「ただ、勇者様がそうして自らを蔑ろにし続けるならば、私も相応の対応を取る必要があると。…そう感じたのです」
「何を言ってるの…?」
勇者様は私の言葉に、ただ困惑していた。
これから私がすることは、おそらく勇者様の心を裏切ることだろう。
それでも、構わないと思った。
きっとこの先に居座り、教皇様と対面している存在は"最初の魔王"だ。
誰にも気付かれることなく教会の精鋭を散々と甚振って、しかも教皇様の元まで辿り着く。それが出来るような存在など、今の世界では彼以外に居ないだろう。
扉の奥よりふつふつと感じる魔力も、あの時に感じたそれに近い色をしている。
命懸けで救った存在を、今度は命懸けで殺す。
そんなのは、あんまりじゃないか。
勇者様がそうやって自らの心を裏切り、異を唱えることもなく教会に従うことを選ぼうとしている。
それが私には許せなかった。
聖都の結界を超え、可能な限り遠くまで逃げよう。
ただの転移では、教皇様と大司教の方々が仕掛けた"聖都の大結界"に阻まれてしまう。…しかし、私は腐っても聖女だ。
遥かな力量差すら覆せる手段を持っている。
聖別を使うのだ。
先の戦いで代償を絞り込む術を知った。
切り捨てても良いものなど、まだ幾らでもあろう。
私の心に躊躇いはない。
もしかすると一度使ったせいで、たがが緩んでいるだけなのかも知れないが、むしろそれは都合の良いことだ。
「つまりですね、『
『それは駄目だ』
詠唱の途中であった奇跡が、急速に力を失って霧散する。
突如として割り込まれた得体の知れない魔力の干渉によって、発動を妨害されたのだ。
代償は払われることなく、注ぎ込んだ魔力も身体に戻って来る。
それは魔力の挙動だけを見れば、奇跡のそれに近しい性質をもっていた。
感覚としても奇跡による攻撃を受けたように思われたが…しかし、偉業を否定するモノが信仰心を由来とする技には到底思えない。
なにか冒涜的な技術によって、対応する間もなく詠唱を棄却されたのだ。
「…っ!?」
一瞬驚愕で思考が固まるも、次に備えるべく立ち上がる。その直後、背後から木材を叩きつける乱暴な音が響いた。
それは奥部屋の扉が開放された音だった。そうと気付いて振り返ろうとした矢先、勇者様が力を失い人形のように崩れ落ちるのを認識する。
「勇者様…!!」
倒れる前に、抱え込む。
無意識だった。後になって、その体勢が不味いと気付いた時には、もはや手遅れであったのだ。
『フェイリアは眠らせた。もっとも、長くは持たないだろうが…』
しわがれた老人の…教皇様の声が脳内に重く、深くまで染み込んでゆく。
『それにしても、恐ろしいことだよ。モリオル、お前は毎回予想だにしない行動を取る』
それは強制力のある言葉だ。間違いなく、何かタネがある。
あぁ、でも…冷静に思考を回せない。奇妙な心地良さが胸いっぱいに広がっている。…そんな事はありえない。
その小さな身体を手放してしまわないように、勇者様を強く抱きしめる。
『仮にも聖女というのに、まさか教皇から逃げようとは思わなかった。少しでも遅れていれば、面倒なことになっていたな。だが、捕らえたぞ』
教皇様は、一体何を言っているのだろうか。
頭の痺れるような多幸感。視界がぼやけ、音が反響するようだ。
大きく空気を吐き出して、吐き出した分を取り戻すように、大きく息を吸う。
『ひとつ。今後一切、聖別を使うことを禁ずる』
「っ…」
肯定の言を漏らしそうになる。
聞いてはいけないと意識を固く保ち、何とか口を閉ざし続ける。
ここで返答をすれば、私が自らの意思で教皇様の言葉に同意したことになってしまう。
誓約の奇跡を使われている気配があった。ここで誓約を結んではならない。…なぜ誓約を結んではいけないのだろうか?
教皇様たってのお願いを断る理由などないだろう。
思考が矛盾している…?
まずい、なにか変だ。
息を吸う、息を吐く。
喉を通り、胸に溜まり、身体中に行き届く空気の感覚を捉える。
全身を巡る魔力の流れに意識を集中させる。
『ふたつ。フェイリアを差し出せ』
「…??」
何を言っているのだろうか?
