ノアはある人物について考えていた――
1話完結です。


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硝子に映る歪な笑顔

私は今まで性行為と呼ばれるものに興味を感じた事が無かった。

年頃と呼ばれる年齢ではあるが、あくまでも性行為というものは子孫を残す為の行為か小説等での登場人物達が愛し合っている事を示す表現としか捉える事しか出来ず、自分自身がそれを意識する事は一生無いのだろうと思ってしまう程、遠い存在であったのだ。

でも、そんな私が。

生塩ノアが、嫌と言うほど性を意識するとは思いもしなかった。

 

 

 

私が先生と初めてシャーレで出会ったのは約半年前で、直接会って話すまで先生がどんな人物なのかは、ユウカちゃんからの愚痴で聞いた『あの人は金銭感覚がゆるすぎなの!』とか『私が手伝わないと仕事以外何にも出来ないの!』などの偏った情報だけしか知らず、そんな人が本当に先生として務まるのかと思っていた。

だがユウカちゃんの話すトーンや表情から伝わってくる感情は明らかに楽しげで、悪い人ではない印象を持っていた。

 

 

 

だが同時に私は先生に嫉妬した。

ユウカちゃんはミレニアムの生徒達からはセミナーの会計であるため立場上恐れられており、常に合理性を追及し、規則に基づいて行動する姿は堅物そのもので、話しかけずらいのかもしれない。

だが、本来は面白いくて可愛くてからからかい甲斐がいある素敵な女の子だ。

 

私の大切な友達。

そんな大切をぽっと出の大人に奪われたのだ。

嫉妬しないわけがない。

最近耳にした噂ではセクハラ行為を働いたらしい。

信頼性のある情報ではないが、本当であればユウカちゃんの身が危険だ。

私の可愛いユウカちゃん…。

そう言えば私のシャーレ当番がそろそろでした。

もし何かあれば直ぐに報復してあげるとしましょう。

ふふ、お会いするのが楽しみですね先生。

 

 

 

ほどなくして、私にシャーレ当番が回ってきた。

シャーレ当番についてはユウカちゃんから詳細は聞いていた為、何の気なしにシャーレの執務室のドアをノックする。

 

「こんにちは、先生」

 

自然な笑みを浮かべ挨拶を交わす。

先生は高身長のイケメン…等ではなくスーツを着ていなければ一般人と変わらない、素朴な見た目の男性だった。

話し方も声も普通で、特に秀でたものを感じはしなかった。

ただ、他生徒が話していたもう一つの噂、『先生と一緒にいると安心する。』といった気持ちは何となくだが理解出来た。

ユウカちゃんは本当にこんな人が好きなのでしょうか?

簡単な自己紹介を終え、とりあえず仕事を始める事にした。が、今日の仕事はほとんど終わっているらしく、手持無沙汰な私に普段している事をするのはどうかと先生に打診を受けた。

 

「それでは、ここで起きることを主観なく記録させていただきますね」

 

私は先生の行動を記録する事にした。

こじつけかもしれないが、書記という立場を利用した人間観察だ。

 

意地悪な事しちゃいました。

でも、先生が悪いんですよ?

私のユウカちゃんを奪ったんですから。

 

先生は怒るだろうか。

気味悪がるだろうか。

そう思いながら、黙々と記録を進める。

最初は記録を止めるよう抗議してきた先生だったが、最終的に困惑しながらも記録される事を受け入れてくれた。

いつか貴方の本質を暴いて見せますからね、先生。

 

 

 

またしばらくして二回目のシャーレ当番がきた。

今回も仕事が特に無いとの事だったので記録を行おうとしたら、先生も私の事を記録する等と言い出してきた。

私の真似をするなんて、不思議な人。

それとも書記を侮っているのでしょうか?…いいでしょう。受けて立ちますよ、先生。

先生は一生懸命私を見つめて紙に何かを書いていた。

一体何を書いたのでしょうか。

あれ?私、入る前に服装は整えていますよね?

見られる方には慣れていないので、少し恥ずかしいですね。

そんな事を考えながら30分ほど互いに見つめ合った。

ら先生が先にギブアップした

ふふ、危なかったです。では一回服装等を確認しに行きましょうか。

筆記用具の補充と名目を付けて、私はトイレに駆け込み身だしなみを隈なくチェックし、問題ない事を確認してから執務室へ戻った。

 

 

 

その後も何度かシャーレ当番を経験し、互いの記録にも慣れてきた頃だった。

 

「こんにちは、先生。今日もよろしくお願いしますね」

 

いつものように執務室へ入ったが、そこに先生はおらずいつも私を記録しているノートが先生の机の上に置いてあるだけだった。

トイレでしょうか。

いつもの定位置に座って待つことにしたが暫く立っても先生は戻ってこなかった。

急ぎの用事でも起きたのでしょうか。

 

「…暇ですね。」

 

