シマン・ショーノシロー君には、ウスキ教会の従僕から始めてもらうことになった。
一方、定航船が来日する気節なのでカブラルはジョアン・デ・トルレスを連れて、急ぎナンガサキへと出立した。
私はフナイで資料整理に戻る。
日本史をまとめるにあたり、私が実際に見てきたキナイの12年間については記憶だけでも書ける。
しかし同じ期間のシモ事情については、手懸かりの少なさに茫然とした。
記録らしい記録が、ほとんど存在しないのである。
トルレスの存命中も何度か全パードレを召集しての会議が行われていたようだが、議事録はおろか何を協議したのかさえわからない。
年次報告書は、ゴアを経由してリジボーア、そしてラウマへ送られる。その都度、複製がつくられる。
これらの作成は、コンパニヤの責務の中でもひときわ重要。
日本発の文書は、あらかじめ2部作成し、別々の船で送り出すことが義務づけられている。ゴアでつくられた写本は、そこに永久保存される。
私自身、ずっとその仕事に就いていた。
書くことは私の天職だと思っている。私ほど速く書ける者はおるまい。それは承知している。
しかし得手不得手は関係ない。コンパニヤが規則として定めている仕事だぞ。
おまえら、ちゃんとやれ。
私がミヤコから書いて書いて送り続けた書翰の10分の1にも満たない、空疎な報告書を選り分け終えると、私はウスキのパードレ・モンテを訪ねた。
文献がなければ、聴くしかない。
いずれはシモ中を回って、すべての宣教師から体験談を語ってもらうことになるだろう。
カブラルには、そのぶんの時間が余計にかかることを承諾してもらわねばならない。
その代わり、良いものを仕上げます。
私たちが世界の涯てを開拓した輝かしい足跡を、最終戦争の更に先まで、千年紀を何回も重ねた先の子々孫々にまで、語り継がれる物語を刻みます。
だからもう少し時間をください。
鼻息荒くモンテにもその情熱を伝えたのだが、反応は淡泊だった。
「パードレ・フロイス。君の文才は認める。
情熱も、大いに結構だ。
ミヤコでは話題にも事欠かなかっただろうけれども、しかし、私にはとくに語って聞かせられるような逸話は無いのだよ。
ナンガサキへ行けば多少は退屈もまぎれるだろう。しかし、あの町で起きているいざこざは、主に信徒同士による揉め事だ。
書くのはいいが、慎重にな。
聖務も疎かにしないよう頼むよ」
ありがとう、パードレ・モンテ。
ついでだから町を一回りして帰るよ。
面白い話題なんて無いだって?
ついこの間の、シマン君をめぐる出来事だって、じゅうぶん意義のある逸話だったじゃないか。
私は、世界中のどんな人をだって笑い転げさせるような物語を書こうとしているわけじゃない。
この日本では、あらゆる日常生活がエウロパとは違っていて、あべこべだ。そこへ私たちはやって来て、原住民に言葉を教え、無知から解き放とうとしているのだから、日々摩擦が絶えないよね。
それについて考える。考えたことをそのまま書けば、あとからいろんなことに気付ける。私は普段から、そういうつもりで書いているだけなんだ。
でも、わかってもらうのは難しそうかな。
いいよ。知りたいことが出てきたら、また来るかもしれない。
そのときは、よろしくね。
ウスキにもフナイにも、コンフラリヤができている。信徒たちの互助会だ。
キナイでは信徒たち一人ひとりが直接、教会と結びついていた。
シモでも私が去る前は同様だったはずだが、これもカブラルの方針転換で改善された。
1つの教会に1人のパードレ。そこへ数千人規模の信徒が集まることは現実的に無理だからだ。
現状、20人ほどをコンフラリヤの1単位としている。
組頭を決め、基本的な聖務はそれぞれのコンフラリヤに任せ、監督と指導のみを行う。
復活祭や降誕祭も、各コンフラリヤで準備して、集合し解散すればよいこととする。
コンフラリヤの上や下に更なるコンフラリヤができる場合もあるが、これによってパードレの負担は相当に軽減される。
私は今回、コンフラリヤのいくつかを訪問してみた。
だいたいは老人が家にいるものだが、パードレが訪ねてくることは珍しいようで、どこでも大層なもてなしを受けた。
エウロパ人なのに日本語を話せると驚かれた。
私はモンテの日本語能力を試さなかったが、奴も日本人とは滅多に対話をしないようだ。
話題は、つい先日のシマン君騒動に集中したが、あのとき兵士や坊主たちと戦った信徒とも話せた。
日頃の憂さを大いに発散できたと、皆、上機嫌であった。
こういう談笑ができることは、よいことだ。信徒との信頼関係も強まる。
この努力はモンテのいう、聖務には含まれないのだろうか?という、ちょっと意地悪な感想も抱くが。当分は私の胸だけにおさめておこう。
ひとまず、私なりの情報蒐集はできた。
この日は信徒の家で一泊した。
フナイへ戻ってから、同様にコンフラリヤを巡回しながらの日々を過ごす。
フナイ教会は広いので日本人従僕も10人以上いるのだが、そろそろ、ここの状況についても言及しておきたい。
フナイでは、牛・豚・鶏などを飼っている。
カブラルはよくこれらを調理させるそうだが、日本では禁忌とされる行為なので、最下級の奴隷にやらせる。
奴隷を鞭で打ち、管理監督するのは日本人従僕の仕事である。
カブラル体制の下では日本人従僕だって奴隷扱いなので、いわば上級奴隷が下級奴隷を苛めているような図式が常態化している。
このやり方だと、安定するのだ。
私は、必要以上にかれらと関わることなく、自室には常に鍵を掛けておくことを厳命された。
カブラルとジョアンがいる間は一瞬たりと気の抜けないのはもちろんだが、今だって上級奴隷の何人がカブラルと連絡を取り合っているかは判断できない。
この体制が良いことだとは思わないけど、余計な手心を加えると私自身が危うくなるよ、というわけだ。要するに。
だから、まだしばらくはおとなしく情報蒐集とその分析だけに専念する必要があると考える。
慎重にね。まったくその通りだ。
肝に銘じるよ、パードレ・モンテ。