現代日本と似ているようで、少しだけ違う世界。
そこでは、人間よりも遥かに高い身体能力を持つ「獣人」が、警察官や消防士などとして人々の暮らしを支えていた。
そんな世界で、犬獣人として生まれた犬井ハル、28歳。
警察官となった姉に憧れ、そして獣人の身体能力で人間相手にマウントを取るために警察官となった彼女は、特に出世を目指すこともなく、地方の小さな交番でのんびりと勤務していた。
ところがある日、以前受けたテレビインタビューや、普段の勤務中の姿を撮影した動画がSNSで拡散。
「この犬のおまわりさん、かわいすぎる」
気づけば、ハルは日本中から注目を集める存在になっていた。そして警察上層部から下された、まさかの辞令。
「犬井巡査には、イメージアップのため広報活動にも従事してもらう」
……どうしてこうなったんでしょう?
これは、いぬのおまわりさんが、ちょっとだけ治安の悪い世界で、ちょっとだけケモナーを増やしながら、今日も真面目にお仕事をするお話。
※作者は警察エアプなので、設定に不備があったらすみません。
世界大戦の終戦後、世界各地で奇妙な現象が起こった。
それまで存在しなかったはずの――獣人の赤子が、突然生まれ始めたのである。
犬や猫、狼、狐、熊など。人間の姿をしているのに、頭には獣の耳があり、尻尾があり、種類によっては身体の一部に毛が生えている。
そして何より、人間とは明らかに違う特徴があった。
――身体能力である。
獣人は、人間と比べて遥かに身体が強い。走れば速く、跳べば高く、重いものを持ち上げることもできる。視力や聴力、嗅覚に優れた者も多く、種族によっては人間には到底真似のできない能力を持っている。言うなれば、人間の上位互換。
もっとも、そんな力が最初から歓迎されたわけではない。むしろ逆だった。
突然変異、はたまた先祖返りで現れた異質な存在。中には「獣と人間が交わって生まれたのではないか」などという根も葉もない噂まで流れた。
その異質さと、理解できないものへの恐怖から、獣人は各国で差別の対象となり、それは現在でも完全になくなったわけではない。
表立った差別こそ減ったものの、獣人に対する偏見は社会のあちこちに残っている。そして、そんな獣人のイカれた「強さ」に目をつけた連中もいた。
各国の非合法組織。彼らは獣人を拉致し、人体実験を行った。
その身体能力を解析し、クローンを作り、兵士として利用しようとした。実に単純な発想である。
幸いにも、日本では他国に比べて人権意識が強く、そうした研究は表向きには厳しく規制されている。
……まあ、だからといって闇研究が存在しないというわけではないのだけれど。
ともあれ、現在の日本において獣人は比較的平和な形で社会に組み込まれている。警察官、要人の護衛、消防や救助活動など。
その高い身体能力を生かせる仕事に就く獣人も少なくない。かくいう私も、その一人だった。
なお、この世界の日本は、現実の日本よりほんの少しだけ物騒だ。銃を使った事件もあるし、暴行事件もある。誘拐や拉致だって、たまには起こる。
だからこそ――
「よし、今日も出勤準備完璧!」
私は姿見の前で、今日の自分を確認した。
……うん。今日も完璧にかわいい(自画自賛)
今世の私は犬井ハル、犬の獣人である。
姿見に映っているのは、ベージュ色の髪をした小柄な少女。頭の上には、髪色とよく馴染む大きな犬耳が二つ。その耳は、私の気分に合わせるようにぴこぴこと動いている。
髪は肩のあたりまで伸びていて、顔立ちはかなり幼い。丸みのある大きな瞳と、小さな鼻。そして、少しだけ柔らかそうな頬。
犬獣人としてのモデルはゴールデンレトリバー…だと勝手に思っている。そのため、耳だけでなく、頭のてっぺんから覗く毛並みや尻尾にも、どこか人なつっこくて柔らかな雰囲気がある。性格は陰キャ寄りだけど。
……いや、本当にかわいいな、私。自画自賛ではあるけれど、これは仕方ないだろう。
そして問題の体格。
小さい。とにかく小さいのだ。身長だけなら、小学校高学年くらい。とてもじゃないが二十代後半の成人女性には見えない。
