学生で構成された警団組織、銀狼隊。その幹部である朽羽那由多が偶然足を運んだ先で、無惨な遺体を垣間見る。弔いを決起したその晩、同じ氷雪使いと相対した。
氷華舞い散る戦場は、次第に個々の思いが交差していく。

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第1話

 銀狼隊やそこから派生する警団組織には活動の支援を施す協力関係が多々組まれている。市民にとって身近な八百屋ですらも、夜には戦闘員の出入りする基地となり得る。

 黒豹隊と違い潔白な間柄で様々な隠れ蓑を用意出来ることは民間を守護する上で大きなアドバンテージであり、裏を返せば黒豹隊にとって早々に潰しておきたいアリの巣でもある。

 故に避けられない。協力関係を築いた気のいい店長が氷漬けにされているのを、奪われた体温を、朽羽(くちば)那由多(なゆた)は弔う事でしか誠意を示せない。

 彼とて覚悟の上だろう。優先的に護る契約をしたところで、通り雨に傘を差しに行くなんて真似は出来ないのだから。

 それでも街を守りたくて銀狼隊を頼った想いは、死と隣り合わせで生きる覚悟とイコールでは無いのだ。恐怖で停止した顔には心做しか無念や絶望、恨みすら透けて見えるようだった。

「すみません。仇は必ず」

 氷漬けになった店長の頬を触る。人どころか店一つが凍り付いている、氷雪能力を持つ朽羽だから分かるが、相当極めなければこの域まで達しないだろう。想像通り、素手で触った氷は焼けるようなヒリつく痛みをその手に残す。

 きっと凍らされてから全身を炙られるような痛みに苛まれ、死を待ったのだろう。急速に消える命の温度を自覚して酷く恐れたのだろう。人の負に触れ続けた朽羽にとって、痛い程理解してしまうことだった。

 冷蔵庫のように冷えた店内、そして住居空間へ足を進めれば一人の子供の氷像がある。

 自分の無力を、どうにもならない結果を悪辣に突き付けてくる惨状に三つ編みの少年はイラついていた。弔いの意は程々に、彼の動機は己から湧く怒りに染まろうとしている。

「勝てると思うなよ」

 紅蓮の闘志は静謐に燃ゆる。

 

 明かりの付いていないボウリング場に三つの人影がある。窓から差し込む日差しは互いの顔を見える程に室内を明るく照らしているものの、広々とした空間では心もとない。自然と場の雰囲気も薄暗くなるものだが、青髪の青年と赤髪の少女を置いて、紫髪を長く垂らした青年が笑って口を開いた。

「オツカレ! 不知火(しらぬい)チャン。ワンコに直で喧嘩売った感想はどーお?」

 爽やかな笑みと裏腹に、口調から全方位への侮りが滲む。実際労った青年へ目もくれずボウリング球を持つのに夢中な様子だった。紫髪の青年は無数にあるレーンの内、唯一ピンが整列したレーンへボウリング球を持っていく。よたよたとわざとらしく緩慢な様子は不知火と呼ばれた青年の癪に障った。

「別に、お前らと違って大義なんかないんだ。報酬の良し悪し程度の感慨しかない」

「えぇ? これからバチバチにやりあっちゃうかもなんだよ、怖いよーアイツら。オレ犬嫌いだからマジ怖い」

 ペンギンのような足取りでレーンに立った紫髪の青年は、いよいよボウリング球を放る。地に落ちる林檎を彷彿とさせる一直線の軌道を縫う球体は、コントロールこそ目を見張るものがあったが、勢いがお粗末であった。

 投球後のフォームで硬直した青年が、おもむろに声を上げる。

「うっ肩痛めてしまった! これじゃやろうと思ってたことも出来ないなぁー! 誰かが会合の場所を人気のない場所って言うからだー」

「は?」

 投球に使った肩をわざとらしく抑え、ピンに辿り着かない球を傍に不知火へ目配せした。道化でも見下げる大根芝居っぷりに思わず率直な敵意が零れるが、一応理性的な言葉で真意を促す。

 不知火が咳払いをして対話の空気を仕切り直そうとする。が、合わせるように青年が叫ぶ。

「痛いよー! 助けてワンコ隊!

「早く言え」

 真面目に対話しようと試みた自分が愚かしく思える。自分の逆鱗は兎も角として、連れの少女の堪忍袋に限界が来そうなのを悟り、この場を一刻も早く打ち切ろうとした。

 不知火の調子を子気味よく裏切り、途端真面目なトーンで話し始める。

「って感じで、多分あの街の人間はパニックだと思うんだよね。だから、後処理までお願いしてほしいワケ」

「はあ。トカゲの尻尾になる気はない」

「ヒュー! それは誰が来ても倒す的な?」

 少女の被るベレー帽がこそりと動いた。退屈そうに静止している段階を越え、今にもグダグタとした空気を焼き払いかねない敵意を紫髪の青年に向けている。態度だけなら許容出来たが、自分達がいいように扱われる可能性は何歩たりとも譲れない。青の青年、赤の少女の総意である。

「ワオ。こわぁい」

「不知火、僕らは手を組む相手を間違えた。そう断じるには充分じゃない?」

「まぁ待て。俺らを使い切る程余裕はないだろ、なぁ?」

 徹底してるな、と紫髪の青年が内心でため息を吐く。こんな戦力を傭兵として雇えるなんて僥倖、と喜んだのも束の間だった。敵の敵になってもらうのが関の山で、決して黒豹隊の味方になる気はないらしいと結論付ける。

 赤髪の少女はあどけない声を畏れる程冷たく落とし、最後の警告に等しい言葉を向けた。

「僕らはお人好しじゃない。内容と理由と追加報酬、端的に」

「はぁい。まず現状整理。ワンコの拠点を一つ潰せてハッピー! でももう嗅ぎつけられそうでやばやばー」

「おい、お前らがどうにかするって手筈はどうなった」

「そこが問題点、ワンコのボス級が結構近くにいたみたいでアンラッキー。だから急遽隠匿から舵を切るの、下手に追い回されるくらいなら互いに痛み分けしようぜ作戦に」

 意図が伝わった上で婉曲な語り口。どうやら道化らしい振舞いは素らしい。幸いほっといても口を回すようになったと見て、赤髪の少女は判断を不知火に任せ始めた。

「第一条件として、こっちの戦力になるキミらを失いたくない、だからどうもつれ込んでも絶対に撤退させる。そのうえで、報酬は丸々上乗せと行こうか。一ヶ月は暮らせる報酬がジャンプアップ、んもぅ太っ腹! こんなの乗るしかなくない?」

「飲む理由がない。その通り今回の報酬で充分活動資金は蓄えられる、黒豹の窓はお前だけじゃないんだ、リスクを取る必要が俺らにはない」

「いいやあるね。その決断をしたキミらを匿う理由はない、信用が命だってわかってんじゃない? なら、互いの安全には命使ってもらわなきゃ」

 双方、喉の隅に相手を追い詰める台詞は残っていた。それを切らない理由は多々あれども、取引として成立させるための意識として共通したものが一つ。落としどころを見つけるという目的、相手の粗を突き続けてもリターンが無いなら、自分が納得行く状態で関係を良好に進めるのが正しいと分かち合っているのだ。

 牽制じみた舌戦が数回行われる。そして、両者は沈黙した後に小さく息を吐いた。

 紫髪の青年はやはり安心感を露骨に表現した様子、青髪の青年は漸く終わった、と厭気めいたもの。

「じゃ、段取りを組もうか。あぁ、その前に。ささ、どーぞ」

 水色のマーブルが描かれた球体を不知火へ渡す。やけに軽々しく渡すが、紛れもなくボウリングの球だった。目線で分かる、親愛の証とでも宣うんだろう。

 不知火はそれを片手で預かり、構え直す間もないままピンへ放り投げた。

 空気が入ったそれと勘違いする程軽やかな動作で投げる様子に、紫髪の青年は顔を引きつらせる。スペースを開けようと移動し始めていたのが仇となり、危うく顔面へ衝突するところだったのだから。

「そういうのは必要ないだろ。さっさと始めるぞ」

 

 同日夜。桜は散り、新緑の葉は暗く艶めいている。

 春の陽気が残り香のように揺蕩いつつも日差しが埋もれた街路は、この上なく過ごしやすい。

 銀狼隊支援部の手腕は見事なもので、支援部を指揮する幹部まで後ろにいれば大抵の前準備に困らない。よって、銀狼隊の簡易拠点、加えて尊き人命を二つ奪った敵の足取りは少年の手中に収まっている。

 灰色の頭髪を三つ編み状に結んだ少年は、陽だまりの日常で見せた笑顔を片鱗さえ隠し込んでいる。静謐な街の誇る中規模な自然公園の存在感が、彼一人と拮抗してすらいた。

 青と赤の混じる眼球が一人の人間を視界に捉えた。距離にして体育館の幅くらいはあろう長さ、間合と呼ぶことすらおこがましい空間の隙間を加味しても尚、三つ編みの少年、朽羽那由多は臨戦態勢へ移る。

 人影に異形は見て取れない。ただの民間人である可能性が彼の秤に乗せられ、故にその行動がはじき出される。

「小手調べだ」

 朽羽はけだるげに腕を振り上げる。虫を払うように無造作な動作から、目を見張る氷の波濤が人影へ突き進む。銀狼隊と親密な関係を築いているこの街で避難勧告でも出せば、呆気なく護るべき人間は消え去る。護るべき住居はあるが、だからこそ中規模公園は都合がいい。