勇者様は元より私のものではないというのに、差し出すもなにもないだろう。勇者様は勇者様だけのものだ。
必要があるだとか、そんな理由ではどうしようもできない。
そういうことならば、勇者様が起きてから話せば…
胡乱な考えに集中を乱される最中、不意にこの現象の正体に気がついた。
『やはり、駄目か』
頭の中心…脳の奥底で、魔力の奇妙な活性を認識したのだ。
それを意識して沈めれば、徐々に多幸感が静まって、思考力も回復してゆく。
これは…一体なんだろうか?
教皇様の言葉に呼応して身体が反応する様子は、まるで生理現象めいた本能的な働きに見えてしまう。どうやら魔法や奇跡による干渉は受けていないようだ。つまり、すべて私の内側で完結している現象ということになる。
こんなことは普通ではない。…と、そこまで考えた所で、脳裏に嫌な想像が過った。
この現象は聖女という存在に備え付けられた機能なのではないかと。
『救世の聖女は手に余る。異なる役目を与えても、意味の強さは変わらんか。想定していたことではあるが…』
聖女がそうなる過程で施されたあらゆる加工は、私自身把握しきれていないほどに膨大であり複雑だ。
成り果てた後の様相から、何をしたのかを推測することは不可能に近い。しかし、私の知る聖女の性質は、その全てが自己犠牲。そして教会に正しく服属するよう仕向ける為のものだった。
曇った記憶、歪んだ認識、奇妙な幸福感、無根拠な信頼…
思えばそれらは、教皇様から使命を賜る際に常に感じていたものだろう。
聖女とは、英雄に必要十分な能力を持ち、生真面目で慈悲深くあれかしと生きてゆくものだ。それにも関わらず、教会の命とあらばどのような非道にも手を染め、疑問すら抱くこともない。
その不自然な思考の歪みも、コレが原因だったと思えば納得が行く。
つまり、この感覚は聖女への絶対命令権だ。
私達に刻み込まれた仕掛けが、教皇という存在に対して妄信的であるよう働き掛けていたのだろう。
『いや、いや…聖女相手にこれ以上のリソースは費やせないな。少々勿体無いが、眠っていてもらうしかないか』
そして私は、そうであったが故に正気を取り戻すことができた。
呪いに冒され、聖別により魂を削ぎ落とした。その過程で生じた歪みが、聖女に施された加工を壊したのだと思われる。
実際、こうして感じられる多幸感は普段より明らかに薄く、多少なりとも思考を回すことが出来たのだから。
『モリオル、こちらに来るのだ』
「ふっ、ふざけないでください…!」
『…ほう?自力で解いたの―――
魔力の活性は意識すれば押さえつけられる。
脳に直接響く鬱陶しい声は、所詮伝言の奇跡に過ぎない。それならば強く拒絶するだけで影響から脱することができるだろう。
「すみません、勇者様!少々…乱暴にいたします!!」
大声で呼び掛けながら、勇者様を抱え込んで立ち上がる。
その勢いのまま、教皇様の気配を背後に、逃げ出すべく地下道を駆け出した。…確かに奥部屋から離れる方向に駆け出したはずなのに。
「まぁ、構わんさ。未熟なうちは、どうとでもなろう」
「…!?」
どうして教皇様が目の前にいるんだ?
最早すぐそば、目と鼻の先。豪奢な祭服を身にまとった無表情の老人が、こちらへと…いや、私の抱き上げている勇者様へと、手を差し出している姿を認識する。
そのしわがれた手が勇者様に触れる寸前、簡易的な衝撃の魔法で弾き飛ばした。
手ごたえは想定していたものとは、全く異なるものであった。ひどく柔らかで湿った音と共に、やけに巨大なものを撃ったような感触を覚えたのだ。
彼が不思議そうな表情で、打ち上げられた自らの腕を見上げる。
「…その手の魔法は教えていないはずなのだがな」
「勇者様からっ…離れてください!」
あらゆる不可解な事象を理解するより先に、目の前の男から距離を取るため飛び退く。
直感的には、教皇様が目の前に転移してきたように見えた。だが視界に映りこむ景色を見れば、
彼が地下道に出てきたのではない。私が奥部屋の中にいる。
距離を取ったまま、あたりの様子を捉えようと見まわす。
そこは地下にも拘らず、絢爛な装飾が施された祭室であった。
何処からか光の差し込む巨大な窓が取り付けられ、絵画の飾られた廟が広がっている。
先ほどまで確かに気配があった最初の魔王の姿は、どうやらここには無いらしい。
まさか教皇様が自ら返り討ちにしたのか?
