前に司令室に向かい、教授を起こして、世話をするのが恒例だ。
「あたしも同じだよ。寝坊助の教授には早く起きてもらわないと!」
そのために、ヘアブラシとか色々持ってきたのである。あたしが意気込んでドゥシェーヴヌイに伝えると、彼女は少し反応が遅らせた後、不思議そうな顔をした。
「吾も助手として教授を起こそうと思っていたのだ。ほら、ちゃんと今日の日付が書いているよ!」
ドゥシェーヴヌイが取り出したのは助手に選ばれたことの証明と、日付が書かれたデータだった。でも、あたしも同じものを持っている。あたしは名前だけが異なる、同じデータを見せる。目に入るのは教授のサイン。とにかく、教授に話を聞くほかない。あたしたちは司令部に走りこんだ。
「私のミスだ。二人とも本当にすまない」
場所は司令室。相変わらす机で寝ていた教授を二人で叩き起こすと、教授はあたしたちを見て驚いた。教授はあたしたちからあのデータを受け取ると、どこかに通話をかけ始めた。五分ほど経った後、教授は通話を終えると、突然深々と頭を下げた。
「どうやら応募システムに不具合があったみたいなんだ。私もサインする段階で気づいておくべきだった」
教授によると、本来ドゥシェーヴヌイの応募で埋まっていた日の枠で、何故かあたしの応募が受理されてしまったらしい。システムの最終チェックを教授がやっているそうなのだが、うっかりそれを見逃してしまったとのこと。だから、本来今日はあたしの番ではないのだと教授は話した。
「お詫びになるかは分からないが、今日の分の給与は、私の方から出しておくよ」
だから、纏枝は、あたしには戻ってほしいと教授は語る。それは、いつもなら聞ける頼みだった。もちろん、お金なんてどうでもいいが、何よりも教授を困らせたくないからだ。でも、今日は駄目だ。あたしは出口へ振り向くことができない。ゆらゆらと腕を上がる。あたしはその動きに身を任せ、びしっとドゥシェーヴヌイを指さした。
「どっちが助手にふさわしいのか勝負しよう! 勝った方が次回の番の助手をもらうのでどう?」
あたしはもらったディットコインを全て教授に返した。教授は固まっていたが、ディットコインの履歴で目を覚ましたようだ。
「すまないが纏枝、それはできない。ドゥシェーヴヌイも許可できないだろうし――」
「吾は良いと思うよ! だって二人助手がいれば教授も楽ができるよね。最近、今日だって教授は不健康だから心配なんだよ」
教授は優しい。一度言ったことは反故にしない人だ。実際、教授はドゥシェーヴヌイの発言にあんぐりと口を開けた後、ため息をついてから一言話した。
「分かった。今回は特別だよ」
あたしの心からめらめらとしたものを感じる。この勝負、負けるわけにはいかない。
こうして始まった二人の勝負だったが、それが仕事を妨げることはなかった。そもそもドゥシェーヴヌイは介護を専門とする人形であり、私が気づきもしなかった細かな面倒ごとを的確に片づけてくれる。だが、意外なことに
人形というのは、豊富な知識や卓越した技術を始めからもっており、人を先導する役目を担うことがほとんどだ。だが、纏枝は事前にインプットできない職人技を専門とする人形だ。纏枝は目覚めてからずっと、人から指導を受ける側、弟子だった。弟子というのは師匠の一挙一動を観察し、言葉以外にも体からも習得しないといけないはずだ。そして、纏枝は既に私の仕事風景を何度も見たことがある。観察眼に長けた纏枝は、私が伝えたことに満点越えの手助けを行い、たまに私がしようと思ったことを一足先に終わらせていたといったこともあった。
「教授、今のところはどっちの方が頼りになってると思うの」
正直、甲乙つけがたい。二人のおかげで、午前に予定していた仕事はすでに全て終わってしまった。ただ、私には不安に思うことがあった。
「今のところ、どっちも頼りになっているから、まだ判断できないね。ところで纏枝、私も休んでいるんだし、君もちょっとは落ち着いてみないか」
両肩から小気味よい振動を感じる。思わず情けない声を漏らす程度には、気持ちいい。仕事が終わり始めて手持無沙汰になったのか、纏枝が無理やり私の肩をこうして占拠している。こちらとしては嬉しい話なのだが、流石にこれは助手の仕事の範囲外ではないだろうか。
「昔、師匠と休んでいるとき、あたしがこうするととても喜んでくれたんだ。だから、教授にも味わってほしいと思って」
纏枝にそう話されると、どうしても止められない。そうして五分程度纏枝に身を任せていると、ガタッと席を激しく立つ音が聞こえた。思わず目をやると、不満げに頬を膨らませたドゥシェーヴヌイがこっちを睨んでいた。
「教授! 座ったままの休憩だと、どうしても体がこったままになっちゃうよ。だから立って、吾とストレッチしよう!」
ドゥシェーヴヌイは私に近づくと、私を椅子から離し、腕や脚を掴んで指導を始めた。流石に纏枝にそういった知識はなかったのか、ドゥシェーヴヌイと私を見ながら、真面目に真似をしている。想像とは違った形だが、これで纏枝もリラックスできることだろう。
そう思っていたのだが、間違いだった。
「教授、コーヒー持ってきたよ!」
「教授、ちゃんとコンロ掃除しているの。すごい汚れてたよ」
休憩を終えた後、纏枝の助手の役割を超えた行動はエスカレートしていった。給湯室から飲み物をもってくるのはまだ分かるが、掃除しだすというのは異常だ。
「吾もだし巻き卵作ったの!
