筋肉痛が、遅れてくる年齢になってしまった。
そう言うと、フェルナンデスは私に、愛想笑いを浮かべる。
「パードレ。あなたはもっと体を鍛えた方がいいと思う。坊主との喧嘩には知恵も弁論術も忍耐も必要だが、それを支える体力も無くてはならない。
運動のつもりで毎日ヂシピリナをしてあげれば、信徒もよろこぶと思うよ。どうだい?」
ううむ。まあ、考えておこう。まだ迷いを棄てきれない。
割礼祭も公現祭も無事に過ぎ、私たちはひとときの平穏な日々を迎えている。
いくつか備忘録を綴ろう。
私たちを保護してくれているドン・アントニオであるが、たいへん忙しい身分で、今も戦場に出ているという。
どこと戦っているのだろうか。
フィラドと、オオムラ・タケオ・アリマは政略的に、どのような関係にあるのだろうか。
フィラド領主フィッシュがオオムラを攻めろと言えば、ドン・アントニオはドン・バルトロメウへも牙をむくのだろうか。
私たちの進退にも関わる問題なのだが、情報は得られないままでいる。
ドン・アントニオにはドナ・イザベルという妻がいて、ファナウラという町に住んでいる。タク島からフィラドを臨むと、最も近い港だ。
何度か子供たちを連れて来てミサに参列してくれたし、私たちとの専属連絡員を頻繁に往復させて何かと世話もやいてくれる。たのもしい協力者である。
その連絡員はディエゴといって、ポルトガル語を話せる日本人なのだが、この男と話しているとフィラドという町の雰囲気がわかってくる。
良く言えば、何に対しても貪欲で活気がある。
悪く言えば、ハチャメチャでその場限り。
私もリジボーア人のはしくれとして、海に生きる男たちの気質というものを、わからぬではない。
来日するポルトガル人は全員がカウトリカ信徒だが、かれらとつきあっていても常々思い知らされる。
天候次第、波次第。
突発的な事態には即応を求められる。
毎日正確な時刻に聖務日課を滞りなく執り行うことを求められる私たちとは、同じ考えに立って生活すること自体が難しいのだ。
だから妥協もする。我々も、退くべきところは退く。
それをお互いに弁えることで、初めて共同作業が実現する。
フィッシュは、宣教師だけを排除したいという、明確な野心を持っている。
根本的に間違った考え方だ。
改めぬ限り、ポルトガル船団はフィラドに立ち寄らない。
根比べのつもりなら、最後には私たちが必ず勝つ。
ディエゴは、我々がフィラド本島へ上陸するのを、時期尚早だという。
フィッシュはミヤコから高位の坊主を招き、私たちの悪口を言いふらしている。
信徒は棄教を迫られ、日々心細さを味わっているが、それは囮なのだ。
我々が今行けば、信徒を励ますどころか暴徒にたちまち取り押さえられ、焼き殺されてしまうだろうと。
それでも構わんさ、と思うところ無きにしもあれど、ドン・アントニオが戻ってきてからの方がより良い作戦を立てられるかもしれない。
そう説得されて、今は自重することにした。
「パードレ。フィラドの連中を甘く考えない方がいいよ。4年前の船団長はフィラドで殺されたんだ。聞いてないかな?」
フェルナンデスに言われて思いだした。
4年前?61年?……あ、ああ。知っている。
船員たちが言っていた。あれ、フィラドだったのか。
え、フィラドで起きた事件だったのか?
「商売上の諍いがもとで押し合いへし合い、殴り合い、最終的にポルトガル人が15人くらい殺された。
船団長は領主たちと懇親中だったが、仲裁に割って入って、頭を叩き割られて死んだ。
そんな事件があったから、新しい港を探そうということになって、オオムラ領のノッサ・スニョラ・ダ・アジュダが開拓されたんだ。
あれ?今年の夏の定航船は、どこへ碇泊すればいいんだろうねえ。
ドン・ペドロは何か言ってなかった?」
若き船団長ドン・ペドロ・ダ・ゲラの用意周到ぶりには、そんな背景もあったのか。
しかしそれほどの事件があってさえ、船員たちにはフィラドをなつかしがり、向かいたがる声の方が大きかったぞ。
海の男たちには、仲間が15人殺された程度では、大した出来事ではないというのか?
