豊見コトリの静かだった昨日のこと   作:ふぁっしょん

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4063字で、A5縦書き13枚を想定しています。


縦書き文庫構図で調整した原稿そのまま

 懐かしい景色でした。

 いつも微かな音がポツポツと響く、あの図書館。

 利用者の方は大抵散らばって本を読んでいるようで、見えない場所からも、身じろぎの音であったり、ペンが走る音であったりと、耳に届くものがありました。

 けれどそれは微かですから、少し心持ちが変われば届かなくなリます。私はようやく見つけた古書に夢中になって、立ったまま一気に読んでいましたから、その気配には全く気づきませんでした。

 吐息を一つ吹いて、ふと本から視線を外すと、目の端にこちらを向く顔がありました。同じような背丈の女の子で、切長の青い瞳がとても深い色合いの女の子。

 私はなんだか恥ずかしくなってしまって、繋がっていた視線を外しました。すると机の上に珍しいものが留まって、つい、微かに声が漏れました。

 その題名は私が探していた古書のひとつで、正直に表すとかなりニッチな分野に属しています。

 同じ分野に興味を持つ、同じ年頃に見える女の子。

 顔を上げると、彼女の真っ青な瞳に、私の瞳の赤が薄く映り込んでいたことを、今でもはっきりと覚えていまsu。

 そして視線が記憶と同じように上がると、そこには思い返すと今でも思わず笑みが漏れるような、とても綺麗な紫色がやはりあって、私はこれが夢であると悟りました。

 同じ歳で、同じ工学分野に興味を持っていて、そしてとっても博識なあなたに、私は食い気味に話かけています。

 そうです。この時、私が古書について話を振ると、少し微笑んで、とても興味深い工学的研究アプローチについて話してくれて。

 そしてあなたの巧みな語り方に魅了されたんでした。

 筋道の立った、わかりやすく、それでいて聞き取りやすい言葉の連なり。

 あなたの説明はとてもわかりやすくて、それでいて面白くて、興味深くて……

 羨ましい。

 あなたのようになりたい。同じ言葉を並べてみても、私の説明はとても面白そうとはいえなかった。それでも近づきたい……

 何度も練習しました。

 それに、とっても勉強しました。

 私はあなたになりたかったわけではないけれど。

 あなたに……

 そして気づいたんです。

 豊見コトリは「」になることはできないんじゃないかって。

 そう思って、けれど諦めることはできなくて……

 違うアプローチを試すことにしました。

 彼女が狭くわかりやすく説明するなら、私はもっと広く説明してみよう。

 あなたになれなくても、私はあなたに……

 

 ふと、手のひらの痛みで目が覚めました。

 腕をあげてみると、ひどく手のひらに食い込んだ爪が見えました。

 指はこわばっていて、ゆっくりと動かすと関節がきしみます。

 そして昨日、彼女を見かけたことを思い出しました。

 見知らぬ生徒と楽しげに笑い合っている姿が、閉じてもいない瞼に映り込みます。

 

 私は深く息を吐いて、表情をいつも通りのものに変えようとしました。

 鏡でみると、全くもって、普段通りの笑みに見えました。

 けれど気がつくと、手が小さく萎んでしまっていて。

 私は冷たい水を顔に浴びせて、頭を冷やすことにしました。

 廊下に出ると、窓のそとは僅かに明るくて、そしてそこには無表情の少女が映り込んでいます。口を閉ざし、歯を噛み締めて、爪を手のひらに食い込ませている女の子です。

 なんだか見覚えがないような気がしました。

 そしてしばらくしてから、けれどいつもような雰囲気を纏えなかったまま、私は部屋に戻りました。

 手指は緩く伸ばされ、頬も緩んでいます。

 けれど手のひらにははっきりと爪の跡があったので、それを隠すように、少し包帯を巻くことにしました。

 

 その日も、豊見コトリはいつものように振る舞い、いつものように笑えたはずでした。

 全くもって、皆が知ったままの豊見コトリだったはずでした。

 

 ある日、私がいつものようにエンジニア部の部室に入ると、聞き覚えのない声色で話しかけられました。

 猫塚ヒビキのここまで真剣な表情を、私は初めてみました。

 私が驚いて「ど、どうかしましたか」と返すと、彼女はこう切り出しました。

「コトリ、「」さんに会ってみない」

 予想外の言葉でした。

 不自然に硬直した笑顔を動かせないまま、私は口を動かします。

「え、ええと。

 それは「」さんのこと、ですよね」

 できません、と呟こうとして、けれど食い気味にフブキは続けます。

「彼女の友人から話を聞くことができたんだけど……」

「私は」

 思わず遮った声は、ひどく低い。

 私の表情は笑みから全く変わっていなかったはずなのに、おかしいですね。

 でも言葉が溢れて、どうも変えられません。

「決して、彼女に会いたいわけではありません。むしろ会いたくないんです。

 私は彼女に、今の私をみられたくない。

 みせられるようなものじゃないし、みせたいものがないんです」

 フブキが少し押されたようにのけぞって、けれどこちらに、変わらず真剣な表情で語りかけました。

「コトリ、彼女自身が会いたがっているんだよ」

「だから会いたくないんです! 絶対に、笑顔が消えるところだけはみたくない! 

