星屑の夢 作:ハレルヤ
◇0
「――虫除けね。植物とか虫の種類は分かるか?」
『虫は多分、アブラムシとかと……芋虫。植物の方はハルカ、調べないようにしてるんだよね。名前のない雑草っていうことにシンパシーを感じてるみたいで』
カヨコがリョウヤへ電話をしたのは、本格的に暖かな日が増えて来たことを思わせる依頼があったからだ。
ハルカがこっそりと育てている植物に、虫が集まってしまっているのでどうにかしたいというもの。
便利屋68の四人で雑談をしている中、話題となったのが前述の虫だった。これもまた前述の通り、ハルカの育てている植物の種類は不明である。
ぽろっと口にしてしまう可能性もあるので、アル達も調べようとは思わない。故にこそ、対応する薬品が分からない。
そうして、ではリョウヤに依頼してみよう! となったのだ。連絡担当が自然とカヨコになり、今に至っている。
「……ああ、余計なことは言うなって話ね」
『そこまで強く言うつもりはないけど、注意はして欲しい』
はいはい、と勝手に納得して頷いたリョウヤに不快感はない。単に軽い調子で理解を示しているだけなのは、カヨコにとっても気分が楽である。
電話を終え、一度直接会って契約書を交わしたのが少し前の出来事。
◇1
カヨコから送られて来た写真で植物の種類を割り出し、害のない薬を調合するのは簡単なことだった。
医者もエンジニアも関係ないと思われる技能なのだが、悪魔には虫に近い生態の者も存在していたのだ。なんならガチの壁もいた。
リョウヤの持つ医者としての技術や知識は、人間以外も対象としている。であれば、治療とは真逆……何が駄目なのか、何を苦手としているのかも、当たり前に理解できているのだ。
「言われた通り、霧吹きは買ってきたよー」
何も入っていない霧吹きを、しゃこしゃこ鳴らしているのは先生だった。
電話から一ヶ月ほど経過し、場面は便利屋68の事務所に移る。
アビドス自治区のビル内に、便利屋68は居を構えていた。
元来、派手な戦闘をする便利屋68の居住は対策委員会にとって都合が悪い……ことばかりではない。
ノリとテンションで言動が左右される社長のアルではあるが、内面を見ると常識的な部分も目立つ。対策委員会の事情を知り、共闘までこなした今となっては確かな仲間意識があるのだ。
そもそもの話――リョウヤがアビドスの所属と知った時から気は遣っている。これはハルカですらも、だ。
リーダーのアルが対策委員会に寄っていたことで、便利屋68は怪しい一団がアビドスに居れば対策委員会へ連絡をするし、場合によっては対処するようになっていた。
戦闘での対処ではアビドスへの被害が大きくなりがちだが、悲しいことに大地は荒廃していて廃墟も多いアビドスでは、治安維持としての恩恵の方が大きかった。
「先生をパシったのか……」
「え? あ、ち、違っ――」
慄くリョウヤを見て、アルは慌てて首を横に振る。パシリにしたというのは、流石に語弊があると声を上げたい。
対して、先生は楽しそうに笑った。リョウヤの方も揶揄い混じりなようなので、本気で注意する必要もない。
「私が何か必要な物はある? って聞いたんだよ。ほら、無関係じゃないからさ」
「そ、そう! なんと言っても、先生は便利屋68の経営顧問なのよ!」
気を持ち直したアルは胸に手を当て、自信満々に宣言する。
ムツキが「アルちゃん、嬉しそう」とニンマリした。ハルカも喜色を纏い、小さく嘆息したカヨコも口角は上がっている。何処に行っても先生は人気者なのだ。
「うちの顧問でもあるわけだが。なんならミレニアムでゲーム開発部の顧問にもなっていた……のは一時的だったか? ――大丈夫? 体」
「大丈夫! 生徒と接することでしか得られない成分があるしね! それから体のことに関して、リョウヤくんはあまり他人のことを言えないと思う」
「俺が風邪を引くなり、疲れでぶっ倒れでもするなりしたら、その主張は受け入れる」
前半の明るい表情を一転、スンと真面目な顔を先生が作ると、便利屋68の四人もコクコクと首を縦に振った。尚、当人は素知らぬ顔で依頼の品を取り出している。
