星屑の夢 作:ハレルヤ
◇0
最後の本試験三日前から、リョウヤは補習授業部の合宿所に顔を出していない。
これに関しては初めから分かっていた事である。
月に一度は工房に籠り、
TS社が販売するモノを作っているのだ。
TS社工場から届けられた物は、それだけでも売れる、言うなれば完品である。完品に対して、最後にリョウヤが手を加えているのが――TS社の、延いては一般的にMGシリーズと称される商品の全貌だ。
完成された物への
リョウヤのこの言うなれば“業務用”
本来のアビドスでの仕事……は、流石にホシノ達が大半を分担しているものの、他にもヴェリタスから受ける電子情報工学の講義やエンジニア部との共同作業、ゲヘナ風紀委員会や給食部への協力と……元より多忙を極めているリョウヤが、どうにか時間を作ってくれていたのが補習授業部での講師役だった。
なのでやけに風の強い試験前日の今日もまた、合宿所にリョウヤの姿はない。
リビングにいるのはヒフミとコハル、そして先生。三人を視界に入れて、ハナコは意を決する。
「今お時間よろしいですか?」
結局、今の今まで真面目に勉強をして補習授業部は過ごして来た。裏切り者探しも、行動の主軸とはならなかったのだ。
居るかどうかも分からない存在を探すのは合理性に欠ける……と言い訳しつつ、本音はただ周りを疑いたくなかっただけなのは、ヒフミだけではなかったように思う。
既に太陽が沈んでから随分と時間が経ち、眠りに落ちている人も出て来ているであろう時間帯だ。
「――つまり試験を受けたければ、正義実現委員会を敵に回すことになります」
ハナコはシスターフッドと会い、確認した情報を共有していた。
即ちエデン条約に必要な重要書類を保護する名目の元、試験会場である第十九分館が正義実現委員会によって隔離されているという事だ。
また、本館にも戒厳令が出ているらしい。
つまり試験会場に入ることが叶わないという事だ。無理に入ろうとすれば、正義実現委員会との敵対は免れないだろう。
「わ、私がハスミ先輩に事情を説明して……!」
「ハスミさんが私達を助けることは、ティーパーティーに対する離反と同義です。彼女が正義実現委員会を追放されてしまう恐れがあります」
ハナコにゆっくりと首を横に振られ、コハルはキツく唇を噛んだ。
(リョウヤさんはナギサさんの善性にも期待していましたが……)
ナギサはこれで終わらせるつもりなのだろう、とハナコは目を伏せた。
先生は「今のナギサちゃんは疑心暗鬼になっている」と断じていた。であるのなら、裏切り者とやらを見つけ出したとて……彼女がそれを信じるだろうか? 仮に信じたとして、他にも裏切り者がいるのではないか? と更に疑心を深めていくかもしれない。
「どうしてそこまで……」
ヒフミが目元を押さえる。
誰にも答えの分からない疑問が、部屋を漂っていく。
「私のせいだ」
部屋に声を響かせたのは、ちょうど外出から戻ったアズサだった。
リビングに繋がる扉を開け放っていたアズサは、扉を閉めると重い
足を動かす。
「ティーパーティーのナギサが探している“トリニティの裏切り者”は私だ」
ポツポツと、けれどもハッキリと語り出す。
それはアズサ自身がアリウス分校出身であることから始まった。今は書類上の身分を偽ってトリニティに潜入しているのだ、と言う。
「アリウス……」
「せ、潜入……?」
「……ど、どういうこと?」
先生、ヒフミ、コハルは揃って困惑に眉を寄せた。聞き馴染みのない単語や状況の説明は、脳がすんなりと受け入れてくれなかった。
三人の反芻に対して、ハナコは淡々と返す。
「アリウス分校は……かつてトリニティの連合に反対した分派の学園です。その反発もあって、隠匿して過ごしていると聞いています」
私はそのアリウスの自治区にいた、とアズサが首を縦に振って続ける。
「アリウスとして任務を受けて、トリニティに潜入している。その任務がティーパーティーの桐藤ナギサ、彼女のヘイローを破壊すること」
バシャリと甲高い音を立てて窓硝子にビニール袋が叩きつけられ、風に煽られて闇の中に姿を消していく。
突拍子のない話をただ聞くだけしか出来ていなかった三人も、衝撃的な告白に息を呑んだ。言葉を失う、というのは正にこの事なのだろう。何せヘイローを破壊するとは、命を奪う事と同義なのだ。
