Fate/stay night〜もう一つのアーサー王伝説〜 作:河川敷マン
本編はUBWルートでやっていこうと思っています。
第1話
「──アーチャー、少しでいいわ。一人であいつの足止めをして」
「────────」
苦虫を噛み潰したような表情のマスターが告げる。その言葉を、傍らに控えるサーヴァントは無言で聞き届けた。
「無謀です、凛! 彼一人ではバーサーカーには敵わない……!」
セイバーが言っていることはもっともだ。
相手はギリシャの大英雄ヘラクレス。英霊としての格も、強さも……並のサーヴァントでは太刀打ちすることは不可能だろう。だが、そんなことは言われずとも分かっている。
「わたしたちが逃げるまでの時間を稼いでもらうの。現状、その役目が務まりそうなのはアーチャーだけみたいだし、……ねぇ?」
「う……!」
凛が一瞬覗かせた冷笑に、セイバーは思わずたじろいだ。
いつからか、凛は時折、セイバーに対して敵意にも似た視線を向けるようになっていた。彼女が全くの無意識であることが分かっているため、余計に心苦しい。セイバーは依然として、凛が向けて来る悪感情の出処が掴めていなかった。
そして、バーサーカーを見据えたまま黙考を続けていたアーチャーは僅かに頷き、
「賢明な判断だ。足手まといが居ては、満足な戦いもできん。──凛、衛宮士郎。そこの役立たずを連れて、さっさと行け」
一人、前へと歩き出した。
バーサーカーは微動だにしない。
頭上からは、嘲笑うかのようなイリヤの声だけが聞こえてくる。
「あはは! 一人でわたしのヘラクレスを止めるっていうんだ。リンのサーヴァントだけに、やっぱりおバカさんのようね」
「くっ……」
凛は握り締める手に力を込めた。
しかし、マスターが悔しさを滲ませる一方で、サーヴァントであるアーチャーは、相変わらずの徒手空拳のまま、不敵に微笑んでいた。
「生憎だが……私はともかく、マスターはとても聡明な魔術師だ。人間としても、女性としても、何処に出しても恥ずかしくないと、私は思う」
「ちょ──! こ、こんな時に何言ってんのよ、バカ!」
『死ね』と同義である頼みをした手前、かける言葉が見当たらなかったのだが、あまりの不意打ちに「バカ」と叫んでしまった。……いや、バカにバカと言って何が悪い。こんな恥ずかしいセリフを、今になって言うなんて。
凛は顔が沸騰しそうになるのを堪えながら、アーチャーに文句の二、三でも言ってやることにした。それを。
「ところで凛。一つ確認していいかな」
気勢を削ぐような、落ち着き払った声色で、アーチャーが遮った。不発に終わった凛は若干不満気な様子だ。だが、この状況がそんな感情を許す筈もなく、凛は少しの間を置いて応えた。
「ええ、いいわよ」
この後に及んでまた何か来るのだろうか、そんな考えを浮かべて身構えていたが、正直言って甘過ぎた。毎度のことながら、このサーヴァントはマスターに一泡吹かせるのを趣味としているのだろうか。
「時間を稼ぐのはいいが、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?」
ギリシャの大英雄と相対して尚、赤金のサーヴァントに一切の忌憚はなかった。
その背中に、凛は、胸が熱くなるのを感じた。
アーチャーは真名を告げるのを固く拒み、英霊の象徴たる宝具ですら、いまだに秘匿し続けている。それは、凛が無理に問い質すことをしなかったことが大きく関わっていた。「あ、そう」という一言だけで、素性の詮索を打ち切ったせいか、アーチャーが戸惑いを見せていたのを覚えている。
「こっちよ、急いで!」
月明かりを頼りに、木々の合間をすり抜けて行く。辺りは見渡す限りの森。人のいる気配は、微塵も感じられない。後ろを見やれば大きな古城が佇んでいる。あそこでアーチャーがまだ戦っているのに、逃げることしか出来ない自分は、マスター失格だ。
