この感想を動機に、一つ書いてみました。
私が日本で暮らしていた町には、廃墟になった教会があった。
そこが本当に教会だったのかどうかはわからないけど、教会のような廃墟があった。
親とか学校は良く思わなかったけれど、その廃墟は子供たちの「秘密基地」になっていた。
そこで遊ぶ子供は何人も居たから「秘密」も何もなかったけれど、その廃墟は子供たちの「秘密基地」だった。
私も、私たちも、小さな頃はよくそこで遊んだものだった。
「勇くん。」
「何?洋子ちゃん。」
私…洋子と勇は幼馴染み。
家も近所で、本当に小さな頃からずっと一緒だった。
そして私たちも、この教会跡を「秘密基地」にしていた子供たちだった。
「勇くん、この前聞いたんだけど、この教会ってね…。」
「な…何?洋子ちゃん。」
「男と女が二人だけで入ると、その二人は将来…その、結ばれるんだって…。」
この教会は私が生まれる前から、もう何十年も廃墟のままだった。
その何十年もの間に、真偽はともかくとして、そういう「言い伝え」ができあがっていた。
この時、私と勇は二人きりだった。
「だ、だから…勇くん…。」
「よ…洋子ちゃん…そ、それって…。」
勇は口ごもりながら続けた。
「…将来…僕と一緒になってくれるって、意味、なのかな…。」
「……。」
「その話…僕も、聞いてたんだ…だから、ひょっとしたら…と、思ってたんだけど…。」
「……だめ?」
「…だ、だめじゃないよ!ぼ、僕の方こそ…その、よろしく…じゃない、ありがとう…!」
こうして私と勇は将来を誓い合った。
将来を誓い合ったことで、私と勇の関係に、目に見えて変化があったわけじゃない。
それでも私と勇は、この後もずっと一緒だった。
「勇はあの時のこと、忘れてないかな。」
…口には出さなかったけれど、思春期を迎えた私は、いつもこんなことを気にしていた。
高校に上がった時、私は父の仕事の都合で、S国に渡ることになった。
小さな頃からずっと一緒だった私と勇は、ここで初めて離れ離れになることになった。
日本を出る直前、私は勇に聞いてみた。
「ね、ねえ、勇…覚えてる?その…『秘密基地』の、こと…。」
忘れてたらどうしようとも思ったけど…私は思いきって聞いてみた。
「覚えてるよ…。」
「…洋子の方こそ…覚えていて、くれたんだね。」
「ごめん、ホントは俺の方から聞くべきだったんだけど…忘れられていたら、と思ったら…ね。」
勇は覚えていてくれていた。
帰ったら、その時こそ、勇と…。
私は誓いを新たにして、S国に渡った。
S国に渡ってからも、私と勇は連絡を絶やさなかった。
勇とは本当に毎日、連絡を取り合っていた。
勇と連絡を取り合う度に、私は絶対に勇と結ばれるんだと、強く確信した。
…S国に渡って一年経った時、S国で政変が起こって…内戦が始まってしまった。
私と家族は出国を禁じられ、S国に囚われることになった。
行動は著しく制限されて、国外への通信は特に厳しく禁じられた。
S国に渡って一年間続いた勇との連絡も、ここで途絶えることになってしまった。
しかも、程なくして私は家族とも引き離され、家族とは別の町で暮らすことになった。
S国の政変とは何も関わりが無いはずの私たちが、どうしてこんな扱いを受けなければならないのか。
私も家族も、S国の人に説明を求めたけれど、納得できる回答は…というより、回答自体が無かった。
私はどうすることもできず、家族と引き離され、勇とも連絡が取れないまま、S国の町で一人暮らすことになってしまった。
建物の中に監禁されていたわけではなく、外出することはできた。
…でも建物の外に出た所で、できることはなかった。
町中どこへ行っても、S国の兵士の目が光っていた。
町の外に足を向ければ、それだけで兵士に威圧された。
兵士ではない町の人も、私を敵国の国民として見ているようだった。
私たちはS国の内戦とは何も関係はないはずなのに。
周りはみんな私を敵視して、家族とも引き離され、そして勇とも連絡を取れない…。