原因は、まあ……昔の栄養状態だ。色々あって成長期にまともな食事を与えられなかった時期が長かったせいで、身体の成長はそこで止まってしまった。
獣人としての身体能力だけは立派に育ったのに、身長だけはどうにもならなかった。なんともアンバランスな身体である。
そんな私が身につけているのは、警察官としての特注の仕事着。小柄な身体に合わせて作られた制服は、既製品ではまず合うものがない。
袖も、裾も、肩幅も、そして尻尾が出るズボンと爪のための穴あきグローブも、全部私専用だ。なんか身体にぴっちり張り付いたハーネスは、獣人用衣装担当の性癖らしい。やめろ。
私が普通の警察官用の制服を着ると、どうしても「大人の制服を借りた小学生」になってしまう。実際、一度それで出勤したら、近所の子供に「お姉ちゃん警察ごっこ?」と聞かれた。
……私は本職なんです。
これが私の現在の姿。犬耳と尻尾を持つ、小学生くらいにしか見えない女性警察官。
年齢は、今年で二十八歳。
もう一度言おう、二十八歳だ。大切なことなので二回言った。
アラサーだと流石に少しは老化してくると思ったが、獣人はどうやら特殊なようで。戦闘能力と生殖機能が高い期間がなるべく続くよう、長い期間若いまま、というのが有力な説らしい。その分、老化が始まれば死ぬまでが短いそうだ。
そのため町中を歩いていると、たまに小学生が警察官のコスプレをしていると勘違いされる。そして、そのまま「お姉ちゃん、お菓子食べる?」などと言われることすらある。
そんなときに警察手帳を見せると、相手はだいたい目を丸くするのだ。
「えっ……本物の警察……?」
「本物です」
この一連の流れ、私は結構気に入っている。なんというか、水戸黄門みたいで楽しい。
世を忍ぶ仮の姿はただの小柄な犬耳少女(この時点で忍べてはいない)
しかし、ここぞというところで警察手帳を――上様ごっこは前世で老害に片足突っ込んでいた私にとって、最高の娯楽である。
そんな私の警察官人生も、気がつけばそれなりに長くなった。
私の階級はずっと巡査、出世欲などない。いや、正確には――。
姉貴の親心のせいで、出世する機会そのものを遠ざけられている。
私の姉、犬井アキ。私と同じ犬獣人なのだが、身長も高く、顔立ちも整ったガチの美人で、警察官としても超がつくほど優秀。あんまり知らないけど、人事にも口が利く役職みたい。
その結果、私はかつてやる気に満ちていた頃に希望していた都市部ではなく、地方の小さな交番に配属された。
危険な部署に行かせたくない。事件の多い都会から遠ざけたい。できればのんびり暮らして、結婚なり出産なりして幸せになってほしい。あのシスコン姉貴の考えていることなんて、だいたい分かる。
ありがたい、ありがたいのだけれど――。
おかげで私は、軽く無気力になり、昇進とも出世ともほとんど縁がないまま、地方勤務を続けている。
そして気がつけば、昨年まで現役だったおじいちゃん警官が退職し、勤務している交番では私が最高齢になっていた。
なんてったって、二十八歳。周囲は二十代前半の若者だらけ。
なんだろう、非常に肩身が狭い。たぶん若手たちも気まずいと思う。
まあ……そんなことを気にする自尊心なんて、もうとっくになくなっているんだけどね。
「さて、そろそろ行きますか」
私は鞄を手に取り、家を出た。
これも私の日課だ。出勤する前に、学校へ向かう子供たちの見守りをする。
道路脇に立って黄色い横断旗を持ち、歩道を渡る子供たちを見守り、信号を無視しようとする子供を注意する。
そして、道端で行き倒れている老人がいないか目を光らせる。これは、別に警察官としての正式な業務ではない。賃金だって別に発生しない。
……でもこの町では、なぜか私がやることになっている。というか、小さな交番で人手が足りていないので仕方ないのだ。
「おーい、犬のねーちゃん!」
元気な声が背後で聞こえた。振り向くと、ランドセルを背負った男の子が友達と一緒にこちらへ駆けてくる。
「おれ昨日カブトムシ捕まえた!」
「おお、すごいじゃん」
男の子が肩にかけていた虫かごを開く。そこには立派なカブトムシがいた。精神年齢はグロいことになっているが、いくつになってもカブトムシは普通に格好いいと思う(小並感)
