あの人生最悪の誕生日から、二喜はずっと入院生活を続けている。
入院してすぐの頃は、とにかく様々な情報が入り込んできた。
まず、あの日空から襲ってきた白い化け物は、世界中に出現したらしいこと。
あれは現存する生物とは根本的に違う存在で、人類の持つどんな兵器でも傷をつけることすらできない存在であるということ。
化け物の襲来によって、世界のあらゆる国や地域がほぼ壊滅状態であること。
それなのに四国が無事なのは、土地神の集合体が四国を囲むように結界を形成し、化け物をその外へ追い出したから。
結界が形成されたのは、二喜の両親が奴らに殺されてからまもなくだったらしい。
正直、意味がわからなかった。
それはきっと、二喜だけではなく、ほとんど全ての人が同じ思いだっただろう。
だって、神だの結界だの人類滅亡の危機だの、何かの作り話でしか聞かないようなフレーズが飛び交っていたから。
しかし、二喜はそれが本当のことだと知っている。
自分が、その家族が、まさに被害を受けたから。
こんなふざけた非現実が、現実になってしまっているのだ。
そんなふうに、世界はたった一日で、がらっと変わってしまった。
そして、二喜の世界で変わった重大なことがもう一つ。
空を、あの大好きだった空を、全く見ることができなくなってしまった。
空を見るのが、どうしようもなく怖いのだ。
連想してしまう。あの化け物を、両親の死を。
二喜以外にも、同じく空に対して恐怖を訴える者が続出した。
窓が視界に入らない場所を求めたり、外に出るのを嫌がったり、とにかく口を揃えるように「空が怖い」と訴えた。
そうした者たちには共通点があった。
皆、あの白い化け物の襲来を経験していたのだ。
やがて、あの白い化け物は「バーテックス」と、そしてこの症状は「天空恐怖症候群」、略して「天恐」と呼称されるようになった。
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それからしばらくは、常識がひっくり返り、皆混乱の極みとなった。
しかし、四国の中に大社という組織が結成されると、その混乱は落ち着くことになる。
大社は神社関係者が中心となって結成された組織で、四国に結界を作って人類の味方をしてくれている土地神の集合体“神樹”の意思を人々に伝え、この訳のわからぬ現状を整理したり、その神樹の力を運用することで、パニック状態だった四国をどうにか統治した。
おかげで、月日が流れると共に四国内は安定を見せてきた。
しかし、時の流れは、二喜たち天恐患者には安定と真逆の効果を与えることとなる。
バーテックスの襲来からしばらくの間、天恐を発症する人が出続け、天恐の患者はどんどん増えていった。
そして、症状の悪化もまた、時間と共に進行していった。
二喜は初めのうちはある程度普通の入院生活を送ってこれた。
窓や外を避けながらではあるものの、病院関係者とは問題なくコミュニケーションを取りつつ、目まぐるしく変わりゆく世界を、どうにか平静に過ごしてきた。
しかし、数ヶ月が経った頃、バーテックス襲来のフラッシュバックが起こり始め、病室でじっとしている時間が増えてきた。
さらに一年ほど経過した頃には、幻覚まで見え始め、まともな生活は送れなくなった。
そしてそこからしばらくして、とうとう発狂の症状が出始める。
ステージ4と呼ばれる最も重い症状。
二喜から理性は失われ、何が現実なのかすらわからない。
まともな思考すらできなくなってしまった二喜の頭の中で、最後に残っていたのは母親の最期の言葉。
『生きて』
この言葉のみを支えとして、二喜はバーテックス襲来から三年が経った今でも、命を留めたままベッドで眠っている。
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2018年9月下旬
看護師が一人、二喜の病室へ様子を見に来た。
「二喜君、見回りに来ましたよ」
返事はない。代わりに聞こえるのは静かな寝息だ。
「二喜君……」
いつもと変わらぬ寝顔。
この顔を見ると、目覚めていなくて残念なような、でも寝ているままでよかったような、とても複雑な気持ちになる。
二喜とは何度も話したことがある。
まだ彼の症状が比較的軽かった頃は、懸命に生きる彼の姿に元気をもらっていた。
だからこそ、今の二喜に目覚めて欲しくない。今の二喜の症状は最悪のステージ4。
一度目覚めればバーテックスへの恐怖で錯乱し、疲れ果てて再び眠るまで喚き散らして暴れる。
