星屑の夢   作:ハレルヤ

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7-2.ライカースワン

 ユズが誰の目も映らない中、小さく拳を握った僅かに後方。

 微かに溜め息を溢したミドリに、一歩後ろを歩いていた先生が気がつく。思えば彼女は、チヒロから話を聞いている間も暗い表情をしていた。

 

「何か思うところがあった?」

 

 ミドリの隣に並ぶと、先生は気遣うように問い掛ける。

 

「え、あ、いや、えっと……」

 

 迷いを見せた後、途切れ途切れになりながらもミドリは語り始めた。

 

「リョウヤさんのこと……その、漠然と……天才なんだなぁって。私とは違うんだな……って思っていたんです」

 

 本音だった。本気で思っていた。

 姉のモモイは、そもそもそこまで気にしていないようだった。自分なら、自分達なら何とかなると信じているからだ。能天気とは笑い飛ばせない。その明るさに元気付けられるのは、つい昨日も感じさせられたのだから。

 ユズは率先してリョウヤに疑問を投げ掛けていた。成長の糧としていた。自覚はないかもしれないが、相手がリョウヤだとしても普段では考えられない積極性だ。

 じゃあ自分は? とミドリは自分に問い掛ける……までもなく理解していた。

 自分ではあんな風にはなれない――存在していたのは、なんのことはない諦観である。

 尊敬している。その活躍に目が眩む。嘘ではない。何より羨ましい。

 しかし、それだけである。

 だって才能が違うのだから、と決め付けていたのだ。

 

「でも違った。頑張って変わろうとしていたし、今だって知らないことを学んでいて。きっとミレニアムの天才って呼ばれている人達と同じ人は多いですよね」

 

 そう口にした表情に浮かんでいるのは、ただの自嘲だった。

 

「なのに才能が違うなんて決め付けるのは失礼だった……」

 

 ミドリはふと立ち止まり、天井に顔を向ける。電気が切れかかっているのか、チカチカと点滅していた。

 情けなさに泣きそうな顔で、先生へと顔を向ける。

 

「リョウヤさんとは才能が違うって言ったとき、先生は微妙な顔してましたよね」

 

「そ、そんなことは言ってなかったと思うよ? 天才なんだなって言っていただけで」

 

 先生は慰めにもならないと知りつつ、言葉そのものはしっかり訂正する。

 ミドリが言葉に含めた意味は、自身が言った通りだったのだろう。先生も声色から、なんとなく感じ取ってしまっていた。だからこその、ミドリが言う所の微妙な顔だったのかもしれない。

 

「でも……うん。リョウヤくんの努力の片鱗は私も見てはいたよ。睡眠時間を極限まで削って、勉強していたり、モノを作っていたり」

 

 平気で六徹七徹するからね、と苦笑混じりに付け足される。知る限りでは十日以上をまともに眠っていなかったこともあったか。初めてリョウヤと出会った日を思い出すと、知り合ったばかりの筈なのにも関わらず、随分と長い付き合いのような気がして来る。

 やはり一時とは言え葛葉邸に寝泊まりしていた事と、今再びミレニアムで共に行動しているのが大きいのだろう。

 

「天才って一言で済ますのは簡単だけど、やっぱり技量や技術が降って湧いて来るわけがないわけで」

 

「……そう、ですよね」

 

 歩む速度を落とした相槌を聞いて尚、先生の言葉は続く。

 

「勿論それはリョウヤくんに限った話じゃなく、今は天才なんて呼ばれる人達も、呼ばれるようになるだけの努力をきっとしている」

 

 二人は先程までの話を思い返すように、並んでゆっくりと歩みを進める。

 

「その努力は、皆が一から十までの所を一から二十までやっていたり、より効率的に一から十を熟している……彼の場合は後者が多いのかな? 効率良く物事を熟し、時間を確保することで十一から二十を、というのはあると思う」

 

 リョウヤは時折、時間をコストと例えることがある。時間を消費するものとして、強く意識している証左だろう。

 じゃあ、と先生は真剣に繋げる。

 

