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「こちらの指揮は私が引き継ぐ。君は明日からヴィクトリア地区の方へ応援に行ってくれ」
「了解しました。少々面倒な相手がいます。くれぐれもご注意を」
「ああ。忠告痛み入る」
では、と言って去っていくオペレーターを見ながら、ようやく肩の荷を落とす。
……ひとまず、今日の分のタスクはこれで終わったはずだ。
ここの所―――といっても、もはやどのくらい経ったのか忘れてしまったが―――私の業務は終わる気配のないほど積みあがっていた。ここにきてようやく一息つけるといったところだが、恐らくはもう何時間もしないうちに、新たな緊急処置が必要になる事態が起こるだろう。こんな日常に少し嘆息する。
私が石棺で目覚めてから、もう五年は経っただろう。これまでの間、ロドス・アイランドはあまりにも多くの激動を経験した。そしてその中で、新たな出会いもあれば、別れもあった。
ロドスが失ったものはあまりにも大きい。だがそれを悔いている暇はなく、むしろ新たな地で、新たな人々の悲鳴が絶えず聞こえてくる状況にあって、我らに休む時間など存在するはずもなかった。
ただ、失ったものと同様に、得たものも大きいのは事実だ。現在ロドスは、多国間協力協定の立役者となることで、このテラの地の多くで、以前とは比べ物にならないほどの行動権限を得ることに成功した。さきほどのオペレーターに指示したヴィクトリア地区での活動が最も顕著であり、我々が摂政王の統治下にあったロンディニウムへ足を踏み入れたときとほぼ真逆の待遇を受けている。ここまでに数多の犠牲を払ってきた訳だが、ロドスの掲げる信念はそれと相対するものに打ち勝ち、現在は多くの国にその価値を認められている。
まあ、ここまでやってきてようやく各国の公認を得られた、というのは成果が釣り合っているのか、時折疑問になることも多いが。
とりあえず一休みしなければならない。前回満足のいく睡眠をとったのは……もう鮮明に思い出せないほど前のようだ。今回も別に熟睡することなど出来ないのだろうが、それでも疲労を少しでも和らげるために、睡眠くらいはとらなければならない。ケルシーや医療部に厳重に注意を受け続けている状況下で、彼女たちの意向を無視し続けるのは不可能に近いのだから。
もはや睡眠場所として定着してしまった執務室に歩を進める。幸いそう遠くない位置だったため、ほどなくして到着。認証キーを入力し、ドアの開錠をする。
「あ、ドクターさん。今日もお疲れ様です」
部屋に入ると、ソファに腰かけていたあるオペレーターが私に声をかけてくる。
鈴のような声、聴くだけでその声の主がどれほど透き通った心を持っているか、すぐに感じさせる声。
スラリとしたスタイル。手足は細く、華奢と言える体型。肌も絹のように滑らかであるように感じさせるもの。まるで人形のようだという言葉は、彼女にこそ当てはまる。
つぶらでありながら、芯を持った目。穏やかさと、ものの奥底を見据えているような深みすら感じさせる瞳。彼女の持つ瞳をひとたび見つめれば、目を離すことは簡単には出来ない。
そして最も特徴的である、背中に生えた九つの尾。とても豊かで、しなやかな印象を与えるその尾は、彼女が浮かべている笑顔に連動してか、どこか嬉しそうに動き回っている。
「……スズラン、来ていたのか」
「はい。少し前に任務が終わったから、ドクターさんの様子を見ておこうと思って。……あっ、やっぱり今も無理してますね」
「ははっ。この程度ならまだ問題ないよ」
「もう。ケルシー先生やお医者さん達にちゃんと休むよう言われてるでしょう。今からでもちゃんと休んでください」
「ああ。休むことにする」
「そうしてください。あっ、ハーブティーとかいかがでしょうか!少しリラックスできますよ」
この短い会話の中で、スズランは何度も表情をころころと変えた。にこやかな様子から、こちらを心配そうにのぞき込み、そして少し怒った様子を見せ、私の言葉を聞いて少し安心したかと思えば、またにこやかに私のことを見つめてくる。
……こういう所は、昔の小さい頃のスズランと、何ら変わりないんだな。
「そうだな、じゃあハーブティーを貰ってもいいかな」
「わかりました。ちょうどいい茶葉が勤務先で手に入ったんですよ。これが香りもいい上に美味しくて。ドクターさんにも飲んでもらいたくて、今日持ってきたんです」
テキパキとした動作でティーセットを執務室の食器棚から取り出して、用意をしていくスズラン。小さい頃はこの動作も身長のせいもあってかそそっかしいところがあったが、今では余裕を持っている様子だ。
そういえば、彼女はサイラッハやホルンにティーセットの使い方やお茶の淹れ方を教わっていたんだった。礼儀や作法に厳格なヴィクトリア人、特にホルンは貴族の生まれということもあって、一流の作法を身に着けていた。そのような者たちを師に持っていたのなら、手際が良くなるのも当然か―――。
