星屑の夢   作:ハレルヤ

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8-1.補習授業部とのスタート①

◇0

 

 

 シロコとノノミの相談から数日。夏に足を踏み入れ、暑さに汗の滲む日も増えてきたその日。

 リョウヤは一人空路を行き、トリニティ自治区の目的地付近の駅の側に降り立った。

 

(確かこの辺りだったな)

 

 空中に投影した携帯端末の画面を暫し見つめると、今度はゆっくりと周囲を見渡す。

 当たり前だが、瞳に映るのはアビドスとは大きく違う風景だ。またミレニアム、ゲヘナとも趣の違う建造物が並んでいる。如何にも高級住宅街といった空気感が漂っている。

 辺りを歩いている人々も、天使や鳥のような翼を持つ生徒が多い。

 

(言っちゃあなんだが、ゲヘナの方が馴染み深いな……ベルやユウカナリアの翼に近いから)

 

 キヴォトスに来て、最早何度目とも分からない懐郷の思考を止めた。動きを止めていた足元で、猫が一鳴きしたからである。

 懐っこいな、と自然に頬を緩めながら屈み込む。

 

「どうした? 迷子か?」

 

 猫撫で声とまではいかなかないものの、緩んだ声音から発せられる言葉が分かっているのかいないのか、汚れ一つない猫は答えるように「にゃー」と鳴いて首を振る。

 

「参ったな……流石に猫にあげられるような物は用意してないぞ」

 

 綺麗な毛並みの頭を撫でてやると、喉をゴロゴロと鳴らして目を細める猫を前に、リョウヤは楽しげにぼやいた。

 工房に何でも常備しているわけではないのだ。今ほど猫の食べ物を用意しておくべきだった後悔した瞬間はなかった。

 五分ほど撫でられて満足したのか、猫は優雅に去って行く。気儘な後ろ姿を屈んだまま見送って、リョウヤはゆっくりと立ち上がる。

 野良にしては懐っこく、綺麗な毛並みをしていた。可愛がられているのがよく分かる。リョウヤから見ても異常はなく、元気そうでもあった。恐らく、地域猫という奴なのだろう。

 

(良いな、猫……でも世話する余裕もないしな……)

 

 癒しの時間に後ろ髪を引かれるも、当初の目的を果たすべく手元に携帯端末の画面を投影した。

 連絡をするべきか、暫し頭を悩ませる。

 

「あの……何かお困り事ですか?」

 

 背後から気遣いの満ちた声が届き、リョウヤは「うん?」と振り返った。

 自身を見上げているのは、フードがネコミミの形に変形しているシスター服に似た制服の少女。猫に夢中になっている間に近付いて来ていたらしい。

 悪意一つない瞳で、言の葉は続く。

 

「辺りを見渡していたので……もしかしたら迷っているのかと思いまして」

 

「人に会いに来たんだが……思いの外、似た風景が多くてな」

 

 清楚な雰囲気の生徒に、リョウヤは情け無さを孕んだ笑いを伴って答えた。

 

「相手に連絡すれば早いんだろうけど……その、柄にもなくサプライズのつもりで来たからさ」

 

 我ながらガキっぽい理由だが、と戯けるリョウヤ。両手にぶら下げていた紙袋がガサリと揺れる。

 シスターであろう生徒は「そんなことはありません。サプライズ、素敵だと思います」と微笑んだ。

 

「宜しければ、何処に向かっているのか教えて頂いても? ご案内できるかもしれません」

 

 柔らかい微笑みのままの提案に、リョウヤは面食らう。

 服装からトリニティ総合学園の所属なのは窺えた。所謂、お嬢様が多く属する学校だ。

 故に、もっと警戒されると考えていたのである。

 一見したリョウヤは、右耳には十字の、左耳にはシンプルなドットデザインと耳たぶの表から裏に伸びる指輪に似た(フープ)デザインのピアスが着けられている。銀の中身が機械である事など余人に分かる由もなく、悪く言えば結構チャラい。

 尚、その生徒は先のリョウヤと猫の一部始終を目撃している。見ていると笑みが溢れる、猫相手に晒した緩み切った顔だ。無警戒に等しいのは、それが理由だった。

 