「初めから効率的に出来たのか? って言うのは……本人にしか分からない。けれど――やったから出来たし、やり続けたから出来るようになったのかもしれない」

 

 それはミドリにも覚えがあった。ゲーム開発に携わる者としてのスキルのことである。

 初めは苦労もあったが……いや、今でも苦労はあるし、間違いなく大変なのだが、確実に小慣れては来ているのだ。

 

「そもそも、それが出来るのが才能と言ってしまえばそうかもしれないけど、私達の目に入らない所で培ってきたものが確かにあるんじゃないかな」

 

 なんてお説教みたいになっちゃったね! と先生が戯ける。

 ミドリは遠慮がちでありながらも釣られ、消え入りそうでありながらも微笑み返す。

 改めてミドリが顔を上げると、いつの間にか距離の空いてしまったモモイとアリスが振り返り、のほほんと手招きをしている。ユズは心配そうに見つめてきていた。

 三人の仲間達を瞳に宿した瞬間、パン! と高い音が廊下に響く。

 モモイが「おおっ!?」と口を綺麗な三角形にし、アリスは不思議そうで、ユズは目を見開いてしまう。

 

「もう大丈夫、かな?」

 

 一人の生徒が壁を乗り越えた瞬間を目撃して、先生が心の底から笑む。

 ミドリは「はい、ありがとうございました」と目礼する。その目に、先ほどまでの弱々しさはない。笑えてこそいないが、明らかに凛としている。

 

「いちいち落ち込んでいる暇もないですし……まずは明日、リョウヤさんに謝ります」

 

 自ら両手で頬を叩いて赤く染めたミドリは、ジンジンとした痛みを感じながらも吹っ切れた顔をしていた。

 翌朝にリョウヤがゲーム開発部の部室へと顔を出して早々、緊張の面持ちでミドリは有言実行する。

 

「――天才だから何でも出来るなんて決め付けて、そこに至るまでの努力を無視してごめんなさい」

 

 部活の仲間と先生に見守られ、綺麗に九十度近い角度を付けて頭は下げられた。

 返答はすぐに訪れない。静かに置かれた間が、ミドリには五分にも十分にも感じる。

 現実時間にして十秒程を掛けて、リョウヤは口を開いた。

 

「謝ることか? それ」

 

 台詞は別段、皮肉ではない。目を点にしていて、心から不思議に思っていることが分かる表情と声音だ。

 

「お、怒らないんですか……?」

 

 恐る恐ると言った風に、ミドリはゆっくりと顔を上げる。視界に入ったリョウヤの顔は想像とは違っていた。

 

「俺が……なんで――怒らないよ」

 

 困ったような笑顔を浮かべて伸ばされた右手に、ミドリは思わず目を閉じてしまう。

 何処となくフルカネルリを思わせる優しい表情のリョウヤに、先生の頬が微かに弛むも「あ、お父さんは別の人なんだよね」と脳裏の勘違いを訂正する。

 実際、コミュニケーション能力を伸ばす上で参考にしたのはフルカネルリなので、先生の感想は間違っていないのだが指摘できる人はいなかった。

 

「黙っていれば済んだことだろうに。真面目なんだな、ミドリは」

 

 リョウヤの右手は、くしゃりとミドリの頭を一撫でした。

 失礼だったとミドリは反省していたが、隠し通すことも容易かっただろう。人によって自己満足と嗤うかもしれない謝罪だったが、リョウヤからしたら感心しかない。

 鍛えられているのか意外としっかりした、しかし細過ぎる気のする指で髪がさらりと解かれると、目を見開いたミドリは両手で撫でられた頭を押さえる。

 

「……お兄――」

 

「んんー? ミドリ、今なんて言いかけたのかなー? お姉ちゃん気になるなー!」

 

