星屑の夢 作:ハレルヤ
「ごめんなさいでした……!」
「デジャヴ!」
鏡の奪還作戦を終えた翌日の午後。
家で一悶着を終えたリョウヤを待っていたのは、両手を前に出して綺麗にうつ伏せになっているアリスだった。
毛量のせいで黒いカーペットと化している。
つい先日の出来事を思い出したのであろうリョウヤの感想に、当事者だったミドリは頬を薄く染めた。
「謝ってるのは分かるけど……その姿勢には何か意味が?」
「土下寝です……これこそが謝罪の最大形態だとアリスは学びました……」
好奇心の満たされたリョウヤは「ああ、土下寝。聞いたことはある」と顎に手をやって記憶を辿る。
あるんだ!? そんな感情の籠った四人の瞳が集まっていた。
ナイジェリア連邦共和国では、実際に使用されることもあるらしい情報を本で読んだ事があったのだ。キヴォトスに同じような文化があるのかは不明なので、特に言及はせずに流しておく。
「それで、一体どうした?」
「実はね――」
先生が苦笑を伴って事態の説明をする。
掻い摘んで要約すると、アリスは姿隠しの魔具・WTCC-V2を失ってしまったのだ。
「アリスは……アリスは魔術士のパーティーメンバー失格です……!」
それも、よりにもよってアリス自身の手で放ってしまった。
昨夜。アスナ達の背後から不意打ちを成功させたアリスは、纏っていた外套を脱ぎ去っている。特に意味がない動作だったこともあり、余計に落ち込んでしまっているのだ。……実際はあまりに唐突に現れたアリスに、ユウカ達は大いに動揺したので結果的に意味はあったのだが、そもそも人から預けられていた道具である。
テンションのままの行動に、アリスは反省するしかなかった。
「バサっと脱ぎ捨ててカッコ良かったよね」
「ゲームでもアニメでも、見たことのあるワンシーンだったけどね。今はそんなに重要じゃないよ、お姉ちゃん」
「大事な物だったんですか?」
「うん? んー……そうだな」
モモイとミドリの呑気なやりとりの中でされたユズの問いに、逡巡してリョウヤが答えると、床を見て目を閉じているアリスはビクリと震えた。気が付いたからこそ、リョウヤも「形見が組み込まれている」という言葉は抑え込む。
「ごめん、私も気が付かなかったんだ。いや、動作そのものには気が付いていたけど……」
「気にする余裕がなかった? まぁ、あの状況じゃな」
先生に理解を示して、リョウヤは自身の右手の指の先に携帯端末の画面を投影させた。
人差し指がちょいちょいと動く。
「近いな……いや、これは……まさか……」
空に浮いた半透明の画面は、裏側からは何が映っているのか分からない。しかし、察することは出来た。
「「セミナーの差押品保管所」」
先生とリョウヤの言葉が重なると、後者は不思議そうに前者へ視線を流す。
「後になってそう言えば、と思ってね。モノ自体は私の所持品って言って、拾っていないか確認してみたんだ。ユウカちゃんに。だけどまぁ……その、失敗だったみたい」
WTCC-V2は事件の後処理中、セミナーの手に渡ってしまっていた。端的に言うと、セミナーの生徒に拾われてしまったのだ。
シャーレにも抗議を送る、とユウカは先生に宣告している。先生の言葉は逆効果だった。
先生は申し訳なさそうに両手を合わせる。
とは言え、リョウヤの所持品と話すわけにはいかない。
ゲーム開発部やヴェリタス、エンジニア部の所持品と言っても、先生と結果は変わらなかったことは推察できる。
「返してくれると約束はしてくれたけど、期間は教えてくれなかった」
本当にごめん! と先生が繰り返すと、アリスはごにょごにょ「先生は何も悪くありません……」と言って、のそのそ体を起こした。
ちょこんと正座になったアリスは、俯いたまま瞳を閉じている。
「切腹します」
「切腹!?」
「リアルで腹切りしても、武器の攻撃力は上がらないし出血のエンチャントもされないよ!」
「落ちっ、落ち着こう! アリスちゃん!」
