「もう出ていいぞ。そこ、釘が出てるから引っかけんなよ」
言われても、すぐには足が動かなかった。広場には焼けた肉と血の臭いが残り、さっきまで人だったものがそこら中に転がっている。その真ん中でオーエンだけが、汚れた布を脇腹へ押し当てながら、いつもの面倒くさそうな顔をしていた。俺が物置から出ると、あいつは何でもないようにこっちへ歩いてくる。
反射的に肩が跳ねた。頭へ伸びてきた手を見ただけで、昨日キューブに頭を掴まれた感触と、今しがた目の前で起きた殺戮が一緒に蘇ったのだ。オーエンは途中で手を止め、俺の顔を覗き込むように眉をひそめた。「何だよ。どっか怪我したか。さっきあのクソに何かされたのか?」
「……いや。つーか、お前、本当に【不死者】だったのかよ。爺さんもアーサー様もそう言ってたけど、俺、半分くらいホラだと思ってた」
「何回言わせんだ、馬鹿。俺は最初からそう言ってんだろ。ほら、怪我ねえなら帰るぞ」
そう言いながら、こいつは人差し指で鼻をほじった。嫌な予感がして一歩下がった瞬間、丸めた鼻くそが俺の額へ飛んでくる。「やめろ汚ねえ!」と怒鳴ると、オーエンはギャハハハ笑い、俺も怒鳴ってから、さっきまでこいつの手そのものを怖がっていたことに気づいた。
いつものチンカスだった。それでも、広場に転がる死体を見れば、何も知らなかった頃と同じには見られない。俺は歩き出した背中を追いながら、どうしても我慢できずに聞いた。「なあ。あいつ、お前より速かったよな。力も全然上に見えたぞ?」
「単純に戦闘経験の差だわ。速さも腕力も頑丈さも向こうが上だから、小細工と小手先の技術で何とかするしかねえんだわ」
オーエンはそこで欠伸をして、焼け焦げた脇腹の布を結び直した。「めちゃくちゃ強かったし手こずったが、ボーパルバニーみたいな殺意にまみれた数の暴力に比べりゃマシ。死に戻……ゲフンゲフン、奥の手も使わんで済んだからよ」と続けたが、その意味は分からなかった。
アレは死そのものだった。
圧倒的な戦闘技術があったからでもない。圧倒的な戦闘力があったからでもない。痛めつけられようが焼かれようが、仲間が死のうが、自分が死にかけようが、敵を殺すための動きだけは一瞬も止まらなかった。さっきまで俺が憧れていた【不死者】という言葉より、そっちの方がよほどあいつを正確に表している気がした。
少し歩いたところで、今度はオーエンの方から聞いてきた。「そういやお前魔眼持ちだっけ。お前、どこまで見えてた。俺とキューブが何やってたか、分かる範囲で言ってみろ」。俺は剣の軌道や、鎧を叩いた後にキューブが血を吐いたこと、雷を食らってもこいつが止まらなかったことを順番に話した。すると、オーエンは途中から妙に真面目な顔になった。
「……お前、思ってたより目良いな。ちゃんと鍛えりゃ、品物の傷見る仕事とか細けえ作業とか、そういうので食ってけるかもしれねえぞ。今度、仕事探す時に一緒に聞いて回るか」
「じゃあ俺も、冒険者になれんのか?」
「何でそうなるんだよ。そこまで見える目があんなら、なおさら冒険者なんて自殺行為すんな。生きて使え、馬鹿」
少しだけ期待した分、腹は立った。それでも、こいつが俺を馬鹿にしているのではなく、先の仕事まで考えて言っていることくらいは分かった。「……分かった。探す時は頼む」と答えると、オーエンは面倒そうに片手を上げた。
細かい理屈は、後日アーサー様に聞いた。自害させたのは【領域】で死神に全身を覗かれたように感じさせ、恐怖を押しつけて自害させた技で、首を斬られた時のあれは斬撃の衝撃を体内で回して相手へ返した技で、十メートルを消えたように詰めたのは歩法だそうだが、俺には訳が分からなかった。胸を押して殺したのは心臓を止める技で、鎧の上から内臓を壊したのは鎧通しの要領で斬撃の衝撃だけを内側へ通す技らしい。
最初に派手な殺し方をしたのも、残った連中を怖がらせて動きを鈍らせるためだったらしい。雷霆魔術は詠唱速度の差で二発目を撃たせる前に潰し、短い【快癒魔術】だけは止め切れないので、治さなければ死ぬ傷を延々と与え、使用回数そのものを使い切らせたのだという。そこまで聞いた俺は、もう分かったふりをするのをやめた。
帰り道、俺はもう一つ気になっていたことを聞いた。キューブに母親のことを言われた時、オーエンは明らかに怒っていたし、スヒリア様たちを殺すと言われた時も、弟分たちを奴隷にすると言われた時も同じだった。「お前、あいつが俺らに何かするって言った時もキレてただろ」と言うと、オーエンは心底意味が分からないような顔をした。