 民間人を避難させ、戦場になりやすい場所で一人佇む人間。彼にとってそれだけで攻撃理由足り得た。

 襲う波濤、感知した人影は一歩も動かない。避ける素振りを見せない相手を訝しんだが、瞬く間に疑問は晴れる。

「この程度か」

 波濤と称したそれは大体人間の背丈ほど、繰り出せば充分決定打になる高さだが、人影はそれより一回り大きな規模で氷塊を跳ね返す。否、同等以上の氷を繰り出し飲み込んだ。

 ビンゴ。朽羽はほくそ笑む。紛れもなく店主を襲った者と同一人物だ。ならば遠慮は要らないと、日常に潜み隠れた好戦的な笑みを剥きだした。

 見上げる程の氷波をせりあがる氷壁で遮断する。シンボルタワーに見間違える高さでそびえる壁は朽羽と人影を遮断する。視界を切ったところで、朽羽は自身の足元から氷塔を伸ばし始めた。高所という至極単純なイニシアチブを奪取するべく取った行動は迅速で、瞬く間に場を見渡せるようになったが、草原を凍てつかせるぶつかり合いに戦慄を浮かべた。

「はは、これは、加減しちゃむしろ不味いかな」

 氷壁の縁に立って敵影を探した。どうやら壁の真下にいるようだが、氷を乗っ取ろうとしてもそうはいかない、敵影を貫かんと、自ら作り出した氷壁を弄り氷槍を突き出した。前触れのない爪牙が敵影に迫る、果たして同じ組織の能力者が何人躱せるだろうか。

 人影の様子に変わりはない。蒼々とした地で映えある鮮血の紅は一滴も見受けられない。どころかそれは、何かを構えている。

 けたたましい破壊音は硝子細工の棚をひっくり返したようにヒステリックで甲高かった。一瞬で伝播する罅を皮切りに氷壁が微塵に粉砕される。頂上に立っていた朽羽は無論浮遊感に苛まれ、コンマ刻みで地上に衝突しかねない。

 高所にそういったリスクがあるのは重々承知だったが、相手の手の内からしてこのような破壊力を有する方が彼にとってイレギュラーだった。焦りはない、あるのはフラットな驚嘆のみ。

 この着地が生死を分けると言って過言ではない。空中にいる自分を追撃する素振りはないことから、接地の隙を隠し持った怪力で迎撃する気なのだろうと朽羽は推察する。

 侮ってはいけない相手と理解しながらこうも思う。氷雪能力者としては、自分が一歩抜いていると。

 その双眸が見えるようになった瞬間、敵影の周囲ごと凍り付かせる。その間に作成した氷のスライダーを滑り、冷凍された相手を傍目に無事着地を果たす。

「さて、それはどうする?」

 見たところ武器を持っていない。隠し持った一回きりか、それとも。

 再び破壊音。その敵影は自分を余すことなく纏い絡んだ氷塊を、内に秘めた力だけで粉砕して見せた。

「混ざり物か、厄介だ」

 天は二物を与えず、それはよくいったもので、異能の内包は一つまでがこの世の常識。鬼の怪力、霊の幽かな身体といった種族特性を持つ所謂異種族は、人間が時折持つ反世界法則の即ち〈能力〉を抱いて産まれ出づる事は無い。ただ、人間の血が混ざればその例ではなかった。

 朽羽は脳裏に先代隊長(半人半鬼)を浮かべ、早々に消し去る。

 鬼と人間の混ざり物でなければ、あの底力と自分に比肩する氷雪の両立は不可能だ。

 となると今の間合は不味い。お互いの顔が鮮明に分かる程の間合、朽羽が接敵に二歩有する距離を相手は一歩で済ませてしまうのだろう。

 功もあった。その特徴的な顔を視界に収めたのだから、次があれば間違えようもない。敵影は朽羽のメッシュカラーと同じ水色を頭髪に宿し、正面から見たその眼孔は右に蒼海、左に鮮紅を嵌めている。朽羽と違った赤と青の分け方に、しかし親近感が湧いている。

 青年からも仕掛ける気配はなく、休息や備えのような時間が流れる。

「一応聞いておこうか。名前と、種族は?」

 眉を落とした青髪の青年は、相手が会話を求めると思わず思考する。

 密かに氷片を握りしめて、言葉と共にそれを放った。

「不知火。種族は、お前次第でじきに分かるさ」

 ピッチャー顔負けの剛速球は朽羽の顔目掛けて飛んでいく。瞬きの間に正面へ迫った氷片だが、投擲という行動な時点で予兆はあった。大袈裟に身体を横倒しすることでなんとか右耳を少し抉るに留まる。

 朽羽は自分の寒気を認めた。凍てついた大地でも、耳から滴る痛みからでもない、投げる動作を見切ってすら躱しきれない攻撃を放つ不知火という男に対して、彼は畏れを抱いた。

 朽羽が身体を逸らすと同時に不知火は駆け出す。次の歩を考えない全力の初速は、この一撃で相手を殺すと宣言している思い切りがあった。朽羽の推測通り、その飛び蹴りは一歩の最中に繰り出される。

 完全に空中へ浮いた不知火を再び氷結が襲う。瞬きすらも要らない速さで蒼く染まる身体は慣性だけが虚しく残り、技の冴えが失われた以上朽羽は容易に躱す。

 凍り付いた身体が氷上に乗って滑られても困ると、朽羽は設置する前に地面から氷槍を突き上げた。生身を穿ち抜く一撃にも関わらず、氷槍は不知火の肉体と拮抗し、砕けながらその身を打ち上げた。

「はぁ? どうなってんだよ」

 最早浮かぶのは笑みである。

 宙に放られた頃には自分の身に張った氷を砕き、不知火の表情筋は難儀を浮かべた。負ける相手では無いと断じているが、不知火の勝利条件は負けない事ではなく追い払う事である。自分は仕留められないから諦めて去れ、と強さを誇示して。

 ただ、それを通すには朽羽が持つ攻略の猶予が多い。自分を明確に上回っている証、瞬間凍結と脳内で称したものはその大きな例だろう。手早く終わる残業という認識を改め、忌々しくも策を練り始めた。

 

 季節外れの木枯らしが街を泳ぐ。建物を掻い潜って凍えさせる風は街に住まわぬ異能者へ平等に吹き荒れた。

 そのうちの二人、両手をポケットに入れ肩を震わす赤髪の少女と細まった目で凍て風の根源を見る紫髪の青年は同じ思いを共有する。

「帰りたい」

「あれ、今初めて奏雨(かなめ)チャンと意見あった? 分かる超分かる、すげーサムくて」

「無駄話する気はないよ」

「言い切ってないって、ヒドいよ」

 口をすぼめて気落ちする青年を視界にも入れず、眉間に皺を寄せてまで少女は目を凝らした。冬の残滓には似ても似つかない寒波は眼球を手痛く乾かすが、想い人の繰り広げる激闘から目を離すまいと純情な程に見つめている。

 二人が立つ場所は小学校の屋上、時折公園を使った催しが行われる程に近い位置関係、加えて高所ならば観戦にも丁度いい。尤も不法侵入ではあるのだが、痕跡は一つも残さない為に咎められることはないだろう。

 青年はと言えば、蒼氷波立つ戦場から外れた抜け殻じみた街を眺めている。視線を方々に移して、何かを探しているように。

 そんな青年をよそに奏雨は呟く。

「もう潮時なんじゃない」

「んー、どうだろうね。どっちかに底が見えてきた? まぁ、奏雨チャンが行かない時点で不知火チャンはまだまだ元気ハツラツだろうけどさ」

 否定を語る沈黙で返す。奏雨の目に映る二人の氷使いは現状互角、それもしのぎを削り合う接戦ではなく切り札を隠し続けながらやり取りする余裕っぷり。初めは不知火の優勢と思っていたが、存外相手が粘っている、瞬間凍結を用いた中距離での戦闘がこなれていた。

 目に見えて格闘戦に持ち込もうとしている不知火を力のやり取りから外れた土俵で受け流し、その片手間で繰り出す攻撃はより冴えを光らせ、局部や眼球などの肉体強度を反映しない弱点へ繰り出されている。

 極小の弱点へ点で行われる攻撃は手数を持ってしても、不知火にとって防ぐのにそう難を要さない。更には目まぐるしい近、中距離戦では朽羽の繰り出す攻撃のバリエーションが減ってしまうのを見込み、不知火が攻撃を掻い潜る場面も幾つか増えてきた。

 突くのが困難な弱点を穿たねばならない相手と打撃を一つ叩き込めばいい不知火のマッチアップという形式を見た奏雨は、不知火が為す術なく敗北を喫する事なんてないと理解する。その事実に大きな安堵を覚えるが、こうも思う。

「なら、僕らが介入するタイミングはどうなるの」

「んー、どうしよっかな、教えてあげなくもないんだけどー」

「突き落とすよ」

「暴力的な子はモテないぞ! モテなくていいんだった、このリア充め! あぁ、うん、話すから待ってよ」

 少女の有言実行を恐れ青年は道化を辞める。今にでも行動に移すと思わせるには充分な冷淡な眼差しだった、言葉尻は切望に近い。

「まず一つ、不知火チャンが切り札を切ってしばらく。二つ目、不知火チャンが超追い詰めちゃった時。一つ目はまぁ、ダメ押しかな。アレは凌げたとしても生半可じゃないでしょ、余裕綽々って感じならむしろ戦況が不味いし。で、二つ目、これについては別にいいじゃんとか思ってるんじゃない?」

