鬼に恋したある男、人に恋したある女。
そんなふたりの、いつかの恋の物語。
なお、原作至上のお方や恋愛要素を望まない方は表現上不愉快になることもあり得ますことをご了承ください。
感想やご意見もよろしければお願いします。
2015/5/4 この場を借りて、多くのUA、評価、感想をくださった皆様、また閲覧していただいた皆様(これから観賞していただく方々含む)に厚くお礼申し上げます。
黒崎セシルと申します。
つたない文章かとは思いますが、御目汚し程度に楽しんで行ってもらえれば幸いです。
芳醇な香りが漂う蔵の中、小さな影がうごめく。
ここは酒蔵。この町きっての杜氏の営む(と言っても小さな)、酒の宝庫だ。
「いい匂い……」
月の明かりも傾きかけた宵の刻には相応しくない幼すぎる少女の声が、ひっそりと静まり返った蔵の中をこだまする。
天窓から差し込む月の光が影の実体を青白く照らす。
この時間、この場所にはおおよそ居るはずのない小柄な少女、いや、それと呼ぶにはいささか齢足らず、寧ろ幼女とも言える。
だが、普通の人間と明らかに相異なる点を月明かりが証明していた。
頭部から突き出るように生えている二本の捩れた角。通常の人間にはまずないであろうたいそう立派な双角だ。
服装も、とても二月も半ば過ぎたころには似つかわしくない袖の切ってある薄着を着用して、髪には大きなリボン、更に片方の角にもリボンがむすばれている。丈の長めなスカートも特徴的だ。
そして、それ以上に目に付くのは腰の皮帯に繋がっている鉄製の鎖。それは両手首と長い髪を先端で結った飾りにもそれぞれ装着されており、右手の鎖の先には三角錐、左には球状、髪のほうは小箱状の立方体の飾りのような物がついていて、腰の鎖には酒用の瓢箪もぶら下がっていた。
此処までくると清々しいほどに異質で違和感甚だしい。
そんな幼女もとい、少女が如月の寒空のもと、酒蔵に何の用があるのか?
答えは簡単だ。
「美味そうな桶は……っと」
少女はひとりで期待に胸を震わせながら、後ろ手を組み蔵内の桶の前を、香りを確認しながらゆっくりと歩みを進める。
一つ、また一つ、緩やかに靴音が蔵内に反響し、それ以外に音があるとするならば、少女の呼吸音くらいのもので、その呼吸の度に白い吐息が宙を舞い霧散した。
「この子は……まだまだだね……」
少女は桶の周囲に漂う酒の香りを鼻先で敏感に確認していく。
更に「早くおいしくなってね」と、小さな拳で桶を小突いた。
「誰か居るのかい?」
不意に物陰から声が発せられる。若い男の声だ。
対する少女は、警戒を解いていた為か思わず後ずさるだけに止まってしまう。
「……珍しいお客だね」
蝋燭の光で照らされた少女に声の主たる男は言った。
相対する彼も動きを止めてしまう。
無理もない話しだ、少なくともこの時間にこの場所に居るはずのない少女が其処にはいて、おまけに人とはちがう何か別の生物である証拠たる、無骨ともいえる程幼子の姿に不釣合いな一対の双角。
「……今年はこの蔵の酒が美味そうだったんだ」
しばしの沈黙の後少女がそれをかき消す。一見すると言い訳にも聞こえたが、少女にとってはそれが純粋な真実であり、当然蔵に忍び込んだ理由だった。
「鬼子……かな?」
男は冷静に状況を理解し、逃げる事も追い払う事もしなかった。
「こう見えても立派な鬼なんだぞ、痛い目見るぞ!」
“鬼子”という単語に過敏に反応して、少女が言い返す。
「冗談だよ、その立派な角が何よりの証拠だ」
小さく笑いながら男は少女のそれを指差した。
「解ればいいんだ」
忍び込んでいたこの少女も襲うこともこれと言って威嚇するでもなく、男の言葉に両手を腰に置き、大きく頷いた。
「せっかくのお客だ、少しご馳走しようか?」
男は大胆にも少女を飲みに誘う、相手が鬼である以上見た目がどうであれその年齢は人の常識では量れないし、彼としても客人をもてなすくらいの甲斐性はあったようだ。
「ほんとか!?」
鬼の少女は目の色を変え男の顔を覗きこんだ。
どうやら酒には目がないらしいことが伺える。
「まあ……忍び込んだとは言えども、美味そうだと思ってわざわざ来てくれたんだろう?」
男のほうも相手が鬼とはいえ其処は職人気質、自分の酒を褒められて悪い気はしない。
「すごく美味そうな匂いがしてたからな」
鬼娘は既に警戒もせずにこにこしながら答える。無邪気で純粋に酒が好きなようだ。
「それより、あたし鬼なんだぞ、怖くないのか?」
ふと鬼娘が投げかける疑問。当然の質問であったが先にも述べた通りの彼らしい答えが待っていた。
「うちの酒を選んでくれたんだ、人も妖怪も、貴賎も無いさ」
おそらく彼は此処で杜氏でもしているのだろう、自信と誇りに満ちた漢の表情を見せる。
「おまえ変わったヤツだな」
鬼娘も思わず笑顔をこぼした。
「よく言われるよ……さ、こっちだ」
少し苦笑しながらも男は鬼娘を案内する。
程無く蔵の外に出た少女は離れに通された。
「適当に寛いでてくれ、酒を取ってくるよ」
男はそう告げると、再び蔵の方へ踵を返し、蝋燭の明かりと共に離れを後にした。
少女は土間に履物を脱ぎそろえて畳へと足を運ぶ。
「マメな男だな」
周囲を見渡して彼女がぽつりと言葉を漏らした。
小ぎれいに片付けられて整頓されている、書棚の本や書物も大きさごとに分別されていて見栄えがよい。
かの男の性格が如何なるものかをわかり易く物語る部屋だ。
更に見渡すと雨戸の手前に干物が見える、恰好の肴だ。
「美味そうな物見っけ」
これから現れるであろう美酒との食い合わせを想像した少女は思わず舌をなめずった。
「待たせたね……飲ろうか?」
ふと扉が開くと、戻ってきた男は酒瓶を自慢げに掲げる。
「おお、待ってました!」
少女は言葉と共に両手を挙げ歓喜の意を表して囲炉裏の脇に腰を下ろした。
