マルメロ家の日常2024~   作:大野 紫咲

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読み方は「かみをきる」です。
夜翰さんと兼さん、両方と付き合っている審神者のお話ですのでご留意ください。

七年ぶりにロングヘアを切り落とす決心をした審神者・紫咲(ムラサキ)と、そんな彼女の髪に込める思いや変貌を見て、側に寄り添ってくれる兼さんと夜翰さんの話。

しぶにも同じものを上げていますが、ハーメルンは改ページがない都合上前後半に分けて掲載します。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21813089


髪を剪る(前編)

 ある日の晩のこと。

 引っ越しの荷造りも本日分は一段落がつき、段ボールがうず高く積まれ始めた自室での、束の間のリラックスタイム。私は畳の上の布団でスマホを弄りながら寝転ぶ馴染んだ姿に、冬の間考えていた事を問い掛けた。

 

「ね、夜翰さん」

「んー?」

「今度、髪切りに行こうと思うんだけど……私がショートにしたらどう思う?」

 

 SNSでニュースをチェックしていたらしき褐色肌の美人は、ボブの前髪の下から瞳を上げて私を見た。数年の付き合いの間に、出逢った当初の少年らしいあどけなさは少しずつ大人びた雰囲気に変貌しているのを感じるけれど、アーモンド型の可愛らしい瞳の魅力は変わらない。

 何度か瞬きをしてから、夜翰さんはおしゃれなパジャマのまま、クレオパトラの休息みたいな寝そべり方で、ゆるりと首を傾げて言った。

 

「いいんじゃない?」

 

 意外とあっさりで、私は少し拍子抜けした。

 というのも、この子は私の長い髪を随分気に入ってくれていて、前に住んでいた家では、私がセルフカットを試みた際、髪を漉いただけでもあまりの勿体無さに半泣きになっていたくらいなので、もう少し反対されるかゴネられると思っていたのだ。

 その私の反応をわかっていたかのように、夜翰さんはスマホを枕の横に投げて苦笑した。

 

「そんな、ボクだってもう子供じゃないんだから、あんな我儘言ったりしないよ」

「いや、我儘だとは思ってないけどさ……でも、私の髪好きだって言ってくれたから、何か申し訳ないなって」

「まあ、確かにサキの髪は好きだけど、それ以上にあんたが冬の間中苦労してたの見てたからね」

「ああ……」

「ただでさえ体調が悪くて美容室に行けないのに、中身が重たくなった髪じゃ、お風呂の後もなかなか乾かないし、手入れしても毛先まで行き届かないし。肩も凝るって言ってたでしょ。それであんたが浮かない顔してるのと、髪が短くなるのとどっちがマシかって言われたら、そりゃあ……ねえ」

 

 くすりと笑って、お見通しだと言うように、私の額を人差し指で小突いてみせる。

 付き合いの長くなった彼には、私の考える事など初めから筒抜けだったらしい。説得も慰めも必要なさそうだと知って、私は笑いながら、彼の隣に寝転んだ。

 仰向けになった私を、夜翰さんが隣から覗き込む。

 

「それに、正直言うとちょっと楽しみなんだよね。あんたがボクと同じ髪型になるの、見た事ないし」

「出来ればちょっと長めに残してもらいたいんだけど、どうなるかなぁ」

「髪の毛、寄付するんでしょ?」

「そう。ヘアドネーションに送る髪は、31cm以上からじゃないとダメなんだけど」

 

 この溜めに溜めた長い髪を切る時には、ガンや病気の人達の為にウィッグを作る団体へ寄付したいと決めていた。それが今になるとは思っていなかったので、まだ少し迷いはあるし、実際にお店の人と相談してからにしよう、とは思っているけど。

 

「ま、とりあえず、予約しない事には始まらないんだし、さっさと美容室に電話すればいいんじゃない? どうせ新しい土地に引っ越したら慣れるまでバタバタするんだろうし、今のうちにケリ付けちゃった方がいいでしょ。あんたさえ元気なら、だけど」