などと過去の思い出に思いを巡らせていると、もうスズランはお茶を淹れている所だった。お湯の注ぎ方も、素人目ではあるが優雅なように感じられる。今まで何度かスズランとお茶を共にしたことがあったが、このように動作の隅々まで見ると、成長を感じられて色々と感慨深いものがある。
「はい、ドクターさん。熱めのお湯ですから、気をつけてくださいね」
「ああ、ありがとう」
サービングされたハーブティーが入ったカップを手に取り、まずは香りを確かめてみる。
……甘い香りだ。しかし決して人工的な甘ったるさというものではない。リンゴのような自然な甘さだ。
ハーブティーを口に運んでみる。少し冷ましが足りなかったようで、口の中に若干の痛みを感じたが、まあこのくらいはカップ麺を口の中で調理してきた私からして、なんの問題もない温度だ。
そして味はすっきりしている。どのような味が強いかと言われると、甘さということになるのだろうが、それも控えめであり、喉をすっと通っていくような味わいだ。後味もよく、いい味わいをしている。
「飲みやすくてすっきりした風味がいいな。香りもちょうどいい。すごく気に入ったよ」
「本当ですか!これならドクターさんも気に入ってくれると思って淹れたんですけど、気に入ってもらえてよかったです」
スズランの顔が喜びにあふれる。眩しい笑顔だ。彼女の私への気遣いと、こうやって私の反応を見て喜んでくれる様を見て、とても満たされる気分だ。至極当たり前のお礼と感想を言っただけであるから、ここまで喜ぶようなことはないとも思うが、彼女の笑顔の前ではそういったことを忘れてしまう。
「そういえば、これはカモミールが入ってるんです。寝れないときとか、不安なときとか、あと、最近は寒いですから冷え性に悩まされてるときもこれを飲むと良いんですけど、今のお加減はどうですか」
「そうだな……。なんだか緊張が解けてきたような感じがする。手足にも血がよく巡ってきてるような……」
「あっ、やっぱり手足の冷え性もあったんですね。ちょっと手を貸してください」
そう言ってスズランは私の手を自分の頬にあてがった。
「えへへ。温かいでしょう?先輩の皆さんが私の頬は温かいってよく言ってくれるんです」
「あ、ああ……たしかに温かいが……」
時々スズランはこのように、突然スキンシップをしてくることがある。いや、何人かのオペレーターは、当然のようにそうしてきたことはあったが、スズランはここ最近になって、このような行動を取ることが増えできた……ような気がする。これは私が単に、スズランに小さい頃にも同じようなことをされていたのを、成長した今になって意識してしまっているだけなのかもしれないが……
「どうしました、ドクターさん?なにか問題でも?」
「あぁいや、何も問題はない。とっても温かいな、スズランの頬は」
「そうですか!それならよかったです」
一瞬不安そうな表情を浮かべたスズラン。その瞬間に彼女の笑顔を曇らせたくないという気持ちが勝り、そのままスズランの好意に甘えさせてもらうことにした。私の言葉を受けて、スズランはまたにこやかな表情を浮かべる。
それにしても。
スズランの頬の温かさを感じて、人の体温を直接感じたことが、一体どれほどぶりだったのか、少し考えてしまう。最近は様々な地域であまり面識のないオペレーターの指揮をすることが増え、以前のようにお互い見知った関係のオペレーターたちと交流することも無くなった。アーミヤやケルシーとは定例会議で必ず顔を合わせてはいるが、彼女たちも激務が続き、業務連絡のみで終わることが多い。プライベートな会話をする機会は、この頃殆どなかった。
「ドクターさん、考え事ですか?なんだか険しい表情ですし、それに……悲しそうな目をしてますよ」
「あ、ああ……別に、何ともないさ」
「そんな目をしながら言われても、説得力がありませんよ。……どうしたんです?」
スズランには隠し事が出来ない。彼女はオペレーターとして着任した当初から、その柔らかで優しい物腰と観察眼の鋭さから、人の心を引き出すことを得意としていたように感じる。そしてそれは現在、更に磨かれているようである。ポーカーフェイスはケルシーにも負けない特技だと考えていたが、スズランの前ではそれも無力のようだ。
「昔のことを少し思い出していて。君がまだ幼い頃は、多くのオペレーターと交流していたが、今ではそのようなことはめっきり無くなってしまったな、と」
「……そうですか。もしかして、寂しかったりしましたか」
「ああ。賑やかだった頃の執務室を思い出して、何とも言えない感情に苛まれることもあって」
と、そこまで私が言うと、スズランは急に私に抱きついてきた。ふわりと甘い香りが漂ってくると同時に、私の頭は急な出来事に混乱する。
