もう一本の勇気のバトン   作:グリまりも

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橋渡(はしわた) 二喜(ふたき)の章
一話 :天空恐怖症候群


 長い間空に昇り続けていた太陽もようやく落ちた、ある夏の日。

 

 徳島県にある大きな病院の、一人の患者が眠る窓のない病室で、男性の医師と女性の看護師が話していた。

 

「……今日は、一日中目を覚ますことがなかったな……」

 

 ベッドで眠る患者の少年を見つめながら、医師はそう呟いた。

 

「はい……でも、そのことにほっとしてしまっている自分がいます」

 

 医師の呟きに対して、後ろめたそうに看護師は答えた。

 

「それは……」

 

「わかっています、患者が目覚めないことに安心してしまうなんて、医療従事者として失格ですよね……」

 

「……」

 

「でも、この子はもうずっと、目を覚ましたとしても発狂して、また眠るまで押さえつけられるだけの日が続いているじゃないですか」

 

 看護師が患者の少年を見ながら言う。

 その少年は、ただ寝ているだけではなかった。

 なんと、その体を拘束具のようなもので動かないようにされている。

 

 この措置は、この少年が暴れて他の者に暴行を加えるから……ではない。

 この少年が、かつて我を失い、自身の頭や肌を強く掻きむしる自傷行為を行なってしまったからだ。

 つまり、彼自身が彼をこれ以上傷つけないようにするための措置なのだ。

 

「目を覚ますたびに、あんなに辛そうにしているこの子を見ると、もういっそのこと、目を覚さないほうがこの子にとってもいいんじゃないかって……思ってしまうんです」

 

 そう言う看護師は、なんとも心苦しそうで、医師はかける言葉を迷った。

 

 ──天空恐怖症候群、という病気がある。

 

 2015年7月30日以降、バーテックスの襲来を経験した者の多くが発症してしまった、精神的な病気だ。

 天恐(てんきょう)と略称されることの多いその病気の主な症状としては、その病名が示す通り「(そら)」を恐怖するようになるというものがある。

 

 症状の重さによって段階が分けられており、それは四段階のステージに分けられている。

 最も軽いステージ1では、空を恐れて外出時に日傘や帽子が必要になる程度だ。

 ステージ2になると、バーテックス襲来時のフラッシュバックが起こるようになる。

 ステージ3になってしまうと、フラッシュバックの頻度が上がるのに加えて、幻覚まで頻繁に起こる。このステージまで来ると、薬が手放せなくなり、外出などほぼ不可能。日常生活すらまともに送れなくなってしまう。

 そこからさらに病状が進行してステージ4まで来ると、自我の崩壊、記憶の混濁、発狂に至る。万が一空を視界に入れようものなら、もう手が付けられなくなってしまう。

 

 そのあまりの症状の酷さから、天恐(てんきょう)はバーテックスによる攻撃の一部だという見方もある。

 

 そして、この少年の症状はステージ4に達していた。

 

「……天空恐怖症候群は厳しい病気だ。ステージ1や2ならば完治することもあるが、ステージ4まで進んでしまった患者の症状が回復した例は、今まで一度もない」

 

「だったらもう……」

 

「──だが、彼が最初の一人になる可能性を、我々が勝手に諦めるわけにはいかない」

 

 弱音を吐いた看護師に、医師はきっぱりと断言した。

 

「確かに、この三年間、彼のようにステージ4まで病状が進んでしまった人を、我々はたくさん見てきたし、その中の誰一人として治っていない。それどころか、バーテックスへの恐怖に押しつぶされ、死にたいと発狂して叫びながら、衰弱して本当に死んでしまった患者も少なくない」

 

 医師は穏やかに眠る少年の顔を見る。

 

「しかし、彼は天恐(てんきょう)の最初期の患者でありながら、まだ生きている。自身の死を望むような発言も、少なくとも私は聞いたことがない。彼はまだ、生きるために戦っているんだ」

 

 医師は看護師を諭すような声でそう言った。

 

「……そう、ですね。すいません、弱気になってしまっていました」

 

「仕方がないさ、我々も人間だ、疲れが溜まればそういうこともある。さあ、もう君も休みなさい」

 