「少し早いけど、よく仕上がっているよ」
と、言いながら男も畳に上がり腰をすえ、もう片方の手に持っていた瓶を下ろす。
「味噌漬けか?」
微かな香りから少女は中身を言い当て、更なるつまみの収穫にその鳶色の瞳がよりいっそう輝きを増す。
「ご名答……熱燗でいいかい?」
男は笑い混じりに近場の棚から徳利と杯を取り出す。
「最初からそれは杜氏に失礼だ、先ずは生でもらう」
おそらく杜氏であろう男に対する彼女なりの礼儀だろうか、少女がそう答えて杯を手に取れば
「では、まず一献」
と男は冗談めいた口調で酒瓶を傾け、中から現れた透明な液体は見る見るうちに杯を満たしていった。
蔵の中とは違う、鋭くも軟らかい、磨き上げられた良酒の香りが杯の周囲に広がる。
一通り香りを嗜んだ鬼娘は言の葉は不要とばかりに片手で髪をたくし上げ、小さな唇を杯に口付けると、その酒を一息に飲み干した。
一方男は、幼子の姿をとる鬼娘の、あまりに大人びた一連の動作に瞬間息を呑む。
訪れたるは刹那の沈黙。その中に聞こえる少女の深い呼吸の音、――。
「……好い酒だ」
少女の放った一言に、男はすぐさま現実を取り戻し
「それは何より」
と、応答しながら自らの杯にも酒を注ぎ生の酒を呷った。
「そういえば、自己紹介がまだだったね」
杯を手に息をついた男が切り出す。
この小さな宴が設けられるまでにかかった時間はおよそ一刻。
しかしながら滑稽なことである、お互い素性はともかくとして名前を明かしていなかったのだ。
「僕は諏訪部宗輔(すわべそうすけ)、蔵元と杜氏を兼ねてる、襲名五代目諏訪部八郎右衛門だ、……よしなに」
宗輔は簡単に自己紹介をすると、足こそ崩したままだったが杯を置くと両拳を畳について一礼した。
「あたしは見ての通り、誇りある鬼の一族の萃香、伊吹の萃香だ」
鬼少女萃香は小さな胸を大きく張って答礼し、今度は彼女が宗輔に対して酌を行う。
「ありがとう」
蔵での出来事もそうであるが、宗輔は眼前の謂わば妖怪に分類される(その中でもかなり凶悪かつ危険度の高い)鬼である萃香相手に物怖じなく、かといって驕るでもなく、素直に、そして対等に接し、その酌を受けた。
「しかし美味いねぇ、コレ、なんていう名前?」
幾杯めかの手酌をしながら不意に萃香が尋ねる。
「あはは……実はまだ名前がないんだ、新酒でね」
宗輔は問いに対してすまなそうに苦笑しながら答えた。
「じゃああたし達がお初?」
萃香は思わず身を動かし宗輔の顔を覗く。その表情から歓喜が溢れていた。
一方で彼方の宗輔は思わず身を引いてしまうも、取り繕うように慌てて、
「あ、ああそうなるね、というか君が最初だよ、萃香」
と、既に名前を呼び言葉を返した。
「そっか……」
元の位置に戻った萃香は目を細め無邪気な笑みを見せ微笑んでいる、が!
突如としてその表情が一変して、やや据わりがちな萃香の眼光が宗輔を凝視していた。心なしか頬を膨らませている様子も見て取れる。
「えーと……」
少女の行為の理由が分からないので、宗輔は二の句が継げずに苦笑しながら頬を掻いた
「今、少し後ろに引いた……」
鬼娘は言うと更に頬を膨らませる。
どうやら直前のやり取りの際に身を引いてしまったのが原因らしい。
「それは……その……」
説明が難しいのか、言葉が出なのか、ともかくも宗輔は目線を落としてしまう。
「やっぱり、宗輔も鬼は怖い?」
と、投げかける萃香の笑顔は何処かしら陰のある寂しそうなものとなる。
「いや、そう言う訳じゃないんだ」
宗輔は慌てて弁明を試みるが
「じゃあどういうこと?」
と更に剣幕を増した萃香は杯の残りの酒を一飲みにし、再び宗輔に詰め寄る。まるで夫婦喧嘩のひとコマの様だ。
「だから……その」
青年にはかえって逆効果だったようで、宗輔は更に後ろへと後ずさってしまう。というのも萃香にも逆効果であり
「ホラ、また」
と少女が身を乗り出す。
「待て、零れ――!」
宗輔が征したのも敵わず、見事に杯は畳に落ち、萃香が馬乗りになる形で倒れこむ事となってしまう。
「どうして……?」
再び曇り始める萃香の表情を見てようやく観念したのか余裕が出てか、無きにしも非ずの“雨に降られる”前に宗輔は答えを語った。
「多少幼く見えても、鬼とはいえ……その、なんだ、可愛いおなごが急に擦り寄って来ると……て、照れるじゃないか」
大の男である宗輔もさすがに恥ずかしいのか、赤面気味に目をそらす。
鬼の娘はその瞬間を逃すことなく
「にゃはは……照れるんだぁ……?」
と、おそらくは彼女特有の笑い声をあげる。つい寸前のかげりは微塵にもなく、むしろその笑顔は楽しい悪戯を思いついた時の子どものそれで、まるで宗輔を試すかの様にゆっくりと顔を近づける。
「こら……やめないか」
思わぬ事態に陥った宗輔が抜け出そうと身を捩るのだが、其処はそれ、萃香も鬼である。
例え齢二十を越える男といっても、いち人間の宗輔が彼女の力に及ぶ事もなく、その体勢を覆すことはかなわない。
「夜伽……する?」
あまりにも大胆すぎる発言と共に、潤った目を細める萃香は、無邪気で妖艶な笑みを見せると、小首をかしげた。
「意味判ってるのかお前は!?」
いくら鬼でも、彼女のやつした少女の姿も相まってか宗輔は声を張り上げて矛盾を指摘する。
同時に両手で萃香を押しのけようとしたのだが、そこが失策であった。
「ひゃっ?……」
これにはさすがの萃香も素っ頓狂な声で小さく叫び体を跳ねさせた。
鬼とはいえども女の子、倍ほど体格の違う男の大きな両掌が服の上からではあるものの、幼い胸のふくらみを押し上げていたのだから声も上がれば飛び上がる。
「っ!……すまない」
構図としては逆かもしれないが、下にいる宗輔は図らずもこうなってしまったことに対して謝罪してすぐさま手をどけた。
