星屑の夢   作:ハレルヤ

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9-2.白の一手②

◇0

 

 

 時刻は数時間ほど遡る。

 十九時を回り補習授業部の合宿所を後にしたリョウヤは、ゲヘナ学園へと降り立っていた。

 目的地は第八学生食堂前。迷いのない様子で足を運ぶと、既に見慣れた姿が見えてくる。

 

「それじゃあ、纏めて冷凍庫にお願いね」

 

「はいっ!」

 

 ピカピカな四輪駆動車の前でそんなやりとりをしていたのは、フウカと給食部員である。

 山のように積まれた荷物を両手で抱えて運んでいく姿を見送ったフウカに、リョウヤは「おつかれさま」と労いを投げた。

 

「あ、リョウヤさん――先日はご迷惑をお掛けしてごめんなさい! どうもありがとうございました!」

 

 ビシッと九十度に折り曲がり、謝罪と感謝を伝えるフウカ。

 言っても意味はないが、フウカは被害者なので落ち度はない。リョウヤは苦笑を浮かべて「どういたしまして」と応えた。

 

「……大変だったな」

 

「……はい」

 

 ハイライトの消えた瞳で乾いた笑いを奏でるフウカに、リョウヤは逡巡して話題を変える。

 

「これ、新車? 格好良いな」

 

 少々わざとらしい話題の変更であったが、フウカは気に留めるだけの余裕はない。素直に「あ、はい」と肯首して意識を持ち直した。

 

「食材の買い出しをしないといけない事も多いから……皆と相談して買っちゃいました」

 

 四輪駆動車に近寄るリョウヤを、正気に戻ったフウカは警戒しない。何処ぞの美食研究会と違い、理由がないからだ。寧ろ専攻が機械工学であることも知っているので、興奮した様子には納得しかなかった。

 

「リョウヤさんも男の子なのね――、……!?」

 

 リョウヤが「良いなぁ」としみじみ繰り返す姿がまるで小さな子供のようで、フウカはくすりと笑うも、それは一瞬である。直後に笑顔は驚愕と混乱に染まっていた。

 

「んー、そうか? まぁそうかも」

 

 リョウヤの後ろ姿に微笑みを浮かべていたフウカは、一瞬のうちに猿轡をされ、体をロープでぐるぐる巻きにされていたのだ。

 被害者が言葉を発する間もない犯行に気がつく事がないまま、リョウヤは「やっぱり惹かれるものがある」と声を弾ませ、ガシガシっ! と両腕が掴まれた。

 

「へっ?」

 

「お久しぶりです」

 

「何か食べ物持ってない?」

 

 二の腕の一方をハルナが、もう一方を赤い髪をサイドで纏めている一年生・赤司ジュンコが握っていた。

 間抜けの声を発して両手を軽く動かそうするも微動だにせず、リョウヤの両目がカッと開く。

 

「デジャヴ!」

 

 二人の奥では、フウカがグラマラスな体を持つ二年生・獅子堂イズミに俵のように持ち上げられていて、アカリが意気揚々と車の運転席に乗り込んでいた。

 フウカが積み込まれると、今度はリョウヤもぐるぐると巻かれていく。

 最中、リョウヤのコンタクトレンズに[アビドスへ救助を要請しますか? YES or NO]と表記された。

 美食研究会については既知だ。

 一先ずは、とリョウヤは結論を出す。脳波を読み取って後者が選択されると、再び文字が現れるも今度は短い。

 

[了解しました]

 

 コンタクトレンズは機械であり、魔具でもある。レンズを通して、AIが風景を確認しているのだ。

 程なくして四輪駆動車は動き出す。

 トランクにはジュンコとイズミが座り、運転席と助手席は前述の通り。監視の為にとフウカとリョウヤは後部座席で、前後を美食研究会に挟まれていた。

 

(あー……どうするかな)

 

 喋れないながらもぺこぺこと頭を下げてくるフウカに、リョウヤは「平気だから」と言い聞かせながら頭を悩ませる。

 自分一人で逃げ出すのは正直容易い。が、自分だけならそこまで必死に逃げる必要もない。無論、手伝って貰えると想定している給食部には迷惑が掛かってしまうものの、非は明らかに美食研究会であろう。

