中央トレセン学園所属トレーナー。この肩書きを名乗れるようになった時、誇らしくなかったといえば嘘になる。ウマ娘の養成施設、その中でも名門中の名門と名高い中央トレセン。そこに勤め、ウマ科たちの可能性を引き出すトレーナーを目指す者は多いが、その夢を叶える者はほんの一握りだ。だからこそ、俺は新人の時、先輩トレーナー達の妙に生暖かい視線が不思議だった。今ならその意味がようやく分かる。この学園において、トレーナーの業務はやたらと幅広い。例えば――ASMR収録とかな。
放課後、俺が所用を済ませてトレーナー室に戻ったその時。妙な光景が眼に飛び込んできた。そこにいたのは、ほかでもない。身体をトレーナー室のパイプ椅子に預け、腹の上に両手を置いて眼を閉じている俺の担当バ、サトノクラウン。彼女の両耳には、イヤホンが付けられている。誰かの接近にも気づかないほどリラックスしきっている彼女の姿は、普段からすれば考えられないものだった。しかし、そのイヤホンは何とも接続されていない。
『君に、一目惚れだったんだ。』
「好……っ。」
机の上に置かれた彼女のスマホ、そのスピーカーからそれなりの音量で流れる音声に、クラウンは恍惚とした表情で身を震わせる。一体誰の声か。他ならぬ俺の声だ。しかし、担当を、ましてや未成年を口説いたわけではない。断じてない。俺のトレーナーたる誇りと三女神に誓ってもいい。
話は、一週間前に遡る。
「依頼ッ!トレーナー、ひとつ頼みたい事があるッ!」
そう叫びながら、俺がクラウン用のトレーニングメニューを組むべくこもっていたトレーナー室に理事長が飛び込んできたのは先週の事である。すわ何事か、新しいレースでも開催するのかと身構えた俺の眼前で理事長は小さな胸を精一杯反らせ、意気揚々とこう告げた。
「ウマ娘専用ASMR、その試作に付き合ってもらいたいッ!」
まるで意味がわからなかった。前半の辺りが特に。いつも通りたづなさんに電話すべく、俺がスマホを取り出した途端。理事長は必死の形相でその手に縋り付いて声を張る。
「制止、制止ッ!たづなを呼ぶのは待て、これはいつもの気まぐれとは違うッ!」
いつもの暴走は気まぐれによるものだったか、と俺が得たくなかった知見を得ている間にも、理事長は訥々と語り続ける。
「説明ッ!なんでも昨今、『トレーナーに励まされた事でやる気が出た』『褒めてもらえて、もっと頑張ろうと思えた』などの報告がウマ娘諸君からよく上がっている。また、そう言った彼女たちの記録を見ると、ある時期から急に実力を伸ばし始めているのも事実。ならば!いつでもウマ娘たちがやる気を出し、その力を引き出す為のツールを用意するのが私の役目ではないか、そう考えたのだ!説明終了ッ!」
説明を聞いても理解できなかった俺の動きを読んだか、俊敏に俺の手からスマホを奪い取る理事長。投げ捨てられたスマホが、窓の外に消える。
「故にッ!私が信頼しているトレーナー君にこの話を持ち込んだと言う訳だ!無論試作であるからそう時間はとらないし、それによって君の担当、サトノクラウン君が持てる力を最大限発揮できるようになるとすれば、悪い話でもないと思うが?」
担当を引き合いに出されても断り続けられるトレーナーはいない。かくして俺は迷いながらも頷いた瞬間にトレーナー室から引っ張り出され、いつの間に増築したのやら、まるで声優や音楽家が使う、防音の小部屋にマイクが置いてあるような空間に放り込まれ台本を渡されもっと言葉に感情を込めろだの心が入ってないだのと指導を受け、と、あれよあれよという間にASMRとやらの作成に付き合わされた。そして、激務の中でそんなことなどすっかり忘れ――話は今に戻る。
俺が思い返している間にも、クラウンのスマホは他人に聞かせたくないような音声を次々と流していた。
『君の中には、輝きが宿っている。誰よりも眩しい、君はそんなウマ娘だ。』
間違いない。俺の声である。先週理事長に渡された台本に書いてあった台詞である。
「中断、中断ッ!トレーナー君、やる気が足りない!それではただの棒読みだ、担当バが目の前にいるかの如く、本心を曝け出すように感情を込めて言ってくれ!もう一度、初めから行くぞっ!」
俺が放り込まれたマイク付き小部屋の外、何やら複雑な機械の並んだ前に立つ理事長にそう怒鳴られ、ここまできたら理事長が聞いていようがなんだろうが関係あるかと本気で読み上げてやった一文である。その甲斐あってか大いに満足していただけたようだが、いつの間にデータを渡したんだ。そして何故、クラウンはそれほど気持ちよさそうに聴いているんだ。