ワイシャツをぐっと上げ、傷一つない綺麗な肌とお臍を晒したアリスに、ユズが声を荒げ、モモイがリョウヤとは全く関係のないゲーム的なエンチャントの話題を出し、ミドリは「はしたないよ!」とアリスのお腹を隠すように抱き付いた。
「俺も何も注意しておかなかったしなぁ」
賑やかな四人を眺めて、リョウヤは頬を掻く。
アルに貸した際は釘を刺していたのだが、アリスには怠ってしまったのだ。何故なら、先日にアリスがAWS2の旧バージョンを大事にしていてくれた様を見ていたからだ。
アリスは物を大事にしてくれる人だ、と自己完結していた。
物を大事にする人柄と、ゲームに憧れて格好良く外套を脱ぎ捨てたいという願望は同時に成立するのだろうが、リョウヤには外套を格好良く脱ぎ捨てるというシチュエーションの発想がなかったのである。
「アリス」
「……はい……」
呼ばれても顔を上げられないアリスの頭に、リョウヤの右手がそっと乗せられる。
「そう落ち込むな。返してくれるってことなら、大した問題はないよ」
右手はすぐに離れた。
不便にはなるだろうが、そもそも姿を隠して何を行なうのだ? という話だ。嫌でも、後ろ暗いことを目的としているイメージが形成されることだろう。事実、今回も生徒会へ襲撃した側が不意打ちに使っている。
「セミナーの管理下にあるなら、盗まれる心配もないだろうさ」
「私達も凄く苦労したもんね……」
「カメラ台数四百とかで、警備ロボが約五十体だっけ? 過剰過ぎる」
「わたし達が襲撃して奪還を成功させちゃったから、今後はもっと増えるかも……」
呑気とも表現できるリョウヤの軽口に、ミドリは溜め息を溢した。モモイもげんなりとし、ユズも疲れたような苦笑いだ。
「けど、大丈夫?」
先生がじっとリョウヤを見た。
リョウヤにも、先生の言わんとしていることは分かった。魔具であることを心配しているのだ。
組み込まれている空間を歪ませる魔石は、あまりにも貴重だ。
「認証機能があってな、大した機能は引き出せないだろうから」
文字通りの認証と、仮認証の二つがある。
ゲヘナの風紀委員会がアビドスでの戦闘を敢行した際、現地でアル達に出したのが仮認証だ。
後に便利屋68は、仮認証の情報を本認証へと切り替えた。カイザーPMC理事との決戦の前、アル達がWTCC-V2を使えていたのはこのためだ。
アリスは認証登録したことを思い出したのか、漸く顔を上げた。
「セーフティ機能は他にも仕込んである。だから、本当に気に病まないでくれ」
窺う様なアリスと目が合うと、リョウヤは優しい瞳で首を縦に振る。
感謝を告げたアリスは「この借りは絶対に返します! アリスの力が必要な時はいつでもパーティーに誘ってください!」と胸の前で両手をぐっと握る。
頼りにしてる、と返されるとアリスは花を咲かせた。
「さて、本題のお届け物だ」
ヴェリタスに立ち寄っていたリョウヤが、マキから預かっていたのはUSBメモリだ。処理を終えたG.Bibleのデータファイルを保存してある。
リョウヤは、その内容を確認するつもりはなかった。
ユズも、モモイも、ミドリも、アリスも、共に確認しようと言ってくれたが「まずは自分達で確認すべきだ」と制する。
「オープンソース……とは少し違うか。公開するつもりがあるなら、後で教えてくれ」
ここで一つ思い付き、リョウヤは口元を吊り上げた。
「いま見ても良いってんなら……俺も技術者だからな。有用な情報だった場合は、うちの会社で使っちまうぞ?」
ニヤリと笑ったリョウヤに、部室は更に騒がしくなる。
「さ、流石にお兄ちゃんでもそれはダメ! ゲーム開発部、 G.Bibleの守護陣形へ!」
「了解しました!」
モモイの宣言に、アリスが大の字でリョウヤに立ち塞がった。
「……二人とも楽しそうな所を悪いけど、リョウヤさんはG.Bible見るつもりないでしょ? その気があるなら後でって言ったんだから」
「でもアリスちゃんが元気になったみたいで良かった……」
ミドリが呆れ半分に首を振り、ユズはアリスの様子に笑顔を作る。
乗ってくれても良いじゃん! とモモイがぶーぶーと文句を垂れたが、アリスはそれでも楽しそうだ。
