あの夏祭りの日、勇者たちが勇気をくれた。
おかげで俺は決意できた、何もできない自分を変えようと。
でも、天からの災いは、俺の決意を嘲笑うかのように容赦なく降りそそぐ。
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「う、うう……ん」
瞼の隙間から光が差し込み、瞳が外の世界を映しだした。
視界と共に失われていた意識も次第にはっきりしてくる。
自分がなぜ倒れているのか、少しの間忘れていたが、それもまた、だんだんと思い出してきた。
「そうだ、大橋が……!」
思い出した記憶の衝撃の大きさに、ばっと、飛び起きるように勢いよく身体を起こした。
「いッ──ッ」
直後、鈍い痛みが体全身を襲う。特に、左腕の痛みが強かった。
「くそ、痛い……って、え────」
その痛みを堪え、辺りの様子を確認しようと顔を上げた。
すると広がっているのは、さっきまで自分がいたのと同じ場所とはとても思えないような、衝撃的な光景だった。
崩落した瀬戸大橋が地面と激突し、周囲一帯に大量の瓦礫が飛び散ったのだ。
橋からかなり近い場所にいた俺は、その瓦礫と衝突時の衝撃波のようなものに打ち付けられ、意識を失っていた。
もし、崩落した橋の真下にいたらと思うとゾッとする。
今でさえ、十分大怪我だ。
痛みの程度と腫れを考えるに、おそらく左腕の骨は折れている。
「ほ、他の人たちは……」
一緒にいた犬吠埼夫妻や、自分の両親たちはどうなったのか。俺はより注意深く自分の周囲を見渡した。
そして、見つけた。
複数の大きな瓦礫の下敷きになり、血を流して倒れている犬吠埼夫妻の姿を。
「い、犬吠埼さんっ!」
俺は絶叫し、自分の身体の痛みなど無視して必死に二人のそばへ駆け寄った。
「二人とも、しっかりしてください!」
二人の上に覆いかぶさる瓦礫をどかそうと懸命に力を入れる。
しかしびくともしない。
「う……」
「……っ」
幸い、二人ともまだ息はあるようだ。
だが、いつまでもつかわからない。そのレベルの重傷だった。
「夢継君……かい? 無事、だったか……」
「っ──気が付いたんですね、よかった……!」
呼びかけに、旦那さんのほうが応えた。
その事実に、俺は希望を見つけたよな気分になる。
しかし──。
「妻は……僕の妻は、どこに……無事、だろうか」
「え──?」
奥さんは旦那さんの目の前で同じように倒れている。
旦那さんからも、見える位置のはず。
よく見れば、旦那さんの目の瞳孔の開き方が左右でわずかに違う。これでは、ほとんど光を映していない可能性すらある。
いやな予感が、俺の中を駆け巡った。
「あな、た……」
すると、今度は奥さんのほうが声を発した。
しかし、こちらは旦那さんの方よりもさらに、元気がなく、もはや息も絶え絶え、といった感じだ。
「お前、そこにいるのか、まさか…………そうか」
一方の旦那さんのほうは、奥さんのその声を聴いて、何かを察したように小声でつぶやくと、俺に向かって、言った。
「夢継君……きみは、自分のご両親を、探しなさい……僕たちは、ここから動けそうにない……」
「な……」
実際、俺も自分の両親が心配だ。
軽く見渡した限り、この近くに人影は発見できなかった。
つまり、両親もまた、どこかで倒れているか、あるいは…………とにかく、動ける状況でない可能性が高く、探すのには時間がかかるだろう。
できることなら、すぐにでも探しに行きたい。
しかし、他に助けが来る気配もない中、俺がこの場を離れて両親を探しに行く、それは、今ここにいる夫妻を見捨てることに他ならない。
「行くんだ……」
旦那さんは繰り返し俺に向かってそう言った。
「何を、何を言っているんだ! そんなことできません! あなたたちは助かる、助かるんだ! 俺が今、この瓦礫をどかす、だから!」
必死に、瓦礫を動かそうと力をこめる。しかし、まるで動かなかった。
そもそも中学生ひとりで持ち上げられるような重さではないうえ、今は左腕を骨折しているのだから、当然だ。