『君の輝きを、すぐ側で見ていたい。見させてくれないか、サトノクラウン。』
「係呀、係呀っ……!」
依然眼は開けず、こくこくと頷くクラウン。聞かされている俺としてはなんとも釈然としない。確かに輝いているとは思うが、直接言ってもいないのにそう喜ばれると胸の内に何かモヤが湧いたような気分になる。
『クラウンの走る姿が、俺はなにより好きなんだ。』
『あの時の君は、他の何よりも美しかった。』
クラウンの尻尾が、ばたばたと勢いよく揺れる。それを見ていると、ふと俺の中で悪戯心が囁いた。よほど満足なのか、頬を染めてため息をつくクラウンの背後へと、音を立てないよう回り込む。そして、
「いつもの君だって美しいぞ、クラウン。」
俺が耳元で、そう囁いた瞬間。クラウンが、吹っ飛んだ。比喩でもなんでもなく、本当に。怪訝そうに首を後ろに向け、俺の顔を認め、眼があったと同時に一気に反対側の壁まで跳び退ったのだ。
「あ、ああトレーナー?ごめんなさい、音楽を聴いていたものだから気付かなかったわ。さあトレーニングを始めましょう?」
顔を真っ赤にしつつ、落ち着いた態度でイヤホンを耳から外すクラウン。平静を装ってこそいるが、その背後では尻尾が思い切り荒ぶっている。
「それ、そんなに良かったか?」
「それ?あ、ああこの曲ね、そうね私一番のお気に入りと言ってもいいかもしれないわ。」
そうか、一番のお気に入りか。
「これからも、そうやって褒めた方がいいのか?」
俺が何の気なしにそう口にした、その瞬間。クラウンが一瞬凍り付き――ぺたりと両膝を床につくと、その眼に透明なものが溜まり始めた。待て、待て待て待て責めたわけじゃないから!落ち着けクラウン、ほらティッシュ!安心しろ、な⁉
「わ、私っ、もしかしてイヤホン……」
その縋るような顔に、俺は何も言わず頷くことしか出来なかった。彼女の赤かった顔が、一息で青くなる。
「あの、トレーナーさん。……正直に教えてください。一体、いつから?」
「君に、一目惚れだった。」
一番最初に録った台詞を口にしながら腰に力を入れ、動けなくなったクラウンを一気に持ち上げる。担当をお姫様だっこしたなど他の生徒に見られたらあっという間に噂になるだろうが、この際そんなことを気にしている場合ではないだろう。
「それぐらいでよければ、いつだって言ってやるのに。」
褒められるのは誰だって悪い気はしない、それぐらいは分かる。俺だって計画したメニューを先輩トレーナーに褒めてもらった時なんか、ガッツポーズのひとつでもしたくなるものだ。そう告げると、腕の中でクラウンが途切れ途切れに声を出した。
「ト、トレーナーさん……それ、本当ね?」
『見事です!大阪杯、勝利を収めたのはサトノクラウン!大阪の地に名を刻みました!』
あのひと騒動からそれなりに時間も経った後。他の誰よりも早くゴール板を突き抜けたクラウンが、手を振りながらこちらに歩いてくる。よくやった、クラウン!俺が親指を立てて見せると、彼女も満面の笑顔で手を振り返してきた。そのまま広げた俺の腕に飛び込んできて、こっそりと囁く。
「トレーナーさん。約束のもの、言ってくれるわよね?」
約束のもの。「騒動」の際、まだ目元も乾ききっていないクラウンとかわした約束だ。俺は観客に悟られないよう、あくまでさりげなくクラウンの耳に口を近づけると。
「今日の走りも、一段と素敵だった。最高だ、クラウン。」
効果覿面、緩む口元を両手で抑え、クラウンは顔を保とうとしている。これからライブもあるので、我慢が終わるのはまだ早い。
「……っええ、ありがとうトレーナー。おかげでライブも最高のものにできそうよ、それじゃあ後で!再見!」
しばらく顔をぐにぐにと揉んだり引っ張ったりしていたが、どうにか表情筋を宥められたらしいクラウンはもう一度観客席に両手を振ってみせると、地下バ道に消えて行った。それと入れ替わりで、こちらに向かってくる小さな影がひとつ。
「重畳ッ!あのASMRも、効果があったようで何より!」
理事長、お疲れ様です。俺が頭を下げると、理事長は笑顔で扇子を広げる。
「しかし、些か効き目が強かったか?トレーナー君の演技も中々大したものだったからな!」
演技?その言葉は、是非訂正していただきたい。
「俺。あの収録は、全部本心ですよ。」
何も隠すことは無い。春、彼女に、彼女の走りに一目惚れしたあの時から。俺は彼女の虜で、彼女以外見えていない。
最初が棒読みになったのは、単に理事長が――クラウン以外が聞いていたからだ。吹っ切るのに少し時間がかかっただけ。
「……本当か?」
眼を丸くして立ち尽くす理事長を尻目に、俺はライブを見届けるべく会場へと足を向けた。