「あ、失礼しました。私はトリニティ総合学園の伊落マリーという者です」

 

「これはご丁寧に。アビドス高等学校の葛葉リョウヤです」

 

 よろしく、と二人の手が触れ合って離れた。

 案内してもらわなくとも、場所だけ確認できるだけで助かる。トリニティの生徒であれば、目的地を知っている可能性が高い。そう判断したリョウヤが素直にマリーの案に乗ると、偶然にもマリーの行き先も同じである事が発覚する。

 驚きに顔を見合わせた後、二人並んで気品を感じさせる街並みを歩き、程なくして目的地に辿り着く。

 

「この建物ですね」

 

「立派だな……敷地も広そうだ」

 

 二人の目的地は、補習授業部の合宿所だった。そして、リョウヤの感想通りの建物だった。葛葉邸も敷地面積そのものは広いが、目の前の合宿所は広さも質も上であろう。

 

「し、失礼します……!」

 

「お邪魔しま――ストップ! 止まれ!」

 

「えっ、あ、きゃあっ!?」

 

 くんっ! とマリーは首を猫のように掴まれて引っ張られた。とは言え悲鳴の原因は、その動作ではない。

 勿論、驚きはした。だが、驚きはすぐに上書きされていく。リョウヤに引っ張られた直後、自身の足が乗っていた場所から爆発が起こったのだ。それも一度で収まらない。

 爆音に、更に爆音が重なる。しかし爆発の被害を大して受けることはなく、マリーは目を回してしまう。途中から腰に手を回されて抱えられていたからだ。

 セクハラ! と混乱していたわけではなく、抱えられたままビュンビュンと移動を繰り返していたからである。

 爆風を感じながらも時に壁を蹴り付けていたリョウヤは、あっという間に敷地外近くにまで戻らされてしまう。

 

「――リョウヤさん!?」

 

 爆音を聞きつけ、建物から真っ先に顔を覗かせたヒフミが驚愕に声を上げた。

 建物内に足を踏み入れた筈のリョウヤの片手は、最終的に外の電柱の上部に絡められ、反対の手は猫を抱えるようにマリーの腰に回されていたのだ。

 遅れて飛び出してきた先生は「蝉……?」と目を丸くし、リョウヤが「鳴いてない」とツッコむ。ヒフミは吹き出してしまい、慌てて口元を手で隠している。

 なんとも奇妙な再開だった。

 

 

◇1

 

 

「――逃げる方向を予測して、その先にも仕掛けてあった筈……」

 

 ヒフミ達が改めて来客者の二人を室内に案内し、自己紹介を終えると、銀色の長髪を持つクールな印象の生徒・白洲アズサの視線は、助けてくれたことのお礼を言うマリーと、お礼を受け取ったリョウヤへ向いていた。

 警戒と驚きと好奇心の入り混じる双眸に、前者が苦笑を浮かべて後者が肩を竦める。

 

「ああ、何ヶ所か踏み抜いたよ。ただ、この手の罠は覚えがある。だから逆に、設置場所の予想がついた」

 

 ベビーピンクのストレートヘアを膝丈近くまで伸ばす生徒・浦和ハナコが小首を傾げた。

 

「ブービートラップに……覚えが?」

 

「紛争地域に連れて行かれたことがあってな。その時にちょっと」

 

 いつかリョウヤがセナに言った、死体を見た経験の一つであり、同時に多くの遺体と向き合ったのがこの時である。

 サラッと告げられた言葉にヒフミと、リョウヤへの警戒の色を隠せていない一年生・下江コハルは「紛争地域……」と言葉を重ねて目を点にした。

 一際大きな反応を露わにしたのは先生である。

 

「紛争地域!? え、リョウヤくんが!?」

 

「ああ、パラケルススに連れられて」

 

「パラケルススさんに!? なんで!?」

 

「経験積み。いやー、あの時は参ったね。初めて人の怪我を見て吐いた。今思うと、よく俺も保ったもんだ」

 

