色々な種類のセミがやかましく鳴き続ける八月のある日のこと。
少女の名前は白鳥歌野。
この諏訪をバーテックスの脅威から守り続ける「勇者」だ。
「はい、今日もバーテックスの襲撃がありました。でも、撃退しましたよ」
『そうか、まず、白鳥さんが無事でよかった。他に被害は出ていないか?』
通話の相手は、諏訪と同じく生き残った人類がいる地域、「四国」の勇者、乃木若葉だ。
諏訪と四国は、天災以来、こうして定期的に連絡を取り合って、情報共有をしている。
バーテックスという名前、そして勇者や巫女の存在や役割についても、四国から得た情報だ。
「人的被害は無しです。今日の群れは小規模でしたし……私、強いですから」
『それは何よりだ、うむ、本当によかった』
この乃木若葉という人は、なんだか武士みたいな喋り方をする。
この通話では容姿はわからないが、きっと強面で、男らしい身なりをしているのだろう。
と、創一は直接会話をした事もない人物に、やや失礼な想像をしながら二人の通話を聞いていた。
普段から歌野と行動を共にする創一は、この定期連絡の時間も同じ部屋にいることがある。
だが、この定期連絡で話すのは勇者のみ。
創一は後ろで話を聞いているのみだ。
それは巫女である水都も同じで、彼女は部屋の隅っこで本を読みながら、たまにチラッと歌野の顔を見ていた。
『他に変わったことはないか』
「特にありませんね、いつも通りです。四国はどうですか」
『こちらも変わりない。バーテックスの襲撃はなく、訓練と勉強の日々だった。いつも通りだ』
「そうですか、そちらも変わりないようで何よりです」
“いつも通り”
同じ言葉だが、諏訪と四国ではその実態はまるで異なる。
諏訪も、力のある土地神の加護を受けてはいる。
しかし、四国は特定の土地神ではなく、日本中の様々な土地神の集合体である「神樹」の加護で守られているのだという。
神樹の結界は、四国全体を取り囲む巨大な壁を形成しているらしく、規模や強度も諏訪の御柱結界の比ではない。
その強力な結界に阻まれて、バーテックスはあの天災の日以降は一度も四国に攻めて来ていないらしい。
さらに、神樹の恵みだとかで、食料も資源も潤沢にあり、学校などの施設も天災前と変わらず機能しているそうだ。
一方、諏訪の現状ははっきり言って、悪い。
この三年間、歌野の懸命な奮闘や、水都の的確な神託、そして住民の結束のおかげで、諏訪では奇跡的にただの一人の犠牲者も出していない。
しかし、じわじわと数も頻度も増してくるバーテックスの襲撃によって、御柱結界を形成する柱の中でも
それによって結界は縮小し、現在諏訪の人々が暮らせるのは諏訪湖東南部のわずかな範囲のみ。
食料もその狭い土地で全員分を生産せねばならない。
電気やガスといったインフラは、土地神の加護で多少賄えるが、四国のそれと比べれば微々たるものだ。
当然、学校なんてあるわけもない。
勇者と巫女の数も全然違う。
四国には、乃木若葉以外にも勇者がおり、彼女を含めて五人の勇者がバーテックスと戦う力を持つ。
巫女に至ってはその数倍の人数がいるらしい。
諏訪はその役目を、歌野と水都のたった二人に任せるしかないのが現実。
創一としては己の無力さを憎むばかりだ。
……なんて暗い考えにふけっている間に、勇者たちの話題は全く別のものへと移り変わっていた。
「それじゃあ、そろそろ
『臨むところだ。今日こそ決着をつけてやる』
「『蕎麦とうどん、どちらが優れているか!』」
(まーた始まったよ……)
創一は半ば呆れるようにため息をついた。
この勇者二人は、定期通信の度に、このようにそれぞれ自分の故郷を代表する麺類、すなわち長野の蕎麦と香川のうどんのどちらが優れているかについて、激論を戦わせている。