どこからどう見ても、私は孤独だった。
ずっとこのままなら、私は精神に異常を来していたかもしれない。
ジョッシュ、という兵士がいた。
私を監視し、また生活必需品などを私の部屋に届ける任務に就いているS国の兵士だった。
S国の人が、私を敵として見ている中、ジョッシュだけは最初からどこか違っていた。
S国に囚われて以来、話しかけても応えてくれる人は殆ど居なかった。
けれどジョッシュだけは、私の言葉に応えてくれた。
任務だから仕方なく私との会話に応じているだけなのかと思ったけれど、どうもそうではないようだった。
ジョッシュと私が話している所を、上官と思しき人に見られる度に、ジョッシュはその上官に叱責されていた。
そしてある時、私はジョッシュに聞いてみた。
「いつもありがとう…あと、ごめんなさい…でも、どうしてあなたは、私と話をしてくれるの?」
「…俺にもよくわからない、でも…君に話しかけられたら、応えずには居られないんだ。」
ジョッシュは、戦士としては勇敢で優秀らしかったけれど、軍人としてはあまり高く評価されていないようだった。
上官からいくら叱責されても、ジョッシュは上官に隠れて私と話をしてくれた。
そして見つかっては、そのたびに上官からひどく叱責されていた。
S国の人からどう思われていても、私にとってジョッシュは不器用で、誠実で、優しい人だった。
ジョッシュの不器用さ、優しさに触れ続けているうちに…。
私は、ジョッシュを受け容れた。
もちろん周囲に隠れてではあったけれど、私は何度もジョッシュと肌を合わせた。
ジョッシュはどんな時も優しかった。
ジョッシュと肌を合わせ続けて、私とジョッシュは、強く強く結ばれていった…。
内戦は続き、2年が経過した。
その間、私はずっとS国に居た。
もう日本には帰れないと思い始めてもいた。
…そして私はこのままS国で、ジョッシュと生きていくのだと、思い始めていた…。
その日の朝、何度か爆発音がした。
ベッドから身を起こして窓の外を見ると、少し離れた所にある建物から、煙が上がっているのが見えた。
玄関で、激しく戸を叩く音がした。
戸を開けると…そこにはジョッシュがいた。
ジョッシュは戦闘服を着込んで、武装していた。
「ジョッシュ?一体どうしたの?」
「ヨーコ、ここは危険だ。君もシェルターに避難するんだ…俺に付いてきてくれ。」
「一体何が…。」
「
そうだった。
今私が居るS国は、政府軍と反政府勢力が内戦を繰り広げていたのだった。
…ジョッシュの優しさに包まれているうちに、私はそんなことまで忘れてしまっていた…!
ジョッシュに先導されて、私はシェルターに向かった。
シェルターに続く通りは、避難する市民でごった返していた。
市民は安全を求めてシェルターに向かっていたのだけれど、この混雑自体が既に危険になっていた。
私は、その混雑の中でジョッシュの姿を見失ってしまったのだ。
シェルターの場所は私も知っていたから、本来なら私はそのままシェルターに向かわなければならなかった。
でも私は、シェルターに向かうことよりもジョッシュの姿を探すことを優先させてしまったのだ。
ジョッシュの姿を求めて、私は混雑する通りを離れて…人気の無い通りに出た。
そこにジョッシュが居るという確信があったわけではない。
文字通り、当て所もなくその通りに彷徨い出てしまっただけだった。
シェルターに行けば合流できるのでは?という考えも、その時は浮かばなかった。
遠くない所から、銃声と爆発音が聞こえた。
私は軽はずみなことをしてしまったことを悔いながら、身を隠すために、直ぐ傍の建物に立ち入った。
建物の中はガランとしていて、埃っぽかった。
ここはもともと空き店舗か何かだったようだ。
半ば本能的に部屋の隅に向かおうとした、その時…。
急に扉が開いて、銃を持って、アフガンストールで顔を覆った人が建物の中に入ってきた。
反政府軍の人!?