「これ、頼まれてた薬な」
ことりと音を立てて、テーブルに置かれたのは小瓶だった。
目薬サイズの瓶の中では、濃い緑色の液体が揺れている。
「見た目で分かるかもだが、敢えて色を着けてある。人にも植物にも害はない。百ミリ毎に一滴垂らして、振って混ぜてくれ」
説明を聞きながらも、気を利かせたカヨコが水道から水を霧吹きに入れている。テーブルに霧吹きが置かれると、ハルカがお礼を告げた。
「えっと、この霧吹きは……」
「三百ミリだから三滴だね」
先生に促されたハルカが恐る恐る薬を垂らすと、霧吹き内の水に緑色が広がっていく。両手で持ったハルカに振られると、液体は綺麗な半透明の緑色に仕上がった。
「メロンシロップ……」
ハルカ、あまりに素直な感想を口走る。
「そう言われると、もっと絶対口にしない色にした方が良かった気がしてくるな……いや人体に害はないから、最悪飲んでも大丈夫だけれども」
先生が「カキ氷も美味しい日が増えてきたよね」と呟く横で、リョウヤは冷静に作った側からの意見を述べた。
良いモノを作れたと思っても、後になって問題点が浮いてくる。クリエイターにとって病のような反省と感情だ。
「それはそれで難しくない? 赤ならリンゴとかイチゴのシロップだし、黄色ならオレンジ。紫ならブドウに見えそう」
「シロップ繋がりだと、青でもブルーハワイがあるか」
「シロップではなくとも、黒だとイカ墨になるわね。それならまだ口には入れないでしょうけれど。植物にかけた時に目立たないから、緑色にしてくれたのでしょう?」
ムツキが、カヨコが、アルが、色に対応した液体食品を上げていく。
察しの良さを発揮したアルに、リョウヤは肯首した。
「無色透明にも出来たけど、この手の薬品は扱いが難しいから色は着けておいた方が良いかなと」
癖だな、とリョウヤが頭を掻く。
その上で、アルが察したように配慮をしての色だったのだ。
「百円ショップで買えるような透明な霧吹きを使うのなら、尚のこと一目で薬が入っていると分からないとって事だね。容器を自分で、はコストカットだろうし……いや待って、コスパ良すぎない? 量と頻度は?」
口にすることで漸く異常に気が付いたのか、先生が恐る恐るリョウヤを見やった。
視線を受けると「では改めて」と咳払いが一つ。
「液体そのものは勿論のこと、気化することでも植物をコーティングする。主な効能は虫除け。直接吹き掛けても殺虫はできない。だだ忌避剤としての効能は即座に出るから、見かけたら掛けてしまって構わない。なんなら玄関や窓の近くに使っても大丈夫。植物に対しての回数は月に二回が目安だけど、過剰に吹き掛ける分には問題なし。ただ人以外の動物に使うことは避けるように」
「コスパ良過ぎる!」
先生は渾身のツッコミを入れた。
カヨコとムツキも同じ思いなようで、少し引き気味である。
「栄養剤代わりにはならないけどな」
「充分過ぎるわよ……」
僅かに申し訳なさを滲ませたリョウヤに、アルはマジマジと霧吹きを見つめて断言した。
「じ、時間のある時にTS社の商品は見ますけど、こういう物は売ってないですよね……?」
「薬品は担当できる人材の問題で、会社では取り扱ってないから」
ハルカの疑問への回答には納得する他ない。深く突っ込むこともなく「そういうことか」と納得顔になるのはムツキ以外の四人。
ただ一人、ムツキは「虫にも詳しいんだ?」と小首を傾げた。気になったのは寧ろ、リョウヤの知識の範囲である。
切っ掛けを得たことで「植物にもだよね」と先生が続く。
「ま、多少はな」
リョウヤは軽く肩を揺らすに留まった。
前述した通り……虫に近い悪魔がいる。そして当然、種族は多岐に渡る。植物に近い生態の悪魔もいたのである。
悪魔云々は話すつもりはない。
そもそも写真を貰ったことで、ハルカの育てている植物の種類は調べることが出来た。難しい調合ではなかったのである。
それでも下手に気を抜くと植物の名前を溢してしまう恐れもあるので、きちんと意識はしておく。
「それじゃあ、ちょっと試してみよう」
リョウヤが切り出すと、一同は揃って腰を上げた。
◇2
