洞爺丸召喚 〜青函連絡船、新世界に就航する〜 作:ペジテ市民A
『こちら第11青函丸。本船は通信を求める』
『おお、こちら洞爺丸。貴船の状況は。こちらは機関、舵、健全。点検は完了している』
『こちらもだ。船員船体全く無事! 驚くべき事が起きたのだ』
近松船長以下船橋の船員は、皆第11青函丸の無事を喜んだ。なんと言っても、第11青函丸は元々完成直前に終戦を迎えた、戦時標準船、いわゆる、戦標船なのだ。鋼材からして粗製である。それで、一番危うい状況に置かれていたのである。
『現在第11青函丸は錨を復旧、投錨している。合流したいところだが、不用意に移動すると不安がある』
『了解。本船の方が安全に航行出来るだろう。今から合流に動く。無線方向探知器を使うから、今から言う周波数で発信を続けて欲しい』
『了解。良い航海を』
しばらくすると、羅針船橋の無線方向探知器が第11青函丸からと思われる発信を探知した。
船橋には次々に報告が飛び込んで来る。
「第11青函丸からと思われる発信を探知。方向、およそ8時30分」
「機関準備完了。試運転を行う」
船内に機関が始動し、運転する音が帰って来た。船員、乗客は状況が音に聞こえて良くなった事を喜んだ。船橋ではレーダーも稼働し、周囲を睨み、岩礁や浮遊物に眼を光らせる。
そうしているうちに、機関室から朗報が届いた。
「機関運転に問題なし。」
「よぉし、動かすぞ。景気付けに長声一発!」
ボォォォォォーーーーーーーォ
タービンには新世界の空気が入り、プロペラは海水を掻き回し押し出して行く。力強い汽笛の音が、新世界の海に響き渡り、染めて行く。
この時、洞爺丸は新世界に迎え入れられたのだと、ある船員は後に回想する。
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レーダーと肉眼に頼りながら、未知の海域を征く。幸いにも晴夜。月は無くとも星の光で視界は良好であった。その為、夜が明けるのを待たずに動き出した。
近松ら国鉄連絡船の船長は、両岸で列車と連結したダイヤの為に、厳しい判断を繰り返し下して来た。あの窮地、復元性の限界を遥かに超えた傾斜を思うと、近松は己の誤った判断で、殆ど船を沈めた様な物だと痛恨する。なんの思し召しか、摩訶不思議に洞爺丸は助かったが、テケミ、出港、投錨、座礁と、結果論的な後悔が次々と頭に浮かぶ。
そうであれば、近松は、慣れと過信の恐るべき事、正確さと安全性の相剋をどうにか折衷しようとする危険などが、その判断回路の中央に深く刻まれていた。それでも夜中の出発を決定したのは、第11青函丸の安全の為であった。
この見知らぬ海に放り出されて、まず困るのは灯台も海図もない事だが、気象台がない事も大きい。近松は度々自身で天気図を描き、それを元に出航か欠航かを判断して来た。その経験から、周囲の気圧配置が分からないのでは、また季節風から、ヤマセやガスの様な、季節的、地域的な現象について知識がないのでは、視界が良くとも実際は全くの五里霧中である事をよく知っていた。それは、まさかと思いつつも気象台の放送を受信できないかと、無線室に言って試させる程である。結局、ラジオ放送の類は全く受信できなかった。
であるから、ここからどう気象が変化するか予想もつかない現状で、天気が急に崩れれば、第11青函丸は大荒れの知らぬ海で盲となる。それに粗製の第11青函丸が耐えられるのか。かの船を唯一隻で錨泊させておく訳には行かないのは、そういう訳だった。
本当の所では、第11青函丸の他にも居るかも知れない船の事も心配であったが、まずは通信の取れた彼の船の事であった。
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無線の発信を灯台に進む洞爺丸の船橋で、近松船長はこの海に関する考察をしていた。
「空気の感じは、海峡とそう変わらない。空気の流れは、……陸風に似ているか。これが正しければここは沿岸、陸地は2時の方となるが、どうか」
近松はまた、乗客への説明についても考えていた。
「この状況は説明し難い。しかし、乗客も船窓から外を見て、異変に気づいているだろう。どうにか、乗客の中から彼らを落ち着かせられる者を呼んで、事情を話し、協力してもらうしかないな」
そうして、彼は乗客名簿に目を通し、また、事務長にボーイから聞いた客室の様子を報告させて、協力出来そうな者を探した。
事務長の報告を聞き終わると、近松は事務長の前原にメモを渡して言った。
「前原君、信頼できるパーサーに言って、このリストにある乗客をマスト下の甲板に集めてくれ。このリストの者だけだから、それを徹底して。船長から説明があると言えば、質問も躱せるだろうから、それで何聞かれても答えない様にやらせる事宜しく」
「分かりました。直ぐにさせます。終わったら呼びに来ますよ」
「いや、良いよ。こっから見えるから。手ェ大きく振る様に言っといて。おい、マストの下でパーサー手を振ってたら、俺に言ってくれよ。分かったか」
「リョーカイ! あったらお呼びします」
近松船長は船橋後部に届く様に大声で言った。伝わった事を確認して、事務長に改めて宜しくと言い船室の方へ遣る。
近松は船橋に備えられた磁気コンパスとジャイロコンパへちらと目を向けた。磁気コンパスはどうにか機能している風体だが、正確性は分からない。それよりも興味深いのは、ジャイロコンパスであった。ジャイロコンパスはこの海に視界が切り替わった瞬間の、あの傾斜復元以来狂っていた。ジャイロコンパスは今も右舷にロール135度を指していた。これはつまり、転覆である。近松はどうしても、このジャイロコンパスのみが正気で、あとは皆夢を見ているのではないかと、そんな悪い考えを浮かべてしまう。
しかし、と近松は思い直す。沈んだと思われていて、実際は沈んでいなかった、なんて言う船は、かえって縁起が良く、絶対に沈まないと言ったものである。戦時中は、そう言う話が良く聞かれた。タンカーでも聞いた気がするし、海防艦でもあったと思い出した。それならば、そんな事は気にせずに、自身の平衡感覚を信じるべき時は信じておこうと、彼は幻想を振り払うのであった。
勘違いで、洞爺丸以外にレーダーが搭載されていなかった設定になっていたので修正。