「そうなんだよねぇ……最近はちょっと体調もいいみたいだし、今週は暖かいし、今ならチャンスかもなんだけど……うう」

「おいおい、もう寝ようって時に何辛気臭い顔してんだ、主」

 

 と、そこへもうひとり、よく私と一緒にいてくれる人……いや、刀がやって来た。

 既に顔馴染みになって久しい夜翰さんは、和装の部屋着を着崩したラフな格好の兼さんに、流れるように問い掛ける。

 

「ちょうど良かった。兼さんにも聞いてみればいいじゃん」

「んん? 何の話だ」

 

 どちらにしろ言おうとは思っていたので、私は胡座をかいて座った兼さんの横で、布団の上に正座をして告げた。

 

「あのね兼さん。髪を、その……もうバッサリ切っちゃおうかな、と思うんだけど」

「……!? え!? あ、は……や、どうした主? 失恋でもしたか? 何か嫌な事でもあったか!? それとも、誰かに虐められてっとか」

 

 彼にとっては、思いがけない事だったらしい。本気で案じてくれているのが表情からも伝わってくるが、想定外の方向への心配と激しい狼狽に、私の背後で寝転んだままの夜翰さんが笑いを噛み殺しているのが聞こえてきた。

 思わず慌てて、ぶんぶんと首を振る。

 

「ち、違うの! そういう訳じゃないんだけど」

「そ、そうか? ならいいんだが……主、その髪大事にしてたろう。しんどい時もずっと我慢して伸ばしててよ、よっぽど拘ってただろうに、それを切るなんて言うから、何かあったんじゃねえかと」

「ありがとう……兼さんは優しいね」

 

 そう言うと、大きな手のひらで頭を撫でてくれる。寒い冬、毎日お風呂に入るのもしんどかったせいで、すぐに乾かさず放置してしまったり、あまりヘアクリームを塗れなかったりと、手入れを怠ってカサついた髪を、兼さんは躊躇う事もなく手に取ってじっと考えていたが、やがてその手を私の頬に触れ、真剣に瞳を覗き込んだ。

 

「本当に、何もないんだな? 嘘じゃねえんだな?」

「うん。そのう……何ていうか」

「何ていうか?」

「うまく言えないんだけど……ただ、もう、もういいかなって」

 

 笑いながらさらっと言おうとしたけど、上手く笑えている気がしない。

 私が髪を伸ばしてきた理由は、色々ある。寄付したかったっていうのもあるけど、短かった頃の自分に戻るのが嫌だとか、一度切ったらもう伸ばせない気がするとか。何より『自分を変えたい』という思いで、少しずつ変化を積み重ねるつもりで伸ばし続けてきた髪を、そう簡単に切りたくはなかった。

 だって私はきっとまた、身近な他人の振る舞いを見て、私の色を変える。髪を切った事を褒められて簡単に満足すれば、そんな自分がダメ人間みたいだし、誰も振り返らなければ、一大決心を蔑ろにされるぐらいなら切らなければ良かったと後悔する。

 この髪をダシにして、自分自身が『変わったつもり』になる事が、怖かった。

 本当は、リアルの世界で結婚してからの四年間、自分を大きく変えられた事など、何一つなかったのに。

 

 でも何か、その糸がぷつんと切れたように、もういいのかな、と思った。

 多分、悪い意味ではなく、いい意味で。

 私が決めた事・私が決めた髪型・私が選んだ日常。誰が何と言おうと、どういう反応をしようとするまいと、もう関係ないのかもしれない、と。

 私にとってどれ程大きな決心であろうと、それが人にとっては取るに足らない瑣末な日常だなんて、わかり切っていた事だ。私が夢を叶えるか叶えないか、それすらも日々を生きる他人にとっては、目の前を通過していく一風景に過ぎない。

