洞爺丸召喚 〜青函連絡船、新世界に就航する〜 作:ペジテ市民A
洞爺丸の厨房には、魚が詰まったバケツが次々に運ばれて来ていた。厨房は大忙しで魚をオーブンに並べ、焼いていく。もう、かなり手慣れたものであった。司厨長は厨房の方々に指示を飛ばしつつ、ボーイへも指令を出してと、忙しく、大量、いや大漁の魚を焼魚にして乗客達へ配っていた。
「こりゃあ全く、大漁だ事よ! おい、焼けたらどんどん金串を刺して持ってく!」
厨房外の廊下には、シャツの袖を肘まで捲った米兵達が両手に魚入りバケツを持って大挙していた。外を覗いた司厨長は、それを見て大笑いし、ぐっと突き出した右手でサムズアップすると、バケツを置く場所をジェスチャーで指示した。
「いやはや、こん調子じゃ全員分はありそうだな。おい誰か、ああ、サカキ! ちょいと、これを干し魚に出来ないか試せ、海水でな。糸は遊歩甲板で米軍が余らせとるはずだから、それを使え」
司厨長の新たな指示に、サカキと呼ばれた司厨手が飛び出して行く。彼は狭い階段で、身体を互いに横向きにして、どうにか両手にバケツの米兵とすれ違い、遊歩甲板へと上がって行った。
すれ違いに降りて来た米兵の一団が、バケツを更に置いていく。
「流石に捌き切れんぞこりゃ。一旦止めんとな。あー、キクチ! 取り敢えず中止しろー言って来い。釣りの総司令官殿は上部遊歩甲板右舷後方に陣取っておられる。右舷後方だ!」
それを聞いてバケツから魚を出して絞める作業をしていたキクチらしき男が階段へと向かった。階段を数段登った所で、階段の上を見て目を白黒させ、逃げる様に階段を飛び降りた。
「おい、キクチなんだ! ってなんじゃこりゃあ! キクチ、大丈夫か!」
飛び降りたキクチに殺到したのは、魚の大群と数人の米兵で出来た鉄砲水であった。その正体は、数人がかりで魚を満載した槽を運んでいた米兵達が、駆け上ろうとしたキクチに驚いて足を滑らせ、大量の魚と共に滑り落ちたのである。幸いキクチも米兵達も無事で、空になったバケツを使って廊下に溢れた魚を集めている。
「おい、気をつけろよ。あんまりにも奇ッ怪な光景にゃあ、肝が冷えたぞ」
しかし、と司厨長の荻野は、声には出さないが、肝が冷えたのはこっちの方だ、と内心こう続けた。
"こうして広げてみれば、変な魚ばっかりだな"
と。
そう、彼らが今まで調理して来た、そして今目の前の廊下に散らばっている魚達は、どれも今までに見た事のある魚とは特徴が矛盾した、見知らぬ新種のものばかりなのだ。
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「大漁か。それは良かった一安心だ」
洞爺丸は第11青函丸の付近で投錨し、洞爺丸で行う事にした両船長による協議の為、第11青函丸の後藤船長を乗せたカッターボートを待つ身だ。
近松船長は、洞爺丸の船長室で、船員からハウ少佐の伝言を聞いていた。
「これで燻っていたものは鎮火されたでしょうね。少なくとも即発はしまい。この異常の前に、あの大嵐がありましたから、それで気が立っていたものは治まったと言える、かと」
それを横から聞いて、こう言ったのは、太刀川代議士であった。太刀川は説得の過程で、船員達に対する乗客の代表者に収まっていた。今も、客・員協議と称して意見交換をしていた。
太刀川は更に続ける。
「しかし、良く釣具などあったものです」
「釣竿はそれ程なかったが、糸と針は用意出来た。船内の清掃で出た物や、没収品の類が蓄積されていたのだろうが、この際好都合であった」
太刀川は軽く頷きながら、無表情にそれを聞き流した。そして、これが本題だと言う様な、どこか重みのある声色でこう問うた。
「それで、集めた米でどれくらい保ちますかね」
乗客への説明の後、近松や代議士2人が中心となって、乗客に、米を持っている者が居れば提供して欲しいと頼んで回っていた。吉留などは農民運動が出発点である事もあって、熱く、この危機を乗り越える為だと説いて、頭を深々下げていた。戦前には幾度なく拘留されたと言う、元大臣がそうするのだ。彼らは、仕方なしとして、船長近松と、乗り合わせていた青函連絡船を所管する札幌の総支配人、浅賀がしたためた借用証書を受け取ったのだった。
その吉留は今も、船室を講壇にして、団結を求めて大演説を続けている。その語りの魔力によって、多くの乗客が聴き入っており、騒ぎになる気配は無い。かえって、それを聞こうとして、その部屋に押し掛ける乗客達が問題になる程だった。
「事務長に司厨手を1人付けて計算させたのだが、4日。魚で誤魔化してこれだけだ。だが燃料は2日で切れる。まあ車両を捨てれば違うが、舵やプロペラを損傷する恐れを考えれば、それはしたくは無い。チャンスは一度きり、舵を切って反転は出来ない」
近松は、太刀川の問いにこう、悩ましそうに答えた。太刀川はジッと、しかし平然とした風の目付きで更に問い詰める。
「それで陸地につけますか。燃料が尽きれば発電も止まる。それでは漂流も長くは保たんでしょう」
「当てはある。今まで、夜間、一貫して風向きが一定だった。これが陸風だとすると、陸地は西の方、そう遠く無い所にある。西、と言うのは磁気コンパスが狂ってなければない話だが」
その時、船長室の扉がノックされ、船橋から報告が入った。
「第11青函丸を目視で確認して以降進められていた無線アンテナの交換が完了しました。その後に受信を再開すると、日高丸、十勝丸、北見丸からの無線を受信しました」
「!! 今船橋に向かう」
なんと、同じく台風に襲われていた僚船達から一挙に連絡があったと言うのだ。その驚きの報告を聞いて、近松は部屋を飛び出して行こうとした。しかし、それを太刀川が引き留めた。
「探すのか。それで間に合うのか燃料は」
瓶底の眼鏡越しに、太刀川の、いよいよ鋭い視線が近松を貫く。太刀川もまた、戦前から労働運動に身を捧げて来た男だ。今日には、この鋭い視線で以って、寧ろ乗客の信頼を得たのだ。この男に対しては、船長も、或いは洞爺丸に乗っているらしい国鉄幹部達も、嘘はつけまい、と。
「足りる。私の推測が正しければ足りるのだ。私は安全を、命だけを考えてこう言っているのです」
近松は平然と、だが拳を握り締めながら言った。近松の言葉は、言外に「もう二度と過ちを繰り返さない」と言う決意を含んでいて、近松からこの異常に至る詳細な経緯を聞いていた太刀川は、その決意を汲み取っていた。
太刀川は表情を全く崩さない。ただ、瞳から追求のニュアンスは消えている。
「畢竟、貴方が足りると言うなら、それで良い。陸地に辿り着く事、そして船員を救う事、併せて、頼みます。貴方にしか頼めぬ状況です」
それを聞いた近松は深く一礼して、操舵室へと飛んで行った。船長室の扉は開け放たれたままであった。主の居ない部屋に居ても仕方がないと思った太刀川は、客室の様子を見ようと船長室を後にする。
廊下には、操舵室から響く声が漏れ聞こえていた。太刀川は、操舵室から近松の大声が響くのを聞いた。
「無線方向探知器を起動しろ! 北見丸、日高丸、十勝丸の順で探知を行う。まず、北見丸だ。北見丸に無線で周波数を指示するんだ!」