「……ほんと、バカよ……」
凛を先頭に、三人は休むことなく駆けていた。
早くこの森を抜けなければ、アーチャーが戻って来れない。疲労と焦燥感がどんどん蓄積されていくが、意に介さない。あの女たらしには、言いたいことが山のようにあるのだ。こんな終わりは、絶対に認めない。
アーチャーを失いたくない。その想いが、凛を鼓舞する。
「士郎、セイバー、もっとペース上げて!」
「待てよ、遠坂。セイバーが辛そうだ」
セイバーが辛そう? そんなこと、どうだっていい。自分たちが安全圏まで離れないうちは、バーサーカーと一騎打ちをしているアーチャーは逃げられないのだ。最優と言われるセイバーでさえ圧倒されるのだから、厳しい戦いだと言わざるを得ない。そんな無茶を頼んだ自分が言えることではないが、あの男には、アーチャーには帰って来て欲しかった。
「いえ、……これしきのことで……音を上げるわけには、いきません」
「ほら、セイバーもこう言ってることだし……」
「──駄目だ。セイバーにこれ以上の負担をかけられない」
「どうして!」
三人の足が止まった。
士郎がセイバーの手を取り、顔色を窺っている。セイバーは肩で呼吸していて見るからに辛そうだ。しかし、それを見つめる凛の表情は、いつになく険しかった。
凛は、パスを通した夢の中でこの剣の英霊を見ていた。それはアーチャーの記憶。あの無骨なサーヴァントが抱いていた憧憬を垣間見たから分かる。アーチャーにとって、眼前にいるセイバーは特別な存在だったのだろう。だが、夢の終着点は──悪夢だった。
矛盾を抱えながらも、ひたすらに幻想を追い続けた男は、死屍累々の丘で、その身を貫かれた。どこか達観したような面持ちのアーチャーは、己を弑した相手に向かって、残念そうに微笑する。その瞳に鬼気を宿し、怨嗟の念をぶつけてくる下手人は、セイバーと瓜二つ。生前の二人に何があったか定かではないが、以来、凛は自然とセイバーから距離を取るようになっていた。
「……どうしてよ……」
アーチャーを殺した張本人かもしれないセイバーを、どうしても受け入れられない。果たして彼を失ってまで、助ける義理はあるのだろうか?共闘関係にある以上、不和を招くような行為は避けなければならないが、アーチャーはかけがえのないパートナーだ。ここでセイバーが消えれば、自分たちは今より早く逃げられる上に、アーチャーも戻って来れる。
……セイバーが、消えてくれれば。
不意に、悪魔が囁いた。
それは、凛の欲求を満たしてくれる甘美な誘惑。
アーチャーが抜け、三人の中で一番動けるのが自分になり、衛宮士郎を守るセイバーは極度に疲弊している。……やるなら、今だろう。この機会を逃せば、もうアーチャーに会うことは叶わないかもしれない。
ポケットに手を入れて、中にある宝石を掴む。マスターが死ねばサーヴァントも消える。あとは呪文を唱え、セイバーに掛かりきりの士郎を焼き払うだけでよかった。それなのに、
「……ホント、心の贅肉よね」
甘いと言われれば、実際そうなのだろう。
一人の生命を奪うことで、欲しいモノを一つ手に入れる。生粋の魔術師ならそれくらい躊躇いなく実行するが、その手段を選ばない自分は、やはり魔術師としては未熟。しかし、アーチャーが言った『聡明な魔術師』とは、生粋の魔術師を指しているわけではないと思う。
こんな未熟者の自分を、アーチャーは理解し、褒めてくれた。己がサーヴァントは偏屈な性格の持ち主だったが、とても好ましい人となりだった。こんな気持ちは初めてで……多分、自分にとって、どうやらこれが初恋らしい。時代を超えた恋など、聞こえこそは魅力的だが、立ちはだかる壁は非常に大きく、修羅の道であることは想像に難くない。
