じゃあ、バイバイで消えていいよ。
再会、僕の愛した。

1 / 1
フィリアの残響

青の街

 

 歌が聞こえる。その声で僕は目を覚ました。重さの感じないタオルケットを勢いよく蹴飛ばすと、それは宙にふわりと浮いてから、僕の足元にくしゃりと丸まりながら落ちた。勢いを付けて一気に起き上がると、僕は広々としたベッドを後にする。彼女はもう起きているし、僕が眠り続ける必要はない。

 広々としたバルコニーに出ると、空の眩しさに目を細めた。どこまでも広がっていくように見える夏の青空。先にバルコニーへ出ていた彼女があの歌を歌っている。歌詞はない。僕が忘れてしまったから。それに彼女だって、この歌を知る由はなかったからだ。

「おはよう、アリア」

 歌が終わるのを待ってから、僕は彼女に呼びかける。背中を向けて歌っていた彼女はくるりと僕の方へと振り返り、着ている真っ白なワンピースの裾を翻した。逆光で少しぼんやりとしていた姿が、こちらに向かって来るにつれて鮮明になる。陽光を受けて眩く輝く金色の髪。見ているこちらが吸い込まれそうになるほどの、水面のように透き通った青い瞳。低い背丈で僕の方をちらりと見上げるように覗き込み、嬉しそうに笑うと覗く八重歯。その全てが愛おしい。出会った時から、彼女は何も変わらない。

「おはよう、レイくん」

「ああ。アリアのおかげで、今日もいい目覚めだった。ありがとう」

「お礼を言われるようなこと、私はしてないよ。ただ役目を果たしているだけだから」

「アリアは堅いなあ。僕はな、こうやってお前が毎日隣にいてくれて、歌声を聴かせてくれるだけで幸せなんだよ」

「そう、なの?」

「そうだ。アリアの歌声は、僕が一番大切にしたいものだからな」

「……ふふ、そっか。ありがとう。私も、レイくんがこうやって歌う機会をくれていること、とっても感謝してるよ」

 そう言って彼女はふわりと笑みを浮かべる。普段は恥ずかしがって言わないようなことを言われたので、僕は首を捻った。

「なんだ、改まって。いつも言っていることだろう?」

「ううん、何でもない。戻ろう、レイくん。朝食が冷めちゃう。せっかくルナちゃんが用意してくれているのに」

「ん、そうだな。来るのが遅いと、アイツも腹を立てるだろうし」

 ここは永遠に夜の来ない街、『青の街』。僕は彼女――アリアをこの街に住まわせる際、一つの役割を与えた。それは太陽と月の代わりに、このバルコニーで歌を歌い、街に時間を報せること。僕は愛する彼女の歌で目覚め、そして彼女の歌で眠る。これほどの幸せは、世界のどこを探したとしても見つからない。手放したくない、僕だけの幸福だ。

 僕達は寝室を横切り、リビングに繋がる扉を開ける。途端に鼻腔を擽るような、朝食のいい匂いに包まれた。アリアは一目散にテーブルへと向かい、僕は苦笑を浮かべつつその後を追う。部屋の端では、メイド服に身を包んだ銀髪の少女が静かに佇みながらこちらを見つめている。従者のルナだ。

「おはよう、ルナ」

「……おはようございます」

 返答は素っ気ない。普段から無口な彼女ではあるが、つい先日言い争いをしてしまってからこの調子だ。その時の彼女の言い分は分からないでもなかったが、僕にだって譲れないものはある。結局、議論は平行線になってしまい、ルナは僕に対して冷たいままだ。僕がやれやれと溜息を吐いて椅子に腰掛けると、向かい側に座ったアリアは困ったように微笑した。彼女が何か事情を知ってしまったのではないかと一瞬ひやりとしたが、ルナが僕との会話を口外するとは思えない。アリアなりに僕らの事情へと踏み込まないよう、気を遣ってくれているのかもしれなかった。ここ数日間同じ態度でいるし、僕とルナの間に何かあったことを察するのは容易いだろう。

「あはは、ルナちゃんまだ怒ってるんだね……」

「みたい、だな。どうせ数週間もすれば元に戻る」

「あっ、さてはずっと謝ってないな? レイくんのそういうところ、私は良くないと思います」

「お前なあ……僕らにも色々あるんだよ」

「むー、それでも! 私は二人のこれまでのこと全然知らないけど、仲違いしたままは絶対ダメだから」

 アリアのその言葉には、僕も色々思うことがあった。そういえば、昔にもそんなことを言われた記憶がある。僕はつくづく自分の非を認められない男だ。

「……まあ、考えておくよ」

 現実から目を逸らしつつ、僕はテーブルの上へと視線をずらす。白米、わかめと豆腐の味噌汁、焼き鮭。今日は和風な朝食だ。飽きないようにと洋食に差し替えられることもある。この街から出ることのない僕達にとっては、多少なりとも違った刺激がないと退屈を招いてしまう。そこに関してはルナがかなり配慮してくれていた。

「いただきます」

 僕とアリアは行儀よく手を合わせて、それから食事に手をつけた。この街に来た時より、味はかなりマシになったと思う。ルナと共に試行錯誤を繰り返し、メニューのバリエーションも増えた。目の前ではアリアが幸せそうに鮭を頬張っているところで、そういう彼女を見ると僕の努力も報われた気持ちになる。

「ん? どうしたのレイくん、私の方じっと見て。まさかご飯粒でも付いてる?」

「ああいや、なんでもないんだ。気にしないでくれ」

 思えば、この街に来てからもう二年が経ちそうだった。来てからというか、逃げて来ただけだった。外の世界の辛さ悲しさとか、人間同士のいがみ合いとかが、全部馬鹿らしくなってしまった。ここには僕の仲間しかいない。僕と一緒に逃げる道を選択してくれた、信頼のおける仲間しか。

「ごちそうさまでした」

 米粒の最後まで平らげて、僕とアリアは席を立った。ルナはそれを確認すると、素早い動きでカートに食器を片付けていく。全て積み終わると、こちらに一礼して廊下へと消えていった。

「レイくん、今日の予定は何かあるの?」

「ん? いや、特にない。自室に篭って読書でもしようと思っていた」

「そっか。それなら私もお昼までゆっくりしてようかなー。また後でね、レイくん」

「ああ、また後で」

 アリアに手を振って、僕は廊下を通り自室へと戻る。机の上に置いてあるタブレット端末を手に取ると、電子書籍のアプリを立ち上げた。今読んでいるものはファンタジー作品で、魔法使いの少年が仲間たちと共に人類を脅かすモンスターに立ち向かう内容のもの。しかし一筋縄ではいかない。モンスターを保護するべきだと唱える派閥や、そもそも魔法自体を敵視する集団の登場で、主人公は度々窮地に追いやられていく。

 僕達の世界も一緒だった。どちらか一方を立てようとすると、もう一方が割を食う。誰かの幸せの裏には常に不幸がある。幼い頃からずっと研究開発を教えこまれてきた僕は、それに気付くのが遅すぎた。それ故に大きな失敗を何度もしてしまった。だからもう、人を傷つけるのはやめにして、この街に住むことに決めたのだ。

「こいつみたいに、僕も上手くやれればなあ……」

 現実から逃げてきたとはいえ、僕は常に後悔している。一緒に過ごしているアリアの、その言葉一つ一つが胸に刺さる。彼女は外の世界を知らない。この平和な青の街しか知らない。しかし僕は彼女に現実を教えたくない、と思う。忘れているのなら、いっそのことそのままでいい。知らない方が幸せなことだって、世界にはたくさんあるのだから。あの笑顔をくすませるようなことは、臆病な僕にはできるわけがない。

 僕はひたすらにページを捲る。魔法使いの少年はとうとう、保護派と和解を果たしてしまった。世界はそれほどに甘くなくても、本は夢を見せてくれる。ここに来てから読書に耽けるようになったのも、結局は現実逃避の一種かもしれない。僕は自嘲気味に笑いつつ、時計に目をやる。もうすぐ正午になるところだった。物語もキリがよかったし、一旦席を立とうとしたところで、タブレット端末から警報音が鳴り響いた。

「なッ……!?」

 咄嗟に管理アプリを立ち上げる。緊急アラートだ。一体何が起こっている? 確かにこの街に何かあった場合、僕はすぐさま自分の端末に通知が送られるように設定していた。しかし今日に至るまで、それが一度も起動することはなかった。タブレットがけたたましく震えて、身体中を嫌な感覚が走り抜けるような気がした。部屋の扉を激しくノックする音が聞こえる。こうしてはいられない、僕は席を勢いよく立って扉を開く。そこにいたのはルナだった。彼女の携帯端末にも、僕と同じ通知が行くように設定してあったのを思い出した。

「レイ様! 緊急事態です!」

「ああ、分かっている。悪いな、お前とはまだ――」

「いえ、そのようなことを言っている場合ではありませんので。レイ様に付き従い、この平穏を守るのが私の役目ですから」

「分かった。緊急事態の内容は判明しているのか?」

「それが、キョウと連絡が取れない状態で」

「チッ、管理室に何かあったのかもしれないな……」

 僕とルナは部屋を飛び出す。管理室のある階まで行くにはエレベーターが一番早い。僕らの暮らしている階は二十階で、管理室は三階だ。その三階で止まっていたエレベーターが、僕らの階へと段々と近付いてくる。その時間さえもどかしくて、僕は足踏みをしてしまう。隣に立って端末を弄っていたルナが重々しく口を開いた。

「ログにアクセスして突き止めました。南区画に侵入者です」

 チン。エレベーターの到着した音が廊下に響く。扉が静かに開くも、今度は足が動かなかった。ますます何が起こっているのか分からない。侵入者だと? 外界からのアクセスは常に隔絶されているのに、そんなことは起こりようがない。何らかのエラーか、もしくは……。

「レイ様、乗り込んでください! 相手は何をしてくるか……直ちに実態を掴んで対処しないといけません」

 ルナの声で僕は我に返った。そうだ、どのような方法で来たのかは知らないが、追い返すことぐらいなら今からでも出来る。それからのことは後で考えればいい話だ。エレベーターの中へ乗り込み、一階のボタンを押す。向かう先は出口だ。

「……しかし、どう対処するんだ? その端末からでもアクセス遮断ぐらいならできるだろう」

「それが、権限も弄られているようで……取り返してからでないとこちらから手出しが出来そうにないです」

「この短時間で? そんなヤワなセキュリティじゃないはずなんだが」

「それでも、起こっているのは事実ですから」

 僕らはエレベーターを降り、ホテルのロビーのようなエントランスを出る。目の前の駐車場に停めてある車に乗り込むと、タブレット端末をハンドルにかざす。すると車が起動し、自動で走り出す。エレベーター内で目的地を決めておいたからだ。

「南区画の入口まで進むようにした。具体的な場所は掴めるのか?」

「いえ、出現地点は分かっているのですが……やはり直後に攻撃を受けているので、現在地までは把握できません」

「相手が徒歩ならそう遠くには行ってないはずだ。目視で捉えればいい」

「……組織の人間だった場合、どうされますか」

「さっさと追い出して、逃げる手筈を整えないとならないな。アリアを渡すわけにはいかない」

 車は中央区画から南区画へ入り、そこで静かに停車した。降りて周りをぐるりと見渡すが、少なくともこちらに向かってくる影はない。南区画は都市部を再現した街になっている。その分ビルや人通りも多い。向こうからすれば隠れるのに最適な場所だったかもしれないが、僕からすればそうではない。白衣のポケットに掛けていたメガネを取り出して装着する。レンズ越しに街を眺めると、僕の視界に映る人影が全て青色で表示された。

「行くぞ、ルナ。何かあれば即刻対処を頼む。幸い、そろそろ街が定刻を迎えるからな」

「はい、承知いたしました」

 僕達は街の中へと入り、侵入者が出現した地点を目指す。そのまま大通りを歩いていると、こちらに歩きながら向かってくる赤い影が二人見えた。ビンゴだ。

「ルナ、前方三十メートルだ。こちらに向かって接近中……ルナ?」

 僕の後ろから鳴っていた足音がぴたりと止み、僕は慌てて振り返る。メガネを外してルナの顔を覗き込むと、彼女は驚愕の表情を浮かべて前を見据えていた。その視線を追うように、僕はメガネを外したままで侵入者が向かってくる方向を見る。

「な……」

 奴らの正体は男女のペアだった。男の方は恐らく僕と同じぐらいの身長で、きっちりと黒のスーツを着ている。黒髪に整った顔立ちで、真面目な雰囲気が見て取れた。問題はもう一人の方だ。薄い金髪、隣の男性の胸の高さほどしかない背丈、そして――

「ふうん、そっちから迎えに来てくれたの?」

――アリアと瓜二つの顔が、僕の方を見つめてそう言った。ありえない、そんなことは。

「迎えに来たつもりはない。追い出しに来たんだ」

「ご挨拶だね。あんたのことはもう知ってる。コードネーム・ネレイドだろ。警察も組織もあんたを血眼になって探してるんだ」

「……お前達は何者だ、僕の街に勝手に入ってきて」

「あたしはメグ。こっちのデカイのはジュン、警察のエージェントだよ。あんた達に関する情報は、全部こいつが教えてくれた」

 どうやら組織の人間よりも面倒臭いのが入り込んでしまったらしい。それに警察まで加担しているとはどういうことだ。

「一般人に警察が機密をべらべらと喋っていいのか? 組織のことは世間に伏せられているだろうが」

 僕が隣の男――ジュンに目を向けると、彼はこちらを睨み返すほどの鋭い視線を返してきた。

「彼女は無関係ではないです。今回は俺と利害が一致したのもありますが」

「そう、あたしは姉さん目当てでここに来た。それに勝手に入ってきたわけじゃない、アクセス権限はそっちから渡されたの」

 その風貌から嫌な予感はしていた。アリアには妹がいる。その事実を僕は知っていたから。しかしそれよりも、権限を渡されたとはどういうことだ?

