タク島に、雪は積もらない。
海風がすぐ吹き飛ばしてしまう。
気温の低さも尋常ではない。
日本での生活に慣れているフェルナンデスでも、つらいと愚痴をこぼす。
ジョアンくんは、手をひび割れだらけにして今日もコメを煮てくれている。
ありがとう。君にはデウスの祝福が、きっと、もたらされる。
灰の日を迎え、私たちは断食を始める。
とはいえ、タク島へきてからずっと、否、日本へ来てからずっと、断食しているので、代わり映えはしない。
お魚をいただくのを、やめるべきだろうか。
本気で死んでしまう。
エウロパでも、病人は食事をしていいのだ。私たちは病人同然なのだから、御主もお赦しになるだろう。
いただきます。
タク島に邪宗徒はいないので、復活祭を滞りなく行えるかと思ったりもしたのだが、甘かった。
正しく導ける宣教師がいないと、だんだん戒律も典礼も、おかしくなっていくものだ。
今年は、我々がいる。2人もいる。
無いものだらけの環境ではあるが、せいいっぱい、できるかぎり、本来の姿に則った復活祭を行う責務が、私たちには課せられている。
がんばりましょう。
復活祭は移動祝祭日なので、教会暦によって確認をする。
フェルナンデスによると、今年は早すぎも遅すぎもしないので、その頃には暖かい季節になっているだろうとのことだ。ありがたい。
この日を中心に、日程が組まれる。
七旬節、六旬節、五旬節ときて、四旬節がはじまる。
その初日が、灰の水曜日。
前年に祝別された棕櫚の枝を灰にして、備えておく。
私たちは、御子イエズスの生涯に我が身を重ねつつ、苦難もあれど歓びにも満ちた40日間を、慈しみながら過ごす。
最後の8日間は、聖週と呼ばれる。
枝の主日に始まり、イエズスと弟子たちの身に最大の危難が降りかかる。
イスカリオテのユダに裏切られたイエズスは処刑場へと、自らの足で、歩んでいかれるのだ。
……あ。聖金曜日にはヂシピリナをするのだろうけど、聖木曜日はどうするのですかイルマン・フェルナンデス。
なにか、日本独特のやり方とか、あったりするものでしょうか。
「洗足式は、とくに変わったことはやりませんよパードレ。12人選抜して、足を洗います。それだけです。普通に終わります」
ほっ。
そんな次第で、聖金曜日にイエズスは十字架に磔にされ、死を迎えます。
世界は嘆きに満ち、私たちは40時間、深い深い悲しみの中を耐え忍びます。
一千五百数十年前、ゼルザレンにて実際に起きたことなのです。
しかしこれも、御父デウスが私たち人間に真理を教え考えさせるための、重要な一幕であったのです。
イエズスはサントスパアデレスのリンホへ赴かれ、聖なる人々と、行き場を失っていたアニマたちをパライゾへと導いたのち、地上へ戻ってこられました。復活の主日です。
聖マリヤの時刻になると、私たちは聖堂の蝋燭へ一本ずつ、火を灯していきます。
徐々に、徐々に、堂内は光で満たされます。
ミサを始めます。
イエズス・クリストと共に歩む、新たな40日間のはじまりを祝します。
私たちは、通常の食事を摂ります。ええ本来ならば。
そして、この豊潤な世界を創りたもうた御父デウスへも、あらためて、最大の感謝を捧げるのです。
それまで懐疑的だった求道者にも洗礼を授け、正しい生き方を学びなおす機会を与えます。
イエズスは、彼自身を死に追いやった者たちへ、怒ることも、責めることもしません。
人間社会の悪は、すべて誤解と躓きによって起きるものなのです。
アダンとヱワがパライゾを追われて以来、人間には原罪が刻まれていますが、これも、イエズスは浄化しました。
人間はここに至ってようやく、創造主デウスのつくられた本来の姿にもどることができるのです。
私たちは、これからはイエズス・クリストに倣いて、その教訓を日々忘れぬよう生きていけばよいのです。
それだけです。
たったそれだけのことで、私たちは幸福になれるのです。
後日譚を少しだけ。
イエズス・クリストと弟子たちは、それからも精力的に教えを説いて回りましたが、復活から40日後、イエズスの肉体は、死のときを迎えました。
それは、避けられぬことだったのです。
人々はやはり嘆き悲しみましたが、50日目にスピリツサントスが、かれらの頭上から降りそそぎました。
この日をペンテコステといいます。
復活祭は、ここまでをもってひと区切り。
私たちにとって、否、地上に生きるすべての人間にとって、大切な大切な祝祭です。
これをタク島で、厳格に、行います。
ないものだらけの環境ですけど。せいいっぱい。できるかぎり。