 ただやはり、自分はまだしもフウカが欠けるのは――と考えた所で、意識が引き戻された。

 

「そう言えばリョウヤさん」

 

 イズミとジュンコがリョウヤから貰ったチョコレートバーを齧る中、顔を向けることなく名を呼んだのは助手席に座るハルナである。

 

「例の食べられる毒キノコ、頂きましたわ」

 

「それは……購入ありが――」

 

「あまり美味しくなかったです!」

 

 ハルナの上品な言を聞いたリョウヤを遮って、アカリが強く言い切った。相当な不満だったらしい。振り返ってまで文句を告げた彼女に、ジュンコが「ちゃんと前見て!」と叫んだ。

 おう直球、と返したリョウヤの真後ろからは「私は美味しかったけどな~」とイズミの感想が聞こえた。そちらに小さくお礼を告げると、とても無視できない発言がアカリから飛び出す。

 

「TS社を爆発させちゃおうかなって思っちゃいましたよ~」

 

 文字通りの爆弾発言である。

 

「……実行しないでくれて嬉しいよ。いや本当に良かった……本当に」

 

「本来ならば食べられない物を食べられるようにする、というのは偉業ですからね」

 

 自分にとっては慣れた事だったが、リョウヤが頬を引き攣らせたのを見たフウカは「やっぱりそういう顔になるよね……」と共感を覚え、ハルナの所感には大きく首を縦に振る。

 本当に凄い事なのよ! とフウカは声を大にして言いたかった。事実として、ハルナの静止と説得で美食研究会はTS社へのテロ行為に走らなかったのだ。

 

「ですが少々……薬の味が強すぎるかと」

 

「――良い舌してる」

 

 ダメ出しを受けたリョウヤは、不満もなく素直に賞賛する。ハルナは「ありがとうございます」と上品に笑った。

 “食べられる毒キノコ”は毒を抜いたのではなく、解毒効果のある薬を足して作り上げたモノなのだ。

 食べ物を売る以上、味にも気を遣ってはいた。だが優先度はどうしても味より解毒の方が高くなる。

 必然、薬の割合が大きくなっていたのだ。それでも薬の主張は可能な限り抑えていたのだが……美食研究という名は伊達ではないらしい。

 

「そこで一つ思ったのですが、どうしても薬でなければいけないしょうか?」

 

 虚を衝かれ瞠目すると、リョウヤは黙り込む。ハルナは尚も言の葉を紡いでいく。

 

「解毒作用のある別の食材を用いて、同等の薬効を得るのも可能なのではないか……と素人ながらに考えてみたのですが」

 

「薬の味より断然良いですね」

 

「でも、そんなこと出来るの?」

 

 ハルナの質問にアカリが同意を示し、ジュンコは半信半疑だ。イズミだけは「美味しかったよ~?」と意見は曲げず、けれどより美味しくなるのなら文句もないというスタンスだった。

 言うは易く行うは難しだ。勝手な事を! とフウカはハルナを睨むも、彼女はどこ吹く風だ。

 

「――面白い」

 

「ん!?」

 

 はっきりと熱の宿った声に、フウカが思わずリョウヤの顔を覗き見た。料理人でありながら、研究者の顔をしている男の子の双眸はキラキラと輝いている。

 

「食材の薬効を重視する発想はなかった。量、だと結局その食材の主張が強くなる……なら種類や組み合わせか? 薬効をそのもの高める事が出来れば或いは――」

 

 当然それは言うほど簡単ではないが、リョウヤは機工魔術士(エンチャンター)だ。そして医者でもある。だからこそ、薬の効能を魔力付加(エンチャント)で強化するという選択肢は常に存在していた。

 件の毒キノコ食品でも行なった魔力付加(エンチャント)だ。

 

「よくよく考えてみると、“食べ合わせ”なんて言葉もあるもんな。トマトと油とか、焼き魚と大根おろしとか」

 

 薬効とは字面だけでは“薬の効能”なのだが、食材も持っている。医食同源や薬食同源の思想があるように、食と薬は密接な関係にあるのだ。

 リョウヤの知識に、満足げにハルナは答える。

 

「リコピンの吸収率上昇や消化促進ですわね」

 

「そちら側からアプローチすれば……解毒しつつ、味も美味しくなるかもしれない」

 