 思わず飛び出した言葉を、ミドリは咄嗟に引っ込めた。

 モモイの前例があったので、リョウヤは特に気にした様子はない。

 意識して止められた小さな言葉。平仮名にして僅か三文字を拾ったモモイがニンマリと笑って妹へと迫ると、ミドリは溜め息を伴いながらも大人な対応をみせる。

 

「撫でられて、嫌な気持ちにならなかったのは認めるよ。父性のなせる技かな……思わず、お兄ちゃんって出て来ちゃった」

 

 言葉はともかくとして、やはり気恥ずかしさはあったのか、頬を薄紅に染めながらもミドリが言い放つ。

 ちなみに先生としては、対策委員会以外を撫でるのは少し驚きな動作ではあった。ただこれに関しては、リョウヤから見たゲーム開発部が、同じ一年生であるアヤネやセリカと比較してあまりに幼く映っているからという理由がある。悪意はないが、子供扱いに近しかった。

 

「面倒見が良いからね」

 

「チヒロ先輩達の影響なのかも……」

 

 先生がうんうん首を振り、ユズの言葉には賛同が集まる。

 自分がしてもらったことを、今度は自分が他者にしているのだろう。

 人を見て学ぶのだ。昔のリョウヤが話に聞く通りならば、面倒を見てくれていたお姉ちゃん達はこの上ない教材だった筈だ。

 そうかも? と当人は軽口を叩く。

 

「その……ありがとうございます」

 

「礼を言う必要もないと思うが、受け取っておくよ」

 

 再び小さく頭を下げたミドリに「どういたしまして」とリョウヤは微笑んだ。

 予めミドリはリョウヤへ謝罪することも、謝罪の理由もモモイ達に打ち明けている。

 モモイやユズもリョウヤの人柄を知っていると言っても、実際に関わった時間は決して長くはないだろう。案外とリョウヤの地雷である可能性も零ではない。

 大丈夫だろうと思いつつも、少しだけ心配をしていたが杞憂で終わり一安心である。アリス、モモイ、ユズはゲームプレイの準備を始めていた。

 図らずしも当事者となったリョウヤは、思い付いたと言わんばかりに口を開く。

 

「しかし天才……天才か。ヒマリが自己表現によく使うが」

 

 そのバリエーションの豊富さは素直に脱帽であるし、否定することも難しい。

 先生が頬を緩ませる。

 

「天才って言葉自体は決して悪口ではないからねぇ」

 

 しっかりと頷くリョウヤ。二人の「天才は悪口ではない」というやりとりに、ミドリの心がまた少し軽くなる。

 

「寧ろ……そのヒマリなんかは、最初から出来ていたって見られる方が喜びそうだし」

 

「でも、そう言うってことは違うんですよね?」

 

 自分とは違い、知り合って一年以上となるリョウヤのヒマリへの印象に、ミドリは反射的に確認してしまう。

 ちょこんと隣に座る後進からの問い掛けに、リョウヤは「そうだなぁ」と頬を掻いた。悪魔の言語を利用したプログラミングの解析には、然しものヒマリも苦労していたことを知っていたからである。

 

(まぁそれで、実際に未知の言語を理解できる人がどれだけいるのかって話か)

 

 魔具であることが不明な状態の道具を分析して「このコードとラベリングはリョウヤが作ったから発生したものですね!」などと断言したヒマリに、一体どれだけの衝撃を受けたことか。

 とは言えそれも、前提としてリョウヤのプログラムを理解していたからこそ可能とした筈だ。

 うん、とリョウヤがひとりごちる。

 

「例を挙げると、一見で得られる情報が他人より多いのは事実だろう」

 

 短い思考の後に出された結論は淀みなく続く。

 

「ただそれは、膨大な知識から算出されているのかもしれない」

 

 そうか、と先生が納得に指を鳴らした。

 

「参考となる知識があるからこそ、一を見て百を知る、或いは気が付ける。咄嗟に出るかどうかも人によるんだろうけども」

 

 先生に頷き、リョウヤは「ある種の直感でもあるんだろうな」と所感を語る。

 