「母さんのこと知ったふうに喋られたのはムカついた。お前らは別に、どうでも良い。つーか勝手に出てきたお前のせいで余計な仕事増えたんだから、そこは反省しろクソガキ」
「……分かったよ。でも、チェイニーさんのことはどうすんだよ。あの人、俺に文字教えてくれたんだぞ。なのに、お前にも同じようなことしてたって……」
オーエンは少しだけ黙ったが、答えは出さなかった。俺にも答えは出せなかった。優しく文字を教えてくれた人と、キューブにされたことを他人へ繰り返した人が、頭の中でどうしても一人にならない。ただ、それを笑ったキューブがもう二度と悪行ができないことだけは確かだった。
借りていた屋敷へ戻ると、弟分たちが一斉に飛び出してきた。俺へ抱きつく奴もいれば、オーエンを見た瞬間に「飯!」と叫ぶ奴までいた。広場一つを血塗れにして帰ってきた化け物を前にしているとは思えない光景だったが、オーエンもいつものように「俺を食料庫か何かだと思ってんのか」と悪態をついている。
スヒリア様は俺の傷を見つけるとすぐに治してくれた。俺が、集会所に来ると思って知らせに行ったのだと説明すると、「診療場所は昨夜のうちに移してありますよ」と困ったように笑われる。俺を探しに出てくれた人たちにも、管理人のディンク爺さんにも迷惑をかけたと知り、俺は一人ずつ頭を下げた。
そうこうしているうちに、オーエンとスヒリア様が顔を合わせた。漏れ聞こえてくる話をまとめると、標的の始末は黄金の剣で既に決めていて、恐怖で戦えないチェイニーさんを外し、戦士と魔術師、オーエンとスヒリア様、アーサー様一人のどれかで対処する予定だったらしい。オーエンの機嫌が一気に悪くなる。
「で、何で俺一人であいつらの後始末までやってんだよ。お前来る予定だったろ」
「オーエンさん一人で何とかできると思ったので、普通に治療してました。実際、何とかなったでしょう?」
「勝てるかどうかの話してんじゃねえんだよ。雷まで食らったんだぞ、この傷見ろ」
「はいはい。ちゃんと治しますから、座ってください。よく頑張りましたね、オーエンさん」
スヒリア様は椅子へ座らせると、雷で裂けた脇腹へ手を当てた。白い光が傷を塞ぎ、それが終わると、なぜかそのままオーエンの頭を撫で始める。オーエンは露骨に嫌そうな顔をしたが、振り払わない。「チェイニーさんを安心させてくれて、ありがとうございます」と言われると、ますます居心地が悪そうに目を逸らした。
「私も今日は一日治療を頑張ったので、撫でてください。ほら、いっぱい頑張ったよ。早く」
「何でだよ。自分で撫でろ」
「自分で撫でても嬉しくないです。はい、どうぞ」
何度も頭を差し出され、根負けしたオーエンが雑に撫でる。するとスヒリア様は嬉しそうに目を細め、手が離れかけるたびに頭を追いかけていた。俺には、ほんの少し前までその手が近づくだけで怖かったのに、この人はまるで大人しい犬でも扱うように平気で触っている。
助けてもらった。強いことも認める。飯をくれるし、弟分たちのことまで考えている。それでも二人がこうしているのを見ると、腹の底がむかむかするのだから、俺も相当どうしようもない。
撫でられたまま、スヒリア様がふと聞いた。
「オーエンさん。金剛龍帝って、どう思いますか?」。
オーエンは少し考え、「駆除すべき害獣」と即答した後、面倒そうに言葉を足した。
「でもまあ、味も分からねえくらいずっと腹減らして、食っても食っても満たされず、良いこと一個もなかったなら、哀れな化け物ではあるんじゃねえの」
「そうですか? アレの世界に与えた影響とか地獄ですよ。チェイニーさんもキューブの悪行も、アレの悪行に比べれば子供の手習い未満ですよ」
「知らねえよ。俺は実害受けてねえし」
あまりにもあっさり返され、スヒリア様は数秒きょとんとした。それから何がおかしかったのか、口元を緩める。「そういうところ、本当にオーエンさんらしいですね」と笑ってから、少し楽しそうに話を続けた。
「例えばの話です。金剛龍帝を復活させるため、その分体が遠い未来へ送られたとします。本体の封印を解くことだけを目的に作られていて、最初はそのためにしか生きていなかった子です。でも、その子が未来で飢えから解放されたらどうでしょう」
オーエンは頭を撫でる手を止めたが、スヒリア様は気にしない。「食べるための無機質な合理性から解放されて、美味しい食事を知って、誰かと一緒にいる楽しさを知って、頭を撫でてもらう嬉しさまで知るんです。そうしたら、非合理的なキ◯ガイになってガイガイガイジングサンしてるかもしれません」