 食材が持つ薬効を魔力付加(エンチャント)で強化すれば、薬を減らして味の向上が見込めるかもしれない。

 誰にも予想の出来なかったであろうリョウヤとハルナの意見の出し合いは、風紀委員会と遭遇し、イズミとジュンコが陽動として別れて行くまで続き――その後の補習授業部との出合いに繋がるのだった。

 

 

◇1

 

 

 そして時間は現在へ。

 美食研究会の二人と給食部一人とその関係者が一人、補習授業部と先生を乗せていた筈の四輪駆動車の乗員は、大きく変わっていた。

 アズサとハナコの姿が消え、新たにジュンコとイズミが加わっている。またヒフミがスクーターに跨っており、コハルをタンデムしてトラックを追従していた。

 少し前までは、ショベルカーやブルドーザーを駆る温泉開発部相手に移動しながらの戦闘を余儀なくされていたが、どうにか捌き、一時的な安息を得られているのが現状だ。

 

「次の角は左だね」

 

 トランクでシッテムの箱に目を光らせている先生の言葉を、後部座席のジュンコが「次は左だって!」と中継して運転手のアカリへと伝えている。

 

「リョウヤくんは定期的にスマホを触っているけど何を?」

 

 空中投影型のモニターではなく、片手で端末の現物を握り、画面を見つめるリョウヤ。

 まさかゲームをしている訳でもあるまい、と先生はシッテムの箱から目を離すことなく尋ねた。

 

「ヒナとかアコにコールしてるんだけど……駄目だな。一向に繋がらない」

 

「脱獄した美食研究会だけじゃなく、温泉開発部も暴れ回ってるみたいですから……」

 

「そこに正義実現委員会からの襲撃疑惑となると、スマホの通知に気が付くのは難しいかもしれないね」

 

 リョウヤがかぶりを振ると、体育座りをして縮こまっているフウカが嘆息し、質問主は納得に微かな落胆を滲ませる。

 最も手っ取り早い風紀委員長の理解を得るという手段は、とれそうになかった。

 

「おっと、この河を渡ったら……うん?」

 

 街灯もない道を進む最中、いきなり訪れた気持ちの悪い浮遊感に先生が不自然に言葉を止める。えっ!? というヒフミとコハルの困惑が、背後の……少しばかり上の方から聞こえた。

 直後に、ハルナが「おや……」と。

 アカリが「あら?」と。

 イズミが「わあ!」と。

 ジュンコが「嘘!?」と。

 リョウヤが「んー?」と

 気の抜ける声で事態を把握していく。

 次いで、スクーターの二人も異常に気が付かされる。

 

「うわあぁぁぁ! 道がなっ……橋が落ちています!!」

 

「ひ、ヒフミ! おお、落ちっ、落ち着いてっ! ブレーキ!!」

 

「ダメです! ま、間に合いません!!」

 

 スクーターよりも少しばかり先を行っていた事で、より重い四輪駆動車がまず落ち始める中……美食研究会と先生の悲鳴が響くもリョウヤだけは真上へ顔を向けている。

 

「試験前に落ちるってのは縁起が悪いな」

 

 タイミングを計って、リョウヤは座席を蹴って飛び上がっていた。

 

「リョウ、ヤっさん!?」

 

「いま跳んで……!?」

 

「投げるから着地だけ意識して。いけるな?」

 

 要点だけを伝えると、そのままの姿勢で一秒にも満たない瞬間を中空で静止して、リョウヤはヒフミとコハルの腰に手を回した。

 なけなしの魔力による浮遊だ。否、既に落下は始まっている。けれどその速度は、明らかに重力に抵抗していた。

 ヒフミとコハルが問い掛けに困惑したのも一瞬。

 リョウヤは二人が頷いたのを確認すると「投げるぞ……!」と即座に岸を目掛けて放り投げる。

 

「――わっ、とと!」

 

「――っ! あっぶな、かった……!」

 

 浮いた状態での短い一時停止で、着地先を目視できていた。忠告があったこともあり、心構えが出来ていたのも大きい。ヒフミとコハルは水音の響く中、怪我なく降り立てた。

 すぐに後ろを確認すると、リョウヤが波立つ水面から顔を出している。

 だが何かに気が付いたような素振りを見せて、リョウヤは自ら水中に姿を消し――先生とフウカをそれぞれ片手に抱き抱えて浮き上がって来る。特にフウカの事をがっしりと支えていた。

