空の箱舟
小柄で白いローブを着た人物が、所々に金が細工させた家具が置いてある白い石で出来た部屋の窓を開ける。すると強い風が吹き込んだ。被っていたフードが取れ白髪を見せた彼女は特に何もすることなく、部屋の小物が飛び散ってしまうほどの風を冷めた目で真正面から受け止めていた……
「窓は開けない方がいい。飛ばされる」
部屋の中に入った白いローブを着た大柄の人物が窓を閉める。
「デオラ……」
「ここは空の上だ。いくら箱舟に乗っているからと言っても安全ではない。それは精霊に近しい存在であるロナ。君でも、ここから落ちてしまえば無事では済まないだろう」
風で被っていたローブが取れて難しい顔を晒したデオラが、風によってコケてしまったソファーを元に戻し座った。
その様子を見ていたロナはデオラの言葉が気にくわなかったのか睨みつける。
「私は識別番号六十七。お父様から与えられた使命を果たす為に生まれた六十七番目のホムンクルス。ロナと言う名前じゃない」
「そうか……」
デオラは説得するのを諦めたかのように溜息を吐くと、ソファーに深く腰を落とした。
「しかしクウセウラへと向かう足はどうするのかと思っていたが、まさかこんな物を用意しているとは。ヴェルフェ様の考えには脱帽したよ」
「当然。お父様は天才」
「天才か……」
「それよりもいいの? 空の島クウセウラの事はすべてデオラに任せられていたはず」
「問題ない。あの島は一族の願いであり、爺さんの希望だ。もう一度私達が世界に帰り咲くための……だから失敗などしない。絶対にさせない」
デオラは眉間にシワが寄るほどに顔を歪ませ、両こぶしを握り込む。
「……少し用を思い出した。失礼する」
自身を落ち着かせるように息を吐いたデオラが部屋から出ていく。それを見つめていたロナは完全に扉が閉まった後、閉ざされた扉に向かって呟いた。
「そう失敗など許されない……時神デオラギダを再起動させるのが貴方の役目だから」
プルルルル、プルルルル
「はい」
ロナは壁から音が鳴る機械を手に取った。細長く両端に穴が開いた物体を耳に当てて返事をする。すると片方の耳に当てた穴から声が聞こえだした。
『マーナガルムだ。しかし、この電話というのは便利だな。遠く離れた場所からでも話が出来る』
「用件は?」
『……主から礼拝堂に集合せよとのお達しだ。場所は分かっているな。今すぐに来るように。重大な話があるそうだ』
「プッ」っといった音と共に聞こえていた男の声が途絶える。ロナは電話を元に戻し、部屋を後にするのであった。
♢
青白い光が漂い個人の部屋に通ずる扉が複数並ぶ長い廊下。そこをロナは歩いて礼拝堂へと向かう。途中、同じ組織に所属している何人かと合流する。廊下の奥にある、今は誰でも見えるようになった扉を開けて吹き抜けの礼拝堂へと出た。人々が木を崇拝する天井画の下から男の声が聞こえてくる。彼女が視線を向けると黒いローブを着た男と右腕を隠す様にマントをつけた男が椅子に座っていた。
「来たようだな」
「お父様は?」
「全員が集まってからだ。早く座るといい」
彼女の疑問に男が答えると、顎で席に着くように促す。ロナは不満げながらも椅子に座り男を見つめる。
「どうした?」
「どうしてお父様が支給したローブを着ていないの?黒いローブはもう着なくていいのに」
「このローブはユグドラシル直属暗殺部隊ガルムの証である。邪魔する者を排除するのに白よりも黒がいいだろうと主から直接承ったものだから黒いローブを着ている」
「そう……貴方の願いは叶えられるといいね。デトロス隊長」
「その名はとうに捨てた。今の俺の名はスコルだ」
「ええ、今の貴方はスコル。デトロスなんて名前ではないわ」
