IS/UC -インフィニット・ストラトス/ユニコーン-   作:諸葛ナイト

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授業

 翼がもつ廃校のイメージとしては床が抜けていたり、窓が割れていたり乱雑に散らかっている。というものだったがこの場所は違った。

 

 たしかに校舎は埃っぽいが物は整理され、床や窓に大きな損傷はない。

 学校としての役割こそなくなったが整備さえすればまたいつでも生徒を招くことはできそうな状態だった。

 薄暗く蒸し暑い廊下を教室1つ1つを横目で見つつ歩いていた翼が問いかける。

 

「ここにはどれくらいの生徒がいたんですか?」

 

「そう多くはなかった。

 一番多い時で500人弱。1学年3クラス程度だったよ」

 

 男性がふと止まった教室は机と椅子が27組、教卓が1つの一般的なもの。前後には黒板があるいたって普通の教室だ。

 この学校が役割を果たしている際には様々な思い出を作ったであろう場所を見つめる男性の顔には郷愁がありありと浮かんでいる。

 

「君はなぜこの町に?

 朝市が終われば見るところなどない町の探索なんぞ面白くはないだろう?」

 

「……俺の父親がここの港から出て海洋葬をしました」

 

「ほぅ? 君の父親はここの生まれなのか?」

 

「いえ、田舎の生まれだったようですがここでは……。

 ただ山の方でしたのでなにか思うところはあったのかもしれません」

 

 どこか他人事のような物言いについて突っ込もうか考えていた男性にまるでそれを読んでいるかのように翼が言う。

 

「俺が生まれてすぐに父親は病気で亡くなりましたからほとんどなにも知らないんです。

 母親はあまりそういう話をしませんでしたし、その母親も俺が小学校に上がる直前に亡くなりました」

 

「なるほど。君はそれを不幸だと思うか?」

 

「いえ。不幸というにはあまりにも"ありきたり"でしょう?」

 

 義務教育中の学生の家庭事情など千差万別と言い表してもいいほどだだろうことは翼でも想像できた。

 自分のように小学校に上がる前後で両親が亡くなっているということも突出して珍しいものではない。

 

 自虐的な語調の翼を優しく咎めるような口調で男性が言う。

 

「そうだな。しかしそれは自分が不幸だと思わない理由にはならない。

 君はもう少し他人に弱音を吐いてもいい」

 

 そうして男性はもう一度答えを促すように手を差し出した。

 改めてその事実を考え、自分の置かれていた環境を思い出しながら翼は答えを口にする。

 

「よくわかりません。

 義両親は今もよくしてもらっていますし、幼馴染たちもちょっと心配症だけど仲はいいです。

 たぶん周りに恵まれていたんだと思います」

 

 肉親のことはよく知らないが、岸原夫妻と柏原姉妹のおかげで寂しいとも惨めとも思うことはなかった。

 

 だからこそ純粋な憧れを抱き、目標を作り、邁進することができた。

 ある程度のものを切り捨てても最終的な居場所はなくならない。そんな甘えた考えができるほどには恵まれている。

 

「それにここ最近は友だちもたくさんできました」

 

 IS学園では友人と呼べるものたちができた。

 たしかにもっと小さい頃は不幸だったかもしれないが、今も自分がそうであるとは全く思っていない。

 

「そうか。楽しいか?」

 

 男性の問いに対して翼は少し困っているような表情を浮かべつつもそれ以上にずっと楽しそうに頷いた。

 

「忙しないですけどね」

 

 それ見てを男性は嬉しそうに顔をほころばせて教室のドアを開ける。

 

「授業の内容が決まったよ」

 

 そういえばそのためにここに入ったんだと思いながら、翼も男性の後に続いて教室に入る。

 

 男性はそのまま教壇に立ち、翼はその目の前の椅子の背もたれに手を乗せようとしたが、ほこりが積もっているのを見て止めた。

 それを見て男性は「構わない」と言うように笑って話を始める。

 

「君は世界が広いと思うか?」

 

 唐突でありあまり予想していなかった質問に翼は少し考え込んでから答えた。

 

「視点によると思います。

 個人で見れば広いですけど人類という種族には狭すぎる」

 

「この質問の世界とは個人から見た場合だな。

 そう広い。しかし実際に個人が認識できる世界は小さいものだ」

 

「認知範囲と実範囲の差、ですか?」

 

「ああ、そのとおりだ。重要なのは認知範囲を広げること。

 それを広げる最も確実な方法はなんだ?」

 

「……時間?」

 

 自信なさげな翼の答えに男性は「うんうん」とうなずいた。

 

「惜しいな。時間をかけたからと言って箱庭の世界で過ごす人間の認知範囲は大きく広がることはない」

 

 そんなヒントから数秒考えたところで翼はその答えに行き着いた。

 

「経験。いや、もう少し前の段階……出会いですか?