そのときの二喜はあまりにもつらそうで、見ていられない。
「いや、そうじゃないか……」
実際には、二喜に目覚めて欲しくないのは彼が可哀想だからではない。それもあるにはあるが、最大の理由は、発狂した二喜が自分の手に負えないからだ。
「はあ……」
看護師は自己嫌悪した。
患者が目を覚ますことに怯え、目覚めないことを願っていることに。
そして、それを自分自身で誤魔化そうとしていることにもだ。
「せめて、症状が良くなってくれれば……」
しかし、その望みは薄い。ステージ4になった患者が回復したケースは皆無だ。皆、今の二喜と同じような状態か、そうでなければ力尽きて亡くなってしまっている。
「バーテックスさえいなくなれば……」
二喜たちの恐怖の根源たるバーテックスが滅ぼされ、人類の前からいなくなれば、天恐の症状もあるいはおさまるのだろうか。
バーテックスを滅することができるかもしれない存在に、一つだけ心当たりがあった。
「そういえば……そろそろだっけ」
その心当たりについて、確かテレビで特集が組まれていたはずだ、と思い出す。
看護師は二喜の部屋に備え付けられたテレビの電源を入れた。
『ご覧ください! 彼女たちこそが、我々人類の希望、“勇者”の皆様です!』
画面に映ったのは、舞台の上に立つ五人の少女。
彼女たちをズームで映しながら、リポーターは興奮した様子で紹介していた。
「あの子たちが……勇者」
看護師はぽつりとつぶやいた。
つい先日、結界が張られてから実に三年ぶりにバーテックスが四国へ侵攻してきた。
それを人知れず撃退して見せたのが、今テレビで紹介されている五人の少女たち、勇者だ。
「普通の女の子にしか見えないけど……あの化け物たちを倒した、のよね」
正直、信じられないというのが本音だ。ミサイルが直撃しても倒せず、世界をほとんど滅ぼしたあの化け物をあんな女の子がどうこうできるようには見えない。
でも、本当のことなのだ。彼女たちは神樹の力を借りて戦う存在らしい。
神樹は確かに存在しているし、バーテックスの侵攻から四国を守り抜いている神樹の力を借りているのなら、納得はできた。
大社は勇者が初陣を勝利で飾ったことを大々的に宣伝した。
そのせいか、どのメディアも最近は勇者の話題で持ちきりだ。
「この子たちがバーテックスを全部倒してくれれば……天恐の人たちも治るのかな……」
そんな途方もない望みを看護師がこぼしたときだった。
「ぅ……」
「ッ!!」
その聞こえた声に、ばっ、と看護師が振り向くと、先ほどまでベッドで寝息をたてていた少年が、二喜が目を覚ましていた。
「あ……」
看護師は自分の迂闊さを後悔した。
もう結構な期間、二喜が目を覚まさなかったことで、完全に油断していた。
同じ部屋でテレビなどつけてしまったら、起きてしまってもおかしくないではないか。
このままでは、二喜はまた自分一人では手がつけられないほど発狂して暴れてしまう。
そう思った看護師は、つい反射的に身構えてしまった。
「あ、あれ……?」
しかし、しばらく経っても看護師が恐れているような事態にはならなかった。
恐る恐る二喜の方に視線を向けると、彼は何かをじっと見ていた。
すぐにそれがテレビだと分かった。
それも、ただ寝ぼけて眺めているというわけではない。
確かな意思を持ってテレビの画面を見つめていると感じた。
「ふ、二喜君……?」
「ゆ、うしゃ……」
「え?」
「勇者……あい、つらを……倒し、た……」
「──ッ!?」
看護師は、自分の心臓が飛び跳ねたのを確かに感じた。
二喜が言葉を発したからだ。
ステージ4になってからというもの、二喜は喋ったとしてもせいぜい、うなされているときの呻き声か、発狂しているときの叫び声だけだった。
二喜の口からまともな、意味のある単語を聞いたのは本当に久しぶりだ。
「あ、の……すいま、せん、今日は──」
「ちょ、ちょっと待ってて……っ、先生! 二喜君が!」
ついには自分に話しかけてきた二喜を見て、彼の変化を確信した看護師は、急いで医師を呼びにいった。
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「今の君の状況はわかるかい?」
「天恐を発症して、入院中……」
「驚いた……意思疎通も完璧だね」
車椅子に乗りながら答えた二喜の瞳には、しっかりとした理性が宿っており、二喜の変化は医師から見ても確実だった。
医師の口調は冷静であったものの、ところどころ興奮しているような様子が垣間見え、言葉以上に驚愕しているのが伝わった。