「来ていたのかハティ」
スコルの後ろから足音も立てずに姿を見せた女性。ハティと呼ばれて気持ちの良い返事と共に手を振る。
「そりゃあ来るでしょ。隊長も一緒よ」
ハティの隣には白いローブを着た屈強な男。初めからいたかの様に腰を深く落として座っていた。
「相変わらずですね……」
右腕をマントに隠している男が呆れたように屈強な男を横目で見つめる。その様はまるで過去に似たようなことをされた経験があるみたいな呆れ顔だった。
「言葉を慎めオルフ。全員集まったようだ。そろそろ主が登場する」
すでに礼拝堂には大勢の白と黒のローブを着た人物達が待機していた。隊長の言葉を聞いて礼拝堂の様子を確認したオルフは口を閉ざす。そして祭壇の方へと顔を向けた。
信者の全員がしばらくの間、静かな空間で待機していると足音が聞こえ始めた。礼拝堂の扉が開き、祭壇へと姿を見せたのはヴェルフェ。ヴェルフェ・オルクトル。ユグドラシル教団の教祖である。そんな彼が段差を上がり祭壇の前で足を止めた。
「まずは言わせてもらいたい。君らのおかげで最初の作戦が成功した。これはとても喜ばしいことである」
彼は一人拍手をしながら言葉を続けていく。
「しかし、これはあくまで作戦の一つに過ぎない。そして次の作戦は幹部であるデオラマーサの主導で動くこととなる。この作戦は我々が空の島へ向かうための重要な作戦となるだろう。より身を引き締め任務にあたるように」
彼が近くで待機しているデオラマーサを呼び、自身の立っている場所へと移動させる。礼拝堂にいる人物達が彼女を見つめると、デオラマーサは息を大きく吸い込み部屋の中が響くほどの声で告げるのであった。
「これより作戦の第二段階『再生』を開始する‼」
♢
教祖のヴェルフェと幹部のデオラによる演説で盛り上がった礼拝堂は、作戦の説明が伝えられた後、解散となった。教祖が先に退出するのを見送った後に、信者達は礼拝堂から出ていく。そんな中でロナも部屋に戻ろうと礼拝堂から出ようとした時であった。廊下の端でデオラを護衛にしたヴェルフェに呼び止められた。
「識別番号六十七番。少し待ちなさい」
「はい。お父様」
「お前にこれを渡しておく」
ヴェルフェから渡された小包を彼女は大事そうに抱え込んだ。彼女にとって父親ともいえるヴェルフェからの贈り物は特別である。彼にとって自身が娘だと再確認できる喜びを与えてくれるものであるからだ。
「この小包の送り先の人間は既に死んでいる。有能な人材だったが共に危険な人材でもあった。残念だが作戦が終わった頃には始末させてもらったよ」
「では、この小包は……」
「これはその人間の子供からの仕送りだ。中には貴重な物が入っている。有効活用しなさい」
「はい!」
ロナの嬉しそうな返事にヴェルフェは反応を示さない。そんな二人のやり取りを護衛のデオラは不安げに見ていた。彼女は用事を済まして立ち去ろうとするヴェルフェと共にその場からいなくなる。一人取り残されたロナは小包をひとしきり見つめた後、自身が与えられた部屋へと戻るのであった。
部屋に戻ったロナは小包を机に置き開封していく。すると木箱が姿を見せたので蓋を開けると中から一枚の手紙が床に零れ落ちた。彼女は落ちた手紙を拾い上げ開いて読んでみる。
『お父さん、お母さんへ。お元気ですか?僕は元気です。今は、お父さんとお母さんから貰った福音の本を手にデルキルタス王国の首都フューリに向かった日を懐かしく感じています――――』
紙いっぱいに書かれた文字を読み上げていく。その人が書いた親に伝えたい思いが募った手紙を……彼女は長いこと読み上げて最後の文章までたどり着く。
