瀬田薫をすこれ
「おや、起こしてしまったようだね」
目が覚めると見知らぬ白い天井、なんてことはなく、見知った古めかしい天井。ここは彼女の親戚のカフェらしい。
「目覚めの一杯をご馳走しよう。キミは珈琲と紅茶……いや、聞くまでもないか」
未だ目が覚めない僕をおいて彼女は話を進めていく。
首から垂れ下がるグラスコードをたどり、眼鏡を手に取る。そのまま眼鏡を掛けると、ぼやけた視界がクリアになる。
親戚のカフェの、僕と彼女のなじみの席。手を伸ばしたところには革製のカバーに包まれたシェイクスピアの著書。ついでに財布とスマホ。
「待たせたね。君の大好きなダージリンだ。安心してくれ、ちゃんとオータムナルだよ」
状況把握が終わり、身体を伸ばしていると彼女がティーカップを持ってきてくれた。
目の前に置かれたティーカップのハンドルを右手の三本指で摘まみ、鼻に近づける。眠気は吹き飛び、気分も落ち着く。そして一口。
「どうだい、今年初のお気に入りは」
とても安心する、いつも通りの味。一度で全て飲んでしまうのも勿体ないから、一度休んで本を手に取った。
オセロー。お気に入りの一冊で、四大悲劇の1つ。愛故に妻を殺害し、真相を知った主人公本人も後を追ってしまう、悲しい物語。彼女は目を背けていたが、やはり僕はこれが好きで。
「そういえば、夢は見たかい?さっきの睡眠が今年初めてだろう」
確かに夢を見た。懐かしい、昔の夢。僕が初めてあの人に、初恋の人に出会ったときの夢。
「もしよければ、夢のことを教えてくれないか?私もキミの初恋の人が少々気になってしまってね」
そう言った彼女は自分の分の紅茶を持って隣の椅子に腰掛けた。
僕が初恋の人に会ったのは小学生の頃。教室で一人寂しくオセローを読んでいた僕に声を掛けてくれた。当時の僕より身長が少しだけ大きくて、クラスの中でもそこそこの人気があったの彼女。そんな彼女は読んでいる本に興味を持っていたから、次の日までの期限付きで貸した。
次の日、朝一番に教室に来た。その次、あまり時間を開けずに彼女は教室に入ってきた。自分の席に赤いランドセルを置いて、貸していた本を返してくれて。その時、初めて僕が読んでいた本が面白いと言ってくれた。これは晴れたり曇ったりした4月のこと。
「そうか、キミと初恋の人は趣味が合ったんだね」
ほんと、僕と彼女は趣味が合った。
それからというもの、彼女は図書室や国語、社会の授業ではシェイクスピアのことばかり話すようになった。自分の好きな物を恥じることはなく、他人の感情、価値観に晒されて尚自分という芯を曲げない彼女。小学生ながら、憧れと恋心を同時に持っていた。自分の気持ちに気づくと溜息と涙が止まらなかった。
中学は彼女と同じところに行った。クラスこそ離れることはあったけれど、部活は同じだった。そこでも彼女は人気者で、主役級の活躍。僕はと言うと、変わらず日陰でみんなのフォロー。それでも彼女は僕を気に掛けてくれて、カフェに連れて行ってくれたり、本屋に行ったりした。多分、この頃から彼女はシェイクスピアの言葉を借りていた気がする。
「キミと初恋の人の思い出、というものか」
昔のその場に立ち返ったような夢だった。
中学を卒業してからは彼女は女子校に、僕は普通校に通ったから今度こそ離ればなれ。でもちゃんと連絡先を交換していた。決まってその月の23日と26日は顔を合わせていた。その日は彼のシェイクスピアの月没日と月生誕日。理由がなくてもその日は二人でカフェでシェイクスピアの話。このときも僕は彼女のことを好いていた、と思う。
「今でもキミはその初恋の人が好きなのかい?」
彼女は夢にまで出てきた。好き、とまでは言えなくても、僕の中で大きな存在であることには変わりない。
「少し、嫉妬してしまうよ。キミという人に憧れる初恋の人……私も会ってみたいな」
そう言いながら彼女はティーカップに口をつけた。話疲れた僕も紅茶を一口。
きっと、いや、彼女に会うことは出来るわけがない。
「……す、すまない。悪気はないんだ……ほ、本当だ」
少し、彼女は焦ったように言葉を並べる。
彼女には会えないのは真実。理由は簡単。
「まさか……その初恋の人は……はは、私は夢の中の自分に嫉妬していたようだ」
シェイクスピアの言葉を借りるのであれば、運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ。
「私の魂の行き先はキミの元、と言う訳か」
話が終わる頃にはティーカップの中身も、覚えていた夢のことも消え去っていた。
瀬田薫瀬田薫瀬田薫って言ってみたかっただけ