この濃い血と焦げの臭いは、魔王がやられた痕跡…?
ただ、戦いが起きたにしては妙に部屋がきれいに見える。
魔王は何をされ、今はどうなって……
「本当にそれでよいのか、モリオル。考えている暇があるのか?」
不意に、胸の中心に鋭い痛みが走る。
何が起こったのかと見下ろせば、そこには私の胸を貫き、深々と刺さった杭があった。
「なっ…」
これといった前触れもなく発生した攻撃。動揺を抑え込み、対処を求めて思考を回す。
勇者様を抱えるために腕を使っている現状、それを引き抜くことは叶わない。
明らかに臓腑を貫き、背まで貫通したままの杭に逡巡するも、すぐに治癒の奇跡を使う決心をする。
「『癒しよ』…ぐぅっ!」
「よくやるものだな。お前にとって勇者とは、それほど価値のあるものか?」
「あっ…たりまえ、です……っ!!」
「ほう、そうか。良いことだ…」
貫かれた部分が杭を取り込むように再生し、すさまじい異物感と不快な苦痛が全身に広がる。
それは明らかに悪手であった。
杭に毒が塗られていれば、それごと取り込んでしまう。肉体も不自然に再生してしまうため後処理が必要不可欠だ。
それでも、治癒をしなければ死んでいた。
もとより勇者様を手放すリスクは選べない。
いったい何が起こったのか、欠片も理解できない攻撃であった。
理解して、対処しなければ。
姿勢を低く構えて、いつでも回避できるように警戒する。
万が一に備え、勇者様の身体には結界の奇跡を掛け、彼女を抱える右腕には魔法による身体強化を施した。
「どれほど気を付けても、分からないぞ。もう一度だ」
次に攻撃されたのは、両膝に右肩…そして首だった。
今回は考え事などしていない。一挙一動を見逃さないよう警戒していたというのに、気付いた時には既に杭を刺されていたのだ。
詠唱を潰された…!
体の芯に冷たい驚きが走った。
足を壊されたこと…それ自体はどうとでもなる。しかし、喉を壊されたのは非常にまずい。
詠唱せずに使える奇跡や魔法は一部のものだけだ。それだけでこの状況を切り抜けられるようには到底思えない。
膝を砕かれ、足から崩れ落ちる。
一気に敗北…自らの死。あるいは、勇者様を奪われてしまう未来が輪郭を帯びてくる。
結局、二度目を経てなお、攻撃のタネが分からなかった。行動の起こりも、魔力の揺らぎも何も。…いや、あるいは"何にも気付けなかったこと"自体が仕掛けの本体なのだろうか。
教皇様は私の認識を操っている。
この仮定が合っているなら、これまでの様々な不可解な事象にも納得が行く。加えて、使うべき奇跡にも目星が付いた。
……だが
無詠唱で扱うには理解が足りていない。
まずは喉を治さねば。
「これで終いだ―――
教皇様が口を開くと同時に、転移の奇跡を発動させる。
もっとも通常の"転移"ではない。普通に発動しても、先のように妨害されることは分かりきっていたため、奇跡の解釈を歪めたのだ。
結果として、転移先は極近距離。しかも、視界に映った範囲が無造作に指定されるピーキーな代物と化してしまったが、代わりに発動時間はごく短い。
それを、とにかく幾度となく繰り返して発動する。
視界が激しく切り替わる。
もはや私自身、どこに立っているのかも分からない有様だが、これなら"杭"の攻撃が当たることはないだろう。
たとえ奇跡であろうと魔法であろうと、相手の位置を捉えられねば打ち出せないはずだ。
「なんだ、この奇跡は…?流石に初めて見るな。いささか粗末な方法だが…まぁ、確かに効果的だ」
転移を絶えず発動させながらも、杭が撃ち込まれた部位…中でも膝と喉に意識を集中させ、そこに過剰な魔力を注ぎ込む。直後、魔力の飽和した部分が杭を巻き込むように破裂した。