 奏雨は再び口を結ぶ。向かう青年もなんとなく扱いが分かって来た様子だ、なにしろ彼女、否定のレスポンスだけはやけに早い。

「ダメなんだなーこれが。向こうが奥の手を出したら、もうオレらじゃ介入出来ないの。不知火チャンが勝つか那由多チャンが勝つかのどっちか」

 赤髪の少女の間で二つの疑問が沸き立つ。ひとまず先に聞いておきたい本筋を質問に選んだ。

「追い詰めたら奥の手を出す。道理は分かるけど、ならそのまま殺せば良い。それに、介入が出来ないのはどういう事?」

「うわ、会話に興味持たれるの嬉しい。まずね、殺すのは多分無理、出来たら凄く嬉しいん(メチャハピ)だけど、そこまで彼は甘くない。で、介入出来ないのはそのまんま、オレらじゃ物理的に届かない」

 上機嫌で真面目にも関わらず真に迫ることは言おうとしない。きっと疑問を綺麗さっぱり解消するような説明はされないのだろうと悟る。そうして、やはりチラつく疑問を提示した。

「やけに詳しいね。知り合いなの、アレ」

「那由多チャンの事? ボチボチね、んまぁオレも黒豹の重役だし? ワンコの偉い人には面識があるワケ。打てば響くって感じで面白いしね」

「一応。共謀ってことはないよね」

「ないないぜーったいないね! オレの事超キラいだもん。それに、ワンコの幹部と易々話し合える環境じゃないよ、今は」

 色恋の誤解を解くようにはしゃいだかと思えば、崩れた泥団子を見るような哀しい目を見せる青年。

 奏雨は流し見ながら、思い当たる記憶を掘り起こす。確かそうだ、不知火がかつて見せた亡き望郷を想う顔、紫髪の青年が見せた目は、それと共通している。黒豹隊へ肩入れするつもりのない彼女にとって取り留めのない事だが、この戦いが終わっても思い返すのだろうと彼女自身自覚していた。

「それより、そろそろターニングポイントじゃない?」

 諫められた奏雨は視線の焦点を凍てついた戦場に戻す。以来、戦況が動くまで青年が口を開くことはなかった。

 

 氷上戦闘の心得がある者同士の戦いでは慣性をどう乗りこなすかも重要である。自分が足を取られないのは当然として、自ら張った氷をどう利用して相手を出し抜くのか、その点において能力の精度が上の朽羽は先を行っている。

 攻撃で姿勢を作らせたタイミングで氷塊を突き出し押し返す、再び間合は開いて格闘の及ばぬ距離となる。

 いたちごっこのような徒労感に思わず不知火はため息を見せる。攻略の糸口は見えてきても、実行するのが億劫だった。

「不知火だっけ、君。どうして黒豹隊に手を貸してるの?」

 集中が途切れた相手をここぞとばかりに揺さぶる。舌戦になれば願ってもない、そうでなくとも待ちの戦いで相手の思考を阻害するのは戦いの鉄則と言えるだろう。

 不知火に答える義理は無かったが、相手が思う程自分は余裕が無い訳じゃない。彼は深呼吸ついでに答えた。

「どの世界も裏の仕事は金払いがいい。なによりやる事が単純だ」

「面白い言葉選びだ。まるで今と違う世界を見てきたみたいな言い方だけど、後学の為に聞いてみたいものだね」

「言葉の意味そのままだ。さて、おかげで落ち着いた」

 朽羽は相対する青年の雰囲気がどことなく変わったと思う。今までが血も涙もない破壊者然とした振る舞いだとすれば、今はまるで、何かを尊び決心し、目的の為に技を振るう銀狼の同胞らと同じ意志の形をしている。

「あんまり使いたくないんだがな」

 不知火はその手に氷像を持つ。円筒状の持ち手の先、波打つ両刃は波涛の結晶。一度振るえば宙が悲鳴をあげるそれは、歪ながらに剣だった。

 この技は俺が否定したかったものだ。不知火は心の底で呟く。

 踏み込んだ足を押し出すように不知火の足元がせり上がる。氷で射出された不知火の身は右腕を内側にしており、次の瞬間で斬り掛かるのは一目瞭然だった。可視化された殺意の射程は威圧めいた迫力を朽羽に見せる、その致命的なまでの隙が凍結を越え、刃を繰り出すに至った。

 前かがみの水平右払いでは左側の敵へ技を当てるのは至難であり、体制を整え技を変える必要がある。朽羽は思考を介さず、反射で正解を選び取った。その間は整数に満たない。得難い友人との並々ならぬ模擬戦に見せた回避運動が、剣士を相手取る経験の蓄積を表面化させる。

 腕を振るう不知火と、剣奴の左手方向へ駆ける朽羽の動き始めは同時。ただ移動されただけで仕損じる使い手ではないが、朽羽の次手は驚くほどに巧妙で、故に二度とない精度だった。右腕が動き始めるタイミングを勘で見切り、太刀筋も分からない相手の腕の軌道先目掛け氷柱を生やす、鋭利な殺傷用ではなく文字通り円柱状の氷を選択し、円柱で()()()()()()()()()ことを選択した。

 迫力に気圧された失態から瞬時に凍結が行えないことを理解、相手の横薙ぎと速さを考慮して氷円柱を発生させる冷気の準備と実行。その全工程を脊髄反射でこなしたその手腕は、綻びが許されない気高き銀狼の権威に相応しい超人離れである。

 真下から伸びる氷円柱に弾き飛ばされ、不知火の一閃は山奔る気流のように屈んだ朽羽の頭上を縫う。相殺も受けも選ばなかった彼の選択は、ほんの少しズレれば脳髄を散らしていた。

 然らば、相対する者も同格である。それはまるで鏡面のように。

 視界外の攻撃に対する慣れを済ませていた。下から一直線へ繰り出される攻撃と認識し、それが聳える事も察しが付いていた。

 不知火の猛追の慣性は尚も生きている。或いは死にかけた勢いを、伸びてきた氷円柱を左肘で掴むことで生き返らせたのだ。片手剣の利点共々発揮される移動剣は不知火の本領であった。

 不知火の左を通り抜けるように前傾姿勢で移動する朽羽と、突如出現した柱をよすがに左回りで急旋回する不知火。それは皮肉にも目論見を通した少年が背後を取られる構図になる。

 否、目論見から外れ、不知火の右半身が瞬間的に凍結する。

「マジか」

 既に何手も奸計を凌ぎ合ったが、ここで初めて完全に見誤り、それを口に出した。朽羽が予想だにしなかったのは不知火の瞬発力と理性である。

 鬼という種族は闘争的な快楽主義の()がある。人間の血が混じっていようと、如何に賢者であろうと、人間が満足を知らないように鬼もまた闘争から至極な悦を見出さずにはいられない。故に勝負を長引かせ、相手がしびれを切らす期を待った。朽羽那由多の目的は、相手を不満足に陥らせ、最善からかけ離れた力押しを選択させること。人柄を知らぬ故の誤算、不知火は、例え遠回りであろうとも目の前にある最善の手を選び取り続ける。

 半身が凍った青年は、あろうことか大きく笑う。戦いに享楽を見出した鬼をありのまま、体現するように。

「そうか、お前の凍結は──!」

「分かった、ところで!」

 動きの止まった不知火へ転身、今度は凍った右側へ跳躍した。自由の利かない相手の側面へ回り続ける滑稽な優位は、人間の身体に縛られた彼の生存戦略である。三つ編みの少年は相手の頭部にピントを合わせ、右手を放った。手先に留めた殺人的で緻密な冷気を保つことに、彼は意識を割きすぎていた。

 余力が消えた時点で拮抗は崩壊し、天秤は傾く。

 不知火の身体は不自由でも、手に握られた氷剣はその者の手足と同義。不知火由来の氷が新たに切っ先を象る。せせこましい猫だましも、相手から近付いてくれれば立派な不意打ちと化すだろう。氷剣が奏でる形成音も、氷上の舞踏に掻き消えた。

 絶海じみた一辺倒の青は、赤黒い死の紅を写す。滴り落ちる前に、青く染まり砕け落ちた。

「ぐっ」

 首の右側面に鋭い痛みを感じた朽羽は、おぞましく溢れる血を幻視する。突如その右手を自分の首へ当て、徐々に傷口は凍てついた。無論彼の氷が首元へ密接に位置するのは絶望的なイメージしか湧かせないが、塞がずにいるよりも長く戦場に居られると判断した朽羽は躊躇いなく傷を塞ぐ。

 常人からかけ離れた低温耐性と言っても、朽羽に勝負を急ぐ必要が出てきた。

 対して余裕の生まれた不知火。相手が間合を離す間に右半身の氷を砕き、澄ましながらに粗悪な笑みを見せた。伸ばした刀身を見せ付けるように切っ先を朽羽へ向ける。

「お前が常に相手を動かし、待ちの姿勢を取る理由、それは」

「「そうせざるを得ない」」

「から、だよな。顔に出したのが決定的だ」

 図星を突かれた朽羽は潔く認める。この際自分で語り、ブラフを混ぜるのも良かったが、得意な語り口には明晰な確信があるだろう。時間稼ぎに乗ってやる選択肢を選んだ。

 自身の真髄で逆境を切り返す。朽羽に秘められた氷点下の傲慢は未だ敗走の一切を否定していた。

「あの状況じゃ俺の初撃を掻い潜るだけで儲けだろ、けどお前には確信的な予想があって、裏切られた結果俺の半身だけが瞬間凍結の標的になった。瞬時に相手の動きを奪い取る技も、多くの欠点で成り立ってた訳だ。溜めがいるんだろ、じゃなきゃ連発しない理由が無い。大技だから溜めがいるっていうのはシステムチックだよな、魔法じゃないなら見当外れな予想だ。──冷気を溜めてる、だろ?」