衝撃を受けて困惑と怯えの空気の中、アズサは尚も黙らない。申し訳なさもありつつ、話さなくてはならないと結論は下されていたからだ。
「アリウスはティーパーティーを消す為なら、何でもしようという覚悟でいる」
政治に向いていないとされるミカを騙して取り込み、アズサをトリニティに編入させた。そして恐らく、最終的な罪はミカに着せられるのだろう。
アズサの言をハナコがそう推測していくも、やはり分からないとコハルがおずおずと口を挟む。
「で、でもそれが私達と関係あるの? だってそんな……え? 嘘だなんて言わないけど……なんで急にそんな話を――」
裏切り者を差し出せば、そもそも試験を受ける必要がなくなる可能性を欠片も想像しないコハル。そんな彼女の在り方に、僅かでも犠牲の出る手段を考えてしまったヒフミとハナコが心を痛めて口を噤む。
その事に気が付いているのか、いないのか。アズサの冷静な面差しは崩れない。
「明日の朝、アリウス分校の生徒達がナギサを狙って潜入する――私はナギサを守らなくちゃいけない」
「明日……!?」
「本館の戒厳令、つまり正義実現委員会もいないタイミング……」
「要人襲撃にはうってつけの日ですね。アリウスも中々に頭が回るようです」
目を丸くするヒフミの横で、気が付いた先生が弾けるように顔を上げ、ハナコは皮肉げに微笑んだ。
「アズサはティーパーティーをやっつけに来たんじゃないの? なのに守るって……話が合ってないけど……」
「それは寧ろ逆じゃないでしょうか?」
攻撃的な微笑みを浮かべていたハナコは、コハルの疑問に対する解も想像できている。攻撃色は鳴りを潜めて推測を口にした。
「アズサちゃん自身は、初めからナギサさんを守る為にトリニティに来ていた? つまり二重スパイですね。違いますか?」
「……桐藤ナギサがいなければ、エデン条約は取り消しになってしまう。あの条約がなければ、キヴォトスは今以上の混乱に陥る。その時また、アリウスのような学園が生まれないとも限らない」
ハナコの憶測を肯定する言葉を発したアズサに、ハナコに向けられた驚きはない。
淀みのない声色に、ハナコはアズサと目を合わせた。
「それは誰の言葉でしょう?」
一瞬だけハナコ瞳に宿ったのは、氷のような冷たさ。或いは、刃のような鋭さ。
微笑んでいる筈なのに何処か恐ろしさを感じさせる、そんなハナコを前にしてもアズサの態度は変わらない。
「私自身だ」
迷いを一切感じさせない、曇りのない声だった。
だがその態度が、風船から空気が抜けるように弱々しくなってしまう。
「でも“トリニティの裏切り者”が私なのも事実。だから皆はこんな目に合っている――本当にごめん。私の事は恨んでくれて構わない」
全部私のせいなんだ、と頭を深く下げるアズサは怯えているようにも見えた。いや、実際に怯えているのだろう。体は微かに震えていた。
ハナコは瞼を大きく開けている。
何か言わなければ、とヒフミもコハルも思うも言葉が出てこない。
重い空気の沈黙は、呆気なく切り裂かれた。
「それはどうだろうね」
戯けているようで確信を持っていたのは先生である。
「少なくともアズサちゃんだけのせいではないと思う」
先生の優しい瞳がアズサを捉えた。
「ナギサちゃんがもっとヒフミちゃんを、ハナコちゃんを、コハルちゃんを……信じていたら」
ヒフミ、ハナコ、コハルを捉えた。
「ミカちゃんとナギサちゃんが互いを信じていたら」
この場にいないミカとナギサを捉えた。
「もっと多くの……側にいる人達を信じていられたら、きっと――こんな風にはならなかった」
ナギサは先生に「他人の心の内は分からない」と断言していた。その通りだとは、先生とて思う。
だからこそ人は何かしら形を求める。それは契約書や……悪く言えば結婚ですら指輪という物理的な証明を欲するのだ。
信じるというのが、如何に大変であるかは理解していた。けれどそれでも、そうであったのならと考えずにはいられない。
でもきっと、まだ遅くもない。
「そうかもしれませんね。……あら、アズサちゃん、そんなに意外そうな顔ないでください」
「でもハナコは……気が付いていただろう? いや、気が付くまでいかなくとも予想は出来ていた筈だ」
「ふふっ、随分と買ってくれているのですね」
「……ハナコは賢いから」
当然とばかりのアズサに、ハナコは面食らうもすぐに笑みを深くして人差し指をピンと立てた。
