星屑の夢 作:ハレルヤ
◇0
第二次特別学力試験の翌日。否……試験開始の時点で日付は跨いでいるので、正確には同日であるのだが、補習授業部は合宿所に戻ると仮眠をとる流れとなる。
言いたい事はいくらでもあった。疑問もあった。
コハルが感情のままに「もう嫌だ!」と吐き出すも、誰も即座に言葉を返せない。
ヒフミが何か言いかけて、口を噤んでしまう。そもそもヒフミ自身も、大きく動揺していたからだ。
そんな一幕を纏めたのは、両手を打って乾いた音を立てた先生だった。
「もう丸一日以上起きているし、今は皆休もう?」
先生からの労いに、アズサがこくりと首を振る。そこには微かな疲労が滲んでいる。肉体的にもだが、精神的な疲れが隠し切れていない。
アズサだけではない。皆が体の怠さと、頭の重さを抱えていた。
「……そうするべきだ。睡眠不足の疲労下で理知的な会話は難しい」
「そう、ですね。眠くなれば、どうして荒れてしまうでしょうから……」
先生へ食い下がり掛けたコハルであったが、アズサとハナコの分析にハッとなる。
ややあって、コハルは「八つ当たってしまった」と目を泳がせながらも小さな謝罪を溢す。
先生とハナコは子供を見守るが如く優しい空気を纏い、コハルはそれがむず痒くそっぽを向いた。
「では……各々思う所はあると思いますが、一度きちんと休みましょう」
部長としてヒフミが疲れ切った顔で、けれど安心させられるようにとどうにか笑みを浮かべて決定すると、皆が頷く。
不思議なものでいざ休息を、と決まると途端に耐え切れない疲労感が襲ってくるのだった。
◇1
ヒフミ達がベッドに倒れ込み、泥のように眠りに落ちて数時間。時刻にして午後一時過ぎ。場所、ゲヘナ学園・風紀委員会専用施設、執務室。
「なんでソファー独占してるんだ……」
イオリが見下ろす先には、リョウヤが横になっていた。両目を覆うように右手を顔に乗せ、胸は規則正しく揺れている。誰の目にも明らかな入眠状態だった。
「ヒナ委員長が連れて来たんですよ」
視線を向ける事もなく答えたのは、事後処理で書類を纏めていたアコだ。イオリは部屋を軽く見渡してみせる。
「委員長、いないけど」
「彼の目的は仮眠だったそうで、“ここでなら安全だから”と」
「……昨夜も温泉開発部に襲撃されてたんだっけ。私達の知らない所で」
淡々としたアコの言に、イオリは嘆息した。
預かり知らない所で自校の生徒が他校の生徒を襲っていた、というのは問題である。
トリニティとの政治的な問題を目前に控えているからだ。
リョウヤはトリニティでもゲヘナでもないとは言え、他校の生徒を襲撃したという事実は外聞も悪い。ゲヘナの生徒だから今更、と笑うような風紀委員はいなかった。
「それもあって、この部屋を提供したのでしょうね」
「わざわざここを攻撃する輩なんて基本いないし、常に風紀委員がいるから……か」
リョウヤがソファーを独占している理由は理解できたイオリは、ふと気になった事を口にする。
「そう言えばアコちゃん。温泉開発部がこいつを狙った理由って分かってるの?」
「それは温泉開発部に確認中ですね。加えて言うのなら、被害者の話も一応聞きたいので……」
被害者であるリョウヤがこの場にいるのは、色々と都合が良かったのだ。
流石は委員長です、とアコは一人胸中で唸る。
「あの、私その理由なんとなく予想できてます」
声を割り込ませたのは、書類の提出に訪れていた末端風紀委員である。イオリが「本当に?」と期待に顔を向け、アコも興味深そうに視線を上げた。
「少し前の話なんですけど、温泉開発部部長がリョウヤさんに温泉について熱弁していて、リョウヤさんも“湯船に浸かるのも好きだし、温泉も良いと思う”って答えていたのを見かけたんです」
なんの変哲もない、世間話と評して良い内容から説明は始まった。
温泉開発部の部長である鬼怒川カスミは、リョウヤの反応に手応えを感じていた様子だったのは印象に残っている。