昼間でも薄暗いコンクリートの階段を降って、正面エントランスから外に出る。
目的のものはビルの周囲に綺麗に並べられていた。過去には盗まれもしたらしいが、アル達は当然報復。噂が広まったことで一先ず、盗まれる心配はなくなったらしい。
並べられた複数個の植木鉢は多種多様。確かに虫の姿も確認できる。
パッと見て分かるのはアブラムシと……なんらかの幼虫である芋虫だろう。
あれ? と先生が何かに気が付く。
「これ、蝶の幼虫じゃない?」
「だと思う」
路肩に止められていた車から虫籠を取り出していたリョウヤは、ひょいっと芋虫を摘み上げて仕舞い込んだ。
素手で摘み、ペシっと虫籠へ放り込まれていく芋虫達。あーれー、と虫達から聞こえてくるようである。
躊躇うことなく幾度も繰り返している様を見て、ムツキは「つよー……」と無表情に溢す。
ハルカは顔を青くしており、アルとカヨコはそんなハルカの前に出ているが、虫に触れようとする素振りはない。寧ろリョウヤとは一定の距離を保っている。
これは先生も似たようなもので「絶対来ないって分かってると安心して見られる」と興味深そうに虫籠を眺め、しみじみと続けた。
「カブトやクワガタは平気だけど、芋虫とかは駄目なんだよねぇ」
「別に俺も得意じゃないが……害の少ない虫は大事にしたいんだ。蝶の幼虫も植物を食べてしまうから、バランスは難しいんだけどな」
虫に関しては悪魔で慣れているだけなのだ。五人の様子に苦笑で肩を竦めると、カヨコが疑問を発した。
「蝶が好きなわけではなく?」
「蝶はポリネーター……花粉媒介者だろう?」
「ああ、緑化!」
真剣な声色のヒントで思い至り、先生が指を鳴らす。
そう、とリョウヤは短く肯定した。
「小さな事からコツコツってな」
アビドスの砂漠化に関しても、対策委員会は頭を悩ませている。
規模が大きな話になるので、借金の未だ残る現状では率先して対策を施さないものの、時間のある時には砂漠の範囲の状況について確認をするし、緑化の手段について調べて対策を講じることもあるのだ。
「カイザー連中から邪魔も無くなったから、ヘルメット団にも壊さないように頼んで草方格を設置し始めたりもしたんだけど……」
カイザーコーポレーションもカタカタヘルメット団も、砂漠であろうとなかろうと対策委員会が用意した物は壊そうとすることが多かった。正確には、カイザーコーポレーションから依頼を受けたカタカタヘルメット団という構図だったのだろう。
ただ実際問題、カタカタヘルメット団としても砂漠化は嬉しいものではない。草方格は手伝いもしないが、少なくとも壊しもしないと約束してくれたのだ。
余談だが草方格とは麦わらや木の枝を砂中に押し込み、低いさくを網目状に作っていき、砂の動きを抑える方法のことである。カタカタヘルメット団からしたら、壊して奪っても売れるような物ではないのだ。
「ただあれもさぁ、結局は一時的な風食対策にしかならないんだよなぁ」
ぼやきながらも植木鉢そのものと植物の状態を確認し、蝶の幼虫などを確保する手は止まらない。
「以前から始めてた植林でマシになってるって言っても、砂嵐は相変わらずだし、土壌改善薬はコスト的に頻繁には厳しい。結局ギリギリどうにか現状維持で手一杯――と、悪い。愚痴みたいになった」
全ての植木を確認し終える寸前、リョウヤは溜め息混じりに苦笑して話を打ち切る。
木を植える程度であれば、当時からカイザーコーポレーションもカタカタヘルメット団も邪魔はしなかった。
土壌改善薬は丸薬状で、水によって溶け出して地面に染み込んでいくというもの。リョウヤお手製なので買うより安いが、使用する範囲が広過ぎて作るのも大変、散布も大変、掛かるコストも非常に高くなってしまっていた。
話を真面目な顔で聞いていたアルは、ゆっくりと首を横に振る。
「いいえ。出ていく予定があるとは言え、今は私達もアビドスに居を構えている身。他人事ではないわ」
既に長居し過ぎている、というのが便利屋68の総意だ。
今は対策委員会も何も言っていないが、それはそれとして便利屋68は自分達の立場を理解していた。だからこそ、最初はすぐに出ていくつもりだったのだ。