「……うん」
うつむき加減に萃香がわずかに身を引く。
紅潮した彼女の頬は酒のせいか心のざわつきか。
不意に萃香は男の体にゆっくりと身を重ね、ふたたび宗輔をその潤んだ瞳で見つめる。
「宗輔なら……構わないぞ?」
「馬鹿を言うな……女子ならもう少し自分を厭え、行きずりの男に抱かれるほど鬼の女は安くはないだろう?」
萃香の爆弾発言にも宗輔は今度は冷静に応じ、子どもにするように胸元の萃香の頭を撫でる。
萃香が微動し小さく声を出し身を縮めた。
「ん……でも、宗輔いいヤツ、酒もくれたし、あたしを対等に見てくれた」
幼く見えるはずの萃香はどこか大人びた柔らかな笑みを浮かべると、目一杯体を摺り寄せ、宗輔に抱きつく。
「あのなぁ……」
半ば諦めた宗輔は、頬をかきしばしそのままの状態を容認し、両手を後頭部に組んだ。
「ふふっ……宗輔ドキドキしてる」
宗輔の胸に耳を当てくすくすと笑いながら萃香が口走った。
「当たり前だっ……」
鬼幼女の表情、声色、仕草、発言と見た目、これまで宗輔が二十余年生きてきた中でこれほどでたらめで混沌としている存在感を持つ女は、少なくとも彼女が最初だったし、今しがたの切り返しの声がやや上ずってしまったのも彼自身仕方のないことであると認識していた。
――と、しばらくして萃香が体を動かし宗輔の体躯を這い登る。
「……萃香?」
ややうつつとしていた宗輔が胎動を感じて問いただした。
しかし当の萃香は無言のまま這いずって少しずつ顔を近づけていく。
少女の微かな吐息が宗輔の唇に触れたその刹那のことである。
「すい……っ!」
宗輔が声をかけようとするも瞬時にそれは萃香の接吻によって遮られた。
思わず目を見開く宗輔。
五秒か、十秒か、いやもっと長いかもしれない。
少なくとも宗輔にとってはとてつもなく長い時間のように感じられた。
抵抗しようにもいつの間にかおさない両手が頬を包んでいた。
早鐘を打ち鳴らすかのごとく心臓の鼓動が加速する。
――
「ん…………ふぅ」
いったい何秒たったろうかという頃に萃香は吐息と共に甘い声を漏らし、程無くその唇が離された。
ある種の恍惚にも似た微笑で少女は男を見つめる。
「なにをするんだっ」
あまりに衝撃的すぎる出来事に宗輔は静かに言って顔をそらす事しか出来なかった。
よもや少女に唇を奪われるなどと誰が予想し得ようか。
「にゃはは……お酒のお礼だよ」
独特の笑い方を交える萃香は接吻の真意を語った。
しかしながらその表情はすでに悪戯をやり遂げた時の子供の顔に変わっていた。
心をくすぐる小悪魔的な微笑、幼さを残すものの端正に整った鬼娘の見せるそれは、同時に『魅せる』としても充分なほど艶やかさを放ち、一種の煽情すら感じさせた。
横目に見やっていた宗輔は顔面が熱を持つのを自覚し、思わず固唾を飲み「油断も隙も無いな……」と、吐き捨てるように言い放ちながら、上体を起こす。
体の小さい萃香が転げぬようにと、片方の腕はその背中にそっと添えられている。
「どうした?」
再び宗輔の方が高い位置になった為に、萃香は必然と上目をつかって彼を見やった。
「宵も更ける頃合だ、寝床を作る」
答えた宗輔は両の手で萃香を抱え自らの上から下ろす。
萃香はそれに身を任せ程無く畳に腰をおろし、一方の宗輔は、布団がしまわれているであろう押入れへと向かった。
「じゃあ、あたしは御いとましようかな」
どうやら決めていたのか、萃香は言うと立ち上がる、スカートがふわりと舞う。
「ねぐらの用意があるのか?」
二枚の布団に手をかけたところで萃香の帰る旨を聞き、宗輔が聞き返した。
「うん、すぐ近くだ。寝床までは迷惑掛けられないしね」
土間に置いていた履物を身につけながら萃香も返答し、宗輔を見やりはにかんだ。
「そう……か」
少々呆気にとられつつも布団の枚数を減らす宗輔。
この娘の事だから泊まる事もやむなしと思っていたものだから拍子抜けしたようだ。
「必要はないだろうが、気をつけてな」
布団を畳におろすと、改めて萃香に向きなおした宗輔は腰に手を添えて少女の背中に目を落としそう言った。
鬼ということもあり確かに気をつける必要などないだろう。
むしろ何人も、それどころか近郊に根城を構える物の怪の類ですら彼女に手を出すことはないだろうし、縦しんばそれがかなった所で恐らくは無事に済む事もないだろう。
宗輔の放った「必要ない」にはそう言うことが含まれていた。
「にゃはは……そうだな、でも心配してくれてありがとな」
靴を履きおわった萃香も「確かにそうだ」と思ったのだろう、からから笑い飛ばす。
「また……来てもいいか?」
戸に手を掛け半分ほど開けたところで萃香はふと尋ねてしまう。
なんといっても自分も妖怪の類に変わりは無い、あまり入り浸ってしまうのも少し気が引けるのか、小さな声だった。
「新酒は出せないが、他の酒でよければ来るといい」
酒の話も交えているにもかかわらず、まるで子どもをあやすように宗輔は促した。
「……うん……おやすみ!」
答えを聞いた萃香は今日一番の笑顔を見せるとたちどころにその身を霧に変えてまだ暗い冬の空に溶けていった。
「……全く、戸は閉めていけよ」
僅かの溜め息をつき、部屋の温度を下げまいと裸足に構わず土間に降り、戸を閉めようとした宗輔は思わず空を見上げる。
当然ながら既に少女の姿はなく、三分の一ほどその身を闇に喰われた月だけが、ただ辺りに淡い光を落とすばかり。
狐につままれたような奇妙な感覚を覚えつつ、誰にとでもなく小さく笑った宗輔は、褥に伏すことに決め戸を閉めた。
如月の二十日目、今日私は鬼の娘に出会った。
今まで生きて来て妖怪の類に出会ったことは数あれど
その娘ほど心かき乱す物右に無く
童の如き容姿に幾百の年月をみたり