私はまた、軽はずみなことをしてしまったことを悔いた。
「洋子。」
…その人は、私の名を呼んだ。
その声は…私が諦めて、忘れていたはずの声。
忘れていいはずがない声、忘れられるはずもない声。
「ゆ、う…勇?」
私が問うと、その人はアフガンストールを外して、私に顔をさらした。
「洋子…やっぱり、生きていたんだね…。」
その人は…勇、だった。
「勇…勇ッ!」
何も考えられなくなって、私は勇に抱きついた。
勇は、抱きついた私を包み込んでくれた。
勇に包み込まれたとき、忘れていた…否、諦めていた日本での思い出が、私の心の内に、鮮やかに蘇った。
一緒に学校に通い、遊んだ日々。
楽しかった、幸せだった日々。
ずっと続くと思っていた日々…ずっと続いてほしかった日々。
そして…「秘密基地」―――あの教会跡での思い出。
あの教会跡で、将来を誓い合った思い出。
幼い時の誓いだったけれど、私はその誓いを信じて、ずっと…。
……大切な思い出、でもそれが心に蘇った時、これが私を責め苛む思い出でもあることに、気が付いてしまった。
「あ…勇、わ、私…。」
話さなくては、でも、どう言えば…。
「勇さん…その方が、洋子さんですか。」
女の声がした。
日本語、だった。
いつからそこに居たのか、勇の後、四、五歩下がったあたりに女性の姿があった。
臙脂色の戦闘服を着た、髪の長い…多分日本人の女性だった。
頭の左側には…油田の煙突みたいな髪飾りを付けていた。
戦闘服を着ていたけれど、その女性はボディアーマーなどは付けていなかったし、銃も持っていなかった。
顔は白く艶々していたけれど、後から思えば、戦闘服を着てこんな所にいる日本人女性としては、この肌の白さと艶はあまりにも不自然だった。
その女性の声を聞いて、勇は女性の方を向いた。
「…扶桑さん…。」
「これで目的は果たせましたね?それでは、行きましょうか。」
「…はい…。」
臙脂色の戦闘服を着た日本人らしい…こちらは中学生ぐらいの女の子がいきなり現れて、勇の右腕を後に捻りあげて、勇を拘束して建物の外へ連れ出そうとした。
私から引き離される瞬間。
「洋子、俺のことは心配しなくていい。」
「それと、おじさんもおばさんも無事だ、二人とも洋子に会いたがってる…先ずはこの人…扶桑さんの指示に従ってくれ。」
そう言い残して、勇は建物の外に連れ出されてしまった。
…私は扶桑さんと呼ばれたこの女性と、二人きりになってしまった。
「あ…あなたは…一体…。」
私が問うと、この女性は答えた。
「申し遅れました、私は扶桑、黒鉄扶桑と申します。」
「海神警備・岩川台営業所に所属する艦娘です。」
艦娘…各国海軍や民間警備会社・軍事会社が運用する一種の人造人間。
基本的に海で使われるものだけど、銃で撃たれた程度では死なないほどの強さから、地上での軍事行動にも投入されることがあると、私も聞いたことがある。
私の前に現れた扶桑さんは、海神警備…警備会社の艦娘と言うことだったけど…。
「警備会社の艦娘さんが、どうして…。」
「日本政…ある所から依頼を受けまして、S国在留邦人の保護と、帰国の支援を請け負いました。」
「え…じゃ、私たちを救出に来た…と、いうことですか?」
「はい。」
「…それじゃ、どうして、どうして勇を、あ、あんな風に、乱暴に扱ったんですか?あ、あなたたち、本当に私たちを助けに来たんですか?」
「勇さんは二年前、S国で内戦が始まって間もなく、S国に入国しました。」
「日本政府からは退避勧告が出ていましたし、S国も日本からの入国を禁止していたはずなのですが…。」
「…勇さんはかなり強引なやり方でS国に入国したようです。」
「二ヶ月前、勇さんは一度保護されたのですが…。」
「帰国を拒否して、逃亡したのです。」
「私は逃亡した勇さんを捕らえて、連れ戻すためにここに来たのです。」
「帰国を拒否…って…。」
「あなたを連れ戻すまでは帰れない、ということだったようです。」
勇は…私を連れ戻す、ために…?
……内戦が始まって、すぐ……?