「それで?」

「それを相手と重ねる為には座標的な操作が必要になる。じゃなきゃ、冷気の流れが不自然すぎて勘付かれるからな。加えてお前はそれを、相手が座標に来るタイミングと合わせて放出してる。纏めれば、相手を凍り付かせるだけの冷気を保持して、手動で解放している。仕組みさえ分かれば直撃なんか受けねえよ、まぁ幾つもセットできるなら話は別だが、それは頭のキャパが足りないだろ?」

 正しく、鏡面。朽羽が傲慢を隠し持つのであれば彼もまた、鉄面皮の裏にありありと光らせている。

 不知火の話は九割方あっていると三つ編みの少年は思う。その決定的な一割は、一筋に光る勝利への希望だ。

「へぇ、自分で言ってて怖くならないんだ。そう、空間的な氷結の扱いにおいて君の何歩先にいる私へ、出来るものならやってみせなよ!」

 言葉を支えるように、再び氷円柱が生えてくる。けれどそれは、腕一つ、なんてことのない大きさだった。半径二メートルの氷円柱は不知火の心許ない足場と化し、際限を見せず上昇する。

 一種のエレベーターとして動くそのスピードは、大きさと反比例して緩慢だった。溜めの感覚的にはまだ瞬間凍結が使えないと判断し、不知火は飛び降りる。

 着地点から再び氷円柱のエレベーターが昇る。

「くだらないゲームに付き合わさせてもらうよ」

 その一言が不知火の疑念に終止符を打つ。自分が上昇している間、地に立つ朽羽に接近戦を仕掛ける事は出来ない。決定打がない状態は朽羽も避けたいはずだが、拮抗を求めるなら打ち壊すまで。

「悪いが、御免だ!」

 自分を打ち上げんと精力的に働く氷円柱へ、右拳を大きく振り抜く。会心の一撃が縦十メートルに及ぶ円柱を画一的な氷塊に貶めた。青年の鼓膜は破壊音から空を切る落下音へ忙しなく音を運ぶ。次は衝突音、朽羽と並ぶ氷上ではなく、先程飛び降りた氷円柱から枝木のように生えた足場が再び不知火の身体を持ちあげていく。

 どうやらとことんまで時間を稼ぎたいらしい。不知火は氷上から飛び立つと、三度迫る円柱よりも早く朽羽へ氷を放射した。

 飲み込まんとする氷のアギトは、少年を喰らう寸前で停止した。

「チッ、駄目か」

 牽制のつもりで撃ったであろう内心を察し、朽羽はほくそ笑む。このコンディションを待っていた。

 不知火が即座に干渉出来ない物理的な隔たり。絶え間なく身体が宙に浮く事で奪われ続ける選択肢。一呼吸では到達できない相手と自分を持ってして、漸くこれを謳うに至る。

『口付けは地に落ち青ざめる。』

 朽羽は自身の右手を前へ差し出す。階調的に曲げた指からは、何かを差し出すような、何かを受け取るような曖昧な印象を与えた。

 不知火の身に鳥肌が立つ。冷気が凪いだ、吹き荒れる激しさが唐突に止んだ。それは決して吉兆ではないことを理解していた。

 自分の身が台風の目に投げ出されている。核は紛れもなく少年、だというのに遠く厚い。それでも彼は放射攻撃は悪手とは思わないだろう、攻撃しなければ何度でもあれを繰り返していただろうから。

 そして、後の彼もこの手段を悪手とは言えないだろう。

 言葉は終わりを告げようとしている。よく響くその詩を、どうしてか絶対に止めなければならないと、不知火(じん)は咆哮する。

『積もる寂寞に抱擁され、』

 少年がそれを形作っても、不知火と朽羽の間には()()までの差がどうしようもなくあった。喉が張り裂けそうな雄たけびは人という境界を曖昧にする、それを可視化するように、不知火は自らを氷の殻で覆った。

 世界を変える少年を、自身を変容させる青年が足早に追い越した。

「グオオオォォォォォォ!」

 殻は瞬時に割れ、産まれ出ずるは月をその身に写す竜。人よりも鬼よりも、純粋なる存在が降臨する。

 竜に変化した不知火は、朽羽の壁になっていた氷ごとその身で粉砕するつもりだった。尾だけで人間の二回りはある重厚なその身を、垂直に後転させて氷塊を叩き割る。尾の速さは砕け飛ぶ氷よりも速く、朽羽の矮小な肉体を特徴のない肉へ破壊せんと迫る。

 朽羽は祈る、自身の形成するものがそれより速く在れと。

 そしてそれすらも越し、白銀の光が朽羽を包み込んだ──

 

 災害の逆巻く街へ、遅れて男は踏み出した。送迎車には早々背を向け一目散に走り始める、礼の一つも惜しい状況である為運転手は気に留めないが、それとは違った懸念がその背中に向けられる。

 春だというのに冬の寒波すら凌ぐ空気、冷気の根源はこの比にもならないだろうに、人の身でどうするのだろう。風を切って奔る少年の背中は既に遠く、二人を後部座席に座らせられるよう祈るしか出来なかった。

 黒髪の少年は迷わず一点へ向かう、少し見上げれば天へ手を伸ばす氷の数々がある。思った通りだ、同胞であり自分と比肩する男、朽羽那由多が戦っている。ニュースやラジオでは春の只中に訪れた異常としてこの街を語っていた、きっと朽羽一人ではここまで寒波が増大することはないだろう、加えて朽羽がいなければこの規模の氷が発生することもない。彼の常識からはじき出された結論は朽羽と拮抗する氷使いが戦っているという嫌な事実だったが、故に拳は固く閉ざされている。

 何故自分を呼ばなかった。この拳に込めて殴り飛ばしたい思いだった。自分だけではない、避難や報道配慮を速やかに行なう為使った数人の支援部員を除けば誰にも言っていないだろう。出来てしまうなら頼らない、そんなスタンスは友人として毛頭受け付けられない。激情を胸に銀狼隊幹部、彼岸崎(ひがんざき)(にしき)は駆けた。

 向かう以上防寒対策は済ませていた。温度覚そのものを遮断するハイネックを着こみ、氷上でも普段と変わらない機動を可能にするブーツを履いて。それでも体内まではどうにもできず、喉を通る凍て風が肺まで這う。頬を切り付ける冷風に苛立ち、極まった集中へ没頭出来ない。空いた頭に付け入るような思考が後ろ髪を引く。

──自分が行ってどうなる?

 結論を出せないと承知の上で、割り切れない余剰が思考を曇らせていた。次第に戦場と思われる公園が近付く、広い規模で遊具のない場所を選んでいる辺りに両者の性格を感じさせるものだ。押し寄せる冷気も呼吸にすら気を張らなければならない程、そこはただならない空間と化していた。備えのない人間は立ち寄ることすら出来ない蒼の絶景は、波打つ曲線と鋭角が創作する半透明の美しさがあり、同時に絶え間なく生命を否定し続ける絶望的な環境を併せ持っている。これを異界と称さずなんというか、彼岸崎にはとても答えられそうにない。

 思考を打ち砕くように視界へ入るものがあった。それは塔にしては無機質で、自然には不釣り合いな氷の円柱だった。警鐘が彼の甘い考えを吹き飛ばす。彼岸崎には見覚えがあった、朽羽は秘奥を解き放つ前準備に状況を遅延させることを知っているのだ。あの氷円柱は手段の一つとして信頼を置いていたはず、強力で明快な手札を出し渋る彼がそれを出現させているというのは、追い詰められている確然とした事実として彼岸崎の蒼い瞳に写った。

 氷使いに切らなければならない状況はまたとない危機なはず。ともなれば彼岸崎に迷う隙など一切ない、幹部へ任命された時から、この心臓は友の為に使うと決めたのだから。

 朽羽の背中が見える、捉えたのと同時に二本目が出現した。最早秒読みの状況、惹き付けるような氷塊にも負けない冷厳さが彼岸崎の胸にある。ここまでくれば朽羽が無事に秘策を遂げるまで彼を守ることしか出来ない、それも敵影が自分のやってきた方向にいれば叶うだろうが、朽羽の先にいる敵へやれることはない。それでも、零れた勝機を欠片でも拾ってみせる、例え彼が失敗しても自分がいると叫べるよう走ってみせる。敗着へ繋がる全てに反射するべく、感覚を研ぎ澄ます。

 そんな細やかな集中を嗤うように、あまりに大きな現象が起こる。

 上空から朽羽を目掛け氷が発せられた。人を飲み込む大波のように大きなそれは朽羽の寸前で止まる。並の氷使いが差し向ける氷なんぞ朽羽の敵ではない、彼岸崎が畏怖を見出したのはその先だった。

 発射点から近しい空間に人影を見る、それは氷を纏い球体となる。およそ生き物らしさを感じない造形に、彼岸崎はどうも子宮を連想した。何かがあの中で胎動したように思えたからだ。

「なっ──」

 それは朽羽を呑もうとした氷すらも見下ろす蒼天。身体のパーツ一つをとっても人間の身体じゃ比べ物にならない荘厳なスケールを持つ肉体。

 一度振るえば空気を揺らがす一対の翼、お伽の大蛇じみた威風の尾、つぶらながらに威厳と敵意が凝縮された双眸。背面には身体の神秘を厳重に護る鱗が余りなく浮かんでいた。

 たった一文字で表現するには呆気なさすぎるのに、彼岸崎はその存在に見合う言葉が思いつかない。見るだけで劣等感が芽生える途方もないその存在は──紛れもなく竜だった。

 朽羽は一縷の望みに懸けてその場を動かず、希望を叩き壊すように竜が身体を傾ける。ほんの少し前傾に寄せただけの姿に彼岸崎はゲームのワンシーンを思い出す、サマーソルトの要領で繰り出される竜の尾を現実で見る事になろうとは。冗談めいた現実は、されど感嘆も追いつかないひとときである、彼岸崎の予想通り、引き絞られた弓矢のように尾が弧を描き始めた。