「スパイがこんなにも注目される場所にいてはいけない事も知っていますよ? なのにアズサちゃんは、残る事を選び続けた」
講師役をしていたのはリョウヤだけでなく、ハナコもだ。指を立ててみせた姿は、その時の講師姿を想起させた。
「消えるタイミングはいくらでもあったにも関わらず、です」
この合宿でもすっかり見慣れてしまった、優しい顔でハナコの推理は締めを迎える。
「その理由はズバリ――楽しかったから、ですね」
疑問でも確認でもなく、断定。
皆で一緒に勉強し、食事をし、洗濯をし、掃除をし、その全てが楽しかったのだ。
自分にそんなことを思う資格はないと思うアズサは俯いて、躊躇いがちに頷く。
ヒフミ達に、アズサの顔は窺えない。
「リョウヤに言われたんだ。楽しそうにしている……と」
アズサが思い出すのは、笑顔で胸中を語ってくれたリョウヤである。
「指摘されて……気が付いた」
或いは“思い知らされた”と言うべきか。
「何かを学ぶのも、皆で何かをするのも……楽しい。手放したくない。もっと知りたい事だってたくさんあるって」
ゆっくりと顔が上げられていく。
声音は冷静だが、自然に下げられたままの両手の拳はぎゅっと握られて赤みを帯びている。
「バイトだってしてみたい。自分で真っ当に稼いで、海だって行きたい。お祭りも、遊園地も。皆で――!」
心に強く迫るほど、感情が深く込められた瞳が晒された。
そこに氷の魔女の片鱗は微塵もない。あるのはただ、当たり前の日常を望む少女の姿だ。
それは間違いなく、他者の心にも影響を及ぼす。
「……本当に分かってしまうんですよね、その気持ち」
眩さに目が眩んだように目を閉じていたハナコが、小さく自嘲を溢す。
「私にとってトリニティ総合学園は、嘘と偽りで飾り立てられた欺瞞の空間でした。本心を話さず、本当の姿も見させらない」
それは、寂しくないなかい? そんな言葉がハナコの脳裏に甦る。セイアから賜ったものだ。
己の奥底に存在していた衝動じみた願望を、セイアは見透かしていたのだろう――とハナコは今更ながらに気が付いた。
「全てが無意味に思えて、学校を辞めようとすら考えていました。でもやっぱり、私とアズサちゃんは違いますね」
え? と今度は他ならぬアズサが戸惑いを晒す。
「だっていつも一生懸命でしたから」
尊敬の念をアズサに向けたハナコだったが、次には深々と頭を下げた。
「試験をわざと台無しにしてしまい、ごめんなさい」
結局誰も指摘しなかったが、最初の頃のハナコの点数は酷い物だった。
ハナコ一人が合格点でも意味はない。だが、少なくともヒフミや先生はハナコが高得点を獲ると期待していた筈だ。
試験の結果が連帯責任であるとは知る由もない。しかし期待を裏切っていたのは事実だ。
固く閉じられていた双眸が、頭を上げるタイミングで開かれた。反省に滲む瞳が露わになると、決まり悪そうにいつもの微笑を浮かべる。
「アズサちゃんは全ては虚しいと言いながら、全力で取り組み、抗っていました。その姿を見て、やっと分かりました。こんなにも学園生活が楽しい事に」
セイアは正しいと今ならばハナコにも分かる。きっと自分は、ずっと寂しかったのだ。
「下着姿でプールを掃除したり、皆で水着姿まま夜の散歩をしたり、裸で色々な事を打ち明けたり、そんなよくあることを全力でするのが、こんなにも楽しかったんだと」
「うん……うん? いや、裸でなかったけど」
「散歩も水着ではありません……」
「……え、やっぱり下着だったの!?」
ハナコによりあまりに自然と事実の改変が行われ、ツッコミが遅れるアズサ、ヒフミ、コハル。空気が柔らかくなっていき、表情から硬さがとれていく。
おやおや、と先生が困り笑いを浮かべた。
「アザサちゃんの言っていた通り、虚しくても抵抗しないとですね。何も諦める必要はありめせん――桐藤ナギサさんを守りましょう」
ふふっ、とハナコは優雅に長い桃色の髪を揺らした。
「後からどんな文句も言えないように、かけておいた罠はそのままに。皆で九十五点をとって、堂々と合格する。それこそが、唯一の解答です」
ハナコの声は強く頼り甲斐を感じさせるが、アズサは渋い顔である。
「だが難しい。試験は九時からで、アリウスの作戦開始も同時刻に予定されている」