ボッという肉の弾ける音がしたかと思えば、突き刺さった杭が緩み、ずるりと抜ける。
こんな魔法とも呼べない魔力暴走でも、自らの身体を壊す程度なら造作もないことだ。
「面白いな、そこまでするか」
続けざま、治癒の奇跡で身体を回復させた。
無詠唱でもこの程度の傷ならば、何の問題も無く治せるはずだ。
「げほっ…げぇ…」
「今までの聖女より弱いが、思い切りはある。厄介だが、芯があることは僥倖だったな」
ごちゃごちゃと訳の分からないことを語る教皇様は努めて無視をする。
喉が癒えたことを確認すると、転移の奇跡を止め、すぐさま看破の奇跡を詠唱した。
「みっ…『見通す瞳』ッ!」
効果が発動すると、今まで見えていた世界が、完全に異なるものに変貌する。
無機質で起伏のない石壁、全身を杭で打たれて磔にされた最初の魔王の姿、そして少し驚いたような表情で私を見る教皇様。
幻視の魔法。奥部屋からの逃走に失敗した理由や、杭による攻撃の正体は、それを使って私の認識を乱したり、自分自身の動きを誤魔化していたからだろう。
そして、最初の魔王。彼もまた、ここに居た。
どうやら彼は、全身を杭で打たれ、何らかの呪いによって力を封じられているらしい。だが、その目はじっと教皇様を捉えており、確かな怒りを露わにしている。
「もう気付くのだな。前よりも、いくらか早い」
「前…?」
前、とは一体どういう…?
不可解な言葉から出た疑問を振り切って、次の手を打つために頭を回す。だが、一足遅かった。
この状況で戦闘以外の事に気を散らしてしまったことは、相当致命的であったらしい。
「救世のためとはいえ、その思慮深さは欠陥だろう」
気付けば教皇様は、こちらに手のひらを向けていた。
―――まずい、避けないと。
急激に噴き出した異様な魔力に、血の気が引く感覚を覚える。
その高度な技術と無詠唱が相まって、教皇様が一体どのような奇跡を使おうとしているのか分からない。間違いないのは、それが私を壊すに十分な何かであるということだけだった。
ただ逃げるといっても、この閉所ではどこにも行けない。地下道は直線だ。走り抜けても格好の的になるだけだろう。
転移の奇跡は、先に発動を妨害されている。杭を避けるために使ったものは、転移先を自分で選択できない以上、広い範囲に打ち出す攻撃には無力だ。
結界の奇跡。…それなら、教皇様が何を使うにしても有効に働くだろうが、どうしても結界は単純な構造をしている。何らかの対策が取られている可能性は考えるべきだろう。
嫌な予感がするのだ。教皇様が大技を発動させる様子を、こうまで露骨に見せつけているのも不自然であった。
思い浮かぶ解決策、その全てが不十分だ。
余りに信頼できない。無為な行動に終わるような気がしてならない。…だが、攻撃への対処はできずとも、場を荒らす手段はあるだろう。
おそらく教皇様は、私を殺そうとはしていない。
その気があるなら『杭』を打ち込む先は、喉や胸ではなく頭にしたはずだ。
もしそうであるならば、今回の攻撃でも私が死ぬことはないと考えられる。
無事で済まないことは間違いないが、回復までの間に勇者様が奪われるのを阻止すれば、まだやりようはある。
確実に味方ではない。それでも教皇様の敵なら、この場にもう一人いるのだ。
活用しない手は無いだろう。
こうして考えている間にも、教皇様は奇跡発動の準備を済ませてしまったようだ。
彼の手からバリと青白い稲妻が迸り、膨大な光が視界一面に広がった…それと同時に、私も奇跡を発動させる。
「『解呪』、『結界』…っ!!」
次の瞬間、後に発動させた方の奇跡…結界が砕け散る。
もっとも、何かを防いだ手応えはない。どうやら結界を壊す何らかの仕掛けが施されていたようだ。