『比べるまでもなく、うどんの方が優れているのは明らかだ』
「はい、確かに明らかですね、どう考えても蕎麦の方が優れています」
『何を愚かな、白鳥さんは香川のうどんを食べたことがないからそんなことが言える。うどんより優れた食べ物などあるものか』
「乃木さんこそ、長野の蕎麦を食べれば意見は180度変わるはずですよ。なんといっても蕎麦は味や香りはもちろんのこと、健康にまで良い完璧な食べ物ですから」
『味以外の効能もうどんが優れているとも、なぜならうどんは────』
その後も二人は延々と自分の好きな麺類の長所を並べていく。
(決着なんてつかないのに、二人ともよく飽きないなあ)
創一からしたら毎度同じ話題でここまで熱くなれる二人が不思議だった。
そのくらい繰り返され、それでいて進展がないのだ、この話題は。
なぜなら、二人とも、それぞれの麺が最強であるということを、はなから譲る気などさらさらないのだから。
しかし、呆れるのと同時に、創一にはこの時間が見ていてどこか好ましくもあった。
その理由は、この「そばうどん論争」をしているときの歌野が、とても楽しそうだからだ。
こうして歌野が顔も見たことのない「友人」と、くだらない会話で盛り上がっていられるこの時間は、きっと彼女にとっても心休まる時間に違いない。
それを確信できるから、創一としてはいつまででもこの論争を見ていたいとさえ思う。
しかし、創一とは打って変わって、この光景を快く思っていない者が一人……。
「………………」
(うお……こっちも相変わらずだ……)
ゴゴゴゴゴゴゴ、と重々しい擬音が聞こえてきそうなほど、わかりやすく水都は機嫌を悪くしていた。
それを見て創一は、つい先ほどまで思っていた事を180度変えて、早く終わってくれと思うのだった。
『む……もう時間か、蕎麦は命拾いをしたな』
「いやいや、うどんのほうこそゴングに救われましたね」
創一の情けない願いが届いたのか、勇者通信の時間が終わり、二人の白熱した議論もいったんの終わりを迎えた。
「そういえば明日からそちらは新学期ですよね。でしたら次回の通信の時間は放課後の時間にしましょうか」
『うむ、そうしよう。では、また明日。諏訪の無事と健闘を祈る』
「ええ、また。四国の無事と健闘を祈っています」
最後にお互いに祈り合い、この日の諏訪と四国の勇者二人の通信は終了した。
「ふぅ、終わったわ。二人ともお待たせ」
楽しそうに会話をしていたとはいえ、やはり勇者のお役目としての緊張はあったのか、歌野はほっと息をつきながら振り向いた。
「って、みーちゃんなんでそんなジト目なの?」
水都の不機嫌そうな視線を感じて、歌野は怪訝な表情を浮かべる。
そんな歌野に対して、水都はむすっとしながらも口を開いた。
「……うたのん、四国と通信してる時の喋り方、変だよ。何々ですとか、敬語で大人ぶって、似合わない」
「一応、勇者としての公式な仕事だから丁寧な言葉遣いにしないと。というか電話とか手紙だとなんとなく丁寧語になっちゃわない?」
「ならない。そーくんもならないよね」
「え」
まさか自分に振ってくるとは思わず、創一は肩をビクッと震わせた。
まあ確かに、考えてみると歌野は四国と通信しているとき、相手が同年代なのにも関わらず常に敬語だ。
だが、顔も知らない相手なのだから敬語なのは普通のことだと思い、そう答えようとしたのだが……、
「な ら な い よ ね ?」
「ハイ、ソウデスネ……」
水都の放つ圧に逆らうことはできず、肯定の返事しかできなかった。
「嘘、オンリー私!? でも、そういえば乃木さんも敬語ではないわね……」
歌野の話の中に乃木若葉の名前が出てきた瞬間「あ、まずい」と創一は心の中で声を発した。
