「やぁぁああああああ!」
現在時刻は午前八時。
まだ朝も早いこの時間、諏訪を守る結界の外では、一人の少女の雄叫びが美しくも勇ましく響いていた。
勇者、白鳥歌野だ。
その雄叫びとともに、彼女の持つ武器、鞭が振るわれる。
幾度となく鋭い破裂音が鳴り、鞭が命中した白い化け物──バーテックスが悲鳴をあげる暇もなく倒されていく。
もっとも、奴らには発声器官はないので、そもそも悲鳴などあがるはずもないが。
「あら? 急に少なくなった……?」
まだ他にもたくさんいたはずのバーテックスが自分の周辺から急に姿を減らした。
経験上、奴らが逃げたとは考えられない。
「うたのん!」
「歌野さん!」
「みーちゃん、それにそー
突然聞こえてきた他者の声に反応して振り向けば、水都と創一がいるのが見えた。
水都は頻繁に歌野の出撃について来る。危険だからやめるように言ってはいるのだが、彼女の姿を見ると不思議と心が安らぎ、同時に力が湧いてくる気がするので、来てくれて嬉しいと感じている気持ちもある。
複雑な気持ちだ。
創一の方は、きっと水都に危険が及ばないように付いてきているのだろう。
何かあったらすぐに水都を連れて結界内に逃げ込めるよう、気を張ってくれている。
彼がいるから、自分も安心してバーテックスとの戦いに神経を集中することができる。
そんな二人が、どこかを指差しながら何か言っている。
「あっち! バーテックスが集まってるよ、気をつけて!」
そんな水都の言葉を聞いて、彼女らが示す方向を見れば、少し距離を置いた場所で、バーテックスたちが集合しているのを発見した。
「これは……」
集合したバーテックスたちは、自分たちの身体を、まるで融合するようにひとつにして、その姿を変貌させてゆく。
「進化体、それに複数……なるほど、このために私から距離をとっていたのね」
バーテックスは基本的にどれも同じ見た目、大きさをしているが、たまにそれらが何体も融合してひとつになり、強化された個体へ変わることがある。
進化体と呼ばれるそれは、もとの白く口の大きな化け物とはまるで違う形になり、遠距離攻撃をしてくる奴や、やたらと硬い奴など、それぞれ特徴も異なっている。
共通しているのは、もとのバーテックスよりはるかに厄介になっているという点か。
歌野がまだ戦いに慣れていなかった時期は、進化体が一体でもいるだけでかなり苦戦していたのを覚えている。
「でも関係ない、私は負けないわ。だって私、勇者ですので!」
その歌野の堂々とした宣言を合図に、進化体バーテックスたちと諏訪の勇者の戦いが始まった。
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「あなたでラスト!」
空を切る鞭の音と共にバーテックスが跡形もなく消え去った。
バーテックスの特徴のひとつに、倒したら死体も残らず完全に消滅する、というものがある。
まあ、あんな化け物の死体が積み重なっている様子など見たくもないのでいいのだが。
「歌野さん、お疲れ様です」
もう周りにバーテックスの姿がいないことを確認してから、創一と水都は歌野のもとへ駆け寄った。
「うたのん、怪我はしてない?」
「大丈夫よ二人とも、ちょっとかすり傷はあったけど、痛くはないわ」
心配しなくていい、と歌野は肩を回して元気アピールをする。
進化体が複数出るのは珍しいが、大きな怪我をすることなく対処できた。
その事実に、創一はひとまず、ほっとした。
「それにしても、今日は朝から大変でしたね」
「本当よ、バーテックスも襲う時間を考えて欲しいわ」
朝から襲撃が来る事なんて滅多にないため、今日は少々慌ただしかった。
歌野も、日課の農作業の準備を邪魔されて少し怒り気味だ。
「なんだか、最近どんどん襲撃の頻度が上がってる気がする……」
ぽつり、と水都が呟く。とても不安そうだ。
そして、その不安はもっともだった。
「確かに、明らかに増えてますね……」
創一が諏訪に来てすぐの頃は、バーテックスの襲撃なんて月に数回あるかどうかといった程度だった。
しかし、最近になって、その頻度が急に増え始めた。
九月に入ってからなど、ほぼ毎日サイレンが鳴っている。
バーテックスの襲撃がない日のほうが珍しいという始末だ。