 人だけじゃない。物事との出会いが認知世界を広げる」

 

「そう。出会うことで知り、知ることで認識できる世界が広がる」

 

 まずそのことについて出会って知ることで考えることができる。

 考える過程と得た答えによって世界が広がり、広がったことでまた新たなことに出会い、そしてまた考える。

 それを繰り返すことで認知できる世界が広がり、厚みが増していく。

 

(認知世界。哲学的な話だな……)

 

 翼の中で疑問が浮かぶ。

 先ほどは質問に答えることを優先したが自然と言われたことを問いかける。

 

「なぜ認識できる範囲を広げる必要があるんですか?

 知らないほうが幸せなことはたくさんあると思いますよ」

 

「はははっ! たしかにそうだな。知ることで苦しむことの方がよほど多い。

 "こんなもの知らないほうがよかった"と思うこともあるだろう」

 

「なおさらわかりません。わざわざ自分の首を絞めるなんて──」

 

 苦しむとわかっていることにわざわざ首を突っ込むようなものはいない。

 それは物好きを通り過ぎたナニかとしか形容できないものだ。少なくともまともな人間性ではない。

 

 そんな翼の考えを叩き落とすように男性は言う。

 

「だがそうすることでしか自分を知ることはできない。

 自分というのは、結局のところ1人ではなにもわからない。他人という人を通して初めて見えてくるものだ」

 

「1人だとわからない……」

 

「人は1人で生きられないということだ。

 誰かに認めてもらって初めて、私たちは自分っていうものをちゃんと持てるのだ」

 

 翼は自分の両掌に目を落とした。そしてそこから腹、足、足先へと移してまた両掌に戻す。

 人間は物理的に自分の姿を完全に認識することはできない。それは精神的な意味でもそうだ。

 だから他者から自分の形、自分の性格を聞くことでようやく知ることができる。

 

 男性の言葉を翼は納得することはできた。

 だが人間は自分が感じた痛みを「必要なことだから」と許容できるものばかりではない。

 その痛みに耐えきれずに逃げ出してしまう者は多いだろう、諦めてしまう者もいるだろう。

 

「もし傷つきたくないからって塞ぎ込んでたらどうなりますか?」

 

「他人どころではなく、自分のことさえなにもわからなくなる。

 自分のこともわからないから他人のこともわからなくなる」

 

「でもそれなら生きることは辛すぎる。

 傷ついたその痛みでしか自分を認識できないなんて……」

 

「そうだな。しかしそれでも生きるしかない。

 苦しくとも痛くとも、もうやめたいと思っても"それでも"と歯を食いしばるしかない」

 

 返されたのは現実的な回答。理想論を挟む余裕などないと言わんばかりの即答だった。

 翼もそうするしかないとはわかっているが、それでも折れかけていた自分を知っているため完全に受け入れられない答えだ。

 

「人はそう強い人ばかりではありません。

 食いしばってもそれでもやっぱり挫けてしまう。ずっと歩き続けられる人間なんてそうはいない」

 

「ああ、だから人を愛するのだ。

 1人で生きていくには世界には辛いことが多すぎる。簡単に折れる。

 だから他者を求め、他者を愛する」

 

「愛、ですか」

 

 いまいち実感として覚えたことのないものを出されて翼は困惑する。

 食いしばるしかないと語っていた者の言葉にしてはロマンチックなもので、気恥ずかしさと共に少しの戸惑いを覚えたのだ。

 そんな彼の顔を見て男性は小さく笑う。

 

「愛、というと少々大げさかもしれないが事実だ。

 他者との繋がりが誰かに愛される自分を作り、生きる糧となる誰かを愛する」

 

「……よくわかりません。

 でも誰かを想う時になにか力が出るっていうのはなんとなくわかります」

 

「今はそれでいいさ。

 君の世界は君自身の手で作られる。そのことを覚えていてくれたらそれでいい」

 

 男性はそう言い締めると両手を「パンッ」と軽くたたき合わせて授業の終わりを伝えるように頭を下げる。

 翼も慌てて頭を下げて廃校での授業は終わった。

 

「ありがとう。君のおかげで先に逝った妻にいい土産話ができたよ」

 

「いえ、俺のほうこそ。

 なにかお礼をしたいのですが……えっと」

 

「私のわがままに付き合った、それが君が払った対価だよ。

 良き人の世を。君の長い人生に多くの幸があることを祈っているよ」

 

 男性はにこやかに言うと教壇から降りた。

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