ドゥシェーヴヌイも対抗するかのように、行動を変えていく。ただ、ドゥシェーヴヌイがとった行動はどれも無邪気で微笑ましい。勝負を楽しんでいるように思えた。
「教授、これだとどれがどれだか分からないよ!」
事件はその一言が原因だった。司令室にある厚く、五段の本棚。それにはオアシスの資料がびっしりとしまわれている。といっても、オアシスの情報はデータで十分であり、この資料が使われることはない。私が取りやすい位置は四段目の棚になるが、ファイルの背表紙が見えるものと、逆で見えないものがまばらに置かれていた。纏枝は背表紙が見えるように、ファイルを手に取ろうとする。ただ、纏枝には少しばかり棚は高いものだった。纏枝はつま先立ちになって、数々のファイルに手をかける。
「わぁ!?」
つま先立ちでバランスが悪くなっていたことで、変な力の加え方をしてしまったのだろう。ファイルを強く引っ張ったことで、バサバサとファイルが纏枝に落っこちてくる。
「怪我はない。纏枝」
私は纏枝に駆け寄り、散らばったファイルを集める。私は気が気でなかった。さっさと片づけよう。
「大丈夫だよ。棚の奥にもなんだかファイルがあって、びっくりして力をいれすぎただけ」
思わず引っ張り出したけどと言って、纏枝は手に持ったそれを見つめる。まずい、万事休すか。
「ええと、『武装騎兵ガンマ』? これってどうやって中身を読めば良いのかな」
助かった。纏枝はサブカルチャーに疎いようだ。このまま返してもらって、なかったことにしてもらおう。
「それは少し特別な資料なんだ。だから、私に渡して――」
「吾知ってるよ! おっきな機械がビームをだしたり光る剣で敵を切ったりするんだよね!」
ドゥシェーヴヌイはそういってそれがファイルなんかではない、アニメの記憶媒体だということを説明していく。おおよそ誰かに見せてもらって知ったことなのだろうが、そんな無邪気な声が今は恐ろしかった。
「助手と仲を深めるために、ここにはいろんな娯楽が隠れているんだ。それを本棚の奥に隠していたのも、助手の気を散らせないためだし、そうだ、二人も見てみない」
私が趣味で見ていたなどと言えば、瞬く間にオアシスのゴシップとして広がってしまうことだろう。最悪没収になるかもしれない。私は口八丁に話し続け、二人を納得させようとする。
「それはうれしいけど、教授、今はだめ。気になっちゃって助手の仕事ができなくなるからね」
楽しくアニメを見れば、どうでもいいことだと思ってもらえるかもしれない。そう思い提案したことだったが、纏枝にきっぱりと断られてしまう。纏枝の発言はもっともだ。だが、今日の纏枝はあまりに頑張りすぎだ。
「纏枝、今日はちょっと働きすぎだよ。助手のことを忘れてゆっくりする時間も、今は必要だと思うな」
「大丈夫。だって勝負だし、教授に良いとこを見せないと」
纏枝は話を聞かない。彼女は気づいているのだろうか。仕事が始まってからずっと、ドゥシェーヴヌイが纏枝を不安げに見つめていたことを。
「そのことだが、優勝は纏枝に決めた」
「ほんとに! じゃあ、あたしは教授の役に立てたんだよね」
纏枝は今にも飛び跳ねそうだ。
「だから、纏枝、もう帰ってほしい。君が元に戻ったら絶対に助手にするよ」
纏枝の動きが止まった。そのまま纏枝は固まって動かない。私は不安に思って纏枝に近づく。すると、途端に纏枝は動き出し、すばやく私の両腕を掴んだ。
「あたしは役に立てなかった……?」
ひどく冷たく、震えた声だ。ここで否定すると纏枝はこのままだ。だけど、それ以外でどう声をかければ良いのか分からなくて、私は黙り込んでしまった。纏枝が乱雑に手を離す。
「教授に渡して」
纏枝はドゥシェーヴヌイに近づくと、何かを手渡す。それから、纏枝は走って司令室を去っていった。
「教授!」
纏枝がいなくなっても、私は動けずに立ち止まったままだった。追いかけるべきだ。でも、それで纏枝を引き留めたところで何ができるのか。朝から纏枝は変だったが、そんな纏枝を傷つけたのは誰でもない私の言動だった。