「え、えっと、どうしたんだスズラン」
私が彼女に問いかけるが反応はない。代わりにスズランは私を抱きしめる力を一層強くした。ぎゅう、と音が聞こえてきそうなほどに強く。
その様子を見て私はどうすればいいのかは分からなかった。ただ、なにか応えなければと思い、彼女の頭を少し撫で、背中をぽんぽんと優しく叩いてみることにした。
「うう……ドクターはずるいですよ」
すると彼女ようやく口を開いてくれた。ただ、その言葉の意図するところはわからない。
「な、何がだ」
「そうやって、自分がつらい状況にいるのに、まずは他人のことを心配するところです。今は私がドクターのことを元気づけようと思ってこうしたんですけど……」
なるほど、そういうことだったか。彼女は優しいが、時折その優しさの伝え方が不器用になる時がある。今回はそういう回だったということか。しかし急に抱きついてくるのはなんというか……
「その、スズラン」
「はい、何でしょう」
「そうやって私のことを気遣ってくれるのは嬉しいが……その……ここまで密着する方法を選ばなくてもいいんじゃないか」
私の言葉を聞いて、しばし疑問符を浮かべるスズラン。だがあるタイミングで顔を一気に赤らめ、ゆっくりと私から離れた。
「あの、その……これは……」
「分かってる。私を元気づけようとしてのことだろう」
スズランのその仕草を見て急に微笑ましい気持ちになった私は、つい以前までのように彼女の頭を撫でてしまった。
「も、もう!私がドクターさんを元気にしようと思ってたのに!これじゃあ私が嬉しいだけじゃないですか!」
私の撫でる手に少し反発しつつも、時折目を細めて嬉しそうにするスズラン。彼女も成長したとはいえ、以前のような表情をまた見ることができて、何だか少し安心する自分がいる。
彼女の反応があまりにも良かったので撫で続けること少し。あまりからかうような真似をするのも悪いと思い、手を離す。
若干残念そうにするスズランを見て少し笑ってしまうが、彼女もようやく平静を取り戻す。
「……コホン。それで、当初の予定とは変わってしまいましたけど、ドクター。少しは寂しさを和らげることができましたか」
「ああ。おかげさまで。ハーブティーに加えてこんなことまでしてもらったら、元気が出ないわけがない」
「ふふ。それならよかったです」
ここでほっと一息をつくスズラン。抱きつくまでは殆ど、にこやかな笑顔を浮かべていた彼女であったが、私を元気づけようとして緊張していたようである。彼女に緊張させてしまうほど私の表情は優れていなかったのだろうか、あるいはひどく落ち込んでいるように見えたのだろうか。
自分ではそれほど深刻な状態になかったと思うのだが、その認識を改める必要があるのかもしれない。
「ドクターさんは放っておくとすぐに無茶をしてしまいますからね。だから、本当に大変なことになる前に、誰かに相談してください」
「……ありがとう。これからは気を付けることにする」
「そうして下さい。もちろん、私に連絡してくれたらすぐに行きますよ。遠慮しないでどうぞ」
「はは。スズランに頼りっぱなしにならないくらいでだけど、君にも連絡をすることにするよ」
「はい!約束ですよ」
―――優しくて、思いやりがあって、人の役に立てるように、一生懸命にしている。
スズランはもう、このテラという大地の過酷さを何度も見てきたのに、幼い頃からの純真さとひたむきさを一度たりとも忘れたことのないように思える。そんな彼女にある種の尊敬を抱く。私は、失った人、救えなかった人のことを考えて、揺らぎそうになるのに。
いや、今は自責に終始するのはやめにしよう。せっかくスズランがこうやって労ってくれたのだから、私も彼女になにかお返しを……
「っ、とと」
あれ、何だか変だ。少しふらついてしまった。なんというか、体の力が少し抜けていくような、そんな感覚。
「ドクターさん、大丈夫ですか?」
その様子を見て、スズランが駆け寄ってきて、私を支えてくれる。
「ああいや、別に、なんとも……」
そうは言ったが、どうにも力が入らない。立っているのも億劫なほどだし、それに、段々と瞼が重くなってきた。
「あ……すまない、スズラン……少し、横にさせてくれ」
このところの疲れが一気に押し寄せたのかもしれない。あまりにも急であることに少し違和感を覚えたが、どうやら私はこれには抗えないようである。
「ふふ。きっとすごくお疲れなんですね、ドクター。私がいますから、ゆっくり休んでくださいね」
「あぁ……助かる……」
段々と細くなっていく視界に最後に映ったのは、
これまでに見たことのない、スズランの艷やかな微笑みだった。
大人スズランの魅力はね、以前までのかわいさがあざとさなく残っているところと、自覚していない妖艶さがあるところだと思います。