よき回り逢わせなると酒の神に感謝候
其は物の言い様童の如く行う悪戯は児戯に似たり
しかしながらも古き良き心にて刹那の時には人を超える気を放つなり
真冬月
盃交わす 鬼童子
しばし待てまて 我が船渡し
宗輔
その日は朝から雪が降りしきっていた。
彼是数日にわたり萃香は屋敷を訪れ、武勇に誉れ、同胞との嗜み等、話しつきぬ事柄を肴に、宗輔と酒を楽しんでいた。
「驚いた……僕らとなんら変わらぬな」
数ある話を聞いた宗輔は、妖怪たちの(こと、鬼たちに関しての)生活・習慣・行事や祭り・宴に至るまで、そのことごとくが人間のそれとなんら変わりないものである事にいたく感心した。
「当たり前だ、鬼だろうがなんだろうが、人間と同じ生きて『居る』者だからな」
ない胸を大きく張ってえばって見せる萃香が幾度目かの酒を呷る。
「そうだな……等しく同じ『生きて』『居る』者だな」
もともと生物の貴賎などを微塵にも気にしなかった宗輔ではあるが、改めて思うところがあったのか、静かに呟くと干物の端を齧った。
「宗輔は何も言わず対等に見てくれるな……妖怪や鬼ってのは、人を攫ったり、食ったりもするんだぞ?」
少女は念を押す、紛う事なき事実を、同胞や傘下の妖怪たちの行ってきた理を。
「……だったとして、萃香は僕を喰うのかい?」
いささかの沈黙を破り、宗輔は冗談交じりに言を発し、酒で喉を鳴らした。
「まさか!馳走になったうえでその人を喰らうなんて不義はっ…………喰うなんて……っ」
予想外の言葉が来た所為で思わず言い返す萃香だったが、酒が器官に入ったのか、咽てしまう。心なしか頬が上気しているのは内緒だ。
「冗談だよ、大丈夫かい?」
軽く笑いながら、その小さな背中を擦ってやる宗輔。
これだけ見ているとただの親子のようにも見えるが、年齢自体は萃香のほうが遥かに上であるのは言うまでもなく。
「……っ、大丈夫だ、問題ないっ」
萃香は言うと、口元を拭い、一気に酒を飲み干す。
「萃香になら、『喰われる』のも悪くないね」
年甲斐にもなく悪戯心を見せる宗輔、その笑みは少年の心を
映し出したような、悪巧みの笑みだ。
「喰われたい……って、それはアレか、その……」
途端に狼狽する萃香、先の発言の意図を解したのか、上気した頬は茹蛸のように真っ赤に。
互いの解釈には若干の齟齬があったのだが―。
「お前は小さいおなごが趣味なのか?」
染められた頬の色は変わらないまま、そっぽを向く萃香は訝しげに流し目を送った。
「……っ!?」
ようやく『喰う』についての食い違いに合点のいった宗輔も、
言葉をなくし顔を背ける、顔色がどうなっているのかは言うまでもないだろう。
「その『喰う』じゃないっ!」
どうにか出た言葉はそれだった。
「ご……ごめんっ……勘違いだ」
繕って言い放った萃香のほうも、これ以上になく顔を朱に染める。
日の本の言葉とは時としてこういう事態を招くのだ。
「……」
「……」
不意に途切れる会話、北風が戸を叩く音が幾度か響いた。
暖取りの囲炉裏から小さな破裂音が鳴って、そこで互いに我に返る二人。
「「あのっ」」
向き合った二人は同時に同じ言葉を発し、一寸時間が止まる。 次の瞬間、今度は同時に声を上げ笑いがこぼれた。
「にゃはは……可笑しいっ」
笑いの沸点だったのだろうか、萃香はそう言って腹を抱えて転げまわる。
一方の宗輔も少し我慢していたが長くは持たず破顔する。
ひとしきり笑いあった後宗輔が切り出す。
「もうじき床を作るが、今日はどうする?」
「今日は……泊まってもいいか?」
笑い涙を拭い、萃香は答えた。
滞りなく酒器の片付けを済ませ、宗輔によって布団が二つ敷かれた。
「よもや……こうして鬼と床を共にするとは、思いもしなかったよ」
布団に入った宗輔がおもむろに呟く。
人間五十年と、その昔誰かが言ったが、今ではそれよりも長く人間は生きていく。
それでも人によっては短く感じるのだろうが、宗輔としては人生の中で『鬼』と呼ばれる存在と同じ部屋に寝ることは、まず想像し得ないことだったはずだ。
「……そうだろうな」
薄明かりの中、萃香は小さく笑った。
萃香自身も恐らく同様のことを考えていたのだろう。
「それにしても、暖を消すと布団があっても冷えるなぁ」
宗輔は大きく息をつくと、ゆっくりと瞼を伏せる。
「それなら……」
萃香が反応して、もぞもぞと動き出す、その動きが自分の布団に移ってきたのだから、思考を休めていた宗輔も思わず目を見開く。
「萃香っ?」
宗輔が言って動き出すよりも早く、その体に心地よい重みがのしかかってくる、時間を空けずに布団の中から当の萃香が角と共に顔を見せた。
「こうすればあったかいぞ」
歯をむき出して笑う萃香。
「……子供かっ」
思わず言い返した宗輔だったが、床に伏すこともあってだろうか、薄着である萃香の肌の弾力・少しばかり自分よりも高い体温が、着物越しであるにしても、直に伝わってくる感じがして気が気でなかった。
「噛むぞ?」
子どもと言う単語に即反応して言い返す萃香が、ちらりと八重歯を覗かせる。
「それはご勘弁……でも成るほど、暖かいな」
苦笑を交える宗輔だが、ある程度落ち着いたのか、素直に感想を述べた。
「だろ?……これならいやらしくもなんともないぞ」
先刻の話を引きずっているのか、萃香が無意味に主張した。
「まだ言うのはこの口か」
再び言い返した宗輔は呆れ顔で萃香の頬を指先で突く。
「んむ……えへへ……」
少してれたように笑う萃香、指を離した宗輔は小さく息をついて今一度睡魔に任せ目を閉じる。
「お休み、萃香」
そういうと宗輔は萃香の背中にそっと左手を乗せた。
恐らく左手を腹に持ってくるのが寝るときの癖なのだろう。
抱かれる形になった萃香は思わず嬉しそうに笑顔をこぼして、その胸の中で眠りについた。
