洞爺丸召喚 〜青函連絡船、新世界に就航する〜 作:ペジテ市民A
ナーカル市臨時役場の置かれる倉庫は、港湾地区の端にあった。その倉庫群は全く無傷のように見える。また、周辺も被害が軽微であったから、この辺りは火が回らなかったのであろう。
ただし、吉留・太刀川両代議士並びに近松船長、そして護衛のクック大尉からなる洞爺丸船団代表団の面々は、そこに至るまでに悲惨なる市街の様相を目撃していた。
遠目には細く朧に見えた黒煙は、暗くなりつつある中で黒々とした山を背景に、姿を隠していたに過ぎなかったのだろうか。日が沈み切った後には、街はぼんやりと橙色に照らされていた。まるで花街の如き姿であったが、日本人はそれが何か知っている。また、軍人もそれを知っている。10年前の日本、或いは昨年までの朝鮮にそれぞれ現出した、焼ける市街の夜景であろう。
暗中の光の為に、目はなかなか慣れないが、遠くの音は聞こえるようになった。何かが崩れ去る音と、人々の怒号だ。おそらく、夜通しの消火作業を敢行するのであろう。その事と、瓦礫が全く片付けられていない事から、太刀川は発災から数えて、満1日乃至2日程かと計算する。ナーカルを本拠とする資材輸送船エル・カスプの船長であるエルターに幾つか質問をして、情況判断の精度を高めていった。例えば、
「水道はどの程度通っているのか」「ポンプ車は配備されているのか」「地震が多い地域であるか」「自治組織はどの程度発達しているのか」「軍の駐屯はあるのか」
と言った風に、被災者救援に係る多岐の要素を確かめ、その進捗を予測していったのだ。それが、洞爺丸側が出せる手札の一つを確かにするからである。
もう一方の手札を握る近松は、港の状況を鑑みるに、この手札の重さに疑念を持たざるを得なかった。港の状態はかなり悪い。
港の側から寄越された案内人との間にはある種の緊張感があり、どうにも今は詮索の試みが裏目に出るだろうと考えた近松は、ついて進みながらも周囲を観察していた。すると、石炭倉庫らしい物の残骸が目に入る。
石炭を扱うならば火災対策が施されるのが自然であるし、なんといっても延焼対策は必須と言えよう。それは異界でも変わらないのだとすれば、一体何が起こったのか。
近松は、例えば、突風で屋根材が吹き飛ばされたのではないかと予想した。すると、石炭倉庫こそが火元となった筈だ。自然発火したか、燃えさしの飛来を受けて炎上した石炭は火災旋風を生み、周囲を焼き払ったのではないか。
この内重要であるのは、風だ。異常な強風が火災の要因である可能性がある。これを代表団内で共有すると、吉留がエル・カスプ遭難の嵐との関係を指摘した。すなわち、広域で見ると水害や土砂災害の併発も考えられるのである。
このように僅かな視覚情報から推論し、有益な情報を組み立て行く過程を漏れ聞いていた案内人は、そこにムー以外では見出し難い近代的知性を見て、警戒と興味を深めていった。
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代表団が通されたのは、半ば荷物の山積した煉瓦造りの倉庫であった。外の騒ぎが邪魔にならず、また内の話が外に漏れぬよう、まだ被災者収容に使われていなかった棟を割り当てたらしい。
照明は灯油ランタンが2つ、石を平に敷いた床に置かれているだけで、作りの良い卓と椅子一式が実に不似合いであった。
案内人は入り口の方で佇んでおり、代表団を単独で居させるつもりは無いようだ。
そう待たずして、市長と思しき中年の男が現れた。男はその漆黒の長髪を肩口で切り揃え、その髪と同じくらい黒く、また厚手であるコートを身に纏って貴族然としていた。
「わざわざ済まないね。私がナーカル市長のレムラード・パーマストンだ。どうぞよろしく。
港湾都市ナーカルの市長として、遭難船を母親のような抱擁を以て迎えられぬ状況にある事を遺憾に思う」
男がそう挨拶すると、近松がまず答える。
「ご配慮に感謝します。私は近松一平と言う者です。臨時に、鉄道連絡船たる洞爺丸、第11青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸の全船員を指揮しておる所であり、また、本代表団の代表もを、務めたる所であります。本来は洞爺丸の船長です。
我々も、あれは恐るべき猛風であったなと、血も凍る思い出ありました。大変厳しい状況に有りますが、よろしく願います」
ここで臨時に大きな権限を得ているに過ぎないと暴露してでも、敢えて本職を言った理由は簡単だ。
「失礼ながら挨拶は割愛させていただき、我々は名乗るだけにさせていただいて、早々に協議に入りたく存じ上げます。
私は太刀川忠宏であります。洞爺丸に乗り合わせた乗客の代表であり、後に説明する所の日本国において、国会議員を務めておる者であります」
「おいは吉留憲二なるもんです。乗員乗客の支持を得て、こん場におる所ので、太刀川と同じく代議士でありもす」
国会議員2人の肩書きを言う流れにする、有り体に言えば威圧する為である。大使も居ない異国の地で、自国民が大いに苦しんでいる有事の最中に、対等の交渉をしようとするならば、「無下にすると後が怖い」と思わせるのが良いだろうという事だ。
その後、近松が洞爺丸船団のここに至るまでの経緯を説明した。ただし、異界から来たという事は言わないでおき、ただ遠国から不可解にも漂流したのだとした。本国が到底手出しできない所にあると知られれば国会議員の看板も威力が消え失せるからだ。
