「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた 作:富士伸太
カルハイン氏と話し合わなければならない。
アローグスおじいちゃんの盟友で、アクセルくんの師匠。そして命を削って邪精霊を召喚し、焔王に立ち向かおうとしている人だ。
彼に説得や交渉の余地があるのだろうか。
きっと、死を覚悟しているだろうから。
「……カルハインさんは、ここで死ぬつもりなのかな」
「それは当人にしかわからないことでしょう。ただ、命を削ってここにいることは確かです」
アクセルくんは、命を削ってシュガー様を召喚し、恐ろしく強力な魔法を放つ。これまでも数々の難敵を屠ってきた。時には山に降り積もった雪を代償にして、ついでに私たちが雪崩に巻き込まれたりした。
きっと彼の……いや、彼らの牙は、焔王にも届くのだろう。
だけど今の私とカピバラの手には、討伐をせずに解決する手段が握られている。
「止められるかな」
「カルハイン氏には色々と噂の多い人物ではありますが……それでも、偉大な巡礼を成し遂げ、ソルズロア教で長きにわたって辣腕を振るって数々の困難を打破しました。現代に生きる英雄の一人と言って差し支えないでしょう」
「どっちかというと怪人に近い気もするけど……」
「まあ、何にせよ凄まじい人であることには変わりありません」
ジニー師匠がちょっと笑いそうになってこらえた。
「ですので……そのような御方の決意を翻すことは困難だと私は思います。他の協力してくださった神殿長の方々も同じことを思っているでしょう」
「なら……どうしてみんな協力してくれたのかな」
「私は団長命令です……ということもありますけれど」
「ありますけど?」
「シュガートライデントからここまで、つらいと思うことはあっても、つまらないと思うことは一度たりとてありませんでした」
そこでジニー師匠がはにかんだ。
一番大人っぽいシゴデキ美人なのに、不思議と少女のような純朴さを示す。
「あなたと共に歩いていれば、巡礼とはなんだったのか、人はなぜ山を歩くのか、本質が垣間見えるような気がします。結果が思うようにいくかはわかりませんが、それでもきっと、あなたの心はすべての巡礼者に伝わることでしょう」
そこまで言われたら、もうやるしかない。
「わかった。あの人と話をしてみる」
◆
分厚い。
この禿頭の老人を見て、老いや衰え以上にそう感じた。
太ってはいるが、病人のふとましさではない。どっしりとした腹も、足も、その下には確かに「歩く人」のものだった。往年のように雪山を歩くことは難しいだろうけれど、そこらの老人などより遥かに頑健だろう。
「……巡礼巫女、カプレー=クイントゥス、そしてマーガレット=ガルデナスに間違いないな?」
声が重い。そして空気が重い。
周囲には彼を護衛する屈強な騎士や、恐らく同行しているのであろうベテラン巡礼者がいるが、この老人を前にして全員が委縮している。平然と佇んでいるのは、一人の少年……アクセルくんだけだ。
「はい、間違いありません」
「さて……いつぞやは大きな迷惑を掛けた。すまなかった」
そういう言葉は済まなそうな顔をして言ってほしい。
邪魔だから帰れというオーラを発しながら言う言葉ではない。
「お気遣いなく。同じ目的のために集う同士ですから」
カピバラがぶっこんできた。
こういうタイミングで引かないのはカピバラのいいところだ。
出会いがしらのジャブを決めた以上、私も覚悟を決めよう。
「同士……同士か」
くっくとカルハイン氏が笑う。
「実力も積み重ねた経験もあなたには及びませんが、同じシュガートライデントで修行をした巡礼者です」
と、私が言うとカルハイン氏はふんと鼻を鳴らした。
「三座を制覇したと言っておったな。シュガー様に認められて思い上がったか?」
「シュガー様は心を痛めて、身を案じておいででした」
そう言った瞬間、カルハイン氏の鋭い瞳が私を睨む。
ただそれだけで周囲の人間が空気が変わったことを察した。
「……人払いを」
「ハッ!」
その呟きのような小さな言葉に警護の人たちがすぐさま応じ、粛々と立ち去っていく。
「お師匠様」
「アクセルも下がりなさい」
「……はい」
アクセルくんだけはどこか心配そうにしていたが、カルハイン氏の言葉に従って一番最後に去っていった。
この天幕に残ったのは、私、カピバラ、カルハイン氏だけだ。
重苦しい沈黙の中で、カルハイン氏だけがまるで自分の家のように自由に動いた。