 そう言って、病室を出ていく二人。

 扉を閉じる直前、医師は眠る少年に向かって語りかけた。

 

「信じているよ、また君が元気に外に出られる日が来るのを」

 

 それだけ言うと、今度こそ扉を閉めた。

 病室の名札には、「橋渡(はしわた)二喜(ふたき)」と書かれていた。

 

 

 

 

 

====================

 

 

 

 

 

 橋渡二喜は空を見上げるのが好きだった。

 同じ場所を見ているはずなのに、昼と夜で全く違う様子になるのが、見ていて楽しかった。

 

 昼は面白い形の雲を探して遊んでいたし、夜は煌めく星に目を輝かせていた。

 夕暮れの空も、茜色に染まる様子が見ていて心落ち着いた。

 

 

 

2015年7月30日

 

 この日の夜、二喜は父と母と一緒にプラネタリウムを見るために遠出していた。

 

「すごかったなあ! まるで本物の星そのものだったよ」

 

「二喜ほどの星好きでもそう思ったか、俺も初めて見たが、驚かされたな」

 

「来てよかったですね」

 

「本当だよ、父さん、母さん、最高の誕生日プレゼントだった、ありがとう」

 

 この日は二喜の12歳の誕生日だった。

 家族でプラネタリウムに来たのも、そのプレゼントだ。

 

「二喜が楽しんでくれたのなら、私たちにとっては何よりです。ね、お父さん」

 

「ああ、そうだとも、よし、帰りは何か美味いものでも食っていこう!」

 

 家族で仲睦まじい会話をしながら駐車場へ向かう途中、二喜は空を見上げた。

 そこには星空が広がっている。

 プラネタリウムを見たばかりで、気分が昂揚していたためか、なんだかいつもより広大で綺麗に見えた。

 

「……ん?」

 

 その綺麗な星の光の中に、一瞬、小さな影のようなものが映り込んだ。

 

「あれ、なんだろう……?」

 

「どうしたんですか、二喜」

 

「いや……ほらあれ、鳥……いや、飛行機かな……?」

 

 二喜は遠くの空を動くその小さな影を指さして家族に教える。

 

「んーどれどれ? 夜だし、鳥じゃないと思うが……飛行機にしちゃ形がおかしいような気がするな」

 

「なんでしょうね……あら、何か向こうが騒がしくなっていませんか?」

 

 母の言葉を聞いて、二喜も耳を澄ます。

 すると、確かに人々が騒いでるようなざわつきが聞こえる。

 

「おい、あっちから人が走ってきてるぞ、何かあったのか?」

 

 ざわつきが聞こえた方角から人が焦った様子で走ってきている。それも、一人や二人ではない。

 

「何か、ヤバそうじゃない……?」

 

「おいおいおい、なんなんだいったい……!」

 

 まるで波のように人が次々と雪崩れ込んでくる。

 明らかに尋常ではない。

 

「ちょっと、アンタ、いったい何があっ──」

 

 こちらへ向かって走ってきていた男性に、二喜の父が状況を問おうとした。

 しかし、その男性は質問が終わる前に叫ぶように言った。

 

「早く逃げろ! 空から降ってきた化け物にみんな殺される!」

 

「は?」

 

「早く、早く!」

 

 そんな、要領を得ないことを言うだけ言って、男性は走り去ってしまった。

 意味はよくわからなかったが、とにかく“ヤバい”ことだけは伝わった。

 

「ふ、二人とも、あれ……」

 

 二喜の母が、何かから逃げる人混みを指さした。

 いや、正確にはその人混みの少し上、空中を泳ぐように浮かび、人混みに向かって口を開く白い何か。

 化け物が、そこにはいた。

 

「ぎゃあああああッ!」

 

「逃げろ、逃げろ!」

 

 飛び交う叫び声。

 人々が走っていたのは、あの化け物から逃げるためだったのだと、すぐに理解した。

 

「ひ、人が、食べられて……!」

 

「逃げるぞ! 早く!」

 

「は、はいッ!」

 

 とにかくここから急いで、出来うる限り遠くへ離れなくてはならない。

 橋渡家は自分たちの車へ急いだ。

 

「あれはいったい、なんなんだ……!?」

 

 二喜は考える。

 あんな生き物は見たことも聞いたこともない。それが、何でこんな街中にいるのか。

 というより、そもそもあれは生き物か?