「俺はもちろん、貴方がたを追っている身ですので」

 僕はため息を大きく一つ吐いた。どうやら対話は成り立ちそうにない。ご退出願うしかなさそうだ。

「ルナ、いけるか?」

「はい。後はお任せください」

 時刻が十二時を示す。すると、街中にアリアの歌が響き渡った。目の前のメグとジュンは、突如聴こえてきた歌声に対して動揺を見せる。

「……! この歌、姉さんの声……?」

「これほどまでとは……」

 街が定刻になれば、アリアの歌で相手の注意が引ける。油断を誘えたなら、後はルナが権限を一気に取り返すだけだった。

「ログアウト、実行します」

 その言葉と共に、メグとジュンの姿はふっと消えた。それを確認してから、僕達は駆け足で車へと戻る。勢いよく飛び乗ると、ハンドルにタブレットを押し当てて塔へと引き返す。

「かなりマズイことになったな。妹に、警察か」

「……レイ様、アクセス権限が渡されたとの事でしたが」

「相手の言うことが十割信用できるわけじゃない。だが、キョウの様子は見るべきだ。僕はアリアに損傷がないか確認する。ルナ、お前は管理室を頼む」

「承知いたしました。その後はいかがなさいますか」

「どこまでデータを掘られたか分からないが、位置情報がバレたのなら、最悪場所を移動することになる。キョウと無事合流できたら、解析を進めてくれ」

「仰せのままに」

 車が塔の前へ着けると、僕らは転がるように下車した。とにかく時間がない。いつ再び侵入されるか分かったものではないから、早めに対処に当たる。今はそれが僕にできることの全てだ。二年間守ってきた日常を、こんな形で失うわけにはいかない。アリアの傍にまだいたい。

 平穏な日々が音を立てて崩れ始めていくような、そんな焦燥感が僕を襲った。

 

 

秘密

 

 身体が包まれるような柔らかさを感じる。暗いところに落ちていた意識が、急に覚醒するように引っ張りあげられるのを感じて、私は目を覚ました。

「……っ、ここは……?」

 見覚えのない場所だった。そこは白い壁に囲まれた、紺色を基調にした家具が目立つ部屋。人は誰もいない。

「私、どうしてこんなところに……?」

 ベッドから降り、裸足でひたひたと歩き回るも、ここに来た経緯が思い出せない。否、それだけではなかった。

「今まで、何、してたんだっけ」

 何だか、つい先程まで長い夢を見ていた気はする。それなら眠る前は? 昨日一昨日、何をしていたのか全く思い出せない。パニックになりかけたところで、部屋の出口であろう扉からノックの音がした。

「は、はいっ!?」

 ノックをされたから律儀に返事してしまったが、どうしよう。もしかして危険な人に監禁されて、変な薬でも飲まされたのでは……色々思考を巡らせる前に、扉が開いてしまった。

「良かった、起きたんだな」

 そこに居たのは、いかにも研究者という風貌の男性だった。白衣を着込んで、髪はボサボサの長髪。それを後ろで纏め、ゴムで縛っている。青い眼鏡を掛け、その下から覗く目はこちらを観察するようにじろじろと覗き込んでいた。

「え、えっと、あなたは……?」

 私がそう聞くと、彼は目を見開いて、くすりと笑い声を漏らした。真意が読み取れず、私が怪訝な表情を浮かべると、彼は悪い、と一言述べてこう続けた。

「僕はレイ。この『青の街』の管理者だ。行き倒れていた君を拾って、ここに連れて来た」

 これが、彼と私の出会いだった。今日に至るまで続く、私たちの関係の一番最初の話だ。

 私の朝はまず歌を歌うことで始まる。隣で寝ているレイくんを起こさないようにそっとベッドを抜け出して、広いバルコニーへと足を踏み出す。そこから街へと歌声を響かせて、時を告げるのが私の仕事だ。この歌は彼――レイくんが教えてくれたもので、私もかなり気に入っている。拾ってもらった上に役目まで与えてもらったから、きちんと果たしたいという気持ちもあった。 歌い終えたら朝食が出来上がっているから、歌で目覚めたレイくんと一緒に食事をする。彼の従者だというルナちゃんの作る料理は、最初こそよく分からない味だったものの――料理の経験はあまりなかったらしい――最近では毎日楽しみになるほど腕が上達していた。私もたまには手伝おうと思うのだけれども、

「アリア様のお手を煩わせるわけにはいきません。レイ様に叱られてしまいますから」

と毎回断られてしまう。彼もそれぐらいのことで怒らなくてもいいのに、と思わないでもない。

 朝食が終わると、私たちはそれぞれ自室へと篭ることが多い。レイくんはよく読書をしているみたいだ。私はイヤホンで音楽を聴きながら、彼の迷惑にならないように小さな声で歌って時間を潰す。その内にお昼の時間になるので、再びバルコニーに出て時を報せる歌を歌う。そうしたら後はリビングでレイくんと過ごす。彼は読んだ本の感想を話してくれたり、一緒に映画を見てくれたりするので飽きなかった。十八時になると、私はまたバルコニーへ向かう。夕食を食べた後、お風呂や寝る準備をして、二十四時に一日の終わりを告げる為に歌いあげる。しかしこの時間でも空は真っ青なままだ。彼が言うには、この街には夜が来ないらしい。だからこそ時間感覚が狂わないように、私の歌が必要とされている。こうして一日四回歌うのが私の日課で、全て終わればレイくんの隣で眠りにつく。必要とされていることに心地良さを感じて、私はいつしかこの日常に馴染んでいった。

 

 だからその日も、私は昼十二時の歌を歌い上げていた。お昼ご飯を楽しみにしてリビングに戻ろうとすると、レイくんの声が扉越しに聞こえてきた。何やら怒鳴り散らしているような、大きな声。相手はどうやらルナちゃんらしい。

「何を言っている? 僕らは後に引けない。引く必要もない」

「しかし、いつまでもこのままではいけないでしょう」

「これは彼女が望んだことなんだ」

「……幽閉されて歌わされるのが? 彼女をあんな風にして、貴方は本当に酷い人です」

「言葉遣いには気を付けろ、ルナ。本当はもう手に入らないはずのものなんだ」

「だからこそです、二年も経つのに」

「下がれ。アリアが戻ってくる」

 ドアノブに掛けた手が震えて動かない。二人は私のよく分からない話をたまに交わしていた。私が聞いてもどうにもならない気がしていたから、深くは聞かなかったけれど。今のはどう聞いても私のことを話していた。どうしよう。もしかして、レイくんは私のことについて何か知っているのかもしれない。このまま彼を直接問い詰めるべきだろうか。でも、愛する彼を疑うような真似は心が痛むし、きっとレイくんも困ってしまう。彼が隠しているのは、きっと彼なりの理由がある。

 一旦聞かなかったフリをしようと決めて、私は扉を開けた。既にルナちゃんはリビングにいなくて、レイくんが不機嫌そうな表情で席に座っていた。

「どうかしたの?」

「ああ、ルナとちょっとな。アリアは気にしないでいい」

「そっか……それでルナちゃんいないんだね」

 これまでにも二人が言い争いをしている声が聞こえたことはある。全部私のことだったら、どうしよう。知らず知らずのうちに彼らに迷惑をかけていたとしたら。

「ねえ、レイくん? 私って、ここにいてもいいのかな」

「いきなりどうしたんだ。そんなこと聞くなんて珍しいじゃないか」

「私、これまでの記憶ないし、そんな状態でレイくんにお世話になりっぱなしだし……」

 レイくんは少し苦しそうに顔を歪める。それから席を立つと私の方に向かってきて、身体をぎゅっと抱きしめた。

「わ、わっ! え、なになにどうしたのっ」

「お前がここにいてはいけない理由なんてひとつもないさ、アリア。僕がお前を必要としているんだ。これから先も、ずっと」

 それは力強い抱擁で、私はこれ以上彼に何か言うのをやめようと思った。彼が望む平穏を、彼自身に壊させるような真似、私に出来るわけがない。そうなれば、私が自分で真実を掴むしかなかった。その上でこれからどうするか決めればいい。

「ありがとう、レイくん。分かったから、お昼ご飯食べよ?」

「……ああ、そうだな」

 腕が解かれると、レイくんは幾分か安堵したような表情を浮かべていた。きっとこれで正解だ。私たちは席について、昼食をいただくことにした。

 

「問題はどうやって私のことを知るかだよね……」

 一人にさせて欲しいとレイくんに言われ、その日の午後は珍しく私も自室で過ごしていた。ルナちゃんは私のことを幽閉されているみたいに言っていたけれど、この暮らしに不自由は感じていないから、特に不満はない。気になるのは「あんな風」という言葉だけど……レイくんに何かをされた覚えもなかった。

「せめて名前が分かればなあ」

 アリアという名前はレイくんに貰ったものだから、私は本当の自分の名前さえ知らない。どうしてこの街で目覚めたのかも分からない。彼らと過ごす日常が楽しかったから、普段は全く気にしていなかったのだが、一度考え出すと不安が溢れ出そうだった。

「……あっ」

 思考を暫く巡らせていると、一つ名案が思いついた。机の引き出しを開いて、この塔の説明が書かれているマップを取り出す。青の街の中央に聳え立っている『青の塔』が、今の私の住処だ。二十階にこの居住スペースがあって、他にもいくつかの娯楽施設が入っている。大体がこの塔の中で完結してしまうので、私は塔の外に出たことがない。そして三階に関係者以外立ち入り禁止の場所があるのを、私は知っていた。

「レイくんは管理室には入るな、って言っていたけれど……」

 管理室ではレイくんの友人であるキョウさんが業務を担当している。私はあまり面識がない。仕事で忙しくてこちらまで顔を出す余裕がない、とレイくんは言っていた。

「キョウさんだったら、私のことも何か知ってたりするのかな」

 レイくんとルナちゃんに直接聞くのは私としてもハードルが高い。だからと言ってキョウさんに頼るのもどうかと思うけれど、生憎私の交友関係はそれぐらいのものだった。

「訪ねるだけだし、大丈夫だよね」

 私の心は決まった。後は実行に移すため、どうするかを考えなければ。レイくんが読書に集中している間に抜け出すことはできても、ルナちゃんに見られたらどこに行くのかきっと聞かれてしまう。その場は誤魔化せても、一人で部屋を抜け出そうとしたら不審に思われるだろう。

「まずはルナちゃんの行動を把握しなきゃだよね」

 

 翌日から三日間、私は朝食後のルナちゃんの動きを観察することにした。結果、キッチンのある部屋から戻ってくるのには大体三十分ぐらいかかるのが分かった。そうなると、レイくんを速やかに自室に篭らせて、その三十分の間に部屋を抜け出すしかない。

 更なる問題は歌だ。私には正午には部屋に戻って歌を歌わなければならない仕事がある。タイムリミットはせいぜい五時間弱。悠長に話し込んでいる暇もなく、キョウさんに私が来たことは黙ってもらうように頼み込むしかない。真実を突き止める上に交渉までしないといけないのは骨が折れそうだった。それでも何もしないよりはマシかと思い、事前に聞きたいことを書き出しておいた。これで準備は万端。あとは実行に移すだけ。

 

「ごちそうさまでした」

 今日の朝食の時間も、ルナちゃんの機嫌は悪いままだった。私たちが食べ終わるとすぐに食器を片付けて廊下へと消えていく。まずい、早くしないとルナちゃんが家事を終えてしまう。私は笑顔を浮かべてレイくんの方を向き、何気ない会話を装って彼の予定を聞くことにした。

「レイくん、今日の予定は何かあるの?」

「ん? いや、特にない。自室に篭って読書でもしようと思っていた」

「そっか。それなら私もお昼までゆっくりしてようかなー。また後でね、レイくん」

「ああ、また後で」

 レイくんが部屋に入るのを見送って、私は足音を立てないようにこっそりとエレベーターホールへと向かう。下の矢印が書かれたボタンを押すと、静かにドアが開いた。

『二十階です 下に参ります』

 流れた音声に一瞬ドキリとしたが、もう後戻りはできない。私は足早に乗り込んで、三階のボタンを押した。エレベーターにこうして一人で乗るのは初めてで、落ち着かずにドキドキしてしまう。ほんの数秒なのに、あの二人を欺いているような気がしてひどく長く感じられた。

『三階です ドアが開きます』

「……よしっ」

 エレベーターから降りると、脇に非常階段へと繋がる重そうな扉があるだけで、一本の通路しか通っていない空間に出た。

「うわ、他の階と全然違うんだ」

 突き当たりまで進むと、関係者以外立ち入り禁止と書かれたいかにもなドアが現れた。私はごくりと唾を飲んで、その扉をノックする。しかし反応は無かった。

「もしかして留守なのかな……?」

 ここまで来たのに手ぶらで帰るのは少し気が引ける。でも、キョウさんが誰も部屋に入れるつもりがなかったらどうしよう。そうなると、扉が閉まっていたら一旦引き返すしかない。震える手でドアノブを掴むと、予想に反して扉が開いた。

(鍵、かかってない!)