「くそ、くそっ! なんで俺はこんなこともできないんだ!」
「もういい、行くんだ、もし今ここから出れても、たぶん……」
確かに、出血の多さを考えると今頃瓦礫の山から出たところで、助かるかといったら、それは……、それでも、見捨てるなんてできなかった。
「黙ってて! 娘さんたちがいるんだろう!? 成長を見届けるのが楽しみだって言っていたじゃないか!」
「風、樹……僕たちの、娘……」
「そうだ、家ではその二人が待っているんでしょう! だから──」
「ああ……二人とも……大きく、なった……本当、に……」
「犬吠埼、さん……?」
様子がおかしい。先ほどまでは俺と会話できていたのに、急に独り言に変わった。
それも、まるでこの場に娘さんたちがいるかのような口ぶりだ。
意識が、混濁している。
声も小さくなっていき、まるで最後の力を振り絞るようで……。
「愛してる……風、いつ、き……」
「ちょっと、しっかりしてくださいよ!」
俺は叫ぶ。
頼む、死ぬな、死なないでくれ。
こんなの、あんまりだ。
「ふ……つ、き……」
そのすぐそばで、今度は奥さんが声を発していた。
「どうしたんですか、大丈夫、すぐに助けますから!」
精一杯元気づけながら、俺は何かを言っている奥さんに近寄り、その口元に耳を近づける。
「風……樹……どう、か……どうか、しあわ、せに────」
「────っっ!」
彼女がやっとの思いで呟いたのは、愛する娘たちの幸せを願う言葉だった。
親としてとても気高く、強く、美しい言葉。
しかし、俺はそんな言葉、聞きたくなかった。
「やめてください二人とも……それはこの場でじゃなくて、娘さんたちに直接伝えないと!」
こんな場所で言っても仕方ない、と俺は必死に訴える。
しかし、その訴えに返事はない。
「……犬吠埼さん? 犬吠埼さん、犬吠埼さんってば!」
結局、犬吠埼夫妻は二人とも、それ以上言葉を発することはなかった。
目を開けることも、呼吸をすることすらも。
「やめてくれ……こんな、こんなこと……どうして、なんでこうなるんだ!」
ついさっきまで、楽しく笑いながら話していた。
二人とも、自分の娘たちの成長を、これから先もずっと見ていくはずだった。
なのに……。
「くっそおおおおおおおおおおおお!」
俺は叫んだ。絶叫だ。
突然の天災、犬吠埼夫妻の理不尽な死、そして何もできない無力な自分。
全てが悔しかった。
でも、いつまでもここにいるわけにもいかない。
両親を探さなければいけないし、他にも助けを求める人がいるかもしれない。
犬吠埼夫妻をこのままここに置いていくのは嫌だったが、俺一人では何もできない。
俺は本当に無力だ。
「すいません、犬吠埼さん」
俺は涙を拭い、犬吠埼夫妻の亡骸を置いて、この場を去った。
「確か、あの辺に……」
両親の姿を最後に見かけた場所に当たりをつけ、そこへ向かって歩く。
歩いて、歩いて。
誰かいないか必死に探して。
そして。
赤い水溜まりを見つけた。
その中心に男女が一人ずついた。
二人は傷だらけで、この水溜まりは二人の血でできたものだとわかった。
どう考えても、致死量だった。
その二人は、大赦の制服を着ていた。
「ああ、あああ、うわあああああああああああああああああ!」
俺はもう、ダメだった。
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どこか、遠くのほうから、サイレンの音が聞こえる。
たぶん、誰かが救急車や警察を呼んだんだ。
当たり前か、あの大橋が崩れ落ちたんだから。
──でも、もう遅い。
あの後、俺はすぐにその場から離れた。まるで、逃げ出すように。
全力で走って、走って、もう走る体力も気力もなくなって。
だから、とぼとぼと、力なく歩き、彷徨い続ける。
逃げたところで意味などあるはずもない。
しかし、あの場に一秒だって長くとどまることなどできなかった。
「うう……う、ううううううう!」
もう頭がどうにかなりそうだ。わけがわからない。
夢なら早く覚めてくれ。
「なんで、こんなことに……」