 何故、あんなに人を襲う?

 

「よし、あった、車だ!」

 

 父親が車を見つけ、指さす。

 

 しかし、二喜は頭の中で何かが引っ掛かる。

 

(さっきの男性は化け物が空から降ってきたと言っていた)

 

 空。確か先ほど、空に何かを見たような……、

 

「まさか、さっきの影は……ッ!」

 

 二喜は先ほど遠くの空を移動していた影を思い出し、ばっと空を見上げた。

 

 すると、ほんの数メートル上空に、人々を襲っていたのと同じような化け物が迫ってきていた。

 

「父さん危ない!」

 

「え、うおぉ!?」

 

 今まさに二喜の父が鍵を開けようとしていた車を、化け物が押し潰した。

 二喜が呼びかけていなかったら、飛び退くのが遅れて父親も一緒に潰されていたことだろう。

 

「く、車が……!」

 

「どこか屋内へ……プラネタリウムまで引き返しましょう!」

 

「お、おう!」

 

 橋渡家は今来た道を引き返し、先ほど出てきたばかりのプラネタリウムへ走る。

 どこに行けば安全かなんてわからない。しかし、今はとにかくここから移動しなければ。

 

「だ、駄目だ、あいつら速いっ!」

 

 プラネタリウムへ走る橋渡家を、化け物が凄まじいスピードで追ってくる。

 このままでは追いつかれてしまう。

 

「……二人とも、先に行け」

 

「え……?」

 

「と、父さん?」

 

 走っていると、橋渡父がそんな事を言い出した。

 

「いいから行くんだ、止まるなよ!」

 

 そう叫ぶと、橋渡父は走るのをやめ、くるっと180度ターンした。

 

「あなた、何を────」

 

「母さん、二喜を頼む」

 

「────ッ!!」

 

「行けッ!」

 

 背中越しにそう言い残し、橋渡父はプラネタリウムとは別方向に走っていった。

 まるで、化け物の注意を引くように。

 

「父さん、どこへ!?」

 

「二喜! 止まらないで、走ってください!」

 

「だって、父さんが!」

 

「走りなさいっ!」

 

「────」

 

 普段聞かない母の大声に、思わず体が動く。

 二喜の足はプラネタリウムへ向けて全力で駆けていた。

 

「なんだよ、なんなんだよ!」

 

 吐き捨てながら、二喜は走る。

 当然父がどうなったのか気になる。しかし、

 

「振り向いては駄目! とにかく走りなさい!」

 

 自分のすぐ後ろで母の叫びが聞こえる。

 とても緊迫した様子で、有無を言わせぬ声だった。

 

「ああ、くそッ!」

 

 二喜は何が起こっているのかもわからないまま、その声に従って全速力で走った。

 

「はあ、はあ、はあ!」

 

 走って、走って、やっとのことで建物の入り口までたどり着く。

 そして、扉を開け放った。母と共に屋内へ逃げ込むために。

 そのときだった。

 

「二喜っ!」

 

 自分の名を叫ぶ母の声がしたかと思うと、どんっ、と背中を手に押される衝撃が伝わった。

 

「うわッ!」

 

 その衝撃によって、二喜は屋内へ押し飛ばされる。

 

「生きて──」

 

 そんな言葉が、後ろで聞こえた気がした。

 

「え──ッ、ぉわぁあああ!」

 

 しかし、その声は直後に襲ったものすごい轟音にかき消された。

 何か、自分の背後で巨大なものが猛スピードで通り過ぎたような、とにかく激しい音だった。

 

「痛ったッ……うう、何……」

 

 かなり強く押されたため、受け身も取れずに床へ転がる。

 

「母さん、いったい何を……」

 

 自分を押したのは後ろにいた母しかいない、何故そんなことをしたのか聞こうと二喜は振り返った。

 

「え……」

 

 しかし、振り返った先には、誰もいなかった。

 そこにはただ、ぼろぼろになって崩れたアスファルトが散乱しているだけ。

 

「そんな、だって、今確かに俺の背中を……」

 