「ただ、同時刻に他の温泉開発部員が騒ぎを起こしまして」
ああ、とアコが思い当たる節に思わずペンを止める。
「肝心の鬼怒川カスミの行方が分からないから、見つけ次第捕縛するように私が指示を出した時ですね」
「はい。それをインカムを通してリョウヤさんも聞いていたので、後ろ手にハンドサインをしてくれたんです。ですので私が委員長に連絡をして、到着までの間をリョウヤさんが会話で鬼怒川カスミを留めていたのですが……」
言葉が溜めるように止まったのは、かつての様子を鮮明に思い出したからである。
それは呆れと、少しの面白さ。
「委員長に背後から拘束された際に、裏切り者ー! と凄い泣き顔で叫んでいたので……」
「「逆恨み」」
アコとイオリが声を揃え、末端委員は首肯する。数秒置いて、仲良く顔に手をやった。
カスミの泣き顔に関しては裏切られたという感情より、ヒナへの恐怖から生まれたものだろう。ゲヘナではよく見られる光景だ。
尚、リョウヤは嘘を吐いたわけではない。血筋は間違いなく日本人だからなのか、温泉には非常に心が惹かれるのだ。家でも基本的に湯船には浸かっている位である。
「――そこのサンドウィッチ、リョウヤさんからの差し入れです。二人共、良かったら食べてください。冷蔵庫にはデザート系もあります」
話が落ち着くと、アコは思い出したようにテーブルと冷蔵庫を指した。給食の手伝いを終えたリョウヤは、その後に更に時間を使って用意していたのだ。
イオリと、おかっぱな前髪に隠れた風紀委員員の両目が子供のように輝く。
仕事の切りが良いから、とすぐにアコも二人に倣う。
「ついでですし、珈琲でも淹れましょうか……」
「待ってアコちゃん!」
「それ位なら私がやりますから!」
腰を上げたアコを、二人が怒涛の勢いで押し留める。
風紀委員会に於いてアコは二番手。イオリは二年生。自然と一年生であるもう一人が、珈琲を担当する流れが作られた。初めは解せなさそうなアコであったが、後輩を立てようと文句は言わない。……悲しい事にアコの珈琲は人気がなかった。
舌鼓を打ち始めると笑顔が溢れる中、知ってか知らずかリョウヤの口がもごもごと動く。
「――マタタビはやめてくれ……俺は猫じゃないんだ……」
「「ごふっ」」
眠りが浅いのか、あまりにも意味不明な寝言が飛び出し、イオリ達が吹き出す。
アコも口元を隠して震えている。
リョウヤからの差し入れがある旨の書かれた通知に風紀委員が集い始めるまでの間、三人は一体どんな夢を見ているのかと盛り上がるのだった。
◇2
そうして夕刻。
空が不気味な橙色を浮かべる中で補習授業部の合宿所にリョウヤが姿を現すと、不思議そうに部屋の隅……正しくはその更に向こうを顔をしゃくって指し示した。
「給食部の車、保たなかったか? 途中で停められていたが……」
「残念ながら……」
「……途中で炎上げちゃってた」
ハナコが首を横に振ると、コハルが普段よりも低いトーンで続く。
「でも、ここまで後少しだった」
「はい、正直かなり疲れていたので有り難かったです」
アズサとヒフミはハナコ同様で、態度に普段との大きな差はない。三人は一度眠った事で、ある程度の冷静さを取り戻していた。
「あ、修理はシャーレで受け持つよ。明日にはレッカー車が来る手筈になっているから安心して」
先生は朗らかに言ったが、実態は釘打ちである。リョウヤの負担を増やしたくなかったのだ。
……試験会場での爆発の後、リョウヤは大慌てで爆発音に向けて四輪駆動車を走らせた。
温泉開発部の手により爆破解体された会場――正確にはトリニティによって配置された爆薬に温泉開発部が衝撃を加えた事による爆発だったのだが――とにかく、会場を補習授業部と先生はどうにか脱してリョウヤの駆る車に乗り込んだ。
温泉開発部の目的は試験会場となった廃墟……の地下、そこに温泉があるとタレコミがあったのだ。なのでわざわざ四輪駆動車を追って来ることはなく、すんなりと近くを離れられている。