「もう、二人とも、暗い顔しないの! バーテックスにかまっていたせいで時間がないわ、早く畑に行かないと!」
「ええ……朝からあんなに働いていたのに、農業は休まないんですか」
「何言ってるのそー
それにね、と歌野は続ける。
「私にとって農業は癒しでもあるもの。朝から大変だったからこそ、農作業でリフレッシュしたいの」
そんな、実に農業王らしい言葉に、創一は半ば呆れつつも、笑みをこぼした。
「わかりましたよ。じゃあ、一旦戻って準備して、畑に行きましょうか」
「ええ、もちろん」
「それなら……」
創一と歌野が行動を始めようとしたところで、水都が声を出した。
「どうしたの? みーちゃん」
「その、今日は私も手伝うね、うたのん」
「本当? 嬉しいわみーちゃん! ついにみーちゃんも農業に目覚めたのね!」
「目覚めてない。もう、茶化さないでよ」
「ごめんごめん。でも、嬉しいのは本当よ。みーちゃんが手伝ってくれるなら、農業の癒し効果も倍増ね」
「喜んでくれるなら、その、よかった……うたのん今日は朝から頑張ってたから、私も頑張るよ」
水都は少し恥ずかしそうにそう言った。
それを聞いて、創一は、ああ、そういうことか、と一人納得した。
水都は歌野とはほとんど一緒にいるが、その歌野がやっている農業そのものには特に関心がなく、虫も苦手なので、たまに収穫を手伝うときがある程度だ。
なのに急にどうしたんだろうと思ったが、歌野への労いのような理由があったらしい。
「それじゃ、後で畑で」
準備もしなきゃいけないし、歌野は勇者装束を脱いで着替えなければならない。
創一は一度二人と別れて家に戻った。
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「久しぶりに鍬を持ったけど、やっぱり重いね、これ」
畑で合流した三人は、早速作業に取り掛かった。
水都は一応やったことがあってやり方を知っているからと、新たな種を植える畑を鍬で耕す。
しかし、やったことがあるといっても、普段からやり慣れているわけではない。
重い鍬を振るうのは水都には大変なようで、早くも疲れが見えている。
「みーちゃーん、無理はしなくてもいいんだからねー」
少し離れたところでは、歌野が野菜の育ち具合をチェックしている。
「だ、大丈夫だよー、私のことは気にせず、うたのんは自分の作業をやっててー」
気を配る歌野の声に心配はいらないと返事をしながら、水都は鍬を振るうのをやめなかった。
「張り切ってますね、水都さん」
そんな水都の隣で、創一は同じく鍬で畑を耕す。
「そーくん……私も、うたのんに何かしてあげたくて」
「ええ、その気持ちはわかりますよ。でも、本当にきつくなったらすぐ言ってくださいね、今日もまだ暑いですから」
「うん、わかってる。私は大丈夫だ、から……あ、れ……」
行ったそばから、水都は真っ直ぐ立っていられなくなり、ふらふらとよろめいた。
「み、水都さん!!」
異変に気づいた創一は、持っていた農具を地面に捨て、水都のもとへ駆け寄る。
「なんか、めまいが────」
水都の言葉はそれ以上続かなかった。というより、そこで水都の意識は途絶え、彼女は崩れるように倒れた。
「危ない!」
間一髪、地面と衝突する前に創一が彼女を受け止めることができた。
危うく頭を地面にぶつけてしまうところだったので、それを阻止できたことにひとまずほっとする。
だが、すぐにほっとしている場合ではないと思い直し、水都を抱えて立ち上がった。
「まずは日陰、いや屋内に……」
創一はそのまま歌野を呼び、できるだけ急いで水都を少しでも涼しい場所へ運んだ。
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「みーちゃん! しっかり!」
「冷やし枕持ってきました!」
創一は歌野に協力してもらい、水都を近くの家屋まで運んで行った。
そして、今は水都を安静にさせている。
「う……」
「みーちゃん、気が付いた?」
「よかった……」
「あれ……私、どうして……」
幾度かの瞬きと共に、水都が目を覚ました。
彼女はしばらく、きょろきょろとあたりを見渡して状況を把握しようとしていた。
「そっか、私、畑で倒れたんだね……」
「はい、多分熱中症のようなものだと思います。これ、冷たい麦茶です。これを飲んで、涼んでいてください」