「お休み、宗輔」
いつ訪れるか分からない、だからこそ『それまで』は愛おしく、また『それから』を畏怖するんだ
永遠などこの世にはないと、人も、妖も、誰しもが知っている理、それでも願ってしまうこともある
それが――を持つということだから
萃香
萃香にとって宗輔と過ごす時間というものは、どこか暖かく、柔らかで、優しい時間だった。
誰かと触れ合っているということがこれほど心地いいとは当の萃香自身でも思っていなかった。
まして偶然立ち寄っただけの集落でこのようなめぐり合わせがあろうとは、予想し得ないことであったが、縁は異なもの味なものである。
その日は、雨が降っていた。
弥生の日としては気温が低く、輪をかけたように大粒の滴は冷たく、無慈悲に空から零れていた。
そんな中我関せずとにやけ顔で傘をさし、大手を振って歩みを進める少女が一人、萃香である。
明るい鼻歌を交えながら、にこやかな表情は、雨降りしきる空模様とは正反対だ。
暫らく塀周りを歩くと、程なくして勝手口にたどり着いた。
通り慣れた道、潜り慣れた出入り口、はにかみながら戸に手をかける萃香。
しかし、その笑みが雨以上に冷たく凍りつくまでに、さほど時間は必要なかった。
「宗……輔?」
余りにも予想しえない出来事を目の当たりにし、か細く彼の名を呼ぶことしか適わなかった。
不意に傘が手を滑り落ちた。
目前には自らが吐いたのであろうか、血にまみれた彼が地に伏している。
傘が地面に落ちるより刹那に、彼女が選択したのは駆け寄ることだった。
「宗輔っ、宗輔っ!」
自らの手や服が汚れることも構わず膝をつき、突っ伏した彼を抱き起こす。
見たところ外傷はないようだったが、安堵は出来ない。
「どうしたんだ……宗輔っ」
呼びかけては、軽く肩を揺さぶる萃香。
息はあるが、反応はない。
「……っ、とにかく部屋に……」
今まで感じたこともない怖気に朦朧とする萃香であったが、
今はこの程度で気おされている場合ではない。
持ち前の『力』を駆使し、すぐさま宗輔を屋内へと運び込む。
「……なんだ……これは……?」
夕刻も過ぎた頃、先に目を覚ましたのは宗輔のほうだった。
そしてこの第一声である。
彼の記憶が確かであるなら最後の記憶は中庭だったはずだ。
だがどうだろう、気が付くと見慣れた部屋の天井が目に入り、懐にはほのかな暖かさ。
すぐさま宗輔は現実を目の当たりにすることとなった次第だ。
少なくとも自分は上半身の肌を露にしており、懐で穏やかに寝息を立てる双角の娘は、宗輔の五感が感ずる限り、一糸纏わぬ姿だった。
「起こす訳にも行かぬか……参ったな」
おそらくは倒れた自分を介抱してくれたであろう萃香を無下に起こすことも出来ない、が、この状況は如何とも言いがたいものがある。
若い女子に情欲を禁じえない所ではあるものの、理性は頑として色欲を拒んでいる。
「ん……ぅ」
あれやこれやと宗輔が思考を巡らせるのも玉響に終わり、懐の萃香が鈴を鳴らすような愛らしい声を上げ、双眸を開く。
「そう……すけ?」
目元をこすりながら、萃香が恐る恐る声を発した。
それによってようやっと宗輔のほうも現実へと戻ってくる。
「おはよう……萃香……」
どの道隠せない気まずさを抱えつつ宗輔が返答する。
とってつけたような引きつった笑顔、裸の女子を懐においては、致し方ないことなのかもしれない。
「おは……ようだと?」
萃香の語気が強くなり目が据わるのは、正に瞬く間の出来事だった。
「血を吐いて倒れてたんだぞ……」
怒り交じりに震える声色。
「ああ」
男はつぶさに語らず、短く答える。
「心配したんだぞ……」
今度は萃香の目じりに薄く涙が溜まる。
「すまない」
少女の表情に、本当に申し訳なさそうに宗輔が目を伏せる。
「死っ……でるかと、思った」
萃香はすでに軽く嗚咽しながら、切れ切れに囀った。
その声色は心から男を心配し、特別な憂いと安堵を湛えた『少女』のそれであった。
「私がッ……この私がッ……『怖いと思った』んだぞ……」
男の胸中に顔を埋めた萃香が震える右拳で、その胸を叩く、
軽く・重く・痛い『想い』が、宗輔の体に走った。
「……すまない」
男は言葉もなく、ただ同じことを口走るしかなかった。
このとき、男ははたと気が付いてしまう。
嗚呼―僕は、
「(この娘が好きなのか)」
と
「お前、何か隠してないか……?」
相も変わらず胸中に顔を置いたままの萃香が不意に訊ねる。
その言葉は正しい。
もしも賊や妖の仕業で『ああなった』のでないならば、なんらかの別の理由を疑うことは火を見るまでもない。
「……鬼に嘘はつきたくないな……」
困惑して頬を掻く宗輔、逃げ場なく、苦笑していた。
「なにかあるんだな……?」
ようやく顔を上げる萃香は、口惜しそうに唇を噛んでいる。
先に心に宿ったあの『想い』も相まって、宗輔は全てを語ることと、そしてもうひとつを決意をした。
「僕はもう……永くない」
少しの時間を置いて、宗輔がゆっくりと語った。
京の名医ですら匙を投げてしまった不治の病が宗輔を蝕んでいること、そして魂の刻限が近いことを。
村の医者からは「今日まで生きていることすらひとつの奇跡のようなもの」とまで言われたこと。
別れのときが近づいていることを。
「治らないのか……?」
萃香は解っていながらも、聞いてしまった。
「そうらしい」
嘆くでもなく、どこか他人事のように宗輔が言うと笑った。
そして今ひとたび、所在なさげに頬を掻く。
「……」
しばしの沈黙、であったが萃香は宗輔の機微を逃すことをしない。
「まだあるのか?」
目が合いそうになって逸らされた宗輔に更に問い詰める萃香。
「……ある」
しきりに目を宙に泳がせた宗輔は一度目を閉じ、今度は真っ直ぐに萃香を見つめた。
「……なんだ?」
萃香もあわせて見つめ返す。
