戰國ぢあぼろす   作:ひねもす@HAMELN

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SengokD.1577/001.hmos

舟はシアクという港町に着いた。

危険地帯は、とりあえず脱した。

 

身も心も縮まる寒さだ。

明日は吹雪くから舟は出せない、と地元の衆は口を揃える。

私は潮を見る目も天気を予測する感性も持ち得ないが、海に生きる人達の言葉には従おう。

というわけで、ここで何泊か滞在することになると思う。

 

降誕祭の前夜。後任のパードレが到着した。

ジョワンニ・フランチェスコ・ステファノーニ。

ラウマ生まれのイタリヤ人だ。4年前に来日したという。

4年前に

来日

したという。

4年も、日本に、住んでいた???

 

それにしては、まったく日本語を使えない。

日本人従僕を2人連れてきたが、すべて、かれらの通訳に頼っている。

4年間も日本にいて、何をやっていたんだ?

その猜疑が、私の感じた第一印象だった。

 

ポルトガル語は、仕事に支障が出ない程度には話せる。

彼から話すときはラテン語が主で、ニエッキとはイタリヤ語で談笑する。

日本語は4年間、意識的に学ばなかったという。

ニエッキが鋭く察した。

「カブラルのせいだろう?」と。

 

ステファノーニの振る舞いで気になることは、他にもあった。

日本での生活において、頼りとしている従僕への扱いが、いささか、ひどい。

完全に奴隷として使い、よく叱りつける。

従僕たちもすっかり慣れているようなので、よく躾けたものだとは思うが。

私にとっては15年ぶりの光景だったので、戸惑った。

 

ゴアやチイナでは、それが普通である。

リジボーアでも、カフルに対しては、厳しく主人への服従を躾けなくてはならない。

しかし日本では、原住民すべてに福音を授けるというメステレ・フランシスコ・シャヴィエルの宣言が原則となって「日本人は奴隷にしない」という方針が定められていた。

私もずっと、そのつもりでいた。

 

しかし、これも軌道修正されたらしい。

洗礼を授けられるべき人間と

福音を与えられるべきでない対象は

明確に区別され、厳密には居住区も隔離されなくてはならない。

同じ居住区で暮らす際は、奴隷としての登録と適切な管理が、所有者には求められる。

 

そんな大事なこと、文書で報告をしてほしかったです。

と抗議しそうになったものの、もしかしたら海賊に奪われてミヤコまで届かなかっただけかもしれないね。

それにしても、大転換だ。

 

これと同様、届いてない・伝わっていない連絡事項が、双方にあると思われる。

パードレ・ステファノーニにも納得してもらった上で、シモとカミの現状について、理解の共通化を図った。

しかし、まあ、無理だ。

1週間程度で検証できるものではない。

それより1日でも早くシモへ戻ってこいとのカブラルからの指令が怖かったので、私は旅立つことにした。

 

ロレンソかコスモを連れていくべきか。という議題も上がったのだが、ミヤコへ残した。

キナイの人員は、足りなさすぎる。

異動を命じられたのは私ひとりなのだから、私だけ行けば、じゅうぶんだ。

それにカブラルのお膝元で日本人のイルマンや従僕がミヤコよりも好待遇を得られるとは考えにくい。

そういった理由も含めて、置いてきた。

 

シモか。

私がいた時とは、天と地ほどの変わりようみたいである。

 

 

1563年。私は日本へ上陸した。

オオムラ領アジュダの入江がコンパニヤに提供されていた。

完成したばかりの邸を教会兼住院にして、村の人々の教化に努めた。

領主バルトロメウも日々教義の修得に勤しみ、私も日本語や現地の習俗を学びながら過ごした。

日本における数少ない、私が幸福を感じられた時代だ。

 

アジュダの村と港は、ひと月後、内乱により破壊される。

教会も焼かれ、私たちは定航船の中へ避難し、息をひそめて暮らした。

冬になり、定航船がチイナへ戻るに際し、私はタク島へ身を移す。

今は亡きイルマン・フェルナンデスと共に、対岸のフィラドとしょっちゅう喧嘩をしながら、ひきつづき日本語を学習した。

 

64年夏。定航船がフィラドへ現れた。

私は私利私欲にまみれたフィラドの要求を撥ねつけ、交易を許可する代わりにフィラドでの自治権と布教活動への保護を認めさせた。

大戦果であった。その功績ゆえに、翌年からミヤコを担当させられたのだ。

手柄なんて、立てるものではないよなあ。

 

ともあれ私が実見したシモの情景は、14年前の、その1年半だけなのである。

ミヤコの情勢だってその後14年ですさまじく変わるのを見てきた。

これを1週間で理解し教えようなんて、やはり無理だ。

 

シモは、地図上では9領国に分割される。

アジュダもフィラドも、それから現在コンパニヤの母港となっているナンガサキも、すべてヒゼン国に属する。

ヒゼン全体を束ねる大領主は存在しない。

オオムラ領・アリマ領・フィラド島・ゴトウ群島など小領主がひしめき合い、抗争を繰り返している。

ナンガサキは、この中のオオムラ領に属する。

 

私がこれから赴任するブンゴ国は、シモ島の東岸を広域支配している。ヒゼン国の反対側だ。

メステレ・フランシスコ・シャヴィエルの時代から我々を庇護してくれている一大拠点であり、ブンゴ王といえば当時は日本で最も権威と実力を備えた名君であると、ゴアやエウロパにまでその名が轟いていた。

 

ただし実際のところ、ブンゴ王は我々に良くしてくれるが、同じだけ坊主へも寛容である。

ブンゴ教会は坊主どものテラに包囲された立地にあり、それ以上の発展性は乏しいというのが実情だ。

 

ブンゴ王が領国内を束ねていられるのは、当然それだけ強力な国防軍を有し、治安維持しているからである。

周辺の国境ではその力を必要とされる事態が度々起こる。

ブンゴ国の北には、ブゼン国およびチクゼン国が接していて、その先にはカミ島西端のナガト国、スオ国、そしてアキ国が連なる。

 

このうちスオ国には、アマングチという大都市がある。

日本布教の草創期には教会用地も与えられた。記念すべき第一歩だった。

今なお、当時からの古参信徒が何十人も住んでいて、堅い結束を守り抜いている。

 

この状態が続いているということは、現在の領主がコンパニヤの庇護にまったく積極的ではないことを意味する。

 

私がミヤコにいた間でも、アマングチ経由あるいは発とされる情報にしばしば接した。

アキ国と戦うならアマングチの信徒に協力してもらい、ついでにスオ国も政権交代させるのがよい。

カブラルは、どこまでアマングチとの連帯を築けているかな。

ブンゴへ着いたら確認しよう。

そんなことを今、考えている。

 

 

宿の主人に、呼ばれた。

病人が出て、テンジク人なら治せるかもしれない、と誰かが言い出したらしい。

行ってみると高熱にうなされていた。

解熱剤なら持っているが。教えを聴くつもりがあるか?と先ず尋ねてみた。

聴きたい、とその時だけは涙を流しながら答えた。

熱は下がった。

それきりだった。

 

まあ日本人なんて、大概こんなものだよ。

 

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