私は大きく動揺していた。
…動揺する私に構わず、扶桑さんは話を続けた。
「勇さんを追跡しているうちに、私も思いがけずあなたを保護する機会を得た、というわけです…さあ、日本に帰りましょう。」
扶桑さんがそう言うと、急に建物の扉が開かれた。
そして中に入ってきたのは、ジョッシュだった。
「…フソウ?」
ジョッシュはまず扶桑さんに目を向けてから、奥の方に私が居ることを認めた。
「…
ジョッシュはそう叫んで扶桑さんに銃を向けた。
ジョッシュは扶桑さんに銃を向けながら、素早く私と扶桑さんの間に入った。
「ジョ、ジョッシュ…。」
「ヨーコ、俺には構わず、君はシェルターに向かうんだ。」
「でも…。」
「行くんだ!」
私とジョッシュのやりとりを目にして、扶桑さんは口を開いた。
「…ジョッシュさん、と言いましたか…。」
「私を扶桑と、艦娘と知った上で私に銃を向けるのですか?」
そう、艦娘に銃は通じない。
扶桑さんは、ジョッシュを諭すように、穏やかに言葉を続けた。
「ジョッシュさん、あなたは…洋子さんにシェルターへ向かうように言いましたね?」
「そしてそのために、あなたは私に、艦娘に銃を向けた。」
「あなたは…洋子さんのことを、大切に思っているのですね?」
「それなら、あなたは先ず私の話を聞かなければなりません。」
「先ず私は…反政府勢力の艦娘ではありません。」
「ある所から依頼を受けて、この国にいる日本人を保護する仕事に従事しているだけです。」
「そして洋子さんをここからお連れすることも私の仕事、というわけです。」
「お前はヨーコを拉致するためにここに来たのか!?」
「お忘れですか、ジョッシュさん?」
「そもそも洋子さんがどのような事情で、この町で暮らすことになったのか。」
「そしてその事情が、日本から、世界からどう見えているのか。」
ジョッシュは、そこで動揺を見せた。
…そう、私自身が忘れていたけど、私はこの町で「監禁」されていたのだった。
「洋子さんには、帰るべき故郷があります。」
「その故郷には洋子さんの帰りを、無事を願っている多くの人たちがいるのです。」
「どこに居るのかまでは言えませんが、洋子さんのご両親も、ある場所で洋子さんとの再会と、日本への帰国を強く願っています。」
「ジョッシュさん。」
「洋子さんを護るために、艦娘の私に銃を向けたあなたなら、ここはどうするべきなのか、理解できるのではありませんか?」
ジョッシュは身動き一つしなかったけれど、動揺していることは私からも見て取れた。
それでもジョッシュは扶桑さんに銃を向けたままでいた。
「…どうしてもご理解いただけない、ということであれば…。」
扶桑さんはそう言うと…ジョッシュを見据えて、身構えた。
いけない!
このままじゃ、ジョッシュは…ジョッシュは…!
「待って!待ってください!」
「帰ります!私…日本に帰ります!」
「だ、だから…ジョッシュには…ジョッシュには!」
「ヨーコ!」
「ごめんなさいジョッシュ!でも…このままじゃ…あなたは…あなたは…!」
「ジョッシュさん…洋子さんは、日本に帰ると言いましたよ?」
「…退いて、くださいますね?」
ジョッシュは…扶桑さんの言葉を聞いて、その場に膝を付いた。
「洋子さん、こちらに来てください。」
「はい…。」
私は扶桑さんの所に行く前に、膝を付いているジョッシュを抱きしめた。
「…ごめんなさいジョッシュ…でも、あなたは、あなたも、生きて…。」
膝を付いて項垂れるジョッシュに、私はこんなことしか言えなかった。
建物を出て少し進んだ所に、小型の装甲車両が停まっていた。
私は扶桑さんに促されて、その装甲車両に乗車した。
私と扶桑さんが乗車すると、装甲車両は走り出した…。
車中。
勇との思い出と、ジョッシュと過ごした日々の記憶が、私の心を苛んでいた。
幼かったあの日、教会跡で勇と将来を誓い、その誓いを信じて過ごした日本での日々。
この地で囚われた私のために、全てを擲ってこの地にやって来た勇。
この地の人が私を敵と見なしている中、ただ一人、不器用に、それでも誠実に私を愛してくれたジョッシュ。