『――――手紙と一緒に同梱されているのは、話の中で手に入れた未知なる鉱石です。僕からの贈り物を受け取ってくれると嬉しいです。アルフ・セルリア、ミト・セルリアの息子。アート・セルリアより』
読み終えた彼女は木箱の中身を見る。それは彼にとっては未知の鉱石であり、ユグドラシル教団にとっては身近な物であり知っている物でもあった。
「アダマンタイト鉱石と高純度の魔石……」
彼女は二つの石を手に取り見つめる。
「アート……あの時の彼。……貴方はなぜ、敵対するの?」
ぽつりと彼女が呟いた言葉は誰の耳にも届かず、ただ、ただ、宙を舞う……
♢
鉄格子の中で一人の男が目を覚ました。彼は青の花を探しにディストリア諸島へとケイという女性と共に船に乗っていたはずであった。しかし、今いるのは鉄格子の中。記憶が曖昧な彼はあれからどうなったのかケイの事を気にかけながら辺りを調べ出すのだった。
「外は……出られそうにないな。鉄格子の扉に鍵がかかっている」
鉄格子に備え付けてある扉には鍵が外側からかかっており、手で揺らしてみても開くことはない。彼は諦めて他にないか辺りを見渡すが、白い石で出来た壁と床があるだけで物が一切なかった。
「独房とはこんなにも殺風景な場所だったか? しかも妙に新しい……」
彼は壁に手を添えて二つの瞳で白い壁の状態を確かめる。壁は傷が見えないほどに磨かれているのか彼の顔が薄っすらと映っていた。彼は爪を立てて傷をつけようと試みるが、爪先が通った壁は依然として傷がついていなかった。
「あまりにも綺麗すぎるのに傷がつかない……硬すぎる。こんな材質があるとすれば島の宮殿ぐらいのは…………まさか!」
何かに気が付いた彼は急いで鉄格子の外を見渡す。目の前には自身が入っている鉄格子と同じ部屋。廊下は白い石に青い石の線が通っていて動脈の様に青白い光が通過している。しばらく様子を見ていると青白い光の粒子が目の前を通過していった。彼には覚えがあった。島の情報を集めている際に遺跡は白い石と青い石で出来ていて青い光が空中に浮いているという情報を耳にしていたのだ。
「ここはまさか宮殿内‼」
彼が答えにたどり着いた時であった。遠くから廊下を歩く足音が聞こえ始めた。彼は息をひそめ部屋の隅で寝たふりをして様子をうかがう。足音の主が彼の独房に差し掛かるのと同時に、足音が止まった。
「寝ているのか? 声が聞こえたと思ったんだが……。しかし全く……どうして侵入者なんか捕まえておくかねぇ。お偉いさんの考えることは分かんねぇや」
白いローブを着た人物は尻を浮かしたまま座り込み、寝ているであろう彼に向かって溜息を吐く。そのままの状態で手の平に顎を乗せようとすると隣にもう一人いた白いローブの人物が口を開いた。
「そんな事を言うでない。マーナガルム様の耳に聞こえていたらただじゃ済まないぞ」
「へいへい分かってるよ。それより確かベンターという男だったか? 一緒にいたケイとかいう女を誘き寄せるために捕まえたんだろう?」
「そのように聞いている」
「何で女を捕まえようとしているんだろうな。あの時始末すれば手っ取り早かったのに」
「そのケイという女性は重要な客人らしいぞ?」
「逃げてるのに?」
「重要な情報を持っているようだから丁重にと言われている」
「上がそこまで重要視する人物か……。どんな人なんだろな……」
「とにかく見回りは終わりだ。看守室に戻るぞ」
「へ~い」
会話していた二人は、いまだに寝ているベンターを再度確認し先ほど通ってきた道へと引き返していった。
「行ったか……」
足音が遠ざかる音を耳にした彼は、ゆっくりと起き上がり壁に背中からもたれる。
「しかしそういう事だったのか。ケイ……無事だといいが……」
天井を見上げて呟いた彼の声は誰にも届くことなく虚空に消えていくのだった。