途中、太陽が昇るより早くにリョウヤは運転手を先生に任せ、フウカの代わりに給食部を手伝う為にゲヘナ学園へ直行していたのだ。
いや分かるよ? と先生は複雑ながらも納得していた。
ゲヘナ給食部部長の不在は、他の部員は勿論のこと給食を利用する生徒達にとっても痛恨なのだ。
フウカを巻き込んでしまったという負い目もある。彼女が抜けた穴を埋めなければいけないという現実を理解しつつも、先生は形容し難い顔を浮かべてリョウヤを見送っている。
「眠らなくて大丈夫ですか?」
「実は途中でフウカが戻って来て交代したんだ。で、仮眠はとらせてもらった」
心配を滲ませるハナコに、リョウヤは肩を竦めて答えていた。
皆が徹夜だったので当然の確認ではあっても、実際に口にする可能性が高かったのは先生、次点でヒフミである。
まさかのハナコからの指摘に、リョウヤは驚きつつもすぐに納得した。
少し前に「睡眠時間も未だに長くない」と暴露したのは己自身だったからだ。
「それはそれで……彼女は平気?」
「俺も思ったけど、あまり
「フウカちゃんにも自分が部長だって自負があるだろうからね……」
徹夜だったのはフウカも同様だ。アズサの懸念は当然だった。
リョウヤが困ったように頬を掻く。
巻き込んでしまってフウカに対して、先生は申し訳なさでいっぱいである。
「それで試験はどういう措置になった? 別日か?」
悪意など欠片もない当たり前の質問に、補習授業部は体を硬直させた。
「それは……」
ハナコが周囲の様子に答えを詰まらせ、リョウヤの表情が真剣なものへと切り変わる。
ヒフミは視線を落とし、アズサは瞑目。コハルは両手でスカートをキツく握りしめていた。
皆、自信があったのだ。
リョウヤとハナコが講師役となり、模試は幾度となく繰り返された。
ハナコは百点を取るようになり、九十点前後まではヒフミとアズサ、始めは最も点数の低かったコハルでさえ届くこともあった。
合格するだけの学力を得た。授けて貰えた、と認識していた。
それでも肝心の本試験では……点数が足らなかったというのなら分かる。だが結果は、自分の学力など関係がない問題で無慈悲な判定を受けたのだ。
「用紙紛失による……不合格……でした……」
それでも部長だからと、ヒフミが言葉を震わせた。対して、冷静な言葉が響く。
「……試験を受けさせたくない勢力がいるのか? だが理由が……先生のキープ……は流石に顧問扱いでも難しい。補習授業部の存続? にしても理由が思い付かないな」
「前提が足りていない。それ以上は無理だと思う」
ご尤も、とリョウヤは真顔のアズサに答えて肩を揺らす。
ハナコと先生は納得しているが、ヒフミとコハルは目を丸くしていた。
「そう不思議じゃないだろう? 情報がないと何にしても憶測の域は出ないけれど、不自然な点は分かるんだから」
そら白状したらどうだ? そう言わんばかりの推理と挑発的な笑顔でリョウヤは言い切った。
リョウヤであればその気になれば、調べ上げそうでもある。先生は補習授業部の面々に確認を取ると、やがて観念したように語り出した。
時計の針の音がだけがやけに耳につく中、リョウヤは黙って話を聞いている。
両目を閉じて聞くことに専念している姿を見て、ヒフミ達も改めて状況を咀嚼していく。
「――本試験に三度の落第で退学、か」
トントントン、とリョウヤの人差し指がテーブルを叩きながら呟く。説明の最中、ハナコによって配られていたグラスの水面が揺れる。
「テスト範囲の変更、合格点数の引き上げ、深夜の開始時間、開始場所がゲヘナ。挙げ句に会場が爆発で試験用紙の紛失」
土壇場は意地が悪いな、そんな感想が出力される。軽い調子だったことが引き金となり、コハルが沸騰した。
「ティーパーティーの偉い方達が退学させようとしてるなら、どうしようもないじゃん! 何したって無駄なんじゃないの!? 今度は満点で合格とか言われるかも!」