不意に身体から、魔力がごっそり奪われていった。その量からして、ついにアーチャーは宝具を使ったようだ。城のある方向で、眩いばかりの極光が迸った。巨大な光の柱が森を照らし、夜空を突き抜けていく。アーチャーの輝きは、凛にしっかりと届いた。
「……アーチャーは勝つ。そして帰って来る」
だから自分たちは生き残らなければならない。そして、疲れ顔のアーチャーを労ってやるのだ。得意の中華料理を食べさせてやるのもいいかもしれない。そうして、凛は士郎とセイバーに、三人ともが助かるための方策を打ち出した。
「■■■■■■■■■■■────!」
鉛色の巨人が咆哮を上げながら赤と金の騎士へ突撃した。
「くっ──!」
巌のような巨躯からは想像もつかない俊敏さで繰り出される連撃に、アーチャーは後退を余儀無くされる。その一撃一撃が必殺の威力を持っているため、直接喰らえば一溜まりもないのだ。よって、できる限り距離を取って戦うのが自然だが、一向に止まない剣戟がそれを許さず、アーチャーは徐々に追い込まれながら生傷を増やしていた。
「なぁんだ。アナタ、随分とおおきなこと言ってたくせに、全然たいしたことないのね」
イリヤはアーチャーの戦い振りを冷ややかに評した。
確かに、あれだけのデカい口を叩いておいて、まだ一度も殺せてないのだから、この評価は仕方がないだろう。もっとも、暴風のような激突を真正面から受け続けて尚、凌ぎ続けるアーチャーの技量は無視できないが、バーサーカーと違って弓兵には命が一つしかない。もしかすると、瞬きをしている隙に勝負が決まってしまうこともあり得るのだ。相手が一向に攻めてこないせいで、イリヤは徐々に飽き始めていた。
「バーサーカー、遊びはもう終わりよ! 早くソイツを潰しなさい!」
「■■■■■■■────!」
主からの要望に、バーサーカーの攻撃が一層密度を増した。
「やれやれ……せっかちなお姫様だな。はぁっ──!」
それを、アーチャーは一振りの剣で迎え打った。
力と力のぶつかり合い。当然、膂力で遥かに劣るアーチャーが押し込まれるだろうと、イリヤは思っていた。だが、
「おおおお──!!」
突如として、アーチャーの全身から魔力が滾った。
イリヤとて魔術師の端くれだ。目の前で何が起こっているかは判断がつく。
弓の英霊は魔力をブースターのように放出することで、身体能力の底上げを行っているのだ。しかも、その効果は絶大で、バーサーカーを斧剣ごと押し戻すほどであった。
やがてバーサーカーは剣圧に耐え切れず、身体を仰け反るようにして弾かれた。
「────I am the bone of my sword(体は剣で出来ている).」
照明が割られ、視界がゼロの中、詠唱が厳かに響き渡るが、アーチャーの居場所は掴めない。例え魔術師であっても人間であるため、いきなり暗闇へ放り込まれれば視えないモノは視えないのだ。身体機能を上げる術を一切持たないイリヤは、この闇に慣れる他なかった。頼みの綱は天窓から射し込む月明かりだが、そんな上手い話はさすがに…………さすがにないだろう……そんな風に思っていた時期もありました。
「もし月の女神がいたとしたら、アナタはとても嫌われているようね」
「さて、それはどうかな」
アーチャーの手には見慣れない西洋剣が握られていた。
「陰と陽。二つ兼ね備えてこそ輝きは強くなることを知れ!」
肉体の奥底から湧き出る魔力が一斉に剣へと集まって行く。同時に、夜中だというのに目を覆うような輝きがイリヤの視界を阻害させた。まるで、太陽が現れたかのようだ。そして、煌めく日輪の剣は、まさに太陽であった。
「──改・転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーンR)!」
宵闇を灼かんとする光剣は、刀身を延長させながらバーサーカーを肩口から焼滅させた。命が散る声を聞きながら、アーチャーは光と影を併せ持つ剣を無心で振り抜いた。