ヒラヒラと手を振って、リョウヤは満足そうにゲーム開発部の部室を去って行った。
完全に扉が閉まり、たっぷり一分。
ユズが吐息混じりに溢す。
「また教えられちゃったね……」
綴った言葉の意味を、皆が理解していた。
貴重な情報は、外部の者へと簡単に教えてはならない。
未知のノウハウを利用したいと考えるのは、何もゲーム開発部だけではないのだ。
同業者は、ライバルは、いくらでもいる。
どんなに身近な相手であっても警戒は怠るな。貴重な情報は秘匿しろ。その上で公開するのかは決めろ。そう教えてくれたのだ。
真意を分かって尚、全員が顔を見合わせると吹き出してしまう。
「リョウヤは魔術士であっても、ペテン師にはなれないと思います」
「あ、それ言っちゃう?」
アリスの感想に、モモイがけらけらと笑い始める。
「その……似合ってなかったよね」
「悪ぶるにしても、どうしてあんなキャラにしたんだろうね」
ユズとミドリも釣られて笑顔を浮かべてしまう。
「もしかしたら、誰かを真似したのかもしれないね」
先生はフルカネルリと顔を合わせている。故にリョウヤが、フルカネルリを参考にコミュニケーションをとっているのは察していた。
他の誰かを参考にした態度をとっても、不思議ではない。
しみじみと溢した先生の予想に妙に納得すると、ゲーム開発部はG.Bibleの内容の確認に取り掛かり――部室内は阿鼻叫喚となった。
そんな事は露知らずのリョウヤはエンジニア部へ向かう途中、見覚えのある一団を見かける。
メイド服を纏った三人の後ろ姿だ。昨日の今日だが、怪我はもう良さそうで安心である。
「結局あたしは、猫被りとしかやり合ってねぇしな。ゲーム開発部は知らねぇ部活だったが……関係者諸共、礼はしておかねぇとな」
三人の視線の先から聞こえてきたネルの物騒な発言に、リョウヤは挨拶の言葉を引っ込める。
「おっかないな……程々にしてやってくれよ?」
ネルの身長は百四十六センチメートル。
アスナは百六十七センチ。カリンは百七十。アカネは百六十四だ。
アスナ達の背後から音もなく近付いたリョウヤは四人より大きいが、ネルの姿は視認できない。
ネルの眼前に並んでいたアスナは、驚きつつも人懐っこい笑顔を浮かべた。
「あ、リョウヤくん! やっほー」
「やっほー、アスナ」
大きく手を挙げて全身で挨拶をくれるアスナに、リョウヤは小さく手を挙げて応えている。
そのリョウヤは、頬に湿布を貼っていた。反対の頬を切っていた筈だが、既に完治しているようだ。他に目立った傷もなく、湿布は嫌でも目に付く。
「……顔、大丈夫?」
カリンが心配を滲ませて伺うと、リョウヤは何処か喜色を纏わせた。
「ああ、俺はもう湿布もいらないと言ったんだけどな……うちの連中がさ」
葛葉邸は朝からちょっとした騒動だったのだ。
リョウヤが事情を説明しておらず、且つ昨日も帰宅が遅くなって誰とも顔を合わせていなかったのが良くなかった。
体と顔の擦り傷や切り傷は、
明朝。前日が遅くなったこともあり、リョウヤがリビングに顔を出したのは一番遅かった。
既に湿布も剥がしていたリョウヤの素顔に、先に起床していた面々は慌てふためく。
だ、大丈夫ですか!? とアヤネが顔を青くした。
湿布、貼りますね! とノノミが素早く薬箱を手に取った。
それ、打撃の痕だよねー? とホシノは声を低くして断定した。
誰かにやられたってこと!? とセリカは怒りを露わにした。
ん、誰だか知らないけど良い度胸! とシロコは今にも飛び出して行きそうだった。
心配や怒りを覚えさせるのは申し訳ないが……やはり嬉しく、声は弾んでしまいそうになる。
「お友達、怒ってた?」
アスナが首を傾げると、リョウヤの意識は今朝の出来事から立ち戻った。
「怒ってたけど、説明したら納得して貰えた」
「そいつはドーモ、で良いのか?」
昨夜のリョウヤを真似たネルを、アスナ達という壁のせいでリョウヤは未だに視認できていない。
目を合わすことも出来ず、不自然に会話が途切れてしまう。
「……つうかな! お前らはいつまで立ち塞がってんだ!」
