NIPPON!
仄白く輝く水平線に、島影が現れた。
水兵たちが忙しなく駆け回る。
航海士が、あれこそは我々の目指すべき港であると断言する。
我々は聖マリヤへの祈りを捧げるが、今日に限っては、並んでくれる者さえ、ごく僅かだ。
ミゲルは昨年もこの港へ来航している。すぐに上陸できるはずだと請け合うので、支度を急ぐことにした。
陽が昇る。暑くなりそうだ。
まぶしい日射しを左手で遮りながら、前方を見つめる。
湾の入口に、浮島がひとつ。その頂上に、白い十字架。
それを見て、やっと船員がひとり残らず十字を切り、順風に恵まれた今度の航海に感謝を捧げた。
小舟が、こちらへ向かってきた。
十字の旗を、たなびかせている。
誘導に従う。投錨し、下船の準備に入る。
私たち宣教師は、いち早く出迎えの小舟へ乗り込み、上陸させてもらった。
浜辺で、大勢の原住民に出迎えられる。
未だかつて、どこの国でも味わったことのない歓迎ぶりだ。
丘の上の教会へ、時間をかけて辿りつく。
パードレ・コスモ・トルレスとの、16年ぶりの対面だった。
噂には聞いていたが、あまりの変わりように、言葉を失った。
鋭い眼光。ひきしまった体つき。どれほどの受難が、人をここまで逞しくさせるものであろうか。
イルマン・ジョアン・フェルナンデスにも、昔の面影はなかった。
彼の隣に立てば、私は格下の後輩にしか見えない。
似つかわしくないパードレの制服を着ている自分を、ひそかに恥じた。
「パードレ・ジョワンニ・バティスタ・モンテ以下3名、第四次日本派遣宣教団、本日をもって着任いたします」
教会には、ひとめでこの国の貴人と見られる成人が5名、そして幼児から少年までの子供たちが20名ほどいて、授業を受けていた。
我々は挨拶もそこそこに、早速その手伝いを命じられる。
手伝いといっても、日本語がわからないので大したことはできない。
講師をつとめる日本人がポルトガル語を話せるので、それを補助する。
神学的な質問がなされた際には、我々がポルトガル語またはラテン語で回答してよい。
ほんの数時間だけで、驚かされることは尽きなかった。
しかし、まだ言葉にできる自信がない。日本人の不思議さは、後日、個別に整理しながら、述べることにしよう。
三時課の祈りと、昼食。やっと、緊張のほぐれる時間を得られた。
食事は、予期していた通り。コメと、草を煮たもの。そして、汁だった。
我々は箸の使い方をアマカウでしっかり覚えてきた。トルレスにもフェルナンデスにも、日本人にも褒められて、嬉しかった。
午後の授業は、普段よりも早めに切り上げたのだという。我々も緊張と疲労が辛かったので、ありがたかった。
生徒たちはめいめい、帰っていく。
子供たちの何人かは、この教会兼住院で暮らしている。その子たちは、夕食の支度や掃除を始めた。
てきぱきと、授業と同じくらい熱心に取り組むその姿は、いざこの目で見ると、やはり驚嘆せざるをえないものだった。
フェルナンデスに、教会周辺を案内してもらう。
丘のもう少し高い場所に湧き水があり、その傍にも大きな十字架が建っている。
入江では船員たちが早速商売の準備を始めているのが見える。小舟がひしめき合っている。
この港は昨年開かれたばかりで、今は何もない漁村だが、十年もすれば、目をみはる商業都市になるだろう。
「湾の入口から見て右手、我々の教会があるこちら側には、200戸ほどの家がある。領主が教会用地を提供してくれるにあたり、この集落の全員に改宗を命じた。だからこちら側の住民は味方なので、ある程度自由に散策するのはよい。ただし、最低一人は日本人の案内をつけて出歩くこと。
日本人といっても、教会に住み込んでいる子供たちの大半は案内役として不適格だ。では誰なら大丈夫かという判断も難しいと思うので、パードレ・トルレスか私に相談してもらえるといいかもしれない」
……安全な土地とはいえない、ということかね?と、パードレ・モンテが尋ねた。
「そうだ。湾を境に東側の村には邪宗徒しかいない。坊主たちのみならず住民すべてが、私たちを激しく憎悪している。踏み込んだら無事ではすまない。西側の集落も、去年までは同じだった。私たちは一年かけて、ここの人たちを導いてきたばかりだ。まだまだ時間はかかる。しかし、あなたたちの来てくれたおかげで、この土地──ノッサ・スニョラ・ダ・アジュダ全体に福音をゆきわたらせる日は、そう遠くないだろう」
モンテと私、それからイルマン・ゴンサルヴェスは、思わず顔を見合わせた。
フェルナンデスの言葉に、我々を怨む感情は微塵も見てとれない。
しかし前回の派遣団からは実に8年もの空白が生じたのだ。
かれらがどんな思いで我々を待ちわびたか。数々の戦禍をくぐり抜けながら、ここに布教拠点を築き上げるに至ったか。
それを思うと、実にいたたまれない気持にさせられた。
我々は、九時課の前に教会へ戻ってきた。
これから夕暮れにかけて、漁に出たり畑を耕していた大人たちがやってきて、説教を聴き、勉強をするという。
日中とは雰囲気も変わるし、より疲れることになるだろうと言われた。
その言葉はまったく、その通りだった。
くたびれ果てて、一日が終わった。
終課の祈りで、やっと、エウロパの言葉だけが交わされるひとときに、身を浸せた。
日本語はたしかに難しいと思う。単語も文節も、切れ目がよくわからない。
パードレ・トルレスは、すっかりあきらめてしまったようだ。
王の家臣たちが使う日本語と、村に住む漁民たちの日本語は、まったく異なる。しかも、貴人に対して衆民が適切でない日本語を用いた場合、貴人は相手をその場で殺すことが認められている。
そう聞かされては、日本語を覚えようとすること自体に躊躇が生まれるのも、やむをえないかもしれない。
一方で、フェルナンデスは、相当に日本語を修得している。
辞典と文法書をつくる作業に、これからは少し時間を割けるかもしれないと言われて、私は再び申し訳ない気持になった。
日本人は、椅子も寝台も使わない。
家の外で靴を脱ぎ、裸足になって、タタミと呼ばれる床の上に直接座る。
腕を組むように足を曲げる、独特の座り方をする。
夜はこの床の上で寝るのだが、備え付けの収納室からゴザを取り出し、タタミの上に敷いて、横臥する。
毎日、出して、しまう。
掃除がゆき届いているので不潔ではないが、慣れるまでは抵抗があるだろう。
日本に対しては、絶賛する人と、唾棄する人が、極端に二分される。
ありとあらゆる習慣が、エウロパの常識と異なるせいだと思う。
それを私は、この目でたしかめたかった。
たしかめて、悪くないよ、と思った。
今年で31歳。故郷を離れて、人生の半分を異国で過ごしてきたことになる。
そして、ついに、世界の最涯てまでたどりついたのだ。
私の名は、ルイス・フロイス。
地上でもっとも無用で価値無き、一介の下僕にすぎないが。
栄えあるマルチルとなるため、このニッポンへやってきた。