まぁ、想像できたことだろう。驚くことはない。
迫る脅威に腹を括ると、歯を食いしばって、勇者様を自らの身体で覆い隠す。
それから一拍遅れて、膨大な熱量を体感した。
著しい放電音と、圧倒的な魔力を撒き散らす何かが、私の目前で爆発している。
不可解なのは、なぜ直撃していないのか、ということだった。多少の火傷程度の痛みしか感じないのだ。
それから数十秒ほど状況が継続し、やがて白い光が収まってきた頃、私が認識したのは…
「大聖女、俺に賭けたのは正解だったな」
骨すら見えるほどに激しく焼かれ、しかし瞬きの間に完治しつつある最初の魔王の姿だった。
「か、庇ってくれたのですか…?」
「今のお前は随分と貧弱なようだからな。…このような手緩い攻撃など、本来ならどうということも無いだろうに」
顔だけ振り返ってこちらを見つめる彼は、今にも大きな溜息を吐きそうな呆れきった表情をしていた。
「そうだろう、教皇ゼペットよ」
「…そうあってしまうと、困るのだがな」
教皇様が両手を挙げながら、うんざりと語る。
気付けば奥部屋に張り詰めていた魔力は霧散していた。
「それは一体、何のつもりだ…?」
「聖女は殺せない。…お前がそうするのならば、もはや無力化も出来ないだろう。ならば、戦う意味などないのだよ」
彼は戦闘終了の意向を露わにした。
果たして、それは本当なのだろうか?
実際、教皇様ほどの技量があれば、僅かな予備動作もなく魔法や奇跡を発動できるだろう。実質的に戦闘態勢は必要無く、この降参めいた振る舞いも形だけということすら有り得る。
「戦う理由がないだと?…俺にはあるぞ」
「…私は、お前に用事など無いのだがな」
「ふざけるな、聞いていないことが山程ある」
一方、魔王は手元に武器を呼び出し、それを教皇様に向かって突き出していた。
肌をヒリつかせるような緊張感は、彼が教皇様に対して一方的に放っているものだ。
「魔王風情に成り果てても、そういう性格は変わらないようだ。お前にも戦う理由はないはずだろう」
「貴様…」
「最初の魔王。…いや、泣き虫のアレックス坊や、よく考えてみるといい」
その瞬間、魔王から放たれる圧が数段強くなったように感じられた。
彼の剣が強く赤熱し、明らかな殺意をたぎらせている。呼吸の都度、口から炎を吹き出す様は、まるで本当の竜のように見える様相だ。
「それに、心配せずとも今回で最後なのだ。お前の危惧しているようなことは起こらない」
「有り得ない…そのような戯言を信じられると思うのか?」
「ふむ、おかしいな。お前には『私を信じない』ことはできないだろう」
苦々しげな呻きと共に、剣が降ろされる。
戦いたくとも戦えないといった風情で、先のやりとりからも魔王が弱みを握られているのは明白だった。
「…糞が」
「それでいい。お前はお前の役割を見つけたのだろう?…であるならば、このようなことに時間を使う暇など無いと知るべきだ」
「見られていたのか…?」
それにしても、言葉を交わす二人を観察していると、両者とも私とは次元の違う強者であると分かるものだ。
会話は蚊帳の外に置かれているが、魔王も教皇様も睨み合いの最中、私を強く警戒しているらしい。
逃げようと魔力を練れば、二つの目線がこちらに向く。
彼らが戦いを始めれば逃げられると思っていたのだが、ここまでマークされていては、いずれにせよ動くことはできなかっただろう。
一応隙を伺ってはいるが、意味があるようには思えない。
「一体いつから見ていた。…今回は一度も貴様と会っていないはずだ」
「アウロラと接触しただろう?」
「…あいつは未だ教会の端末だった、ということか」
やはり、彼らは元々知り合いであったのだろうか…?