それもそのはずだ。何せ前例のないステージ4からの回復、それも特に前兆らしきものはなかったのだから。
「あの、今は何月ですか」
「今は2018年の9月だよ、もうすぐ10月だけどね」
「そうですか……もう、そんなに……」
二喜は自分の感覚と実際の時間経過とのずれに戸惑った。
入院が始まって一年ほどの事まではなんとなく覚えている。
しかし、それ以降はよく思い出せない。
でも、頭の中で「生きて」という母の言葉が何度もよぎっていたような気がする。
それ以外は正直、なんとなく病院で生活していたような……という程度であやふやだ。
「それにしても、どうして急に回復したのか……二喜君、起きる直前のことで何か覚えていないかい?」
「直前……ですか、確か……テレビがついていて……」
「テレビ?」
二喜の答えを聞きながら、医師は不思議そうにして看護師を見た。
看護師はバツが悪そうにしながら俯く。
「その、すいません……勇者様たちの特集を思い出して……つい」
「勇者……そう、勇者だ。確か、その単語がやけに強く心に残っていたのを覚えてます」
看護師のこぼした「勇者」という言葉で、二喜は思い出したようにそう言った。
「勇者……そういえば彼女たちは奴らを倒せる存在、それと何か関係があるのかも知れない……」
「奴らを倒す……そうだ、思い出したテレビでそんなことも言っていたんだ、あれはどういうことですか、奴らっていうのはバーテ──ぅッッ!」
「二喜君、どうした!?」
頭を抑えるようにしてうずくまった二喜を見て、慌てる医師と看護師。
しかし、二喜はその手で二人を制した。
「だい、丈夫です……ちょっと、あの日を思い出しただけ……」
あの日、つまり7・30天災のフラッシュバックだ。
「フラッシュバック……ステージ4から復調したのは驚かされたが、やはりまだ完治には程遠いか……」
「はあ、はあ……それで、勇者っていうのは……」
「その話はあとにしよう、とにかく今は休もう。まだ幻覚の症状は出ていないが、ひとまず今の君は
油断していたら、ステージ4に逆戻りしかねない。
勇者の話は一度落ち着いてからにするべきだ。
「そう、ですか……わかりました」
医師の言い分に納得し、二喜は引き下がった。
それを見て医師は頷くと、看護師へ向かって言った。
「しばらく彼を見てあげてくれ」
「はい、先生は戻られますか?」
「ああ、この事をまとめておく。何かあったらすぐに呼ぶように」
それだけ言うと、医師は二喜の病室を後にした。
「さて、早速まとめないとな」
病室を出た医師は二喜の回復について考察する。
何故、今日いきなり回復したのか。
二喜に対して、普段と違う事は特にしていない。唯一、看護師が病室でテレビをつけてしまったこと以外は。
そのせいで二喜は目を覚ました。通常ならこの後、二喜はまた発狂してしまっていただろう。
しかし、テレビの内容、つまり勇者の存在を見た二喜は、何故か発狂せず、ステージ4から回復するに至った。
「勇者の存在が、彼を勇気付けた……? いや、それだけじゃないか」
それだけなら、もっと大量に天恐の症状回復の報告が上がっていてもいいはず。
いや、もしかしたら二喜が早かっただけで、これからそういう報告も増えてくるのかも知れないが。
「とにかく、大社に連絡をとってみる必要がありそうだな」
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二喜は数日の間、勇者に関する情報を集めた。
といっても、寝たきりだった期間が長かったため、歩くのが難しく、車椅子での移動になってしまったのであまり詳しい情報は集められなかった。
わかったのは勇者が神樹から力を借りた少女であること、そして戦えはしないが、神樹の意思を受け取ることのできる巫女という子たちもいるのだということだ。
勇者はあのバーテックスを倒せるという話も、神樹から力を借りているのなら信憑性はある。
また、勇者や巫女の存在が大々的に報道されたのは、つい先日、バーテックスが四国に侵攻してきた際にそれを撃退したことがきっかけであったが、実際には天災当初から彼女たちは力を授かっていたらしい。
その力で、四国を結界が覆うまでの間、バーテックスと戦っていた者もいるのだとか。
「もし、僕に力が宿っていたら……」
両親を、救えただろうか。
それはわからない。だが、確かに言える事がある。
「今の僕じゃ、もし力を持っていても戦えないな……」
病室の壁を見渡す。どの壁にも、窓がなかった。