♢
宮殿内で息を潜める様に柱の陰に隠れている包帯を巻いた女性がいた。彼女はユグドラシル教団から逃げている最中に別行動をとった一人の男の心配をしていた。
「ベンター様は無事でしょうか……」
彼女は緊張した様子で柱の向こうで警備している白いローブの人物を見る。
「早くここから脱出しないと」
ベンターと別れた彼女は再び合流する為に宮殿内の警備を掻い潜り、出口へと向かっていたのだが、徐々に増えていく警備の数に手をこまねいていた。
「あれは……」
遠目に見える出口を視界に入れながら焦りによる汗を額に一滴垂らしていると、警戒しているように動く警備の者と同じ姿をした者が会話を始めた様子が目に入る。彼女は話を聞き取ろうと耳をできる限り近づけ集中した。
「お疲れ。見張りの交代時間だ」
「もうそんな時間か。報告する。俺がいる間ケイという女性がここを通過したのは見ていないし、おかしな事は起きていない。以上だ」
「了解した。こちらからの報告はケイと一緒にいたベンターという男を捕獲し独房へと監禁した。看守の話では今はまだ眠っているようだが、いずれ起きるだろうとのことだ」
「その男を捕獲した意味は?」
「生かした方が都合がいいと。上の話さ」
「了解。しかし不安になるな。このままついていって本当に俺達の願いは叶えられるのか? なんか教会に狙われているようだしよ……」
「そんなこと言うな。俺だって不安だけどよ。作戦は順調に進んでいるんだ。まだ様子を見るべきさ」
「分かったよ。じゃあ後はよろしく」
「ああ、ゆっくり休んでくれ」
話し終えて交代した者が周りに異常がないか確認してから歩き始める。その姿を柱の陰で見ていた彼女は、少しだけ伸ばしていた首を引っ込めて音が出ないよう器用に息を吐く。
「ベンター様は生きてる…………」
彼女は考え込む様に目をつむり胸に手を当てる。しばらくして何やら決心がついたのか一度強く頷くと、出口から離れる様に来た道を引き返し始めた。
「ごめんなさい」
誰に聞かすわけでもない言葉を小さく零し、独房がある場所へと警備の者達の会話を盗み聞いて探し出す。隠れながら素早くおこなう情報収集は彼女にとって負担を強いられることとなったが、調査の手を緩めることはなかった。やがて独房がある場所を特定した彼女は、警戒を緩めないまま独房の入口である下りの階段へと足を進めた。
少し暗めの独房の中は汚くなく新品の様に綺麗な状態で、ここが本当に独房の中なのか忘れてしまうほどだった。壁に手を付けて何もない長めの廊下を歩いていると看守室と書かれた扉が目に入る。気づかれないように忍び足で通り過ぎ、鉄格子のある場所へとたどり着いた。手前から順番に中を覗いていくと探していたベンターの背中が目に入った。
「ベンター様。助けに来ました」
小声で、されど聞こえる様に語り掛ける。反応を示さない彼に寝ているのかと様子をうかがってみると、彼が寝返りを打ち薄くこちらのほうに目を開けた。彼女に気が付いたベンターはゆっくりと起き上がり鉄格子のそばに近寄る。
「逃げたんじゃなかったのか?」
「ベンター様が捕まっていると聞き、居ても立っても居られず……」
「それで戻ってきたというわけか……」
「はい」
「鍵はあるか?」
「持っていません」
「ぶっつけ本番だがケイなら大丈夫だろう。幸い鍵の構造は俺達の時代とさして変わらないこと確認している。この針金を渡す。これで扉の鍵を開けてくれ」
彼女は受け取った針金を低い位置にある扉の鍵穴へと入れ、いじくり回す。そうしてしばらく針金を左右上下に動かしていると鉄格子の扉が開いた。
「……開きました」