扶桑さんから私を護るために、死を賭して扶桑さんに銃を向けたジョッシュ。
…私は…。
扶桑さんは私の正面に座って、黙っていた。
扶桑さんは黙っていただけだったのだけど…その沈黙は、私を責めているように感じられた。
「扶桑さん。」
言い訳でもするつもりだったのか…私は口を開いた。
「はい。」
扶桑さんは、淡々と応じた。
私は、続けた。
「勇は…内戦が始まってすぐ、私を捜して、連れ戻すために、この国にやって来たんですね。」
「そうです。」
「勇は二年間、私を捜して、ずっとこの国にいたんですね。」
「はい。」
「勇はこの二年間、この国でどう生きていたんですか。」
「私が勇さんと行動を共にしていたのは…。」
「…いえ、私が勇さんを追跡する仕事に就いていたのは、この二ヶ月の間だけです。」
「ですから、それまで勇さんがこの国でどう生きてきたのか、詳しいことはわかりません。」
「ただあなたの行方を追いながら、どちらかというと反政府側に立って、政府の圧制下にあった町や集落の解放を助けていたようです。」
「戦い続けてきた、ということですか…命を賭けて。」
「はい。」
「扶桑さん。」
「はい。」
「…先程ご覧になったように、今の私には…ジョッシュが居ます。」
「そのようですね。」
「この二年間、勇が私のために命を賭けていたのに、私は、ジョッシュと…。」
「………。」
「…軽蔑、しますか?」
「私は別に…。」
「…正直に言ってください。」
私は思わず扶桑さんを問い詰めてしまった。
問い詰められて、扶桑さんは口を開いた。
「そうですね…この二ヶ月の間、勇さんと行動を共にしてきた私としては…。」
「勇さんは二年間、そしてこの二ヶ月の間も、命を賭けて洋子さんの姿を求め続けていました。」
「その旅路の果てで、洋子さんが別の男の人と…では、勇さんは報われない…とは思いましたね。」
「それじゃ、私は日本に帰って勇と添い遂げるべきなんですか?」
「…それでは、思い違いをしていたとは言え、あなたを護るために私に立ち向かったジョッシュさんが報われませんね。」
「だ、だったら!私は!どうすれば良いんですか!どうしろって言うんですか!」
「何故洋子さんは、どちらか一人だけを選ぼうとするのですか。」
「えっ?」
どうしてどちらか一人だけを選ぼうとするのか、と扶桑さんは問うてきた。
…扶桑さんは…何を言っているの?何が言いたいの?
「何故…って…それは…。」
「洋子さんは勇さんのこともジョッシュさんのことも大切に想われているのでしょう?」
「大切な人は、愛する人は別に何人居ても良いのではありませんか?」
「ふ…ふざけてるんですか!?私は…私は…ッ!」
「ふざけてなどいません。」
「私の同僚に、五人の相手と愛し合っている艦娘がいます。」
「それはもう、強く強く愛し合っています。」
「洋子さんは誰か一人を、一人だけを愛さなければならないと思われているようですが。」
「この同僚と接していると、一人だけを愛さなければならないというのは、一つの考え方に過ぎないのではないか…と思えるのです。」
「…五人の相手と…って…。」
「信じられません…そんなこと…。」
「いえ、一人だけを愛さなければならないというのが一つの考え方に過ぎないなら、愛する人は何人居ても良いというのも一つの考え方に過ぎません。」
「ですが、一人だけを愛さなければならないという考え方に立ったとしても、洋子さんがどちらか一人だけを選ぶ、ということは…私には理不尽に思えます。」
「理不尽、って…!」
責められることは覚悟していたはずだけれど、私は思わず扶桑さんに食って掛かった。
でも感情的になった私には構わず、扶桑さんは冷静に冷徹に言葉を続けた。
「思い出してください。」
「洋子さんは勇さんという人が居たにもかかわらず、ジョッシュさんを受け容れたのですよ。」
「ここで既に洋子さんは、一人だけを愛さなければならないという…
「これは明らかに勇さんを傷つけています。」
「あるいはジョッシュさんを欺いてもいます。」
「私の目には…。」
「洋子さんが既に勇さんを傷つけ、ジョッシュさんを欺いていながら、さらにお二人のうちどちらかを選ぶことで傷つけようとしているように見えるのです。」