「何だよガイガイガイジングサンって」
「私にもよく分かりません。」
あまりに嬉しそうなので、俺にもますます意味が分からなかった。スヒリア様はそのまま、「その子に兄や仲間ができて、この人たちと明日も一緒にいたい、ずっと一緒に生きていきたいと思うようになったら、本体を復活させる理由なんて無くなると思いませんか」と続ける。
「本体を解放したら、その大切な人たちまで全部食べられてしまいます。それなら、本体を復活させるために生まれた分体でも、最後には本体へ背くかもしれません。自分を幸せにしてくれた人たちと一緒に、むしろ金剛龍帝を倒そうとするかもしれません」
「知らねえよ。つーか何の話だ、それ」
「ふふっ。まだ内緒です」
オーエンは全く理解していない顔で、もう一度だけスヒリア様の頭を撫でた。ようやく二人が離れたのを見て、俺は自分でも情けなくなるくらい、ほっとした。
危険がなくなったので、その日のうちに俺たちは元の家へ戻ることになった。弟分たちは広い屋敷と柔らかい寝床を惜しんでいたが、スヒリア様が送っていくと言った途端、俺だけは帰るのが嫌ではなくなった。オーエンはディンク爺さんと話があるらしく残り、スヒリア様は一番小さい奴を抱き上げて、俺たちと一緒に歩き出した。
家が見えてくると、弟分たちは我先にと走っていった。普段なら危ないから走るなと怒鳴るところだが、その時だけは呼び止めなかった。もう少しだけ、隣を歩いていたかったからだ。
「スヒリア様って、本当に善い人ですよね」
「そうでしょうか?」
「そうですよ。俺たちみたいなのにも薬持ってきて、金も取らないで治してくれて。命張って人を助けるような人ですし、スヒリア様みたいな人を善人って言うんじゃないですか」
俺としては褒めたつもりだった。だが、スヒリア様は抱いていた子の脱げかけた靴を直しながら、少しだけ考えるように首を傾げる。それから俺の方を見ると、妙な質問を返してきた。
「ウシノスケさん。善い人って、どんな人だと思いますか?」
「……やっぱり、命張って誰かを助けられる人じゃないですか。俺には無理ですけど、アーサー様とか、スヒリア様みたいな」
「うーん。私は、誰かのために命を捧げること自体は、そこまで大したことではないと思っているんです」
「えっ?」
「誰かの為に命を捧げるとかは、割とノリと勢いと集団心理と自己陶酔でなんとかなります。極端に言えば、たった一回だけ利他性を発揮すればいいので。その瞬間に気持ちが昂っていれば、普段は自分勝手な人でも命を投げ出せることはあります」
俺は思わず黙った。聖女様が言うことにしては身も蓋もない気がしたが、スヒリア様は冗談を言っている顔ではなかった。「もちろん、それが悪いことだと言っているわけではありません。誰かのために命を懸けられるのは立派です。でも私は、それだけを善性とは呼びたくないんです」と穏やかに続ける。
「私がすごいと思うのは、生き続けながら誰かのために手間をかけ続けられる人です。毎日働いて、自分の生活も守って、嫌なことも面倒なこともあって、その中で手に入れた時間やお金や労力を、少しずつ他人の幸福のために使い続けられる人。一回だけ命を捨てるのではなく、何年も何十年も、小さな利他性を積み重ねる方がずっと難しいと思うんです」
スヒリア様は腕の中の子の靴紐を結び直すと、ずれた襟まで整えた。本人は眠たそうに欠伸をしていて、自分のためにそんな話をされているとも知らない。
「例えば、自分も食べたいプリンを食べずに宴会へ持って帰ること。何度も留置所へ入る馬鹿を、何度目でも迎えに行くこと。ゴキブリを食べて病院へ運ばれた馬鹿も、ゴキブリとチョメチョメして病院へ運ばれた馬鹿も、『もう知らねえ…鉄格子つきの病院送ろうぜ』と放り出さないこと。相手が馬鹿なことをしたからって、見捨てる理由にしないことです」
「……それ、誰の話なんですか?」
「秘密です。でも、そういう毎日の面倒を引き受けることって、意外と難しいんですよ。一度くらいなら誰でもできますけど、二度、三度、十度、百度と続けば、普通は嫌になりますから」
そう言ってから、スヒリア様は俺の顔を見た。「ウシノスケさんだってそうでしょう。毎日、弟さんや妹さんたちの食べるものを探して、寝る場所を確保して、病気になれば心配して、自分がお腹を空かせていても先に食べさせる。それを一日だけじゃなく、ずっと続けてきたんですよね?」
「……別に。俺しかやる奴いなかっただけです」
