秋の柔らかな日差しが店内に差し込みながらも、少しばかり冷える、そんなある日。
料理屋「テーベ」に珍しい客人が訪れていた。
「絵を描かせて頂くことは可能でしょうか?」
ジュリアンヌはそう言って頭を下げた。
手には画材を抱え、つぶさに辺りを観察する自分を、給仕はどこか不思議そうに見ている。
よく人には若き女芸術家、というものを描き出そうとしたらこのような娘が出てくるに違いない、などと逆しまのような形容で称される。
誰に言われたのだったか、好奇心が瞳にあらわれて輝いているなどと言われたこともある。
「わたくし、ジュリアンヌと申します。王都からきた見習い画家ですわ」
応対してくれた給仕に向けて、自らの職業と目的を説明する。
宮廷画家を志しており、そのために各地を旅しては風物を絵に残していること。
ここペアリスでも名物がないか調べている中、この店について噂を耳にしたこと。
「こちらの評判は耳にしましたわ。というより、ペアリスにはここを目当てに来ましたの」
近隣でもそれはもう評判でしたから――
そう言ってみれば、給仕の青年は「有難うございます」と一礼した。
彼にしてみても、店としてももう慣れたものなのだろう。
評判の繁盛店、というのは嘘偽りないのだろうなとジュリアンヌは感じた。
「それで、絵でしたか……」
給仕の青年が少し考え込む。
「難しいですか?」
「いえ、恐らく問題ないかと。当店には吟遊詩人の方もそのようにしていらしておりますし」
「では、何をお悩みだったのでしょう?」
「料理の絵とのことでしたので、どのような形で提供すれば良いものかと。絵にお時間をかけるようでしたら、温かいものは避けたほうが?」
あぁ、なるほど。
確かにそのあたりは要望から抜けていた。
「お気になさらず、オススメのものを頂ければと思います。特別見栄えも、温度も気にしないでください。むしろ、そういうものが描きたいので。温かいものでも問題ないですよ」
見栄えについては如何に評判の店とはいえ市井の店だ。宮廷料理のようにはいかないことはわかっている。
それに、その土地で「普通な」ものを描きたいと旅をしているのだ。
「承知いたしました。それではお席にどうぞ」
給仕の青年はそういって一礼し、席へと案内した。
窓際の明るい場所。少しゆったりとしたスペースのある席だ。
ジュリアンヌが絵を描きやすいようにと気を利かせたのだろう、そう思い感謝の言葉を述べる。
青年は控えめに笑った。
「それでは絵のことと、料理のご要望について店長に伝えてまいります。少々お待ち下さい」
「ありがとう。……店内をスケッチしても?」
「はい。ただ、他のお客様のご迷惑にならない程度でお願いいたします」
「もちろんです」
ジュリアンヌはスケッチブックを取り出し、店内の様子を見回した。
窓辺から見える景色、テーブルの配置。料理に舌鼓を打つ人々の姿。
ジュリアンヌは職業柄、空間がもつ温度というものに敏感であるのだが。
この空間は実に心地よく、そして温かいように思われた。
それはきっと、少し肌寒くなってきた外と室内の対比だけではなく。
料理の立てる湯気によるものだけではなく。
もっと形のない――情感のある要素によるものなのだろう。
そんな風に考えていた。
(素敵な店ですわね)
まだ料理も食べていないというのに、自然とそう思える。
そのことにどこかおかしみを感じながら、ジュリアンヌは筆を動かす。
しばらくすると、ダニエルは深皿を一つ運んできた。
立ち上る湯気とともに、野菜の甘い香りがは鼻孔をくすぐる。
「本日のオススメ、カブのポトフでございます」
鮮やかな黄色のカブが、薄く色づいたスープの中で一際目立つ。
ほっくりとした馬鈴薯に葉物の野菜、更には腸詰めのソーセージが2本。
トドメにきのこと、なんと具だくさんな代物。
カブのポトフ、とだけ言って出されたが。
随分と贅沢な料理だ、とジュリアンヌは思った。
「これは……オススメにもなりますわね」
「そう思われますか」
「それは、そうです。溶け切ることなく、これほどの具材が入ってて。盛り付けも素晴らしい」
普通、これほど具材が入っていてはごちゃっとした印象になるものだが。
それぞれの具材が見事に調和したように、きれいに盛り付けられている。
こうして料理人の美意識を感じ取ることが出来るというのは、中々ない。
「ではごゆっくり。ただ、温かいうちにお食べくださいませ」
「もちろんです」
絵も目的ではあるが、何よりここの料理を楽しみにきたのだ。