 私は前によろけるようにして管理室へと入ってしまった。まず目に飛び込んできたのは大きなモニター。全部で何個あるのか数え切れないぐらいに、壁にびっしりと並べられている。映っているのは青の塔の内部と、知らない場所の映像だ。

「キョウさん、キョウさーん」

 目当ての人物の名前を呼ぶも、返答がない。部屋の中には人がおらず、どうやら本当に留守みたいだ。私はがっくりと肩を落とした。キョウさんがいつ帰ってくるかも分からないし、やっぱり引き返した方がいいのかもしれない。

「なんか、私について書かれたものとかあればなあ……あるわけないけど」

 白くて長い机の上には乱雑にファイルやノートが置かれている。その奥には一台のコンピューターがあった。私はファイルを手に取ってめくる。どうやらマニュアルのようで、目の前にあるコンピューターの操作方法が載っていた。起動方法や、ログインのやり方。どれも私には関係なさそうだった。

「……え?」

 最終ページの上部、そこには『ARIA』と書かれていた。けれども、その後の文章は黒く塗り潰されていて読むことができない。

「あ、り、あ。私の名前、だよね……? でも、なんでこんなマニュアルに……」

 疑問は残るが、読めないならばどうしようもない。それにこの名前はレイくんが付けてくれたものだし、偶然の一致の可能性だってある。暫く腕を組んで考えたのち、私はそばにあったノートを手に取った。どうやらキョウさんの日記らしい。最初の日付はかなり古く、毎日数行程度しか書かれていないものだった。

 

『今日、とうとうレイが街を作ると言った』

『無鉄砲な奴だ。組織にバレたらただでは済まないだろう』

『だが、レイの気持ちも分かる。それに、嫌気が差しているのはオレだけではないはずだ』

『きっとルナもついてくる。結局レイを放っておけないんだ』

『俺達は四人でこの世界を抜け出す。アイカも一緒だ』

 

 この街ができる前の話だとすぐに分かった。四人で抜け出すと書いてあるけれど、私が知っているのは三人まで。もしかしたら、私の知らないレイくんの友人がいるのかも。それとも、

「……これって」

 栞のようにして挟まっている一枚の写真が、その答えを示していた。手が震えて、呼吸が乱れる。身体の奥底から、何か得体の知れない警告が発せられているような、そんな不快な気分になった。

「……っ!」

 ドアの開く音がして、私は咄嗟に写真を掴んだまま机の下へと潜り込んだ。レイくん、ルナちゃん、キョウさん、そして私。知らない場所を背景にした、四人の写真。

 いや、違う。私は知っているんだ、この場所を。忘れてしまっているだけなんだ。

 椅子に座った人の足が私の目の前へと垂れる。この秘密を握ってしまった私は、これからどうすればいいのだろう。手元の写真に目をやる。思い出さないと。歯を食いしばり、遠いあの日へと思いを馳せる。私がアリアになる前だ。

 この秘密に、触れる時が来た。

 

 

戦火、そして出会い

 

 炎が上がる住宅街の中を、私は必死に逃げていた。無人の戦闘機が空を行き交い、爆弾を投下する。激しい衝撃音が至る所から上がって、人々の悲鳴が反響しているのが聞こえた。

 ああ、なんで、こんなことになっているんだっけ。私の隣には、まだ幼い妹がいる。小さなその手をぐっと握りしめ、決して離さないようにした。せめて、この子だけでも安全な場所まで送り届けないと。でも、安全な場所ってどこだろう。私だってまだ子供で、体力にだって限界がある。いつ真上に爆弾が落ちてくるかすら分からない。

 私はお母さんのことを思い出す。私たちが隠れていた防空壕は運悪くロボットの兵隊に見つかってしまった。空爆を受けないはずの場所だったから、簡単な作りだったのが災いした。お母さんや周りにいた大人たちは、私たち子供を庇ってくれた。その場にいた子は散り散りになって、もうどこに行ったのかすら分からない。お母さんも、きっと無事では済まないだろう。

「う、うっ……」

 途方に暮れて涙が溢れてきた。妹もつられて泣き出す。ここを逃げ延びたところで、私たち二人が生きていける世界ではない。お父さんはとうに戦地で亡くなっている。親戚ですら連絡がつくか分からない。

「……っ!」

 角を曲がったところで、私は足を止めた。敵軍のロボット兵がそこにいた。先程防空壕で私たちを襲ってきたものと同じものだ。

「おねえ、ちゃん……」

 妹の震えが手を通して伝わってくる。ロボットが銃を構える時間がやけに長く感じる。あれに撃たれた方が、いっそのこと――

「伏せな、嬢ちゃんたち」

 覚悟して目を瞑ったその時、いきなり頭を押さえつけられた。頭上でビームガンの銃声が鳴る。恐る恐る目を開けると、ロボット兵は動かないガラクタになっていた。驚いてそのまま後ろを振り返れば、戦地だというのにTシャツ一枚という明らかにミスマッチな服装の男性が私たちに笑顔を向けた。

「やー、危ないとこだった。よく頑張ったな」

 男性は周囲を警戒するように見渡してから銃を懐にしまう。私は紋章を付けずに戦っている彼を警戒し、妹が影になるように前に出た。

「お、お兄さん、何者ですか……? 軍の人じゃ、ないですよね」

 強く問い詰めるつもりが、喉から出た声はかなり震えてしまっていた。カッコ悪さに頬が染まるのを感じる。

「おっと、悪い悪い。確かに軍の者じゃねえが、嬢ちゃんたちを傷付けるつもりはねえよ。……お、来たな」

 車の走る音が近付いてきたと思えば、白いバンが私たちの目の前で急停車した。ウィンドウが開くと、運転席から女性が顔を出した。白髪で眼鏡を掛けた、いかにもクールな雰囲気の人だった。

「生存者ね。リツト、他に人はいた?」

 女性はそう問い掛けるも、男性は残念そうに首を振った。

「俺が見た限りじゃ全員やられてんな。もしかしたら隠れてるヤツもいるかもしんねえが、アイツら前にしてぶるぶる震えてるようじゃすぐ見つかって終わりだ」

「そう……残念だわ。まさかここまで仕向けてくるとはね」

「こういう時、民間人に武装させてないと痛い目見るよなあ。嬢ちゃんたち、乗せてくぞ。もう大丈夫だ、安全なとこまで送って行ってやるからな」

 男性が車の後部ドアを開いて、私たちに乗るよう促す。ついていっていいのかという不安と、ここにいてもどうにもならないという切迫した気持ちが混ぜこぜになった。

「おねえちゃん、どうするの……?」

 妹がきゅっと服の裾を摘んでくる。安全圏に逃げられるなら、まずはこの車に乗るべきだ。ここで死んだら、逃がしてくれた大人たちに顔向けできない。私はぐっと拳を握った。

「……乗るよ。すみません、失礼します」

「いいってことよ。困ってる人はほっとけねえしな」

 バンの座席に腰掛けると、助手席に男性が座った。ウィンドウが閉まり、車が発進する。

「そういや自己紹介がまだだったな。俺はリツト。こっちのクールな女はユキ。嬢ちゃんたち、名前は?」

「あ、アイカっていいます。メグ、挨拶して」

「メグミ……です」

「その、助けていただいて、ありがとうございました。妹も私も、危ないところでしたし」

「へえ、嬢ちゃんたちやっぱ姉妹なんだな。顔がそっくりだ。しかも美人ときてる」

「リツト、年下に向けてそういう発言するのをやめなさい。無駄口叩くなら運転代わってもらうわよ」

「へいへい。ったく、緊張を解そうと思っただけだっつーの」

 リツトさんは後部座席に座る私たちにごめんというように、両手をぱんと合わせた。

「その、この車ってどこまで行くんですか?」

「避難所まで行くわ。実際、どれぐらいの人を助けられたか分からないけれど、あなたたちのような生存者はいるはずよ」

「そう、ですか……」

 それならひとまずは安心できるのかもしれないと思い、私は座席の背もたれにずっしりと体重を預けた。疲労が襲いかかってくる。走りに走ったから、仕方ないけれど。車の振動でうとうととしかけたその時、リツトさんの大声が車内に響いた。

「おいユキ、右に避けろ! 後方から来てるぞ!」

「もう追いついてきたのね……迎撃は可能?」

「数が多い。降りて対処した方がいいかもしれないな。もしくは飛ばして逃げ切るか」

「馬鹿言わないで。逃げ切れるわけがないし、敵兵をぞろぞろ引き連れて避難所に入るつもり? パニック映画でもそんな間抜けな真似はしないわよ」

「嬢ちゃんたちがいる以上、車止まらせるわけにいかねえだろうが」

「じゃあ、ここから撃つしかないわね」

「無茶言うぜ……」

 リツトさんは走行中にも関わらず助手席のドアを開け放った。懐から銃を出して、車の後方へと向ける。私がフロントミラーを見ると、確かにロボット兵が十数機こちらに迫ってくるのが見えた。

「あんまり揺らしてくれんなよ!」

 銃声がすると、ミラーに映ったロボットが一体倒れた。どうやら命中させたようだ。私の隣で妹が歓喜の声を上げる。

「す、すごい……!」

「すごかねえよ、こんなもんボウリングと一緒だ。ピンが多いうちはガーターしねえ限り何かしらに当たる」

 続けて二三発撃つと、そのいずれもロボットに命中する。揺れる車内から撃ってここまで当てるなんて。私は妹同様に、驚きで目を丸くした。

「やっぱりすごいじゃないですか!」

「おー、おー。なんか可愛い嬢ちゃんに褒められんのは新鮮だな……」

「馬鹿言ってないで残りも掃討して。ビームガンのエネルギーだってもう残り少ないんだから」

「分かってるっての。ひー、ふー、みー……あと八体か。さっさとくたばりな!」

 それからはもう、圧巻だった。撃つ度に後方へと吹っ飛んでいくロボットを見て、私は先程まであれに苦しめられていたのをすっかり忘れそうになってしまっていた。

「ちっ……!」

 リツトさんの右肩が貫かれる、その時までは。

 ユキさんが助手席を見て、車を停める。迫ってくるロボット兵は……残り一体。その最後の一体にリツトさんは手こずったのだ。ビームガンが手から抜け、道路に落ちてカシャンと音を立てた。

「ユキさん、ユキさんは武器持ってないんですか!?」

「あいにく、もうあの市街地でストックが尽きてるの。リツト、拾えない?」

「拾っても当たんねえよ、クソ……!」

 やるしかない、と咄嗟に思った。私は勢いよく後部座席のドアを開けて、道路に落ちていたビームガンを拾いにいく。撃っているところなら何回も見た。銃を拾うと、ロボット兵に向き直って構えた。狙いを定めて、息を吐く。