「まずは私達から動きましょう。何せこちらには正義実現委員会のメンバーと、ゲリラ戦の達人と、ティーパーティーの偏愛を受ける自称平凡な人と、トリニティのほぼ全てに精通した人がいます」
偏愛!? とヒフミはハナコを見た。
偏愛……、とコハルが呟く。
偏愛を受けていたのか、と溢したアズサにヒフミは「受けてませんよ!? 普通の友達です!」とツッコむ。
「マスターキーのような先生もいらっしいますし」
ハナコはにこりと笑ってヒフミをスルーして、先生へ悪戯な表情を向けた。
弛緩した空気の中で、アズサはふと溢す。
「リョウヤにも話しておきたかったが……」
「シャーレがマスターキーなら、あの子はジョーカーになり得るからねぇ……」
アズサの信頼している様に、先生は笑みを深める。
「通話だけでも繋げておくべきだったでしょうか……」
「でも忙しくしてるんでしょ?」
ヒフミが携帯端末を取り出すと、コハルは難しい顔で答えた。
メッセージで伝えておくべきか、と話が進み始める最中――待ったを掛けたのはハナコだった。
「戒厳令が出ている事を報せるのは賛成ですが、トリニティの問題にそこまで関わらせて良いのでしょうか?」
ああ、と先生がミレニアムでの出来事を思い出して反省に額に手をやる。それを横目に、ハナコは続けた。
「使い方次第で切り札になるのは同意見ですが、場合によってはババにもなってしまうんじゃないかと思うんです」
「それこそ、ハナコと先生なら上手く使えるんじゃないの?」
コハルから混じり気のない期待を受け、ハナコは喜色を振りまきがらもハッキリと首を横に振った。
「そうかもしれません。しれませんが――」
「私達ではなく、アビドスにとってのババになる……?」
ハッとなって口元に手を当てたヒフミが、恐る恐るハナコと視線を交差させる。ハナコは鈍重に頷いた。
「ごめん、これに関しては私が予め線引きしておくべきだった」
「別に先生のせいでは……そもそも私が……」
「いや、二回目なんだ」
二回目なんだよ、とヒフミを遮って繰り返される。
そもそもリョウヤが特殊なのも事実だ。フットワークの軽さに反して、アビドストップツーでありTS社創始者と立場が重過ぎる。偉ぶる訳でもなく、権力を傘に着ることもないので、動きの軽さばかりが印象に残ってしまうのも無理はない。
それに、と先生は胸中でひとりごちる。
(あの子は頼られると本当に嬉しそうな顔で――ホッとしている)
頼られたことを喜んでいるのは確かだ。確かなのだが、同時にあれはまるで、と勝手な物差しでリョウヤを測ってしまうのを意識して止める。
「以前、他の学園でもちょっとした事に巻き込まれてね……その時はリョウヤくんに協力して貰っていた側が、大事にならないようにと彼には引くようにお願いしたんだ」
サッと顔を青く染めたコハルとヒフミ、瞳を揺らしたアズサに、先生が言葉不足だったと慌てふためく。
「あっ……と、それはリョウヤくんの立場や事情をよく知っている子がいたからこその出来事だね。だから君達が浅慮だったとかではないよ」
リョウヤの立ち位置に気を遣ったのは、協力して貰っていたゲーム開発部ではなく、ハレやコタマ、ウタハであったのだ。
寧ろ反省すべきは私、と先生は自分自身の顔を指差す。情けない笑顔で「いや、本当にね」と自嘲を浮かべたの一瞬、不安がらせないようにとすぐに切り替えて笑顔を浮かべた。
「結果リョウヤくんがどうしたのか、ハナコちゃんは分かっちゃうかな?」
名指しされたハナコは「あら?」と戯け、話題を変えようとする意図を汲み「先生の期待にはお応えしたいですね」と僅かに考える素振りを見せた。
答えはすぐに出る。
「アウトラインのギリギリで出来る事をした、でしょうか?」
「大正解!」
パチパチと先生は短い拍手をすると、溜め息を晒した。
「あの子の中でアビドスが一番なのは明瞭なんだけれど、それでもアビドス以外がどうでも良いなんて風には……」
思ってない、とコハルが断言する。
「だってリョウヤさんが私達を助けたいって来てくれたのも、ヒフミと先生がいたからだったし……」
恩返し、と彼は言っていた。
しかし恩を返すのは当然か? と問われると、回答はNOだ。結局、恩を受けた側の匙加減である。恩を授けたヒフミと先生も、別に恩返しを期待していたわけでもあるまい。
リョウヤ含めた対策委員会の誠実さの発露であり、それだけ感謝しているという話だ。
「善性、優しさ……両方か」
