星屑の夢 作:ハレルヤ
場所はアビドス高等学校保健室。窓からは既に陽光が差し込んでいる。久しぶりの出番となる一室に、三つの人影があった。
「――打撲以外は大丈夫そうだ」
リョウヤはホッと息を吐きながら、棚のガラス扉へ手を伸ばす。
備え付けられたベッドにちょこんと腰掛けたセリカに、ノノミが「良かったですね」と嬉しそうに笑いかけた。
「うん。でも流石に大袈裟なような……」
過保護では? とセリカは苦笑を浮かべる。
「脳は繊細だからな、手間かもだけど念の為だよ」
声音こそ軽いものの、真面目な顔でリョウヤは棚を漁る。
「それに折角お医者様も機材も揃っているわけですから☆」
かちゃかちゃと耳触りの良い音を背景に、ノノミは優しく言い聞かせるようにセリカへと言葉を投げた。
「それはまぁ……ありがとう、先輩」
リョウヤの工房に置かれた医療品は少ない。逆に保健室にはそれなりに数が揃っていた。小さな病院として機能する程だ。
頭を下げたセリカに、リョウヤは「おう」と短く返す。
「塗り薬はノノミに任せても?」
「はい! 任せてください!」
頼られたことで満面の笑みになったノノミにリョウヤは頷くと、棚から取り出した塗り薬を手渡して保健室を後にする。
セリカは全身を打ち付けていたので、背中側も負傷している。正面側も自分では塗りにくい部位もあるだろう。
薬の処置をノノミに任して戻ってきたリョウヤが「打撲以外は問題なし。ノノミに薬だけ塗ってもらってる」と報告すると、先生が「薬は任せるんだね」と意外そうに口にした。
「いや、俺は今さら異性の体でどうこうとは思わないけどな……」
リョウヤは頭を掻く。
「学友に対しては気も遣う」
医者であるパラケルススの手伝いも、元々リョウヤはしていた。人間も、人型の悪魔も異形の悪魔も経験してきている。老若男女だ。恐らく一般的な男子学生の感性とは違う自覚はあった。
正解不正解は分からない、と渋い顔をするリョウヤ。
「うん、まぁ難しい話だよね」
距離感がバグっていると認識していた先生であったが、リョウヤの様子を見て苦笑いである。なまじ年齢が近いだけあって、余計に対応に苦慮しているのであろうことが分かったのだ。
「医療行為だから遠慮しなくていいとは思うけど、薬を塗るだけなら誰でも出来るのも確かではある」
シロコが別に気にしないと意思を表明しつつ、リョウヤの悩みも分かると暗に告げる。
今回はセリカのブレザーを脱がしているし、素肌も手足やお腹周りなどは確認していたのだが、その際のセリカは少し恥ずかしそうに頬を赤らめていたのをリョウヤは気がついていた。
対策委員会の面々がリョウヤの処置を必要する怪我を負うことは今までなかったので、今日まで深く考えることがなかったのだ。
「ケースバイケース、ですよね……非常時であればそんなことは言ってられないわけですが」
今の世の中、女性に対するAEDですら一悶着起こすことがあるのは有名な話だ。むむむ、とアヤネが顎に手を当てる。
そうだねー、とホシノはアヤネに同意を示した。
「まぁでも、対象が私達の時はリョウヤも躊躇いなく動いてくれるでしょ~」
「ん、その時は服を脱がされて好きに触られても文句は言わない」
「言い方」
ブラザーのボタンに手を伸ばして言ったシロコに、先生がツッコミを入れる。
アヤネが頬を薄桃色に染め、ホシノは「うへ~」と楽しげに笑う。
ドナー登録ではないが、物証の用意はすべきか? とリョウヤは考えるも、少なくともホシノ達に関しては後に嫌われることとなっても治療は施すのは明らかだ。なんなら、この場の面々に関しては言質がとれてしまっている。結局、面倒なのは見知らぬ誰かを救おうとした場合なのだ。
「ま、その辺は置いておこう」
リョウヤが嘆息すると、先生が「そうだね」と頷く。
「そろそろ一度、休憩かな? トラックを返すのはセリカちゃんも行くって言っていたし、すぐには向かわないよね?」
「助けられたよーって報告だけは先にしておかないとねぇ」
先生の確認にホシノが答えると、シロコとアヤネも首を縦に振った。いつまでも心配させているわけにはいかないのだ。