華奢に見える体躯、積み重なった年月を表す双角、それに似つかわぬあどけない女子の顔、それに薄く残る涙のあと、それらをすべて纏め萃め、ひっくるめて――
「一人の女として君が好きだ」
良い意味で穏やかではない心のざわつきにも関わらず、宗輔は流れるようにそう言い放った。
言葉に呼応するように、鬼の体が刹那に微動する。
相容れない境界を、いとも容易く越えてきた男の言葉に、心と体が勝手に反応したのである、一人の女として。
そして、軽く握られていた萃香の拳が、抱擁のため解かれるのには、数えるまでもなかった。
「ずるい……」
幾多もの感情が渦巻いた一言とともに、萃香は男に身をゆだねた。
「僕は鬼だろうと何だろうと、萃香……君が好きだ」
宗輔は繰り返し、その腕で萃香を優しく抱き寄せる。
「私もだ……宗輔が……好きだ……」
えもいわれぬあの『恐怖』の裏返しの気持ちにようやく合点がいったのであろうか、萃香は一言ずつ、噛み締めながら返事をした。
夕刻を遥か昔に過ぎ去った空はすでに暗く、二人は互いのぬくもりを確かめ合いながら、抱き合って褥を共にした。
「ところで、萃香」
雀が日のもとさえずる中、目覚めて早々に宗輔が切り出した。
「ん……?」
気だるそうに目を擦りながら、萃香は淡く応答し、緩やかに体を起こす。
「昨日はどうして服を着ていなかったのかと……」
おもむろに語りだす宗輔を、萃香は慌てて制した。
「アレはその……倒れてたのが外で、宗輔の体が思いのほか冷えていて、私の力を使って暖めてやろうと思ったんだけど、大地の熱を萃めようとしても、こっちは気が動転してたし、外もなかなか冷えてたから熱がうまく萃められなくて……」
萃香が身振り手振りも加えて矢継ぎ早に説明を行う。
それを眺める宗輔は萃香の百面相を見て小さく笑った。
「直に肌をつけていれば温ま……って、宗輔、今笑っただろ!?」
一通りの説明を終えようかという萃香はもちろんそんな微笑を嗅ぎつける。
「イヤイヤ、笑ってないよ」
思わぬところで火の粉を被りそうになった宗輔は咄嗟に流そうとしたが、そうは問屋がおろさなかった。
「大体、湯浴みすらせずにいたのに、宗輔だってあの後その気になってたじゃないか、私が何度気を遣ったと思って……」
今にも噛み付かんばかりにまくし立てていた萃香であったが、自ら掘った墓穴に気が付いて、途端に語気が弱くなり、ついには頬を朱に染めて黙り込んでしまう。
「それは……なんというか……すまない」
宗輔のほうも気まずさから目を逸らす。
暫らく沈黙が続く、『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』とはよく言うが、これもその類のものなのだろうか、その沈黙は互いの腹の虫が仲裁に入るまで続いた。
「……っ」
「……!」
予期せぬ役者の登場に、互いに目を合わせ、その後笑い転げたことは言うまでもない。
かくして朝餉を取ることに決めた二人。
「少し、村に出ないか?」
食事も終わり、前日の雨も嘘だったかのような陽気のさす縁側で、茶を啜っていた折に、急に宗輔が切り出す。
「……っ、何を言い出すかと思えばっ」
喉を通りかけた茶をあわや吹き出さんと言うところを既のところで飲み下した萃香。
軽く咽つつ、苦笑交じりに「あたしは鬼だからね……」と付け加えた。
意味するところは理解に難くない。
畏れ・嫌悪・憎しみ・恨み。
妖怪や鬼に対する人間側の気持ちは概ね快いものが見当たらない。
化物と罵られ、拒絶されるのが萃香には目に見えていた。
それが理だった。
鬼や妖怪、それは人を襲う、そして自らの血肉として喰らう。
人はそれを拒絶するし、対抗して狩りに来る。
こと、鬼と人は相容れない存在だ。
双方の盟和が砕け散ってから幾久しい。
「うちの集落は、そういうことは気にしないよ」
宗輔は微塵の躊躇もなく、あっけらかんと言い放つ。
「どういうことだ?」
ありえないことを言ってのけた男を萃香が訝しげに見やる。
「どういうも何も、妖怪や鬼と暮らしているからね、繰り出していなかったのか?」
促されて、更に宗輔が説明すると、萃香は継ぎの句が出なかった。
「ほんとう……なのか?」
わずかな思考の後、萃香が口走り、宗輔の顔を見上げた。
その瞳には驚愕と歓喜、期待と不安、そして、わずかな疑いが込められていた。
「嘘言ってどうなるものか、ほんとうだよ」
萃香の表情に対し、宗輔が自然と柔らかな笑顔を作る。
「そう……か……」
細い声で呟くと、不意に顔を逸らす萃香。
今度は宗輔のほうが不思議そうに覗き込む。
「どうしたんだい?」
不可解な行動に対して首を傾げるが、それもつかの間、萃香が今一度顔を見せるも
「まだ、この世も棄てたモンじゃないな」
そう言った鬼は笑顔で涙していた。
村は小さなものであったが、人々も妖怪も生き生きと暮らしていた。
事の起こりは村に妖怪を引き連れた鬼が現れたらしく、「村に厄介になりたいが、盟約として『人を喰らわず、この村を他の輩から守る』」というのを掲げたことに始まり今に至っている。
当の鬼とやらはさまざまな紆余曲折を経て、当時村長を務めていた者の娘と夫婦となり、共に村を治めているという。
「やけに気分がよさそうだね、萃香」
歩みを進めながらあちこち眺めては、嬉しそうに笑顔を作る萃香に宗輔が語りかける。
「これが喜ばずにいられるか、同胞がこんな形で人と共にあるんだから……」
めいっぱいの笑顔で言いながら萃香は、ひらりふわりと喜びを体現しながら、踊るように軽快に宗輔の少し前を歩く。
「あまりはしゃぐと……」
宗輔が言いかけるより早く、萃香は「ふぎゅっ」と可愛らしく声を上げ、目前に現れた大男にぶつかってしまう。
「言わんこっちゃない」