チラリと先生の机を見る。

…私を記録したノート。

前から気になってはいた。

だが、先生が私の書いたノートに反応を示した事が無いため、私も気にしないようにしていた。

今なら、見れる。

そう思うと、自然に身体が動いた。

先生は、私の何を記録しているのでしょうか。

私の事を先生はどう思っているのでしょうか。

ノートを掴む、もう後戻りは出来ない。

唾を飲み込んでページを開いた。

 

 

[ノアと談笑する。ユウカの話になると口角がいつも以上に上がる。とても楽しそうだ本当に仲が良いのだろう。]

 

 

[猫舌なのかコーヒーを飲む時の一口目はほんの少しだけ飲む。可愛い]

 

 

 

「なななっ、なんですかこれは…?」

 

そこには、私自身ですら知らなかった情報が先生の主観で記録されていた。

ノートを持つ手から汗が滲み心臓から強い脈が走る。

頭が沸騰したと思いえる程熱い。

先生はこんな事を思いながら私を記録していたんですか?

ペラペラと他のページも開いてみる

 

 

[ノアは考え事をする時にペンを顎下に添え、思いつくと嬉しそうな表情をする。愛らしい。]

 

 

正直…先生は私の事を好きではないと思っていた。

だって私は本質を暴くために一方的に記録したりしていたのだから。

 

「愛らしい…」

 

正直、見た目に関しては自信はある。

だがそれは外見だけで中身は違う。

私はユウカちゃんのように笑ったり、怒ったり、泣いたり出来ません…。

自分自身でも可愛げない面倒くさい女だという事は嫌という程理解している。

でも…。

 

 

 

いや有り得ない。

私は…恋愛感情など持てない人間であるはずだ。

 

「ノア!この映画結構感動したから良かったら観てみて!私何度も泣いちゃった」

 

昔ユウカちゃんが恋愛映画勧めてくれたことがある。

それを借りて自室で観てみたが、まったく共感出来なかった。

この作品が私に合わなかっただけでしょうか。

その後図書室で何冊か恋愛小説を借りて読んだが結果は同じだった。

恋とは何だろう。

何故求め合うのだろう。

何も感じないのであれば、きっと私には不要なものなのだろう。

 

 

 

そうであったはずなのに…。

どうして胸は張り裂けそうに鼓動しているのだろう。

どうして頭の中は先生の事でいっぱいなのだろう。

どうして顔が熱いのだろう。

 

「…ずるいですよ先生。こんなの見たら…次から変に意識しちゃうじゃないですか」

 

 

 

 

急に携帯から通知音が鳴った。

思わず身体を飛び跳ねて反応させてしまう。

内容を見ると先生からだった。

 

『ごめん。緊急案件でシャーレに戻れなくなっちゃった。今日はもう帰っていいよ。』

 

胸をなでおろす。

…よかった。

先生が今来たらまともに目を合わせられなかったです。

 

『承知いたしました。今日はもう帰りますね。』

 

そう返信した後、私はそそくさとシャーレからミレニアムへ戻る事にした。

こんな所に居たら、気がおかしくなってしまう。

一秒でも早く戻って仕事をして忘れたい。その一心で。

 

 

 

それから数日が経った。

あれは一時の迷いで本心ではないはずです。

そう自分に言い聞かせていたが、私の頭はまだ先生でいっぱいのままだった。

幸いセミナーの仕事中はそちらに集中する事が出来たので睡眠すら忘れて没頭した。

お陰でかなり先の仕事まで進める事が出来たが、それ以外は全て先生の事ばかりで、何も手に着かなかった。

私はおかしくなってしまったのでしょうか。

ふと、自室の鏡を覗いてみた。

そこには見慣れた顔が映し出されている。

少し微笑んでみる。

あれ、私はこんな顔をしていたでしょうか?

こんな顔で先生に会えない。

頬に指を充てて修正を試みる。

こんな感じでしょうか?

指を外して再度挑戦してみる。

だが先ほどより歪な顔が映し出されていた。

 

「…ふふ。何をしてるんでしょうか私。馬鹿みたいです」

 

何故こんな事をしているのだろう。

やはり私はおかしくなってしまったようだ。

笑顔一つにすら自信が持てないなんて。

こんな私を先生が選ぶわけがない。

仮に私が結ばれたとしてもユウカちゃんを裏切り行為だ。

先に先生の事が好きになったのはユウカちゃんだ。

ユウカちゃんを悲しまるくらいなら、この気持ちをしまっておく方が何倍もマシだ。

そう必死に頭の中で何度も唱えて、気持ちを否定する。

 

「私は…どうしたらいいのでしょうか」

 

 

 

 

それからまた数週間が経った。

私はユウカちゃんを応援する事にした。

恋などやはり私には似合いません。

それに私よりユウカちゃんの方が先生とお似合いだ。

そう思うと好きという気持ちが面白いほど薄れていったので、今までの気持ちは一時的な気の迷いだったという事にした。

 

 

 