意外なことに待ったを掛けたのは、対策委員会側だった。
とは言え、対策委員会側もリスクを承知している。協議の果てに、暫くゆっくりと英気を養った後に便利屋68は出て行くこととなったが、今使っている建物はそのまま残しておく事となった。
肩の力を抜く為にも、休息できる場所は必要だろうと判断されたからだ。
常に居るのではなく、時折り帰って寝泊まりも出来る場所に、アルは「つまり……セーフハウスね!」と瞳を輝かせた。
「風紀委員会がしたのって、無断でアビドスに侵入しないって約束なんだっけ~?」
ハルカが「そうですよね……」とアルへ同意を示している横で、ムツキがリョウヤと先生に問い掛けた。
答えたのは先生である。
「そうだね。ただその辺り、リョウヤくん達は難しい立場なんじゃないかな?」
「正式な要請を風紀委員会から受ければ、私達を捕まえることに協力しないといけないわけだからね」
溜め息混じりに呟くカヨコには疑問もある。ゲヘナ風紀委員会であれば、既に便利屋68の所在は掴んでいる可能性も高いのだ。しかし、未だに動きを見せない。考え過ぎかもしれないものの、やはり少し不穏だった。
「ふふっ、その時は正面から出て行くまでのこと!」
「くふふ、それは楽しそうだねぇ!」
ムツキの笑顔を受けて、アルは更に機嫌を上げる。
「容赦はしないわよ? 先輩」
挑発的で余裕たっぷりな微笑みを向けられたリョウヤは、きょとんとしていた。
「……先輩?」
はて? と不思議そうに溢された言葉に、カヨコはそっと回答を耳打ちする。
「何でも屋の先輩」
「ああ、そういう」
二人は気の抜けそうになる軽い声音で短く会話を終えた。
格好つけたのにも関わらず、どうにも締まらない。アルはずるりと肩を落とし、ムツキが楽しげに揺れるのだった。
◇3
植木鉢の処置を終えると、念入りに手を洗うように言われたリョウヤも含めて事務所内に戻ることとなる。
薬品の支払いは現金ではない。振り込みにしろ郵送にしろ、直接顔を合わせる必要はなかった。
それでも会うことを望んだのは、他ならぬリョウヤだ。
ヒマリの発した疑問が片隅にでもあったからだろう。ネルとの戦闘でリョウヤは違和感を覚え、その正体に行き当たった。
「俺に回し蹴りしてくれないか?」
「は?」
結論として、比較的最近の出来事といえるカヨコからの足技を受けることを選んだのだ。
何処にでもあるようなオフィスで、カヨコは容赦なく訝しむ。
これまでに培ったリョウヤへの印象がなければ、即お引き取り願うところだ。
隅で先生が咽せ返り、お茶を吹き出していた。
「リョウヤくんって痛いのが好きなんだね」
ムツキが疑問ではなく断定した。実に楽しそうであったが、言葉には気を遣っているようである。
ハルカは顔を赤く染めている。
「わ、私は社員の交友に口を挟むつもりはないけれど……さ、流石に場所は選んで貰いたいわね」
アルもまた頬を薄く染め、しどろもどろに余裕を演じている。否、演じられていない。吃りながらも、どうにか言葉を紡いでいるだけだ。
「そ、その……PTSとかあるでしょう?」
「TPOだよ、社長」
「PTSは昨日テレビに出てきてたやつだね」
「な、何かのシンドロームでしたよね……た、確か血栓……血栓、症候群……?」
動揺のあまり意味の伝わって来ない言葉を発したアルに、カヨコとムツキのダブルツッコミが炸裂した。
関係のないことに思考を割こうとするように、ハルカはどうにか記憶を辿ろうと目を回し始めた。
「血栓症後症候群か? それならpost-thrombotic syndromeつって、深部静脈血栓症の発生後にみられる症候性の慢性静脈不全症のことだよ」
リョウヤが流れるように解説し、ハルカへ褒める声音で「惜しかったな」と告げる。リョウヤは褒めて伸ばすタイプなのだ。
おお! と感嘆するムツキ。ハルカは大きく目を開くと、僅かに照れた様子を見せた。アルも目をぱちくりとして、カヨコは「そう言えば医者だったっけ」と呟いた。先生は小さく拍手している。
確認するように、ムツキがリョウヤを覗き込んだ。