「問題が点数なら楽だけどな」
「はぁ!?」
熱を持ったコハルに、リョウヤは冷水をぶっ掛けるが如く容易く言い切った。
貴方やハナコとは違う! そう言うように目尻が釣り上がっているコハル。
一問であってもミスが許される事と、一問のミスすら許されないのは難易度もプレッシャーも段違いなのだ。
気にした風もないリョウヤは淡々と自身のコンタクトレンズを外すと、側面を親指と人差し指で挟んで「分かるか?」と裏面を掲げる。
「これは……映像?」
「スマートレンズだったのか……」
「機械なの!?」
コンタクトレンズに何か映っている事に気が付いたヒフミに、アズサが呆然と溢し、コハルが声を上げた。
なるほど、とハナコは得心する。
「だから最初に模試を受けた際には外していたんですね」
今となっては懐かしい、リョウヤの学力チェックをした時の出来事である。
不思議に思っていた謎が解け、ハナコはスッキリしたようだ。
「ついでにスマートグラスもある」
片手で工房から取り出されたのは、一見すると何の変哲もない眼鏡である。
こちらもヒフミ達にレンズの内側が見えるように二本指で掲げられ、モニターとなっている事が視認できた。
「二つしかないが、ハナコには必要ないから後一つだな」
「それも試験が受けられる場合の話ですけどね」
渋い顔で笑むハナコによって、希望は一瞬で払われた。
「昨日みたいに試験そのものを滅茶苦茶にされてしまうと意味がない……からね」
「そ、そもそもそれって許されないんじゃ……? カンニング……」
先生の補足を聞いたコハルの真面目な反応は、ヒフミにも引っかかっていたことだった。
相手が悪い事をした、故にこちらも悪い事をする……それが正しいとは思えない。
“目には目を”と“悪には悪”を返すのは、相手と同じ土台に乗ってしまう事なのだ。
リョウヤが両肩を軽く持ち上げてすぐに下ろす。
「尤もだけどな。イカサマに対して……――いや、イカサマではないのか?」
「ルールを敷いている側が好き勝手にやっている、というのが近い気はしますね。そう言う意味では、あくまでルールの範疇でしょうか」
ただまぁ、とリョウヤから視線を受けたハナコは一瞬だけ赤い色の感情を滲ませる。自分だけならまだしも、ヒフミ達を裏切るやり方には思う所があった。
「我々からしたらイカサマですよね。なのでリョウヤさんの案も分かりますよ? 真っ向勝負では、どうしようもないって事ですから」
言葉の意図を理解した発言である。重要なのは台詞の後半部分だ。先生が強く首を縦に振り、難しい顔を作る。
「でも急に眼鏡の子が増えたら怪しまれるよね。視力検査の結果も把握しているだろうし」
足りないスマートレンズを用意する、と簡単にはリョウヤにも言えない。ただ実際に可能か不可能かで言えば、ミレニアムと連携すれば間違いなく可能ではある。
だが先生の主張も当然のものだ。
「……とは言え、実際どうだろうな」
リョウヤは静かにグラスを揺らし、氷が小気味良い音を立てた。
「その気になれば、証拠をでっち上げて問題児として処分……なんてやり方もある。本当にただ退学させたいだけなら、そもそも試験なんて回りくどい真似はしないような気もする」
極論ではあるが事実であり、最も恐ろしいやり方である。コハルは息を呑んだ。
「それでも試験を……それも三度の機会を設けで時間を作ったのは……」
リョウヤが瞑目した。
「本当は退学にさせたくないから……?」
ヒフミがおずおずと口にする。希望的観測なのは分かっていた。けれどヒフミは、ナギサを友達と思っている。だからこそ信じたかった。
「だと思いたいけどな、個人的には」
そして信じたいのは、ヒフミに目を合わせて笑い掛けたリョウヤも同じだ。ナギサを、ではない。何せ彼女の事はよく知らない。
人間が持つ善性を――信じたかったのだ。