「アイカちゃん……!? って、ユキに渡すんじゃねえのかよ!?」

 両手で銃をしっかり握ってトリガーを強く引くと、銃口からビームが飛び出た。間もなくして、ロボット兵は後方に吹っ飛んで、そのまま動かなくなった。

「やった……?」

「アイカちゃん、車に乗り込んで! すぐに出すから!」

「は、はいっ!」

 実感がない。夢中だったし、無謀だったと思う。私よりロボット兵の判断が早ければ、蜂の巣間違いなしだったはずだ。私が車に乗り込むと、バンは急発進した。これ以上の追っ手がついたら、と嫌な想像が頭の中を巡ったが、幸いにもそれ以上の襲撃を受けずに車は避難所まで到着した。

 リツトさんは手当てを受けるためにすぐ別室へと運ばれていった。彼に代わってユキさんが避難所の案内を引き受けてくれた。避難所は強固なバリケードがある上、地下にシェルターが備えられており、なるほどこれならある程度の攻撃にも耐えられるだろうと思った。

「先程の、お見事だったわ」

 私は妹の手を握りながら避難所の廊下を進む。今は危険なので、シェルターへと入ることになった。

「いえ、あれは本当に偶然で……」

「戦闘の経験は?」

「ないです。でも、誰かが動かないといけなかったですし。もしユキさんが出て撃たれたらって考えると、私が行くしかないと思ったんです」

「そう……分かったわ。あなた、名前はアイカだったわね。この地域の戦闘が終わったら少し時間をくれる? 話をしたいの」

「え、いいですけど、それはどんな……?」

「あなたの、これからについてよ」

 

 シェルターには私たちの他にも避難してきた人がたくさんいた。広めの場所だったから狭くて憂鬱になることはなかったが、家から何も持ってこられなかった私たちはレジャーシートが敷かれただけの硬い床で寝る羽目になった。一日二回非常食が配られて、それを配給された水で流し込む。そんな生活が一週間経った頃、敵軍が撤退したとの報せが入った。敵軍の本拠地側に味方の攻勢が入り、守りを固めざるを得なくなったらしい。ほどなくして、ユキさんが再び顔を見せた。心なしか、前よりやつれているように見えた。

「お久しぶり、でもないかしら。また会えたわね、アイカ」

「ユキさんもご無事で何よりです。それで、私のこれからというのは……」

 確かに、ずっと避難所のお世話になるわけにもいかない。でも身寄りのない私と妹がこれからどう暮らしていけばいいのか、見通しのひとつも経っていないのもまた事実だった。

「ええ、単刀直入に言うわね。アイカ、あなたには私たちの仲間になってほしいの」

「へ……?」

 

 

交錯

 

 青の塔に到着すると、私はレイと別れて三階の管理室へと直行した。外部からの侵入者が来たとなれば、管理室へのログは残っているはず。それに、キョウにも何かが起こったと考えるのが妥当だ。あの人がレイを裏切るのは、あまりにも動機がなさすぎる。今はとにかく、レイの従者としての、私の役目を果たさないとならない。

 静まり返った廊下を駆け足で通り抜けると、奥の扉を開け放つ。廊下と同じように、管理室の中には誰もいなかった。私はそのまま、コンピューターを立ち上げてログインする。

「……あれ」

 青の街の内部データにアクセスする間、私は机の上の書類が開いているのに気がついた。ページはログインの場所で止まっている。この世界で、わざわざ紙のようにしてこんな初歩的なマニュアルを持っていなくてもいいのに。私は一回変に思って、キョウに聞いたことがあった。

「ああ、それな。端末にまとめておけってレイにも言われたんだよ。だけどな、誰でも読めるようにしておくっていうのは大切なことなんだ。ルナにも分かる日が来る。必ずな」

 キョウは普段からつかみどころのない人物で、レイが信用をおいていなかったら、私は絶対関わらないタイプの人間だと思う。組織にいた頃も、変人だとあちらこちらから噂が立っていたような人だ。しかしどうして、キョウは管理部屋にいないのだろう。机に向かって問題解決に当たるぐらい真摯な姿勢が見られれば、私も少しは信じられたはずなのに。

 私がしばらく思いを巡らせていると、データへの接続が完了した。ログを参照すると、確かに外部からのアクセスが何者かによって許可されている。その後の妨害工作まで残っていた。青の街のセキュリティは強固なもので、あの二人組だけでやったとはとても思えない。やはり、他にも協力者がいるのか。キョウがここまで分かりやすくログを残しておくとも考えづらい。謎は深まるばかりだった。他にも痕跡がないかと、私は机の上を再度注視する。

「これって……」

 書類の下敷きになって、何やら手記のようなものが見えているのに気がついた私は、それを引っ張り出した。見たところ、キョウの日記だ。文の量自体は多くないが、毎日律儀に書いている。

『きっとルナもついてくる。結局レイを放っておけないんだ』

「私の行動なんて、お見通しか……」

 私たち四人はかつてとある組織にいた。あらゆる汚れ仕事を引き受ける組織で、暗殺者やハッカー、非合法の存在があちらこちらにいるような場所だった。そのせいで社会からは追われる身だった私たちは、それぞれの理由で組織を脱走し、この街で暮らすことにした。

 組織にいた頃、レイのサポートを命じられていた私は、そのまま流れるようにこの街まで来た。……彼の補佐を他の誰にもさせたくなかったからだ。レイが最初に組織を抜けると言ったときは驚いたけれども、何よりあんなことがあった後だったから仕方ないとも思った。けれど、彼の悲しみを埋められるのは私じゃなかった。彼は彼女の虚像に付きっきりになって、二年もの時が過ぎようとしている。この現状は、はっきり言って間違っている。それを誰かがレイに自覚させないとならないのに、私にはそれができない。私たちはこのまま、また逃げ続けるんだろうか。レイが気付かないままだと、同じことを繰り返すだけな気がする。

 ここで考えていても仕方ない。私はデータを自分の端末へと移し、管理室を後にしようとして、ドアノブに手を掛けた。

「……開かない?」

 鍵を閉めたわけでもないのに、扉が開かなくなってしまっている。外から閉じこめられた? まさか、キョウが――

「――そこまでだ、ルナ」

 するはずのない声が、私の背後からする。私が背後を振り返ると、どこから現れたのだろう、キョウがこちらを睨み付けていた。

「さっきは油断してたけどよ、もう逃がさねえ」

 

 

在りし日の歌

 

「はあ……」

 あの日、私はユキさんの誘いを一旦保留にしてもらうことにした。妹もいるし、今すぐに決断することはできないと思ったからだ。私たち二人は一旦施設へと向かったものの、いつまでも援助が受けられるわけではない。せめて妹だけでも平和に暮らしてほしいと思った私は、妹に書き置きだけを残してユキさん達の組織の一員になることを決意した。

 それからの生活は、激動の毎日だった。ユキさんからは冷静な判断を評価されて、彼女の元で実戦経験を積むことになり、仕事を一つ一つこなしてきた。しかしそのどれもが命の危険を伴うもので、妹のためという理由がなければ、私はとっくに倒れていたと思う。

「それに、人を傷つけるの、嫌なんだよね……」

 ユキさんの相棒でもあったリツトさんは、肩を撃たれたことで全治一年以上の大けがをしてしまっていた。それだけビームガンは強力で危険な武器だ。相手を排除するために撃てば、その分他人を傷つけることになる。年を重ねるたびに、自分の心が疲弊していくのが分かった。こんな才能が欲しかったわけじゃないのに、周囲の期待ばかり背負わされる。

 辛くてどうしようもなくなると、私は決まって建物の屋上で歌うことにしていた。仕事でしかほとんど外に出ないものだから、純粋に外の空気を吸いたいというのもあった。私はこれから、どうなるんだろう。一生こんな、血にまみれた生活を続けていくんだろうか。そう考えるだけで憂鬱になる。妹にだって、長いこと会えていない。元気に育ってくれていることは調査で分かっているものの、一般人との不用意な接触は許されない。親族ならば、尚更気を許してしまうから、危険だということで会えない。

「……メグ、どうしてるんだろうな。もしかしたら私の顔なんて、もう忘れちゃってるのかも」

 私は屋上に繋がる扉を開ける。外の夜風が私の髪を揺らしながら通り抜けていった。フェンスをぐっと掴んで、遠く、大きな川の向こう側にある街を見つめる。

 多くのものを失くした戦争は、私が住んでいた国の勝利で終わった。普通の生活を送っていたら、私がもう戦う理由なんて、どこにもないのに。深く息を吸って、私は幼い頃にお母さんが教えてくれた曲を歌った。

 

いばらの壁の その向こう

悲しい目をして 歌っている

誰もが君を 避けている

あいつは違うと 指をさす

ああ 愛しいセリカ セリカよ

本当のこと 教えておくれ

 

 ――あの頃は、私の歌を聞いてくれる人がいた。学校の友達とか、近所のおばさんとか。それにお母さんと、妹もそうだ。妹は私の歌声を本当に気に入ってくれていた。もう忘れてしまってるんだろうなと思うと、心が苦しくなる。今の私に残っているものなんか、もう何もないんだ。

「おい、そこのお前」

「ひゃい!」

 感傷に浸っていたところにいきなり誰かから声を掛けられ、自分でも情けないほどの震えた声が飛び出た。しまった、誰かに見られていたらしい。恐る恐る背後を振り向くと、そこには高身長の男性が立っていた。ボサボサの長髪が目元までかかっているせいで表情がよく分からない。白衣を着込んでいるのでおそらくは研究部所属だろう。私たちみたいな現場でやり合うのとは違って、組織の中でサポートを整える側。

「え、えっと、その、私、サボっているわけじゃなくて、休憩に……」

 とりあえず弁明ぐらいはしておくべきだろうと思ったが、上手くいかない。そもそも屋上に来られるのは限られた職員だけだし、誰かに会うことも今までなかった。

「そんなに焦らなくてもいい。立ち入り禁止にしておいたから、これ以上誰も来ないしな」

 あたふたする私の様子がおかしく見えたのか、男はふっと笑った。男はフェンス際にいる私まで近付いてくると、その大きな背を曲げてこちらの顔を覗き込んできた。

「お前、暗殺部隊のアイカだろう? 活躍を耳にすることが多い。現場における冷静な判断から銃の命中率まで……何をとっても出来のいい、若い天才殺し屋だと」

 男は面白そうな表情を浮かべて、近付けてきた顔を離した。名乗らずとも私のことはまるまるバレているらしい。人殺しでチヤホヤされても全く嬉しくない。階級だけ上がって良かったことは、それこそ行けなかった場所へ立ち入りが許されることぐらいだ。

「研究部でもそんな話されてるんですか、私」

「僕たちだけじゃないな。組織中、どこに行っても聞く」

「はあ、最悪ですね。本当」

「そうだな、こんな組織の中でもてはやされたって」

「え……?」

 男から思いもしない言葉が飛んできて、私は目を丸くした。仕事第一、組織への忠誠は絶対みたいな風潮が常に漂っているから、そんなことを口にする人がいるとは思わなかった。

「お前の歌声、聞かせてもらった。いい声だった。やはり噂話だけで人を判断するものじゃないな。もっと狂犬みたいな女かと思っていた」

「んなっ……!」

 なんて失礼な人なんだろう、そういうことは思っていても言わない方がいいはずだ。でも、いい声って褒められたのか、今。誰かに歌を聴いてもらったのは久しぶりのことで、頭がなんだか追いつかない。

「悪い、それほど驚いたってことだ。……また聴きに来てもいいか?」

「……あなたはなんとなく、私が断っても来そうな気がします」

「ああ、かもしれないな。だが許可はあった方がいい」

「それは、そうですけど……連絡できる手段があるわけでもないのに」

 私がそう言うと、男は確かに、といった風に広げた手のひらに拳をぽん、と叩きつけた。なんだか古風なリアクションを取る人だ。

「難しいことじゃない。僕の部屋は屋上に近いからな。変人だから隅に追いやられてるんだ」

「それ、どうフォローするのが正解なんですか。それで、部屋を訪ねるにしたって、あなたのお名前を聞いてないんですけど……」

「そういえばそうだったな。ネレイド、だ」

「……え、えっ、ネレイドって、あの!」

 聞いたことがある。凄腕のエンジニア、ネレイド。幼い頃から組織に所属していて、その技術は卓越したものがあるらしい。まさかこんなところで初対面を果たすなんて思ってもいなかった。