はけろ! というネルの一喝により、漸くアスナ達は左右を退いた。
モーセの海割りのように、ネルを中心にアスナが右に、カリンとアカネが左に待機する様は、メイド姿ということもあって壮観である。
「……よう」
「おう……ゲーム開発部にリベンジするなら、もう少し日を置いてやってくれないか?」
「別に即座に動くつもりもない。あいつらも全快じゃないだろうしな――……なに笑ってやがる?」
「笑ってたか? そんなつもりはなかったが……優しいんだなって思っただけだよ」
はぁ!? とネルが声を荒げるも、先へは繋がらない。アスナがマイペースに流れをぶった切ったからだ。
「リーダーは優しいよ? 遅刻する理由も大体が人助けだし、リョウヤくんだってお昼ごはん貰ったんでしょ?」
おいやめろ、と一転して低い声を出したネルがアスナを睨む。
要領を得ないとばかりにリョウヤはきょとんとし、アスナは不思議そうに小首を傾げた。
「あれ? サプリメントで食事済まそうとしてたから、パンと牛乳あげたのが出会いだって聞いたよ~?」
やめろつってんだろ! とネルが爆発するより先に、リョウヤは大きく声を上げた。
「あ! ああ! あの時の人か!」
記憶が急速に蘇る。
時間を優先していた一年生の頃のリョウヤは、サプリメントとエナジードリンクのみで食事を済ませていた日も多かったのだ。
確かに一度、ミレニアムでそのことを咎められた経験がある。
人通りの少ないベンチで一人、昼食として錠剤を手に取ったリョウヤを、ミレニアムの制服を纏った一人の生徒が慌てて止めに入ったのだ。
(そう、確か――)
持っていたコンビニ袋を投げ捨て「何を飲む気だ!?」と怒鳴るように声を上げた主は、錠剤を手の平に乗せたリョウヤの腕を力強く掴んだ。
痩せていて隈もあったリョウヤを見て、ネルは「なんかヤベー薬やろうとしている」と勘違いしてしまったのである。
止められた腕を無理にでも動かして錠剤を口に運ぼうとする様に、ネルは更に声量を上げた。
返ってきたのは「うるせェよ」の一言だった。か細いがハッキリとしていて、突き放すような声だった。
ああ!? と思わず首元を締め上げたネルに、リョウヤはポケットから綺麗に畳まれた色鮮やかな袋を取り出す。
市販されているのだろう店舗で見た覚えのあるデザインに、ネルは「紛らわしいんだよ……」と悪態を吐く。
「っておい、いつもそれしか食ってねぇのか?」
畳まれていたことでネルにも分かった。サプリメントの袋は、既に中身が無くなっているということに。だからこそ、恒常的に食事にしているのが想像できた。
質問には返答がない。
どころか、ネルに一瞥すらしない。昼食を終えて、淡々と傍に置いていた本へと手を伸ばしていた。
額に青筋が現れたことを、ネルは自覚する。
ブン殴ってやろうか? と本気で考え始めたネルの耳に聞き覚えのある音が届く。
きゅうぅぅぅ、とお腹が鳴る音だ。
音源は自分ではない。
「おい」
唐突に怒りが収まり始めたネルの目は呆れ返っている。この期に及んで反応のない男の子に対して、何かしてやる義理もない。ない、のだが。
何かに急かされるように食事を終え、今も必死に本へと目を通している姿が、寂しい眼をした様が、どうしようもなく小さな子供のように見えてしまって、ネルは自分の性分を恨んだ。
ガサリと鳴らして、コンビニ袋を拾い――差し出した。
「食え」
自分の昼食にと、袋にはパンと牛乳が入っている。想像できたことだが、反応はない。可愛げもない。
「食え」
二度目。今度は頭と本の間にコンビニ袋を挟み込む。やっと、リョウヤはネルと目を合わせた。
鋭く、棘のある二つの瞳だ。その癖、感情の感じられない声が空気を揺らす。後になってネルは知ったが、目付きに関しては素だった。
「要らねぇ」
「食わねえってんなら、お前がいつも連んでる連中の所に引き摺ってくぞ」
「――」
黙り込んでしまったリョウヤは、ややあって本を元あった場所に戻してコンビニ袋を受け取った。
勝った! とネルは内心でガッツポーズである。