(例えば今は裏切り者とやらを泳がせている。或いは裏切り者が尻尾を出すのを待っている、であれば。最後には全員合格に……ともなり得る。眼鏡が増えた所でスルーされるだろう)
楽観視し過ぎていると自覚はあるが、ナギサの行動は隠れている裏切り者を揺さぶっているだけかもしれないとも考えられる。
可能性としては零ではないというのが現状の所感だったし、裏切り者とやらは退学になってしまうだろう。口にするのは、とてもでないが憚られた。
「若しくはブレーキかもしれません。あくまで無意識的なものでしょうが……」
でもそうだと良いですね、とハナコはリョウヤとヒフミを慮る。
先生もまたリョウヤと同じ気持ちを隠し切れないが、真剣に断定した。
「メインの目的が裏切り者探しっていうのは、本音なんだと思う」
トリニティの裏切り者……即ち、エデン条約を阻止を企む者。
エデン条約はトリニティ総合学園とゲヘナ学園の不可侵条約だ。両学校が構成員を選出してエデン条約機構……略称ETOを設立、同機構によって両自治区の紛争解決を行ない、学園間の全面戦争を回避する構想だ。
言ってしまえば、平和を破壊しようとするテロリストの発見がナギサの目的だった。
それは決して悪い事ではない。寧ろ為政者としては当然の行動である。
「にしたって手段が……いや、ある意味では合理的な部分もあるか?」
「トリニティの全校生徒数を踏まえると、確かに僅か四人は退学した所で誤差でしょうね。あまりに乱暴ではありますが」
恐らくナギサに近いであろうリョウヤの数字だけを見た際の考えを、ハナコは呆れ半分の微笑みで肯定する。呆れの対象がナギサであることは明白だった。あまりにも余裕のないやり方に思えてならないのだ。
「一度でも表になれば“次は自分が処分の対象になるかも?”って疑念が広がるだろうしな」
「だからこそ、一応は学力不足からの追試という体なわけですね」
どれだけナギサが火消しをしても、退学となる生徒は四人いる。広まるを噂を完全にはシャットアウトはできないだろう。
ぽんぽんと会話のキャッチボールを交わすリョウヤとハナコ。
今のは要はメリットやデメリットの話だが、二人の冷静な分析は聞いている側として分かりやすい。おかげで改めて整理する事が出来ていた。
「つまりやはり、最終的には試験を受ける可能性は高いのか」
「それか……裏切り者を見つければ……でしょうか」
アズサに続いたヒフミの意見に、前者は視線を落とす。
改めて、リョウヤは補習授業部の四人を見渡していく。
「この四人が裏切り者候補、ねぇ……」
いるのか? 本当に? リョウヤのそんな懐疑的な反応に、先生が共感を覚えながら口を開く。
「一応、理由もあるみたいでね。ちゃんと聞いてはあるよ」
コハルはハスミを統制する為だ。ゲヘナを憎むハスミはいつ何をするか分からない――とナギサは言っていた。
ハナコは何を企んでいるのか理解できない――とナギサは言っていた。
アズサは存在自体が怪しい。何度も暴力事件を起こしている――とナギサは言っていた。
ヒフミは、と言った途端……リョウヤが両目を覆うように右手をやって項垂れる。
「俺のせい、か?」
思いがけない確認に当事者のヒフミだけでなく、全員が揃って「えっ」と困惑した。
「ヒフミと仲良くしていた俺の来歴は怪しさ満点だし、ゲヘナとも仲良くしてるし……そのゲヘナの風紀委員長も俺の過去は洗っていた。トリニティも調べてるだろうと推測できる」
説明されると納得である。
ヒフミと先生は、リョウヤがゲヘナと懇意なのは知っていた。
ハナコもアズサもコハルも、初日の自己紹介の時から察していて、昨日の美食研究会とのやりとりで確信を得てはいた。今更だからと言ってどうという訳ではないので気にしていなかったが、トリニティ上層からしたら、特にこの時期にゲヘナと繋がりを持つリョウヤは不確定要素以外の何者でもないだろう。