「そうだ。僕はお前の気持ちが少しは分かる。名前の一人歩きは厄介だ、本当に。もし歌を聴かせてくれるなら、相談に乗らないことも――おっと」

 ネレイドさんが話している途中で、彼の持っている端末が振動した。彼が端末を見ると、あちゃあ、と一言漏らし、苦々しげな表情をしているのが画面の明かりで分かった。

「サボりすぎて助手がおかんむりだ。僕は戻ることにする。そっちの気が向いたら、僕の部屋を訪ねてくれ。待っているからな、それじゃ」

 ネレイドさんは私の隣から離れると、手を振って去って行った。屋上の扉がぱたりと閉まると、私はその場に一人残される。

「な、なんなの、もう……!」

 まるで嵐のような人だった。一方的に盗み聞きして部屋に来いだなんて、自分勝手にもほどがある。変人と言われても仕方ない。

「はあ……でも、私の気持ちが少しは分かる、か」

 一回ぐらいは部屋まで行って、顔を見せてもいいかなと思う。このまま行かなくても、勝手に来られそうだから、せめて人に聞かせる心の準備ぐらいはしておきたかった。

「思ったより長居しちゃったし、戻らなきゃ」

 扉まで駆け寄ると、私は屋内へと向かった。

 

 *

 

「レイ、どこに行っていたんですか」

 自室に帰ってきた僕を待っていたのは、助手であるルナからの非難の目だった。決まりが悪くなって視線を逸らすが、彼女はその先へと回り込んでくる。器用なものだ。

「あー、いや、少しばかり休憩に行ってきたんだ」

「いや、作業まだ全然終わってませんよね。私が目を離した一瞬の隙に部屋を抜け出さないでください」

「監視の目が甘いんじゃないのか?」

 僕がへらりと笑って返すと、ルナはこちらを責めるようなぎろりとした目線を向けてきたので、僕は慌てて訂正した。

「ちょっ、冗談だから! それに、今日は面白いことがあったんだよ」

「……面白いこと?」

「アイカに会ったんだ、屋上で」

 これにはさすがのルナも驚いたのか、目を丸くした。

「あの、アイカにですか? しかし、どうして屋上で」

「休憩中だったらしい。本人が言っていた」

「それで、どんな方だったんですか?」

「思っていたよりも普通の少女だったよ。もっと冷徹な人間かと思ってたら、案外可愛いところもありそうだ」

「レイに目を付けられたなんて、かなり不運ですね……」

 助手なのに僕によく暴言を吐いてくるのは何故なんだろう。ルナのそういう物怖じしないところが気に入ってはいるのだが。

「次の休憩の時は呼んでくれと言っておいたから、もしかしたら来てくれるかもしれないな」

「……レイ、今度はこっそり逃げられないようにしますからね」

「はは、僕も休憩できるように作業をしっかり進めておかないとな」

 

 アイカが僕とルナの部屋を訪ねてきたのは、それから二週間後だった。もっとかかるかと思っていたが、案外早くて驚いた。僕がドアを開くと、ルナよりも低身長な彼女がそこに立っており、こちらを上目遣いでじっと見つめてきた。

「こんばんは、ネレイドさん。折角なので、来ました」

「こんばんは。任務帰りか?」

「……どうして分かったんですか?」

「髪がほこりっぽいんだよ。どこに潜伏してたんだか知らないが、シャワーでも浴びてきたらどうだ?」

「なっ……か、帰りますよ!」

「ふ、ふふっ……悪いな、お前を見るとからかいたくなる。人間臭くてな」

 アイカが恨めしそうにこちらを睨みつけてきたので、ルナに一言挟んで屋上に向かうことにした。ルナにも「作業終わってませんよね」と睨まれたが、アイカがいる手前そこまで強く言えないのか、外出を承諾してくれた。

「あの奥にいた方が助手の方なんですか?」

「ああ、そうだ。時間と規律にうるさい。しかしその分仕事が丁寧だからな、いろいろなことを任せている」

「サボってるわけじゃないですよね……?」

 彼女の問いをスルーして、僕は屋上へと繋がる通路のロックを解除する。階段を上り、扉を開く。月光に照らされて、屋上が僕たちを出迎えてくれた。夜は静かすぎて、あまり好きではない。

「で、どうして今日は誘ってくれたんだ?」

「……この前言っていたこと、確かにそうだなと思ったので」

「この前の? ああ、お前の気持ちが分かるというやつか」

 彼女も僕も似たもの同士なんだと、初めて彼女の歌を聴いたときに思った。任務を完璧に遂行する少女がいて、まるで機械かのように噂されていたものだから、尚更。僕も幼い頃からやれ神童だ天才だと言われて、だんだんとちやほやされる人間関係が面倒くさくなって、変人を演じている節がある。周囲からあることないことを言われる彼女の気持ちを、少しぐらい分かってあげられるだろう。それに、人の命を奪うことで神経をすり減らしてしまう人をたくさん見てきた。心配の一つや二つ、してしまうものだ。

「私、ここに来てから色んな人に褒められてきました。ちっとも嬉しくないのに。人を傷つけた上で得る賞賛なんて、欲しくないんです」

「ならお前は、何のために頑張っているんだ?」

「……妹のためなんです」

「妹の?」

 彼女に家族がいたとは、知らなかった。戦争孤児であることは周知の事実だったが、それならば一人だけ引き抜かれてきたのか。

「私たちは両親を亡くして、頼れる親戚もいませんでした。妹を育てるためには、私がここに来るしかなかった。でなければ、二人とも飢え死にしていたはずです」

「なるほどな。妹が自立するまで、ってことか」

「はい、妹の存在だけが、私を突き動かしてきました。でも、最近は思うんです。ここを辞められたとしても、妹に会えるわけじゃない。表社会でどう生活していけばいいのか分からない。一生、このままここに必要とされるんじゃないかな、って」

 報われないな、と僕は思った。妹はアイカの苦労を一切知らないし、知る術もない。幼い頃に組織へと勧誘されてしまったが故、彼女は自分を犠牲にし過ぎた。したくもしない汚れ仕事をさせられ、それしか教わらずに生きてきたというわけだ。

「お前の境遇は分かった。組織も先の戦争で大分欠員が出ていたから、お前みたいな人材を喉から手が出るほど欲しがっていたのは事実だ。スカウトしたやつが全部悪いってわけでもないが……組織のこういう体質は間違っている。僕だって、捨て子だからな」

「そう、だったんですね。でも、そうやって小さい時から教育した方が都合がいいっていうの、理解はできるんです。だから、間違っているのは、私たちが必要なこんな世の中なんじゃないかな、って思います」

「かも、しれないな。僕たちのやっていることは、世界のバランスを保つためとはいえ、そのどれもが褒められたものじゃない」

「皮肉ですよね、私も妹も、ここがなければ生きてこられなかったはずなのに。私のこれまでって、なんだったんでしょうね、本当に」

 アイカはひどく悲しい瞳で、そう呟いた。僕が考えていた以上に、彼女の悩みは重たく、暗い。なんとかしてあげられないだろうか。この先ずっと、それこそ命を落とすまで、アイカをここに縛り付けておくなんて、黙認できるわけがない。

 

 その日から、アイカは僕の研究室をよく訪ねてくるようになった。僕以外との人とあまり話したがらないルナも、アイカがその実績に対してわりと普通の女の子だということが分かると、幾分か心を開き始めた。二人は会う度に仲良くなっていき、アイカも同年代の女の子の話し相手ができて嬉しいと言っていた。どうやら、任務でチームが一緒になる人達とは、そこまで話すことがないらしい。そもそも周囲の期待に応えて、努めて冷静な人間を演じているようだし、普段の彼女はもっと近寄り難い雰囲気なのかもしれない。僕に聞かせてくれる歌声も、初めて会った時より伸び伸びとしたものになっていくのが分かった。僕とルナは確かに、アイカにとっての安らぎの場所になっていったのだ。

 

「お前、ここから出たいとは思わないか?」

 僕がそう言ったのは、アイカに出会ってから一年ほど経った頃だった。研究室を訪ねてきた彼女を中に招き、ルナも会話に加えての提案。アイカは驚いたように目を見開くも、すぐに怪訝な顔でこちらを見つめてきた。

「えっと、どうやって……? 私だって辞めたいとは常々思ってましたけど、そう簡単に抜けられるわけではないのでは?」

「申請は通りづらいだろうな。辞めたいという理由だけで辞められたら、こんな仕事をしている組織の人間は減る一方になる」

 ただでさえ戦闘で犠牲になる人も多いのに、上層部がそう易々とここを抜けさせてくれるわけが無いのは、僕も分かっていた。

「だから、抜けられるだけの理由を先に作る」

「……あの、言っている意味が分からないんですけど」

「お前を、歌のオーディションに参加させる」

 僕がそう告げると、アイカは先程より更に目を丸くし、驚愕の表情を浮かべた。そして首を横にぶんぶん振り始めた。

「あ、有り得ないです! というか、身分証明書すら用意できないんですけど、私」

「戸籍がないのは分かっている。だから、ダミーを用意してもらった。一人分を偽造するぐらい、彼にとっては容易いことだからな」

 僕はノートパソコンの画面をアイカに見せる。そこには彼女の偽造証明書が映っていた。言うことと見せるもの全てに驚くアイカの反応を見ていると、笑いが止まらない。

「これ、どうやって……? それに彼ってどなたなんですか?」

「協力者。幼い頃の僕からの親友で、結構無理言っても応えてくれる凄いやつさ。多分、そろそろ来るはずなんだが」

 そこでタイミングを見計らったように、研究室の扉が開いた。入ってきたのは、僕より少し小柄な茶髪の男。パーカーのポケットに手を突っ込み、口元ににやりとした笑みを浮かべている。

「来たか、いいタイミングだったな」

「よう、レイとルナ。こうして顔合わせんのは久しぶりだな。おっ、そっちの女の子が例の天才ちゃんか。オレはキョウってんだ、よろしくな」

「あ、えっと……アイカっていいます、よろしくお願いします」

 キョウの雰囲気に気圧された風だったが、アイカはぺこりと頭を下げた。つくづく、どうしてこんな所に来てしまったのかと思うほどに礼儀正しくて良い子だ。

「それで、あの。私の知らないところで、かなり話が進んでそうなんですけど、本当に出るんですか?」

「ごめんなさい、この人達一度やり出すと止まらなくて。レイもキョウも、アイカのためにって言って色々準備していたみたいで」

「私の、ために? どうしてそこまで……」

 ルナの言葉に、アイカがきょとんとした表情を浮かべた。だから僕は、前々から彼女に対して思っていたことを述べることにした。

「アイカ、お前にはここより相応しい場所がある。外の世界だ。今まで傷つけてしまった数よりも多くの人々を、お前の歌で幸せにするべきだ」

「オーディションに受かったという既成事実を作ってしまえば、上も黙ってられないって算段だな。ま、受かんなきゃ話は始まんねえが、一回でも試してみる価値はある。レイの話を聞いて、オレはそう思った。だからこそ協力させて貰ったんだ」

「……試してみる価値、ですか」

 僕とキョウの勧めを聞くと、アイカは俯いた。すぐに決断が出るとは僕も思っていなかったが、かなり迷っているように見える。そうして研究室に暫くの沈黙が流れた後、ルナがアイカの手を軽く握って、おもむろに口を開いた。

「アイカ、私はレイとキョウほどこの作戦に熱意があるわけではありません。ですが、あなたが現状に不満を抱いているなら、少なくとも後悔はしてほしくないと思います」

「ルナちゃん……レイさん達の気持ち、受け取りました。私、やってみます」

 そうしてアイカが決心したように顔を上げたものだから、僕は驚いた。本当だったら、応募期限ギリギリまで待つつもりだったからだ。僕が思っている以上に、アイカは勇気のある人間なのかもしれない。与えられた環境が悪かっただけで、もっと開花させるべき才能が、いるべき場所がある気がしてやまなかった。

「よし、それならアイカの気が変わらないうちに応募するぞ。キョウ、準備できてるか?」

「ンなもん、エンター一つでいつでも送れるようにしてあったに決まってんだろ。ほらよ」

 キョウが得意気に持参していたノートパソコンの画面を見せびらかすと、そこには応募完了の四文字が映し出されていた。

「アイカ、お前の決断力、オレは買うぜ。一発受かって、こんな陰気な場所とはオサラバできるかもしれねえ! あー痺れるね、最高だ」

「悪いな。こいつ、いつでもこうなんだよ」

 僕がキョウの肩を叩くと、彼はゲラゲラと笑いながら肩を組んでくる。そこまで近付くと、キョウがなんだか酒臭いのが分かった。大方、ここに来る前に一杯やってきたんだろう。

「あはは……でも、皆さんの力がなければ、こういうチャンスもなかったはずですし。ルナちゃんが言うように、後悔しないよう、頑張ってきます」

 ぐっと握り拳を固めるアイカの瞳には、それでも少しの陰りがあった。まだ心のどこかで迷っているんだろうと、その時の僕は思っていた。

 

