その日は快晴だった。僕は空を見たことがないが、公共機関は快晴だと言っていた。目の前の赤子はにこやかに語り出した。
「夕立が勢いよく降っていたんだよ。はっきりと覚えている。庭、ああ私は当時それなりの広さの庭のついた家に住んでいてね、庭を眺めていたんだ。幼かった私はよく庭を眺めていたもんだ。その時はちょうど10歳くらいだったかな。とにかく庭を眺めていたんだが、見慣れないものを見かけてね。七面鳥さ。いや、人間だった。夢だと疑うところだが、七面鳥でありながらそれは人間だった。今の私なら『怪異』と呼んだだろうね。七面鳥で、人間なんだ。私はベランダの安楽椅子から身を乗り出して、まじまじと『それ』を見つめた。純粋に興味を持ったんだ。知らないタイプの生き物だったからね。傍らに置いていた杖を取ろうとした。立とうとしたんだ。杖は無かった。見れば、七面鳥が杖を持っていたんだ。笑っていたよ。杖を持っているところは人間だった。人間の手だった。他の部分は私が意識を向ける部位に合わせて、人間になったり七面鳥になったりしていた。私は笑ったよ。そして言ったんだ『お前を食ってやる』と。七面鳥はどうしたと思う?」
僕は答える。「怖がって逃げた?」いま正に僕がしようとしているように。この赤子はいきなり目の前に現れ、先の内容をにこやかに語った。ここらの近辺には庭のある住居はない。いま僕がいるのは、立体迷路のような路地と昇降機によってそれぞれ数千階の集合住宅が接続されている住宅領域だ。それと、この国に庭付きの家を持っている人間がいるなんて聞いたことがない。誰も許可されていない。市長も大祭司も庭付きの家なんて持ってないはずだ。そんなことをすれば秩序維持ロボットに拘束され地下深く深くに幽閉される。
赤子が顔を変えた。悲しみの表情を真似た顔だった。
「『信じていたのに』」
銀色の壁を伝って伝って薄暗い赤炎色が届き、視界を染め上げる。スプリンクラーが作動し、定期水洗を知らせるチャイムが鳴り出す。
「『空の上は、雲の上は、素晴らしいところだと信じていたのに。ああ、お前さん方は俺たちより不幸そうだ。俺はもうこの世界に絶望した。上下のどちらにも失望した。食べたいなら俺を食べてくれ。もう俺のやりたいことは何もない。新しいことを模索するだけの手持ちがない。持ち合わせの時間がない。未来がない。......食わないのか? さよならだ。じゃあな』それだけ言い残して七面鳥は消えた。後で七面鳥がいたところを見に行くと、羽根と少し血が落ちていた。七面鳥がどうなったかは私も知らない。杖は戻って来なかった」
赤子はだんだんと小さくなっているように見えた。頭はゆっくりと、体はかなり早く小さくなっていく。
「私が見たところ、形あるもので贅沢が出来ないだけで、君らには愛がある。空の上の人間たちが手離してしまったものだ。欲しい物はいくらでも手に入る状況で、他人に嫉妬することを止められず、どうにも個人差が生まれる心の豊かさだとかそう呼ばれるものを均せ、さあ一兆総平等だと叫んだ結果、愛は禁止された。一定の労働を行えば対価として人間としての扱いから解放され、後半生を獣として自由に生きることができる。87年前に天議会で決められたことだ。最大幸福法とかいう名前の法だ」
赤子は全身でこぶし大を下回る小ささにまでなった。止まらない。スプリンクラーも止まらない。チャイムの音量が少し上がったような気がした。まるで赤子の声を圧し潰そうとしているかのようだった。壁の鏡面に反射した赤色は増々強くなっていた。
「私はやっとあの七面鳥と同じ気持ちになれたかもしれない。盲目的に生を一つのことに費やし、それが成ったあとの、この、感慨。言葉にならない。だからこそ」
口などもう見える大きさではないというのに、豆つぶ大になったそれの声は酷くはっきりと聞こえた。
「残念だ。心のどこかでは信じていた。地の下は楽園だと信じていた。とても残念だ。ああ、残念だ」
赤子はスプリンクラーの水に流され排水溝へと消えた。
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