宗輔がからからと笑いながら数歩を駆け寄る。
「む……すまぬ、注意が足りんかった、立てるか同胞」
地べたに尻をつく萃香に、男は言って手を差し伸べた。
見かけのいかつさとは反して紳士な男だ。
「いや、私も浮かれすぎてたよ、悪いね」
軽く舌を出し埃を払いながら、萃香が大きな手を掴み返す。
「おや、大門の旦那じゃないか」
駆け寄ってきた宗輔は男の方にまず言った。
「諏訪部の、久しいな」
無精髭の生えた顎に手を当て、萃香と宗輔を見比べ、歯を見せて笑う大男、その男の頭部には、天へ真っ直ぐ伸びた短い二本の角があった。
萃香に同胞と声を掛けたのよろしく、紛うことなく、彼もまた、鬼である。
「年明けに挨拶に行って以来かな?」
ご無沙汰、と、付け加えながら応じる宗輔。
どうやら旧知の間柄のようだ。
「『力』を感じるね……お前さんが村長の鬼かい?」
暫らく様子を伺っていた萃香が、会話に混じってきた。
「いかにも、吾が村長の大門、西では知れた、『地割りの大門』だ」
ガハハと、豪快に笑いつつ、大門は力瘤を見せながら二つ名を語る。
無論そういう鬼は少なくない、自分の得意分野に関わる言葉を名乗るのは、鬼たちの間では良くあることだ。
「豪気な感じさね、『地割り』……出身は鎮西(西海道の別称)かい?」
いささか思考を逡巡させた後、大門の喋り方に若干の訛りを聞き取った萃香は重ねて訊ねる。
「応とも、西海道は壱岐の島、幾百年前は悪毒王もおったあの『壱岐の島』だ」
どこか感慨を見せて、大門は語る。
遠い昔を思い出しているのだろうか。
「悪毒か……部下だったのかい?」
唐突に出た名前に、萃香の目が刹那の疑いを持った。
それも仕方のないことであった、『悪毒王』とは当然鬼の名前である。
壱岐五万といわれる鬼を統べた大鬼で、名前の字面通り悪行の限りを働いた悪鬼で有名な者であったからだ。
しかしながらそれも、今は昔、百合若大臣なる勇み者によって殆どの鬼たちは退治されたのである。が、それはまた別のお話。
「まさか、吾は彼奴の在りようが気にくわなんだ、同胞や他の妖二百を抱えて飛び出してやったわ」
更に豪快な笑いを見せる大門。
生来佳き者なのであろう、この村を治めるほどだ、まず件の悪毒王とは違う類の鬼だ。
「成る程、あいやすまないね、試すような訊き方だった」
少し前とはうって変わり、萃香も満面の笑みを見せて返す。
「分かっていたのかい、萃香?」
今度は宗輔が割って入る。
幾度か大門の話を聞いたことがあった宗輔としても、誤解を抱いて欲しくはないと思っていたのである。
「なぁに、風の噂にね」
鈴の鳴るが如くころころと萃香が笑い、大門に目を配せた。
「はじめはすぐ疑われるのも良くあることだ、何せ吾等は鬼だからな」
目の合った大門もそう答えて、相変わらずの破顔。
「確かに、良くあることさ、あたしの紹介がまだだったね、伊吹萃香だ、よろしく」
大男の言葉に賛同しつつ、萃香の方も手短に自己紹介を済ませ、手を差し出す。
「よしなに、初の『再会』を祝って飲まないか?」
握手に応じた同胞が促した。
「こいつは粋な言い方をする」
萃香がにんまりと笑顔を作り、同時に二人の鬼は宗輔を見やった。
酒を出して付き合えと言わんばかりの笑顔で。
「『初』にして『再会』とは、これいかに」
宗輔は苦笑交じりに同意して、小さくため息をついた。
三人の酒宴が決定される。
「大門殿はつまみを繕ってくれ、僕は酒を用意する」
役割分担は完璧だった。
言うが早し、宗輔は踵を返し家へと向かう。
「待っておくれよ、宗輔っ」
にゃはは、と、あの独特の笑い方をしながら萃香がそれを追って行く。
大門も一息つくと食材探しに打って出た。
「おお、飲むじゃないか!」
三人だけの宴の席、萃香は声をあげた。
大門の飲みっぷりは鬼のそれに恥じぬ、豪快なものである。
村でも、大酒呑みとして有名なのは、宗輔も知っていた。
「君も大差ないだろう、萃香?」
宗輔は二人の飲む姿を苦笑しながら、少しずつ呷っているばかりだ。
呑み比べを見ながらの飲みなので、酒を肴に酒を呑むような気分を覚え、いささか不思議な気分も味わっている。
「伊吹童子と呑めるのだから、余計に美味いのう」
酒がなみなみ注がれていた枡をすぐさま空にした大門がその旨みに喉を鳴らした。
「知ってたのか……」
『伊吹童子』という言葉に、萃香は頬を掻く。
「本当なのかい、萃香!?」
溢しそうになった杯を慌てて持ち直し、宗輔が訊ねる。
心底仰天しているようだった。
「何を今更、あたしは最初に名乗ったじゃないか」
酔っ払いよろしく、萃香がけたけた大笑いしながら宗輔の背を叩く。
大門も笑いながら、宗輔に酌をした。
「博識な宗輔もさすがにわからなんだか」
無理もない、宗輔は話や伝記には聞いてはいるが、よもやこんな娘が彼の『酒呑童子』であるとは、さすがの宗輔も目を丸めた。
「想像の範疇を超えているよ……」
せいぜい多少名のある鬼位に考えていた宗輔は、重くなった頭をうなだれて物思いに耽ってしまった。
「そう言わないでおくれよ、『他人』というわけでもあるまいに……」
潤んだ瞳で宗輔に詰め寄る萃香。
上気した頬も相まって、随分と艶やかに見える。
「ほぉう、そいつぁ聞き捨てならんな」
萃香が不意に漏らした物言いに、大門も興味津々で二人を眺め見る。
「全く君たちは……」
呆れて口をつぐむ宗輔。
その後も、会合から戻ってきた大門の嫁も含め、夜半過ぎまで宴会が行われた。
「……少し、風に当たるか……」
大門宅に泊まることとなった宗輔たちであるが、その宗輔の方は、寝付けづにふと起き上がる。
ご丁寧におかみが用意した布団は一人分。
隣で寝息を立てる萃香を起こさぬように、静かに縁側へと足を運ぶ。
雪こそ降らなかったが、酒で火照った体を冷ますには、まだ冷たすぎる程だった。