 アイカがオーディションで合格を勝ち取った報せが僕の元にやってきたのは、それから二ヶ月後のことだった。キョウのパソコンにメールが届き、そこに表示された合格通知を見て彼もひっくり返ったらしい。とにかく最高を連呼しながら僕の研究室を訪ねてくるキョウの顔は、既に真っ赤だった。ルナが慌てて水を用意し、それをぐいっと飲み干したキョウは僕のソファに我が物顔でどっかりと座って、言った。

「レイ、お前の誘いに乗ると退屈しないな、本当に」

「そりゃどうも。早いところアイカにも伝えないとな」

「ああ。それで、お前はどうするつもりなんだ?」

「どう、って?」

「はあ? レイ、この期に及んですっとぼけるつもりかよ。オレには分かってたぜ。話を持ちかけられた時から、お前がアイカに惚れてんの」

 茶髪の下から覗くキョウの双眸が、ぎらりとした光で僕を捉えた。誤魔化そうとしても無駄だ、と言われているように。仕方ないので、白状することにした。

「……ああ、好きだよ。だがな、そうは言っても僕までここを去るのはおかしいだろ。アイカのマネージャーになれるわけじゃない」

「お前はこれでいいのか? アイカが外の世界に行くって言った時に、何も言わなくて」

「こんな依頼をお前に出してる時点で僕の心は決まっているんだ、キョウ。アイカのことを知れば知るほど、彼女はここにいるべき人間じゃないと思った。理解したからこその行動だ」

「協力しといてなんだが、レイのやり方って毎度回りくどいよな」

「よく分かってる。でもアイカは、こうでもしないと動けないって思ったからな。動き方を知らないんだ」

「はは、片思いの女相手に隅から隅まで知り尽くした、みたいな顔してやがる。あんまり先走り過ぎるなよ」

 キョウはそう言うとソファから立ち上がって、ふらふらとした足取りで研究室を去った。まったくお節介なやつだと思っていると、僕とキョウの一部始終を黙って眺めていたルナが、こちらに近付いてきた。

「あの、レイ。私も、レイがアイカのことを想っているというの、分かっていました。だから、あえて送り出すような真似をしていいものかと、言うべきか迷っていましたが……」

「いいんだ。こんな所にいたら、遅かれ早かれ人生道半ばでお縄につくかくたばるかだ。アイカには、もっと幸せになってほしいんだよ」

「……好きだ、とは伝えないんですか?」

「決心を鈍らせたら、折角の計画が水の泡だろう」

 ルナは何か言いたげに口元をもごもごとさせたが、やがて深く溜息を吐くと小さく頷いた。それが納得だったのか、諦めだったのか、僕が追求する前にもう一度研究室の扉が開いた。キョウが何か落としたのかと思ったが、驚いたことにそこにはアイカの姿があった。

「こんばんは。今、ふらふらのキョウさんとすれ違ったんですけど……」

「キョウのやつ、お前を見ても何も言わなかったのか」

「え、はい。そもそも周囲が見えてない感じでした。相当酔っ払ってたと思います。それがどうかしたんですか……?」

「……オーディションに合格したんだよ。おめでとう、アイカ」

 僕がそう告げると、アイカはぱあっと目を輝かせる。彼女に出会ってから、一番の笑顔に間違いなかった。普段無愛想なルナでさえも、この時ばかりは微笑みを浮かべていた。

「え、ほ、本当ですか!」

「間違いない。お前の歌は、やっぱり本物なんだよ」

「ありがとうございます、レイさんっ! これでようやく、上に申請もできますね!」

「ああ、そうだな。なにがなんでも、認めさせてやろう」

「はいっ、早めに申請したいと思います!」

 この時の僕らは、何もかもが上手くいきそうな気がしていた。きっとここまで事を大きくしておけば、断れないだろう。僕やキョウが怒られるのは、大した問題じゃない。アイカはこれから外の世界で幸せに生きていくんだと、本気でそう思っていた。

 

「……記憶を、消す?」

「そう、なんです。辞めるのは構わないけれど、組織にいた分の記憶を消して、別人として生きないといけないみたいで」

 翌日、研究室を訪れたアイカが開口一番放ったのは、そんな言葉だった。組織のことを口外しなければいいだけのはずなのに、記憶を全て消すように命じられたらしい。

「いや、それはおかしい。暗殺部隊は顔を見せて行動していないはずだ。お前が組織の人間だと分かるやつなんて、誰も――」

 僕はそこまで言いかけて、口を噤んだ。そう、あくまでも外に限るなら、アイカのほとんど完璧とも言っていい仕事ぶりを考えて、彼女のことを知っている人はいないはずだ。だが、組織の内部に限れば、もはやアイカのことを知らない人などいない。今そのままの彼女を外に出してしまったら、内通者が出た時にアイカは危険にさらされてしまうことだろう。

「顔も整形することになる、って言われました」

「そうか。お前はどうするつもりなんだ?」

「迷ったんです。今の私がいなくなったら、外で歌う意味ってどこにあるのかなって。でも、これ以上誰かを傷付けて生きるよりも、これからは沢山の人に希望を与えたい、そう思ったんです」

 そう語るアイカはどこまでも真っ直ぐな表情をしていて、僕には止める術がないと悟った。本当だったら、記憶を失って別人として生きるなんてやめてほしい、とでも言うべきなんだ。アイカのことが好きなら、彼女が永遠に失われてしまうことだけは絶対に避けなければならないのに。僕にはその勇気が出なかった。

「……分かった。アイカ、お前の好きにするといい。せっかく掴んだチャンスなんだ。進みたい道を進め」

「はい、そうします。レイさん、その……本当にお世話になりました。初めて会った時から今まで、心の支えになってもらってばかりで」

「いいさ、僕は正しいことをしたと思っている。アイカの活躍、ちゃんとここから見てるからな。新しいお前になっても、頑張ってくれ」

「……はい、それでは、また」

 彼女はぺこりと礼儀正しくお辞儀をすると、僕に背を向けた。これが、今生の別れなのか。僕がこれ以上、人を好きになることってあるのだろうか。分からない。しかし、このまま何もせずに送り出すのは、アイカがこの世から消えてしまうのは、嫌だった。

「アイカ、最後にひとつ、いいか?」

 僕がそう呼び止めると、彼女はその場でぴたりと足を止めた。振り向かないせいで、彼女の表情までは分からない。だが、その声は確かに震えていた。

「何か言い忘れたことでもありましたか……?」

「写真を撮ろう。僕とお前、ルナとキョウも入れて。アイカがここにいた証を、しっかりと残しておきたいんだ」

「仕方ないですね……レイさんの最後のワガママってことで、聞いてあげますよ」

 彼女はそう言って、僕の方をもう一度振り返った。アイカ、お前の決意は確かに真っ直ぐだ。だがどうして、そんなに寂しく、悲しい目をしているんだ。僕には分からない。

 

 分からないまま、僕は彼女を送り出した。

 僕らにはアイカの新しい顔は知らされなかったが、彼女の歌声を聴けばすぐに分かる話だった。セリカと名前を変えた彼女は、あっという間にスターへの道を駆け上がっていった。そうして、二年もの歳月が過ぎようとしていた頃。

 

 彼女は、交通事故で亡くなった。

 

 キョウが言うには、同時期に組織の内通者が摘発されたらしい。アイカを目の敵にしていたとある敵対組織に情報を売っており、組織から失踪したアイカと、これまでの経歴に怪しい点があるセリカがとうとう結びついてしまったんだろうと、だからこそ命を狙われてしまったんだと、キョウは苦々しい表情で述べた。交通事故として処理できるように、アイカは巧妙に殺されたのだ。誰もこんな結末は望んでいなかった。彼女はただ、歌で人々を幸せにすることを望んだだけだったのだ。

 僕もとうとう、こんな世界に嫌気が差してしまった。アイカのいない世界なんて、もう興味もない。

 それから僕は、組織のネットワークから消されたアイカの記憶をデータとして復元した。そしてキョウの助けを借り、内々で外部に拠点を作った。僕らの肉体をコールドスリープさせる機械を手配し、これからの住まいとするために仮想空間を作り上げた。僕とキョウ、そして僕らの後に付いてきたルナの三人で組織を脱走し、新拠点で眠りについた。『青の街』は、そうして生まれることになった。青の街で目覚めた僕が取り掛かったのは、この世界でアイカを住民として生かすことだった。例え現実世界の肉体がなくなっていようとも、記憶と感情のデータさえアバターにインプットしてしまえば、この街の中なら動くはずだ。僕は毎日着実に、アバターが正しく動作するように新しい彼女を組み上げていった。

 

 

焦燥

 

「アリア!」

 僕は彼女の名前を呼んで、勢いよく部屋のドアを開ける。キッチン、リビング、寝室――あらゆる場所を見回ってみたが、アリアの姿はどこにもなかった。歌を歌い終わってから、それほど時間は経っていないというのに、忽然と消えてしまっている。やはり先程の二人組に何かされたと考えるのが妥当か? 特にアリアの妹の方は姉を取り戻す、と宣言していたぐらいだ。昔、アイカは自分の戦う理由は妹だと言っていた。アイカに妹がいるというのは、まず間違いない。どういうルートでここを突き止めたのかは知らないが、きっと彼女が妹本人なのだろう。こうなると、もうぐずぐずしてはいられない。決断が遅くなればなるほど、命取りになる。警察に全て見つかる前に、アリアのデータごと別の拠点へと持っていくしかない。僕の居場所は、僕が守らなければならないんだ。部屋を後にして、エレベーターに乗り込み、管理室へと急ぐ。ルナとキョウは、まだそこにいるはずだ。

「……鍵がかかってるな」

 マスター権限でロックを解除する。扉を開くと、予想通り二人の姿が見えた。だがどこか様子がおかしいことに、僕はすぐ気付いた。二人はコンピューターにも向かわず対峙していて、そのうちルナは助けを求めるような目でこちらを見てくる。流石にただごとではない。

「おい、おいおい……どうしたんだ、二人とも。そんな睨み合って、何があったって言うんだよ」

 室内の階段を駆け下りて、僕は二人の間に割り込む。少なくとも仲間割れをしている暇はないのだ。

「この人、私があの二人組を入れたって主張するんです」

「いや、それはないだろ。大体、ルナは僕と一緒に行動していた。警報が鳴った時ですら、すぐさま僕の部屋まで来たんだぞ」

 僕はルナを庇うように立って、キョウに身体を向ける。しかしキョウは、僕の説明を聞いてもなお不機嫌そうな表情をしていた。

「……レイ、オレは誰かに襲われた。オレが管理室から離席している最中にこの部屋に入り込んで、どっかに忍び込んでたんだろうな。警報に対処しようと思ったら、視界がブラックアウトしたんだよ」

「キョウを、誰かが襲った? そんな馬鹿なことがあるわけ……いや、連絡が通じなかったのはそのせいなのか」

「レイ、お前がやったわけじゃねえってのは分かる。外部の人間を入れても一切得しないからな。だが、ルナはどうだ? お前はアイカがこんな風になっていること、よく思ってなかっただろ」

「……っ、私はレイの不利益になるようなことは、何も……!」

 前に出ようとしたルナを、僕はさっと手で制す。これ以上言い争いをしたら、時間の無駄になる。僕らは追われる身なのだ。もう一秒すら惜しい。

「キョウ、よく考えてくれ。ルナにはアリバイがあるし、第一ここでお前を襲えるような権限も与えてない。彼女はあくまで僕のサポート役だ」

「……はあ、分かったよ。今はそんなことしてる場合じゃねえ、って顔してるもんな、お前。だが覚えとけ、これ以上逃げるとしても、元凶が明らかになんないと同じことの繰り返しだ」

「それは分かっている。けど、捕まったら元も子もない。アリアは、誰にも渡せないんだ」

「レイ様、それで、アリア様は……?」

「部屋にはいなかった。どこにいるのか、まったく検討がつかない」

「一人で出歩かれたのでしょうか、私たちがいないのを心配して……?」

「さすがにあの短時間でアバターデータごと一気に抜かれたとは考えられない。アリアはまだ、この街にいるはず……ん?」

 コンピューターに手を伸ばそうとした僕は、机の上がやけに荒れていることに気が付いた。キョウは整理整頓が苦手なタイプではあるが、明らかに誰かが書類を読んだような形跡がある。