 それならば、私は今、楽になりたいから、明日に向かって誇らしくなりたいから、ただ髪を切るだけなのだ。それだけだ。

 そして、私の愛する刀は、多分それを見守ってくれている。たとえ今までどれ程積み重ねてきた事を、壊したいと言っても、疲れたと言っても、消えたいと言っても、黄泉路まで着いて来てくれる刀なのだろう。

 

(まあ、それはさすがに大仰だけどね)

 

 嘘を吐く事を許さない浅葱色の瞳に、私は微笑んで見つめ返す事で応えた。

 不安はあるかもしれない。迷いは尽きないかもしれない。でも、嘘は吐いてない。

 どうして、このひとはこんなに真っ直ぐ私の目を見るのだろう、といつも思う。私は頑張って笑おうとするのに、兼さんはそれを笑わないから、かえって私は泣きたくなるのだという事を、このひとは知っているんだろうか。

 

「ご、ごめん。何か変だよね」

 

 先に目を見ていられなくなったのは、私だった。

 悲しくもないのに、なぜか涙が溢れそうで俯いた私を、兼さんはふうと小さく息を吐いてから、もう一度優しく撫でてくれた。

 

「別に変じゃねえよ。あんたが何をごちゃごちゃ考えてるかまでは分かんねえけど、あんたの気持ちが嘘じゃねえのは分かる。だったらいい。切るなり煮るなり焼くなり、好きにすりゃあいいだろ」

「煮るなり焼くなりって……髪の毛食べる訳じゃないでしょ」

 

 様子を見守ってくれていた夜翰さんが、横からさりげなく茶々を入れてくれたお陰で、ようやく笑顔が少し戻った。呆れたように一緒に笑っていた兼さんが、私を布団の上に押し込みながら毛布を被せる。

 

「ったく。主はなぁ、たかが散髪一つに難しく考え過ぎなんだよ」

「はい、すみません……」

「それになあ」

 

 消灯して、自分も隣の布団に寝転がった兼さんが、長い髪を撫でながら瞳を見つめてくれる気配がした。

 

「主は今、こうやって生きてるんだろ。健康……っとはちっと言いがてえが、でもデカい病気する事なく、頑張って生きてんだ。髪なんてすぐ生えてくるじゃねえか。伸ばしたきゃ、また伸ばしゃあいい」

「ふふ、そうだよね」

「そんくらい、10年でも100年でも待ってやるよ」

「100年はどうかなあ……」

 

 兼さんがそう言ってくれたら、本当にそれだけの話のような気がしてきた。

 ぴたりと寄り添ったふたり分の温もりに挟まれて、眠りにつく。

 寝入る前、夢の入り口まで追い掛けて来てくれた夜翰さんが、そっと掬い上げた髪に口付けて、こう言ってくれるのが聞こえた。

 

「あのさ。ボクも兼さんも言い忘れてたけど、長くても短くても、ボク達はあんたの髪がみんな好きだよ」

 

 その言葉に安心するみたいにして、私は今度こそ本当に、意識を手放した。

 

***

 

 それから日を置かずして、私は近くの美容院に髪を切りに行った。

 前に何度か切ってくれた美容師のお姉さんを指名できたし、以前からヘアドネーションについては話を通しておいたので、協賛店ではないにも関わらず快く髪を束に纏めて切ってくれて、ものすごく有り難かった。

 

 美容院自体が、去年の春から数えたらほぼ一年ぶりみたいなものだ。

 約七年だろうか、長年の重さと長さから解放された髪は、お姉さんの手さばきによって短めのボブにされていた。顎や頬よりももっと短いくらい。多分、ショートの時でもこんなに短くした事はない。

 それでも、自然と鏡の中の自分が、何となく似合っているような気がした。

 ショートボブは元々好きな髪型ではあったけれど、私の憧れる誰か、とかではなく、きちんと“私”自身の髪になっている。そう思った。

 