「教授!」
誰かに揺さぶられている。ドゥシェーヴヌイだ。彼女は片手で何かを支えている。マフラーだろうか。
「やっと気づいてくれた。教授、知ってると思うけど、纏枝は自作の服を誰かが着ているのを見るのが大好きなんだよ」
纏枝はオアシスでは服装デザインを担当している。纏枝から聞く仕事の話は、どれも楽しそうに彩られていたものだ。ドゥシェーヴヌイはマフラーを上にかかげ、私に見せつける。
「これ、明らかに教授のためのものだよ! きっと教授が着けるときを楽しみに待ってたはずなのに、纏枝は吾に託したんだよ」
纏枝が何を考えていたのか、未だに分からない。
「纏枝はもう教授に会わないつもりだよ! 教授、早く――」
「分かっているよ、ドゥシェーヴヌイ」
私はドゥシェーヴヌイからマフラーを受け取る。丁寧に折り畳み、片手で持てるぐらいの大きさにすると、纏枝を追って部屋を飛び出した。外は風が強く、思わず身を震わす。それでもこのマフラーを着けるわけにはいかない。だって、纏枝が一番その姿を見たいはずだから。
「だめ、思ったのと違う……」
私は手を止め、縫っていた糸を抜く。これで三度目だ。教授から逃げてきたあたしは、そのままアトリエに籠って刺繍をしていた。けど、制作がまったく上手くいかない。理由は何となくわかっている。あたしが刺繍そのもの集中できていないからだ。そもそも、今刺繍をしているのも教授のことを忘れるためという、不純な動機からであり、そんな心構えではまともな作品ができるわけがなかった。
「今頃教授は私のを着けているのかなあ。見てみたかったな……」
未練は断ち切れない。だって、教授はいつだってあたしを助けてくれたから。あたしが騙されちゃったとき、教授はいつもすばやく解決してくれた。もちろん、それだけではないけど、教授は愛想を尽かさずに見張ってくれた。だから、あたしも何かを返したかったんだ。教授の頼りになるあたしになって、これからも見張っていてねという意味合いで贈ろうと思っていた。でも、空回りしてばかりで教授を困らせていたんだ。
トントントンと、小気味いい音が耳に入ってきた。誰かがあたしを訪ねてきたのだ。多分依頼だろうが、現状では仕事ができない。申し訳ないが、断りを入れようと思い、あたしは扉を開ける。
「ごめん、今ちょっと立て込んでて――って、教授!?」
あたしは全開していた扉を閉めようとしたが、教授の手で止められてしまう。そのまま教授が部屋に入ってくる。教授は左腕であたしのを抱えていた。
「それを返しにきたんだよね。ごめんね教授、困らせたばかりに余計なものも渡しちゃって……」
「そうじゃないんだよ、
教授はあたしを手で制すると、畳んだそれを広げて、ゆっくりと首に巻き付けた。
「纏枝が頑張って作ったマフラーだから、いの一番に見てもらいたかったんだ」
教授の視線はあたしを離さない。
「纏枝、このマフラーをどうやって、どんなことを思って作ったのか教えてくれないか」
「……教授がいつも薄着で、寒そうだったから、暖めたいと思ったんだ」
もう教授とは話せないと思ったのに、その暖かな声音を聞くと、すらすらと言葉がでてきた。
「纏枝、君は私の役に立てていないと焦っていたのかもしれないけど、全然そんなことはないんだ。だって、私は纏枝がそうやって自分の作品について話す姿が大好きだから」
あたしは教授に抱きついた。今は声がだせない状態だし、教授に顔を見られたくなかったから。
「ありがとう、教授。でもね、一つだけ言いたいことがあるんだ」
教授は続きを促すことはしない。思えばあたしの話を聞くときの教授は、いつもこんな感じだった。でも、それが心地良いんだ。
「それ、マフラーじゃなくて、スカーフだよ!」
あたしは堪えきれず、笑い出した。だって、そのときの教授の呆けた顔があまりに面白かったから。
纏枝の親密度がLv.15になった記念。
誰かメンタルキットを恵んでください。