「ありがと、そーくん」
「みーちゃんの目が覚めて本当に良かったわ。でも、念のためホスピタルに行ってドクターに診てもらわないとね」
諏訪にも幸い、小さいながらも病院がある。
結界内に避難できた医療従事者が集まって運営しているその病院は、手術のような、専用の施設が必要なことはできないけれど、熱中症は診てくれるはずだ。
「私のことはいいから、二人は畑に戻って……」
しかし、水都は自分のことより畑仕事を優先するよう言ってきた。
「何言ってるのよみーちゃん、そんなことできるわけないわ」
歌野の言う通りだ。何故水都はそんななことを言うのか。
「でも、せっかくのうたのんの楽しみの時間を……それに、一日でも世話しないとダメになるって……」
つまり水都は自分などよりも歌野の時間を優先して欲しいということか。
「畑のことを気にする必要はないわ、他の農家さんたちもいるんだから、それに、みーちゃんのほうがずっと大切だもの」
「ありがとう、でも、ごめんね。私、うたのんの役に立ちたかったんだけど……逆に迷惑かけちゃった……」
「そんな、謝らないで。迷惑だなんて思ってないわ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私は……っ」
「みーちゃん……」
水都は歌野が励ましてもなお、自分を責めた。
歌野を元気にさせるために張り切った結果、こうなってしまったという事実に、水都はかなり落ち込んでしまったようだ。
「私っていつもこうだ……勇気のない臆病者のくせに、たまに張り切って、結局失敗して、誰かに助けられる……私は、誰の助けにもなっていないのに……」
自分のことをくどくどと悪く言う水都。
そんな水都に、歌野は構わず声をかけた。
「みーちゃん」
「何、うたの──うわあ!」
呼ばれた水都は、はじめ、沈んだ声のまま返事をした。しかし、すぐにその声は驚きの色へと変わる。
驚いた理由は、歌野が水都の頬をこねくり回すように弄り出したからだ。
「にゃ、にゃにするの、うふぁのん!」
「だって、みーちゃんが変な事を言うから」
そう言うと、歌野は水都のほっぺから手を離した。
「変な事なんて……!」
「いいえ、変だわ!」
反論しようとする水都を、歌野は一喝する。
「みーちゃんが勇気のない臆病者? 誰の助けにもなっていない? 何を言っているのか全然わからないわ」
創一も歌野の言葉に何度も頷いた。
これに関しては、創一も歌野と全く同意見だった。
「ねえみーちゃん、自分で気づいてないだけで、みーちゃんはすごいのよ? 私、知ってるもの、みーちゃんの勇気を」
「私の勇気?」
何を言っているかわからないというふうに水都は聞き返す。
「ええ、そしてそれは、そー
「そーくんも……?」
歌野の言葉を受けて、創一の方へ顔を向ける水都。
創一は歌野のいきなりの振りに一瞬面食らったが、すぐに水都の目を見ながら力強く頷いた。
「そうですよ、だって、俺がバーテックスに追われていたあのとき、俺を最初に助けに来てくれたのは水都さんじゃないですか」
「あ……」
かつての事を思い出したのか、漏れ出るような声を出す水都。
「で、でも、あれはあの後、うたのんがバーテックスをやっつけてくれたから助かったわけで、うたのんが来てくれなかったら、結局そーくんも私も死んでたよ……」
「でしょうね。けれど、それを言ったら、あのとき先に水都さんが助けに来てくれていなかったら、俺の心は折れていた」
あの日の事を忘れたことはない。あのとき、創一は体力も気力も限界を迎え、もう走るのをやめて立ち止まってしまおうと諦めかけていた。
「そして、歌野さんが来る前に俺は殺されていましたよ。誰かが来てくれたからこそ、俺は本当の意味で力を使い果たすまで走ることができたんです」
助けが現れたおかげで、尽きた力をそれでも振り絞って走り切ることができたのだ。
誰かがいてくれる、という心の支えがあったからこそ、頑張れた。
「それは……たまたま私だっただけだよ、きっと、他の人が来てくれていても、そーくんは助かったよ……」
あの日、創一のもとに駆けつけたのが自分ではなく、別の者だったとしても、創一は気持ちを立て直し、全力を出し切れたと水都は言う。
「かもしれない。だけど、実際に来てくれたのは水都さんだ」