「それで、なんて?」
「アビドスに侵攻しただろ? バイト傭兵連れて」
ふぐっ、とアルが胸を押さえる。やってしまったことに関しては、受け入れなくてはならない。言い訳をするつもりはなく、根が良い子は冷や汗をダラダラと流した。
ハルカがあわあわとしながら、そんなアルに寄り添う。
今さら蒸し返すつもりは対策委員会にもない。リョウヤが「それは別にもう良いんだ」とフォローを入れて、カヨコと目を合わせた。
「あの時みたいに蹴ってほしい。出来る限り同じ力加減で」
蹴りを防いだ腕をぐっと立てるリョウヤ以外の、頭の上に疑問符が浮かんだ。何度も指名して頼むということは、明確にカヨコでなくてはならないということだからである。力加減の条件的にも間違いがない。
きゅぴーん! とムツキの双眸が輝く。
「カヨコちゃんのスカートの中が気になるんだ?」
「いや、違っ……、……もしかして俺はセクハラしてる?」
「ギリ」
「ギリギリセーフなのか? それともアウト?」
「くふふ、どっちだろうねー?」
スカートの中に関して蒸し返されたカヨコが、呆れを隠すことなく嘆息した。
揶揄われていることに怒りもないのであろうリョウヤが一度ふっと笑んだ事で、話題が打ち切られる。真剣な雰囲気を感じとったムツキも揶揄うことは止めて、続きを待った。
すぐに、落ち着いた口調が紡がれ始める。
「それに関しては、俺の体質について説明するところから――」
「端的に言っちゃうと吸収して保存するってことだよね」
異世界出身であることや、
先生が分かりやすく纏めると、各々が曖昧に納得したような素振りををみせる。
「で、だ。先日、ミレニアムでネルに顔を蹴られた時に思ったのが――」
「えっ」
「ミレニアムのネルって、C&Cリーダーの?」
「ミレニアム最強のあの?」
「蹴られたの? 顔を?」
「パンパンに腫れていたね」
ミレニアムのネル、と言えば有名人物だ。
ハルカが、カヨコが、アルが、ムツキが、目を見開いて唖然としてしまう。しれっと先生が付け足したことで信憑性が一気に増していた。
今は特に腫れはないので問題ないのだろうが、一体何があったんだと好戦的とは程遠い性格のリョウヤを見つめる。
「それは別に引っ掛からなかくて大丈夫」
解決したので! と当事者だった人物は親指を立ててみせた。
「ただその時に、予想より痛みがなかったように思えたんだよ。だから、周囲から強さや頑丈さをレセプションした結果なのか検証がしたい」
「それをカヨコに?」
「大きな変化があったタイミングに当たりは付けていてな。カイザー社と派手にやり合う少し前だ」
バイト傭兵を雇っての襲撃を掘り返した理由に合点がいき、カヨコは納得に小さく息を吐く。
「そのタイミングなら、確かに直前に私達が侵攻している……か。貰った体操着履いてくる」
スカートの中が見えないようにするのは当たり前なのだが、それはそれとしてムツキはニマニマと着替えに向かったカヨコを見送っていた。恐らく、カヨコは意識してその視線を無視していた。
結果……仮説の可能性は大きいと判断される。
カヨコも同じような加減のつもりで回し蹴りを実行したつもりだし、リョウヤも以前と同条件で受けた。
前回は青痣にまでなって腫れていたが、今回は赤くなっただけだ。当然、痛みはあった。しかし明確に軽くなっていた……ような気がした。
その日の体調や気分にも作用されるであろうし、全く同じ勢いで攻撃するのは難しい。受ける側も角度や力の込め具合で、当時と全く同じには出来ないだろう。
なので結論は下さない。要観察ではあるが、間違いなく二人とも前回を意識している。ならばやはり、結果は無視は出来ないのだ。
互いにお礼を言い合ってから別れ――その二日後、対策委員会と先生に見送られながら便利屋68はアビドスを後にした。
◇4
(受け入れる器、ねぇ……)
自宅の湯船の中で、リョウヤは改めて考える。
ヒマリからゲーム開発部に関する依頼を受けた日に提示された、レセプション可能なものに対する疑問。それ自体は、ずっとリョウヤの頭の隅に引っ掛かっていたのである。