これに対しパーマストン市長は、
「おそらく、我々が西方世界と呼んでいる地域から漂流したのだろう。しかし、西方世界にこれほどの船を建造可能である国があるとは知らなかった。実に興味深い事だが、この情勢である。後日に、機会を設けたいが、今は諸君の要請する所を聞き、調整したい。いいかね」
と、一定の興味を示しながら、実務に取り掛かろうと提案した。
「もちろんです、市長殿。では、さっそく述べさせていただく。えー、まず食糧。この詳細な内容は吉留が説明しますが、1632名分。次に燃料。これは石炭で、詳細は後に私から説明します。そして水。これについても私から説明します。また生活雑貨類。品目並びに優先度などは太刀川が説明します」
「では、食糧。望む品目、そん数量を述べさせっいただく。1日当たりじゃい。まず、パンを麦粉にして390キロ分──」
そうして代表団は交渉を始めるのだった。
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代表団の説明の後、市長が連れて来た、各物品についての市の担当者からの質問・指摘があり、洞爺丸船団側が必要とする物資の目録が調整された。
目録が纏まった時、市長は厳しい声でこう言った。
「要請について把握した。しかしながら、我がナーカル市は諸君らに無償で物資を提供できる状況にない」
近松と太刀川が、頷いて答える。
「もちろん、無償でとは考えておりません。我々青函連絡船船員たる429人は総力を以て、勿論燃料を受け取ったならば5隻の力をも使って、大いに働くつもりです」
「乗客も同じ気持ちであります。また私は、本国の首都において大地震とそれに伴う大火があった時には、初期における救護・支援活動に参加し、その組織化と全体的な指導に参与した経験があります。我が国においても未曾有の大災害でありましたから、この時多くの知見が得られました。この知見を以て、当市における今次の災害支援に助力する事が、この場におる私の使命でもあろうと考える所です」
パーマストン市長の目は5隻の力という言葉と、災害支援という単語が発せられた時に光った。
その後、太刀川が災害の性質から現在の支援状況までの推測を述べ、市長らを大いに驚かせた。
そして、近松が作成された目録を指して言う。
「我々は、この目録にある物資の提供を要請すると同時に、災害支援への協力を提案するものであります」
パーマストン市長は暫く考えた後、洞爺丸船団代表団の要請並びに提案を、受け入れる事とした。
「では、ここに人を用意する。好きに資料でも集めて、人を使ってくれ。必要なものがあれば説明を聞き用意する」
早速太刀川が言った。
「市内の自治組織について把握している人物、市の地図、そして現在避難先となっている場所の情報を提供していただきたい」
「最後の情報についてはこちらも不十分にしか把握していないが、できる限り用意しよう」
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ムー国北部の港湾都市ナーカルの市長にして当地の貴族その当主である37代ナーカル卿レムラード・ベシャメル・パーマストンは、来訪者に頭を悩ませていた。
その来訪者とは、5隻の大船に乗った1500人強の異国人である。まず、5隻の船に問題があった。
5隻は全幅は兎も角、全長はどれもムーの装甲艦を上回っている。これは最新鋭の装甲艦ラ・デヴァンが同じ埠頭に係留された事があるので間違いない。ムーにも、マイカルから中央世界に渡す船の中にはこれより大きいものもある。しかし、
『これ程の鉄船を造る国がムーと神聖ミリシアル帝国の他に存在した!』
という事実は、ムーの国防環境に激震を走らせるに違いない。南北戦争前夜に戦列艦の段階を脱し、蒸気推進の装甲艦に至り、エモール王国と同等以上と評されるほどになったムーである。最早周辺に敵なしの状況で、古代の転移以来最も安全な情勢と言えた。しかし、そこに来た西方に同等かつ未知の国家ありとなると一変する。
そういう危惧があった事に加え、今、ナーカル市は有事であった。パーマストンにしても、平時ならもっと上手く対応する事ができただろう。しかし、大火で市街が壊滅した上に、嵐によって街道が寸断され、峠の崩落で軍の支援も当分見込めない大災害の初期対応中であった。官憲・消防のシステムが崩壊し、市全体への統制が効かない中で、1600云人の漂流民など追い返してしまいたいくらいだった。
しかし、あれほどの巨船である。無下にしては後が怖い。そうして代表団と面会してみれば、未知の強国の国政政治家が登場した訳で、ますます苦慮する事になった。
結局彼らの要求は膨大であったし、提案と言っても被災地に来て、衣食の世話をしてくれたら働くなんて迷惑の方が勝ろうという内容である。しかし、前述の通り無下には出来ないし、代表団に同行している護衛は明らかに軍人であった。軍人、船乗りを含む1600人が暴れれば、とんでもない事になる。
あの大船を利用出来るなら、孤立している現状大いに助かるし、この未曾有の災害を前にしては、太刀川という男が言う知見なるも役に立つやも知れない。なにせ、彼の推察は概ね当たっていたのだから。
そんな計算があって、パーマストンは渋々代表団の提案を受け入れる事にしたのだった。
しかし、そうして受け入れた彼らが、予想を遥かに超えて役に立つ事を、今日のパーマストンは知り得ないのであった。