待降節を目前に、私たちの教会は、ふたたび灰と化した。
誠実に語ろう。
従僕のジョアンくんが夜、蝋燭をつくってくれていた。
日本の樹木からは良質の油が採れるので、たいまつなども、エウロパのものより明るい。
食事の片付けや掃除などもしてくれていて、夜も寒いから薪も多めに焚いていて、つい睡ってしまったのだろう。
私たちも、寝ていた。
目覚めたときには、手遅れだった。
あわてて祭具だけなんとか持ち出した。
木と紙でつくられた建物は、あっという間に焼け崩れた。
日本では、建築に石を使わない。
木材と、土を固めたもので柱と壁を組み上げ、屋根と床には植物を編んだものを敷きつめる。
扉には紙を張る。風も、冷気も、容赦なく入ってくる。
そんな家の中で、当然、薪を燃やして暖をとるし、煮炊きもする。
ちょっとした不注意で、たちまち火事になる。
もっと快適かつ堅固な家にしよう、という発想はないみたいだ。
これだけ聡明な民族なのに。不思議でならない。
フェルナンデスの原稿も焼けた。
すべて、焼けた。
私にはそれが一番悲しかったが、フェルナンデスは、静かに笑っていた。
「これまで何度も、同じことが起きたよ。坊主どもに目の前で焼かれたことだって、数えきれない。そのたびに書き直した。書き直すたびに、良くなっていった。僕の頭の中にはすべてが詰まっているから心配いらない。また書くよ。大丈夫だパードレ。そんなに泣かないでくれ」
私たちの教会から燃え移った火が、近隣の十数軒も焼いた。
凍てつく夜の海風にさらされながら、家を失った信徒たちは、立ち尽くした。
さいわい、死者は出なかった。私たちは、跪いて赦しを請うた。
信徒たちも祈ってくれた。私たちを慰めてくれた。御主が、導いてくれたものと思う。
私に、奇蹟は起こらなかった。
まだ力が足りないのか。信仰が足りないと戒められているのだろうか。
そう、この火事は、与えられた試練なのだ。
この島の住民が、慈悲をもって支え合えるかどうか、それを御主は見ておられる。
私たちは、信仰の証を立てなくてはならない。
きたるべき降誕祭に、私たちは、できるだけのことをしよう。せいいっぱい祝おう。
それが、私にできる最大の償いだと思った。
信徒のペドロという老人の家に、私たちは住まわせてもらうことになった。
明け方になると寒くてたまらなくなる。歯をがちがち言わせていると、ペドロが自分のゴザを私の上にかけてくれた。
暗闇の中で、ペドロに礼を言った。
ペドロは十字を切り、自分の床へ戻っていった。
日本人は、この暮らしぶりで、幸福なのだろうか?
どれだけ寒くとも、耐えることに慣れているのだろうか?
エウロパ人にさえ、清貧と摂生を説くことは難しいものだが、日本人は一年中、勤労と断食に明け暮れている。
己れを律することには甚だ熱心で、起きている間はずっと働き詰める。
好奇心も旺盛で、一週間あればラテン語の聖歌を一曲暗誦するまでの学習能力を示す。
これほど布教が楽な土地は地上のどこにもない。
と、誰しも一時は思う。
もし1500年前、使徒の誰か一人でも日本へ辿りついていたならば、教皇庁はラウマでなく日本へ置かれていたのではないか。
そんな夢物語だって、荒唐無稽とはいえない。
ところで。
ペドロの家にも、タタミの上に、血痕があった。
フェルナンデスに、来日してからずっと気になっていたんだが、と打ち明けた。
すると、衝撃的な答えが返ってきた。
「ああ……それは、ヂシピリナの跡だと思うよ。パードレ」
ヂシ…ピリナ?え、ここで?信徒の家で、ヂシピリナを、やるのか?
「ヂシピリナだよ。聖週には誰も彼もが、裸になって鞭で叩き合う。血が飛び散るまでね。
パードレも、筋肉痛になるくらい鞭を振るうことになるから、覚悟しておいた方がいい。
教会では、祝祭のときにしかしないことにしているが、信徒たちの中には、自分たちで鞭をつくって、やりたい時にやる者も多い。
というより、実際やってるよね、これは。まだ赤味の残ってる斑点もあるから」
私は、気分が悪くなって倒れた。今日のベゾアールは、苦い味がした。