先生が少し慌ててフォローに回る。
「それに関しては……ブラックマーケットで覆面水着団が集結していた様を見ていた人がいた可能性もあるから」
ヒフミが実は犯罪集団のリーダーであると情報があった――とナギサは言っていたのだ。
「ファ、ファウストの姿でリョウヤさん達とカイザーコーポレーションの戦いに参加しています私……」
あはは、と自嘲するヒフミは「だから気にしないでください」と言わんばかりに乾き笑いを浮かべた。
「要因の一つにはなっているだろう……」
そもそも、ファウストを生み出したのは自分達対策委員会である。故に自責の念に襲われるリョウヤ。
ヒフミへの恩返しをしたいと思っていたのに、逆に迷惑を掛けていた可能性が浮上してしまえばこうもなろうと言うもの。
「ファウストはよく分からないけど、考え過ぎなんじゃあ……?」
小首を傾げたコハルに、先生は「うん」と追従して続ける。
「それにだとしても、それは理由の一つでしかないよ。なんなら私にも責任はある」
予想外に落ち込みを見せられ、先生はなんとも言えない複雑な心中だ。覆面水着団の結成時、マスクを被る行為を止めなかったからである。
覆面姿になっただけで反社会的行為は何もしていないのだが、仮にも銀行近くで覆面姿になったのが良くなかったのかもしれない。
何せ未遂ではあったが、銀行強盗をするしないについて話をしたのも現地だ。ぶっちゃけ通報自体はされていた可能性もある……と今更になって後悔と反省が押し寄せてくる。
まさかそんな事が、今になって問題になるとは予想だにしていなかった。
「それに私、リョウヤさん達と仲良くなれたことに後悔はありませんよ? 例え出会う前からやり直せたとしても、もう一度知り合いたいって思う位には」
ヒフミの言葉に嘘は一欠片もない。
リョウヤとホシノ以外の対策委員会と、ヒフミが初めて会ったのはブラックマーケット。
少なくともそれ以前は、リョウヤともホシノともプライベートで会うなんてことはしなかった。依頼という形を通した関係だ。
あの日、あのタイミングだからこそ覆面水着団は結成され、共にコスチュームに身を包んだからこそ生まれた一体感が確かにある。
仲良くなる切っ掛けとしては、あまりにも強い。
だからこそ今尚ヒフミは、ノノミやシロコを中心に対策委員会ともよく遊ぶようになったのだ。
あの出会いを、手放したくなかった。
「だから、そんなに自分を責めないでください」
ヒフミからの真っ直ぐ過ぎる双眸を受け止めて、リョウヤは目が眩んだような錯覚を味わい、数秒の硬直を伴ってから口を動かした。
「ごめん、ありがとう。俺も……俺達も出会えて良かったと思っているよ」
それなら嬉しいです! とヒフミが破顔する。
リョウヤは軽く息を吐いてリョウヤはグラスに手を伸ばした。何かを誤魔化すように、麦茶を一息に流し込んでいた。
「ッ!?」
瞬間、カランカランと空になったグラスが氷を激しく鳴らす。投げるようにグラスをテーブルへ置いたのだ。
一転して緊張が走る。
立ち上がったリョウヤは、弾けるように振り返っていた。釣られてアズサも、即座にリョウヤの瞳の先を追い掛ける。その手は、反射的に愛銃を構えていた。
視線の先には、一つの窓。
硝子窓の向こうは不気味な赤と黒の空の下、薄暗い緑が揺れているだけだ。
「リョウヤさん……?」
「な、なに? なんなの?」
ヒフミとコハルが不安げにリョウヤと窓を交互している。
「いや、見られている気がしたんだが……多分、小鳥だった」
ピクン、と小さく体を揺らすハナコ。それに誰も気が付かないままに、アズサが警戒を伴いながら窓に寄る。
「小鳥? もういないみたい」
警戒が解かれると躊躇うことなく窓を開け放ち、外を見渡したアズサ。
初夏のじっとりとした熱気が部屋に流れ込んで来る中、リョウヤが嘆息する。
「名前は分からないけれど……白かった気がする」
「白い小鳥、ですか……」
「分かるか?」