茶器を使って私たちの分の茶を淹れていく。
……ウチの実家と同じやり方だ。
チャイのように牛乳を煮出して甘くしたカロリーたっぷりの紅茶。
お構いなくと言いたいところだが、馬車の移動と集会に出席する精神的疲労が続いていた。こういう英気を養うお茶が飲めるのはとてもありがたい。
「……儂は生まれたときからこんな大層な身分だったわけではない。茶を淹れるための使用人を顎で使うなど逆に面倒なものだが、雇わざるを得なくてな」
「あ、いや、お手を煩わせるわけには」
「同士と言ったのはおぬしだ。椅子に掛けなさい」
それを言われたら反論できない。
かちゃかちゃと、陶器が小さく擦れる音が響く。
やがて、紅茶が出された。
ウチの地元と同じ、バターを入れた滋養たっぷりのお茶だ。
お茶うけも出されたが流石にこの場でかじりつく勇気がない。
「……儂の修行場を見つけたのか?」
カルハイン氏が茶を出して座り、改めて話の続きを始めた。
「ビバークする場所を探して、奇妙な雪の塊がありました。掘り返したところ、修行場が」
「物好きがいたものだ」
「そうですね。表登山口ではなく、激坂の直登ルートで登る人とか」
「ふん。あの程度の道など……」
「シュガートライデントはいい山です。雪崩は起きちゃったし、侮った瞬間に命を奪われる怖い山ではありますけど……一年中雪遊びはできるし、他の雪山に挑戦するための練習もできる。本格的な雪山登山もできる。樹氷も綺麗だし……山頂からの神秘的な光景を見たら、その一瞬のために苦労を厭わずに登りたくなる」
私の言葉を聞きながら、カルハイン氏は紅茶を飲む。
この人にはどういう感情があるのだろうか。
そもそも、どんな巡礼者なのだろうか。
「雪山は苦労ばかりだ。こんなものに憑りつかれるものは愚かなことだ」
「はい、愚か者です」
「……儂もそうだろうと言いたげだが、楽しくなどなかったよ。修行場として使っていたのは事実だが」
「どうしてそんなにも修行をしていたんですか?」
「祈りに理由などない。ただそうあるべきと思い足を動かしただけだ」
カルハイン氏は、修行僧に近い巡礼者だなと思う。
余計なことを話そうとはせず、余計な邪念を持たないように山に向き合う。
魔物除けの霊薬で大儲けした金満であるかのような風評と、実際に対面して話す印象は、大いに異なる。
「……巡礼者よ、何が望みだ。まさか焔王討伐の名誉が欲しいとでも言うつもりか?」
「いいえ」
「まさか儂をまともな巡礼者と思っているわけではあるまいな。この体を見ろ。ろくに山を歩けもせんわ」
「でも昔は登ってました」
「そんな昔の話を覚えておる者などおらん」
「忘れない人はいます。だから……私のおじいちゃん……母方の祖父について聞きたくて」
「おじい……ん? どういうことだ?」
話が見えないのか、訝しそうな顔で聞き返してきた。
「それは……」
と、私が説明しようとしたとき、カルハイン氏の表情が変わった。
私の顔、私の瞳を見て、何かを思い出そうとしている。
「いや、待て……おぬしの顔、どこかで……。いや、そもそもシュガートライデントの一件で抗議してきたのはアルスナーの領主で、おぬしはそこの娘だった」
「アルスナー地方の領主ダリルは私の叔父です。私の母は……」
「……サーシャか!?」
久々に他人の口から、私のママの名前を聞いた。
「あっ、よかった。説明の手間が省けました。というか母のこと知ってたんですね」
「カプレー=クイントゥス。おぬしはアローグスの孫か……」
「巡礼者としてはオコジョで通ってます。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
呆気にとられていたカルハイン氏は、今度は叱責するような仏頂面になった。
なんだか学校でやらかして教師に怒られたときのことを思い出す。
「……なぜ巡礼者をしている」
「なぜ、と言われると」
「おぬしの母は止めなかったのか」
「病で死に別れまして……。ああ、巡礼者になってほしくないとは言ってましたけど、母も父も山は好きでしたし、どうせ巡礼者になっちゃうんだろ、みたいに思ってたみたいです」
「答えにはなっておらん」
「母や父と同じように、山が好きだからです。多分、祖父もそうだったみたいに」
私はそこから、アローグスおじいちゃんの足跡を辿っていること、巡礼者として山を登っていること、そして山の登り方などを話した。ところどころカピバラがツッコミを入れてきたが、おおむね、私のことはわかってもらえただろう。