 ハハハ、とリョウヤは遠くを見つめて乾いた笑いを溢した。

 魔力付加(エンチャント)は人の思念でもある。だからなのか、紛争という密度の濃い悪意や害意、殺意から作られた傷が、どうしようもなく惨たらしく感じられた。

 死んでも良い。死ななくとも動けなくなってしまえ。将来に問題を抱えても構わない。死ね。そんな――黒く、重く、醜く、恐ろしく、けれど非常に強い感情。

 今になってみると、マイナスに振り切った魔力付加(エンチャント)とも言える傷に宿る感情を、レセプションしてしまったのかもしれない。

 ちなみに吐いたのは一日の終わりである。それまではどうにか堪え、パラケルススの補助として仕事を熟した。

 根性みせたな、とはパラケルスス談である。

 

「アビドスに来たの十五歳とかだよね? それ、いくつの頃の話……?」

 

「十……二とかだったかな」

 

 先生が半ば呆然としながら搾り出した疑問への返答は、全員に更なる驚きを齎した。

 

「パラケルススさん、本当に何やってるの……」

 

「午前中に医者として赴いて午後になる頃に終戦したんだけど、帰った時は流石にあいつも怒られてたよ。誰も味方してなかった」

 

 アリーセは父親の頭に箒をフルスイングすると、義弟を護るように抱きしめた。

 フルカネルリは「オレ達の頃とは時代が違うし、お前も従軍経験はもっと大人になってからだった筈だろう」と苦言を呈して、ユウカナリアはそんな彼に便乗していた。彼女の場合は理解していたと言うより、本当に乗っていただけだろう。

 ベルは「なに考えてるんですか!?」と珍しくも荒れ、ヤマトは「いくらなんでも戦場は早過ぎる」と嘆息を晒した。

 ヒルブレヒトは「何を焦っているんだい?」と疑問を投げ掛けたが、その顔はやはり呆れ返っていた。

 先生もまた同上で呆れる側である。でしょうね! と語気が強められている。

 現代に於ける真っ当な大人であるのなら、当然の反応だった。

 

 

◇2

 

 

「――アズサちゃん」

 

 話題がひと段落置かれたことを見計らって、ヒフミが促がすようにアズサの背中に手を当てる。

 気まずそうな逡巡の後、爆発する罠の仕掛け人であるアズサは小さく頭を下げた。

 

「……ごめん、てっきり襲撃かと」

 

「あ、はい。大丈夫ですよ」

 

「同じく」

 

 マリーが穏やかに頷き、リョウヤは軽い調子で片手をヒラヒラと振る。二人とも、きちんと反省して謝罪をした相手を責める気質ではないのだ。

 尤もマリーは優しさからだが、リョウヤの場合は二人とも無傷だったので実害を被っていないと判断して無頓着になっているだけである。

 

「それで、どうしてシスターフッドの方がこんな所に……?」

 

「こちらに補習授業部の方々がいらっしゃると聞きまして。……ハナコさんがいらっしゃるとは存じておりませんでしたが」

 

「私も成績が良くないので」

 

 ヒフミに尋ねられたマリーが視線を向けると、ハナコはキッパリと答え、満面の笑みを浮かべた。

 マリーは複雑そうに頷き、改めて目的を告げる。

 

「本日は補習授業部の白洲アズサさんを訪ねて、こちらに参りました」

 

「私?」

 

 予想していなかったアズサは、きょとんとしている。

 マリーの用事は、クラスメイトからイジメを受けていた生徒からの感謝を伝えることだった。

 建物の裏に呼び出され、複数人で一人を虐げていた。それを、偶然にも通り掛かったアズサが助け出したのである。

 

「トリニティでもそういう事あるんだね……」

 

「お嬢様だろうと結局は人間ってな」

 

 先生は苦々しいものの、対するリョウヤは「人間なんてそんなモン」と貴賎がない。

 酷い話にヒフミとコハルが動揺する中、ハナコは冷静に所感を口にした。

 

「そう、ですね……正直にお話しすると、聞かない話ではありません。皆さん狡猾に、そして陰湿に行うので……あまり表には出ませんが」

 

 それでも気分の良い話ではないので、その声色は暗く、目も伏せられている。

 

「だけど、いつまでも虐げられてるだけじゃダメだ。事態は気の毒だけど、抵抗をやめるべきじゃない。例えそれが――虚しいことであっても」

 