「それにヒマリは特異現象捜査部なのもあって、科学一辺倒でもない。ラッキーカラーとか意識してて、知識は凡ゆる分野(ジャンル)に通じてる。何より柔軟な思考の持ち主だ」

 

 一見で百を知る様を見てしまうと天才にしか思えない。けれどそれは、知識という目に見えない財宝があるからこそなのかもしれない。財宝を得る為に、途方もない努力を重ねているのかもしれないのだ。

 

「魔術士がそこまで言うとは……つまりは魔導賢者ですね! ヒマリ? という人は」

 

 リョウヤが魔術士。そんな魔術士と親しく賢い人物。アリスの方程式が導き出した解は魔術士から魔導であり、賢い人が賢者だった。

 魔導賢者というゲーム用語で言う“ジョブ”を用いた呼称にヒマリは喜んだものの、賢者と呼ばれることとなる人物がもう一人が現れたことで、荒れに荒れることとなるのは未来のお話。

 

「あ、アリスちゃんは会ったことないよね……」

 

「三年生の先輩で、凄く頭が良いんだよ」

 

「車椅子に乗ってる綺麗な人だから、見たらすぐに分かると思うよ」

 

 ユズとモモイ、ミドリがアリスへ説明する様は、尊敬しているのがよく分かる明るさだ。

 ククッ、とリョウヤが笑う。

 

「凄いの事実だけど、俺はあまり褒めるなって言われてるよ」

 

 え、誰に? と疑問の声が重なる。

 

「チヒロとコタマ、それにウタハも。褒めると調子に乗るからって」

 

 尚、名指しで注意されているのはリョウヤだけである。

 褒めなかったら褒めなかったでヒマリは拗ねるものの、リョウヤが褒めるとモモトークが喧しいことになり、その被害が直撃するのが自分達というチヒロ達の主張だった。

 一笑いが起きて余談が終わり、本筋へと話が戻っていく。

 

「辞書的な意味ならともかく。天才って言葉も、曖昧でよく分からないよな」

 

 自分に出来ないことを出来るのが天才か。

 誰も見つけられなかった事実を発見したのが天才か。

 テストで満点が取れるのが天才か。

 或いは、それら全てが天才か。

 先生から差し出されたペットボトルをお礼を言いつつ受け取り、リョウヤは天を仰ぐ。

 

「俺にだって、他人(ひと)より生き物やモノの仕組みを知ってる。治療できる、作れるって自負はあるよ」

 

 けど、と言葉が止まる。その脳内に、今まで出会って来た多くの人々が思い浮かぶ。

 

「だからって自分を天才だと思ったことは……」

 

 ある筈もない。

 キヴォトスに於いて、機工魔術士(エンチャンター)は自分一人。特殊、特例、特異であっても、それはイコール天才ではないのだ。

 

「ない?」

 

 そりゃ自分で自分を天才だなんて中々思わないよねぇ? と先生が理解を示しながら笑い掛けた。先生自身も、そうである。寧ろ、足りないと感じることの方が多いくらいだ。

 ヒマリがマイノリティなのは間違いない、とリョウヤは苦笑しながら肯首して続ける。

 

「ぶっちゃけ、どの分野でも俺より技量や技術、知識がある人はいるって知っていたしな」

 

 声には強い実感が籠っていた。

 パラケルススやフルカネルリは……努力家だとリョウヤは思ったことがある。

 二人は普段から率先して学ぶ性質だったことを知っているので、天才と思ったことはなかった。

 一つの褒め言葉として、他に何と言えば良いのか? と問われると天才が近くなるような気はするが、どうにもしっくりと来ない。

 二人も、人間であった頃から多くを学んで来ていたのは疑うべくもない。ずっと勉強をしてきている。

 現在の人知を超えた知識や経験は、悪魔となり長い時を生きてきた分だけ、培ってきたものが彼らにはあったという話でしかない。

 それに二人は専門としている分野では知識が多い。技量だって高い。が、専門を外れれば知らないことや出来ないこともあったのだ。

 例えば医者であるパラケルススは医療具や薬を作っても、関係のないモノを作ることは基本的になかった。

 