 即座に先生が叫ぶ。

 

「さ、先に行って! 二人は!」

 

 水を飲んでしまったようでぐったりしているフウカにリョウヤが声を掛けると、弱々しいが返事はある。意識はハッキリしているので、リョウヤは安心に息を吐いた。

 

「――(わたくし)、某有名映画を真似して親指を立てながら沈んでみたのですが……誰か見ていて下さいましたか? 撮影もOKだったのですが」

 

 ハルナに対する回答は満場一致でNOである。残念がる彼女に、ジュンコが「そんな余裕あるわけないじゃん……」とツッコむ。

 びしょ濡れだよー! と文句を垂れるイズミの姿も、「夏場なのが幸いでしたね……」と苦笑うアカリの姿もある。

 どうやら全員が無事なようだ。

 

「すいません! ありがとうございました!」

 

「あ、ありがとう! えっと、風邪に気を付けて……!」

 

 余裕のある皆の姿を確認して、二人は後ろ髪引かれる思いで背を向けた。

 それを皆で「いってらっしゃーい」と見送りながら、バシャバシャと音を立てて水から上がる。上半身が完全に水から出る深度まで辿り着くと、フウカを支える役割を先生に託し、リョウヤは工房からタオルやタオルケットを取り出した。

 

「――これ、使ってくれ」

 

 メッセージは、先に上がっている美食研究会へのものだった。

 ビルのように綺麗に積み立てられているタオル群をハルナが「ありがとうございます」と嬉しそうに受け取ると、両手の空いたリョウヤは迷いなく身を翻す。

 

「あら、どちらに行かれるんですか?」

 

「車、引っ張り上げる。まだ動くかもしれない」

 

「一人で!?」

 

 アカリが人差し指を頬に当てて尋ねる間も、サブザブ音を立てるリョウヤの足は止まらない。ジュンコが驚愕にリョウヤを見ると、彼は首だけで振り返った。

 

「いや……ワイヤー繋ぐから、引っ張るのだけ手伝って欲しい」

 

 車体前面下部にワイヤーを接続するのは、そう難しいことではない。後はロープ程の太さのワイヤーを引っ張るだけだ。

 オーエス! オーエス! と声を揃えるのは、宛ら“おおきなかぶ”である。

 リョウヤの予想に反して、車の引き上げは簡単に成功した。代わりに、再び動くようにする整備に時間が掛かってしまっていた。

 だが漸く、ブォンとエンジンが息を吹き返す。

 

「すご、本当に直った……」

 

 ジュンコが感心を口にした。

 リョウヤは溜め息を滲ませながら、工具を工房へと戻していく。

 

「最新型だけあって水にも強かったな。ただ応急的な処置だから、動くだけ――しかもいつまで保つかも分からない。それでも、きっとヒフミ達の役には立つ」

 

 フウカには申し訳ないが、とリョウヤがフウカを窺う。

 

「気にしないでください。元はと言えば、私が呼んだせいもあって誘拐に巻き込んでしまったわけですし……」

 

 ジトリとフウカは美食研究会達を視線で刺すも、暖簾に腕押しだ。それでも思う所があるのか、若しくは美学の問題か、ハルナは笑みを引っ込めて橋の上を見上げた。

 

「ここは私達が受け持ちましょう」

 

 既に人の気配は近くなっている。風紀委員会か温泉開発部かは不明だが、タイヤがアスファルトを削る音も、人が走る音も聞こえて来ているのだ。顔を合わせるのも時間の問題だろう。

 

「引き換えに、リョウヤさん。今度こそ料理をお願いします。結局、(わたくし)達は一度も食べられていませんから」

 

「え、給食は?」

 

 あまりに真摯なお願いに、先生は呆けてしまう。何故ならリョウヤは、ゲヘナ学園の食堂で調理を担当する日もあるからだ。

 ゲヘナ所属の美食研究会が食べた事がないとは考え難かった。

 

「私達、未だにリョウヤさんへの接触禁止令が解かれていないので、食べたことがないんですよ★」

 

「来てる時は食堂周りを風紀委員が警戒してるんだよ~!」

 