一見すると魔王が一方的に教皇様を敵対視しており、教皇様は適当にあしらっている風情に見える。それは二人の立場や歴史、アウロラ様から聞いた話…これらを考慮すると、納得がいかない関係性であった。
"教皇様の歴史には、アウロラ様にすら秘匿されていた何かがある"と言えばそれまでだが…
「それで、だ。モリオルは、聖都から出る許可が欲しいのであったな?」
突如として話の矛先がこちらに向く。
それは、最早どうにもならないと諦めていたことであった。
教皇様自ら提案してくれること自体は願ったり叶ったりなのだが、何事も無く要求が通るとは到底思えない。警戒心を強めつつ、返答を行う。
「…はい。私と、勇者様。二人で聖都を出る許可を頂きたく思います」
「それ自体は構わない。だが、条件がある」
条件か…。
高位の聖職者がそのような言葉を口にする時は、大抵、奇跡による誓約を結ばされる。
それは、互いに同意の上で結んだ約束事の履行を強制するというシンプルな奇跡だが、何より厄介なのは異常に強い効果を持つということ。
使われれば最後、誓約を反故にすることは不可能となる。
事の次第では条件を受け入れられない。
「魔法国を訪れ、魔女『ドロシー』。彼女を眠りから覚ましてほしいのだ」
ドロシー。
その名前が出た瞬間、魔王がピクリと反応する。…知り合いなのだろうか?
ドロシーの名を持つ魔女といえば、魔法国の棟梁の名前であったと記憶している。教会の上層部と同等以上に古くより語られ、表に出ることも無い存在だ。
強力な英雄とは聞いているが、それ故に関わりたいとは思えない。
「解せない、といった顔だな。…だが、モリオル。お前がフェイリアと生きるなら、いずれにせよ彼女とは会う必要があるだろう」
「それは一体どういう意味ですか…?」
「フェイリアの身体は、既に死んでいるのだ」
「は…?」
勇者様が死んでいる…?そんな訳が無いだろう。
何せ、彼女の身体は暖かい。明瞭に話すことだってできるし、私の目の前で笑い、苦しみ、泣いたのだ。
勇者様は、間違いなく生きている。
そして、いかなる手段を使っても、死者の蘇生は不可能だ。亡骸を治療したとて、死した魂が身体に戻ることはない。
明らかな矛盾。事実と反する発言だ。
「困惑するのも当然だな。だが、アレは間違いなく死んでいる。死体に生きた魂を組み込むことで、"死んでいない"という意味を与えた…言ってしまえば、壊れかけの存在なのだ」
「あの、どういう…わっ、私には教皇様が何をおっしゃっているのか…」
「フェイリアは苦痛に対して極端に鈍感だろう?感情と生理的反応の乖離もそうだ。魂と身体が適合していないのだよ」
「…訳が、分かりません」
教皇様の言っていることが理解できない。
その言葉が生理的に受け付けられなかった。だって、それは…その言葉が本当なら、人間の聖女化とは比べ物にならない程の生命への冒涜だ。
勇者様は一体どうやって死んだのか、その"生きた魂"というのは一体どこから持ってきたものなのか。
考えるほどに怖気が走る。
「勇者様に一体、何をされたというのですか…?」
「それはお前が知るべきことではないな」
突き放すような言葉は、それが私の権限の及ぶ秘匿ではないということを示している。
実際のところ、知るべきではないという言葉は紛れもない事実だろう。聖女が教会の冒涜的行為を知ったところで、何ができるわけでもないのだ。
教会は罪深い行いを止めないし、私はその犠牲者を回復させる手立てを持たない。
ただ、それだけでは腑に落ちないこともある。
「仮に…仮に勇者様の身体が死んでいるとして、今は生きているはずです。私たちが魔女様と会う必要があるというのは、一体どういう理由なのですか?」
「我々の見立てでは、勇者はあと一年も待たずに動かなくなる。要するに、完全に死ぬわけだ」
その言葉を聞いた瞬間、あらゆる返答の想定が頭から抜け落ちた。
喉が締まって、息が詰まるような感覚がする。
「なぜ、ですか……?」
「フェイリアが死した身体であるにも関わらず生きていられるのは、絶えず魂を消費することで身体を概念的に生きている状態に固定する。そのような魔法を使っているからだ。だが、これは長期運用を想定していないのだよ」
あらゆる言葉を理解できない。
眩暈がするほどの不快感が沸き上がり、嫌な汗が噴き出す。
教皇様の言葉に嘘偽りが無いのであれば、勇者様は1年以内に死んでしまう。だが、それに抗するために勇者様を延命させることは、それ自体が勇者様の魂を貶めることに他ならない。
どちらを選んでも勇者様に救いはないように思えるのだ。
「ドロシーは魂と生死の扱いに優れた魔女だ。彼女ならばフェイリアの不完全な肉体をより長く保たせる魔法を扱えるだろう」
教皇様が顎を触りながら少々遠い目をし「好みの魔法ではないようだがな」と言葉を続ける。
「まぁ、あの女が子供を救うことを拒むことは無いだろう」
あぁ…彼は一体、何を考えているんだ。
いったいなぜ、どのような理由があれば、これほどの冒涜ができる?