美味しさを損なってまで絵を描くつもりはなかった。
むしろ、見た目だけでなく、味も香りも存分に味わったほうが良い経験に繋がるだろう。
(それだけに、急がなければね。冷めぬうちに)
立ち上る湯気。黄カブや葉物の野菜を始めとした具材に、スープが織りなす色彩。
窓辺の席だったことが幸いして、差し込む陽光が見事に料理を輝かせている。
素晴らしい盛り付けも相まって、ジュリアンヌは暫く食い入るように見つめながら、それでいて筆を動かしていた。
(……あとは、この目に焼き付けたもので後で描こう)
簡単に色味はつけた。
後はじっくりと料理を楽しみながら、それを絵に活かす。それがジュリアンヌのスタイルだった。
そっと匙を手に取る。ポトフの湯気はまだ立ち上り続けており、ゆらゆらと空気を揺らしている。
立ち込める香りが食欲を刺激し、はやく口にせねばと気持ちが急いてしまう。
「まずはスープから……」
匙を静かにスープへくぐらせ、薄く色づいたその液体をすくい上げる。軽く唇を寄せて口に含むと、優しい塩味と野菜の甘みが同時に感じられた。
色味からして薄味だと思っていたが、その味わいはどこまでも奥深い。
優しい味だが、後味を引く――
これはなるほど、評判になるはずだとジュリアンヌは感心した。
スープだけでも何度でも味わいたくなる。匙を何度かすくった後に、まだ具材さえ口にしていない事に気づいた。
(この冷え始めた時期に、この暖かさと味わいは素晴らしいわね……)
温かな液体を嚥下しただけだというのに、ここまでホッとした心持ちになるとは。
どこか、良い絵を描きたいと凝り固まっていた気持ちさえも解けてしまいそうで。
一介の絵師から、単なる旅行客に変わっていくような気さえした。
……。
「いけない、このままではスープだけ飲み干してしまう」
なぜだか慌てて、具材をすくい取る。
まずは黄カブから――
「やわらかっ……!」
よく煮込まれている。
形がきれいに残っているというのに、少しかじるだけでじわっと染み込んだスープが溢れ出す。
食感がないわけではないが、容易に噛み切れる。
それでいて、カブならではの独特な風味が嫌味なく口の中に広がっていく――
他の具材も見事な塩梅だ。
溶け切ることなく、それでいてきちんと存在感があって、喧嘩もしていない。
きのこの持つ香りも強すぎず、むしろ味わいをより豊かにしてくれている。
まさしく調和。単なる具沢山なスープではなく、計算して作られた料理であることが察せられた。
(この腸詰めのソーセージも、良いものを使っている)
質の悪さを誤魔化すように使っているのではない。
状態の良い、また肉質も見事なソーセージ。
噛み切ればじゅわぁっ、とスープと肉汁が口の中で踊るよう。
(見た目だけでなく、なんと見事なこと)
思わず天井を仰ぎ見てしまう。
たくさんの客に出している料理で、いわば量産品であるはずなのに。
盛りつけといい、味わいといい。丁寧な仕事が垣間見える。
この『一品』はわたくしのためにあるのだと、そう錯覚できてしまう。
これはある種の芸術だ。少なくとも、店主がもつ美意識というものがよく伝わってくる。
(……これを絵で表現することは出来るだろうか?)
ふと疑問がもたげた。
ジュリアンヌは宮廷画家を志している。
その志に違わず、相応の修練を積み、相応に自分の力に自負もある。
旅をしながら作品を作っているのは、それだけの力が自分にあると考えるからだ。
だが、これほど見事な料理を。その味わいと魅力を。
絵画という形で表現することは、可能なものだろうか。
ジュリアンヌは目を瞑る。自らが想像の海に飛び込むためのルーティン。
先ほど焼き付けるように見た料理の完成形を改めて思い浮かべ、そこに今感じとった味わいと香りをプラスする。
絵画に香りはない。
絵画に味はない。
けれど、想起させることはできるはず。
理想の作品は、脳裏に描けるか。
……ジュリアンヌはやがて頭を振った。答えは出ない。
「……冷めては勿体ないわね」
とにかく、今は眼の前の一皿だ。
そして、この「一品」を味わい尽くしたら。
「次の料理を頼みましょう」
思わず、笑ってしまう。
これは恐らく、暫く通い詰めることになるのだろうと。
その果てに、或いはまだ見ぬ境地があるのだろうと。
そう思ってしまったから。
ジュリアンヌは、その高揚を落ち着けるべく、再びスープを口に含むのだった。
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