 彼岸崎は宝刀を抜く思いで前方に手を伸ばす。傍から見れば竜に薙がれる人へ伸ばす無念の手だろうそれは、たった一つ朽羽を護る手段であった。

 彼岸崎錦の秘奥は二極の性質を持つ。超越した速度と絶望的な射程、その両方がガチりと噛み合った瞬間が今。

 朽羽が解き放つよりも先に尾は迫り、それよりも速く、彼岸崎の手から白銀の光が放たれた。

()けろ──!』

 刹那の詩が鍵と成し、朽羽那由多を迎え入れる。

 

 竜尾が壊した氷塊の残響が二人の鼓膜にいる。朽羽の目に映った赤錆色の地平線は直前まで踏んでいた大地とは違う、正しく別世界の物であった。既視感のある世界に言葉を断ち切り、新たに発しようとしたところで蒼氷の世界へ戻る。

 眼前には、確かに振り抜いた後の姿勢で浮かぶ蒼竜。想像のどれとも嵌まらない結果に、その身は硬直していた。

 朽羽は背後にいる人間に検討を付け、嫌味の籠った声を出す。

「なんで来ちゃうかな。なんて、今しがた救われた命が言う事じゃないんだけど」

「じゃあ言うなよ。ったくなんだあれ、マジで」

 やるせない声を放つ二人へ、牽制にその翼を振るう不知火。先程壊した氷の破片が突風に乗って一方向を猛烈に襲うが、その本懐は新手を遠ざける点にある。朽羽は氷壁で防ぐことも出来たが、間合を開けるのは好都合と傍らの増援共々飛ばされる。互いに致命傷を避けて氷片を受け、風が静まった場は一時膠着する。

 竜を覆う鱗は月明かりを写して艶やかに光る。息を呑む幻想の美しさに惜しくも見惚れる余裕はない。

「完全にドラゴンじゃねえかよ、純血かぁ?」

「さてね、だとしてもなんで今まで出てこなかったか、どうして黒豹なんかに手を貸してるのか分からない。ねぇ、人の身で扱う能力と本来の姿で扱う能力って違うと思う?」

「知るわけねえだろ。つか化けてる方が自然だ、百歩譲って複数因子じゃねえの?」

「キリがないね。ともかく、能力の出力が変わらないなら私がどうにか出来る。問題は物理だ」

 羽ばたく翼竜の姿は遠ざかっても逃れられぬプレッシャーを放っている。あれに近付かれるだけで、行動の全てが不正解のような錯覚に陥るというものだ、そんなものを見て策が浮かぶ人間は無知蒙昧な愚者か深謀遠慮の戦術家、生憎この場にどちらもいない。

 竜の双眸は見定める、増援の持つ能力を。必殺の尾撃を無為に帰した由来は確実に現れた男にある、宙返りの攻撃では視界に入れられなかった防御手段、仮にそれを引きだすべく氷を用いても、それは三つ編みの少年に止められてしまうだろう。尤も不知火にとって完全未知なジョーカーは、牽制飛び交う戦場において捨て札同然の役割となっているのだが。

 翼竜の高度が下がる、そこに策略は無い。人間体から大きく逸脱する代償は単純明快で、彼は苦痛を支払っている最中だ。低空を薙ぐ滑空ではないと判断した二人が不知火へ駆けだす、アテのない竜狩りの先陣を切るのは彼岸崎で、後方を走る朽羽はカバー役に回る。

 弱みを見せて易々倒されるほど竜は甘くない、故に朽羽が備えているのだが、不知火が選ぶのは彼岸崎を押しつぶす風圧だった。高度を取り戻すための羽ばたきを兼ねた拘束は実を結び、腰を落として重圧に耐える彼岸崎を不知火は見下した。

 予備動作までもを隠す、不知火は大袈裟に身体を捻った。彼岸崎が解放された時には、尾が地面を削りながら迫っている。抉り抜くような尾の振りは角度を付けて勢いと視認性を確保した一撃だった。

「朽羽!」

 接近する尾と反対側へ、波乗りのように氷を足場にした彼岸崎が運ばれる。尾の導線から外れた彼岸崎は身代わりの氷が破壊され、早々に接地した。

 三つ編みの少年に防御を任せているということは、初撃を躱した仕掛けを使えないと判断する。元より竜体の攻撃が通じなければ不毛な対面な為、温存の択を外して思考する他に早期決着はないだろう。

 裏に回った彼岸崎と正面の朽羽、その間に翼竜が降り立つ。小さな地響きに惑う事なく、彼岸崎は尾の射程外へ退避、朽羽は接近を躱す手立てを組む。

 攻撃を躱し続けても、相手が竜である以上伝承の英雄でもない限り勝機は絶無だ。凍り付かせて動きを止めるのも、秘奥を繰り出す状況にない現状不可能である。それを踏まえて朽羽は彼岸崎に希望を見出した、問題は当人が思い付くかどうか、近付いて意思を伝えようにもその隙を一網打尽にされかねない。

 信頼をもって命を懸ける。朽羽に出来るのは、竜を釘付けにしてどうにか少しでも生き永らえる事だけだった。

 不知火は息を吐いて三つ編みの少年に猛追する。竜の息吹は忽ち飛礫(つぶて)に変わり、間近で放射される氷波と形を得る。横へ退避しようにも低く伸ばした翼が容易く人体を砕くだろう。朽羽はやむを得ず地面から氷を伸ばし上空へ退避する。

 頂点を追いかけ竜は跳躍する。壊すのは容易だが、直径三メートルの足場に立つ相手を追い詰める方が圧倒的にやりやすい。朽羽自身、破壊を望んでいただけに手をこまねく判断である。だが、相手の打倒を考えなくていいのはそれを補って余りある余裕として働いた。

 竜の跳躍は氷の上昇よりも速く高い、竜の頭蓋が得物を見るように少年を睨む。死神にしては雄弁と語る殺意の眼で今更怯むようなら、彼は幹部なんて務めちゃいない。

「予測通りだ。落ちろ」

 広げた翼幅から更に外側、波立った氷が翼に逆巻く。天使が杭を打ち込むように、天高く舞い上がろうとする翼を落としにかかった氷塊は突進が始まってから朽羽が予測し発生したものだった。不知火の翼は骨格部分から水かきのような翼膜となっており、頭蓋や背面を覆う鱗に守られてはいない。

 竜は一度翼を内側へ、しかし全幅を収め一対の波濤を避けるにはまだ足りない。否、それは波飛沫を吹き飛ばす溜めであった。

 竜は双翼を開け放つ、両開き戸を全開にする思い切りで。翼を狙い穿つ氷は易々と砕かれ、正面の朽羽は生じた暴風に身が運ばれる。宙に投げ出された朽羽は歯噛みした、月を覆い隠す尊大な翼の、なんと冠絶したものか。

 竜は第二波を用意する。大きく開き、大きく仕舞う、体操じみた動きでさえ生き物を四隅の埃同然に吹き飛ばしてしまう。身体を反り、三つ編みの少年を地面へ叩き付けるその時だった。

 朽羽が伸ばした双氷の片翼、その頂点には板を乗るように自然を足踏む一人の少年が居た。砕氷を越え、竜よりも高くその少年は跳ぶ。

 拳を横に胸へ当てる。途端その手は光を握り、白光が漏れ出た。乱雑に引き離せば、底のない白光が形作る確かな刀が顕現する。彼岸崎は叫ぶ、喉の代わりに剣筋へ乗せて。

『戻れ』

 無言の懇望が不知火を斬り付ける。氷の鋭刃も通らぬ翼より更に硬い背面へ、無謀に思える斬撃は確かに傷を残さない。けれども確かに、意志は不知火へ伝達された。

 翼が後方から前方へ動く中間、丁度平衡になった状態で竜は凍り付いたように動きが止まる。それから間もなく文字通り竜の造形をした氷と成り、内側から爆ぜるように砕け散る──

「なん、だ?」

 不知火は無意識に、自分の意思で竜化を遡らせた。竜の懐があった場所へ縮んだ不知火は翼を無くし落下する、同じく支えのない彼岸崎もまた、蒼氷の大地へ迫っていく。

 彼岸崎錦の()()能力は〈心剣〉。読んで字の如く、彼の刀剣は心を宿す。

 自らの思念を込めた刃は相手の身体ではなく心を斬り付ける。斬られた者の脳内には彼岸崎の思念が強く響き渡り、精神への干渉を備えていなかった不知火はみごと彼岸崎の意志で身体を動かされたのだった。

 朽羽の信じた勝機こそ彼岸崎の担う意志の力。故に、不知火が朽羽に近付いた時点で彼を導き今に至る。

 氷のスライダーが朽羽、彼岸崎を迎える。受け身の心得がある二人はそれだけで難なく着地し、竜の血を巡らす不知火は蒼氷を叩き割って大地を踏む。

「今のが、お前の能力か」

 自らを挟む少年ら、その黒髪の方へ向き直る。

「あぁ。どうやら心までは鍛えられないみてぇだな?」

 発光する刀剣を肩に担ぎ、彼岸崎は笑って見せる。が、すぐに不知火の問いが意味する謎を見つけ表情を改めた。

「黒豹隊じゃねえのか? 俺の能力なんて知られてると思ってたけどな」

「別に肩入れしてる訳じゃないが、協力者ではある。狭量(きょうりょう)なんだよ、お前らが相手してる奴は」

「それ以上は椅子に座って話そうか」

 雑談でもしそうな二人に水を差して、速度重視の氷槍が不知火へ迫る。わざわざ手の内を明かしてまで時間稼ぎに応じる余裕は彼岸崎にあっても彼にはない。

 朽羽は目を見張る。確かに、初手のやり取りでは不意を突いた氷槍が不知火の血肉を浴びることはなかった。だが、視線を寄越さないで済む程今の彼に余裕があるのだろうか──?