「大きいね。玄徳君、ちゃんと育ててあげるんだよ。学校に遅れないようにね」
「はーい!」
男の子は元気よく走っていった。うんうん、キッズはこうでなくちゃ。
その後ろ姿を見送っていると、今度は別の声が飛んでくる。
「ハルちゃんは今日もかわいいねぇ」
「おはようございます、凜おばあちゃん」
近所のおばあちゃんだ。この時間は病院に行く途中だろう。
私の名前は犬井ハルである。が、どういうわけか、近所のお年寄りには「ハルちゃん」と呼ばれている。
「愛犬のハナを思い出すねぇ」
そう言いながら、凜おばあちゃんは私の頭を優しく撫でる。犬耳まで丁寧に撫でてくる。
確実に、犬を飼っていた人のなで方だ。つまり、ハナという愛犬は。
「そうですか。…私で良ければ、いくらでも撫でてください。ハナちゃんも、思い出してもらえて嬉しいと思いますよ」
「まぁハナは生きとるけどね。ピンピンしとるよぉ」
「じゃあ今のしんみりした雰囲気はなに?」
でも、嫌ではない。かつて私を撫でる手なんて、悪意に満ちていた。こんなに暖かな手は無かった。
「凜おばあちゃんも元気そうで安心ですよ」
「おかげさまでねぇ」
自然と、私達は笑顔になる。
「何か困ったことがあったら、いつでも言ってくださいね」
「はいはい。頼りにしてるよ、ハルちゃん」
そんなやりとりをしながら、私は通学路に立ち続けた。これで、私がこの地域でどういう扱いを受けているのか、なんとなく分かってもらえただろう。
私はこのさくら町の住民から、警察官である前に、「いつもの犬のお姉ちゃん」として認識されている。
そうして地域の人たちと挨拶を交わしながら歩いているうちに、勤務先の小さな交番が見えてきた。ここ、さくら交番が私の職場である。
時刻は、定刻の十分前。今日も遅刻なし。
「よし」
私は交番の扉を開けた。
「おはようございま――」
そこまで言って、私は言葉を止めた。交番の奥、一際大きな机に座りながら、頭を抱えている男がいたからだ。
「佐藤巡査長?」
「……おはようございます、犬井巡査」
佐藤正義巡査長、私の上司の一人。歳は二十五歳、年下である。
警察一家の出身で、真面目を絵に描いたような人間だ。仕事はできる。書類も丁寧。遅刻もしない。勤務態度も完璧。顔も普通に格好いい。
ただし、仕事ばかりしているせいで、恋愛経験は皆無らしい。酒の席で同僚に笑われながら童貞であることを暴露されていた。かわいそう。
「どうされましたか? 何か事故でも?」
「いえ、そういう訳ではありません」
佐藤巡査長は、少し疲れた顔を上げた。
「犬井巡査。最近、SNSはご覧になりましたか?」
「SNS?」
私は首を傾げた。正直、私はあまりそういうものが得意ではない。私は結構な老害なのだ。
使っているのは連絡用のLINE。あとはご飯が好きなので、行きたい店を予約するグルメアプリ、それくらいだ。
「見てませんが、何か問題でも?」
「問題というか……」
佐藤巡査長は、自分のスマートフォンを私に差し出した。
「これを見てください」
「…?はい、なんでしょう」
画面に表示されていたのは、SNSの投稿だった。
そこに写っていたのは――。
おそらく私だった。
「……これ私ですか?」
「はい」
数ヶ月前、地方テレビ局から受けたインタビューの画像。
小学校低学年の子供たちを対象に、体育館で交通ルールの説明会を行ったときのものだった。私が子供たちの前でしゃがみ込み、横断歩道の渡り方を笑顔で説明している。
別に変な写真ではない、と思う。
ただ、私は最近話題になっている、ある言葉を思い出した。
「え」
恐る恐る佐藤巡査長を見る。
「もしかして私……炎上とかしてるんですか?」
「違います」
怖いぐらいの即答だった。
「全くもって、その逆です」
「逆?どういうことです?」
どうやら、この写真に写っている獣人が可愛すぎる、と話題になっているらしい。
「……まあ」
私は腕を組む。
「分かりますけどね」
「自覚はあるんですね」
今世の私は、めちゃくちゃにかわいい。これは自画自賛ではない。客観的な事実だ。
なに?自慢するなって?隙を見せた方が悪いんだよ。