ちなみに、ネルはリョウヤが食べ始めると共に去っていた。向かったのは、リョウヤがミレニアムで仲良くしている生徒達の元。
ミレニアムにいる、ミレニアムとは違う制服を纏った生徒は有名だった。関係性もまた、外から見ていても察することが出来た。
以降は、リョウヤがヒマリ達に食堂へと連れ込まれる姿が確認されるようになる。
結局、ヒマリ達に告げ口したよな! などと文句を言うつもりは、今も昔もリョウヤにはない。
「そりゃ初めましてじゃないよな……ごめん。あの時はありがとう」
一日の中の、十分にも満たない時間の出来事だった。しかし、言われれば思い出すことの叶う出来事だ。
リョウヤは相手の顔も声も思い出せなかったが、確かに存在した邂逅だった。
「
申し訳なさと感謝を孕む笑みのリョウヤを一瞥すると、ネルは首を振って促がす。
ピクン、とアスナが体を揺らした。
「リーダー、告白!? 告白するの!?」
「はぁ!? アホか! あり得ねぇだろ!」
「でも昔のリョウヤくんは、キレキレでカッコ良かったって」
「言ってねえ! 今よりマシだってだけだ! もうお前黙ってろ!」
えー? と不満を漏らすアスナを、カリンとアカネが「まぁまぁアスナ先輩」と抑えに回る。
「ふっ……クク……はははは!」
アカネとカリンが、思わずリョウヤを眺めた。見た事のない大笑いは、抱いていたイメージは少し違ったのだ。
顔を真っ赤にして、射殺さんばかりの双眸もリョウヤに突き刺さった。
ああ、とリョウヤが両手を上げて弁明する。
「違う違う! 一年の頃、別の人が同じことを言っているのを聞いたんだ。まさか今になって、また聞くことになると思わなかった」
口元を抑えて楽しそうに笑う姿は陽気で、けれど何かを堪える様でもあった。
ネルは舌を鳴らすと、頭を後ろに引いて下あごを軽く突き出すように上げる。着いて来いという意思表示だ。
カツカツと踵を鳴らすネルに、リョウヤは大人しく追従する。
人の気配のない大きな円柱の影に入った所で止まり、ネルは体ごと振り返った。
「自己紹介がまだだったな」
カッと床を鳴らすと、ネルはリョウヤを睨む様に見上げる。
「ミレニアムサイエンススクール三年、C&C所属、コールサイン・ダブルオー。美甘ネルだ」
ネルの精悍な挨拶に、リョウヤも「ご丁寧にどうも」と返して続けた。
「アビドス高等学校三年、廃校対策委員会副委員長。葛葉リョウヤ。コールサインはない」
確信を得たネルは不愉快そうに顔を歪めた。
ネルが頭を悩ませたのは一瞬。すぐに「らしくない」と断じて、本題を切り込む。
「お前、自覚あんのか?」
リョウヤが眉を寄せる。
「今の自己紹介、思い出してみろ」
学校名。学年。所属委員会。名前。そして、存在するのならコールサインも告げている流れだった。
ネルは険しい表情であったが、リョウヤには特に可笑しい点があるとは思えない。
「昨日の戦い方もそうだ。あたしが二丁使いだから、お前も二丁拳銃を使ったんじゃねぇのか」
想定していなかった指摘に、リョウヤは考え込む仕草を見せて沈黙した。
「自己紹介は……まぁ良いだろ。だけどな、戦い方は別の話だ」
捲し立てるように続く。
「相手を真似た戦い方も――得意の剣を使わないこともだ」
毎回そうかは知らないけどな、とネルは投げ捨てるが如く呟く。
「お前、それで自分だとか……大事なモンを守れなかったら、どうするつもりだ?」
ネルの瞳がすっと鋭く尖り、リョウヤの赤眼と碧眼を捉えて離さない。
「そんな風になる程、変わる必要があったのかよ」
昨夜の戦闘で、リョウヤの本気が殺し合いに類するものなのは判明している。
ネルとて、カイザーPMC理事との戦いでリョウヤが用いた剣と盾を使われて楽に勝てるとは思わない。無論、負けるとは思わないのだが、AWSSはそれほどの性能であり、リョウヤの戦い方は巧かったのだ。
或いは、カイザーコーポレーションを壊滅させることも可能だったのではないかと疑う程に。
(自分を覆い隠すような変わり方しやがって。誰もそんなこと望んでねぇんだろ?)