「……そうかもしれませんね。はい、彼女にもそう伝えておきます」

 

 アズサの力強く、けれど儚さを孕んだ真摯な言葉に、マリーが大きく頷くと不意に微笑んだ。

 

「アズサさんは暴力を信奉する氷の魔女……だなんて噂がありましたが、やはり噂は噂ですね」

 

「ふふっ、でも氷の魔女らしい所もありますよ? ほら、表情もちょっとだけ読み難いですし」

 

 ハナコが悪戯な笑みを浮かべる。

 むっ、とアズサの表情が変化した。リョウヤはすぐに気が付き、思わず溢す。

 

「これで氷の魔女……?」

 

 じゃあ俺は何だったんだ? とでも言いたそうな反応に、先生が興味深げにリョウヤを覗き込む。

 

「昔のリョウヤくん、そんなになの? 本当に百問百答が気になるのだけれど」

 

「そんなにだよ。あぁいや、その百問百答の頃はまだマシな時期だけれど……見たいの?」

 

「見たい」

 

 百問百答についても含めて、かつての話を共有したことをリョウヤはチヒロから伝えられている。

 テンポ良く進む会話に、アズサもコハルも興味を惹かれていた。目の前にいる男子生徒が、今のアズサよりも冷えていたと察せられたからだ。

 

「随分と変わったんですね……」

 

 ニコニコとリョウヤを眺めるハナコを見て意を決したマリーが「ハナコさん」と呼び掛けた。

 

「……マリーちゃんが元気そうで良かったです」

 

「あ……はい、私は……ですが……」

 

「玄関まで送りますね。一緒に行きましょう」

 

「はい……」

 

 しかし、ハナコは表情とは裏腹のにべもない提案をして立ち上がってしまう。正しく取りつく島がない。

 促されるまま寂しげに席を立ったマリーに、リョウヤは追うように立ち上がって小さく頭を下げる。

 

「マリー。今日は案内ありがとう。助かったよ」

 

「い、いえ! こちらこそ助けて頂き、ありがとうございました!」

 

 少し慌てた様子でマリーも頭を下げ、次いで他の面々へ向き直った。

 

「では皆さん、お邪魔いたしました。先生も、急に訪ねて来てしまってごめんなさい」

 

 それではまた、とマリーはハナコに玄関まで送られて合宿所を後にした。

 ハナコが戻るのを待って先生が確認をとるのは、残る一人の来訪理由である。

 

「それで、リョウヤくんはどうしてここに?」

 

 全員から視線を受けたリョウヤは、視線をパスするようにヒフミを見た。

 

「ヒフミ、補習の話をノノミとシロコにしただろう? で、その話が共有されて……はいこれ、皆で選んだ差し入れ」

 

「あ、どうも……じゃないですよ! え、差し入れ!? そんな……こんなにたくさん受け取れません!!」

 

 ガサッと音を立てて紙袋が差し出されると、ヒフミは反射的に受け取ろうとしてしまった両手を寸前に引っ込めた。バッ! と両手を大きく上に広げ、不等号(だいなりしょうなり)にも見える閉じられた目もとは実に愛らしい。

 

「見事なノリツッコミだね」

 

 先生が楽しそうに感心し、アズサは「なるほど、これが」とノリツッコミに興味を示している。

 全く差し入れを受け取る気配のないヒフミは諦め、リョウヤが今度はハナコへと紙袋を差し出した。

 ハナコは困ったような笑みを浮かべたが、リョウヤの目を見ると諦めたように受け取ってしまう。

 ヒフミが「あっ……」と微かに漏らした。

 

「あ、お菓子にジュース……」

 

 差し入れられたのは甘いお菓子が多めで、アイスティーやアイスコーヒーのボトル、オレンジジュースなどだ。

 ひょこりとコハルが紙袋を覗き込むのを横目に、ハナコが「ありがとうございます」と微笑みを浮かべ、次いで諦めたようにヒフミが、それを見てアズサも続く。コハルは慌てて「あ、ありがとう……ございます……」とリョウヤと目を合わせることなく告げた。

 リョウヤは首を縦に振ると、自分だけが足を運んだ理由を明かし始める。

 