「いくら何でもやり過ぎよね!」

 

 アカリ、イズミ、ジュンコは不満に口を揃える。

 断じてやり過ぎではない、とフウカは心底から思った。そんな空気を読み取ったのか、ハルナはフウカを見て綺麗な笑顔を浮かべる。

 

「風紀委員会が相対した場合、フウカさんは人質として活用させて貰いましょう」

 

「まぁそれが丸い」

 

「えっ」

 

 リョウヤの真面目な肯定に、フウカは信じられないと言わんばかりだ。

 

「人質なら被害者だって言い張れるからね。ヒナちゃんなら初めから念頭に入れてくれるとは思うけど、証拠というのは大事だから」

 

 今までも風紀委員会から追われていたのだが、リョウヤとフウカ……果てには先生までいたのにも関わらず、攻撃の手は緩められなかった。顔を知らなかったり、とにかく確保を優先していたり、気が付かなかい程に殺気立っていたりと理由はいくつか考えられるが、現状で見逃して貰えないのなら終わった後の立ち回りを意識した方が良い。

 先生からの解説に、フウカは納得したようである。

 

「……そういう事ですか」

 

 美食研究会に調理を、フウカに「車は完璧に直した上で返却する」と約束を交わして、リョウヤは先生と共にヒフミ達を追い掛けたのだった。

 

 

◇2

 

 

 リョウヤと先生が追い付いたのは、ヒフミとコハルがアズサとハナコの二人と合流した直後だった。

 

「む、後方から車の音が……」

 

「また敵なの!?」

 

「いえ……あのトラックは……」

 

「リョウヤさん! 先生!」

 

 ヒフミの破顔に釣られ、車の正体を察していたハナコも、警戒を強めたアズサも、不安と苛立ちに襲われたコハルも明るい顔色になり、運転席と助手席に座る二人を見つめる。ちなみに前者がまだ服が乾き切っていない様子のリョウヤ、後者がナビを兼ねた先生である。

 

「トラックは水没してしまったと聞いていましたが……」

 

「皆で引っ張り上げたのを、リョウヤくんが応急手当てしてくれてね!」

 

 不思議がるハナコに、先生が自分の事のように胸を張った。リョウヤは照れを隠すように親指を立てて背後を指す。

 

「煙吹き始めたけど、まだ動く。乗ってくれ。少しでも体力を温存して、可能な限り万全の状態で試験を受けよう」

 

 水分の抜けきっていない後部座席にはブルーシートが敷かれていて、濡れないようにと配慮されている。小さな事だが嬉しく、そして有り難い。

 

「失礼するけど……トランクにあるお菓子達は一体」

 

「あ、ペットボトルもある」

 

「それもリョウヤくんが工房から出してくれた物だよ。動き回っていたから水分を、試験を受けるのなら脳に糖分を……てね?」

 

 アズサの疑問符でコハルも気が付き、先生は茶目っけたっぷりにウィンクをした。

 

「正直まだ状況が掴み切れていないんだが、必要だろうと思ってな」

 

 詳細話してくれねーんだもん、と先生を視界に入れてぼやくリョウヤがアクセルを踏み込む。

 今回の……と言うより、補習授業部の隠されていた事情に関して、リョウヤには共有していない。

 特に退学に関して、自分達は勿論だが講師役にとってもプレッシャーを与える。自分達が今回で合格してしまえば良いという事もあって、一先ずのところ話さないと、合宿所を出発する前に話は纏まっていた。

 

「これは有り難いですね」

 

「うん。体力の影響は集中力にも出る」

 

「お菓子……と言っても栄養補給食品が多いですが、こんな物まで取り出しが出来るんですね!」

 

 話を逸らすようなハナコに、唯一リョウヤに事情を共有しておくべきと主張していたアズサが頷き、ヒフミが感嘆する。

 

「私も前にお世話になったけど、言われてみると少し意外かも」

 

 思えばリョウヤと始めた出会った時である。懐かしさに先生は頬を緩めるも、工房に置くだけで“置いた物”の出し入れが自由になる訳ではないことも知っている。

 

「お菓子が意外なの? どうして?」

 

 些細を知らないコハルがきょとんとした。自在に出し入れ可能なら、片っ端から工房に置いておいた方が良いと考えていたのだ。それは単純だが、だからこそ当然の考えだった。

 