何も、悪いことはしていないはずだ。俺も、両親も、犬吠埼さんたちも。
なのに、どうしてこんな目に合わなければならない。
「いやだ、誰か、誰か。」
自分でも、もはやどこへ向かっているのかも、なぜ歩いているのかわからない。
それでも足が動くのを止められないのは、現実からの逃避。
そして、心に巣食う、言いようのない焦りと不安からだ。
少し前に銀が死に、そして今日、目の前で人の死を見せつけられた。しかも両親までその「死」の中に入っている。
疑いようもなく、ここが不幸のドン底のはず。
なのに、不安が消えない。ここから、まだ何か起こるのでは、という不安が。
そして、最悪なことに、その不安は当たってしまった。
「え──」
視界の端に、二人の少女の姿をとらえた。
そういえば、大橋の崩落の直前、自分たちが水質調査をしていた場所に、なぜか少女が二人倒れているのを見つけ、助けに行こうとしていたのだった。
どうやら、彷徨っているうちに、彼女たちの場所まで近づいていたらしい。
近くで見て、気づく。その姿に見覚えがあることに。
「嘘だ……だって、そんな……あり得ない」
神樹館の制服を着た、二人の女子小学生。
親友を
「須美ちゃん! 園子ちゃん! うわあああああああああ!」
俺は必死に二人のそばへ駆け寄った。
歩き続けて、足はとっくに限界だったし、折れた左腕が痛んだが、そんなことは気にしていられなかった。
「そんな、そんなあああっっ」
彼女たちまで、死んでしまったのでは、という悲観に襲われる。
しかし、特に外傷はないようだ。
呼吸もしている。つまり、生きている。
しかし、意識はない。
「二人とも! しっかりしてくれ、なんで、こんなところに……」
彼女たちが生きているのは、立て続けに起こった不幸の連続の中で唯一、よかったと、そう思えるできごとだ。
しかし、やはり不可解だ。そもそもここに二人がいるのがおかしい。
水質調査の作業をしていた場所は、立ち入りが制限されている場所だし、作業中、自分たち以外は誰もいなかったはず。
急に現れた、そう考えるほかない。
「急に……? 確か前にも……」
銀の葬式の際、この二人は突然消えた。そして今回は逆に突然現れた。
だとすると、関係があるはず。
「まさか、『お役目』……? 戦っていたのか、バーテックスとかいう化物と」
勇者が化物と戦うときは樹海という一般人には認識できない結界の中で戦うらしい。
いきなり現れたように見えたのも、そういうことか。
「まさか、これ全部、バーテックスの影響なのか?」
絶望が天から降り撒かれたかのような周囲の惨状を見渡す。
これが起こった原因に、そのバーテックスが関わっている、そう直感した。
「こんなの、ただの人間にどうこうできる問題じゃないじゃないか……っ」
俺の、もうすぐ14年になる人生で、最も大きい無力感が心の中に渦巻く。
勇者たちの力になる。そのために、あの夏祭りの日から努力した。それなのに──、
「なんなんだ、このザマはっ!」
ずっと、一緒にいたかった銀は死んだ。
自分の両親も、ただ娘たちを愛する善良な人たちだった犬吠埼夫妻も、みんな死んだ。
そして、せめて守りたい、支えたい、力になってあげたいと、そう願った須美ちゃんと園子ちゃんは、今こうして倒れている。
「……っざ……けるな……」
俺は、何もできなかった。強大な力の前に、誰も救えず、ただ泣いているだけ。
夏祭りの前と同じだ。何も変わっていない。
「ふっっっっざけるなぁぁぁああああ!!」
怒りのあまり天に向かって咆える。
それはこの理不尽そのものに対する怒りではなく、何もできない自分に対しての怒り。
「なんでもっと早く、動かなかったんだ、俺は!」
銀が死んで、一か月もの間、ほうけて過ごした。
それ以前に、銀が何かのお役目につくと知った時点で、何としてでも詳細を問い質すべきだった。
そうしていれば、今頃もっと大赦に近づけた──。
「いや、そういう問題ではないのか?」
もっと根本的に、そもそも大赦に入ったところで、本当に勇者の力になんて、なってあげられるのか?