「で、俺が来たのは……勉強なら何か手伝えるかなと」

 

「優しいのですね」

 

 飲み物を冷蔵庫に入れ始めたハナコは変わらぬ笑みで、言葉は唯の感想であったが、同時に警戒に近しい感情が宿っていることにリョウヤは気が付く。

 初対面であることを踏まえると、全く不思議ではないとも思う。言ってしまえば、アズサもリョウヤを観察している。人見知りの気があるコハルも同様だ。それが悪い事だとは思わなかった。

 それはそれとして、リョウヤは頭を悩ませる。

 

「うん? んー……そうだな。うん。ぶっちゃけると、恩を返したいんだよ」

 

 リョウヤとしては恩着せがましくなるのも避けたかったが、面識のないハナコ達からしたら自分が怪しい事も理解できていた。

 仕方がないと割り切って、結局ある程度の感情や思惑を明かしておくことにすると、ぴくりと反応する人物が二人。

 

「先生にですね」

 

「ヒフミちゃんにだね」

 

「「えっ!?」」

 

 ヒフミと先生が息ぴったりに互いを指名し、これまた同時に困惑に顔を向け合う。

 

「どっちも正解。先生は支援してくれているし、ヒフミはカイザー社の問題をトリニティで大きく話題にしてくれた」

 

 二人の反応にリョウヤが可笑しそうに笑ったが、発せられた声には強い感情が込められていた。

 

「先生の立場や物資の支援に助けられているのは当然として。ヒフミの助けも、本当に大きなことだったんだ」

 

 加えて結果として、トリニティ自治区ではカイザーコーポレーションの活動が困難になっている。

 反社会的組織の抑制は大きな事だ。

 

「俺達アビドス廃校対策委員会にトリニティ上層との縁はなかったから、こちらの頼みを叶えてくれて……しかも実際に手助けまでしてくれたことには感謝しかない」

 

「それは……だってあの人、とんでもなく酷かったですよ!? リョウヤさんだって、腕さえ無事なら良いって言われていたじゃないですか!」

 

 語気を強めるヒフミの怒りの対象は、カイザーPMCの元理事であることは明白だった。

 あまりの内容に、コハルはギョッとしてリョウヤに顔を向けてしまう。ハナコとアズサも、コハル程大袈裟でなくとも似たような反応である。

 うん、と元理事から足が使えなくなっても構わないと断言されたリョウヤは相槌を一つ。ヒフミとは対照的に、落ち着いた雰囲気で優しく続けた。

 

「でもそれ言ったの、最後の最後だけだっただろう? あれはあれで決して馬鹿じゃないから、言葉は選んでいただろうし。だからその瞬間に間に合うように戦車まで引き連れて来ていてくれたのは、ヒフミの判断……違うか?」

 

「それは……そうかも……ですけど……」

 

「義理は果たしたいし、恩も返したい――で、これは別に俺だけの考えじゃない。ホシノも、シロコも、ノノミも、アヤネも、セリカも、全員が同じ意見だ」

 

「アビドスでもリョウヤくんが特に学力は高く、勉強を教えることにも慣れている。個人の移動手段もあって、差し入れ運ぶついでに講師をやれるってことだね」

 

「そ……そんなに勉強できるの……?」

 

 リョウヤを知らないコハルは胡乱な目である。ハナコとアズサにもリョウヤの情報はない。コハルほど露骨でなくとも、疑問には思っていることだろう。

 

「とりあえず、受けてみる? 今までの模試」

 

 笑顔の先生は、既に過去問となった問題用紙を取り出したのだった。

 席に着いたリョウヤはコンタクトレンズを取り外してケースに仕舞うと、先生に預ける。代わりに眼鏡を掛けるわけでもない一連のやり取りに、一同は不思議そうにするもわざわざ口にはしなかった。

 

 

◇3

 

 

「――結果……百点満点!」

 

 勝訴を掲げるが如く、先生は答案用紙を広げる。その表情は感心の一言である。

 満点!? と素直に驚くコハル。アズサはまじまじと答案を眺め、ハナコが小さく拍手し、ヒフミには然程驚きもないようだった。

 

「読解問題は苦手なんじゃなかった?」

 