「今のラーメン屋は……時間的に仕込みで忙しそうだ」
リョウヤが壁掛けされた時計を見て言うと、先生は「あ、そっか」と納得してみせる。
それに全員、特に先生は疲労が見て取れた。長い時間の運転の後なのだから当然だ。それでも極力、表に出さないようにしている。
先生を休ませたいと生徒達は思っていたし、反対に先生は生徒達を休ませたいと思っていた。色々と理由付けをしているものの、思っていることは一緒なのだ。
「おじさんも一回眠っておきたいよぉ」
「皆で仮眠室に行きましょうか」
「ん、ノノミに連絡……完了」
ホシノ、アヤネ、シロコ、ノノミは移動中に眠っていない。トークに花を咲かせていた。リョウヤも眠った時間自体は僅かだ。
ホシノが欠伸を噛み殺し、それをアヤネは微笑ましげに眺めて、シロコはポケットから携帯端末を取り出している。
「仮眠室なんてあるんだ……」
先生は何度目か分からない驚きを口にしてから、それだけ校内で過ごす時間が長い生徒がいることを察する。主にリョウヤなのだろうと。
「適当に畳み敷き詰めて毛布とか置いてあるだけだけどな」
アビドス高等学校にリョウヤとホシノの二人きりだった頃、学校に泊まり込んでの作業も多かった。その名残の一つである。
ノノミからは「セリカちゃんが起きた時に一人だと寂しいでしょうから」と保健室で休むと返事が返ってくると、女子生徒達が動き出す。
「じゃあシロコちゃん、アヤネちゃん」
「ん」
「はい」
ホシノが椅子から立ち上がると、二人の後輩の名前を自然に呼んだ。後輩二人は頷くと、座ったまま携帯端末を弄っていたリョウヤの前に移動する。
「うん?」
ノノミと個人的なメッセージのやりとりをしていたリョウヤが、不思議そうに顔を上げた。後輩二人が微笑みを浮かべて自分を見下ろしている。
リョウヤが眠っていた際の会話を聞いていた先生は、ニコニコと見守っているだけだ。
シロコとアヤネがすっと手を伸ばす。それぞれリョウヤの片手を握ると、立ち上がるように促した。
「え、なに? どうした?」
されるがままに立ち上がり疑問符を浮かべるリョウヤに、二人は「先輩も寝ないと駄目ですよ?」「まだ隈が残ってるから」と答えを教える。
移動中に眠ったから、なんて言い訳はシロコに隈という理由で潰されていた。
「強制連行だね」
宣告した先生は柔和な表情だ。
「あー……じゃあせめてレポートだけでも……ダメ?」
リョウヤが首を傾げて伺い立てる。
「おじさんとしては、リョウヤが近くにいてくれた方が安心するかなー?」
眠たそうなホシノの言葉を聞いてリョウヤは複雑な表情を浮かべると、すぐさま共に仮眠をとることを了承した。
保健室にはノノミとセリカ。仮眠室に二人以外が集まっていれば、侵入者が現れた際などに安心……そんな意味かとシロコ達は納得する。
あれ? 本当にそうかな? と先生が引っ掛かりを感じたのは、リョウヤの一瞬浮かべた表情が原因だった。しかし、その場では特に踏み込むことはしない。
ホシノを先頭に、両手を後輩に繋がれて連行されるリョウヤの後ろを先生は続く。
仮眠室と名付けられた教室の前で、先生が紫大将に一報を入れる。
長座布団やロングクッション、大きなぬいぐるみに溢れた畳が香る一室で横になると、疲れからか時間はあっという間に過ぎ去った。
客足が少なくなるだろうオヤツ時に、対策委員会一向は軽トラックの返却へと向かう。
紫大将はわざわざキッチンから出てきてまで、セリカの……そしてリョウヤ達の無事を喜んでくれた。
揃って頭を下げると、大将は当たり前のことをしただけだと笑みを浮かべた。
その後は解散……となったのだが。
「え、漫画喫茶に寝泊まりしているんですか?」
雑談の最中、ノノミが驚きに声を上げた。
シロコ、アヤネ、セリカとは既に別れているので、信号待ちをしているのは四人しかいない。
向かう先はリョウヤの目的地であるスーパーマーケットだ。