その日も私はシャーレの当番に就いており、仕事がひと段落して先生と談笑していた。

応援すると決めてから、私は記録し合うのを止めるにした。

ノートを覗いた事は伝えず、適当に飽きたから等と理由を付けた。

先生は「ノアがそれでいいならそうする」と了承してくれたので内心ほっとした。

それから私たちは記録ではなく話をする事にした。

好きな小説は、最近見た映画は、オススメのお店は―

たわいない話題を繰り返しながら残りの書類に目を通していく。

 

「先生は誰が一番好きですか?」

 

「うーん…皆私の可愛い生徒だからね。順番はつけられないな」

 

「ふふっ…やはりそうですか」

 

「この質問、最近よくするけど答えは変わらないよ?」

 

「でも、先生がキヴォトスに来てから様々な生徒と交流されたと思います。その中で惹かれるような、そんな人はいませんでしたか?例えば…ユウカちゃんとか」

 

「ぶっ!なんでユウカが出てくるんだ」

 

「ふふ、でも実際ユウカちゃんとは付き合い長いですよね?それによく絡んでいる所を見ますし私から見てもお似合いのお二人だと思いますよ」

 

「ユウカかぁ…」

 

 

先生は人差し指の付け根辺りを顎先に付けた。

これは…思い出している時の仕草ですね。

 

「まぁ確かにユウカとは就任してからの付き合いだし、色々と世話になってるし一緒にいて楽しいんだよね」

 

先生が笑った。

これは本心からの笑い。

胸がズキズキと痛みだした。

…自分から言い出して置いて私は何を落ち込んでいるんでしょうか。

私は…私は先生とユウカちゃんには幸せになってもらいたいのです。

この痛みは嘘です。

何も感じていません。

 

「次ユウカちゃんとお会いした際に言ってあげてください。きっと喜ぶと思いますよ」

 

我ながら良く口が回るなと感じる程、言葉が出てきた。

発した言葉に噓は無い。

だが胸の痛みは増すばかりだ。

 

『私の事はどう思っていますか?』

 

言えるわけがない。

それはユウカちゃんへの裏切り行為だ。

それに少しでも先生が拒絶反応を見せるものなら立ち直れる自信が無い。

出来る限り書類に意識を移して気持ちを切り替えよう。

そう思っていた時だった。

 

「でも、それはノアも同じだよ」

 

「はいっ?」

 

「ユウカ程ではないかもしれないけどそれなりに長い付き合いだと思ってるし、ノアには沢山世話になってるよ。それにね…ノアと過ごす時間、結構気に入っているんだ。カレンダーに書いておくくらいにね」

 

先生が卓上に置かれたカレンダーを手に取ると数か所の赤点を指さした。

他にもカレンダーには様々な色の点やマーカーが引かれているが、赤点に関してだけ記載が特に書かれていなかった。

 

「この、赤い点が私の…マークですか?」

 

「分かりやすくチェック入れると他の生徒達に詮索されそうだからね。あっ!これ、ここだけの内緒にしてね?」

 

そう言って先生はしぃーっと分かりやすくジェスチャーをした。

優しく微笑むその表情から得られた情報は今の私には熟した果実よりも甘く危険な味がした。

 

 

 

私は先生にとって特別……

二人だけ秘密…

 

 

 

溜め込んでいたいた感情が決壊したダムのように放出していく。

何故自分を否定していたのでしょうか?

先生はこんなにも私を愛してくれていたというのに。

先ほどまで正常に機能していた賢い頭脳は、気が付けばそんな思考で埋め尽くされていた。

もう、色々考えるのは辞めにしましょう。

どうしたら先生が私のものになるか。

それだけを考えましょう。

 

 

 

「わかりました。これは先生と私の秘密です」

 

「ありがとう。おっと、もうこんな時間か。今日はありがとうノア!次回もよろしく頼むよ」

 

「こちらこそありがとうございました…先生♡」

 

「おつかれ!………あれ、帰らないの?」

 

「そうだ先生、この後ご予定はありますか?」

 

「え、今日は仕事もひと段落したしもう寝ようかなーって」

 

「実は最近ミレニアムで流行っている紅茶がありまして良ければこの後ご一緒に飲みませんか?リラックス効果があるのできっと熟睡出来ると思います」

 

「じゃあ…せっかくだから貰おうかな」

 

「ふふ♡良かったです。では一旦取りに戻りますので必ず起きて…待っていてくださいね?」

 

「うん、わかったよ」

 

 

 

 

先生がいた部屋を後にしてエレベーターへ向かった。

信じられないくらい気分が高揚している。

自分が自分じゃないかのようで、何故かそれが嬉しくて可笑しくてたまらない。

 

「ふん~ふふふん~♪」

 

私は、気がついたら鼻歌を歌っていた。

暫くするとエレベーターのドアがゆっくりと開きだすと同時にエレベーター内の真正面に設置された鏡に整った顔立ちの白銀の髪を持つ少女が映し出された。

エレベーター内まで入った少女は鏡を見つめると、ゆっくりと微笑んだ。

それは誰もが振り返るような、美しい微笑であった。

 

「ふふ、待っていてくださいね。私だけの先生♡」


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