そして、私の話を聞き終えたカルハイン氏はしばし沈黙して……そして間をおいて重々しい口を開いた。
「……アローグスは、おぬしのように饒舌な人間ではなかった」
「でしょうね」
「飛翔魔法もあれこれ語ることはなかった。幾つかやむを得ず書き留めたものは縁故を頼って残せていたようだが、あそこに真髄は書かれてはおらぬし、再現はできぬであろう」
「あんまり再現したいとは思いません」
真似したら絶対死ぬ。
カルハイン氏は何か飛翔魔法の秘密を知ってそうだけど、話してはくれないだろう。そして秘密を知ったところで「真似したら死ぬ」という結論は変わらない気がする。
「やっぱりおじいちゃんと友達だったんですか?」
「言い方」
カピバラがまたもツッコミを入れてきた。
最初に口火を切ったカピバラにこの点を突っ込まれたくはないんですけど。
「……昔話をする暇はなかろう」
ありゃ、つれないお返事。
「残念です」
「たとえアローグスの孫と言えども話すつもりはない。それに……」
「そうですね、焔王の件を何とかしないと。でも」
ここから先の言葉を言うのは憚られる。
だが言わなければならない。
「……焔王と戦って死ぬつもりなんですね」
だが、カルハイン氏は表情を一切変えずに答えた。
「戦うのは儂の弟子だ」
「あなたの弟子が力を振るうためにあなたは寿命を犠牲にしている」
「儂の寿命は120歳まである。たかが数年失ったところで痛くも痒くもない」
「えっ」
ちょっとびっくりする数字が出てきたんだけど。
カピバラも目を丸くしている。
確かカルハイン氏は60歳くらいのはずだ。ここが現代地球だったらフルマラソンを走れる人もいれば北アルプス縦走できる人だっている。
だがここは医療関係にまだまだ迷信の多いファンタジー世界。120歳まで生きるというのは超人と言うほかない。その超人にしてみれば数年の寿命など安いものなのかもしれないが……流石に困惑を隠しきれない。
「え、いや……寿命ってわかるものなんですか?」
「寿命を代償にする以上、自分だどれだけ持つかは当然把握できる。そもそも寿命と言うのは便宜上そう言っているだけで、肉体や魂を持つ根源的な力を魔力に変えているだけのことだ」
なるほど……と思ったけど、いや待て、おかしい。
「……結局、代えようのない力を失っていることには違いないのでは?」
たとえばカルハイン氏が十年分の寿命を失ったとしよう。それは110歳まで健康に生きてポックリ逝ける……とは限らない。健康寿命だって失われているはずだ。老化が進行し、何か重篤な病気にかかる確率が上がり、日々生きる力が失われるということもありえる。いや、無いと考える方がおかしい。
「そうだ。だがおぬしの祖父のような無茶苦茶ではない。確実に成功に導くため最小限の犠牲を払っているにすぎぬ」
「アローグスおじいちゃんが天魔峰に行ったことは、やはり無茶苦茶だったんですね」
「そう思わぬ者はおらぬ。お前はそうは思わないのか」
「飛行魔法は、そうですね。無茶苦茶です」
「だから天魔峰に行くべきではない?」
「そうだ。儂の目の黒い内は許さぬ。だから天魔峰の山頂に挑むことは儂が直々に禁じてきた」
「じゃあ……この先、天魔峰に登れるようになってしまうんですね。ウェグナー神殿総長とか」
私の言葉に、カルハイン氏は小さく嘆息した。
「あの小僧はどうせ行くであろう。儂が死ぬまで我慢させたならそれでよい。永遠に止められるなど思っておらぬ」
「でも、私がウェグナー総長より先に登ります」
「……なんだと?」
「そのためにまず、火竜山を無殺生攻略します。生き延びたあなたに、おじいちゃんやママのことを聞かせてもらいます。その上で、私は天魔峰の山頂を目指します。仲間と共に」
「儂の目の黒いうちは」
「あなたが成功すればあなたの黒い目は無くなります」
私の言葉に、カルハイン氏が凄まじい表情になった。
怒っている……だけではない。
「バカモンが! 貴様はいつもいつも人の事情を無視して! 儂がどれだけ尻ぬぐいに奔走したか……」
何かを、幻視した。
そのことに気付いたカルハイン氏は、はっとして口を噤んだ。
カルハイン氏には友がいた。
命をザイルでつなぎ合うような、分かちがたいはずの友が。
「……あなたがアクセルくんのかわりに命を犠牲にして戦うのは、きっと極めて優れた、もっとも犠牲を小さくしてすべてを救う方法なんだと思います。それでもなお私は挑戦します。誰より速く、誰より確実に、巡礼を成し遂げて見せます」