「不条理を嫌っているからこそ、私達を無視できない……」
アズサは瞑目し、ヒフミは先日の会話を思い出して呟く。
「リョウヤさんの善性が強いのは、試験への向き合い方でも明らかですよね」
やはりハナコは一人だけは、着眼点が違った。
「点数だけを上げるのは……効率だけを考えるのなら、スマートレンズやスマートグラスを出して終了です。それをせずに、真面目に勉強をさせる事を選んだ……これは我々にきちんと学ばせるのは勿論ですが、ルールに則った手段だからでしょう」
何処かの誰かさんに見習って欲しいですね、なんて皮肉をハナコはどうにか抑える為にそっと自身の胸を押さえた。
リョウヤは悪い事をしない、そんな偏った判断をハナコはしていない。恐らく、他の面々も同様だ。
完全な清廉潔白な人間など、そうはいないだろう。
何せリョウヤに関しては、事実として不法侵入をした話も聞いているのだ。が、これは謝罪済みである事も把握している。
やはり善人であることは明白だった。
言えば間違いなく助けてくれるのだろう。
全員が一度目配せをして頷く。
リョウヤを頼るから頼らないか、自然と決まっていた。
「リョウヤさんがいなくとも、私達ならトリニティくらい半日で転覆させられますよ♡」
作戦は一旦、私に任せてください――ハナコが締め括ると、外から聞こえる暴風は弱まって来ていた。
◇1
ゲヘナの食堂で、リョウヤは銀色の巨大なボウルの前に立っていた。
左右の手で一つずつ持った生卵をぶつけ合わせ、ヒビが入ったそれらを片手割りしてボウルに落とす。
殻だけになった卵を捨て、再び両手で一つずつ卵を包む。
まるで機械のように――持つ、ぶつける、割る、捨てるを繰り返す。
補習授業部が大変な時に、と思わなくはない。しかしこれもリョウヤの仕事であり、契約を通じて賃金も発生している。サボればフウカ達ゲヘナ給食部も泣くことになってしまう。
(卵割機くらいならすぐに用意も出来るが……壊されたら意味がないんだよなぁ)
業務用の卵割機は現在、稼働を停止させていた。
荒事の起きやすいゲヘナらしく、人の手によって破壊されてしまったとのこと。
状態の確認はリョウヤが担当して、すぐさまどうにか出来ないと結論をつけた。単純に部品を取り寄せる必要があったためだ。
人よっては虚無になる繰り返し作業中を、リョウヤは大抵なにか考え込んでこなしている。
これから作る料理の事や卵割機について脳を働かせ――大きく内容が逸れた。
(明日は最後の試験か……どうしたものかな)
コンタクトレンズを通して、モモトークが届いた事を把握したからだ。
先生からトリニティに発令されている戒厳令について報告を受けたのである。
幸いに……なんて運任せな事はなく、補習授業部の試験当日は時間を作ってあった。
が、何が出来る? と自問が生まれる。
作った時間で協力していたのだ、やれるだけの事はやった筈……とリョウヤも思う。
ヒフミ達は真面目に勉強をして、試験で合格することを選んだのだ。文句はないし、尊重もするべきである。
(……まぁ退学になった所で死ぬわけでもない)
死ぬことも、命の危険があるわけでもない。そもそもキヴォトスには、既に退学措置となった者も多くいる。決して珍しくはないのだから、後は当事者次第なのだ――と冷え切った思考が過ぎる。
ハナコらの言う、リョウヤの善性は間違っていない。世の秩序か混沌かであれば、前者を選ぶだろう。
だが、何を置いてもルールを遵守するわけでもない。
感情は「ヒフミ達へ協力したい」と訴えている。ナギサがイカサマを仕掛けているのなら、負け舞台を用意してやっても良いんじゃないか? と愚考すらする。
理性は「ルールはルール、法は法だ」と理解もしている。どうしてもカイザーコーポレーションからの悪意を思い出してしまうので、面は渋くなるものの、ナギサ個人を誹るつもりも毛頭なかった。
(……補習授業部とティーパーティー、どちらとより親しくなっていたかでも考えは変わるんだろうな)
澄まし顔をしながらも、結局思考は「あの人ならどうするだろうか?」に迷い込むのだ。
だが今回、迷宮は浅くなる。
「うん?」
はじめまして――そんな挨拶から始まるメッセージにリョウヤは思わず声が出てしまったからだ。
明日の調理に向けた仕込み作業の喧騒の中、リョウヤは一人、数秒の硬直を経て卵割りを再開するのだった。