そんな気がした、ある日のこと。
息を吐き出すと、街灯に照らされた白い空気が口から空へと沈んでいく。
唇に触れる木枯らしに負けて、毛布のシュノーケルを口元に巻きなおす。今だけは、この暖かな空気の中でしか呼吸ができる気がしなかった。
朝にテレビで見た通り、陽が沈んでからはずいぶんと冷え込んでいた。
泡のようにもこもこと着込んだ防寒具はなけなしの体温を守ってくれているけれど、何も守られていない頬はかなり赤らんでいるのを自覚した。
「────雪」
買い物を終えてスーパーを出ると、空を覆っているであろう雲から雪が降っていた。
宇宙の熱すらも通さない深海の底は、輪郭を見せることもなくただ何も見せないことでその存在を主張していた。
地面に落ちては静かに解けていくのをしばらく見つめてから、手袋をはめたままの両手を虚空に差し伸べる。
毛糸の上にのった綿雪が、海に帰らないよう気を付けながら静かに目を近づける。顕微鏡もなしに結晶が見えるわけでもないけれど、もしかしたらなにかが見えてくるんじゃないかなと気になってしまった。
あの、六角形の宝石みたいな形とか、鋭く伸びていく針葉樹みたいな形とか、綺麗に模様を刻んでいる城の柱みたいな形とか。
たくさんの結晶の種類があるのを知っていて。だけど、これはもしかすると今まで見たこともない、例えばくらげみたいな柔らかな形をしていることもあるんじゃないかなと、たまに思う。
「そうだ」
小さな結晶が吐息でしずくになったのを見てから、ポケットからスマホを取り出す。
みんなもこの景色を見ているかなと思ってメッセージアプリを起動すると、待ってましたと言わんばかりにチャットが動き出した。
『雪だよ!!!!!!!』と興奮したようなメッセージ。
寒々しい枯れ木がおしろいをしている様子を撮った写真。
楽しそうな『今から雪合戦をしましょう!』に対して『そんなに積もってないでしょ。てかこんな時間からできるわけないでしょ』とツッコミをするやり取り。
ふとした折に訪れる、笑顔になれる出来事があると、なんとなくおすそ分けしたくなるようになっていた。今までの私はそんなことしようと考えたこともなくて。だからやっぱり、これはみんなのおかげなんだろうなと嬉しくなる。
独りでふさぎ込んで諦めようとしていた私を引っ張り上げて、見たこともないような世界へ連れて行ってくれた六人組のマーチングは、今日も記憶のあわいに解けていくことも恐れず沢山の“笑顔”を積み重ねていた。
手袋をしたまま、人差指だけでスマホをタップしていく。
『私のところも降ってるよ。綺麗だね』
街灯に照らされて光をばらす姿を見ながら、これはどれくらい積もるだろうかと思った。あんまり雪が降ることがないからあんまり予想もつかなかった。
明日になれば、今日と変わらない街が広がっているのだろうか。もしかしたら、あっと驚くような銀世界が広がっている可能性だってあるかもしれない。
雪が積もったら、どうなるだろう。
真っ白な絨毯のように積もったその上を、太陽のような髪をした二人が駆け抜けていく姿はありありと想像がついた。
赤い瞳をした彼女はまた素敵な一幕を見せてくれるだろうし、隣にいる心配性な彼女は後先考えず走り回る姿に頭を抱えているのかもしれない。だけど、見えない場所にいる黒服の人達がなんとかしてくれるだろうと考えてしまうあたり、やっぱり私も頭を抱えられるような幸せの色に染められているんだろう。
そんな想像をしたところで、みんなで雪遊びをした記憶がないことに気が付いた。
出会ってからたくさんのイベントを過ごしてきたけれど、まだやったことがないイベントがあるなんて思いもしなかった。
客船に乗って怪盗と対決したり、海外へライブしに行ったり。普通に暮らしていれば起こるはずのなかったであろうイベントはあったというのに、意外と細やかで日常的なイベントはやったことがなかったらしい。
みんなで遊びに行くのも楽しそうだなと思ったところで、首元に冷たい風が走る。
「ひゃっ!」
思わず空を見上げると、先ほどまではゆっくりとまばらだった降雪はその勢いを少しずつ増していた。このままだと、帰るのが少し大変になってしまうかもしれない。
改めて時間を確認して家へ帰ろうとしたところで、ふと思い返してメッセージアプリの入力欄を叩く。
『積もったら、みんなで遊びに行きたいね』
明日の景色は分からないけれど、積もっていたらみんなでどこかへ行きたいなと思った。楽しいを共有して、いつかの日に「あんなこともあったよね」と思い出せるような、そんな日を増やしていきたい。
「うん、よし」
メッセージを送って、ちょっと一息。
きっと、積もらなくても遊ぶことになるだろうなと思いながら、家路につく。
古い地図を見る度に思い出すことがある。花火を見る度に思い出すことがある。化石を見て思い出すことがある。
そして、明後日からは、雪を見ながら思い出すことが増えていくんだろう。
一人での道のりは暗く寒いけれど、みんなの暖かさを覚えている。
宝石のような思い出が空を漂う間を泳ぎながら、私は明日の夢を見た。