 ほんの数瞬前まで確かに二喜のすぐ後ろに母がいたはずなのに、誰もいない。

 

「嘘だろ……母さん、そんな、いったい何が……」

 

 心臓が、きつく締め付けられるような痛みを発する。

 

「と、父さん、大変だッ母さんがいなくなった! どこかにいるんだろ、一緒に探してくれ!」

 

 二喜は、よろよろと弱々しく、今押し飛ばされたばかりの扉から出て再び外へ出た。

 

「きゃああああ!」

「ひ、ひいいいッ誰か、誰かああ」

「そんな、そんなああああ!」

 

 外へ出ると、あらゆる場所から人々の悲鳴が聞こえた。

 四方八方、すべての方角からだ。

 

「ハア、ハア、ハアッッ」

 

 鼓動は早鐘のごとく打ち鳴らされ、黒い不安がからだ全身に行き渡る。

 二喜は空を見上げた。そこには──、

 

「あ、あああああ」

 

 あの白い化物が、人々を襲い、橋渡家を追いかけてきたのと同じ化物がいた。

 何体も、何体も、何体も何体も何体も何体も……。

 

「うぁぁああああああああッッ!!」

 

 二喜の心は恐怖に飲み込まれ、思考、判断力、そして最後には意識を失った。

 橋渡二喜の、人生最悪の誕生日だった。

 

 

 

 

 

====================

 

 

 

 

 

「う……」

 

 目を覚ますと、二喜はベッドにいた。

 

「こ、ここは……?」

 

 辺りを見渡して、ここがどうやら病院らしいことまでは理解する。

 

「あ、先生! こちらの患者さん、目を覚ましていますよ!」

 

「ん? おお、本当だ、よかった……」

 

 同じ病室にいた看護師が、二喜に気付いて医師を呼んだ。

 

「君、今、大丈夫かな、気分が悪いとかあるかい?」

 

「あ、いや……」

 

「おっと、いきなりすまない。ここは病院で、君はここに運び込まれたんだ。君の名前を教えてもらえると助かるんだが……」

 

「橋渡、二喜です……」

 

 戸惑いつつも、二喜は名乗った。

 

「そうか二喜君、ここに運ばれてくる前、自分が何をしていたか覚えているかな? 実は、君と同じ場所で他にも運ばれてきた人たちがいるんだが……情報が錯綜していて、あそこで何が起こったのかがよくわからないんだ」

 

「何が、あったか……あッ!」

 

 自分の身に何が起こったのかを思い出そうとしていると、病室にある、カーテンが掛かった窓が目に入った。

 

「あ……う」

 

 そのカーテンを見ていると、何か、嫌な予感が心をめぐる。

 

「ん? 外が気になるのかい? すまない、開けてあげてくれ」

 

「はい」

 

 じっとカーテンを見つめる二喜を見て、医者は看護師にカーテンを開けさせた。

 

「あ、待って!」

 

「え──?」

 

 看護師の手がカーテンにかかったところで、二喜は叫んだが、もう遅かった。

 シャー、とカーテンは全開になり、窓の外が見えるようになる。星の見える夜空だった。

 夜空、そういえばあのとき、空から、化物が──、

 

「うわぁぁあああああああああッッ!」

 

「ど、どうしたんだ!」

 

 その夜空を見た瞬間、二喜はうずくまるように顔を伏せながら、急に叫びだした。

 医者や看護師は驚いたが、二喜にもよくわからない。ただ──、

 

「空が、怖いッ!」

 

「空が……?」

 

 それは、本能的な恐怖だった。その恐怖と共に、二喜は自分に何が起こったのかを思い出した。

 あの化物だ、恐ろしく、おぞましい、あの白い化物が、襲ってきたのだ。父を、母を、皆を殺したのだ。

 

 身体が芯から震えあがる。

 自分では抑えることができない。

 医者や看護師が声をかけているが、受け答えする余裕がない。

 

 この日から、二喜はあれだけ好きだった空を、見ることができなくなった。

 

 




読んでいただきありがとうございました。

新章の舞台は西暦四国、主人公は天恐患者ということで、これからどうなるのか以降の展開をお楽しみに。

次回「空を奪われた少年」

感想やご評価など、よろしくお願いします。
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