「…き、傷つける…って…私は…そんな…。」
「さらに言わせてもらえば、ここで洋子さんが勇さんかジョッシュさんのどちらか一人を選んだからと言って、それが一体何なのでしょうか。」
「繰り返しますが、洋子さんは勇さんという人が居たにもかかわらず、ジョッシュさんを受け容れてしまったのです。」
「ここで洋子さんが勇さんかジョッシュさんのどちらか一人を選んだとしても、洋子さんが
「ここでどちらか一人だけを選ぶことは、自分はこの人だけを愛している、だから自分は
「そうすると、洋子さんにとっては勇さんよりもジョッシュさんよりも、
…「軽蔑しますか?」と扶桑さんに問うた時、「軽蔑します」とだけ言ってくれれば、それで十分だった。
それだけで、私は十分に堪えたはずだった。
しかし、扶桑さんの返事は…あまりにも徹底的だった。
話し方は穏やかであったけれど、扶桑さんの言葉はどこを取っても、私への怒りに満ちているようだった。
扶桑さんの言葉に屈して、私は弱々しく、もう一度扶桑さんに問うた。
「だ…だったら…私は…どうすれば良いんですか?…どうしろって言うんですか…?」
扶桑さんは答えた。
「先ずは勇さんに、ジョッシュさんを受け容れてしまったことを話すことです。」
「そしてジョッシュさんにも、自分には勇さんという人が居たことを話すことです。」
「そ、そんなことを言ったら…わ、私は…。」
「そうです、洋子さんは勇さんにもジョッシュさんにも拒まれ、切り捨てられるかもしれません。」
「ですが…もう一度言います。」
「洋子さんは既に勇さんを傷つけ、ジョッシュさんを欺いてしまっているのです。」
「ならば洋子さんがするべきことは…。」
「勇さんを傷つけ、ジョッシュさんを欺いたことを告白して、二人の許しを請うことではないでしょうか。」
…悪いことをしたら、謝る。
言われてみれば、当たり前のこと。
……だけど…。
「武蔵…ああ、先程話に出た、私の同僚ですが…。」
「先程も言いました通り、武蔵は五人の相手と強く強く愛し合っています。」
「私を含めて、同僚たちには武蔵のことを悪く言う者は居ませんが。」
「武蔵は五人と強く強く愛し合う一方で、多くの人間や艦娘から罵られ、拒まれてもいます。」
「曰く、ビッチとか、誰とでも寝る
「ですが武蔵は五人からの愛情も、私たちからの信頼も、そして他所の人間や艦娘からの罵倒や拒絶も、全て受け容れ、受け止めています。」
扶桑さんはここで一拍置いて、続けた。
「おとなになるってかなしいことなの……。」
「たまに見かけるセリフです。」
「ですが、大人になるということは…。」
「誰かを切り捨て傷つけて、自分の過ち、罪、業から目を背けることではありません。」
「自分の過ち、罪、業を全て受け容れ、因果を引き受けることです。」
「武蔵が、罵倒や拒絶をも受け容れ、受け止めているように…ね。」
私が扶桑さんに「軽蔑しますか?」と問うた時、私は「軽蔑します」の一言を望んだ。
その一言を受けることで、自分は十分に罰を受けた…ということにしたかったのだ。
でも扶桑さんは、一言だけでは済ませてくれなかった。
私は、勇という人が居るのに、ジョッシュを受け容れた。
私は、勇という人が居ることを隠して、ジョッシュを受け容れた。
私は、勇を裏切った。
私は、ジョッシュを欺いた。
これが、私がしてしまったこと。
扶桑さんは私に、私がしてしまったことを見せつけた。
S国に留まってジョッシュと共に生きても、私の罪は消えない。
日本に帰って勇と添い遂げても、私の罪は消えない。
誰かを傷つけたのなら、誰かを欺いたのなら、許しを請わなければならない、裁きを受けなければならない。
自分の過ち、自分の罪、それがもたらすことは、自分で引き受けるしかない。
…そうするしかない。
それが、扶桑さんが私に突きつけた現実だった。
…扶桑さんはまた黙り込んでしまった。
装甲車両は、目的地に向かっている。
目的地は、空港なのか、港なのか…。
もうどこにも逃げ場はない。
私も黙り込んで、目的地への到着を待った。