「それでも、アビドスで役に立ててるって自覚はあった。それは同じ道で先を往く人がいなくて……作るにしても直すにしても、機会があったのが俺だけだったって言うのも大きいか」

 

 専攻でなければ出来ない、知らない、なのはリョウヤも同様だ。

 料理は生きていく上で必要であり、子供が親を手伝うという意味でもポピュラーな選択肢だろう。子供の頃、アリーセと並んで初めてキッチンに立たせてもらった日のことは記憶に残っている。

 医学は幼い頃に自然と身に付け、成長につれてパラケルススとアリーセから教えを受けた。

 機械工学や物理工学はフルカネルリの影響で学び、過程でプログラミングのために情報工学に触れていた。情報工学をより本格的に学び始めたのは、ヒマリ達に頭を下げてからだ。

 それらが主に出来ること……謂わば専攻である。

 反対に、ミドリが担当するようなイラストのデザインは出来ない。教えを受けたわけでも、率先して学んだわけでもないのだ。

 教わったこと、学んで来たものを活かす機会が、アビドスでは多かっただけなのであろう。

 リョウヤが考えを整理しながら口にしているのが、普段より少し緩やかなペースの語りで先生には分かった。

 

「ミレニアムは先を往く子達が多いからね。周りと比べて足りない、持っていないって強く思うのも仕方がない……か」

 

 後進へと言葉を選んでいるリョウヤを見て、先生は感心を覚えながら頷く。

 自分の経験談を話すと良いと言ったからか、きちんと自身の経験を伴った考えを伝えるリョウヤはあまりに微笑ましかった。元はコミュニケーション能力が低かったことを知ると、より一層のこと感慨深い。

 

「でもね、私からしたらミドリちゃん達……ゲーム開発部の皆も天才なんだよ?」

 

 リョウヤから視線を外し、ユズ達へと放った先生の言葉に、アリスとモモイのコントローラーを操作する手が止まってしまう。

 リョウヤと先生の話に夢中になっていたミドリとユズも、綺麗に硬直してしまっている。

 

「だって私、ゲーム作れないから」

 

 あっけらかんと先生は断言した。

 俺にも作れないな、とリョウヤが先生の邪魔にならないように小さく便乗する。

 

「でっ、でも評価が!」

 

 コントローラーを投げるように置いて、モモイが声を上げる。それはミドリとユズを代弁するようでもあった。

 

「うん、出された評価はクリエイターとして受け入れないといけないね。ただ……ゲームを作れない私は、その評価も貰えないから受けられない。誰からも、何一つ感情を引き出せない」

 

 零であり無であることは、負の感情すら生まれない。

 全員の視線を受け止めて、年長者は柔らかく微笑んだ。

 

「作品を完成させた。それは丸バツ以上に価値のあることだよ」

 

 周囲に物を作り、高い技量と技術を持つ者が溢れているからこそ自覚できなかったのであろう事実を、先生ははっきりと伝えていく。

 

「何より――皆の作ったゲームは、心から楽しんだ子が確かにいる。少なくとも私は、二人思い付くよ」

 

 あっ、とか細い声が溢したのはモモイだったか、ミドリだったか、ユズだったか。

 記憶に蘇るのは、まだつい先日の出来事。

 アリスとリョウヤ。二人が感想を言い合っていた時、そこに偽りの感情は一切なかった。

 苦しかったこと、辛かったことも共有していたが、その声は弾んでいた。

 楽しかったこと、嬉しかったことも共有していた。その顔は楽しそうに笑ってくれていた。

 

「たくさんの感情を引き出して、満足したプレイヤーがいた。皆にとって、楽しんでくれたのはたったの二人? それとも二人もいた?」

 