どうして勇者様がこのような目に遭わなければならない?
私には教皇様が、今までに見たあらゆる存在よりも恐ろしい化け物に見えた。人間のような姿をして、まるで人と掛け離れた精神性をしている。
それほどの罪を犯しておいて、なぜ平然と振る舞える?
「あなたは、一体…何を考えて……」
「やめたほうがいい、無駄だぞ」
思わず口をついて出た言葉を遮ったのは魔王だった。
いつの間にか振り返っていた彼の表情は、得も言われない複雑な色を映している。
息を呑んで…改めて、教皇様の姿を見る。
彼は、まるで何事も起きていないかのような穏当な表情をしていた。
私の言葉、その続きを待っているのだろう。
少しの微笑み。細めた目の隙間から、空っぽの昏い瞳で、じっとこちらを見つめているのだ。
そういえば教皇様は、戦いの最中もずっとこの調子であったような気がする。
私に杭を刺した時も、得体の知れない奇跡を打ち出した時も、魔王が復活した時も…ずっと。あらゆる発言や感情の起伏が、まるで日常の一幕というにも遥かに軽薄だった。
それは、とても…恐ろしいことだ。
「今回は聞かないのか。まぁ、それもよいだろう。…フェイリア、そしてアレックス。この場に訪れた三名には、既に聖都から出る許可を出している。誓約の奇跡も必要ない。最悪、今の話を聞かなかったことにするのも良いだろう。すべて、好きにするがいい」
その言葉を聞いた魔王が「次は決戦の時だ」と、教皇様に言い放って掻き消える。
私もまた、この場に長居する必要はないだろう。
「…失礼いたします」
頭を下げてから振り返り、奥部屋の出口へと向かう。
私はこれから、どうすればよいのだろうか?
今までずっと、教会の支配から逃れれば、勇者様は普通の少女のように生きられる。毎日のように致命傷を負うようなことも無く、平穏に過ごせると…そう、考えていた。
そのためなら私は、この身体も、魂も、何もかもを捧げてもよいとすら思っていたのだ。
……しかし、教会の冒涜は想像していたより、ずっと、もっと酷かった。
私では何を代償に捧げても、彼女を救うことはできないのだと知ってしまった。
勇者様は自らの状況を、どこまで理解しているのだろうか。
もし知らないというのなら、何をどれだけ伝えるべきなのだろう。
そのようなことを考えていると、不意に後ろから教皇様の声が響いてきた。
「モリオル、悩んでいるようだな。フェイリアのことが知りたいのだろう?であるならば、聖都の東端…大司教ハモンのもとに向かうといい」
「ハモン様、ですか…?」
「うむ、アレは元々フェイリアの魂にする予定だったものだ。フェイリアが目覚めて以来、しばらく生活を共にしていた故…お前の知りたいことを知っているだろう」
聞こえてきた情報は、間違いなく有益であった。それでも脳が理解を拒んでいる。
その言葉自体が余りに倫理を排しており、悍ましいものだった。加えて、何を意図して語った言葉なのかも分からない。
数秒考えを巡らせた末、結局は私の理解できるところではないと思案を諦めた。
ただ「お気遣い感謝いたします」とだけ伝え、逃げ出すようにその場を後にする。
地下道を歩く最中、私には抱き上げた勇者様の重みが、暖かさが…余りにも儚く、恐ろしいものに思えていた。
一方その頃、十数人の男女を1人で診療棟まで運び切ったヒセンは、思わぬ重労働に半分キレながら必死こいて治療の奇跡を連発していた。
人間のフリしてる人間じゃない怪物になってしまった、メンタルよわよわ人間の成れ果てが、とんでもない悪逆非道に手を染めながらも目的のために全力疾走してる…けど、打ちのめされすぎて半分諦めてる。そんなキャラクターが好きでした。