「なあ、ルナ。お前が来た時、机の上はどうなってたんだ?」

「ファイルは開いたままでした。ログインの場所で止まっていたかと思います。あと、キョウの手記がその書類の下に……」

 ルナがそこまで言いかけたところで、いきなり動いたのはキョウだった。手記を手に取ってぺらぺらと捲ると、彼は真ん中辺りのページで手を止めた。

「写真がないな。誰かが持って行ったか」

 キョウが苦々しい表情を浮かべる。彼のそんな態度に、僕の胸騒ぎは大きくなる一方だった。

「……写真って、どの写真だ」

「決まってんだろ、オレたち四人の写真だよ」

「アイカと最後に撮ったあれか……いや、誰が何のために」

 僕が首を横に捻ると、キョウもお手上げという風に肩を竦めた。僕たちの間にそもそも裏切り者なんているのだろうか? 何かが引っかかるような気がしていると、ルナが手を挙げた。

「あの、一ついいでしょうか。もし、アリア様がその写真を見たとしたら、どうなるんですか?」

「アリアのアバターデータには、過去のことを思い出せないようにプロテクトを掛けてある。だが、想定外の出来事がどういう事態を引き起こすかは、僕にも正直分からない」

 現実に身体がある僕たちとは違い、アリアは電脳体だ。彼女の記憶をもとに構成されており、そもそもデータの中でしか生きられない。そのうえコンピューターに直接干渉できてしまうのが危険なために、アリアには自分が人間だと誤認させるしかなかった。彼女が自分の正体に気付くようなことがあれば、アリアとしての存在自体も危うくなってしまう。組織を逃げてきた僕には、もう彼女のデータを再現する方法はない。

「ルナ、青の街のバックアップを作る。サーバーに接続を――」

 僕がそこまで言いかけたところで、突如管理室の床が揺れ始めた。ありえない、ここは電脳空間だ。地震なんて起こるわけがない。

「レイ様、これは……」

 ルナが愕然とした表情で前を指さす。モニターに映る青の街の全てが、大きく振動していた。僕の想像を超える事態が、既に止められないところまで来ているのをひしひしと感じる。

「アリアを探すしかない。キョウ、お前はここに残って原因を突き止めてくれ。ルナは僕に付いてこい。アリアを探しに行くぞ」

 だが、このまま終わらせるわけにはいかない。僕は拳をぐっと握った。

 

 

崩壊

 

「ぐ、弾かれたっ! アイツ、姉さんの歌で不意打ちなんて汚いこと……!」

 あたしは付けていたヘッドホンを首にかける。パソコンのモニターにはエラーの文字が浮かんで、あの空間とのアクセスが遮断されてしまったことが分かった。私は手元のコントローラーをグッと握る。

「問題ないでしょう。彼の反応を見る限り、アイカさんのデータがあることは間違いない。しかしメグミさん、姉を取り返すというのは……」

「は? いや、決まってるでしょ? あんな悪人の手に姉さんを渡したままなんて、ありえないから!」

 あたしは姉さんと、長いこと会えていない。子供の頃、あたしたちは戦争に巻き込まれて、その時母さんは行方不明になった。避難先から施設へと預けられたあたしと姉さんは、暫くそこで過ごしていた。だけどある朝あたしが目覚めると、隣で寝ていたはずの姉さんの姿がどこにもなかった。そして施設の人から、あたしに渡されたのは一枚の手紙だった。

 

『メグ、一緒にいられなくてごめんね。ある人に誘われて、働きに出ることにしたの。もう会えないかもしれないけど、メグの分も頑張って働くから。強く生きてね、メグ』

 

 姉さんのその言葉通りに、あたしの元には毎月しっかり施設にいられるだけのお金が届いた。姉さんがどこに働きに行ったのか、あたしは全然知らないし、知らされることもなかった。

 転機が訪れたのは、あたしが大人になってから。施設から自立したあたしは、都市部で職に就いてそれなりの暮らしをしていた。駅前のモニターに映っていたシンガー。その人の歌声が、あたしの姉さんにそっくりだった。顔は全く違うけれども、いくらどれだけ会っていなくとも、自分の姉の声を聞き間違えるはずがない。早速あたしは「セリカ」と名乗るそのシンガーのライブ会場に乗り込もうとして、警備の人に止められた。その時に出会ったのが、今隣にいる警察官のジュンだ。

 聞けば彼は、セリカの経歴に怪しい点が多すぎることに疑問を持ち、独自に調査を進めているらしい。チャンスだと思ったあたしは、行方不明になった姉がいること、その姉の声がセリカにそっくりなのだということを話した。ジュンはそれを聞いて、あたしの持っている情報が欲しいと持ち掛けてきた。

 利害が一致したあたしとジュンは、その日から協力関係を結ぶことになった。そしてあたしは、セリカというシンガーに隠された謎、どうやら姉さんがジュンの追っている違法な組織に属していたことを知った。組織を追い続ければ、姉さんが何故別人として生きているのか、それが分かると思っていた。

 しかし、あたしたちがたどり着く前に姉さんは事故で亡くなってしまった。犯人は車を乗り捨てて逃走し、未だに見つかっていない。姉さんのためにも、あたしは何としてでも組織の手がかりを見つけたかった。

「姉さん、あたしを育てるために手を汚してたんだ。そんなことさせてたやつらになんか、姉さんのデータは渡せない」

「それはそうかもしれませんが、しかし……」

 実のところ、あたしとジュンの捜査には限界があった。行き詰まっていた時、急にアイカを名乗る人物からあたしの古い端末にメールが届いたのだ。一体どういう手を使って連絡してきたのかは分からないが、それはあたしにとって最後の希望だった。あたしの姉の名前がアイカであることを知っている人は、それこそ今ではジュンぐらいだ。あたしがメールを開くと、そこには電脳空間へと繋がるリンクが貼り付けてあった。あたしたちは急遽モニターを用意して、自分のアバターをコントローラーで動かすことにした。意識をフルダイブさせる機械はとても高価で買えないが、電脳空間を画面に映すことぐらいならできた。

 もっとも、あたしたちを待ち受けていたのは、姉さんではなく組織側の人間だったみたいだけれど。

「どうしますか、一度弾かれてしまいましたが」

「あれが姉さんなら、もう一度メールが来るはず。だって追い返されて話せてないわけだし」

 メールに記されていたのは、リンクだけではなかった。にわかには信じ難いが、送り主が自分のことをデータとなったアイカ自身だと主張していたのだ。そうなると姉さんは電脳空間で、二年ほど生きながらえていたことになる。姉さんを名乗る人物が言うには、自分をデータとして生かしたのはネレイドという男らしい。あたしたちが下っ端の構成員から失踪の情報を掴んでいた人だった。

「ネレイドを捕まえられれば、俺も組織にぐっと一歩近づけますし、何としてでもこのチャンスをものにしたいですね」

「……あんたも相当組織に対して執念持ってるよね」

「彼らの暗躍を許していれば、メグミさんのお姉さんのような悲劇を繰り返すことになります。それは俺にとって、許し難いことですから」

「まあ、そりゃそうなんだけど……」

 あたしと姉さんを引き裂いたのは、紛れもなく組織の人間だ。これまで姉さんの仇を討つぐらいの気持ちでいたけれど、ジュンは純粋に正義感で動いているように見える。彼からしたら、あたしみたいな人間もあまり好ましくないのかもしれない。はあ、と溜息を吐いて、あたしはモニターに向き直る。その直後、ピロン、と通知が鳴った。

「……来た!」

「本当ですか!」

 あたしは即座にメールを開く。ジュンが身を乗り出して、隣から画面を覗き込んできた。メールの中身には、先程と同様に電脳空間へのリンクと文章が添えられてあった。

 

『ごめんね、まだこの身体に慣れていないから、他の人に気付かれてしまいました。もう一度繋げるので、彼らの気を引いてくれる人がいるうちに、こちらに来てもらえると嬉しいです』

 

「……姉さんにも協力してくれる人がいるってことなの、これ?」

「さあ、俺には分かりませんが、急いで入った方が良さそうですね。時間稼ぎにも限界がありそうです」

「よし、それならもう一回……!」

 あたしがリンクを開くと、モニターの画面が瞬時に切り替わる。今度はどこか、建物の中のようだった。ヘッドホンを付け直し、周りを見渡しつつマイクで呼び掛けた。

「姉さん、あたしだよ、メグミ! 会いに来たよ!」

 スティックでカメラを動かしても、姉さんの姿は見えない。ヘッドホンを通じて隣にいるジュンの感心したような声が聞こえてきた。

「しかし、本当によくできているマップですね。敵ながら凄まじいものを感じるというか、これだけの技術力があれば他に活かすこともできただろうに」

「いや、惚れ惚れしてる場合じゃないでしょ。リアルすぎてて怖いって思うのは、まあまあ分かるけど。姉さんを探さないと……ん?」

 あたしたちの喋り声以外にも何かが聞こえた気がして、ボリュームを上げる。音の方向にアバターを進めると、段々とその正体がハッキリしてきた。歌だ。姉さんの歌声だ。隣に座るジュンと頷きあって、外に繋がる扉を開ける。

 そこは、広い庭園だった。その奥に白ワンピースに身を包んだ女性が立っているのが見える。見間違いようもない、アイカ姉さんそのものだった。

「姉さん!」

 あたしがマイクに向かって叫ぶと、姉さんは歌うのをやめてこちらに近付いてきた。意味もないのに、画面を食い入るように見つめてしまう。

「久しぶり、メグ。それと、ジュンさん、ですね」

「な、俺のこともご存知なんですか?」

「はい。いや、実のところ、勝手に情報を覗いてしまったんですが……協力者から教えてもらったんです」

「なるほど。協力、というのは?」

「……私たちが、きちんと終われるように。そのために手を貸すと言ってくれました」

 終われる……? 一体なんのことだ。あたしは姉さんを取り戻す可能性に賭けて、もう一度ここに来たんだから。

「姉さん、一緒に帰ろう。あたし、姉さんと一緒に暮らせるなら、何でもできるから! データでもなんでもいい、あたしたち、姉妹でしょ?」

「メグ……」

 画面の中の姉さんは、何故か悲しそうな顔をした。まるで、あたしたちの世界と、姉さんの世界とは、越えられない隔たりがあることを思わせるような、どうしようもない悲しみを宿した瞳だった。

「メグミさん、あなたのような民間人が、アイカさんのデータを持つのはとても危険です。最悪、命の危険に晒されることもあるかもしれない。亡くなっていたとしても、組織の人間なのだから」

「……っ、じゃあ、あたしは黙って姉さんがあいつらと一緒に行くのを眺めてろって言うの!?」

「メグ、違うの。もう、私は全部終わらせるつもりだから。ジュンさん、あなたにお願いがあります」

 姉さんが自分の胸の前で手をスライドさせると、英数字の羅列が現れた。ジュンはそれを見て、驚いたように目を見開く。

「これは……!」

「私以外のこの街の住人は、コールドスリープで眠りについて意識を繋いでいますから。これは彼らが眠っている建物のある場所です。この場所に行けば、捕まえること自体は簡単だと思います」

「どうして、俺にこれを? 味方を売るような行為じゃないですか」

「あなたが信頼のできる人間だと、私が思ったからです。お願いします、彼らを捕まえて下さい。きっと、あなたにとっても有益な情報を持っているはずですから」

「……ですが、しかし、組織の人間がそう簡単に口を割るでしょうか」

「それを今から、説得します。こんな悲劇を繰り返さないためにも、私と彼は話さないといけないんです」

「……分かりました、そこはアイカさんにお任せしますね」

「待ってよ、姉さん、姉さんが終わらせるって、これからどうするつもりなの?」

 あたしは耐えられずに、そう聞いた。姉さんは困ったように、一瞬視線を逸らす。かなり言い淀んでから、姉さんは口を開く。その時間が、本当に気が遠くなるほど遅く感じた。

「この街を壊す鍵になって、皆を現実に帰す。私にしか、できないことだから」

「それじゃあ、姉さんは……」

「私はこの世界でしか生きられないから。街と一緒に、消えることになると思う」

「そんな……」

 愕然とした。やっとの思いで会えたのに、再会を喜ぶ間もなく別れなければならないのか。どうして、あたしたち姉妹がこんな辛い目に遭わなければならないんだろう?