なんで誰も言ってやらねぇんだ、というのがネルの本音だった。悼ましいとすら感じた。いや、分かっていた。知っていた。ヒマリ達は確かに可愛がっていた。だからこそ努力を認め、変わったことを許容し、肯定したのだろう。
高品質な武器を作れるのに、売ることはしない。
長く鍛えられていたのが分かる剣技を、戦闘で活用しない。
前者もネルとしては腹が立つが、後者が特にだった。自分があれだけボロボロにされて、一方的に因縁をふっかけられて、それでも切り札を切らなかったのだ。
貫くような視線と問い掛けに一周回ってポカンとしてしまっていたリョウヤが、消え入りそうな笑顔で漸く言葉を絞り出す。
「俺は……優しくなりたいと思った。でも、どうしたら良いのか分からなかったんだ」
だから
優しいと思った誰かの真似をする癖がついた。その結果、相手の自己紹介を真似した自己紹介をすることが増えた。相手の武器を、戦い方を、真似することが増えた。
ネルの指摘は正しい。言った通り百歩譲って、自己紹介は良いのだろう。けれど戦闘に関しては、明確に悪癖だろう。失ってからでは遅いのだから。そこまで考えて、リョウヤは思い至った。
「ああ、本当に優しいんだな。正直に言って昨日も今日も、なに考えてるのか分からなかったんだが……」
ネルは片目を吊り上げたが、優しく微笑む姿には茶化されているとも感じなかったので文句は言わない。
「結果が
ネルが嘆息する。
変わることは悪いことではない。だが、リョウヤの変わり様は異様だったのだ。
しかも、短時間で変わっている。
変われてしまった。
それは才能云々ではない。誰かの真似をして、自分を覆い隠したのである。
そこまでして変わる必要があったのか? そもそも変わる必要があったのか? とネルは疑問を呈しているのだ。
「……ま、後の祭りだな」
再度「らしくなかった」と胸中で溢して、ネルは短く息を吐いて肩を落とした。
分かっていても、言わずにはいられなかったのだ。誰かが言うべきだとも思った。今更ヒマリ達には難しいだろうとも理解している。
あの日あの時、あの姿を見てしまったことが、どうしても引っ掛かってしまって、結局ずっと気になっていて、それでも関わりがないからと何も言わずにいた。
今回こうして機会が巡って来た。ならば、とネルは買って出たのだ。
「あたしが言いたいことはもうねぇ。手間とらせたな」
言うや否や、後ろ手に片手を振って堂々と歩いて行く姿は、非常に様になっていた。
「――なぁ、俺は変わらない方が良かったと思うか?」
間違っていたのか? とリョウヤが思わず投げ掛ける。成否どちらの答えであっても、今更どうにもならないだろう。或いは、答えはないのかもしれない。けれど、それでも。何か得られる気がして、聞かずにはいられなかった。
「あたしが知るか」
振り向きさえせずにされた返答は心の底から面倒臭そうで、リョウヤは思わず笑ってしまった。だが、続けられた言葉に目を見開く。
「ただ、変わらなくたって誰も文句は言わなかったんじゃねぇの」
ネルからしたら個性の話でしかない。当然のように言い放ち、アスナ達と合流する。
リョウヤへ向けてアスナは大きく手を挙げ、カリンは小さく手を振り、アカネは頭を下げた。四人揃って賑やかに去って行く。
小さいけれど大きな背中を、リョウヤはいつまでも見送っていた。
変わる必要はない。
奇しくもそれは、かつてのユメと同じ考えだったことをネルは知らない。
――先輩から葛葉に話してみてはどうです? 当時、一年生だったホシノはユメにそう進言している。
リョウヤにもっと態度を改めるようにお願いしてみてはどうか、と。先輩から後輩への指示であるのなら、従うかもしれないからだ。
ホシノがリョウヤの事で苦言を呈したのは、結局この一度だけだった。
「えー、でも今のままでも格好良いよ? こう、キレキレのナイフみたいで!」
「褒めているんですか? それ……」
格好良い悪いの話はしてないですし、という指摘をホシノは口には出さない。代わりに少しだけ呆れた視線で応えると、その先輩は小さく笑って窓の外の青空へと顔を向けた。
開け放たれた窓から風が吹き抜け、二人の髪を柔らかく揺らす。
「私、態度のことを言うつもりはないんだ。今のままの……ありのままでも、リョウヤくんの優しさはちゃんと伝わっているから」
扉を挟んでリョウヤが話を聞いていたことに、きっとユメもホシノも気が付いていなかった。
ドアノブへと伸ばされて止まってしまっていたリョウヤの手が躊躇いに揺れて、結局は扉を開けることなく引っ込んでしまう。逃げるようにその場を後にして、誤魔化すように校内の機械を修理や改造する行為に勤しむことにする。
かつてのユメの言葉も、今のネルの言葉も。他の多くの人から受け取った言葉も。きっとこの先、受け止める事となる言葉も。
どんなに自分を嫌っても、それは己の意志ではどうしようもなく確かに温かく――心へと灯るのだ。
次回はエピローグとあとがき②の同時投稿になります。