 私が、私は「」に見合うほど上手く喋れないし、だから……だから」

 笑ってくれない。

 気がつくと漏れていた声に驚いて、私は自分の口を塞いで、俯きました。

 ひどく胸が苦しい。

 頭がきんと冷たくなって……

 そして扉が開く音がして、そこから静かで、しかし耳に残る声が響きました。

「それじゃあ初めから笑っていなければいいのかしら」

 「」がそこに立っていました。

 気がつくと、私は彼女を見ていました。

 「」をまっすぐとみるのは、随分と久しぶりですね、なんてことを思いました。

「私はあなたの説明が上手だろうが下手だろうが、聞いていて笑みを浮かべれるから、あなたと話していたのよ」

「」は鉄でできたような無表情のまま、小さな口を動かしました。

 やはり透き通るような声色でした。

「コトリ、ひとまず聴きなさい。

 はっきり言うけれど、私のことを嫌ったから離れたのだと思っていたし、だから会わなかったわ。ですからあなたが私を嫌っていない以上、私に会わない理由はない。

 そしてあなたを思いやる気もなくなった」

「え!?」

 思わず口から声が漏れました。

 ですが「」は全く表情を変えません。

「当然でしょう、あなたはこちらを慮るばかりに余計なことをしでかしたのよ。私が同じ轍をゆく道理はないわ。

 これからは勝手にそっちへ行くから」

 急展開に混乱に陥った豊見コトリは、しかししばらくの沈黙のあと、はいと答えを返しました。

 私はそんな自分を、どこか遠くからみている気がしました。

 

 次の日、私は混乱を引きずったままで、エンジニア部の部室に向かう最中も、我ながらそわそわと、ポケットの中のスマホを触っていました。

 指先で弄る画面の奥には、新しく追加された連絡先があります。

 昨日の夜からずっとそうでした。送る文言も思いつかず、つい睡眠不足になってしまいましたから、少し頭が重い気がします。

 考えのまとまらないままの私は、どんな表情なのか、ちょっと不安でした。

 ですがなるべく普段通りに振る舞いたい、なんてことも思います。

 ですから部室の扉を開いてすぐに挨拶をしようと口を開いて、けれどそこからは、ただ細い息だけが漏れました。

 「」が私の机のそば、私がいつも使っている椅子の上で、ヒビキの作業を見ています。

 じっと、動かない視線。

 気がつくとウタハ先輩が側にいて、小さな声でささやきました。

「君の作業を見たいんだって」

 私はびっくりしてしまって、返事をしないまま勢いよく先輩の顔を見ました。

 先輩は微笑んで、指をさします。

 「」がやはり、私の椅子に座ったまま、こちらを見ていました。

 

 ぎくしゃくと近寄って、先日までやっていた作業を始めます。

 口を開いたり閉じたりするのがやめられないのに、言葉は「ああ」とか「ええと」のようなものしか出てこなくて、そして視線もふらふらと彷徨います。

 ふと「」をみると、私の赤い瞳が彼女の青い瞳に映り込んでいるのをみて、慌てて焦点をずらしました。気恥ずかしさから顔が熱くなってきます。

 「」は気にした素振りも見せないまま黙っていますから、再び私はチラリと視線を向けました。やはり、こちらをじっと見ています…… 

「あ、あのですね!」

 私はつい口を開いてしまいました……

 そこからどう喋ったのか、はっきりと覚えていません。

 ただ、「」の微笑みと、あの青く澄んだ視線だけが記憶に残っています。

 気がつくと作業は終わっていました。

 手元から視線を外すと、「」は笑みを深めて、ちょうどいいし、お昼にしようか、と言いました。

 びっくりしてしまって、私はつい視線をあたりに彷徨わせました。

 確かに時計はちょうどいい時刻です。そしてエンジニア部の皆は笑顔で黙っています。

 ギクシャクと頷くと、「」は私の手を引きながら立ち上がりました。

 私はもう、ついていくほかのことを考えつきませんでした。

 

 布団に包まり目を閉じていることに、ふと気がつきました。

 瞬く間に時が過ぎてゆくという言葉は、比喩ではなく全くもって正しい表現です。

 微睡はまだ遠く、すぐそばに記憶が寄り添っていますから、私は瞼の裏、あるいは頭の奥深くで、今日を振り返りました。

 鮮やかに浮かび上がってくるその景色、音、そして言葉に、私の感覚はだんだんと鋭敏になっていきます。

 そしてついに、目が冴えてしまいました。

 私はばっと跳ね起きて、机に向かいました。

 取り出したノートに、ペンが走り出しました。

 まるで遠くから覗き込むような気持ちで、私は豊見コトリが書いている言葉をなぞります。

 腕の動き、みじろぎ、髪を弄る指先、足を伸ばした時の微かな音。

 「」の声、眼差し。

 そして豊見コトリの言葉。

 ぴたりと、動けなくなりました。

 その文字から滲み出す記憶に、どこかが奇妙な痛みを訴えます。

 口の中がいやに甘くなって、ふと、それが血だと気がつきました。

 歯が舌の端をかすりながら、強く噛み締めあっていますから、私は口を開きました。

 すると大きな吐息が漏れました。

 息をすることを忘れていた体が苦しみを訴えましたから、しばらく荒い呼吸を続けると、その音がやけに耳に残って、私はいやになりながら、けれど動かず、その場に立ちすくんでいました。

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