天恐の患者のための仕様だ。天恐患者は空を極端に怖がる。
そしてその恐怖が、まだ自分の中に強く残っているのを二喜は感じる。
「今、空なんて視界に入れてしまったら、きっとステージ4に逆戻りだろうな」
この恐怖を、克服できる気がしない。
バーテックスと戦うなんて、考えただけでも身の毛がよだつ。
勇者たちは、怖くないんだろうか。
「……どんな人たちなんだろう」
無意識に、そんな言葉が漏れ出ていた。
「──会ってみたいかい?」
「え──?」
そのとき、病室の扉が開いて、医師が顔を見せた。
自分の独り言が扉の前まで漏れていた事は少し恥ずかしく思ったが、今はそれよりも医師の言葉だ。
「会うって、どういう……」
「そのままの意味だよ、勇者たちに、直接会ってみないか」
「そりゃまあ、会えるものなら……」
二喜がそう答えると、医師は何かを決意したように、一瞬顔を伏せ、再び二喜に向き直ってから、言った。
「そうか……なら、二喜君、
「か、香川?」
「大社に、ステージ4から回復した唯一の存在である君のことを相談した。勇者の存在がなんらかの影響を与えている可能性が高い、と」
「それで……大社はなんて?」
「勇者のスケジュールを調整して、定期的に会う機会を作ると言ってくれたよ」
よくそんな時間を割いてくれたな、と思った。大社にとっても天恐は悩みの種だったというわけか。
「ただ、そのためには勇者たちの拠点である香川まで行かなくてはならない」
「香川へって……ここ、徳島ですよ? 僕は、まだ外には出れません」
「そこは心配しなくていい。絶対に、空が視界に入ることの無いようにする」
「でも……そうだ、大社の管理している病院って言ってましたね、先生たちは来てくれるんですか?」
「それは……すまない、他の患者たちもいるし、どうも機密の多い場所のようで……行くとしたら君一人だ」
「そんな……」
「もちろん、無理にとは言わないよ、よく考えて決めてくれ」
二喜は考える。正直、いくら大丈夫 と言われてもここを出るのは怖い。
それに、一人で香川に行くのは心細いし、向こうでうまくやれるかもわからない。
しかし、もし自分が回復した理由がわかれば、他の天恐患者を救う一助となるかもしれない。
そしてなにより、勇者たちのことは、とても気になる。
「……決めました。僕、行きますよ香川へ」
「……そうか。では、向こうにもそう伝えておく」
こうして、二喜は勇者のいる香川の病院へ移ることに決まった。
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数日後、二喜の転院の日が来た。
二喜はストレッチャーに横になりながら、窓が完全に隠された特別仕様の救急車へと乗る準備をする。
今、救急車は病院の建物内の特別なスペースに駐車されている。
そして、香川の病院でも同じように建物内に救急車ごと入ってから降りるそうだ。
これなら確かに空が視界に入ることはない。
「今日の分の薬はもう飲んだかい?」
「はい、さっき病室を出る前に」
「そうか、あの薬は眠くなる副作用もあるから、車の中で寝てしまいなさい。起きたら香川の病院に着いてるよ」
「それはいいですね、緊張しなくて済む。それじゃあ、行ってきます」
「ああ、気を付けて。……付き添いの大社の方、二喜君をよろしくお願いします」
救急車に乗る段階で医師たちとはお別れになる。ここから先は大社側の人たちが二喜を担当する。
「お任せください。大社も天恐には頭を抱えています。我々にとってもこの子は希望ですから」
大社職員は真剣な様子でそう答えた。
「先生、今までお世話になりました。看護師の方々にもそう伝えてください」
「ああ、わかった。……二喜君、いつか言っていたね、前は空が好きだったと」
「そんなことも言いましたっけね」
もう三年も空は見ていないが、空を奪われる前は本当に好きだったのだ。
「また、見れるようになるさ。君ならば、きっと」
「──本当に、ありがとうございました、先生。いってきます」
「行ってらっしゃい、二喜君」
見送る医師に会釈をし、大社職員は二喜を乗せ、中から救急車の扉を閉めた。
救急車が発車する。二喜は名残惜しさと緊張を感じながらも目を閉じる。
これから会いに行く人物たち。香川にいる、五人の勇者たちのことを思いながら。
読んでいただきありがとうございました。
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次回は三話「勇者」です。
ついに彼女たちが登場!
お楽しみに。