姉は美人系。ちょくちょく市報とかニュースに出ているけど、毎回目を引くぐらい綺麗系。
それに対して私は、完全にアイドル系のかわいさだと思う。もし身長がもう少し高くて、成長期にちゃんと栄養を取れていたら、某坂系アイドルグループに入れた可能性だってある。
だが悲しいかな。私の成長期は、とっくに終わってしまったけれど。
「それだけじゃありません」
佐藤巡査長が画面をスクロールする。
「犬井巡査の普段の勤務態度や、地域での親しみやすさについて投稿しているアカウントも多くてですね」
「私の日常が?え、そっちこそ炎上です?」
「まあ、内容自体は悪いものではありません」
「ならいいですけど」
どれどれ。私は画面を覗き込む。
そこには――。
『この犬のおまわりさん、8年前には地元にいたけど顔と身長全く変わって無くて草』
『28歳ってマジ?年齢に比べて背丈が貧弱すぎるだろ……』
『前にひったくり犯をものすごい速さで捕らえてて、獣人流石ってなった』
『日本人がロリコンたる所以』
『この人かわいすぎて中学校の同級生みんな恋してたの思い出した』
『偶にとんでもないメロいムーブして、俺の妹の性癖壊してた』
『この子に首輪つけて調教したい』
私はしばらく無言になった。
「……なんじゃこれ。知らないところで何が起きてるんですか?」
「私にも分かりません」
しかし、佐藤巡査長の表情は深刻だった。
「ですが、極めつけはこれです」
「まだあるんですか?」
画面に、一つの動画が表示された。Twitterの投稿文には、こう書かれている。
『日本の警察は、まだまだ捨てたもんじゃない』
そして、その下には動画が。
「これ……私?」
「犬井巡査です」
画面をタップし、動画を再生する。そこには、巡回中のパトカーから私が降りてくる姿が映っていた。
道路脇の段差、そこで車椅子が引っかかっている。どうやら一人では動かせないらしい。
私はすぐに駆け寄って車椅子を持ち上げ、段差を越える。
そのまま男性に声をかけ、近くの病院らしき建物まで押していく。動画の中で、犬耳が歩くたびにふよふよと揺れている。おそらく私で間違いないだろう。
「……これ、いつのですか?」
「数ヶ月前です」
「覚えてないです……」
「犬井巡査なら、普通にやってくれそうですからね」
私は目の前の佐藤巡査長のように正義感が特段強いわけではないが、困っている人がいたら助ける。警察官として当たり前のことだ。
だから、こんな当然のことで話題になるなんて思ってもいなかった。
「でも、ただの動画じゃないですか。これがなにか?」
「87万いいねです」
佐藤巡査長が真剣な顔をする。
私は彼のスマートフォンの画面をもう一度見た。
「それって……すごいんですか?」
「すごいですよ!」
佐藤巡査長が珍しく声を荒らげた。
「日本でも最大級ですよ!」
「へぇ……」
「犬井巡査、SNSを知らなさすぎます」
「すみません、本当に疎くって」
「謝らなくていいです」
さらに佐藤巡査長は画面を切り替える。先ほどのツイートに繋がって、返信が表示されていた。
「その証拠に、ほら」
「ん?」
そこに表示されていたのは、警視庁の公式アカウント。
そして、先ほどの動画についての返信だった。
『日頃より市民の皆様の応援に感謝いたします。該当警官には、特別措置を行う予定です』
「え?」
私は固まった。なんだって?特別措置?
「なにこれ」
「警視庁です」
「いや、そうではなくって」
私は画面を指差した。
「特別措置って何ですか?」
「それについてですが」
佐藤巡査長が咳払いをする。
「ちょうど来週、警視庁の創立140周年セレモニーがあります」
「ええ、我々からも数人、警備にかり出されますよね」
「そこへ、犬井巡査を出席させるよう、上から指令が来ています」
「…………え?」
私はスマートフォンの画面を見つめた。そこには、私の知らないところでどんどん拡散されていった、自分の姿。そして、警視庁からの正式な呼び出し。
思わず、間の抜けた声が出た。
「なんですか?それは?」
こうして、私の平凡だったはずの警察官人生は、少しだけ変な方向へ動き始めたのである。