いつの間にか汗を垂らしていた額を拭いベンターに告げた。それを聞いた彼はすぐさま鉄格子の部屋から出て、彼女の手を引いて立ち上がらせる。
「ありがとう。急ごう」
「はい」
二人は一緒にこの場からの脱出へと急ぐのであった。
ケイの案内で宮殿の出口へと監視の目を掻い潜りながら進んでいく。障害物の陰に隠れたり、警備の者の背中に引っ付くようにして見つからないように動き回っていると、ケイが先ほどまでいた出口に近い柱の陰へと戻ってきた。ひとまず息を整えた二人は、急に慌ただしく動き回り始めた警備の者達の様子を観察する。
「どうしたのでしょうか……」
「……もう少し様子を見てみよう」
状況が変わり下手に動かないほうがよいだろうと考えた二人は、その場で警戒しながら待機する。しばらく待っていると慌てたような話し声が聞こえだした。
「おい! 重要な話があるらしい」
「重要な話?」
「ああ、それで礼拝堂に集合だと! 俺は先に行ってるからな!」
「おい! ちょっと待て! ああクソ!」
会話をしていた二人は駆け足で礼拝堂がある場所へと走っていく。更にその後を追う様に次々と警備の者達が走っていった。後に残ったのは気配を殺していたベンターとケイだけとなり、先ほどまで騒がしかった空間は静かな場へとなったのであった。
「礼拝堂に集合か……少し気になるが今のうちに出よう」
ベンターがケイの手を取り宮殿の外への扉を開けたのと同時に強い風が吹き込んでくる。髪の毛が捲りあがるほどの風であり、二人は薄く目を閉じて腕を上げた。風がすぐに緩やかになり始めたことで目を庇っていた腕を下げ目を開く。
「さっきの風は強かったな」
「ええ、それにここは宮殿の外なのでしょうか?確か宮殿は洞窟内にあったはず……」
「空が見えるな。それに雲も見える。おまけに宮殿へと続く橋はあるにはあるが、こんなところに白い石で作られた街なんかあったか?」
「ないです。そもそも私達が宮殿に向かっている時は洞窟を通っていたはずですから」
「では目の前に見えるのはなんだ?」
「街です……紛れもなく……」
「……そうとしか見えないよな……」
宮殿から出てすぐの橋へと足を踏み入れた二人の記憶では、橋を渡り切れば洞窟の出口に向かう上がりの階段があるはずだった。しかし渡り切った先の方で見えるのは階段などではなく、宮殿と同じ白い石で出来た建物が複数並ぶ街とも言えなくもない場所があった。
いぶかしむ様に二人が橋を渡っていると水が流れる音が聞こえてくる。何事かと音のする方へと向かうと橋の下の方で水が流れていた。
「これは川か?」
「かなり水が透き通っていますね……底のほうまで見えそうです。ただ川と言われると……」
水が人工的に作られた道を通って橋の下を流れているのをケイは悩む様に見つめながら答える。
「どちらかと言われれば水道ではないでしょうか?」
「水道か……ただそうなると、あの街で生活している人がいるかもしれないのか……」
「どうでしょうか? 人の気配はなさそうですが……」
「もしかしたらユグドラシル教団の拠点かもしれないな。今は確か礼拝堂に集合しているんだろう? なら街には誰もいないはずだ」
「それならば先に進みましょう。私達がどこにいるのか分かるかもしれません」
「そうだな」
二人は街の中に入ると警戒しながら進んでいく。しかし一向に誰とも遭遇することはなく、風鳴が耳元で聞こえてくるだけであった。
「なんかおかしくないか?」
「はい。あまりにも静かすぎます。こんなに静かであれば動物たちの鳴き声など聞こえてきそうなものですが……全く聞こえません」
「晴天の空……上を見上げても鳥一匹飛んでやしない。どうなってやがる……」
気味が悪そうに辺りの様子を探っていると大人の肩ぐらいまでの高さの壁が横に長く続く場所へとたどり着いた。