「もう少し君の翼を見たかったよ。ねぇ、不知火?」

 彼岸崎は瞳に写す。上空から飛来した少女と、それに寄り添って落ちる闇が氷を完全に遮断する光景を。

 立体感のない長方形の闇が少女の身長程に在り、底のない黒色へ突き進む氷槍は壁に打ち付ける水のように触れた先から飛散していく。最早硬さという次元で測れない暗幕が突如振って来た事で朽羽は動揺する、思わず上空を見上げるが、雲隠れの三日月が嗤うように浮かんでいるだけだった。

 闇が少女の裾へ潜り込み、朽羽はあどけない眼に描かれた明確なものを直視した。

 敵意、隔意、殺意、決意、それらを挟んでも朽羽の瞳をまっすぐ穿ち抜く紅玉の光彩に、戦慄、寂寥、畏怖、驕慢、どれも抱けず思ってしまう。この世のものではないと断じてしまえる程美しいと。

「朽羽!」

 我に返った朽羽は横へ飛び退く。少女の足元から糸のように伸びる黒色が、氷上の凹凸に潜んで朽羽を貫かんとしていた。極細の針めいた闇は寸前まで朽羽の胴があった空間へ飛びつく、彼岸崎の警告がなければ或いは気付かなかったはずの刺突を躱され少女は忌々しげに舌を鳴らした。

 ため息で赤髪を揺らし、少女は不知火へ顔を向けた。

「倒せそうなら一人倒してから、無理なら早々に撤退だ。どうする? 不知火」

「……意地に付き合わせていいか、奏雨」

「勿論。帰ったら暖かいものが食べたいな」

 クレープの露店へ裾を引くような甘えた笑顔を見せた後、奏雨と呼ばれた少女は朽羽に向き直る。喜色の面影が微塵もない顔にどれほどの想いを乗せて竜の青年へ関わっているのか、朽羽には到底測れない。分かるとすれば、この戦場に投じられた火は一層燃え上がるということだけ。

 

「その三つ編みは氷を使う。規模も精度も俺より上だ、近付いてやれ。俺の方は──援護は要らない」

 最後の通告を残して不知火は駆ける。彼が押さえつけていた欲は氷剣を象って露わになった。斜め上へ掲げるように構えた右腕に、彼岸崎もまた同質の望みが胸を浸した。

 ここに剣士の一騎打ちが成立する。

 縦一線から傾いた、されど袈裟に満たない蒼氷の角度は彼岸崎の受け太刀の選択肢を奪った。ならばとガラ空きになった右脇腹へ狙いを定め、少年もまた地を弾く。小細工要らずの速さ勝負、彼岸崎はそう認識した。

 不知火の右肘から氷結音が鳴る。異変に勘付いた黒髪の少年は刀を振るう先を直感へ委ねた。

 氷剣を振り下ろす時には、肘から棘鎧じみた氷柱が生えていた。氷結音すらブラフかと思考した彼岸崎はキリがないと打ち捨て直感を信じ、結果通りすがりに氷柱を打ち砕いて互いは転身する。

「癪な真似しやがる、自信なかったか?」

脇差(・・)は大事と口酸っぱく言われてたんだが、俺には要らないな」

 幾度も壊された氷片が両者の構えを奏でる。彼岸崎は下段、不知火は上段、正真正銘技量比べの場になったことで、自身が最も信じる構えへ転じた。

 不知火の血潮が脈打つ度に痛みを訴える、連綿と織り成したスケール外れの戦闘の主導権を引き合い続け、切り札の竜化すらいなされた彼の身体は既に真剣勝負に立ち会える状態ではない。

 彼岸崎の呼吸が減り、反比例して激しくなる。立ち入ることすら許されざる蒼氷の禁忌は呼吸を通じて体内を侵し続けており、乱される集中を取りこぼすものかと必死であった。

 青年の身体、少年の精神が苦境の中で笑う。貪るように動いた両者は剣戟の朗笑を交わし始めた、横合いの冷淡な戦場すらも忘れて。

 

 暗黙の了解から始まった対岸と比べ節操のない牽制を繰り出し合う蒼氷と純黒。大規模な見せ技も負担にならない朽羽の継戦能力を持って、未知の能力を続けざまに相手取ることが出来ていた。迷いなく心臓を狙った初動からして、鋭刃の闇に触れれば耐久を度外視した傷を貰うことになるだろうと推測を立てた朽羽は間合を取り続ける。

「時間を稼ぐのはいいけど、それで困るのは彼岸崎(アレ)でしょ」

「ハッタリの経験はなさそうだ。手早く決めたいだけでしょ、そうはいかないよ」

 元より険しい少女の表情に嫌悪感が上乗せされる。先程まで接していた紫髪のペテン師といい、軽薄そうに口を回す人間と話すのがいよいよ食傷してきた。こうなれば出し惜しみはしない、心に決めた奏雨の周囲に紅炎が渦巻き蒼氷を溶かす。火元が明らかに赤髪の少女であること、その当人が炎を意に介していない事から嫌な事実を朽羽は飲み込まざるを得ない。

「もう驚かないよ。だからもっと早く使っておけばよかったのに」

「うるさいな。僕が先に終わらせちゃったら、不知火に水を差さざるを得ないだろ」

 歪んだ一途さが垣間見えた少女へ、どうにも強がりと断じれない三つ編みの少年。炎が自分から発火するだけなら、残る問題点は火力のみ。朽羽は伏せたカードを贅沢に切る。

 奏雨の足が止まる。不知火の竜化からめっきり使わなかった瞬間凍結が奏雨を襲う、彼岸崎らの立ち位置へ干渉できる程度に後退を抑えて様子を見た。既に彼の中で勝利条件は変わっている。

 蛹のように炎が取り巻き、早々に奏雨は走り出す。最低限溶かしてしまえる火力はあるらしい、規模や精密さに長ける朽羽の弱点が単純明快な形で表面化する。が、あくまでその程度の火力。蒼氷の大地をいっぺんに溶かし尽くすような規模も火力もないのなら彼にとって易いもの。

「能力戦で底を見せるなんて、まだ出張るべきじゃなかったね」

 不知火には膂力と頑健さに阻まれ出来なかった全方位からの波濤、奏雨へ押し寄せる氷塊は大きく波打ち真上からも襲来する。上下左右から侵蝕する氷波へどう対処か朽羽は見定める、初撃に使った極細黒針も奏雨から伸びると分かっていれば警戒は容易だ。

 まるで少女が吸い寄せているようにも見える寒流を、当人は純黒の幕で防いでいた。絶えず砕け散る氷の音は工事のようにやかましい。朽羽には純黒の由来が分かっていたが、だからこそ立てこもった少女をどうにかする方法がない。本当に立てこもるとは微塵も思っていないが、その静けさには不穏な空気を受け取る他なかった。

 彼岸崎を信じると決めたなら、助太刀の選択肢を徹底的に潰す。朽羽は再び、その秘奥へ手を伸ばした。

 朽羽が一度試み、彼岸崎がそれを用いて窮地を救った能力者に備わる到達点。自らが使役する能力の根源を引き出し、世界を塗り替える奥義。

 人呼んで〈転写世界〉

「口付けは地に──!」

 朽羽の表情は苦悶が満ち、嗚咽に似た悲鳴を漏らして詩を止める。一つの世界を呼び寄せようにも、その依代が限界だった。

「二度も降ろす(・・・)のは、無茶か……!」

 差し出した右腕の内部が刻まれるように痛む、心臓が焼けるように冷え、眩む頭で後悔を抱いた。

 吐き出しかけた胃液を堪え、尚も狂濤を奏雨に打ち付ける。考え得る失敗要素は事実合致していた。首元を止血していた自身の氷結が己を蝕み続けた上で、一度不発になった自身の真髄を再度放つには身体が耐えきれず拒否反応を起こした。この戦闘、彼の切り札は革命に呑まれたエース同然の捨て札と化す。

 焦りはあったが、不信は欠片もない。彼の不遜が悪い種を芽吹かせただけのこと。そこまで理解した彼は正面にいるはずの敵を見る為、一度無窮の波濤を止める。

 そこにあるはずの暗幕がない。奥行きにも上空にも、少女の姿はどこにも見当たらない。して、少女が立っているはずの場に小さく穴を見つける。

「下か」

 奏雨は内心でその遅さに釘を刺す。発動しようとしたらしい大技が不発だったのは僥倖でしかないが、包囲する事で相手の姿を視界に収めなかった不手際は大きい。迫る氷塊を暗幕で防ぐ片手間、地中へ小さく穴を掘った少女は正面からの波濤を受け止めるだけの闇を用意して穴へ潜り込んだ。

 掘ったのが少女分の大きさなら朽羽も気付いたろう、しかし彼女の身は不知火同様人間ではなかった。

 地中から純黒の針が朽羽目掛け放たれる。音もない瞬息に追いついて見せるのは最早意地、視界に映すほんの刹那に致命的な部位から逸らして見せる。脇腹を抉り抜いた黒針が引っ込むのに呼応して二射目が放たれた。

「っ、舐めるなよ」

 存在保証のある能力には大抵強い媒介があることを彼は知っている。故に少女の裾へ還る闇、加えて制限のある射程を加味すれば自ずと少女の影が媒介と察するに至った。でなければ今頃、朽羽の足場は虚ろめいた凄惨な剣山と化している。