「それでも、やったのはウシノスケさんですよ」
真正面から言われると、何と返せばいいのか分からなくなった。俺が黙っていると、スヒリア様は少し笑い、前を向いたまま話を続ける。
「それから、誰かに痛いことをされたからといって、その痛みを関係のない人へ渡さないことも大切です。酷いことをされたから、自分も酷いことをしていいとはならない。ありがとうと言うべき時にはありがとうと言って、相手の顔を見て、この言葉を言ったらどう思うかなって少し考える。私は、そういう小さなことを積み重ねられる力が、愛で、善性で、優しさなんだと思っています」
俺は弟分たちを毎日食わせるために走り回ってきた日々を思い出した。それから、オーエンが持ってきた袋の底に、硬いパンを噛めない奴のためだけに柔らかいパンが入っていたことも思い出す。あいつに礼を言っていない。次に会ったら、鼻くそを飛ばされる前に一回くらい言ってやってもいいかもしれない。
「じゃあ……オーエンも、そうなんですか?」
「オーエンさんは優しくも無いですし、性格も悪いですし、クズですけど、愛情深いですよ。優しさと愛情って、同じものではありませんから」
あまりにも迷いなくクズと言い切ったので、少し笑いそうになった。しかしスヒリア様の顔は柔らかく、本当に悪口を言っているわけではないことくらいは分かった。
「自分が大切だと思ったものには、とても手間をかける人です。本人は全部、利用するためだとか、損をしないためだとか、適当な理由をつけますけど。多分、本気でそう思っているんでしょうね」
その時、急に思った。冒険者になれなくても、働ける場所を見つけて、弟分たちを食わせて、それでいつかスヒリア様と一緒に暮らせたらいい。今なら言える気がして、俺は何度か口を開きかけたが、さっき頭を撫で合っていた二人の姿がどうしても邪魔をした。
「……スヒリア様。オーエンのこと、どう思ってるんですか?」
スヒリア様は足を止めた。抱いていた子を地面へ下ろし、その子が家の中へ入るまで見送ってから、俺の方へ振り返る。すぐには答えず、何か大切なものを思い浮かべるように少しだけ目を細めた。
「オーエンさんは、ものすごく傲慢な人です」
「……それは、まあ、そうですね」
「運命だとか、摂理だとか、神様だとか。そういったものが自分の欲求に反することを押しつけてくるのであれば、あの人は躊躇なく踏みにじります。世界が『これは絶対です』『どうやっても変えられません』と言っても、自分が気に入らなければ絶対に認めません」
スヒリア様は楽しそうに、それでいて確信しきった声で続ける。「自分の望む未来を得るまで、絶対に諦めません。何度失敗しても、何度絶望しても、勝てるまでやり直す。勝ち目がないと言われたなら、勝ち目ができるまで何度でも挑む。そういう、どうしようもなく傲慢な人なんです」
「褒めてるんですか、それ?」
「最高に褒めていますよ」
そこでスヒリア様は笑った。スラムで初めて会った日に見たものよりも、ずっと嬉しそうで、ずっと眩しい笑顔だった。
「だから、希望なんですよ」
その言葉だけ、少し声が優しくなった。「いつか来る、あの終末。誰も勝てない。どれだけ強くなっても、どれだけ準備しても、勝機なんて最初から存在しない。金剛龍帝には絶対に勝てない――そんな勝率0%という絶対の摂理すら、オーエンさんなら叩き壊してくれると思っています」
スヒリア様は少しだけ空を見上げ、それから俺へ視線を戻した。
「いつか必ず、
何を言っているのか、半分も分からなかった。ただ、その笑顔を見れば、オーエンがこの人にとってどれだけ大切なのかだけは、嫌になるほど分かった。
そして困ったことに、そんな顔で笑うスヒリア様を見たら、俺はさっきよりもっとこの人を好きになってしまった。同時に、オーエンのことはさっきよりもっと嫌いになった。次に飯を持ってきやがったら、礼だけ言って、その後で思いっきりローキックを食らわせてやろう。
ここまで読んでいただけて嬉しいです
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自分の知らないところで因縁の相手がボコスカにやられて、炭焼きバーベキューにされたと知ったチェイニーさんは仇を恩で返されたので大喜びした直後自己嫌悪で吐いています
「いや……待って。私の宿敵だよね? 私の人生のかなり大きい部分を占めてる人だよね? 何で私が知らないところで死んでるの?私の因縁のラスボス、私の出番無しで処理されたの?」