冷ましすぎないために上着を羽織って正解である。
「宗輔か……眠らんでいいのか?」
軒下で酒を呷っていた大門が見向きもしないまま、静かに呟く。
「酔い覚ましに……ね」
宗輔は小さく笑って、大門が無言に差し出した杯を手にした。
暫らく無言のままに、酌をしあう。
「……宗輔よう」
沈黙を破ったのは大門であった。
それに呼応して、宗輔が徐に口を開く。
「来年の桜は見られそうにない」
その瞳は憂いを含み、遠くを、どこか遠くを見つめている。
「……そう……か」
当然、大門も宗輔の病のことは聞いている。大きくは動揺しないも、やや肩を落とし、表情を陰らせた。
「困ったものだよ……こんな状況で僕は……」
宗輔が語りを一旦切り、清酒に喉を鳴らす。
「……ある女を好いてしまった」
ひと時おいて宗輔がそう続けた。
「……そうか」
大門は敢えて何も言わずにただ、相槌を打つ。
「正直、どうしていいものか……僕は天命近いひ弱な人間だ……」
誰にとでもなく、申し訳無さ気に、宗輔が苦笑。
「……そうだな」
大門は、相変わらず短く答え、ゆっくりと杯を傾ける。
「それでも、好いていることを伝えたら、彼女はそれに応えてくれたよ」
今度は照れたようにはにかんで見せる宗輔。
「……そうか」
いつもは豪快な男である大門も、わが子を見るような柔和な笑みでそれに応える。
「旦那はそればかりだな」
呆れ半分、笑い混じりに宗輔が悪態づく。
「そうでもないさ」
大門は言って、顎を掻きながら寒空を見やり、続けた。
「お前さんがいつに無く饒舌なだけだ、酔ってるのか?」と
「そう……だね、酔っているのかも知れない……恋慕というやつに……」
「独りよがりなのは百も二百も承知している……けど僕は、どうしようもなく彼女に惚れてしまったんだ」
宗輔が矢継ぎ早に心中を語る。
「傍目に見ても解るなァ」
数刻ぶりに豪気に笑い飛ばす大門。
「僕が先に逝ってしまうのは解っている、だからこそ、共に居てくれる間は彼女を幸せにしてあげたいと思う」
宗輔は言うと、酒を呷った。
「……二言は許さないからな……?」
不意に宗輔の後ろから細い腕が絡められる。
それはもう一人の、恋慕に酔った女の声。
わずかな震えとともに、宗輔の首筋にひとつとふたつと、雫が零れ落ちた。
宗輔が小さな手に己の手を重ねる
この冬場の寒空の中、とても、それはとても暖かかった
――
何より……こころが。
………………
………………………………
………………………………………………
不思議と体が動いたので筆を執る
在るべき神々に感謝候 最早向後に憂いなく 天命は正に眼前に在れば後悔も無く
否 愛しき者を残し逝くことは之後悔也
萃香へ 決めかねていた酒の名前を決めたよ
仮令この身朽ちるとも 魂が夢幻に消ゆるとも 我は萃香を
想い逝こう 故に其の名を 萃夢想
さいごに つたえておくよ あいしている
ありがとう
いとしきひと
「……結局泣いちまったね、あの時は……」
そう言って、瓢箪に入った酒で喉を潤す少女。
その頭には大層立派な二本の角。
春先となったこの土地に丁度お誂え向きの薄着である。
あどけなさも垣間見える少女の顔は、恥ずかしいように、哀しいように、笑っている。
「あやや……幸せにすると言っておきながら、約束違ってるじゃありませんか」
机をはさんだ反対側に座っている少女が小さく笑った。
彼女の方は角などは無く、かわりにその背中には大きな黒い羽根が二枚。
「でもね、誰かのことを想って泣いたから、いいんだ」
鬼と呼ばれた少女がからからと笑いを返す。
「……そうですか」
一寸だけ間をおき、羽根つきの少女が表情を綻ばせる。
「まあ、御伽噺よろしく、冗談かもしれないがね」
鬼の少女は変わって、悪戯な笑みを見せる。
「冗談……『鬼』の貴女がよもや『嘘』と仰いますか?」
羽根つきの少女は、持っていた手帳に何か書き込んでいたが、
鬼の言葉に慌ててそれを線引きして消した。
「ああ、『嘘』だね」
悪びれた様子なく、きっぱりと言い切る鬼の少女。
「成る程『嘘』ですか……色恋沙汰の良い記事が書けると思ったのですが……『嘘』とあっては記事になりませんね」
わざと大きなため息をつく羽根つきの少女。
「そうだろう、そうだろう……替わりと言っちゃあなんだが、酒でもご馳走しよう」
鬼はそう言って、特殊な御札の貼ってある古い酒瓶を取り出した。
「保存の為の御札ですか?」
訝しげにそれを見つめる羽根つき。
「けじめがついたら呑むつもりだったんだ……付き合ってくれるよな?」
鬼の少女は何処より取り出した杯を、羽根つきに差し出す。
「鬼の誘いとあっては、天狗の私は断れませんね」
羽根つきは応え、それを手にする。
その酒は確かに美酒であった。
辛口ではあるが、確かに――
心に沁みた。
東方恋酔歌 壱
終幕
「……よう兄さん、向こうまで渡すかい?」
「――」
「なぁに、あたいは船頭さね」
「――」
「――」
「へぇ、いい恋だったね……未練はないんだね?」
「――」
「……そうかい」
「……あんた宛の文を預かっているんだが、読むかい?」
「――」
「ふふ……恋文さね、ある酔っ払いからの……そう、恋に酔っちまった女からの……ね」
きい、と音を立て、その木船はゆっくりと動き出した
東方恋酔歌
完
このたびは閲覧いただきまことにありがとうございます。
十数年来いろいろ書いたうちの一つを今回発表させていただきました^^
なにぶん初投稿故見づらい部分があったかと思いますが、文章を通して何かを感じていただければなぁ・・・なんて思ってます。
今後も何かしら気まぐれに、または突発的にやって行こうと思う次第です。
ちなみに大門の旦那は某格ゲーの「うおー!」しか言わないあの人がモデルです。