確かに、何もしないよりはずっとマシだろう。
大赦による生活面や金銭面、装備などのサポートは、勇者たちとって無意味ではないはずだ。
だが、直接的には、そこまで助けになれていないのではないか?
バーテックスというのがどんな姿なのか、俺は知らない。
しかし、今日、バーテックスの影響と思われるものの片鱗を、この身で体験した。
こんな地獄を引き起こせるのだ。間違いなく、人智をはるかに超越した化物だ。
だが、大赦はそうではない。
これまで、末端とはいえ、大赦の内部と関わったからこそわかる。
大赦は、どれだけ巨大な組織であっても、あくまで人間の組織だ。
神樹や、その力を借りた勇者たちはいるものの、『大赦という組織』として振るえる力は人智の及ぶ範疇。
人知を超えた化物との戦いにおいて、いったいどこまで役に立つ?
「駄目だ……くそ、くそおおおおおっ駄目だっ、大赦では、足りない!」
最初から、目指す場所が間違っていた。
大赦に入っても、無意味ではないかもしれないが、無力であることはきっと変わらない。
「必要だ、もっと別の何かが! 彼女たちと同じ場所で、共に戦う力が!」
俺は、勇者の力になりたいと、そういいながら結局、戦いそのものは勇者だけに任せていた。そうするしかないと、はじめから決めつけていた。
それでは駄目なのだ。
「誰か! 誰でもいい! 神樹様だろうが、そうじゃなかろうかどうだっていい! 力をくれ! 勇者と共に戦うための力を! そのためなら、俺のすべてをくれてやる!」
今更こんなことを咆えたところで、もうすべてが遅い。
守りたい人たちはほとんどが死んでしまっている。
それに、神が力を授けられるのは、本来なら穢れなき無垢なる少女のみ。
それでも、願わずにはいられなかった。己の無力を、嘆かずにはいられなかった。
当然、こんな叫びに意味はない。届くはずがない。
その、はずだった。
「なんだ?」
地面が、俺の目の前の狭い範囲だけ、ぼんやりと光っている。
気のせいかと思ったが、そうじゃない。確かに、ほんのわずかではあるが光っている。
「これは、いったい……」
不気味に思った、次の瞬間だった。
「うわあっ!」
光が急速に輝きを増したかと思えば、その場所から、唐突に
驚きのあまり後ろに倒れ込み、尻もちをついてしまう。
「いてて……一体なにが──っ!」
それは、『木』だった。
いや、正確には『枝』。
そこらの細木の幹よりは太かったが、なぜだかそれが枝だとわかった。
「なんで、突然、こんなものが……」
俺は立ち上がると、恐る恐る、その自分の背丈ほどに伸びた木の枝に近づく。
はっきり言って不可解だし、怪しい現象だ。
あんなことが起きた後だし、何か悪い、危ないものかもしれない。
でも、俺の心にあったのは、希望だった。
この枝が、何かを変えてくれるかもしれない。直感的にそう思ったのだ。
そして、
「うぅ!? ぐ、ぁ、あああああ!?」
その『枝』に触れた瞬間、信じられないような激痛が頭を襲った。
そして、頭の中に何かが流れ込んでくる。
「なん、だ、これは……っき、おく……?」
そう、それは記憶だった。
絶望の中、己の無力に嘆き続けた者たちの、それでも必死に足掻き続けた者たちの記憶。
「ぐぅ!? が、がぁぁぁあああああああ!!!!」
骨折の痛みなんて忘れてしまうほどに激しくなった頭の痛みに、俺はその場に倒れ込み意識を手放した。
そして、俺は知ることになる。
遥か昔、西暦の時代から、願いを繋ぎ続けてきた者たちの存在を。
力なき者たちの、後悔と、決意と、勇気の物語を。
読んでいただきありがとうございます。
これにて序章は終わりです。
次回からは章が変わります。
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