 そんな、そんなの――と息を呑む。

 呼吸を忘れてミドリが、モモイが、ユズが、吸い込まれるようにアリスとリョウヤへ瞳を向ける。

 アリスはぶんぶんと顔を縦に振り、リョウヤは優しく瞑目していた。

 

「「「二人もいてくれた……!」」」

 

 万感の思いが三つ、小さくとも確かに空気を揺らす。

 

「うん、私もそう思う。それにきっと、楽しんでくれた人は他にもいるよ。だからやっぱり、君達も天才だ」

 

 降り注ぐ陽光のような笑みで、先生は確言してみせた。

 この人にとって、子供は悉く天才でもあるんだろうな――とリョウヤが感心に息を漏らす。

 心からの言葉だったことは、顔と声の色からでも充分に理解できた。

 先生はそこに至るまでの努力を無視して天才と一言で片付けることに抵抗があったのであって、子供はキラキラと才能に満ち溢れているのだと。天才であるのだと信じている。

 その想いと言葉が自分にも向けられていると、リョウヤが気が付くことはない。

 

(アビドスで先を往く人がいないだけで、アビドス以外にはいくらでもいた。つまり、俺じゃなくても皆の助けにはなれたんだよな)

 

 一人、物思いに耽ってしまっていたからだ。

 

(それでも実際に機会を得たのは俺で。活かせたり、活かせなかったりして、だ)

 

 もし機会を得たのがヒマリ達であれば、リョウヤと同じようなことが出来る。

 それに何より。自分の代わりにアビドスに入学していれば、きっとユメが命を落とすことはなかった、と。自分とは違い、コミュニケーション能力があるのだから……ユメは勿論のことホシノとも上手くやれただろう、と。考えたことがなかったわけではない。

 尊敬と……劣等感、そして嫉妬が、そこには間違いなくある。自分の能力不足を棚に上げてマイナスの感情を向けるのは、あまりに手前勝手な話だったが、こればかりは仕方がなく、だからこそミドリの気持ちも理解できた。

 

「あー……これは確かに謝りたくもなる」

 

 誰の耳にも届かぬ存在感でリョウヤは自嘲する。

 けれど、とも思う。

 ホシノ達から向けられる感謝や喜悦。その言葉と感情、笑顔は、叶うことならば出来るだけ多く自分が受け止めていたい。

 

(なんて――本当に身勝手な話だよな)

 

 暫くの後、一度ヴェリタスに顔を出してG.Bibleについて進捗を確認し、その日もリョウヤは夕方にゲーム開発部を去って行った。

 ただし帰宅……ではなく、ミレニアム自治区に存在するTS社に顔を出し、作業を手伝ったり、自身の仕事に手を付けたりと、日中よりも忙しさを感じる時間を過ごして結局、家に帰るのは遅くなってしまった。

 予め連絡はしていたので、邸宅は玄関の外灯以外の光源がほとんど見られない。

 パタン、と柔らかい音を鳴らして葛葉邸の玄関が閉じられる。

 玄関内部は人感センサーによって、すぐに照らされた。

 

「ただいま」

 

 潜めたリョウヤの挨拶は、あっという間に溶けていく。

 時刻は既に日付が変わってしまっている。

 靴を脱いで並べると、玄関の明かりだけでは暗い廊下に、リビングの扉の硝子から光が漏れ出していることに気がつく。

 

(誰か起きてるのか……?)

 

 世間的に見ても起きている人間は、まだ相応に多いであろう時間帯だ。

 ドアノブを捻ると、テレビから「後悔のない人生なんて味気ないですよ! 前を見て生きしょう!」などと聞こえてくる。

 穏やかな空気を纏ったリョウヤがテレビの電源を落とすと、すぅすぅと呼吸の音が耳に届く。

 

「――ホシノ、眠るなら寝室に行こう」

 