ヒマリは意味深な笑みを浮かべていて詳細は語らなかったが、それが自身も明確な回答を持っていないことであることはリョウヤにも分かっていた。
レセプター能力に他の例がないのだから当然だ。
魂を受け入れた――その受け入れたという部分にだけ注目して考え、何をとち狂ったのか「水中の酸素をレセプション出来るのでは?」と顔をお湯に沈ませ、派手に咽せてしまう。
洗面所を兼ねている脱衣所に来ていたアヤネが、お風呂場からゲホゴホと咳き込むのが聞こえてきた事に体をビクつかせた。
「だ、大丈夫ですか?」
カラカラと小さな音を立てて、お風呂場へ続く扉が微かに開かれる。
目的は声を通す為なので覗き込むような真似はしないものの、男子が使っているお風呂場の扉を開けることそのものが、遠慮の無さを表していた。
「大丈……夫!」
「お風呂では眠らないでくださいね、先輩。本当に危ないですから」
「ああ、分かってる。そろそろ上がるよ」
心配を滲ませたアヤネへ返した言葉の通り、暫くしてリョウヤがお風呂から上がる。
洗面台の側面にぶら下がっている筈のドライヤーの姿がない。そのことに気が付きながら、慣れた様子でタオルを手に取る。
(そもそも魂をレセプションってのも分からない話だ。……フルカネルリだけか? 他の死者は――看取った経験だって一度や二度じゃない)
難しい顔のまま、上から下にかけて体を拭いていく。
(フルカネルリが例外か? 魂を抜かれたから残滓が漂っていたってのは、確かに彼だけだろう。いや……他の人の魂をレセプションしている可能性もある、のか?)
器でありながら中身を認識できないのは如何なものなのか。
瞬間やはり過ったのは、特定の誰かの魂を受け入れていることだったが、都合が良過ぎるとかぶりを振る。
小さな水滴が舞い散った。
(フルカネルリは
せめてもう一人……誰かの魂をレセプションしていなくては、流石に可能性が絞り込めない。
溜め息混じりに、先日ミレニアムのショッピングモールで購入したパジャマに袖を通した。
首周りにタオルをかけて、ドライヤーの起動音が聞こえているリビングに足を踏み入れる。
視界に飛び込んで来たのは、ソファーに座るノノミと、ソファーの下でノノミの正面に収まるホシノの姿だった。
「ここが不眠症、こちらが眼精疲労、こっちには自律神経を改善するツボがありますよ〜☆」
「うへへ、極楽極楽ぅ……うへあぁぁぁぁ……」
現在進行形にノノミから「全身疲労はここで、頭痛を治すのはこちらでーす」とツボ押しされながら、人肌程度の温風を浴びせられているホシノの顔はだらしなく緩み切っていた。
ホシノの前に味わったのであろうシロコも、蕩けた表情でダイニングテーブルに突っ伏している。
「あ、あんなになっちゃう程なの……?」
「でも美容院のマッサージとかも凄く気持ち良いよね……」
人に頭を触られて心地が良くなる場合の最たる例は、アヤネの想像通りだろう。
キッチンに回ったリョウヤが柔らかく笑み、グラスにお茶を注ぎながら優しく問い掛けた。
「頭皮のマッサージ、つまり血行促進だ。イコール?」
「「……血圧の降下?」」
顔を見合わせたアヤネとセリカは「せーのっ」と口にすることもなく、当然とばかりに声を揃えた。
正解! と喜色の返事を置き、そのままの色で解説が続けられる。
「血圧の急降下は睡眠に入るメカニズムと同じなんだ」
「だから美容院のシャンプーで眠くなるんだ……」
「ロジックがちゃんとあったんですね……!」
二人が感動して暫くして――リョウヤがノノミからマッサージを兼ねたドライヤーを受けると、ソファー前のテーブルに携帯端末が立てられ、少し離された。
一年生の二人も最後にノノミからマッサージを受けたので、欠伸を噛み殺している。
おニューのパジャマを購入した日、対策委員会は先生と顔を合わせている。なんならパジャマを買うという話もしている。
結果として、先生は新しいパジャマで着飾った対策委員会の写真を求めていた。
女子五人は揃いのベビードール等も買っていたが、流石に写真で送るのは恥ずかしく、撮って送るのはまた別の寝巻きである。
「三年生二人は真ん中? 了解」