「転移できるようにするのに必要な作業があるし……何より飲食物には期限があるでしょう? 賞味とか消費とか」

 

 先生に言われて、皆がお菓子に目をやる。多種多様で実に色鮮やかだ。

 手に持っていた一つを思わず翻すと、隅には賞味期限が書かれている。市販の物なのであるのは当たり前で、期限は随分と先だった。

 ふっ、とリョウヤが息を吐く。

 

「定期的に入れ替えるのが手間じゃないと言わないけれども」

 

 改めて見ると、お菓子は山のようにある。確かに先生の言葉も分かる。凄まじい種類のお菓子が、まるでリスのように工房に溜め込まれていたのだ。

 

「少なくとも消費は皆ですればすぐに無くなるよ。アビドスだけじゃなくて、ミレニアムで出す機会も多いしな」

 

 ミラー越しにヒフミ達を伺って、リョウヤが小さく笑う。呼び起こされる記憶は、親しい者達の笑顔だった。

 お菓子は対策委員会やヴェリタス、エンジニア部でも提供していたし、最近ではゲーム開発部に顔を出した際にも振る舞われている。

 市販のお菓子と言っても、それは小さな幸せだ。何気ないが、あると嬉しいのは間違いない。

 また前述の通り、頭を使う際にはやはり欲しくなる。

 事務仕事。プログラミング。エンジニアリング。ゲーム作成。どれも頭を使う。お菓子類は購入が簡単、消費するのも容易いが、それでも笑顔を作れるのだ。

 

「それに――あれば助かる命があるかもしれないから」

 

 静かに、けれど確かに強い情念を伴って、リョウヤは口を閉じる。

 遭難者とかいるかもだもんね、とかつてお世話になった先生が締め括った。

 救急だけでなく非常時の食料にもなると理解して、ヒフミ達は改めてお礼を言って舌鼓を打つのだった。

 

 

◇3

 

 

 試験会場には、先程までの騒乱が嘘のように容易く辿り着いた。

 尚、リョウヤが「本当にここか?」と不審がる程度には廃墟である。残念ながら、トリニティの発表を何度確認しても間違いはなかった。

 

「ここで合っていますね……」

 

「開始までの時間は……良かった、まだ余裕があります」

 

「一先ず中に入ってしまおう。外にいては、また誰かに見つかってしまうかもしれない」

 

「……リョウヤさんは?」

 

 四輪駆動車から補習授業部と先生が降りると、頭を下げてお礼を告げる。

 携帯端末を確認しつつ乾いた笑いを浮かべるヒフミに、同じように携帯端末で時間を確認するハナコ。アズサは周囲を警戒に見渡し、コハルは運転手席の扉の上に両手を置いてリョウヤを覗き込んだ。

 

「俺は途中にあった駐車場で待機しておくよ」

 

 五人が廃墟内に消えて行くのを軽く手を振って見送り、リョウヤは試験会場から少し戻った位置にあった駐車場に向かう。

 何処にでもあるコインパーキングタイプの駐車場だ。

 他に駐車されている車の影はない。故障しているのか、タイヤのストッパーは上がってこない。支払機がボコボコに凹んでいるので、運転主も好き好んで停めたくはないのだろう。

 着いて早々にリョウヤは四輪駆動車のボンネットを開いた。

 返却の際にもきちんと修理と整備をしておくつもりだったが、この後の帰りを考えると最低限の確認は必要だと踏んだのだ。

 テキパキと慣れた手つきで整備を進めていく。

 エンジンルームを粗方確認し、リョウヤは額の汗を拭った。

 

(……アンダーボディを確認する時間もありそうだな)

 

 バン! とボンネットが閉じられると、その音を掻き消す程の爆音が響く。

 リョウヤの肩が跳ね、ゆっくりと首だけ振り返る。

 

「なんで……?」

 

 音源は補習授業部のいる試験会場の方角だ。しかしそれでも体は動かず、恐る恐る口から出たのは疑問である。

 俺のせいじゃないよね? と不安に襲われていた。何せボンネットを閉じた事と爆発に因果関係があると思える程、タイミングがドンピシャだったのである。

 しかしすぐに、運転席に乗り込むのだった。




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