そう、ありもしないもしもの話なんて関係ない。現実として、あのとき現れたのは水都なのだ。
「それに、たまたま水都さんが来ただけだって? 俺はそうは思いませんよ」
真面目な顔で創一は続けた。
「直接戦う力を持たないのに、結界の外でバーテックスに追われている人を助けに行くなんて、そんなことが出来る人を、俺は水都さんの他に知りません」
「そんなこと……」
「そー
勇気ある者、即ち勇者。
それで言えば、確かに水都も勇者に違いない。
「二人とも、ありがと……」
水都は少し恥ずかしそうに、顔を隠しながらそう言った。
ともかく、水都の気分も落ち着いたようで、その後は素直に病院に行って、先生に診てもらった。
熱中症といっても、どうやら軽いものだったらしく、今日一日安静にしていれば問題ないと診断された。
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そして次の日の朝、水都は元気な姿でまた畑に顔を出した。
「二人とも、昨日は心配かけてごめんね」
「ノープロブレム! 元気になったのならすべて良しよ!」
「歌野さんの言う通り、体調も問題なかったようで、良かったです」
心配かけた事を謝る水都の顔は、昨日よりは明るい顔になっていた。
体調が良くなったこともあるだろうが、それ以上に気持ちが少しだけ前に向いたからか。
もし、自分がその一助になれているのならば、嬉しいことだと創一は思った。
「それで、昨日は途中で倒れてやめちゃったから、今日も手伝うね」
そう言って、水都は軍手を手にはめる。
「大丈夫? 無理はしなくていいんだからね?」
「昨日の疲れもまだ残っているでしょうし、休んでいたほうがいいんじゃ……」
昨日熱中症になったばかりなので、水都を気遣う二人。
「ありがとう、確かにきついのはまだ無理かも。だから今日は鍬じゃなくて収穫の方を手伝うね。あと、熱中症対策はバッチリしてるよ」
言いながら、水都は冷たい麦茶の入った水筒を二人に見せた。
水筒はカラン、カランと涼しげな音が鳴っており、中に氷が入っているのがわかる。
水都の、昨日の二の舞にならないぞ、という意気込みを感じた。
「……わかったわみーちゃん、今日も手伝ってもらうわね。だけど、ちょっとでも無理そうならすぐに言ってくれていいからね」
「うん、こういう言い方は変だけど、控えめに頑張るね」
「控えめに頑張るか、いいですねそれ」
病み上がりには違いないので、気を配る必要はありそうだが、今日の水都の雰囲気は悪くない。
これなら大丈夫そうだ、と創一は思った。
「それじゃあ、早速レッツ農業!」
そんな歌野の号令を合図に、三人が作業を開始した、そのときだった。
「う────」
水都が突然、うめくような声を漏らして、手で頭を押さえながらよろめいた。
「みーちゃん?」
「水都さん大丈夫で──」
創一と歌野は最初、水都がまた昨日のように熱中症でフラついたのかと思った。
やはり昨日の疲れがまだ取れていなかったのだ、と。
でも、それは違った。
「もしかして、神託?」
「みたいね」
歌野の顔が引き締まる。
水都に神託が来たということはバーテックスが来た可能性が高いからだ。
「そんな……」
数秒の間、頭を押さえていた水都が顔を上げた。
「みーちゃん、奴らが来たんでしょう。どの方角から来るの? すぐに準備をするわ!」
水都の反応から、神託がバーテックスの襲撃を知らせるものであったと確信し、歌野は必要な情報を水都に聞いた。
「う、うたのん、待って、いつもと違うの……」
「違う? バーテックスの襲撃じゃないってこと?」
「いや、そうじゃなくて、襲撃なのはそうなんだけど、いつもより、数が……」
「数?」
「襲撃の規模が、いつもより大きい! とてつもない、大量のバーテックスが、来る……!」
水都は震えた声でそう告げた。
ようやく少し明るくなってきていた水都の表情は、焦りと恐怖と変わってしまっている。
神託から一歩遅れて、バーテックス襲来を知らせるサイレンが鳴り響く。
それはまるで、これからの諏訪の行く末を嘆いているようだった。
読んでいただきありがとうございました。
次回、「終焉の日は近く」
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