 ラップのされた料理が一人分だけ並ぶダイニングテーブル、その向かいの席でホシノは自分の腕を枕にしていた。

 撫でるような声と共に片手を伸ばし、ふと止まる。手洗いうがいを済ませていなかったし、着替えも終えていないからである。

 ヘイローの消えているホシノは、学校指定のジャージという寝巻き姿だ。

 触れるのなら手を洗い、運ぶのなら着替えなくてはならないだろう。

 

(今日は……ノノミとシロコの二年生組がいないんだったな)

 

 対策委員会女性陣も、毎日葛葉邸にいるわけではない。定期的に自宅へ帰っている。

 ホシノ一人を残し、アヤネとセリカが眠りに落ちているというのも考え難い。

 

(三人で眠って、途中でホシノが目覚めた……って所かな)

 

 リョウヤが帰って来ていないことを確認して、リビングで待つことにしたのだろう。再び睡魔に負けてしまったようだが、眠っている分には何も問題はないのだ。

 待っていようと思ってくれたことは申し訳なさも感じるが、やはり嬉しさも大きい。

 温かな橙色を放つ廊下の電灯と同じ心持ちで、リョウヤは自室へと入って行く。皆が眠っていることもあり、音を立てないようにと扉は開けっ放しである。

 廊下からの明かりを頼りにクローゼットから部屋着を取り出し、ベッドへと軽く放り投げる。

 不意に、ベッドのヘッドボードが月明かりに照らされた。月光を遮っていた雲が退かされたのだろう。

 淡い光に包まれている写真立てには、リョウヤとホシノとユメの姿がある。

 中心にいるユメが満面の笑みで後輩二人を抱き寄せている、三人で撮影した唯一の写真に視線が釘付けになる。

 記憶が疼く。

 

「――ユメ……先輩」

 

 吐息のように溢れたのは、一度も呼ぶことのなかった名前。呼ぶことが出来なかった名前。呼びたかった名前。もう二度と呼ぶことの叶わない名前。

 消え入りそうに、名残惜しむように、後悔するように、愛おしそうに、悲しむように、謝るように。たった一人の名前には、あまりに多くの感情が乗ってしまっている。

 

(俺は、正しく存れていますか?)

 

 それは、声にならない声だった。

 

(貴方に認めて欲しいと始めた存り方(こと)は、結局ただ誰かの真似をしているだけだけれど)

 

 貴方の言葉を受け取り、貴方を見て学びました。

 学んだことは、貴方の行動から解釈しました。

 今の自分を認めてくれるだろうか。

 褒めてくれるだろうか。

 綺麗に笑ってくれるだろうか。

 

「馬鹿かよ、俺は」

 

 月が雲に翳る。

 写真からスポットライトが外れると、かぶりを振って吐き捨てた。

 今さら一体、誰に何を話すつもりなのか。

 部屋に戻れば毎回見ていただろう写真に目が惹かれ逸らせなくなってしまったのは、先を往く者と追う者、先達と後進、導いた者と導かれた者について深く考えてしまったからかもしれない。

 先達と後進とはパラケルスス達と自分自身のことでもあり、導いた者と導かれた者とはユメと自分自身のことでもあるのだ。

 メンタルが揺らいでいたと結論を下し、手早く着替え始める。

 

「――」

 

 扉の近くで胸に手を当てたホシノは、そっと踵を返した。

 リョウヤがジャージに着替え、抜き足でリビングに戻ろうとすると、途中で電子レンジの起動している音が耳に入る。

 喜色を纏ってリョウヤがリビングに顔を覗かせた。

 

「起きたんだな」

 

 キッチン内の電子コンロで汁物を温めてくれているホシノは、帰宅したリョウヤに声を掛けられた時点で意識が浮上し始めている。洗面所へ移動したリョウヤの手洗い音で目を覚ましていたのだった。

 こっそりと三階へと移動していたのは深夜だからなのもあるが、ちょっとした悪戯心が沸いたからだ。

 後ろを着いて行ったことなどは、おくびにも出さない。

 

「うん、おかえり~」

 

「ああ、ただいま」

 

 何もなかったように互いに笑い合って、夜は更けていく。

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