ホシノは三年生で委員長なので、学校を出るのは最後のつもりだった。先生は生徒が帰るまでは残っているつもりで、ノノミはリョウヤに相談があると時間を割いて貰っていたのだ。
リョウヤが買い物に行くことを話すと、揃って着いて行くことを選択していた。
「うん。個室もあるし、漫画も読めるし」
満足そうに笑顔を浮かべる先生。不満は本当にない様子だ。
「あ、でもお風呂に浸かれないのは難点かな」
そんな先生だったが、思いついたようにポンと手を鳴らして付け足した。公衆浴場とかないかな? と首を傾げる。
「うち来るか? 部屋余ってるし」
「え、いいの? いやっ、生徒の家で寝泊まりするのは先生的にナシでは……?」
リョウヤから流れるように提案をされると、先生は歓喜するも一転して難しい顔となる。正しく百面相だ。
「寧ろ先生と生徒なら普通は何もないから良いんじゃなーい? ちなみにこれ、今日……じゃなくて昨日の朝食だよ~」
自慢げにホシノが携帯端末に映し出したのは写真だ。
白いごはん。漬物。鮭の塩焼き。味噌汁。卵焼き。お好みで納豆。
映像であっても高品質なのが分かってしまう品々は、あまりにも輝いて見える。何せ先生が食べていたのは、所謂ジャンクなフードだったからだ。先生は戦慄した。
「理想的な朝食! 作ったのは……」
ゴクリと喉を鳴らした先生の視線が彷徨い、自身に向けてピースサインをしたリョウヤを補足する。
先生より遅れてホシノの携帯端末を覗き見せて貰ったノノミは「わぁ☆ とても美味しそうですね!」とパッと両手を合わせた。ノノミもリョウヤの料理の腕は存じている。羨ましさを隠さない。
二人の反応に、更に先生の心が揺らぐ。
「当たり前だけど浴槽もある」
「お世話になります!」
リョウヤが真顔で放ったトドメの一言で、心臓を押さえるような大仰なリアクションと共に先生は陥落した。
楽しく買い物を終えると、リョウヤと先生は一度学校に戻り、バイクの二人乗りで帰宅する。
二度目、そして今度はリビングにまで入った先生は目を輝かせた。
「わっ、オルガン! 小学校思い出す!」
先生の視線は隅に置かれた小さなオルガンに注がれている。なつかしー! と子供のように笑っている。
「あ、そういう感じ?」
小学校に通っていなかったリョウヤは意外に思いながらも、先生の反応を横目に台所へと向かう。
「オルガン弾けるんだ?」
オルガンから目を離し、先生はリビングを見回す。
テレビ台に乗ったテレビ。テレビ台の中には世代の古いゲーム機が綺麗に仕舞われている。
ゲーム機はミレニアムサイエンススクールに行った際に知り合ったゲーム開発部が、ゲームの経験がないと話したリョウヤに貸し出してくれた物だ。会う度にワクワクした様子で「プレイした?」と尋ねられているものの、答えは毎回ノーである。流石にリョウヤも「そろそろプレイしないと悪いな……」と本気で思い始めている程に貸されて時間が経過してしまった。隙間時間で可能な読書と違い、中々プレイする暇がとれないのだ。
(あ、写真……みんな可愛いなぁ)
窓際には対策委員会のメンバーで撮った写真が二枚飾られていた。一枚はリョウヤ、ホシノ、ノノミ、シロコ。もう一枚は加えてセリカとアヤネの姿もある。
一枚は一年前の写真であることが窺えた。ついつい菩薩のような微笑みで二枚の写真を眺めてしまう。
「弾ける弾けないで言えば弾けるけど、オルガン自体は家買った時に付いてきたってだけ」
冷蔵庫に買ってきた食材を仕分けながら片手間で答えるリョウヤに、オルガンに対する思い入れはなさそうである。
「……本職はヴァイオリン的な?」
「いやいや、そういうんじゃないよ」
なんでも出来るのでは? そんな先入観と期待が先生にはあったが、流石にそんなことはないらしい。リョウヤは苦笑を伴いながら返した。
「昔、指先が器用になるってのと……指と手首のトレーニングになるって理由からピアノを勧められたんだ。で、練習した時期があった」
「ご、合理的ぃ……」
「でも、そんなんだから大した実力じゃないよ」
先生の感嘆に合わせて、冷蔵庫の扉が閉められたのだった。
読了、ありがとうございました。