 朽羽は大きく横へ跳ね、黒針は見当違いな方向を指し示した。尤も朽羽が居た場所から丁度一歩分離れた場所であるため、駆け引き次第で心臓を貫かれる因果もあったのだろうと三つ編みの少年は思う。

 仮にも二度秘奥の扉を叩いた今、身体が追い付かずとも能力処理は高みへ達していた。

 黒針とのたった二回の攻防を使って彼は冷気を手繰り寄せ、溜めの時間を終わらせた。地面の底までイメージし、その両腕を盤を壊す気概で叩き付けた。地に根を張る霜の根は無差別に奪い尽くしていく、植物の育みも、生き物の熱も。

 紅炎が猛る、地から湧き渦巻き昇る命の灯火は煌々と万物を滅する。渦中には赤髪の少女、紅炎の主が居た。

 その姿にあどけない少女の面影はない。一糸纏わぬ姿を火焔で彩り、妖のような二股の尾とネコ科の耳を燻らせている。紅炎で象った耳尾は陽炎の如く揺れ、見違えるような脅威度合いが可視化されていた。

「おっと、熱烈だ。照れるね」

「気持ちが悪い。アレを待たずに殺してやる」

 朽羽の脳は警鐘を鳴らしている。最早人間と異種族の判別も付かない存在が立て続けに現れ、そうでなくとも大規模な氷塊を易々使った挙句首筋の氷結を忘れ二度も氷絶へ踏み込もうとしたのだ、既に倒れていてもおかしくない。

「そうか、そっか。なら、こっちも出し切ろうかッ!」

 笑う。実際に倒れていないならどこまでも進む。出来るならやらねばならない、それは彼に課せられた命題なのだから。

 燃ゆる闘志に咲く氷花、静なる殺意に咲く火花。絡み融かし合い、半双が朽ちるまで殺し合いは終わらない。

 両者が強く思い浮かべた末路は互いの死、そして相棒の救済。然して──全て満ちることはなかった。

 

 不知火塵の剣筋は、弾け奔り舞い戻る独楽(コマ)のような移動剣である。持ち前の頑強さを活かして削り殺し、綻びを痛烈な亀裂にしてしまう大立ち回りは実直な剣士程手をこまねくだろう。

 しかし、肉体を斬らぬひねくれ者が如何に実直と程遠いか。

「もう限界だろ。アイツとやりあって集中力持つ方がイカれてんだ」

 不知火の目は朦朧に泳ぐ。頭痛は押し寄せてから幾ら経ったか、断続的な思考すら怪しくなっている。腕も足も動くのに気力がただひたすらに足りない。一方彼岸崎の並外れた集中力は未だ続いており、一太刀喰らえばそれが意識の断線に繋がるかもしれない光剣と何合も繰り返した。

「うる、せぇな」

 肩で大きく息を吸い、脱力。両手で上段に持つその姿に縦横無尽な姿は繋がらない、移動するなんて()は考えない。この一太刀で終わらせる。青年は言の葉枯れども雄弁に語ってみせる。

 彼岸崎に応える義理はない。勝負を遅延させて確実且つ安全に勝って援護に向かう方が賢明である。しかし、心を持って斬る者が事実上の気迫負けを認めて良いのか。少年は自答し、バカバカしいと一蹴する。そんなの、良い訳ないに決まっている!

「そっか、そうか。なら、受けて立つぜ」

 慈しむような相槌すらも刀剣に乗せ、白き極光を最大級の敬意と示す。

 彼岸崎もまた、真一文字に握る上段構え。小細工も未来も太刀筋も、放り去った剥き出しの覚悟が相対する。戦場を奏でる蒼氷の掘削音は今も鳴り響き、その間両者は鼓動を抑える。

 音に聞く波濤は消え去り、人も竜も凪に立つ。

「ハアァァァァ!」

 意気衝天の一閃を放つ不知火、明鏡止水の一閃を放つ彼岸崎。正面から鍔迫り合えば得物と気迫が物を言う、後者は紛れもなく拮抗しているが、精神力に比例して硬度を増す心剣はこの場において最鋼を誇る。不知火の刀剣に亀裂が走るが、それは決して彼の意志の表れではない。

 尚も力を増す不知火。膂力で勝とうともその先にあるのは砕け散る自らの剣と確固たる心剣だというのに。

 罅割れとまた違う水晶じみた音が奏でられる。それは不知火の氷結音、破損していく氷剣を同時に修復していた。それだけに留まらず、氷結は彼岸崎の心意に至る。

「──!」

 彼岸崎は息を呑む。凍えていることに気付いたのは、自分がこの場から逃げ出したくなってからの事。

 不知火の氷結が伝播し、彼岸崎の持つ心までもを凍てつかせていた。心剣を辿って能力者へ影響を及ぼすなんて例は滅多になく、つまりはそれだけ身体以上に精神の勝負となっている。

「これは、俺の心剣は」

 歯を食いしばり、踏み抜き続けて露出した土を押しつぶす。息も絶え絶えで尚も語るのは、そうでもしなければ眼前の畏怖に負けてしまうから。

「絶望しねぇ限り折れねぇんだ。だからよ」

 黒髪の少年が身を震わす。誰が恐れと言えようか、それは疑いようもなく武者震いだった。

 負けじと青年も乗せる。使いたくもない剣技に、使ってまで守りたい日常の価値を。ここで勝てなければ自分達の、彼女の日常が負けるのと同義なのだ。紅玉の少女と生きる為なら、例え精神尽き果てようと構わない──!

「絶対に、折れねぇんだよ──!」

 振り抜いた未来、達者なままの刀剣を持っていたのは、誰よりも己に向き合い迷わなかった者。彼岸崎錦だった。

 ひしゃける蒼氷、宙で弧を描く剣の断片が目に焼き付くほど眩しく見えた。して、焼き付くよりも鮮烈に刻む。

『俺の勝ちだ』

 いっそ血反吐でも出せればマシな敗北感は、されど澄んだ思いで受け止められた。ザクりと氷刃が地に突き立つ、それを聞いた彼はなんとなく腑に落ちていた。

 自分の戦いに他人を乗せてしまった時点で、そこには分かたれてしまう弱みが生まれる。心剣に両断された為に感じ取った彼の刀は、確固たる唯我であったのだ。自分が負ければ自分だけが、相棒が負ければ相棒だけが弱かっただけのこと。

 彼岸崎の持つおおらかな誠意は、こと今回の剣戟でのみ勝敗を決めただけに過ぎない。或いは奏雨がいなければ、或いは護るべき者がいれば。それ故に彼岸崎はこの勝ちを誇ることはないだろう、今倒れている相手は、次の自分なのかもしれないのだから。

「なァ、おい。次から次へと出てきやがるよな、澄霧(すみきり)

 そう、戦いはまだ地続きであった。

 

 奏雨氷奈(ひな)投入条件。不知火塵の竜化から一定時間後、或いは朽羽那由多の過度な劣勢。

 澄霧慈雨(じう)投入条件。戦闘脱落者発生──

「ははぁ、いやー随分な暴れ方したよねぇ。こっちも、そっちもさ」

 今しがた終わった戦場に、今しがた始まる戦場に、忽然とそれは降り立った。腰まで伸びた薄紫の髪が凍て風にも悠々と靡いている。紅炎纏う少女、白氷が頬に張った少年、そして勝者となった少年、三者一様の反応でその男を睨みつけた。

「奏雨チャン文字通りのヒートアップじゃん。でも残念、君のダーリンはやられたみたいだよ」

 横たわる不知火をにこやかな情けで見つめる紫髪の青年。その言葉尻を待たずして二人が行動を起こす、朽羽は純然なる嫌悪を波濤に起こして差し向ける。半ば条件反射で放たれたそれを、予定調和のように青年は躱す。否、その凌ぎ方というのも自分は動かず氷の軌道だけ逸らしており、むしろ氷が澄霧を避けた具合だった。

 一方駆け出した奏雨の身体は無垢に突っ切る。不知火の身体が何にも代えがたい宝物と言わんばかりに、他の一切が眼中に入らない程。

 彼岸崎は刀剣を肩に担ぎ、少女を通す。

「不知火っ! すまない、きっと君は望んだことだというけれど、それでもだ。一度でも君から目を離してしまった僕が心底憎い、ごめん、ごめんよ」

 自らを奔る紅炎を消し去り、極寒の地で身一つの少女は男の温もりが最上だと噛みしめるように抱き上げる。嗚咽めいた白い吐息は潔白で、それを見てしまった彼岸崎は斬らなかったことを後悔することはないだろうと思う。

「悪い。お前が気にすることじゃ、ない」

 希薄な意識をかろうじて覚醒させ、手探りで言葉を探す不知火。虚ろな目を開ける様子はさぞ心臓に悪かったろう、奏雨の喉につかえた言葉は渋滞して出そうにない。

「眩しいなぁ、ねえ御二方。ラブロマンスのお邪魔なんてしたくないよね? さっさとズラかりたいとか思わない?」

「いちいち言い方が癪に障んだよテメェは。そんなのよりも俺ぁテメェの顔が見たくなくてしょうがねえぜ」

 セールスでもしているのかと問いたくなる軽さで澄霧は話し、であれば玄関先で追い払うように無造作な態度を突きつける彼岸崎。

 青年の言う事は全くで、戦闘のモチベーションを失った奏雨、戦闘不能の不知火、加えて直接戦闘の決定打が乏しい澄霧にこれ以上続ける理由は無く。絶対零度の血潮が巡る朽羽に、喉が凍傷を訴え始め、間もなく息すらままならない彼岸崎もまた即座撤退すべきである。