「それはそうと、乃木さんって武士みたいな喋り方してて面白いのよ。普段からあんな喋り方しているのかしら。会ってみたいな〜、そういえばこの前なんて────」
「知らない。私ご飯食べてくる」
「ええ!? なんでアングリーなのみーちゃん!?」
「別に怒ってない」
「ちょっと待ってよー!」
一人でスタスタと歩き出してしまう水都。誰がどう見ても怒っているが、歌野にはその理由がわからないようだ。
というより、もしかしたら水都本人も自分が何故イライラしているか気づいていないかもしれない。
しかし、第三者から見れば一目瞭然。水都は嫉妬しているのだろう。
歌野が乃木若葉、つまり自分たち以外の同年代と、心の底から楽しそうに会話している姿を見ると、歌野を取られたような気がしてモヤモヤしてしまう。
その気持ちは創一もわからないでもないが、あそこまで機嫌を悪くしてしまうとは……ああなった水都をいったいどうやって止めればいいのか。
創一は頭を抱えてしまうのだが──、
「待って、ウェイト、みーちゃん! 私も一緒に行くわ。みーちゃんと一緒に食べる方がご飯も美味しいものね」
「……うん、行く」
(うわ、水都さんちょろ……)
想像を遥かに超えて簡単に怒りを鎮めた水都に半ば呆れつつも、機嫌をなおしたことにほっとする創一。
「そー
そんな創一を、歌野は誘った。
正直言って嬉しいお誘いだったのだが、今の流れもあって、水都がどう思うのかが気がかりだった。
「えっと……」
「みーちゃんもそれでいいわよね」
創一がどう答えるか思案していると、歌野が水都の方を見てそう言った。
正直、怖かった。
水都は今、歌野といたいはずだから、邪魔になるんじゃないかと思った。
これで嫌な顔をされたり、少し考えるような間でもあったらと思うと、心に締め付けられるような痛みが走る。
しかし──、
「うん、もちろんいいよ」
水都は嫌な顔ひとつせず、妙な間を開ける事もなく、あっさりそう言った。
そんなの聞かれるまでもないというように、ごくごく自然に。
「はい! 今行きます!」
水都も、創一が一緒なのは普通だと、当たり前だと思ってくれていた。
それが嬉しくて、創一は大きな声で返事をした。
「それで、今日のお昼はどうします?」
「私、今日は蕎麦の気分だわ」
「うたのんはいつもそうでしょ」
そんな水都のツッコミで可笑しそうに笑う二人。
これがこの三人の日常であった。
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「おっちゃん、蕎麦、三人分」
「おー創一、歌野ちゃんに水都ちゃんも、いらっしゃい。蕎麦三人前ね、あいよ!」
ここは行きつけの蕎麦屋だ。今は昼時から少し外れた時間だからか、他に客はいないようだ。そういうときは、こうして無遠慮に注文を出せる。それくらい見知った仲なのだ。
まあ、他に客がいたとしても、どうせその客たちだって皆知っている顔ばかりで、誰も気にしないのだから何の問題もないのだが。
「はいよ、蕎麦、できたよ!」
「「「いただきます」」」
「うん! やっぱり蕎麦が一番デリシャスよね!」
真っ先に蕎麦をすすって、笑顔になったのは歌野だ。
それから創一と水都も蕎麦を食べ、時間が過ぎていった。
そして、しばらく経って食べ終わったころに、水都が申し訳なさそうな顔をしながら小さな声で話し始めた。
「……うたのん、さっきはごめんね、そーくんも」
「え? なんのこと?」
「なにがです?」
水都の突然の謝罪に、二人はきょとんとした。
「さっき、怒ったみたいな態度とって……気分悪かったでしょ?」
「ああ……」
きっと、水都も気付いたのだろう、あれがただの幼稚な独占欲から来る嫉妬であったのだと。