「ここは風が強いな……」
「下はどうなって………………‼」
「ケイ! どうした!」
壁の向こうを覗き込んだケイが固まったことにベンターが慌てて彼女の肩を揺する。だがいくら声を掛けても返事がないため、自身も壁の向こう側へと頭を出した。
「…………嘘だろ…………」
壁の向こう側は二人にとっては信じられない景色が広がっていた。そう自分達はディストリア諸島のどこかにいると考えていたはずなのに実際は空の上にいたのだ。下に広がる雲の脇目からゲールマトラ王国と思わしき建物と機械が煙を上げている様子が見える。
「ゲールマトラ王国……なの……ですか?」
口を辛うじて開いたケイにベンターは苦虫を潰したかのような顔をする。そして、とある場所へと指を差して答えた。間違いなく、ここはゲールマトラ王国だと。なぜ答えられたのか、それは彼が示す場所にはゲールマトラ王国で最も特徴的な城、鋼鉄で出来た機械の城がそびえ立っていたのだから。
「脱出は不可能だ……」
ベンターが諦めたかのように一言呟いた時であった。二人の背後から足音が聞こえてくる。二人は分かっていたユグドラシル教団の連中が追いかけてきたのだと。
「どうでしたか? 箱舟ミライの観光は。楽しんでいただけましたか?」
背中からかかる声に二人が振り向く。するとそこにいたのは、ユグドラシル教団の特徴である白いローブを着た男が立っていた。叩いていた手を止めて、かぶっているシルクハットという帽子を脱ぐ。そのあと彼は薄気味悪い表情を浮かべた。
「あんたは……」
「これはこれは挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。私はユグドラシル教団の幹部フラタル・マルシエールと申します。気軽にフラタルとお呼びください」
シルクハットを使い鮮やかな体勢で挨拶したフラタルは姿勢を元に戻し帽子をかぶり直した。ただ帽子の位置が気に入らないのか何度か微調整してから胸を張った。
「それでどうでしたか我らの船は? 我ら教団はディストリア諸島で遺跡として眠っていた箱舟であるミライを起こして再び空へと舞い上がらせたのです! 私達は空を飛んでいるという事実。何だかゾクゾクしませんかぁ?」
「ここが教団の拠点じゃなかったらな」
「何だか貴方と私は気が合いそうですねぇ。捉えなさい」
フラタルが後から追いついてきた教団の信徒達に指示を出し、ベンターとケイの二人を捕縛する。抵抗さえ許されず縄で縛りつけられたベンターが、フラタルを睨みつけて言葉を吐きつけた。
「それより俺達をどうするんだ? わざわざ泳がせておいて何もないなんてことは無いよな!」
「当然! と言いたいところですが……単純に泳がせておいても問題なかっただけですよ。何せここは空の上。逃げ道なんてありませんから」
「チッ」
「おお怖い怖い。早く彼を牢獄へ」
ベンターの舌打ちにフラタルはおどける様に笑う。信徒達がベンターを連れて行くのを見届けると、ニヤついたままの彼は警戒心剥き出しの残っているケイに向かって手を伸ばした。
「ケイ嬢。貴方は私達と共に向かいましょう」
「どうして貴方なんかと!」
「貴方も怖いですねぇ。彼に似たのでしょうか? まあいいでしょう。私が先頭を歩きます。貴方達はケイ嬢を見張っていてください」
差し出した手を引っ込めてブラブラさせたフラタルが歩き出した。その後に続くようにしてケイと信徒達が歩いていく。彼がケイに案内するのは宮殿の庭園から入れる建物。教団の実験施設である。これから彼女自身に起こる事や自分に与えられた使命の事を考えると、不思議と笑みがこぼれるほどに彼は楽しんでいるのだった。