 澄霧としては銀狼隊員が脱落したタイミングで持ち掛けたかった話であったが、当初の目的にある追手の排除は十二分に果たしている。ここで痛み分けにすれば事後処理に奔走する銀狼隊が同時並行で彼ら三人の足取りを追うことも不可能になる。

 朽羽は澱みのない苛烈な嫌悪を尚も伝えている。生憎と無駄口の聞ける喉をしていない為に、射殺す程の眼光が澄霧に放たれている、こればかりは澄霧でも逸らし躱すことはできない。尤も、正面から受け止める気でしかないが。

「折角会えたなら憎まれ口くらい聞いてあげたかったなぁ、来るのが遅かったかなー?」

「さっさと失せな。俺はまだ、テメェの連れを死に体にして一人持ってく程度は訳ねえぞ」

 肩をすくめて笑い、少女らに歩んでいく澄霧の姿を銀狼は見送る。狂犬のように近寄りがたい敵意を向けている奏雨に距離を保ちつつ、最後に、と付け足して振り向いた。

 軽薄な表情が消え失せ、虚空のような双眸が朽羽を見つめる。

「那由多チャンはまだやることあるんだから、程々にしなさいよ。キミの宿敵はオレじゃないんだから」

 返事を待たず、紫髪を翻す青年。彼が指を鳴らすと、不知火、奏雨の内側から淡い光が放たれ──消える。

 背を向けて手を振る澄霧もまた消えていき、静謐な空間に侵された少年らが残った。引き込まれるような蒼の造形も辺りが粉々になっていたり、土がまろび出ていたりと各地に無残な爪痕が刻まれている。虚しさを抱いた彼岸崎は、逃げるようにその場を後にする。

「ほら、肩は貸せねえけど、ついてってやるから」

 蒼白の顔で頷く朽羽。勝ちと言えず、けれど負けではない今宵の戦闘はまさしく痛み分けで終わりを告げる。

 

 扉を開けるなり土足で木の板を軋ませる。古ぼけた家の放つ埃っぽい臭いが紫髪の青年、澄霧の鼻を刺激する。そこは電気の照明という文化的なものすらないみすぼらしい拠点だった。

 彼が空中へ手をかざすと光球が生まれる。辺りを暖かく照らす白んだ黄色でようやく家の全貌が明らかになる。至るところが砕けて抜けた床、倒れた戸に荒れた庭。この家に見覚えのある人間は存在しない、今となっては地図から消えた一つの村、その元凶が拠点に使う民家だったものだ。

 光球を背に縁側へ腰を降ろすと、穏やかな面立ちで耳を澄ました。虫の鳴き声一つ聞こえない静寂な田舎は生命自体が根絶された、現代では考えるのも悍ましい神域とも言える。そんな状態を確認すれば、笑って青年は思いを馳せる。閉じた双眸の裏、何かを探すように。

「ありゃ、もう刻印が無くなってる。やっぱり簡単にいかないなぁ」

 澄霧慈雨の()()()()()、〈熾天の刻印〉。対象に触れることで浮かび上がる紋様を証に、転移や一方的な監視を可能にする権能。新たな協力者に刻んだそれは、保つはずの期間を裏切って消滅していた。どう拒絶したかは澄霧の理解にはないが、今回の戦いで手中に収めるのが不可能な存在とは理解した、彼は惜しむ気持ちも程々に肩の力を抜く。

 一人の人間を暴く三日月は青年の頬を伝う雫の由来を知る。

「つくづく良い友達を持ったね、那由多ちゃん。彼がいなければ、今頃──」

 笑っている。言葉に続く光景を脳裏に映し、漏れ出るように笑っている。喜怒哀楽が誇張されたお伽のような人間が、次第に七つ結びの星へ手を伸ばした。どうしようもなく届かない星座へ、羨むように胸を焦がしながら。

 

 扉を開けるなり、うだつの上がらない声を上げる少女。今にでも倒れ込みそうな身体を動かし、ソファへ倒れ込む青年。満身創痍の体をありありと誇示していた。

「とんだ外れくじだ。全く。君も君だよ不知火、あそこまで応える必要は一切ないだろう」

 布綿に沈む身体を見下げて、子供へ諭すように奏雨は言う。発言の一つとって考えさせる瞳の美しさに焼かれて、自白する思いで不知火は答えた。比べるまでもない朧ろな瞳で。

「必要はあった。これから戦って生計を立てるなら、敵のレベルは知るべきだ。……あとは、意地だ、言ったろ」

 む、と言葉を悩む。意地を看過したのは確かに奏雨であり、引き合いに出されると弱い。尤も理論ではなく純粋な気遣いが弱みを容赦なく棚へ上げるが。

「勝つ必要なんてないんだ、敵のレベルがどれだけだろうと、その場から撤退すればいい。君の翼なら充分過ぎる」

「あぁ、分かった。分かってる。次は無茶をしない」

 絞り出すように話す姿に少女は自身を戒めた。

「……ごめん、言いすぎたね。今は休もう」

 不知火の肉体に外傷はない。問題は精神だった。心を斬る剣に見舞われた彼の心労を積極的に増やす理由は彼女にない、青年の頭を淑やかに撫で、少女はキッチンへ歩む。

「今日は僕が作ろう。出来たら起こす、少し寝ておきな」

「悪いな」

 その謝罪には奏雨も知らぬ懺悔がある。諫めるべき無茶を差し引いても尚、彼に後悔がないのだ。強者と相まみえて、自分の為に力を振るう快感。人がましい優劣の競争が酷く高揚させたことに嘘は付けない。だからせめて詫びる思いを忘れぬよう、そして突きつけられた弱さを認めぬよう胸に刻んで彼は眠る。

 厨房に立つ少女もまた密やかに謝意を抱く。不知火塵の弱みとなっている自分の不甲斐なさが心底憎い。

 彼の大きな背を甘んじて堪能するだけでは寄生と同じ。もし違うと宣うのであれば、修羅にでもなってみせようか。

 

 扉を開けるなり小柄な少女は放つ。

「ばーーーーか」

 医務室の重傷患者へ割り振られる一室へ、開口一番告げられた声に少年二人は顔をしかめる。

 室内にある二つのベッドにはそれぞれ裂傷を宿した彼岸崎と蒼白な身体の朽羽が寝かされている。肺と喉、それぞれ致命的な箇所の処置は終えていたが、尚も身体一つ動かせない状態でいた。

「お前もうちょっと気遣いとかあるだろ、英雄様だぞ」

「ならなんで一人で行ったんだよばーか」

 歩み寄る少女、銀狼隊幹部にして医療部の総括である依折(いおり)は黒髪の少年の抗議を一言で伏す。朽羽にも突き刺さる言葉だが、朽羽単独で向かった事に苦言を呈した彼岸崎にとっては更に重たい言葉である。

「申し開きの余地もないね……」

「全くその通りだ。この人力クーラー、腕の状態はボクでも難しいぞ」

「やっぱり? そうだと思ったんだよね」

「だと思ったじゃないよばーか」

 一人二つ、平等に罵倒した依折は朽羽の右腕を診る。二度も切り札を使おうとしたことを話に聞けば、それはもう嫌な予感がしていた彼女。実際予感は当たり、右腕を起点に発動する虎の子はついぞ麻痺して動かない。戦闘中のアドレナリンが無意識に無理矢理動かしていただけで、今後数日はペンが持てるかも怪しい状態だ。

 その部門の頭にいながら医療とはかくも遠い手段を持つ依折の手にそれは余る。鼻を鳴らして別の患者へ歩き出した。が、彼岸崎に後遺症がないと判断すれば手頃な椅子に座った。カーテンの閉じた室内、蛍光灯だけが照らすは白が基調の壁。冷然とした雰囲気に緊張感が戻る。

朱輝(あき)には明日、ボクから伝えておく。夜も深いんだ、手短に話せ」

「容赦ねえな」

「それは湯冷めしてまで馬鹿共の相手をしたボクの心境だよ」

「いやぁ、何も言えないね。なら望み通り早く終わらそう。接敵したのは氷使いの竜化能力者、影と炎使いの少女。前者は不知火、後者はカナメって言ってたかな」

 幹部三者、目下の脅威を区別する為に振り返る。不知火と聞いた彼岸崎、依折は笑った。なにせもう一人の幹部──技術部統括、不知火朱輝と奇しくも同じ苗字だったのだから。

「ただの偶然、繋がりは多分ないよ。竜化能力も、炎と影の能力も、相当異常な力だ、これは後でしっかりと纏めてビンゴブックに書いておく。具体的な特徴の前にもう一つ、澄霧慈雨も噛んでたことも伝えておこうか。彼らの撤退に手を貸しただけだけど、大方、事の原因になった簡易拠点襲撃を立案したのは間違いなく澄霧だ」

「へぇ」

 感情を抑えに抑えた相槌が少女の口から放たれる。

 ピリついた空気を宥めるように、黒髪の少年が笑って言う。

「ま、凌げたんだ。今は気楽に構えようぜ。カーテン開けてくれよ、辛気臭くて堪んねえ」

「お前は動けない程じゃないだろ。まぁいいけどさ」

 暴かれた雲一つない夜空、銀色の弧月が露わになる。明瞭な星々に毒気を抜かれ、しばしの間が流れた。七つ結びの星座を見つめる朽羽の目に、ようやく安堵の光が灯った。弔いも成らず、悪意を摘む事も出来なかったが、暴虐を野放しにせず未来の芽を守ることが出来たのならそれでいいのだろう。

 今は星に手を伸ばすことも出来ない有り様だが、朽羽は覚悟を刻む。次は無い、と。


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