「いえ……なんとも」
ハナコは曖昧に微笑む。
兎にも角にも、一週間後にある本試験で満点を目指す。明日からは勉学に励む。話はそう纏まり、リョウヤは合宿所を後にした。
◇3
「なんか、その……少し怒ってた……?」
「リョウヤが? ……そう?」
人見知りの気があるのは、相手をよく見ている事でもある。コハルだけが気が付いていた。確信はなかったが、リョウヤの気配がピリピリしていたように思えたのだ。
アズサは他の面々を見渡して窺う。
小さく息を吐き出したのは先生である。思い当たる節があったのだ。
「アビドスがカイザーコーポレーションにされた事を……ヒフミちゃんは知っているね。他の皆は知っているかな?」
「それってニュースになってたやつ……?」
「……法外の利子を支払わされていたのは知っている」
「カイザーコーポレーション系列会社・カイザーローンが、アビドスの手に負えない額を貸し、利子を払わせる為に土地を売るように仕向けていた――というものでしたね」
先生からの問い掛けにコハルがおずおずと確認すると、アズサは頷き、ハナコがツラツラと解説した。
先生は満足げに首を縦に振る。
「あれはリョウヤくんの世代にされた契約ではなくてね……例えるのなら、そう。既にゲームの終わったトランプだったんだ」
「なるほど。今の私達に似ていますね」
僅かな情報からハナコは理解してしていたが、誰も彼もがそうはいかない。
要領を得ず、よく分からないという顔を浮かべるコハル達に静かに語る。
「勿論すべてが同じではないでしょう。私達の場合は所属組織のトップに思惑があり、事は進行形ですからね」
「それでも……やっぱり思う所はあるんだと思う。彼は理不尽を“仕方がない”と受け入れられるけれど、理不尽そのものは嫌う子だろうから」
そも、医者というのが怪我や病気という理不尽をどうにかする職業だ。当然の気質とも言える。
つまりもし仮にリョウヤが苛立っていたとしても、コハル達に対して怒っていたわけではない。
何も不安がる必要はない、と先生はふわり笑う。
「だから寧ろ、皆の事を本当に心配しているんだよ」
先生のおかげもあって、不安を滲ませていたコハルも落ち着いていく。
せっかく勉強を教えてやったのに、良い結果を出せなかった――と失望されていたのなら、それはあまりに悲しかったのだ。
そんなコハルにアズサが「私は全然分からなかった」と、ヒフミが「正義実現委員会だけあって、よく見ているんですね!」と称賛している。
見守っていたハナコであったが、覚悟を決めるとゆっくりと立ち上がり、小鳥が居たという窓に近付いた。外はすっかり暗くなり、ガラスには彼女の顔が反射している。
「ゲームが終わった後で、カードにイカサマがあった……なんて主張しても通じません」
硝子に映るハナコの顔は、暗色が濃く占めている。言葉は重く部屋にのしかかっていた。
恐らくリョウヤが言う機会を失った真実である。言い難いというのもあるのだろうが、単に話題が変わってしまったが故に言えなかったのだろう。明日以降にも話す機会はあるのだから……と、ハナコはリョウヤの思考を察していた。
だから今言うのだ。
リョウヤの在り方を知っているからこそ、ハナコに迷いはない。
イカサマを他人にさせようとするのは、リョウヤも本心では嫌な筈だからだ。
「私達がどうするべきなのか……よく考えなくてはなりません」
眼鏡でのカンニングにはリョウヤの力が必須だ。悪行に手を貸させる、とも言えてしまうだろう。
ハナコとて、真っ当な試験であれば実力で受けるべきだと主張する。だが今回のように悪意を持って仕込まれているのなら、リョウヤに頼るのが駄目だとは思わない。
しかし、だからこそ――せめて決断は自分達だけでしなくてはならないと、強く感じていた。
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