「私はうたのんが眩しいよ、いつも前向きで、皆の中心にいて、諏訪の皆、四国の乃木さんだって、うたのんのこと好きだと思うし……そーくんだってそうでしょ?」
水都は歌野への憧れを口にした。
その言葉にはやや自虐じみた意味が込められており、水都のネガティブさがにじみ出ている。
「確かに俺は歌野さんのことは尊敬してますし、好きですけど、それは水都さんに対してだって同じですよ」
「そうよ、みーちゃんだって皆から大人気だと思うけど。諏訪の皆だってみーちゃんのこと好きだし、すごいって思ってるわ」
「それは私がたまたま巫女に選ばれたから……だからうたのんと友達になれて、それで特別視されてるだけだよ」
「こら、みーちゃん!」
「あう」
水都のネガティブ発言を聞いて、歌野が彼女の額をつつく。
「後ろ向きに考えないの、皆が、巫女だからってだけの理由でみーちゃんを好きなわけないでしょう?」
「うたのん……」
「だって、この間の誕生日を思い出してよ、皆、みーちゃんのこと盛大に祝ってたじゃない」
「あ……」
水都の誕生日は七月七日の七夕だ。
つい先月、その日を祝って誕生会をした。
諏訪の皆で、とまではいかなかったが、それなりの人数が、ささやかながらも心のこもったお祝いをしていたのは記憶に新しい。
「そー君なんて、自分の手作り蕎麦をサプライズしてたでしょ? 私にも内緒にしてこのお店で修行までしちゃって」
「ちょ、歌野さん、恥ずかしいですよ……」
「おっと、ソーリー」
確かに、歌野の言う通り、創一は水都のために手作り蕎麦をご馳走した。だいぶ張り切って準備にもかなりの時間をかけたものだったが、それを指摘されるのはなんだかむず痒い気分になる。
「でも、ただ巫女っていうだけの人にそこまでするはずないわ。ね、そー
「それは、もちろん、そうです。俺は他の誰でもない、水都さん個人のためだからあんなに張り切ったんですよ」
「そ、そっか……ありがと、二人とも」
水都はそう言いながら、少しだけ顔を赤くして俯いた。
その姿に、一瞬、創一はドキリとした。
まだまだネガティブは抜けそうにないが、創一はいつか水都が自信を持てるようになる日が来るのを切に願った。
「そういえば、そー
「美味しかったよ、すごく」
「やっぱり! そー
歌野はその曇りのない眼を輝かせながら、創一を見つめた。
そういえば、この間はあくまで水都の誕生日だったので、水都の分しか作らなかった。
歌野は「私も食べたかった」としきりに言っていた気がする。
「ええ、もちろんいいですよ。それまでには今よりもっと美味しく作れるようになってますから、お楽しみに」
「オゥ! それは楽しみね!」
「じゃあ、その日は年越し蕎麦と合わせて二回お蕎麦が食べれるね」
「ワオ! 本当だわ!」
歌野の誕生日は十二月三十一日。なんと大晦日だ。
年越しを祝う日と生誕を祝う日が同時に来る、なんとも縁起のいい日になる。
というか、そういう日は大抵の場合年越し兼、誕生日の蕎麦というようにまとめて食べるものだと思うが、両方食べるつもり満々らしい。
「あれ、それだと俺は年越し蕎麦も打つんですか?」
「「頑張って、そー
流石に一日に何食分も打つのは大変なのでそれは断ろうとした創一だったのだが、この二人にこう言われてしまってはもう断れない。
「え~、二人が言うなら、わかりました、頑張ります!」
「お、今から張り切ってるわね、その調子よ!」
「と、当日は私も手伝うね」
こうして、創一たち三人は、まだ遠い日に向けて気合いを入れた。
創一は今年の大晦日、歌野の誕生日を盛大に祝う事、そして今年も皆で年を越せる事を、強く強く、祈るのだった。
読んでいただきありがとうございます。
次回、「諏訪の住民たち」
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