深い紺色をベースの甚兵衛にも似たシャツに月夜と星々、兎に稲が薄っすらと描かれており、同色の膝下まであるパンツのリョウヤ――が、指された人差し指に従って床の上に座った。
「ん……」
「うへへ、シロコちゃーん?」
リョウヤの後ろ――ソファー中央に収まって、リョウヤの耳を摘んで弄ぶホシノは白いシャツに薄い桃色をしたパーカー、パーカーと同じ色をした太腿の半分程の長さの短パン姿だ。
シロコは青空色のノースリーブシャツにショートパンツを合わせている。ノースリーブの上にはオーバーサイズの白いシャツを着て、素足をふんだんに晒し――ホシノの横でうとうととしていて……ついにはホシノの肩に寄り掛かっていた。
「シロコちゃん、本当に限界が近いですね」
微笑むノノミはワンピースタイプだ。脛まである長いスカートで、濃淡の違いはあれど優しい緑色。上品で、全体的にゆったりとしている印象を受ける服装の彼女は――シロコの反対側からホシノに寄り添った。
「シロコ先輩の気持ち、正直凄く分かる……眠い……」
「すぐに終わるから、あと少しだけ頑張ろう? セリカちゃん」
アヤネは牡丹色のボタンを留めるシャツに藍色のカーディガンを羽織り、セリカはアヤネと同じシャツだが紺色をした物を纏っていて――ペアルックでリョウヤを挟んだ。
タイマーのセットされた携帯端末からシャッター音が響く。
送られて来た写真に先生は優しく微笑むと、もうひと頑張り! と呟いてキーボードを叩いた。
◇5
廊下で「おやすみ」と声を掛け合い別れると、リョウヤは自室のベッドに腰を下ろした。
ゆっくりと背中から倒れ、ぼんやりと天井を見上げる。
キヴォトスの住民の体力や膂力、頑強さに関して神秘なるものが大きく関わっていることは知っている。
もし。もし仮に、その神秘をレセプションしていたのなら――と、行き着くのに時間は掛からなかった。
とは言え、神秘を受け入れていたとしても二年以上も気が付かなかった程に微々たる変化だ。
思い至った切っ掛けそのものはヒマリの言葉があったからこそだが、仮になくてもネルと戦闘を経ていれば違和感自体は覚えていたかもしれない。
違和感を突き詰めようとしたことに関しては、ヒマリの言葉があったからこそだ。少ない情報で、神秘を受け入れているかもしれないと言う可能性に行き着いていたのであろう姉気分には脱帽である。
神秘を急激にレセプションをした理由にも察しがついていた。だからこそ、カヨコへ頼み出ることが出来たのだから。
即ち、ホシノに魔力を充填した出来事である。
(こっちから魔力を流し込めたのなら、相手から神秘が流れ込む線も充分にあり得る、か……)
神秘が定着したのは、当然ながらレセプターだからで済む。或いは誰であっても定着するのかもしれないが、例がないので一先ず置いておく。
辛うじて気が付ける程度だったのは……そもそも魔具や文字で儀式的な行為をした魔力譲渡に対して、神秘は受け渡しを想定も補助もしていない。
日々の触れ合いで極僅かずつでも神秘を受け取っていたかもしれないことに加えて、キスで繋がったことである程度纏まった量が一度に増加した……のかもしれない。
これが体が頑丈になった切っ掛けと考えられる。
情報を整理して、途端に難しい顔となるリョウヤ。
(考えられるが……検証のしようがない。しようがないというか――)
仮説を確かめたいからチューしようぜー! などと、対策委員会の仲間とどれだけ仲が良くても言えるわけもない。同じ研究者であるヒマリにもだ。
(でもまぁ……焦ることもないか)
今まで通りでも問題なく過ごせていたのにも関わらず、ここに来て体力が微かにでも増えた。僅かにだが頑丈にもなった。逆に言えば、変化がなくとも問題はなかったのだ。メリットを享受出来ているのだから、あまり急ぐ必要もないのかもしれない。
その考えが甘かったと理解するのは、まだ少し未来の話である。
読了、ありがとうございました。
次の更新は一月後を予定していて、やっとエデン条約編となります。
一先ず二章メインとなるのであまり長くはなりませんが、投下していきます。
よろしくお願いします。