 先生は机に答案用紙を置きながら、ふと思い出して口にする。

 

「苦手だって自覚してるのに、放置しておく理由なくない? それに俺、三年だしな。ただまぁ、それでも得意ではないよ」

 

 なるほど、先生は納得を返す。

 名前の横に描かれた花丸に喜顔を晒しながら答えたリョウヤは、補習授業部の試験範囲は二年生のものなので出来て当然とばかりである。

 主張としては理解できるものの、僅か一年の差しかない。満点を取れる生徒が多くないことは想像に難くなかった。

 

「ちなみにネルちゃんは既にヤバいって言っていたけど、出席日数は平気?」

 

「ミレニアムへの出向は公欠扱いだから。ゲヘナの方もマコトに頼んだら許可下りたな。だから出席日数には意外と余裕があるよ。……マコトに関しては少し不安もあるが、一緒にイロハ達もいたし大丈夫だろ」

 

「公欠! ……あれ? ネルちゃんもセミナーからの仕事がメインなんじゃ……」

 

「カリンに聞いたけど、どうもネルは不良に絡まれてたりする人を放っておけないで遅刻欠席することが多いらしい」

 

 あー……、となんとも言えない顔を作る先生。ネルとの付き合いはまだ短いが、思い当たる節が多過ぎた。リョウヤは同意見と言うように肩を揺らして「優しいからな、彼女」と、ネル本人が聞いたら表情を歪めそうな評価を下した。

 

「今のティーパーティーだと桐藤ナギサ、聖園ミカ……それから百合園セイアか。繋がりがほぼないから、個人で申請は厳しいかな」

 

「“ほぼ”ですか?」

 

 言い回しに反応して、ハナコが疑問を呈する。

 ゲヘナの名が出た時はヒフミ以外の補習授業部が体を僅かに強張らせたが、話題の中心のネルはミレニアムの所属であり、次いでティーパーティーの話になったことで深掘りされることはない。

 

「百合園セイアとだけ手紙で少し」

 

 予想外な関係性に「文通!?」と先生とヒフミが声を上げた。ハナコとコハルもまた似たような反応で、アズサは「手紙は原始的だが、確かな連絡手段だ」と所感を述べている。

 

「先生は予想も出来たかもだが……一年の頃に何度かトリニティ総合学園にも不法侵入しているんだよ、俺」

 

「不法侵入……」

 

 トリニティで活動する治安維持組織・正義実現委員会に属しているコハルの非難めいた呟きを受けて、元不法侵入者は誤魔化すように説明を続ける。

 

「その謝罪を最初は直接しようとして……まぁ学園トップ連中に会えるわけもなく。学校への電話も詐欺やらイタズラ電話の類と判断されている風だった。謝るために侵入したら本末転倒。で、最終的に駄目元で使ったのが手紙だった」

 

 アビドスは関係ない一個人として、接触を図っていたこともマイナスだったのだろう。しかし勝手ながら、下手に大事にもしたくはなかった。

 

「侵入していたって事と、その際に読み漁った本のタイトル、不備があれば弁償する意思がある事と、謝罪の言葉を書いてな」

 

 あっ、と何かに気が付いたように声を上げたのは意外にもハナコである。

 

「それはもしかして、量子力学や超弦理論の本でしたか?」

 

 リョーシ……チョーゲン……? とコハルは眉を寄せ、先生が「宇宙物理というやつだね」と補足する。漠然とした言葉に、スケールの大きさだけを感じ取ったコハルは「宇宙物理……」と鸚鵡返す他ない。

 リョウヤはハナコへ肯首するも、その顔は不思議そうである。故にハナコは懐かしそうに続けた。

 

「私も確認を手伝った覚えがあって。空間や……エネルギーに関する書籍が多かったので印象に残っていたんです。トリニティではあまり読まれていないジャンルでしたから」

 

 ズキリと先生の胸が痛む。時期と本の内容から、リョウヤが故郷へ帰る手段を求めていたことを理解してしまったからである。

 

「それは手間をかけさせた。返事の手紙には、本の状態は確認できた、問題ない、謝罪を受け入れる、という旨を丁寧にしたものが届いてな。最後にあった名前が百合園セイアだったんだ」