に、認識をあらためねば。
暗い気分を振り払いたい気分で、パードレ・トルレスからの書翰を読む。
トルレスは今、アリマ領の、コチノスという町にいる。
ここでも、状況はきわめて険呑である。
アリマ半島には何人かの小領主がいて、しょっちゅう戦争をしている。
私は来日前漠然と、66領国に各一人の王がいて互いに覇権を競い合っている風に想像していたのだが、全然違った。
ブンゴ王だけは広大な領内をうまくまとめているようで力も強いが、他の地域では、まったくまとまらず内紛に明け暮れている。それが日本では普通だ。
ドン・バルトロメウは家臣に殺されかけた。そんな事態も、今後は頭に入れておかねば。
だから国境なども、あくまで机上の概念に過ぎず、日々動いていると思っておいた方がよさそうだ。
一日も早く、すべての領主がデウスの教えを学ぶべきだ。
その瞬間、戦争は止む。
人々は安心し、田畑から最大の収穫を得られるようになる。
互いに慈しみ、協力して困難に立ち向かい、皆が幸福な家庭を育み、悪魔も改心して私たちの前に跪く。
赦しあうのだ。そうあるべきだ。
それなのに。ああそれなのに。なんということだ。なげかわしい。
アリマの先王も、ミヤコから高位の坊主を招いている。民衆からデウスの教えを忘れさせようと、必死なようである。
トルレスたちは、そんな敵どもと日々、宗論を戦わせているのだそうだ。
……あれ?トルレスは、日本語を話せないはずだよな。
いったい、何語で戦っているんだ?
「宗論ではね。日本人信徒が、日本語で坊主と戦う。後ろにパードレやイルマンが就いて、日本人信徒が解答できない問題はポルトガル語へ翻訳してもらい、それに答える。その後、坊主に日本語で解答する。
これが基本の形だね」
イルマン・フェルナンデス。君の話で聞いていた限り、坊主がそんな悠長な対決におとなしく耐えるようには思えない。実際にはどのような弁論なのか。
記録がとられてあるなら、見たいものだと思う。
「おお、パードレ。私はやや極端な例を挙げ過ぎていたかもしれない。申し訳なく思う。
記録は、とっていたこともあるが、手元には残っていない。ここでの火事で、最後のものも失われた。
それはさておき、坊主にも、真剣に私たちの話を聞いて理解しようとしてくれている人は、意外と多いんだよ。
むしろ宗論において坊主たち相手に戦ってくれる日本人というのは、ほぼ全員、もと坊主だ。
デウスの教えに目覚め、坊主の衣を脱ぎ、霊名を授かり、ポルトガル語を覚え、話し慣れた日本語で教義を説明する。
坊主たちの理屈のどこが脆弱であるかも知っていて、突きどころを私たちにも教えてくれる、優秀な戦士たちだ。
かれらとの協力態勢さえ築ければ、日本での布教は、そんなに悲観したものでもないんだよ」
なるほど……私は、そんな日本人もいたことには、気づいていなかった。
ジョアンくんでは、まだ無理だろうね。
でも、少し勇気がわいてきたよ。
「今はミヤコでパードレ・ヴィレラをたすけているが、ロレンソという日本人で、すごい男がいる。
彼に宗論で勝てる坊主は、まず、いないね。
私も彼からきわめて多くのことを教わった。パードレ、あなたにも会わせたい」
ロレンソ。へえ、どんな男なんだい?
いや、いい。会うその時まで、楽しみはとっておくことにしよう。