「今の私、組織を出るまでの記憶しかないの。だから正直、現実の自分が死んでるって知らされた時、信じられなかった」

 姉さんは俯いて、大きく溜息を吐いた。

「まあ、どっちにしたって、現実の私は記憶を消されてたから、メグのこと見ても分からなかったと思うの。だから、こういう形でも、もう一回話せたのは嬉しかった」

 アバターのあたしの肩を、姉さんはぽんと叩いた。本当は、直接触って欲しかった。もう一度、姉さんに手を握ってもらいたかった。一緒に同じ布団で眠りたかった。

「向こうの私は、ちゃんと自分の夢、叶えられたのかな。自分の歌で、たくさんの人を幸せにできたのかな」

 ダメだ。この問いに答えたら、きっと姉さんは行ってしまう。ずっと話していたい。姉さんとずっと一緒にいたい。

 

「……姉さんの歌声、ちゃんと、たくさんの人に届いてたよ」

 

 口は勝手に、そう言葉を紡いだ。

 あたし、本当に大馬鹿だなあ。

 

「ありがとう、メグ。それにジュンさんも。後のことはよろしくお願いします。私、行きますね」

「分かりました。お任せください」

 姉さんはジュンの返答に小さく頷くと、あたしの横を通り過ぎていった。それと同時に、モニターの映像がぐらぐらと揺れ出した。ヘッドホンからは地鳴りのような大きな音が響いてくる。

「姉さん、何して……!」

 あたしが咄嗟に振り向くと、姉さんはこちらを向いて笑っていた。庭園が崩壊する。立っている場所を失ったアバターが、下に落ちていく。姉さんのいる場所が段々と、遠くなっていく。

 姉さんの唇が、じゃあね、と動くのが見えた。

 

 

フィリアの残響

 

 地面がひたすらに揺れる。一歩進むごとにバランスを崩して仕方ない。僕の隣を歩くルナも一緒なようで、ふらつきながら青の塔内部を進んでいた。青の街が唸りを上げて沈んでいくのと共に、この塔もところどころが崩壊しているのが見えた。

「マップも作り直しになりそうだな、これは……」

 事前にバックアップのひとつでも取っておけば、こんな事態になっても焦らずに済んだだろうが、起こってしまったことは仕方がない。

「レイ様、またあの御二方が……」

「ちっ、こんな時に!」

 廊下を進む僕たちの目の前に、再びメグミとジュンが現れた。混乱に乗じてまたログインしたのだろうか。青の街がこんな風になっているのも、彼らのせいなのか?

「何しに来たんだ、お前らは」

 僕が問いかけると、メグミがこちらを見据えて、言った。

「……あんたに伝えに来た。姉さんは、あんたと話したがってる。全部終わらせるって言ってた」

「何だって? あいつが、そう言っていたのか?」

「言ってた。もう、こんなことはやめよう、って」

 やはり見立て通り、アリアは記憶を取り戻しているようだ。であれば、尚更時間がない。先を急がなければならない。僕はメグミとジュンの横を通り抜ける。

「僕はアリアに会いに行く。お前らも、用が済んだならさっさとログアウトした方がいい」

「ネレイドさん、ひとついいですか」

 僕がその場を去ろうとしたところで、それまで黙りこくっていたジュンが声を発した。首だけ振り向き、彼の方を見る。その真っ直ぐな目と、僕の視線とが交差した。

「俺は今から、あなたがたを捕まえに行きます。もし彼女と話すのなら、後悔のないようにしてください」

「……どういう意味だ?」

「これから、きっと分かりますよ」

「そうか。ご忠告、どうも。ルナ、行くぞ」

 ルナは二人にぺこりと深く頭を下げると、僕の隣に再び並んだ。もう、やるべきことは決まった。アリアがこの事態を引き起こしているなら、彼女と話す他ない。

「あの、レイ様。これからどこに向かうつもりなんですか?」

「塔の一番上だ。アリアはバルコニーにいる」

「……先程見て来たのでは?」

「今のアリアは電脳体であることを自覚してるんだ。その気になれば僕らの目の前にいきなり姿を現すことだってできる」

 彼女が対話を望んでいるのに、僕の目の前に現れない理由はひとつ。僕の方から始まりの場所に来て欲しいのだ、きっと。アリアの目覚めたあの部屋と、ステージであるバルコニー。僕らの出会う場所は、そこでなければならない。

「レイ様が見た時にお話すればよかったじゃないですか、それなら」

「……多分、アイツの中でも順番があったんだ。僕と話す用意がしっかりできたなら、きっとアリアは現れてくれるはずさ」

 この振動では、エレベーターは使い物にならない。僕は非常階段に繋がる扉を開けた。手すりを掴んで、一歩一歩、踏みしめるように一段ずつ上がっていく。

 外は綺麗な夕焼けになっていた。青の街なのに、随分勝手なことをやってくれる。日が沈む前に、辿り着けるだろうか。

「あの、レイ様」

「どうした、ルナ?」

「アリア様と話す時、私は控えておきますね。きっと、二人でないと言えないことがありますから。私がお仕えするのは、レイ様が部屋に入る、その時までです」

「……終わるみたいなこと、言うなよ。まだ、取り戻せるかもしれないんだ」

「レイ様――」

 ルナはそこで言葉を切る。階段を昇る僕とルナの足音と、地響きの音が辺りに響き渡って、時間が流れていく。日が沈んでいく。

「――私は、どんなものにも終わりがあると思っています。どれだけ抗っても、あらゆる手を尽くしても、それでも届かないものもあります」

「いや……それもそう、だな。僕は……」

 僕は、彼女のことをどうしたかったのだろう。やってきたこと全てが、全て裏目に出てしまった気がする。彼女をオーディションに参加させたのも、外の世界へと送り出したのも、こうして電脳空間の中で生かし続けたのも。全部、アイカのことを思ってやったはずだった。いや、最初から全て、僕のエゴだったのか? あの時、アイカの気持ちが分かるだなんて言って、歩み寄った時から、全部。

 階段を昇り終え、疲れ果てながら僕とルナはリビングまで辿り着いた。ここで僕らは二年近くを過ごしたのだと、感慨深い気持ちになる。電脳空間では日々の営みの全てがごっこ遊びに過ぎなかったが、それでも積み重ねた日々は確かにそこに存在した。僕は背後を振り返る。これから先、ルナはもう僕の後をついて来ない。

「……行ってくるよ、ルナ」

「行ってらっしゃいませ」

 

 視界が揺れる。寝室を横切って、僕は迷いなくバルコニーに出る。そこに彼女はいた。夕日をバックにして、歌を歌っている。僕らが出会った日に歌っていた、あの歌を。そこにいるのはもう、アリアではなかった。僕が来たことに気づくと、アイカは歌声を止めた。

「……アイカ、来たぞ」

「ふふ、待ってたよ、レイくん」

「思い出したんだな、全部」

「あはは、組織を出る前までだから、全部じゃないよ」

「アイカ、どうしてこんなことをしたんだ? ここでなら、お前は生きていける。僕たちだって、半永久的にお前と一緒に過ごせるんだ」

「……ううん、生きてない。それに私、ニセモノだから」

 アイカはそう言って、寂しそうに笑った。自分の正体を知ってしまったが故に、オリジナルでないことを憂いているのか。

「お前の記憶は、本物だ。ここで重ねた時間も全部、本物なんだ。考え直してくれないか、アイカ。今なら、まだ間に合う」

「無理だよ、レイくん。私がここにいるのは、全部終わらせるためだから。キョウさんからね、全部聞いたの」

「キョウが、お前に教えたのか?」

「うん。四人で最後に撮った写真があったでしょ? あれ、管理部屋で見ちゃって。そうしたら、キョウさんがそこに帰ってきたの。私、咄嗟に隠れたんだけど、すぐ見つかっちゃった。それでね、キョウさん私に言ったの。やっとこの時が来た、って」

「……キョウ、まさかあいつ、一芝居打ったのか?」

「一芝居どころじゃないよ。今までずっと、私とレイくんが、こうやって向き合うための用意をしてくれてた。メグミのアドレスも突き止めて、妹と話すチャンスまでくれたの」

「はは、さすが天才ハッカーだな……」

 キョウは最初から襲われてなどいなかったのだ。ルナに詰め寄っていたのも、アイカがメグミと話すための時間稼ぎだったというわけだ。

「キョウさんね、ずっとレイくんのことを心配してた。レイくんが後悔し続けてたの、そばで見てたから。絶対、直接言わないけど」

「やられたよ、本当……僕とアイカのために、そこまでしてくれたのか」

「うん、ほんと、どうお礼を言っていいか分かんないよ」

 アイカは僕に近付いて、手をきゅっと握った。温もりのひとつもなかったけれど、本来あるはずのない感触はあった。

「ねえ、レイくん。私、言えなかった。あの時、オーディションなんか行かなくても、レイくんやルナちゃん、キョウさんがいるならそれでいい、って。組織にいるのは嫌だったけど、皆と離れるのはそれ以上に嫌だって言えなかったの」

「アイカ……」

「そうしたら、こうなっちゃった。本当の私は結局死んじゃって、皆と会うこともできなくなって。妹も一人だけ残すことになっちゃって。ほんと、後悔ばっかりだよ」

 僕はアイカの手をぐっと握り返して、首を横に振った。日がずんずんと沈んでいく。夜が、近付いてくる。

「アイカが悪いことなんて、ない。僕が悪かったんだ、最初から全部。驕ってた。お前のことを、全部分かった気になってた」

「ううん、いいの。嬉しかったよ、レイくんが私のために色々してくれたの。それまで、ずっと暗い毎日だったから」

 僕の背中に、アイカの手が回される。ぎゅう、と抱きしめられて、彼女の顔が僕の胸元に押し付けられた。

「だから、もういいよ、レイくん。もういいの。これ以上、私のために苦しむことなんて、ないよ。大好きなレイくんだから、もう繰り返さないでほしいの。あなたには、前を向いてほしい」

「……アイカはどうなるんだよ」

「いなく、なっちゃうね。でも、それでもいい。ほんとはもう死んじゃってるんだし、それでレイくんが前を向けるなら」

 アイカの言葉ひとつひとつが、僕の胸に染みていく。彼女はこんなにも、想いを寄せてくれていたのか。それがアイカのものであっても、アリアのものであっても、どちらでも温かかった。

「アイカ、僕も言えてなかった。お前が外の世界に出る時に、邪魔しちゃいけないと思って、好きと言えなかった。だから、言うよ」

 僕は彼女の身体を抱きしめた。強く、強く。存在を感じられるのは、きっとこれで最後だから。

「アイカ、お前が好きだ。今までも、これからも。ずっと、ずっと、お前のことは忘れない。でも、後悔に縛られて生きるのは、これで最後にする」

「……その言葉が聞けて、安心した。それじゃあ、聞いてて、レイくん。私の歌」

 

 アイカの身体が、僕から離れていく。空に手を伸ばして、彼女が最期の歌を歌うのを、僕は黙って聴いていた。儚くて、それでいて力強い歌声だった。そうして街に、夜が訪れる。街の全てが消えて、空に吸い込まれて、星になっていく。

 

「今までありがとう、レイくん。大好きだよ」

 

 意識がなくなる直前、僕の耳を掠めていったのは、アイカのそんな囁きだった。

 

 *

 

 目が覚めると、そこは地下室の中。既にルナとキョウは起きていて、僕の覚醒を待っていた様子だった。街が崩壊し、コールドスリープも強制的に解除され、僕の意識と身体は現実世界へと戻ってきたのだ。

「それで、これからどうするんですか、レイ?」

「どうするもこうするもないさ。直にジュンがやって来るだろ。もう逃げも隠れもしない。罪を償って、前を向いて生きることにするよ」

「ちゃんと話せたみたいだな、レイ。オレも仕込みをしたかいがあったぜ」

「……お前、色々覚えとけよ」

 僕らがそこまで話さないうちに、階段を降りる音が聞こえてくる。扉を開けて入ってきたのはジュンだった。背後には部下らしき人間も数人ほど見える。

「ここで会うのは初めてになりますね、皆さん」

「ああ、そうだな。宣言通り、捕まえに来たってわけか」

「俺の目的は、違法な組織を全て撲滅することですから」

 ジュンはふふ、と爽やかな笑みを浮かべつつ、僕らに手錠を掛けていく。とうとう、捕まってしまった。死ぬまで逃げ切れるつもりでいたのに、現実はそう甘くない。

「どうしてお前は、僕らを追っていたんだ」

「……ああ、そのことですか。この世界から危険がなくなれば、メグミさんとあなたがただって、誰にも狙われずにアイカさんと平穏に暮らせるような日が来るはずですから。俺はそういう世界を目指しているんです」

「……そう、か。分かった。僕の知っていること、お前に全て教えてやるよ」

「それはよかったです。俺としても、手荒な真似はしたくないですからね、なんて。それじゃあ、行きましょうか」

 

 僕らは階段を上がっていく。地上に出ると、丁度朝日が昇ろうとしているところだった。夜は、いつか終わる。どれだけ苦しんでいても、未来は平等に訪れる。

 

 ありがとう、アイカ。お前のこと、僕は一生好きでいるよ。会えてよかったと心の底から思ってる。だから、さよならはまだ言わない。いつか、全ての決着がついた未来でまた会おう。悲しみを乗り越えて、そんなこともあったと笑えるような未来で。

 

 そうして僕は、やっと前を向いた。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定