 

 文通ではあったかもしれないが、僅か一往復のやりとりだと締め括られる。

 確かに、その程度ではティーパーティと繋がりにはならないだろう。なるほど、と納得の声が漏れる。

 

「……とまぁ本当に微かな縁なだけで、以降はなにもない。だから公欠扱いは難しい以上、毎日顔を出す余裕はないだろうな」

 

「いやでも講師慣れしているリョウヤさんが手助けしてくれるなら、百人力ですよ!」

 

 ヒフミがグッと拳を握って断言する。

 講師慣れ、と先程も先生から出た単語を呟いたアズサに、リョウヤは「アビドスでは講師がいなくてな。勉強を教える側になることが多いんだ」と酷い環境に自嘲混じりで答える。

 

「あっ、契約書も用意しないとだね」

 

「仕事のつもりはないし、依頼してくれたわけでもない。要らないよ」

 

「いや、君は君の能力を安売りするべきじゃないよ」

 

「そうですよ! ノノミちゃん達に聞きましたよ? 勉強嫌いだったセリカちゃんが、率先して勉強するようになる位に教えるのが上手だって!」

 

「そうそう! 特に化学に興味津々なんだよね!」

 

「安売りしてるつもりはないです。セリカに関しては、本人の資質だろうさ。元から化学は素直な人に向いてるって言うだろう?」

 

 先生だけでなくヒフミまで参戦して増した勢いに押され、思わず敬語になるリョウヤ。サラッと素直な事を褒めたセリカに関しても、他の人と同じように教えていたので特別なことは何一つしてないのだ。

 

技術や能力(スキル)に相応の価値を……てのは分かってるよ。医学の分野でも物理学の分野でも技術屋だしな、俺も」

 

 ククッ、とリョウヤは笑った。確かに優しく存ろうとは心掛けている。だが、しかし……だ。

 

「酷い話をすると、二人がいなかったらここまで来ていないんだ」

 

 先生やヒフミが補修授業部に参加していなかったとして。

 ハナコ達に、請負人をやっていて教えることにも慣れていることを伝える可能性はある。それも百歩譲って、顔を合わせた場合である。何せ本来、面識がないのだ。

 アビドスやミレニアム、或いはゲヘナで「補習授業部という部活がある」と聞いた所で「そうなんだ」で終わってしまうだろう。

 リョウヤは善人足ろうとしているものの、他人の、それも補習という命の危機でもなんでもない事柄への優先度はどうしても高くならない。

 それでも今回、トリニティにまで足を運んだのは――

 

「先生やヒフミがいるから手を貸したいんだよ」

 

 偏に二人がいたからだ。

 先の作ったような笑い方ではなく、正真正銘の笑みで放たれた心からの気持ちだった。

 あぅ、とヒフミが照れたように呻く。

 先生は感極まったとばかりに目元を片手で隠すも、すぐに立て直した。

 

「君の……いや、君達の心からの善意を否定するような言い方をしたのはごめん」

 

「私もごめんなさい。なんでもお金に結び付けてしまって……リョウヤさん達が、そんな人達じゃないって知っていたのに……」

 

「そんな深刻にならなくても。気遣ってくれたのは分かるしな」

 

 アビドスが抱える問題の一つにして、最も目立つ負の側面である多額の借金。そして返済のために起業し、請負人としても働いているリョウヤ。他の対策委員会の面々も例に漏れず、日々奔走している。客観的に見るまでもなく、金銭を求めているのは明らかだ。

 だからと言って全てをお金に帰結させるのは失礼だった、と二人は深く反省する。

 尤もリョウヤに気にした様子はない。恐らく、ホシノ達も同じ反応になる筈だ。それが、アビドス廃校対策委員会から先生とヒフミへ向けた矢印を端的に示していた。

 

「代わりと言っちゃアレだが、今回に関しては俺達を立ててくれないか?」

 

 そして――悪戯をする子供の笑みで、自分達の主張を押し通したのである。

 この選択がリョウヤの将来に大きな影響を与える事になる等、誰一人として気が付く者はいないままに。




今年最後の更新となります。
ここまでありがとうございました。
それでは皆さん、良いお年を!
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