 ブースを出て、玄関に近い待合の方へ戻ると、待っていた夜翰さんと兼さんが顔を上げて、ぱあっと表情を輝かせた。ふたりして嬉しそうにしてくれるのが、何かこう可愛いな……と思う。

 夜翰さんの方は明らかに嬉しそうにきらきらした目で、兼さんは……なんだかちょっと照れてるみたい? どうしたんだろ。

 どちらにしろ珍しい表情ににこにこしながら支払いを済ませて外へ出ると、隣に並んだ夜翰さんが真っ先に話しかけてきた。

 

「想定よりもだいぶ短くなったから驚いたけど、似合うんじゃない?」

「えへへ…もう少し長さ残すつもりだったんだけど、31cmで提出って事は、ギリギリで切る訳にいかないから40cmぐらい切る事になりますって言われて……なんていうか、ほぼヨハネさんと同じ髪型になっちゃったね」

「いや、ボクより短いでしょ。顔の横のこことか。まあ、お陰であんたの顔がハッキリ見えるようになっていいけど?」

 

 夜翰さんも、ボブにしてはだいぶ短い方の髪型だと思うので、私の髪がそれより短くなってしまった事が珍しくてたまらないらしい。

 興奮気味にぱたぱたと私の周りで踊るように眺め回していた夜翰さんは、兼さんの方を振り返って言った。

 

「それで? 兼さんからは何か言う事はないわけ?」

「んん? おう。似合ってるぜ」

「普通にさらっと褒めないでよ、このイケメンが……さっきまでボクと一緒にまごまごしてたくせに」

「別に褒める時くらい何言ったっていーだろ!?」

「ふふっ、もう……ふたりとも、おかしい」

 

 まだ冷たいけれど、確実に春の温度に近付いた風が、切ったばかりの髪と首元を通り抜けていく。

 襟足を刈り上げてもらったので、短いボブの後ろ側からは、まっすぐ顔を上げると微かに後頭部の刈り上げが見える。ほんの少しちらりと見え隠れする程度の長さを見て、夜翰さんが指に毛先を掬いながら、微かに目を細めた。

 

「おそろいだね」

「そう思った?」

「美容師さんにそう注文したの?」

「ううん。特に私が頼んでそう言った訳じゃないの。刈り上げにしたいとは言ったけど。だから……偶然とはいえ、ちょっとロマンチックだね」

 

 長かった時も隠れ刈り上げにはしていたのだけど、よっぽど髪の毛を上げなければ刈り上げにしている部分は見えなかったから、こうやってほんの少し見えるようになったのは、夜翰さんの髪型ともお揃いで嬉しい。

 髪が伸びて完全に隠れるようになるまでの短い間かもしれないけど、双子みたいな髪になったのが嬉しくて、思わず目を見合わせながら私達はふふっと笑う。

 その様子を、隣でそれとなく見守っていてくれていた兼さんの手を、私は手に取りながらぶらんと振って見上げた。

 

「兼さんみたいな綺麗な長い髪も憧れだったから、ちょっと残念だったけど……」

「まあ、オレは刀剣男士だから髪の手入れも霊力次第でどうにでもなるけどよ。主みたいな人の身じゃ、無理して洗ったり乾かしたりすんのも大変だろう」

「ん。特に体調が悪いとね……。でも、思ったの。私が伸ばしたかった気持ちも、兼さんなら、これからも一緒に背負っていってくれるのかなって」

 

 少し驚いたような顔でこちらを見下ろした兼さんは、気恥ずかしさで目を逸らした私を逃すまいというように、力強く繋いだ手を引っ張って笑った。

 

「当たり前だろ! 主が伸ばそうが伸ばすまいが、主が髪を大事にしてえ気持ちは、オレがきっちり抱えてってやるからよ!」

 

 春風に靡く、背中で束になったぬまたばの黒髪が、とても綺麗だ。まだ時期には少し早めの桜が、彼の後ろに舞って散るのを、私はこの目に見たような気がした。

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